溶解しても融解しても理解には届かない



図体のデカイ大の男が、唇を噛みしめて涙を堪えている。
目蓋の奥の色は、色つきのガラスに遮られて読めないが、きっと悲しみやら悔しさやらで曇っているんだろう。
「ドフラミンゴ」
唇が切れるぜ、と柔らかに止めてやると、男はますます強く唇を噛みしめた。
「……」
夜明けまでまだずいぶんあるこの時間帯、人工の明かりもずっと遠くにぽつりぽつりとあるだけなのに男の表情がよく見えた。月が明るいというだけではない、きっと真っ暗闇の中でも男の表情は手にとるように見れたはずだ。
今の男は、俺に一度訪れた感情を経験している。男もあの時の俺と同じ様な顔をしているだろう。いや、いまの男より幾分知的で物分かりのよい大人の顔をしていたと思う。
「……どうして抵抗しなかった」
責めているような、すがるような、突き放すような、様々な感情が凝(こご)った声だ。男自身が感情を整序できていないことを物語っている。
「どうして黙ってついてきた」
湿度も室温も完璧に制御された室内、無駄口なく仕事に従事する使用人たち、厳かに進む形骸化した会議、世界に覇する権力、誰もが畏れる地位、挽きたての豆が香るコーヒー。
この男は、今や日常のそ れらから、俺を連れ去った。絡みつく日常から俺を拐った。この、夜明けの遠い海まで。
「……」
俺が何も答えないと、男もまた黙って唇を噛みしめた。熟れる前の苺のように男の唇は白くなる。
俺たちの生臭い知略謀略暴力の日常にあって、二人寄り添うことなどできないと、男も俺も知っていた。分かっていた。
会えない時間は愛を育む。会えたときの喜びはでかい。付かず、離れず、時には並走、時には交差、時には走り去り、時には待ってみたり。そんな二人でいることに、納得していた。寂しさに寛大でいた。
では、男が起こした誘拐事件は衝動だろうか。そんな大それたものでは決してないのだ。ほんの少しの湿気くさい感情―――歯痒さ―――それがいま俺たちを夜明けの遠い海に運んだ。
男は唇を噛みしめて水平線を睨んでいる。この海に夜明けが来ることはないというのに。
俺たちがずる賢い大人になって幾日も経つ。成熟し円熟し、狐の目で世を見る力は何倍にもなった。大人になったばっかりに、先が見えるばっかりに、俺たちは共に生きられない。夢を見て、頭より先に体を動かすガキの特権はとうに効力を失っした。頭でっかちな俺たちは、先を見て、諦めて、指を噛 むことばっかりになった。

「ドフラミンゴ」

―――帰るぞ、と声をかけても、男は未だに夜明けを諦めきれずジッと暗い海を睨んでいる。男も、ちゃんと理解しているはずだ。二人共に生きることなどあり得ない。そういう風に俺たちは生まれただろう?
「―――!」
白んだ唇に舌を這わすと、男はやっと歯をたてるのをやめた。
「帰るぞ」
自分でも、どこへ帰るというのか分からないまま、男の手を引いた。暗い海に背を向ける。
「クロコちゃん」
男が情けない声で呼んでくる。返事は返さない。返事も求められちゃいない。

歯痒さのなかで生きていこう。俺たちの未来はあの海に見えただろう?
だから、見えない先で一緒になろう。見えない先に夢を見よう。そこでなら、二人は共に生きている。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -