首なしキラー



夕食を終えて2時間と少しが経った。悪い大人が眠るにはまだ早い時間。甲板では各々酒を酌み交わす者もいれば、賭けポーカーで歓喜、あるいは悲痛な声をあげる者もいる。また、明日が朝食の番である料理班は仕込みは別の班に任せ早々に眠りについているようだ。
夜らしい、昼間とは違う賑やかさに包まれた甲板を抜け、キラーはひっそりと静まる自室の戸をくぐった。
誰もいない自室はランプの黄色い火に照らされ、かすかにきぃきぃと船の軋む音だけが隠っている。
キラーは部屋の角に配置されたベッドに腰掛けた。座るだけで金切り声を上げる古びたベッドだが、糊の効いたシーツは皺一つなく整えられている。
ツヤが出そうなほど整ったベッドで至福の息つくと、キラーは思い出したように顔に手をやった。
―――パチリ
首の付け根の留め具を弾くと、頭部全てを覆う鉄壁の仮面がぐらりと揺れた。
支えをなくした仮面はボスリと重い音をたてベッドに転がった。一息遅れ、仮面についた金の飾りも白いシーツに着地する。

男には、首がなかった。

何一つ、首より上にあるべきものは何一つなく、首より上はただ背後の壁を映すばかりだった。
開いた胸元をなぞり、鎖骨に指をかけ、喉仏を這い上がった先には、ただ黒い断面が静かな水面を湛えていた。

首のない胴体はすっきりしたと言わんばかりに背伸びをしていたが、ふと何かを思い出し身を屈めた。身を屈めベッドの下に手を突っ込むと、男は床を削りながら何かを引きずり出した。
床からベッド横の脇机に置かれたのは、大袈裟なほどでかい南京錠がぶら下がる曇った鉄の箱だ。
キラーは胸元の紐を手繰り、南京錠と同じ曇った金色の大袈裟なほどでかい鍵を取り出した。
鍵は素直に南京錠に吸い込まれ、見た目に反してしとやかな音で解錠を告げた。
その中には、黒いベルベットに包まれた首が眠っていた。生首が'眠っていた'とは言い得て妙かもしれぬが、事実、首は死んだようには見えず、生きた人が眠るような様子で心地良さげにベルベットに埋もれていた。
「……」
キラーは首の耳下に手を入れ、首をそっと持ち上げた。首が持ち上がるに伴い、仮面の飾りと似た長い金髪がぞろりと持ち上がる。

(……ちゃんとある)

胴体から離れたそれに、確かな熱と重みを両手に感じ、キラーをほっと息をついた。
こうやって、毎晩存在を確かめ、無事を認め、また大切に箱にしまうことがキラーの習慣になって数年が経った。
キラーにとって、首はどれほど意味あるものかと言えば、然程意味はなかった。
頭がすべき仕事のほとんどは胴体だけでも行えた。耳がなくとも聞けたし、目がなくとも見えた。口がなくとも喋れた。そんなものなんだろう、と深く考えたことはないが、何もない場所が声を発し物を見るのだ。根を詰めて考え出せば'ない'頭が痛みだし、さらなる頭痛の種を生みそうな現象だ。
首がなくてできないことと言えば、物を食べることくらいか。しかし、腹の空かないキラーにとって、首にしかできない唯一の事も意味のないものであった。
だからといって、自分の一部である首を捨てたり無くすわけにはいかない。なくても支障ないが、何よりたいへん後味と薄気味が悪い。誰かの手に自分の首が渡る、もしくはどこかで焼かれる、もしくは海の底で蟹に目玉をくり貫かれる―――そんなこと考えたくもないものだ。
しかしなぜ、男は首を繋げないのか。
失うことが不安なら、首を持ち歩けばよい。胴に縫い付ければなお不安はないだろう。
事実、キラーが生まれた―――キラーの意識が己の存在を認めた―――とき、当初はそうやって生きていた。首と胴を繋ぎ、ヒトの振りをして生きていた。
では何故か?なぜ今、首を離し、大切に箱にしまい、毎晩安否を確認するのか?答えは呆れるほど簡単で、情けのないものだった。

恋をしたのだ。

理解を促すため言葉を正確にすると、
―――恋した人間が、己の首のない姿を愛したから―――だ。

数年前に出会った奇特な男が、離れた頭を繋ぎ止めるとは女々しいやつだ、首などいらん、捨て置け捨て置けと言うもので、いまこうして箱に厳重にしまう日々を送ることとなった。
そんな、首のない男を気に入る頭のおかしな(頭の離れるこの男よりも、だ)男の言葉など、無視してしまえば心平穏な毎日が送れるのだろうが、'恋は盲目'、'恋の奴隷'、'坊主に恋せば袈裟まで'のたとえの通り、「首などなくてよい」という男の言葉に逆らえず、波の上の葉のように揺られるがままとなっていた。

「'人でなし'も難儀なものだ」

先ほどまで眠るように静かだった首が、ぱちりと目を開け、首のない己の胴体を見上げて諦め気味のため息をついた。
胴体から、首に思考と意思と悩みを移し、キラーは首を胴に導いた。
いつもしまい放しではいつか腐り出しそうな気がし、虫干し代わりに風を浴びようと思ったからだ。この海域の夜風は涼しく穏やかで、空には雲一つなく、隈なき月が照っていたのを、明るくさざめく甲板を通りながら感じていた。久しぶりに、まつ毛と髪に風を感じ、舌に潮風の辛さを感じようと思った。しかし―――


「キラー」


―――突然部屋に充ちた声に、キラーは今晩の月見と潮風が遠退くのを確信した。
「キッド」
手の内の顔を向けた先には、予想通りの男が押し開けた扉に背を預け、唇に薄く笑みを引いていた。
「どうした?何かあったか?」
「……いや、航海士があと2日程で次の島に着くと言うから、上陸後についてお前と話しておこうと思ってな」
首の取れたキラーの姿に驚くことなく、キッドと呼ばれた男はカツリカツリと踵を鳴らし部屋に踏み入ってくる。
「そうか、ではお前の部屋に行こう」
キラーは内心の焦りを押し隠し、平静を装い自然な動作で首と胴の境目を繋ごうとした。が、男の手が手首を捕らえ、それ以上の動きを許さない。
「キッド……」
キラーは声に咎めるような色を含め、男のにやにやと笑う顔を睨みつけた。しかしキラーの様子など一向に気にしない傲慢な愛しい男は、どこ吹く風と笑い、掴んだ手からキラーの首を取り上げ、ポイとベッドに転がしてしまった。
「―――!」
キラーが批難の声を上げるより早く、ベッドに腰かけた膝にのし掛かる重みと、首と胴の境目に柔らかな熱を何度も押しつけられる感触を脳に感じ、キラーは息を詰めらせた。
「話しは後にしようぜ、キラー」
黒い断面と皮膚の境に舌を這わせながら、キッドは肩に掛けただけの重いコートをするりと床に落とした。コートの下の裸の背中は傷一つなく、日の光を知らない真白い薄い肌の下に詰まったしなやかな筋肉が惚れ惚れするほど美しいラインを描いている。キラーはシーツの上で、男の背がオレンジのランプに蕩ける様に劣情を抱く。
この燃えるような赤毛の男こそ、キラーが愛し、首のないキラーを気に入る奇特な人間である。
「ん、ん、はぁ」
自分を背後から見上げるキラーの首などお構いなしに、キッドはキラーの喉仏に吸い付き、首裏を撫ぜながら男の服を器用にからげていった。
よくこんな一瞬で発情期の猫のように盛れるものだと呆れた視線を送るが、キッドに口づけを重ねられる己の胴体を見ていると、だんだんと面白くない気分が募っていった。
「キッド、キッド」
キラーはたまらずキッドの背に声をかけた。声に咎める響きはなく、ただこちらに意識を寄越すことを促すための呼びかけだ。
だが、男は夢中でキラーの首筋に舌を這わせ、時折吸い付いては痕を残し、返事一つしない。
「……」
キラーはムスリと口をへの字に結ぶ。この男、普段は首をしまいこみ、胴体だけで生活しているくせに、意外と表情を素直に顔に示した。
「―――!おい、何すんだキラー」
無視するのなら実力行使だと言うように、目前とキスの雨嵐にあっている自分の体を動かしてグイと腕を突っ張ると、機嫌よく口づけを重ねていたキッドを無理矢理体から引き剥がした。
今まで従順であった首なし胴体が抵抗を示したことで、キッドはふやけさせていた目もとに力を込め、背後の首を睨みつけた。
「キッド、キッド―――俺にはキスはなしか?」
邪魔するなと言いたげなキッドに甘えるように尋ねる。
「あァ?いましてるだろ」
しかし、キッドはそう冷たくあしらうと、プイと顔を反らし、また口づけを続けようとした。
「……」
だが、ますます不満げに口を曲げるキラーが腕を突っ張り、キッドを近づくさせない。
「〜〜〜〜ああもう!何だよ!?」
「キッド、キス」
「いくらでもしてやるから手ぇ放せよ」
「違う。唇で触れたい」
「……」
「キッド」
「……」
「キッド」
「……」
「……キ「ああっ!!わかったよ!!」
キッドはキラーの突っ張った腕を掴み、なんとか退かそうと試みたが、キラーはがんとして動かす気がないようだ。そうと分かると、腹立たしげにキラーの膝からおりたキッドは、乱暴に転がる首の前に胡座をかいて座った。
キッドの色のついた指先がキラーの頬を通りすぎ、耳裏から後ろ髪に指が抜ける。金糸の隙間から、金糸の絡んだ白い指が覗く。
そのまま持ち上げれば、長い髪がシーツを滑りながらキッドの膝元に擦り寄ってくる。
血が透けたように真っ赤なキッドの瞳にキラーの意識が吸われる。首のない胴体からも同じように見えるのに、やはり違う。目と目を合わせる―――ただそれだけなのに腹にいっぱいの満足感を得る。
キッドの赤い目に、薄い皮がするするとおりる。美しい瞳は見えなくなり、代わりにまつ毛のラインを視線で何度もなでる。目だけでなく、ゆっくり近づいてくるキッドの顔をくまなく見渡す。鼻筋のライン、ツンとした鼻先、滑らかな頬に生えた産毛、おでこの生え際―――いつだって見れるそれらを、自分の目で見ることができる幸せを噛み締めてる。
近すぎて焦点が合わなくなる頃、キラーようやく目を閉じた。
「―――」
目を閉じるとすぐに唇が重なった。
いつも体で感じていた唇は、体で感じるよりずっと熱く柔らかい。角度を変え何度か唇を重ね、最後にキッドがキラーの下唇に甘く歯をたててから一人と一部は離れた。
もう一度目を合わせ、小さく笑むキッドを見ながら、キラーは幸せに侵された頭でぽつりと問いかけた。
「俺はお前に愛されてると自惚れてもいいだろうか?」
「―――当たり前だ、愛してる」
「あの男よりも、か?」
「どの男だ?」
キッドが小首を傾げ笑む。赤い唇から覗く尖った犬歯が鼠をいたぶる。
「俺の首もか?」
「もちろんだ」
「もし俺の首と胴がくっついていても愛してくれたか?」
「ああ―――どんな姿でもお前はお前だろキラー?お前の首も胴も、首と胴がくっついていても、」
「キッド……」
甘い空気が流れる。聖母のように慈愛をもって微笑むキッドに、キラーも目元と口元を綻ばせる。
キラーはキッドの肩越しから覗く己の胴体をチラリと見やる。これまで、胴ばかりがキッドに構われ、愚かしくも自分の体に嫉妬していた。しかし今は、キッドの言葉一つだけで、骨肉の争いの相手が、愛しく思えた。大人しくベッドのふちに腰かけて佇む様だっていじらしくみえる。

「キラー」
続きしようぜ、と幸福に浸っていたキラーの耳に甘い吐息が吹き込まれる。
「……ああ」
「もう触れていいか?」
濡れた犬歯が耳朶を噛む。
「……っ……ああ」
「俺のこと好き?」
「ああ」
「俺のこと怒んない?」
キッドの舌がキラーの右耳をくちゅくちゅと音をたて這い回る。
「?ああ……?」
「……じゃあ、しばらく大人しくしてな」
「ああ……―――!!!」

阿呆の様にコクコクと頷いていると、突然辺りが真っ暗闇に包まれた。
キラーは目を見開き、何度も何度も瞬きする。しかし、あたりは自分が目を開いているか怪しいほど暗い。
突然暗転した世界に、キラーは頭を混乱させ瞬きを繰り返した。辺りは暗く、埃っぽく、見えはしないが狭い場所だということだけ感じる。クエスチョンマークを飛ばしながら眼だけを四方に走らせると、長四角に切り取られた明かりが見えた。その明かりを注意深く見るとそのずっと奥に見慣れた木目を見つけた。また、耳をすませば上方からギシギシと板の軋む音がする。
(まったくあの男は……!信じた俺が馬鹿だった!)
自分がベッドの下に放り込まれたことを理解したキラーは、これ以上ないほど眉間に深い皺を刻んだ。キラーは音をたてる上方をギロリと睨み、首に置いていた意識を、キッドが愉しげに跨がっているだろう自分の胴体に移した。
「……お前なんてキライだ」
実際にまぶたを開くような感覚で、胴体の存在しない目を開けば、キラーのシャツのボタンに手をかけるキッドが見えた。
キライだ、キライ、大キライ―――と泣き出す寸前の子供のような声で呟きながら、キッドの腕を掴み、キッドを乗せたまま上体を起こした。
「お?おっ」
くるりと反転し、キラーに押し倒された格好となったキッドは、愉しげに目を歪ませている。
首と腰に絡まるキッドの手足に引かれ、キッドの首筋に自分の断面をすり寄せて、キラーは悔しげに呟いた。

「―――キッドのバカヤロウ」
オマエモナー

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