なぁ、俺、サボのこと大好きだよ。 大好き。 うん、すっげぇ好きだ。 いつも俺の話しに呆れながら、でもちゃんと聞いてくれるとこや、弟と喧嘩したって話したら早く仲直りしろって叱ってくれるとこ、ダルそうに煙草吹かしてるときとか、俺の姿が見えたらちょっと嬉しそうに笑うのに、すぐ慌てて口をへの字にしちゃうとことか、さ。 甘い酒が好きで、かわいいって笑ったら「テキーラ飲む」って言ってきかないとこや、散歩する犬を見たいから早朝に公園にでかけるとことか、一般人や娼婦が絡まれてたら絶対助けてやるとことかもね。 ……サボはさ、酔っ払いとジャンキーが転がる路地裏を、スイスイ泳ぐきれいな熱帯魚みたいなんだよな。 きれいな色、クールな尖った横顔、自分の庭みたいに街灯が照らす夜の世界を自由に泳いで回る―――でも生きてるのはやっぱり狭い水槽の中。 それを分かってるから、サボはいつだって一歩後ろから世界をみてる。自分自身だって離れたとこからみてる。なんに対しても、誰に対しても深入りしないし本気にならない。何もかも、無駄だって思ってる。だってどうせここは水槽の中だろ?って。 だから俺、サボのこと自由にしたい。 サボに心から笑って欲しいし、サボが自由に泳ぐとこもっとずっと長く見てたいし、それに……それに、サボに俺のこと本気になって欲しいし。 あ、確かに最後のが一番重要だけど、他のも本気でそう思ってるからな!言っとくけど! はぁ、 ……好き。 大好きだぜ、サボ。 薄ぼんやりした街灯の下で、あんたが俺を見上げたとき、あんたの最期を看取って、その二日後に自分があんたの隣で死ぬとこまで見えたからね。 もうこれはダメでしょ。 サボと一緒にならなきゃダメだね。じゃなきゃ俺、俺、……あー、ほら、とにかくいろいろダメなの。あんたがいない未来が想像できねぇし。 もう一回言うけど、だから俺、サボを自由にしたい。 サボに俺のこと本気になって欲しいし、サボに好きになって欲しいし、サボにずっと一緒にいて欲しいし。 ん?うんうん、ああもういいよ、分かったってば。つまりサボに好きになって欲しいんだよ!きれいごと言ってすいませーん。いろいろ言いましたがサボに好きになって欲しいだけでーす。はぁ、これで満足? とにかく分かったか?つまりサボは俺のために自由になりなさい、ってこと! ■ 「どこのどいつだ?」 レンガ造りの建前に挟まれた路地裏で、娼年は静かに朝を待っていた。 12月の冷たい風は散々に乱された金髪を穏やかにすり抜けて行った。目尻の端や口許に咲いているだろう青い花や、擦り傷や裂傷から流れた乾いた赤黒い血によって汚された肌の上も嫌がらずに駆け抜ける。 水も草木も凍らせる風は、拳の形しか知らない人間の手よりずっと優しく触れてくれた。 左手の指先に引っかけたブーツが寂しげに揺れる。素足のままの足先は薄汚れたレンガの階段で冷えきっていたが、靴を履く気にもならない。何もかもを諦め、受け入れ、理不尽さにも甘んじて、コンクリートのひび割れを怠惰になぞる。 日が登って間もない街は、普段の薄汚れた空気をつかの間忘れキンと清く冷えていた。吐く息はミルクのように濃く白く、いまだ街のあちこちに踞る夜の気配に混じる。 朝日はもったいつけてゆっくりと登るくせに、侵略者のごとく凄まじい速さで街の影を食らっていった。 その街の片隅で、にじみ出る殺気に顔を曇らせた男が、周囲の空気を震わせていた。 「言えよ、サボ……どこのどいつがお前をそんなにした?」 「……よぉエース、挨拶もなしか?まったくいつまでも礼儀を覚えないなお前は」 「サボ!」 街を焼く朝日から逃げおおせたような、朝日にすら見捨てられたような路地裏でサボは煙草を吹かしていた。 腫れてうまく開かない右目で怒りに震える男を見上げ、サボはだるそうに白煙を吐き出した。右手の指に挟まれた煙草が唇を離れると、吸い口が口紅とは違う赤に色づいていた。 「近所迷惑だろ?大声だすなよ」 「……っ!」 エースは唇を噛み締めて自分の黒髪を掻き乱した。それまで、顔も知らない第三者に向けていた怒りは一変し、自責の念となりエースの顔を苦しげに歪めた。 「俺がっ!……俺が、遅れたから……」 「‘遅れる’って―――?何にだよ」 エースの言葉に、サボは小さく笑った。 「約束があった訳じゃねぇだろ?」 ―――俺は、いつもお前にただ酒とただ飯で買われてただけだろ。昨日はいつものお得意様が来る前にたまたま別のお客に買われただけ。そうだろ? サボは白む空に向かい、白煙と共に呟いた。 道端で客を待つだけの金曜の夜は、つかの間の間食事と酒と会話だけを楽しむ日になっていた。 キスもなし。 セックスもなし。 この1月と半分、ただぶらぶらと街を歩き、エースのくだらない話を聞き、酒を飲み、山盛りの料理が乗った大皿を次々に空にするエースに呆れるだけの健全な夜を過ごしてきた。 男娼の自分に「好きだ」と真剣な目で告げる頭のオカシイ男と過ごす夜は、楽しかったと言えるだろう。 同年代の友だちがいれば、このようであるのかとも思った。 生まれた時から虐げる人間の薄汚い本性を見て育ち、虐げられる人間の歪んだ闇も見て生きてきた。親を見捨てた。友もいなかった。仲間なぞ必要とも思わなかった。エースは、それまでの主義を揺さぶった初めての男だろう。共にいてもいいと思えた初めての男だった。 エースと過ごす金曜の夜のような毎日を生きることに関心を持った。自分にも、このように生きれるのだろうかと思っていた。しかし、 (束の間の夢だ) 汚泥に生まれ汚泥に生きていた。自分は爪の中まで真っ黒だ。歯を溢して快活に笑う男とは住む世界が違った、ということだろう。 (夢だった) 痛む体と冷たいレンガに、サボは目を覚ました。短い夢だった。しかし、エースと共にある人生を考えてしまうに十分な期間であった。 ぱしり、と傷の具合を診ようと頬に伸ばされた手を払った。 夢の続きは、いらない。 「大丈夫だ」 「っ……大丈夫なわけないだろ!」 「こんなこともある、そういう仕事してるんだ」 「―――」 「―――いいんだ」 サボの目が、エースよりもレンガのひび割れよりも狭い空よりもずっと遠くを見つめている。 「いいんだ」 浄も不浄も善も悪も、道理も不条理も何もかもを受け入れて、何もかもを諦め、全てに甘んじる、そんないつもの目で、ここではないずっと遠くを見ている。何かを見つめ、何も見ていないサボの目は、ゆっくりと死んでいく。 (世界はこうあるべきだから、いまこうしてこうあるんだな) 他人事のようにサボは一人納得した。 (「なぜ」「どうして」と「違う」「こうじゃない」と考えてもどうしようもなかった。なるべくしてなり、あるべくしてあるんだ。俺には仕様のないことだったんだ) 世界を、一歩後ろの斜め上から眺め、締観に白んだ瞳で見下ろし見回す。 サボの指から、黙々と灰になったタバコがぼろりと崩れた。 「………くねぇ」 「……?」 サボの靄のかかった瞳が目の前の男を脳に結んだ。 階段上のサボの足元で俯く男は、ぎりりと唇に歯をたてて震えていた。 「……よくねぇよ」 絞り出すような声が地を這う。 「……」 「―――俺は!よくねぇ!!!」 エースの声がびりびりと空気を震わす。鋭い眼光が、サボの目を空より向こうから引きずり下ろす。 「いやだ!俺はいやだ!サボが傷つくのも、サボがそんな顔するのもいやだ!」 エースの火のように熱い手が、サボの手首をきつく握る。 短くなった煙草とブーツが階段を転がり落ちた。 「エース……」 「俺はサボをこんな目に合わせた奴をぶん殴りたいし、サボに笑って欲しいし、サボに好かれてぇ!」 「……」 「なにも、よくねぇ!!」 サボの間近で見据えるのは、火のように強い意志の瞳だ。サボには男が、激しく吠え、がむしゃらに爪をたてて生を叫ぶ一匹の獣に見えた。 初めて見る男の顔だ。声を上げて笑う顔、拗ねて口を尖らせた顔、酒に酔ってだらしなく緩んだ顔しかしないものだと思っていた。 「言えよ、サボ!どうしたい?何がしたい?最初から諦めないで言え!『いいんだ』―――'どうでも'『いいんだ』じゃねぇよ!言え!お前は!―――どうしたい?」 「……!」 エースは、こんなに、激しく燃えるような顔をするのか。 鼻先にある、ごうごうと燃える火がサボを焼こうと赤い舌を蛇のようにちろちろと伸ばしている。 「……は」 サボは、骨まで溶かしそうな熱に眩みながら唇を震わせた。 初めて、この男を恐いと思う。 燃え盛る火が熱く危険なことなどとうに知ったことだ。手を伸ばせば、皮膚を溶かし、肉を焼き、神経を熱するだろう。 「俺は……」 気圧されたようにサボは言葉を溢した。 欲しい。色んなものが欲しい。何もかも欲しい。自由が欲しかった。普通の暮らしが欲しかった。愛情が欲しかった。自由が欲しかった。平和な世界が欲しかった。守る力が欲しかった。変える力が欲しかった。 「エース……」 辛くても痛くても寂しくても流れなかった涙が、流れ方を思い出したように後から後から溢れた。狭い胸の内に収まらなかった思いが、溢れ出た。娼年だった少年は、涙に化粧を剥がされ、ただの少年の顔となる。 「ほしい……欲しい、!」 かつて、声が枯れるまで叫んだ言葉を、震える声で小さく溢した。かつて、誰にも届かなかった、言葉を。かつてとは比べ物にならないくらい、小さな小さな声で。 サボの言葉に、エースはにかりと歯を溢して笑った。'何が'とは聞かず、エースはサボの冷えた細い体を抱き締めた。聞こえたぞ、と全身で教える。 「やるよ、俺が全部」 子どものように泣きじゃくる娼年と、彼を抱きとめる子どものように笑う男の足元にも、朝日が思い出したように陽を落としていた。 ■ サボ、きれいでかわいくて優しい俺のサボ――― 世界で一番愛してる。ずっと大切にしようって、初めてサボを抱き締めたあの朝にそう思ったんだ。 あの日、俺は初めてあんたの声を聞いた。子どもみたいに泣きじゃくるあんたが胸の底から叫んだホントの声。 ちっちゃな声でも俺にはちゃんと聞こえたぜ。 いやだ、こんなのいやだ。変えたい、嫌い、大嫌い。誰か愛して、もっと愛させて。欲しい、エースが欲しいって、叫んでた。 あ、最後のはちょっと俺の希望が入りました。そう思ってくれてたら嬉しいなぁーって…… サボ、俺ぜったいあんたに後悔させねぇ。一度世界に愛想尽かせたあんたを、もう一度世界に希望持たせたこと、後悔させない。 なぁサボ、ぜったいあんたを幸せにするよ。 俺の、この手で――― ……と思ったのに、なんで、なんでだよ! なんであのダメ親父に着いてってちまったんだよ!!! あ、ダメ親父ってのは俺のダメ親父じゃなくて弟のルフィの方のダメ親父ね。どっちもダメなクソ親父なのは変わりねぇけど。 くそっ!あのダメ親父コレクションver2野郎……めったにルフィに顔見せないくせに、サボ招待した日に限ってのこのこやってきやがって! サボは革命家っつうわけ分からん仕事を仕事って言い張るニートに共感して、世界を飛び回るようになっちまったんだ……。 ……サボ、……いま幸せか? やりたいことやれて、言いたいこと言えて、あんた幸せ? ……サボ……あんたが幸せなら、俺は、俺は―――ぜんっっっっぜん幸せじゃねぇっ! だって、だってよ!?滅多に会えねぇし、電話も繋がらねぇし、繋がってもサボの後ろでは銃弾や爆発音してるしよ!ゆっくり喋れねぇよ!電話出てないでいいから逃げろよ! サボにもしものことあったらあのクソ親父、うちのダメ親父共々ただじゃおかねぇからな……。 ヤのつく自由業のファミリーと情報と、俺の敬愛する親父に頼ってでも、大人気ねぇくらい必死にあの親父どもを追い詰めるぜ。 はぁ……好き。大好き。 サボ……好き好き大好きちょー愛してる。 サボ、俺決めたから。 次会ったら、サボ拐って南の島に飛ぶから。 小さなきれいな珊瑚の島の、誰もいない小さなチャペルであんたにキスするんだ。 それから、汚れた街をすいすい泳いでたきれいでかわいいあんたを、薄汚れた街でもなく、弾丸飛び交う戦場でもなく、本物の海で泳がせるんだ。 夜になったら一つのベッドに入って、次の日の昼まであんたを放さないから。 次会ったら、覚悟しろよ? そう、次だ。 あんたら革命軍が潜んでると噂のフェイクの廃墟から南へ40キロのところにある街の、政府軍御用達の居酒屋の2階の宿の1002号室にいるあんたのとこまで、車ぶっ飛ばして…… うん、あと3時間後の'次'だぜ? 覚悟は……いい―――? |