部屋の主より主らしく、男は他人のテーブルで優雅にティーカップを傾けていた。 「遅いぞドフラミンゴ」 どこで油を売っていた、と薄いガラスの奥で軽くドフラミンゴを睨めつけ、カップをソーサーに戻した。 己の部屋のはずなのに、扉の前で所在なく立ち尽くし、でかい図体を縮こまらせたドフラミンゴは、おずおずと右手を挙げた。 「……おれ、がっこ終わってから真っ直ぐ帰ってきたんだけど」 「俺が'待たされた'という結果が全てだ。言い訳はいらん、謝罪もいらん。次回に向けての打開策だけを述べよ」 男は鼻であしらい、細いフレームの上からドフラミンゴを冷やかに見上げた。 「……次はダッシュで帰ります」 「よろしい―――二度目はないと思え」 「はい……」 なんとも自分本位なお叱りだが、ドフラミンゴは逆らえず肩を落として了解した。 「それでは早速中間考査の結果を報告してもらおうか」 「あ!そうそう!見てよクロコちゃん!」 男の言葉に、小さくなっていたドフラミンゴはウキウキと薄い通学カバンを漁った。 「ジャーン!見てくれよこの点数!」 ドフラミンゴがテーブルの上に広げた5枚の紙には、朱色でそれぞれ数字が書かれて いる。「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」と記名されたそれは、学生の日々の努力を数値かするため、定期的に開催される'考査'において、学生が挑むべき憎い敵の成れの果てだ。 「92、95、87、88、90……」 「すげぇだろ?どれも前回より50点近く上がったぜ!」 五教科の答案を指差し、ドフラミンゴは弾んだ声で言う。 「フッフッフ!90点代三つ取れたらデートする約束だったよな!いつにする?」 ピンクのハートが乱舞するような機嫌で、ドフラミンゴは男の隣の椅子に腰掛け、答案用紙の数字をなぞる男の手に手を重ねた。が、――― 「ッッッてぇ!!」 ヒュン、と風を切る音がしたかと思うと、ドフラミンゴはすぐにその手を引っ込めた。ドフラミンゴの右手には、見事なみみず腫が斜めに甲を裂いている。 「何の話だねドンキホーテくん?てめぇが勝手に煩く囀ずってただけだろう、約束した覚えはねぇ」 それと、俺のことは先生と呼べ、ふざけた呼び方すんじゃねぇ―――とまた風を切る音と鋭く何かが弾けるような音が鳴る。 男の手には、いつの間にか細い乗馬用の鞭が握られていた。その鞭が一度目はドフラミンゴの手を、二度目はテーブルを打ち据えた ようだ。 「もう一つ」 口許だけを緩く持ち上げ、男は左手の掌で鞭を鳴らしながら、組んでいた細身のスラックスに包まれた脚をほどき立ち上がった。 「俺は勉学の知識だけをお前に教えるためだけに雇われたんじゃねぇ」 「―――!」 男は、背筋が粟立つような妖しい金眼でドフラミンゴを見下ろし、鞭の先で彼の顎先を持ち上げた。 「人の上に立ち、使役し、利用し、指揮し、人を会社を社会を世界を動かし得る人間になるための知性品性人心掌握術―――それらをてめぇに叩き込むために俺はいる……分かるな?」 小首を傾げ視線を斜めに送り、ドフラミンゴに理解を求める。 「……うん」 しかしドフラミンゴは、男の匂い立つような色香に酔い、言葉の半分を聞き流しながら男の瞳に見とれドフラミンゴは正面にある引き締まった腰に手を伸ばしていた。 「っ!」 が、またすぐさま男の鞭によって今度は左手を赤い線が走った。 「学生レベルの知識を得た程度で俺の横に立てると思うなよ。全教科95点以上が当たり前程度になって出直せ」 不埒を仕置きされた両手に、涙目で息を吹きかけるドフラミンゴに絶対零度の視線を浴びせ、鼻を鳴らした。 「しかもなんだこの格 好は―――品性のかけらもねぇ。学校は己を評価させる道具だ。求める評価を出させるために敵った格好をしねぇか」 「えー……い、っいてぇ!」 「口応えするな、腰でズボンを履くな、シャツをだらしなく出すな、ボタンを第二以上開けるな、腕捲りするな、靴の踵を潰すな、アクセサリーをじゃらじゃらつけるな、学校にサングラスして行くな」 言葉の合間合間で小さいが鋭い鞭の音を鳴らしドフラミンゴの腰やら腕やら脚を一つ一つ示した。 「い、いたいいたい!クロコ……先生!痛いって!分かりましたごめんなさいもうしませんってば!!!」 「分かればよろしい」 頭を抱え椅子の上で小さくなるドフラミンゴに、男は満足そうにうなずいた。 男の目は、心底楽しそうに歪みドフラミンゴの腕をはしるみみず腫を這っている。どうやら鞭には、しつけの意図より己の趣向を満たす意図の方が大きいようだ。 「ううっ、でも今回すごくがんばったのになぁ……」 「報われなかった努力をひけらかすのは弱者の専売特許だ。俺たちがそれを取り上げてはならねぇ。強者は成功と勝利の結果だけを示さなくてはならない。それが上に立つ者の義務だ」 男はどこまでも傲慢に言い放つ。そ う言い放てる男の歩んできた道のりの困難さと、それを確かに乗り越えてきた力量を、言葉の裏に感じとり、ドフラミンゴは素直に感心した。 しかし、まだ十代のガキであるドフラミンゴは、表立って態度にすることはできず、口を尖らせた。 デートすることも叶わず、褒められることもなく、拗ねた気持ちに収まりがつかなかった。 (クロコちゃんのばーかばーか) 今日の教材を鞄から取り出している男の背に、ドフラミンゴは拗ねた気持ちのままに舌を出した。 (鬼畜教師ー!どえすやろー!いけずー!エロ過ぎだー!大キライだー!) 男の背に向かい、子どものようにベロを出すドフラミンゴは、胸中で寂しく反撃する。顔の形が変わるまで鞭打たれそうなので決して口に出しては言えない日頃の恨みをぶつけた。 ピシンッ! 「ぎゃー!ごめんなさい!!」 ドフラミンゴは頭を抱えテーブルに突っ伏した。 振り向き様に振り下ろされた鞭により、テーブルが鋭く鳴いた。 テーブルの向こう側には、鞭を掌で鳴らしながらドフラミンゴを睨み下ろす男が仁王立ちしている。 「大キライとかウソですむしろめっちゃ好きですごめんなさいごめんなさい!!」 「全然なってねぇな 」 椅子の上で震え上がるドフラミンゴをきれいに無視し、男はテーブルに肘をつき、ドフラミンゴとの距離をグッと縮めた。 「舌の出し方一つ、視線の動かし方一つで相手の心を操作できるようになれ」 テーブル越しでも視界に入るよう腰を浮かせ、背中から腰にかけての滑らかな曲線を見せつける。頬は左肩につけるように肩と首を曲げ、小悪魔のように笑う。上から見下ろすため、眼鏡のフレームの上から長いまつ毛と色めく金眼をガラスを介さず堪能できる。 ドフラミンゴの視線が釘付けになっているのを確かめると、赤い舌で薄い酷薄な唇をぬらりとなぞってみせた。 「こうすれば、確実に落とせ、主導権を取れるだろう?」 ―――目の前に甘い罠が敷かれた。答えは一択、落ちるしかない。でもその後俺はどうなるの? Trap or Snap 願わくは、甘い夢を見せて |