マシンガントーク



四方は命を育まぬ切り立った暗灰色の山に囲われ、地は所々ひび割れ、人が住めば体を蝕むことは確実であろう粉塵の多い煙が吹き上げている。空には重く暗い暗雲が垂れ籠め、灰色の霧がけぶるっている。
ここは閉じた世界だ。
四方にも、上下にも首を振っても、どこにも命のにおいと姿はない。閉じて、死した世界だ。

ここは、神が創りたもう万物の中で、最も醜く最も歪んだ場所―――すなわち地獄。

地獄に堕ちた人間どもの叫び声が、地の揺れと煙りの吹き上がる音に混じってかすかに耳に届く。
地獄に流れる耳を傾ける価値もない軋んだ音楽をBGMに、崖上から心地よさげに辺りを見回していた浅黒い肌の男は、ふと一つの火山に目を向けた。それまで沈黙を守っていた死火山が、にわかに灰煙を吹き上げ、火の粉を散らしだしていた。かと思うと、地面を大きく揺らし、地獄にあるいくつかの山から火柱が上がった。
男は薄く笑う。火山の噴火は、ある男の目覚めを意味していた。

この世界の怒りと嗔意の炎の王が目を覚ましたのだ。

羽がまばらに抜け落ち、腐りかけた死にかけのカラスの羽根に似た翼を広げ、男は足を踏み出した。眼下には砂上の城が見える。男はその城目指し、宙を滑り落ちた。





腐った羽の男は、城の回りを旋回しいくつもの窓を覗いていく。一つとして同じ調度のない部屋の数々は、今は城を留守にしている男の趣味を受け、どれもセンスよく調えられていた。
その内の一つ、一際広く調度が暗赤色に統一された部屋の中で‘目当て’を見つけた男は、羽をとめ、窓を押し上げ窓枠に腰を下ろした。

「よぉユースタス屋、ご機嫌いかがかな?」

その細い足を組み、腹に手を添えた礼式張った挨拶の真似事ともに、男は半ば笑うように声を掛けた。

「たったいま、最悪だ」

窓枠の男の視線の先には、燃える赤髪の堂々とした体躯の悪魔が机に向かい、いく枚もの羊皮紙に次々と羽ペンを走らせている。
赤髪の悪魔の背には、腐り落ちかけ歪んだ男の羽と違い、美しく整えられた緋色の羽が生えている。男の手元にある羽ペンは男の羽から作られているようだ。
「仕事熱心だな―――怖い伯母上が留守と聞いたが、お出かけ前にずいぶん脅されたんだろ?」
にやにやと笑いながら男は部屋の真ん中に置かれた応接用の赤いビロードのソファーに了承もなく転がった。
「……兄貴がその言葉聞いたら、テメェ永劫砂の海で干されるぜ」
赤い悪魔は羊皮紙の山から顔を上げ、ギロリと寝そべる男をねめつける。男が顔を上げる拍子に、その炎のような髪から本当に火の粉が散った。
「ハッ!‘砂の悪魔’‘罪悪の始祖’‘砂漠の英雄’‘破滅の導者’……御大層な名で呼ばれても所詮てめぇの伯母上は山羊脚の大公のオンナじゃねぇか」
「いい加減にしな」
馬鹿にするような男の口調を受け、赤い悪魔の髪に火が灯る。それまでは、確かに‘燃えるような髪’であったのが、今は文字通り‘燃える髪’へと変わっていた。
「てめぇに入室を許可した覚えはないぜ。用がないなら帰ってもらおうか、いや、用があっても城から出ていけ」
毛先に向かうにつれ、熱された鉄のように燃える髪から火の粉と火花を散る。男の感情を表すように火力がじわじわと上がる。
怒りと炎の悪魔であるこの男の炎は、人の心に激しい感情を生む。
いま、この瞬間、地上のどこかで誰かが突然怒り狂い、誰かを撃ち殺し、誰かを殴り殺していることだろう。
「そうつれないことを言うなよ、ユースタス屋。大事な用で来たんだ―――先日この城に使いにやったかわいい部下がまだ帰ってこなくてなぁ」
いかにも「心配だ」と男は眉根を寄せてみせる。しかし口元には依然薄い笑みが残っている。
「キャスケットを被ったへらへらした男か」
「ああ、まさに」
「ふん、てめぇからの気色わりぃ手紙を持ってきたその男ならとっくに首をはねてるぜ」
「おいおいひでぇな。お前と俺を繋ぐキューピッドだぜ?」
赤い悪魔の髪が一際明るく燃え、顎は火打ち石のように歯を打ち鳴らした。カチカチという音とともに火花が飛び出す。
「他城への使者は首を取られることが当然だ。首は取られて当然。逃げ仰せたらそいつの力量―――何か問題があるか?」
男が喋るたび男の口元から蛇の舌のような細い炎がチロチロと舌を出す。男の全身からは、押し込められた「怒」がみてとれる。
ソファーに転がりその姿を見る男は、うっとりと目を細めた。

「怒り」は、数ある感情のうち最も激しく最も純粋な感情だ。「怒り」の前ではどんな強固な理性の仮面も被れない。怒りは激しければ激しいほどよい。より純度高く、よりまざまざと理性で曇らされぬ‘自己’に出会える。それはなんとも美しい存在であった。「いいや―――問題は一つ、お前から返事をもらってないことだ」
「ケッ、あんな胸くそわりぃ手紙読むわけないだろ」
男は吐き捨てるように言った。
男に使者が差し出した手紙は、薄桃色の封筒に赤いハートの封蝋が押され、あたかも恋文の体装を模していた。使者の主人が分かっていた男は怒りのままに手紙を焼き捨て、使者の首を取り上げた。
「まったく……読みもしねぇとは困った野郎だな―――そんなてめぇのために同じものを用意してやった」
ソファーから起き、怒りに羽を震わせる男の鼻先に、デスク越しに手紙をぶら下げた。それは男が先に届けたものと同じであった。つまり薄桃色にハートの封蝋の捺された手紙―――
「おっと」
男は、手紙に向かって吐き出された火柱をヒョイと避けた。
「まったくユースタス屋はせっかちだな」
口端から黒煙と燻る炎を覗かせる男に笑いかけ、筋張った浅黒い指がハートを弾く。

「なぁ、ユースタス屋」

取り出された一枚の紙が紫炎に包まれ二匹の間に浮かぶ。そこにはたった五文字が並んでいた。


「戦」「争」「宣」「誓」「書」


それは戦争の開始を宣誓するための地獄の書類であった。



地獄の戦争―――それは地上の戦争と全く意義が異なる。地上での戦争は、土地や名誉や資源のため、異なる民族異なる宗教のため起こり、戦争当事国はもちろん、第三国にも影響する地上で最も醜悪な事柄である。
それに対し地獄の戦争は、暇を持て余した悪魔たちによる命懸けの遊戯である。
戦争勝利者は土地も得ない金も得ない名誉も得ない。そもそも悪魔は名を得ても喜ばぬし誉れを得ても仕様がない。
戦争敗北者は土地も失わない金も失わない名誉も失わない。そもそも悪魔は失って哀しむ名もないし失って恥じる誉れもない。
地獄の戦争のルールは二つ。

一つ、面白くあること―――

面白ければ武器も作戦もどのようであってもよい。
面白ければ他国同士の戦争に介入してもよい。
面白ければ味方を裏切ってもよい。
暇な悪魔たちの暇を潰すための遊戯で最も重要なルールだ。

二つ、戦争の中で得た首級は五年の内は得た者のものとなる―――

死ぬことのない悪魔は、切っても突いても当然死ぬことはない。よって普通に戦争をしても終わりがこないのだ。だが流石に首と胴を離されては動きようがないので、戦争はいつしか首取り合戦とも言えるものとなっていた。そうして次第にできたのがこのルールだ。
ルール上はいくらでも刈り取った首を保有してよいのだが、たいていの悪魔が階級高い悪魔の首だけを己の首棚にコレクションし、戦争中手に入れた雑兵の首はその辺に放り出している。



地獄の戦争は、地獄のそこかしこで気まぐれに始まり、気まぐれに終わり、また気まぐれに始まっている。
いまここでも、壮大な暇潰しのその気まぐれな始まりが、起ころうとしていた。

「なぁ、ユースタス屋ぁ―――血みどろで愛を語ろうぜ?」

腐りかけた羽の悪魔が、ユースタスと呼ばれる悪魔の赤い口紅を親指で拭い、炎に浮かぶ宣誓書に赤い判を押した。
「……ハッ」
机の上に積まれたサイン済の羊皮紙が音をたてて火がついた。
「アーハッハッハ!!」
机の上に炎の壁ができる。外では地鳴りとともにいくつもの火山が火柱をあげている。

「いいぜぇ」

炎の壁を抜け真白い手が男に向かい伸び、首筋をゆらゆらと撫で上げた。
バッと炎が道を開ける。炎の向こうには、捩れた口紅に舌を這わせ、愉しげに笑う怒りの悪魔がいた。
「てめぇの首―――愛しいてめぇの首だ―――首棚になんか置かず、俺の部屋に置いてやるよ」
首を這い上がった白い手は男の頬をなで、色のついた鋭い爪で傷をつけた。
「毎朝俺の靴磨きにてめぇの首を使ってやろう」
傷口に親指の腹を押し付け、先に捺された赤い判の横にその指を並べた。
指の腹に残った赤は濡れた炎の舌が舐め上げる。
「そいつは情熱的だな―――てめぇの首も俺の部屋に飾ってやるぜ?毎朝新しい口紅を引いて、毎朝俺の目覚めのために口づけをもらおうか」
「そいつはゾッとするな」
片方はうっとりと笑い、片方はあしらうように笑う。
種類は違えど、今から戦争を始める二匹は互いに笑みを交わした。

カァー!カァー!

二人だけの空間に突然甲高い鳴き声が割り込んだ。見ると、男が侵入した窓にいつの間にか一羽のカラスがとまっていた。そのカラスはついっと空を滑り紫炎の中の宣誓書をくわえると、また外に飛び出していった。
開戦が許可されたのだ。

一羽のカラスを見送った二人は、今一度視線を合わせ互いに微笑んだ。愉しげに歪んだ唇を開き、互いに愛の言葉を交わす。
「―――愛してるぜ、ユースタス屋、その首寄越しな」
「愛しちゃねぇがトラファルガー、その首寄越しな」


「「然らば戦争だ!」」

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -