来世は二人でつがいの畜生



「熱心でございますな」

蓮に膝を組む釈迦如来の前で、経を供養をしていた男ははっと顔を上げた。
「御坊(ごぼう)」
いつの間にか釈迦如来の膝元に、墨染(すみぞめ)の衣の男が立っていた。衣をみれば僧に違いないのだが、剃髪(ていはつ)しておらぬ頭にはざんばらの髪があり、耳にはいくつかの穴が開いている胡散臭い男だ。
「またお邪魔しておりまする」
経を上げていた俗人の男は、僧にも手を合わせ、黙祷した。
「なに、衆生(しゅじょう)が善徳を積むのを拒む僧がおりましょうや。存分に供養なされよ」
僧は深い隈が引かれた目元を細め、快活に笑ってみせた。
「はい」
男も控えめに笑い返し、今しがた摘んだばかりの菊の花を供養しようと裾をさばいた。
しかし、男は立ち上がろうとした中途半端な格好のまま縫い留められてしまった。
「御坊……?」
立ち上がるために床についた男の右手の上に、僧の浅黒い左手が重なっていた。男は菊の花を左手で胸に抱えたまま、ただ戸惑う。「御仁(ごじん)は」
今しがた、「功徳(くどく)を積め」と笑った僧が、手のひらを返すように男を引き留め、離さない。僧は戸惑う赤を見据え薄暗い笑みを浮かべている。
「御仁は仏を信じなさるか」
「―――」
男は息をのんだ。
それは余りにもあんまりな問いだった。
僧が纏うは墨染の衣―――仏門に帰依(きえ)し、衆生に仏の教えを伝え、阿羅漢果(あらかんか)を満ち、仏の位を目指す者のための衣だ。
その衣を纏う者が、「仏を信じるか」と、問うのだ。
「御坊」
「なに故仏を信じなさるか」
「―――」
男は言葉をなくし、僧を驚嘆の目でただ見る。僧は、唇を戦慄(わなな)かせ、目を見開く男の肩を押し、堂の冷えた床に赤を散らした。
立ち上がるために腰と片膝を浮かせていた男は呆気なく床に散り咲いた。
「な、にをなさいます」
「御仁を欲しいと」
「執着は、御坊、百万由旬(ゆじゅん)の善行を吹き消しまする―――お改めを」
「後生(ごしょう)に蛇になろうとも、今生で御仁が欲しいのです」
「!」
僧の浅黒い手が男の着物の裾を割り、日に焼けたことのない白い腿を這い上がる。
男は僧の下で身を捩り、もがくように手を床に這わす。男の頭元に散った菊が白い指に掻かれ白や黄の花弁を散らす。
「御坊!あっ……御仏(みほとけ)の御前でございます!お戯れはご容赦をッ……!」
男は僧の胸元を押すが、力のない腕は僧をピクリとも動かせない。指が、目が、僧の墨染の衣を意識し、強く抗うことができない。
出家の功徳は何よりも勝る。戯れに着た袈裟の功徳で天に生まれた男の話もある。畜生とてこの衣に前肢を折り、牙を収める。
「拙僧も野郎、御仁も野郎―――破戒行為ではござらぬ」
微かな衣ずれと共に、帯が結び目をなくしていく。
仏に灯された功徳の蝋灯(ろうとう)が、ゆらりと瞬き、二人の重なる影を広げる。釈迦の尊顔にも、後ろに控えた菩薩たちの美しい顔にも陰影が濃く落ちた。
それを僧の下から目の当たりにした男は、かたかたと小さく震えだした。

「オソロシイ」

男はぽつりと呟いた。
僧が首元に埋めていた顔を上げると、着物の殆どを脱け殻となした男が、はらはらと涙を溢していた。顔を両手で多い、わなわなと震え、指の隙間からいくつもいくつも悪の水玉を溢して泣いている。
「―――『オソロシイ』?」
僧は最後の薄絹を乱していた手を止め、面白げに震える男を覗き込む。
「恐ろしゅうございます」
「'拙僧が'、でありますかな」
「……いいえ、いいえ」
男は首を横に振る。僧が、顔を押さえる片手を退けてその顔を覗き込むと、赤い睫毛をしとどに濡らし、確かに何かに怯える顔があった。
「縁が―――」
「'縁'」
「前生(ぜんしょう)、前々生、いえ、ずっとずっと何生も前から生じては滅し、生じては滅し、繰り返しこの世にあり続けるわたくしがでございます」
輪廻は恐ろしい。釈尊も輪廻を抜けるために、文字通り命を削る修行を続けたのだ。繰り返し、繰り返し、四苦八苦の満ちた世界に生まれ変わり死に変わる。人や天に生まれるのならばまだよい。今生で罪を犯せば、来世は畜生か餓鬼か地獄の住人か―――
「今生は、全て過去生よりの果(が)にございます」
「左様―――御仁は知識が深うごさるな。拙僧も講を開く甲斐がある」
僧は男の泣き顔を見下ろしからからと笑う。
「恐ろしゅう、恐ろしゅうございます」
顔横に落ちた花を握りしめる。八分に開いた花がくしゃりと捩れた。
「わたくしは何をしたのでしょうや―――何ゆえ今生がこうあるのでしょうか。幾生前に積んだ悪因が、こうして今生に苦果となっているのでしょうか。まだ開かぬ悪縁が、いくつわたくしに埋まっておるのでしょうか」
釈迦如来は答えない。衆生の声を漏らさず聞き、悪人も善人も残らず救うという広い掌(たなごころ)を静かに組んだままだ。
男の指に力がこもる。潰れた菊の花から、痛いほど清い香が立つ。今生の善因が、来世の良果が、いま一つここに潰(つい)えた。
「この行為は、来世でどのように咲きましょうか―――私は、私は―――」
薄く透けた衣の下で、欲に濡れ薄紅に色づく体を、僧は、毒にまみれた僧衣で掻き抱く。どろりと崩れ溶け落ちる僧の笑みが、男の白い信心を汚す。

「―――オソロシュウゴザイマス」

悪の花が一つ咲く。悪の種が一つ根付く。


(来世は二人でつがいの畜生)

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