甘いキッスムーン



※破壊癖のあるびっちキッド注意

トラファルガー・ローが恋人の部屋のドアを開けるのと、大型の薄型テレビがマンションの窓を突き破り空を舞うのとは同じタイミングだった。

派手な音をたてて割れる窓ガラス、きらきらと光るガラスの破片、宙を飛ぶテレビ、遥か下で鳴る破壊音―――ローの目と耳には全てスローモーションでお送りされた。
「うん、よし!」
テレビを放った張本人は、腰に手を当て堂々とした姿で穴のあいた窓ガラスに頷いた。
真っ赤な赤毛を逆立てた上半身裸の男―――ユースタス・キッドは満足げに頷いた後、窓際のソファーにとび乗り酒瓶に直接口づけた。

「‘よし’じゃねぇ!このバカスタス屋ぁ!」

ローは、満足気に酒を飲みだした赤毛の男にやっと遠のいていた意識を取り戻し、荒い声で怒鳴った。
ズカズカズカと散らかった部屋に踏み込んだローは、自分と男との間にある空き瓶や家具を蹴飛ばしてまっすぐに男に近づくと、男の手にしていた酒をひったくった。
「なにやってんだこのバカ!」
「ようトラファルガー!何って……模様替えだ」
「模様替えで窓は割らない、テレビも庭で粗大ごみにもならない」
「だって邪魔だったんだよ」
「邪魔なもんはなんでも外に放るのかてめぇは、あ?」
「まぁいつもそうだな―――でも猫ちゃんは投げたことねぇぞ。カワイソウだからな」
人はあるけど―――と最後に呟いた男の言葉を、嘘か本当か判断できないまま、左手で額を抑え、右手で酒瓶を取り返そうとする男の頭を瓶で殴りつけた。

トラファルガー・ローの恋人は自由人で奇人であった。

ホテルのフロントにリムジンで突っ込んだり、火薬の量をいじった爆竹で知人の家を廃墟にしたり、犬に噛まれて噛み返したりといった奇行が、行く先々で事実としてローの耳に届いている。実際その現場に立ち会ったことも何度もあった。
「イッテェ!」
いつの間にかローのバックルに手を掛け、かちゃかちゃとベルトを外そうとしていた男にもう一度酒瓶を振りおろした。
「てめぇは反省するってことを知らねぇのか」
「んだよ!出張終わったんだろ?久しぶりにヤろうぜ」
頭を押さえてガキのようにごねるキッドに、ローは感心したように言った。
「ほう。このクソビッチ、俺が仕事の間我慢してたのか?」
「たりめぇだろ?俺がアイしてんのはお前だけだぜ?」
酔って朱に染まった目尻を妖しく細め、ソファーの前に立つローの股間にすり寄った。
「ふん、どうだかな」
ローはつれなくキッドを押し返した。押されるままソファーの背にしどけなくもたれたキッドは、白い肢体を悩ましげに蠢かす。
言いたいことは山のようにあったが、昼間から酒を飲み不埒に体を染め上げるキッドに疼く熱を抑えられそうにない。ローもこの一週間出張のせいでご無沙汰なのだ。
「じゃあ……確かめてみろよ」
「俺は嘘つきは嫌いだぜ……?」
娼婦のように誘う赤い瞳に、ローは抗うことを諦めた。
キッドを見習って本能に忠実に従おう―――そう胸中で一人ごち、ローは嗜虐的な目でべろりと舌なめずりをしキッドに乗り上げた。
クスクスと笑い声を洩らすキッドは、男の緩い拘束に身を捩りながらローの首に腕を回し上体を近づけた。キッドの酒精混じりの息がローの唇に触れようとしたその瞬間―――

「ユースタス・キッドぉぉぉ!またてめぇかぁぁぁ!!!」

バン!と蝶番を吹き飛ばす勢いでドアがぶち開いた。
「てめぇはいッつもいつも物壊しやがって!いったい誰が片づける、と……」
「……」「……」
派手な音をたて飛び込んできた額に傷のある男は、手足を絡める男二人の姿にぽかりと口を開けた。
「あ?てめぇ誰だ?」
「て、てめぇこそ誰だ!?」
ローが上体を起こして問うと、ようやく傷の男は目の前の事態を理解し赤くなり、上擦る声で怒鳴った。
「お、ベラミー!久しぶりだな!」
キッドはローを押しのけると、酒瓶を掴んでベラミーと呼んだ男に嬉しそうに抱きついた。
「ばっ!離せ!って、今朝会ったばっかだろうが!」
「そうだったか?まぁいいじゃねぇか、お前も飲め!」
「ちょ、やめろ!てめぇは毎日毎日飲んだくれやがって!お前のせいで住人いなくなるし入居者はいねぇし!なんでドフラミンゴさんはお前みたいなやつに部屋貸すんだよ!」
「おいキッド、そいつ誰だ」
「あー、こいつここの管理人」
「酒呑んで暴れるし、物は壊すし、配管に爆竹詰めて破裂させるし、人の部屋にバイクで突っ込んでくるし!全然いいことねぇのによ!」
ぐちぐちと文句を繰り返すベラミーと、無理やり酒を飲ませようとするキッドの二人の仲の良さそうな姿を見て、ローは不満げに口を尖らせた。だが、すぐにローに嗜虐的な笑みと怒りが戻ることとなる。
「つい3日前にも先輩ん家のロールスロイス、プールに沈めたってのに!先輩てめぇに甘すぎンだよ!」
「はぁ?全然甘くねぇよ。あの日朝方までヤリっぱで一昨日ベッドから出れなかったんだぜ!?」
「ヤっ……て、てめぇなちょっとは―――」

「キッド」ひやり―――
部屋に凍るような冷気が降る。
ローが、にっこりと笑み、キッドの名を呼んだ。
「ひっ」
キッドが小さく息をのんだ。
ベラミーも異常な冷気に身を竦め、ドアの方をちらちらと窺っている。
「……お、おれ、庭の片づけ、行くかな……」
「お、おい!行くなよ!俺を一人にするな!」
部屋を出ようとするベラミーに、キッドは半泣きで縋って引きとめる。
「キッド」
「―――!!」
ローが二人の前に静かに立った。キッドと、そしてなぜかベラミーもローの顔を見れないままがたがたと震え床ばかり見つめる。
「あ、俺関係ないから、か、かえ―――」
「黙れ」
ローは笑顔のままキッドの酒瓶を奪うと、ベラミーの口に無理矢理突っ込んだ。度数の高い酒に喉を焼かれ声にならない悲鳴を上げた男は、そのまま白目を剥いて真後ろにひっくり返った。
破天荒なキッドが飲む酒だ。ただの酒ではない。なにか混ぜ物がしてあったのだろう。以前に、キッドが象用の麻酔を酒に混ぜて飲み、同じようにぶっ倒れたことがあった。
「べ、ベラミー!」
キッドはボトムを掴みびくびくと震えた。
「さて、キッド―――」
「あ―――あ、おれジェニファーにエサやってこなきゃ……」
「ジェニファーは俺が出張に行く前に死んじまっただろ?」
「うっ、あと、えと、」
ジェニファーとは、キッドがバスドラムの中で飼っていた金魚だ。ジェニファーを入れたままドラムの練習をして、キッドが「死んじしまった」と泣きついてきたのはつい最近のことだ。
「さぁキッド―――確かめさせてくれよ?」
ローは優しく髪を撫で、キッドの顔を上げさせた。
顔を上げた先で、嗜虐の炎の燃える深海色の瞳と、震える赤い瞳がかち合う。


「俺はウソツキはキライだぜ―――?」



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