戯れに拾った磁石の狂った羅針盤を、先程からずっと男は眺めている。狂った磁石はさらに男の能力で狂わされ、狭いガラスの中で激しく踊る。 もうすぐ日が暮れる。 瓦礫、鉄屑、死体、木片―――この国の全てのゴミが集まるこの地区でキッドと俺は生まれ育った。ゴミを漁り、人を騙し、人から盗み、人を殺して生きるクズがこの地区の人口の9割を占める人も物もゴミだらけの故郷だった。 このゴミ山を縄張りとし、そこに生きるクズどもを纏めているのがこの男―――俺の腐れ縁の幼なじみ、ユースタス・キッドだ。俺たちはこの国から屑を無くそうと躍起になる権力と、縄張りの隣り合うチームと日々血みどろの闘争を繰り返していた。 ―――瓦礫の王様 誰が言い出したのか、ユースタス・キッドはこの国でそう呼ばれていた。俺は童話の様な響きのあるこの二つ名をあまり好いてはいなかったが、キッドはたいそう気に入っていた。何でも一番が好きな男だった。"王"を冠することに気が召したのだろう。 切れ味鋭い刃も、小さな傷でも生命を脅かす錆び付いたナイフも、ゴミを集め生活する靴も買えないガキどもの命を奪う使用済みの注射針も、訳の分からぬ機械の部品も、あの男にとっては全てが僕となる。男が口にしたこの世界の至宝にして禁断の果実の力はそういうものらしい。そう考えれば、縄張りと能力を同時に表したこの名は成る程感心はできる。それでも好きになることはなさそうだが。 「行くぞ」 声と同時に飛んできたものを慌てて受け止めた。時々、時間を忘れて下らないことを考える癖を治さなくては。こんな風に不意を突かれたら反応が一手遅れてしまう。一瞬一秒が戦闘時の生死を決めるのだ。 手の中を覗くと、さっきまでキッドが手にしていた羅針盤があった。狂った円舞曲(ワルツ)は止め、ちゃんと一定の方角を指している。直したのかと思ったが、その方角を見ると溶け落ちそうな色で燃える夕日があった。さっきまで何していたのだと呆れたように瓦礫の王様を見上げると、磁石と同じ方を見据えていた。はて、あちらには何があったろうか。 「行くぞ、キラー」 男は立ち上がっていた。 いくつもあるゴミ山の中でも、一番高く積まれた山の一番上があの男の定位置だ。何でも、一番が好きな男だった。 最も高い山なだけあり、だいぶ傾いた日に俺もほとんどの山も夕闇に飲み込まれていたが、キッドと山の頂はまだ強い西日を浴びていた。 「てめぇはこのままここにいるつもりか?」 男は、沈む夕日を睨んだまま言う。 「この国の権力は、いつか俺たちの首を一息に吹き飛ばすぜ」 俺は、男の横顔を見上げたまま何も言わない。 「いつまでも、夜襲を警戒し眠らぬ夜をすごすのか?あそこは、力が全てだ。クールぶって奴等のルール通りに生きるのか?権力に頭を抑えつけられるのはもうごめんだ。俺は海に出る。世界をひっくり返すぜ。次は奴等が跪く番だ」 キッドは静かに興奮しているようだ。正序性を欠いた言葉からそれと分かる。 ―――そうか、あちらには海があったな。 キッドの発した言葉に対する返答には何一つなりえない言葉がポカリと浮かんだ。 恐らく、ゴミ山の頂上に立つキッドには見えているんだろう。力の海と、それにのみ込まれようとしている天体の最高権力の姿が。 ―――俺は、この男のために生き、そして死ぬんだな。 ただ、そう思った。特に衝撃も運命も、感動も感じることなくそう思った。胸にすとんと落ちてきたようだ。 「行くぜ、キラー」キッドは頂上から飛び下りた。主の二度と帰らぬ出立を知ってか、鉄屑の王座が音を立てて崩れ落ちた。瓦礫の王を見送る歪なファンファーレが王国に響く。 何でも一番が好きな男だ。二番目に意味はないのだという。そう叫んでこの町を支配していたクズ共をなぎ倒していた日々を思い出す。今日海に出る俺たちは、二番どころか最後尾もいいとこだ。これからしばらくは、あのわがままな王様のご機嫌取りと、降り頻るはずの血の雨を遮る傘が手放せそうにない。 |