a skeleton in the closet 2



天上は遥かに高く、幾万の宝石を吊り下げたようなシャンデリアが眼下の人々を照らす。
両開きの厳かな扉には常にドアボーイが張り付き、絶え間なく出入りする客を笑顔で迎え、また見送る。
そこかしこのテーブルには花が飾られ、また花のような貴婦人がワインに頬を染め、話にも花が咲く。
恋人で、親子で、家族で―――どのテーブルにも幸せな笑顔が花開き、うまい料理に舌つづみをうっている。

「……紹介する。こいつが俺の幼馴染で親友のキラーだ」
「……どうも」

そんな中、一つ異様な空気を発するテーブルがあった。
壁際の奥まった席。客もボーイもともすれば見落としてしまいそうな位置にある席で、なぜか一触即発の空気が滞っていた。
壁に向きあいその席を見ると、四角いテーブルの右側には金髪の男、左には黒髪の男、そして壁と向き合い、二人の男に左右を挟まれる形で赤髪の男が座っていた。
どうやら、赤髪の男が左右を順に指差しながら金と黒の男を互いに紹介しているらしい。

「で、こいつが……探偵のトラファルガー・ローだ」
「ふん―――どうも」

ギシリと椅子が軋んだ悲鳴を上げる。短い黒髪の男が行儀悪く椅子の背もたれに凭れかかったせいだ。
探偵と紹介された男の、頭の後ろで組まれた腕の袖からは、探偵には似つかわしくない黒い刺青が覗いている。
「……噂は田舎まで届いている。‘名探偵’だそうだな」
黒髪の男―――ローが敵意むき出しで見下ろす先には、金髪を丁寧に後ろで纏めた青年が微笑んでいる。
「マダム・エリザベートの首飾り事件を解決したニュースなんて田舎の小さな新聞まで埋め尽くしていたよ」
キラーと呼ばれた青年は、口元こそ綺麗に微笑み、テーブルをはさんで相対する男に賛辞を送っているが、長い前髪から覗く瞳には確実に敵意が滲んでいる。
「お褒めに与り光栄だ。さっきユースタス屋が紹介した通り、そしてアンタが知ってる通り、俺が‘名探偵'のトラファルガー・ローだ」
キラーの余裕の態度を受け、気に障ったように眉をピクリと動かしたローは、背もたれから背を離しテーブルに肘を掛け、右隣のキッドの方を引き寄せた。
「そんでこいつが俺のかわいい優秀な助手で、俺と同棲中のユースタス・キッドだ」
今度は、キラーの方が眉を顰めた。
「おい、俺は紹介する必要ねぇだろ。しかもなんだその紹介は」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす男を呆れた目で見て、ユースタス・キッドと呼ばれた赤毛の男は肩に乗った手を払い落した。
「紹介どうもありがとう」
「!」
キッドの体は今度は右に傾いた。ローに続き今度はキラーがキッドの肩を掴み自分の方に引いていた。
「俺はキラー。さっきキッドが紹介した通り、そしてアンタがキッドから聞いている通りだ」
「おい、キラー!お前まで……」
「そしてこいつはキッド―――生まれたときから家族ぐるみの付き合いで、風呂やベッドを共にする仲だ」
「おい!そりゃガキの頃の話だろ!」
「……て、てめぇ」
キラーの言葉には、普段キッドが自分の話をローにしているという自信と、幼い頃を知っているという優越感があった。
ローはぎりぎりと歯を鳴らしキラーのいけすかない作り笑顔を睨んだ。くいしばられた歯の隙間から漏れた「俺もまだなのに」という言葉はキッドは聞かなかったことにした。
「……」
「……」
二人の間に青い火花が散るのを見て、キッドは何もかもなかったことにして家のベッドに潜りたい、と頭を抱えた。
「ところで名探偵、ここでできる「推理」はないか?」
「ほう?」
「首都ロンドンで名高き名探偵の推理を是非とも拝見したいのだが……無理な話だったかな?」
「あん?」
キラーが先ほどまでの敵意を翻し、ひどく申し訳なさそうな憐みの表情を浮かべた。
ローのこめかみに青筋が走る。強気な態度や生意気な物言いよりも、同情するような憐憫の視線がローの腸を熱くする。それも分かった上でこの態度をとるこの男への苛立ちはさらに増した。
「キラー、推理ってのは事件があってするもんだ。こんなとこで出来るわけないだろ」
「ふむ……そうだな、悪かった」
「トラファルガー、てめぇも取り合わなくていいからな」
「お望みなら披露しよう」
「―――!トラファルガー!」
「いつも言ってるだろう、ユースタス屋―――推理は観察の積み重ねの上にある。観察は人にも虫にも動物にも壁の落書きにも行える。観察ができるところで推理ができないはずがないさ」
ローは大げさに周りの人間を手で示し、キラーの目を見据え口端を吊り上げた。
「まったくてめぇは……推理したとして、真実はどう確かめる」―――推理した人間に確かめに行くのか、とキッドが呆れた声を出す。
「真実を確かめれる人間で推理すればいい」
「は?」
「キラー屋で推理してやろう―――光栄だろ?」
「トラファルガー!」
「キッド、静かに―――ああ、光栄の極みだな」
「キラー!」
ローはキッドの声を無視し、顎に手を当てキラーを上から下まで無遠慮に眺めまわした。
「キラー屋がロンドンに来た理由は、商談と遊学のためだって話だったな?―――ふむ……キラー屋の実家は相当な大地主だな」
「!」
「それに多くの小作農家を抱えてるみてぇだな……ワイン農家か?ワインの卸もやってるだろ」
「……キッド」
キラーは目を見張り、同じように驚いた顔のキッドの名を呼んだ。
「いや……俺はこいつにキラーの家のこと話したことねぇよ」
「取引先はファン・ネック家か?」
「―――!」
キッドは息をのむ幼馴染を見た。この反応からすると‘真実'であったのだろうか。
「……恐れ入った。‘名探偵'の名は伊達ではないらしいな」
「恐縮だな」
キラーは詰めていた息を吐き素直にそう言った。ローの方も腕を組み顎に手を置くというあからさまな推理のポーズをやめ、背もたれに体重を戻した。
「どうして分かったんだ?」
「においだよ」
「におい?」
「ああ、こいつは鼻がいいからな」
不思議そうな顔をするキラーにキッドが補足する。キッドはキラーの胸元に鼻を寄せ、ローの言う「におい」を確かめた。
「甘い、におい?菓子か?香水か?」
「葉巻だよ」
ローはキラーにぐいぐいと顔を寄せるキッドを引き離しつつ言った。
「キラーは煙草は吸わねぇよ」
「その葉巻の匂い、ファン・ネック氏がわざわざ外国で買い付けてる自慢の一品だろ?前、愛人の素行調査依頼されたとき一箱もらったが、それと同じ匂いだ」
「……確かに氏は商談中ずっと葉巻を吸っていた。だが―――」
「あのおっさんその葉巻を国内で売ってはいない。高すぎて買い手がそうそういないから完全に自分の嗜好品として輸入しているもんだ」
ローはキラーの言葉を遮り推理を続けた。
「お前の家に関してだが―――これは、ファン・ネック家が輸出のための質の良いワインを探していると小耳に挟んだ記憶から推理した」
「……」
「ユースタスの出身は知ってるしな。そこがブドウ作りが盛んな地域ってことはイギリスに住んでりゃ調べなくても分かる―――お前の出身と貿易商ファン・ネックしか持たない葉巻の匂い―――これらからはじき出した答えだ」
ソムリエが音もなく近寄り、三人の空いたグラスに白ワインを注ぐ。
そのワインで乾いた唇を湿らすと、ローは身を乗り出しキラーの顔を覗き込んだ。
「大サービスだ、キラー屋―――もう一つ推理してやろう」
「トラファルガー!もういい、やめろ」
キッドは慌てて止めた。経験上、こいつがご機嫌になにかを始めて、よい結果をもたらすことはないと知っているからだ。ローはキッドの焦った声を無視し、言葉を続ける。
「お前、ユースタス屋に同居を求めてるらしいな?慣れない大都会ロンドンに一人は心細いからか?」
表情は変わらないが、キラーの整った眉が幽かに反応した。
「商談と経験を積むのに忙しい生活を支えてもらうためか?」
「……何が、言いたい、トラファルガー」
ローはほの暗い目でキラーを見据え、口元を歪めてみせた。
「もっと別の理由じゃねぇのかって言いたいのさ」

バン!

突然の大きな音に二人は驚いてガンの飛ばし合いを中断した。
「キラー、帰るぞ!」
見ると、キッドがテーブルに両手を叩きつけ立ちあがっていた。
「キッド?」
「俺には何の話してるか分からないが、キラーの機嫌がこいつのせいで悪くなってることくらい分かる。だから帰る」
キッドはゆるぎない目でキラーを見据え、立つように促す。
「ちょ、ユースタス屋!帰るって……」
「お前が会わせろと言うからキラーを連れてきたのになんだその態度は!なにが『失礼のないようにする』だ!舌ねじ切るぞアホファルガー」
「待て、待てって!分かった!謝る!だからそいつのとこ行くのはやめてくれ!」
二人は立ちあがると、ボーイが持ってきた上着に袖を通し、ドアボーイの笑顔待つ扉にずんずんと歩み寄る。
「一時間前の自分でも殴っとけ!」
キッドは出る間際にそう言い捨てると、ロンドンの灰色の夜に身を溶かした。





「ユースタス屋ぁ!悪かった、俺が全面的に悪かった!」
ローはキッドの部屋の扉の前に正座し、扉を叩いて謝罪を続けていた。
二日前のキッド、ロー、キラーの三人での食事会の席でキッドの機嫌を損ねたローは、キラーの借りているホテルに行こうとするキッドに、ロンドン市中の往来で身も蓋もなく縋りつき、その日はなんとか共に借家に帰ることができた。
しかし、キッドはまだローを許す気はないらしく、部屋に籠城しローをひたすら無視し続けていた。
「ううっ、ユースタス屋……」
わざとらしく涙を拭い、泣き真似をしつつ部屋の扉に耳を押し当て中の様子をうかがう。
「…………は!」
しばらく中の様子をうかがっていたローは嘘くさい慌てた声を出す。
「もしかしてユースタス屋は部屋から動けない状態なのかもしれん!それはいかん!非常にいかんなそれは!なんというチャン……いやピンチ!待ってろユースタス屋いま助ける!」
ローは懐をごそごそと探り、先が歪曲した工具のようなものをいくつか取りだした。それを鍵穴に突っ込み掻き回す。
「持ってて良かった探偵七つ道具!待ってろ俺の眠り姫!」
しかし―――

ドカッ!

イギリス全土を賑わす名探偵の秘密道具が日の目を見ることはなかった。秘密道具より先に、黒光りするよく磨かれた革靴がローの鼻先を掠め、扉を蹴破ったからだ。
「誰がてめぇのだ誰が眠り姫だ」
「…………………お帰り、ユースタス屋」
―――出掛けてたんだな、と鼻先を擦りながらローが言う。キッドは自室の前に座り込む男を無視し、部屋に入る。
「古い血のニオイがするな。仕事か?この前の娼婦殺しの犯人の容疑者が捕まった件か?」
「……」
「警部が連絡してきたのか?あのオッサンには気をつけろよ?絶対ユースタス屋を狙ってる」
「……」
「疲れたろ?ティータイムにでもしよう!今日は俺が淹れよう。お前が気に入ってたセイロンを一番うまく飲める茶葉の量、湯の量、温度、抽出時間を計算したんだ」
「……」
「グスッ……」
キッドはローが何を言っても完全に無視し、コートと帽子をハンガーに掛け、今日の検死結果を黙々とチェックする。
机に着くキッドの後ろで、必死にキッドに話しかけていた男は、とうとう肩を落とし、仕方なく部屋を出ることにした。
「おい」
ローが部屋を出る瞬間、キッドが背を向けたまま久方ぶりの声を発した。
「!な、なんだ?」
「扉修理してけよ」
「………………はい」
ローの目に浮かんだ期待の光は、光だけに高速で通りすぎた。





壁の時計の控え目な鳴き声に、男は仕事の書類を捲る手を止めた。壁の時計はちょうど15時を示している。
―――はぁ。
キッドは音もなくため息をつくと、いつの間にか消えている隈と髭の男のことを考えた。―――そろそろ許してやるか……
あいつは無遠慮で、礼儀知らずで、常識も道徳もなく、義理も道理も通さず、だらしなく、生活能力もないどうしようもないやつだが、悪人では……あるが極悪人とまでは言えないやつだ。
「……」
キッドは一人そう考えたが、よく考えれば考えるほど、ローを許す必要が分からなくなってきた。
しかし、これまで共にいくつもの事件を解決してきた仲であるし、これからもそうであることを望んでいないと言えば嘘になる。
相手はすでに謝罪し、関係の修復を望む態度を示している。次は、そろそろこちらが態度を示す番だろう。
キッドは、「甘い!」と叫ぶ想像の中の親友を宥め、デスクワークで重くなった腰を上げた。


「ぎゃあああああああああ!!」


突然の悲鳴が屋敷を揺らす。
その声は通りにまで響いたようで、通りを渡る人々は、不思議そうに立ち止まり、音の出どころを探し首を巡らしている。中には、「またか」という表情で足早にその場を去る者もいた。キッドは額に手をやり、苦虫を噛み潰した。その顔には、通りを去る人々の一部と同じ「またか」の表情が浮かんでいる。
このまま聴こえなかったふりをして、部屋に閉じ籠ろうかと思ったが、すぐに屋敷の使用人である男たちがここに押し寄せることは目に見えていた。
せっかく修理させた扉をまた壊されるのはごめんだ―――と、キッドは自分が扉を蹴破ったことは置いて一人ごちた。

「…………どうしたペンギン」
「ユースタスさんんん!ローさんが……ローさんが!!」

問題の部屋の前にいたのは、主に料理と買い出しをする使用人―――ペンギンが青い顔をして箒を握りしめていた。
恐らく、ローの部屋を掃除しようと訪ね、何かあったのだろう。

「トラファルガーが?」
「し、ししし死んでます!」

嫌々部屋を覗くと、成る程確かにローが天井からぶら下がっていた。
本やらオモチャやら実験道具、名も分からぬ器具が雑多に床を埋める部屋はいつも通りだ。ただ、部屋の真ん中で揺れる影だけがいつもと違うだけだ。
天井の梁に結われた太い縄は、力なく揺れる男の首をぐるりと一周していた。床には、足場に使ったのであろう椅子が倒れている。
「ああー……」
キッドは部屋の様子をザッと見回すと、腕を組んで揺れる男を見上げた。
「ちょ、ユースタスさん!なに落ち着いてるんですか!?」
「……これはどういう意味だ、トラファルガー」
キッドはペンギンを無視し、揺れる男に話しかけた。ペンギンは混乱した顔を何度も往復させ、キッドとローを繰り返し見た。

「―――俺なりの反省だ」

死体が口をきいた。それだけでなく、目を開き、確りとした視線をキッドに向けている。「悪かった、ユースタス屋―――お前を取られるんじゃないかと思って、お前の親友に失礼な態度を取っちまった」
「は」
キッドは久方ぶりに素直に笑った。混じりけのない純粋な笑みだ。
「まったく……」
「……許してくれるか?」
「ああ、しょうのないやつだ」
「よかった!それじゃあ早速お願いがあるんだが……」
「なんだ?」
ローは首の縄を指差し言った。

「降ろしてくれ」

「ほんとにてめぇは……」
キッドは呆れたように笑い、イギリス一の頭脳を持つ馬鹿を助けるため歩を進めた。
しかし、まだ事態を飲み込めないペンギンが慌ててキッドの袖を引いた。
「ユースタスさん!こ、これどうなってるんですか!?説明してください!なんでローさん生きてるんですか!?」
「ああ―――ほら、よく見ろ。ピアノ線が見えるだろ?」
「あ、え、ホントだ!」
目を凝らすと、天井から下がる縄の向こうに、きらりと光るものがローの体まで繋がっていた。
「縄は首に、ピアノ線は腰のベルトにでも繋いで胴体を支えてんだろ」
「ご明察だ!」
ローがご機嫌な声を上げる。キッドから許してもらったことを相当喜んでいるようだ。
「あとは俺がやるから、お前はキャスに言って茶の用意をさせてくれ」
キッドは倒れた椅子を立て直しながら、感心するペンギンに言った。椅子を足場にして縄を解くつもりなのだろう。
「あれ?」
しかし、ペンギンの困惑顔にキッドは手を止めた。
「そういやキャスのやつ、昼から見てない気が……」

「……」
「……」
「……」

三人の沈黙が部屋におりる。キッドとペンギンの視線は、示し合わせずともローに集まった。
「……いやなに、道で売ってた薬の成分が分からなくてな、ちょっとキャスに試してもらっただけだ―――だが心配するな!キャスはすごく楽しそうに部屋を駆け回り出したから、使ってない部屋で遊ばせてるだけだ!」
ペンギンは貧血を起こしたようにふらつき壁にもたれ、キッドは立て直した椅子に靴のまま乗ると、目の前にきたローの顎を掴み、ニコリと微笑んだ。
「つまりそれは『道端で売ってたわけの分からん薬を使用人に使ったら、ラリって暴れ出したから使ってない部屋に閉じ込めた』ってことだな」
「……そうとも言うな」
「死ねバカ!」
キッドは手にした杖を引き抜き、仕込み刀で空を切った。
「グエッ!」
キッドが振るった刃は、ローの胴体を支えるピアノ線だけを切り離した。
つまり、ローの首に回った縄は、重力に従うローの体を受け止めることになる。
ローはなんとか首と縄の間に指を差し込み、頸動脈と気道を守りながら足を必死にばたつかせた。
「う、うわぁぁ、ロ、ローさぁぁぁぁん!!!」
キッドがひらりと椅子を飛び降りると、先ほどよりさらに顔を青くしたペンギンがローの足を抱き止め必死に持ち上げる。
「うぐ、ぐ、頼むペンギン、絶対離すなよ、ま、まじで、死ぬ……」
「ふん」
キッドは名探偵と使用人の悲鳴を背中で聴きながら、今日のティータイムは一人優雅に行きつけの喫茶で過ごすことを決めた。



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