この角を曲がると二人の会話は自然と消えた。 歩きなれたポプラの木が並ぶ歩道から、閑静な住宅街のレンガ道に地面が変わる。通路の片側には普通の民家の塀が、もう一方には黒い鉄柵がずらずらとどこまでも続く。 ―――本当に、どこまでも続いていればいい。 だけど、無常で無情なこの世界に、‘ずっと'なんて優しいだけの言葉は紙の上にしか落ちていない。この鉄柵の終わりも、じきに迎えることとなる。 コツコツと靴のかかとが残酷にカウントダウンをとっている。時折すぎる一陣の風が、庭の樹木や生垣を揺らす。だんだんと車道を走るエンジン音も遠くなり、ますます二人の周りは静けさに沈んだ。 このまま、繋いだ手を引いて、元来た道を走り戻り、どこか遠くの街に行きたい―――キッドの頭のには、走り去る二人の背がまざまざと思い描けた。 知らない街の見知らぬ夜景を見て、海を探してバスに乗り込み、気まぐれにバス停を降り、月明かりしかない砂浜の冷たく湿った感触を素足の肌に感じるんだ――― 「あ……」 思いに沈んでいたキッドは、突然なくなった左手の熱に思わず声を小さく声をあげてしまった。キッドは慌てて口元を閉め、ちらりと隣の少女を盗み見た。 隣の少女は、そんなキッドに小さく寂しげに笑って見せた。別れが、近いのだ。 顔を上げると、鉄柵とその向こうのバラの生垣がいったん途切れ、レンガの支柱と柵と同じデザインの馬鹿でかい門が顔を覗かせていた。 あの門の前に立つと、二人の今日は終わりを告げる。 毎日毎日、いつもいつも訪れる終わりに、キッドは今日も歯噛みし、口にはでないが吐き出したい思いを無理やり嚥下するのだった。 「……いつも送ってくれてありがとう」 いつものセリフ。 「……今日も楽しかったわ」 いつものセリフ。 「……また一緒にお出かけしましょうね」 ―――いつものセリフ。 「……私も寂しいわ」 いつもの――― 「―――え」 とうとう来てしまった門の前で、少女の言葉をセンチメンタルに聞いていたキッドは、驚いて顔を上げた。 「キッドくんてばいつも寂しそうな顔するから、私もときどき涙が出ちゃいそうよ」 そう言って笑う少女の目尻には、涙の代わりに寂しさがにじみ出ていた。 「―――」 キッドは、少女の儚い笑みに喉を必死に締め上げた。そうしなければ、こんな成りして情けない言葉が零れだしそうだった。 寂しい―――そう思っていたのは自分だけではないのだ。 今更のように気づくいたその事実に、キッドは恥いり、また駆けまわりたくなるような幸福を胸でせめぎ合わせた。 「それじゃあまた―――」 だが、叫び出しそうな喉にばかり気を向けていたせいで、キッドは自身の右手が勝手に伸びるのを抑えることができなかった。 はしっ――― 突然繋がった二人の手に、相手の少女ばかりか、手を伸ばしたキッドさえも驚きで目を丸くした。 「―――キッド、くん?」 少女は、青い目を丸くしたまま小首を傾げてキッドを見上げた。 「あ、」 キッドは自分の右腕が仕出かしたことに慌てふためく。ばか正直すぎる身体をひどく恨んだ。混乱したキッドは、右手の広げ方も忘れた様にしっかりと少女の細い手首を離せなかった。 「い、や……これは、その」 キッドがもごもごと言い訳の言葉を口中で探していると、遥か遠くで何かの破壊音が聴こえた。 「ビビー!」 戸惑うように繋がれた手を見下ろしていた二人は、破壊音に続き突然遠くで上がった大声に同時にそちらを見た。 「ビビー!今日は帰りが遅いからパパ心配しちゃったぞー!!」 「お、落ち着いてくださいコブラ様!まだ6時前ですよ!」 「邪魔するなんて大人げないですよ!ご近所の方に見られたら恥ずかしいのでお止めください!」 門をくぐり、でかい噴水を通り過ぎ、広大な庭を抜けたその向こうにある顎が落ちるほど巨大な屋敷の正面から、二人の屈強な男を腰にぶら下げた男がどたばたとこちらに走ってきている。その背の向こうには、蝶番の吹きとんだ豪奢な扉が寂しげに揺れている。 「まぁ!お父様ったら!」 少女は自身の父親の恥ずかしい姿に頬を赤らめ、空いている手を口元に当て控え目に笑った。そして、恋人の父親の突然の登場に、足を半歩下げて戸惑うキッドに、こそりと微笑んで見せた。 「―――!!!」 ふわりと香るカモミール。リンゴにも似たその香と、柔らかな感触がキッドの鼻と唇に焼きついた。 「またね!」 ほんの一瞬で離れた唇は、無邪気に笑みをつくる。 「な、ビ、ビビ様!」 「ビ、ビビー!おのれ若造め!わしの大事な娘を……!!!」 広大な庭をやっと半分走り抜けた壮年の男が、年齢にそぐわない馬力でスピードをさらに上げた。 「あら、たいへん―――キッドくんはやく逃げて!お父様に殺されちゃう」 少女は冗談めいた事実を軽く口にし、笑いながらキッドの背を押し走らせると、自身も門をくぐり、顔を真っ赤にして走る父親を宥めるためとたとたと庭を駆けだした。 キッドは、カモミールの風に押され飛ぶように走った。 「……ふふふ」 「……はは」 どうしてかとてもおかしくて、二人はお互いに背を向けて走っているのに、同じように笑った。 キッドが振り返ると、彼女もちょうどこちらを振り返っていた。 ほんの少し昔―――まだ二人が制服に身を包んでいたあの日の映像がフラッシュバックする。 赤毛の少年の髪を逆立てていたハードワックスはヘアバンドに変わり、少女の水色のポニーテールはさらに伸びてほどかれ、その顔には昔よりも大人っぽい笑みが浮かべられるようになっていた。 だけど、同時に顔を見合わせた二人は―――あの日と同じように―――いたずらっ子のような、共犯者めいた笑みを分かち、また駆けだすのだった。 (二人で、大人になろう) (二人で、優しいだけの「ずっと」を探そう) (二人で、「ずっと」が香るカモミールの丘で!) |