鮮やかな赤が一際輝く果実に、フルーツナイフが滑り込む。そのままナイフを固定し、果実の方をクルクルと回す。一定のペースで回り続ける果実は、みるみるうちにその身を赤から白に変える。生み出された表裏が赤と白に塗り分けられた細長い帯は、ナイフと男の冷たい手を越えて、テーブル上の布巾の上にとぐろを巻いていく。とうとう裸に剥かれ、白い肌をさらした生娘は、遠い昔我々の祖先に恋と恥じらいを教えた罪深い果実だという。爽やかで軽やかな音をたて割られた実からは、丁寧に芯が取り除かれ、真白い皿に盛られていく。 次に銀の刃先が向かうのは、太陽が産んだ楕円のたまご。よく熟したものを選び種を避けて3つに割る。濃い黄色の、汁気を多分に含んだその身は、独特の甘ったるい芳香で虫も人も酔わせ引き寄せる。種を含んだ部分はよけ、切り分けた実に刃先を滑らせる。男の性格らしく、几帳面に均等に入れられた線は、裏から身を押し上げた時美しく花開いた。もう一つも同じようにし、先に皿に居並んでいた果実の横に添えられた。 次に男の温かい方の手が伸ばされたのは、柔いおさな子の頬に似た桃色の果実。潰れやすい果実に触れるその手つきは、本物の赤子に触れるときより慎重だ。まるで感覚があるように、血の通わぬ親指の腹で表面の産毛を楽しみ、やっと刃を実に当てた。少しだけ実に刃を潜らせると、皮を指で抑えると刃を持ち上げて絹の衣を剥ぐ。何度かそれを繰り返すと、溢れ出た甘い蜜が布巾に染みをつくる。 意外なことにクロコダイルは果物を好んでよく食べた。朝食に、昼食のプレートの隅に、夕食のデザートにと、いつでもどこにでもその姿をみた。 理由を尋ねると、朝は実は何も食べたくないのだが、空っぽの胃にコーヒーを流し込むのは嫌いだから、と。昼と夜には単に人工の甘味を食べたくないからだ、という。 昼と夜の理由には何となく納得できるが、朝食にイチゴやチェリーを啄み、搾りたてのフルーツジュースに口づける様は、どこぞのわがままお嬢様だと笑ったものだ。 しかし今では、シェフに任せず、手づから果物を選びナイフを操る男を眺め、夜の名残と朝の穏やかさを静かに堪能するこの時間をドフラミンゴは愛していた。 ―――今すぐその手を果実ごと掴み、貪りつきたい。 男の指を伝う見るからに甘い汁を目で追っていると、ふいにそんな思いが浮かんできた。いつものように果物を操るクロコダイルの手つきに、ドフラミンゴは夜の匂いを見いだしたのだ。 ―――誘う芳香に逆らわず、蜂の様に蝿の様に甘い腐臭の首筋に顔を埋めよう。 ―――指を伝う蜜を舐めあげ、一本一本口に含み、指の股を舌で突つこう。 ―――禁断の果実を口に含み、男と罪を分け合って久遠の楽園から逃げ出そう。 爛れた思いが脳裡を占める。しかし、口に出た言葉は、一切思いを包み隠した他愛のないものだった。 「なあ、知ってるか?果物は煙草の害を少し防ぐそうだぜ」 「―――!」 クロコダイルの手が止まった。 本当に、本当に他愛のない意味のない投げ掛けだった。深い意図も裏の意味も何も含ませてはいない。爛れた胸の内を少しでも察せられるようなものでもなかったはずだ。 それがなぜクロコダイルの手を止める要因になったのか。 ドフラミンゴは訝しげにクロコダイルの手元を注視した。手は止まっている。しかし、指を伝う水気の数も、布巾の染みの数も景気よく増えていく。 みると、指輪を外した裸の指が、守るものをなくした柔いからだにその身をじんわり埋めていた。男の指の合間から白い貴婦人の切ない喘ぎを聴いた気がして、嗜虐の心をなぜられる。 自然、視線は男の手から顔へと向かい上っていく。そこには、世にも珍かなものがあった。 赤い眦(まなじり) 困ったように寄せられた眉 目尻に落ちる睫毛の影 熱に色づく薄い耳朶 あまりに珍しい顔に、毛羽立ちかけた嗜虐心がすうっと引く。 まさかこの男は、煙草の体への影響を気にかけていたのだろうか。 ドフラミンゴは、それは限りなく有り得ないことと感じた。万が一にそうだったとしても、このように恥じ入った顔をすることはないだろう。傲慢に近い自信と余裕、優雅さと冷酷、人を見下すことが似合うプライド高いこの男は、何より恥辱を嫌っていた。自分を絶対とし自分の行動を恥じることはないし、そもそも少しでも後の恥になると感じることは行動に移さないのだから。自分に恥をかかせるようなものは回りに置かないし、恥への要因が生まれれば処分を躊躇わない。 では、この顔の理由はなんだ。 そこでふとドフラミンゴは思い出した。 この男は最初からこうではなかったはずだ。ドフラミンゴとクロコダイルが同じ時間と空間を共有するようになって何度目かの朝、突然リンゴを投げ渡されたことを思い出す。自分は美しく盛られたブドウやメロンをナイフとフォークで実に優雅に食しながら、ドフラミンゴには丸のままのリンゴを顔面目掛けて寄越してきたのだ。それまでは、確かそれまでは葉巻の煙だけを摂取し、くだらない紙切れに向き合っていたように思う。 それはつまり――― ―――俺のため、 何より恥辱を嫌うプライド高いこの男。澄ました顔を屈辱や怒りで歪めたくて、今まで何度も乱暴に組み敷いては恥辱の怒りに火をつけてきた。だが、クロコダイルが―――あの、自らの恥となる行動を命を捨てるより嫌うクロコダイルが、自ら進んでこんな顔をしなくてはいけないような行動を取っている。 ドフラミンゴのために。 「フフフ」 「……なに笑ってやがる」 「いやなにも?」 クロコダイルが眦を染めたままドフラミンゴを睨みつけた。恥じらいを、怒りで隠そうとしているのが見て取れる。 ドフラミンゴは寝そべっていたソファから身を起こすと、クロコダイルの背後から右肩に顔を寄せた。手が汚れるのも構わず、濡れたクロコダイルの右手ごと果実を掴み口を寄せた。 「!!!」 クロコダイルの耳元で白い貴婦人が、濡れた音をたて男の舌で唇で乱されていく。わざとらしくたてられる水音に耳から犯される。部屋の外に満ち満ちる朝の気配を尻目に、次第に二人に夜の帳が下りてくる。粟立ち始めたクロコダイルの首筋には、婦人がはしたなく溢れさす愛液がはたはたと降り注ぐ。 「っ…はぁ」 その甘い香りに誘われるようにドフラミンゴの舌が濡れた首筋を辿り出す。 解放された右手は手首までしとどに濡れている。クロコダイルは熱を持った息を吐いて、半分ほど赤く爛れた中身を晒す婦人に舌を伸ばす。えぐみを持った中身を舌で抉り、甘いばかりの肌に牙をたてる。 夢中で甘みを貪っていると、顎を伝うどちらのものか分からない蜜を舐めあげて、ドフラミンゴがクロコダイルの口を婦人から取り返した。細い糸を引いて引き離された貴婦人を名残惜しげに目で追うと、ドフラミンゴが諫めるように唇を食んできた。 応えるように舌を差しだし、お互いの熱を分かち合う。力の抜け出したクロコダイルの冷たい左手から、銀の刃が滑り落ちる。甘く爛れた匂いを放つ貴婦人もドフラミンゴの手によって机に落とされる。 (ああっ!) 貴婦人の感極まった悦びの断末魔はもう二人には届かない。 ―――誘う芳香に逆らわず、蜂の様に蝿の様に甘い腐臭の首筋に顔を埋めよう。 ―――指を伝う蜜を舐めあげ、一本一本口に含み、指の股を舌で突つこう。 ―――禁断の果実を口に含み、男と罪を分け合って久遠の楽園から逃げ出そう。 (───なぁ、こいつらは俺のためか?) (───いいや) (───嘘だろ?) (───いいや) (───素直に言えよ) (───三度(みたび)否だ、鳥野郎) (───ちっ、素直じゃねえやつ!) |