美しい獣



「手伝ってやろうか?」

瓦礫と鉄くずと死体が転がる中を、乾いた大地の砂を巻き上げ、風が通り抜ける。
まだ乾ききらない血のにおいが鼻につく。舌の上に鉄錆の味が広がるほど濃いにおいだ。

「邪魔すんじゃねぇよ。おれの戦いだ!」

傍目にも満身創痍な男は、先ほどからずっと荒い息が治らない。それでも吠える声はどこか楽しげで、空気が震えるほど強い。死者ばかりの戦場で、この男だけは貪欲に生に噛みつき楽しんでいた。
「だよな」
キッドが立つ大地より一段高い崖上に腰掛けたトラファルガー・ローは、そう言って目を眇めて笑う。文字通り、高みの見物をするローは、目の前に広がる至上の娯楽に満足げだ。

「キッド!引け!いったん体制を整えよう!」

両腕を広げ、攻撃の態勢をとるキッドの背後で、鉄の仮面をつけた男が叫ぶ。この男も、自身の傷なのか返り血なのか、水玉のシャツがぐっしょりと濡れている。
「……」
ローは戦場を見渡した。立っている影は三つ。一つはユースタス・キッド、一つはユースタス・キッドの右腕の男、一つは薬で意識をなくし、その心臓が止まるまで暴れ続ける怪物になった男。何の薬物か知らないが、通常の人間の三倍ほどに巨大化した体に、知性のない目をしたこの怪物は、ビックマムの配下だった男だ。普段から薬を乱用していたのだろうが、とうとう箍が外れたらしい。

(この戦場に生者は一人)

広い大地を見回して、ローは確かに一人だと頷いた。その目は、指の先まで闘志を灯すキッドだけを写す。
(引くことを考える奴は死者と同じだ。あっちのモンスターもすでに死んでいる。灰色の肉体に詰まった薬という名の燃料が燃え尽きるまで意志もなく動いているに過ぎない)
死んだ大地が音をあげ揺れる。ガチャガチャという金属音が脳細胞を掻き乱す。キッドの能力だ。二本の腕に、様々な金属が飛来し、積み重なっていく。
キッドの指が、鉤爪のように折り曲がる。ギリギリと見えない糸を引くように、力がこもっている。
落ちかけた太陽が男の背後につくる長い影の中に、生も死も、運命も、影も光も、何もかもを引き連れている。その赤い爪に引っかけて、恐怖の軍団を引き連れている。
「ぶ、お、ぅう、おおおおおおおお!」
怪物となった男が、おおよそ人とは思えない理性のない声をあげ、襲い来る。
「来い!トロール野郎!」
キッドも駆け出すが、疲れのせいか金属が集まりが遅い。腕表面を覆うほどの金属しかない。
敵の大振りの腕を避け、懐に飛び込む。キッドの武装した腕が、敵の右頬から顎にかけて吹き飛ばした。

ーーー

「はっ、はぁ、はぁ」
飛び散った肉がびしゃびしゃと乾いた地面を湿らせる。頬肉とともに吹き飛んだトロールが、地面の死体を幾つも跳ね飛ばし、煙を上げ地面に伏した。

「はぁ、はぁ、はぁ」

キッドが肩で息をする。額に滲んだ汗が、頬を伝って顎から落ちる。ガラガラと集めた金属が地面に散らばった。

「ーーーキッド!キッドぉぉぉぉ!!!」

一瞬の空白のあと、キラーが叫ぶ。
地面を打つ血の音は、戦いを見つめるローの耳にもはっきりと聞こえていた。
「はぁ!はぁ、はぁ!」
ーーーキッドの左腕は、腕の付け根からブツリと途切れていた。
吹き出す血が、顔の左半分を真っ赤に染めている。白い肌と真っ赤な血の鮮やかなコントラストのせいで、どこか作り物めいている。
「キッド!キッド!!」
「うるせぇ聞こえてるよ」
キッドは、笑っていた。額に脂汗を滲ませ、眉間にぎりぎりとシワを寄せ、それでも笑っていた。悪鬼のように羅刹のように修羅のように、血に染まった顔で、凶暴に笑っていた。
「……!」
キラーが駆け出した。その先には、トロールが吹き飛ばされ際に引き千切ったキッドの腕が転がっていた。
「捨てておけ!キラー!」
キッドは振り返らないまま叫んだ。
キラーが戸惑いに足を止める。


「“それ”は俺についてこれなかった!俺の魂から振り落とされた!」


キッドは笑っている。腕一本が千切れたというのに、全身傷だらけだというのに、唇を吊り上げて笑っている。

「俺の魂は全速力で先へ進む!ついてこれねぇなら、俺は俺の肉体すら置いて行く!」

キッドの腕に引き寄せられた鎖が巻きつく。滝のように流れ落ちていた血が次第に止まる。
キッドが駆け出した。

千切れた腕で戦場を駆けるーーーこの男は、いま確かに、世界一凶暴で美しい生き物になっていた。

戦場を駆けるキッドの千切れた腕に、新たな腕が形作られた。魂に見合う、強固な腕だ。
死体の中から起き上がったトロールが、最早音にならない声を上げている。顎が砕けても、舌が千切れても、まだ動き続ける。自業自得とは言え、それは哀れな姿だ。
「おおおおおおおおおお!」
キッドが吠えた。巨大な腕が振り上がる。死者も生者も絡みとり、荒々しく切り裂く巨大な腕が。

「ーーー」

地面が割れるほどの地響きだった。腹に響く震えが収まると、騒々しく崩れる金属が、歪なファンファーレを奏でだす。瓦礫の王様を讃えるものだろう。
ガラガラと崩れる瓦礫の天辺に、キッドは立っていた。千切れた腕越しに、沈みかけた太陽が見える。その向こうは、海だ。
「はぁ」
ローは、息をついた。満ち足りた充足感によるため息だ。偶然立ち寄った島で、この光景に居合わせたことを感謝した。神は死んだ。感謝を捧げるのは神にではない。自分の強運にだ。
「次はお前か?」
今のこの男なら、千切れた腕で、傷ついた肉体で、無傷のローとも渡り合うだろう。疼く右腕を抑える。殺し合いたい奪い合いたいと体が疼く。
「また今度な」
夕焼けが枯れた大地を赤く染める。
キッドが顎を反らし、ローを見下ろした。薄い唇が挑発している。「いいのか?」と言いだけに笑っている。昂る目だ。衝動と興奮が抜けない赤い目に、ローは苦笑した。
(難儀だな)


手に負えそうにない世界一凶暴で美しい獣が、欲しくてたまらなかった。

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