三億光年向こうの憶測的観点からのプロポーズ
2012/02/14 21:40 (0)

人食について。
こういう話が苦手な方はここでお引き返してください。







人食について。

この年になって初めて『羊たちの沈黙』シリーズみました。両腕の袖を縫い付けられた拘束具に、鉄の面(口の部分が格子)をつけたキッドとかかっこいいなぁ、とツイッタで呟いていると、『羊たちの沈黙』でレクター博士が同じ格好をしていると教えていただき見た次第です。
『羊〜』の感想はさて置き、なぜレクター博士は人を食うのか気になった。
博士が食うのは無礼な人間だけ。つまり‘食う’とは殺す以上に相手を辱しめること、侮辱することなのかな。
二次創作だと、食うのは愛情表現であることが多いよね。愛しすぎて独占したいから、一つになりたいから、死んだ相手が寂しくないように、とか。
なんで食うことが負の表現になるんだろかね、博士の場合。食うことで相手を家畜と同然の存在なのだと表現してるのかな?食らう相手に対してはなんの表現はないのかも。食うことで、確かに嫌な奴を消しているという満足感を得ているのかも。食ってるとき博士はいい顔してるしね。クズのような人間をこんなに美味に調理し糧にしている、という満足感かも。

(貴様のような人間の価値を上げているのだというこの感覚こそが一番のスパイスとなるのだ。それはどの香草より香り高い!)



愛のカタチとしてでも、侮辱としてでも、満足感のためでもなく、ただひたすらに死者への尊敬として人食するのってどうだろう?
原作キッドの、弱い者・逃げる者への容赦のなさは、裏を返せば強さへの尊敬・力への従順さに繋がらないかな。
強い人間が勇敢に戦って死んだとき、その人の力や魂を授かるという考えから、人を食う一族の出のキッド海賊団。
一枚板のテーブルは蝋燭の明かりで表面はなめるように光り、キッドキラーツノドレッドとか、一族の出の何人かでテーブルを囲み、肘をついて手を組み食前のお祈りを捧げるキッド海賊団とかいいね。
魂を授かるための人食なので、食べる部位に意味がある。脳ミソとか心臓しか食べないと思う。

厳かで重厚で神聖な儀式。
知識も理解も宗教観も越えて、流れる空気が居合わせたものに膝を折らせる。
パイプオルガンが重く鳴り響く教会の、高い天井、光りに舞う埃、ステンドグラスのマリア、磔刑のキリスト。誰もが息を詰めて目を閉じ祈りだす。そんな雰囲気が落ちるキッド海賊団の晩餐会。

食べるのはキッド。
食べられるのは第三者。
食べられたいのはロー。

(強き者に尊敬と愛を捧げ、口づけるようにお前は勇者の肉を食らう。それは背骨が震えるほど美しく神的な場景。皿の上のそいつがひどく羨ましい。そいつはとても強かったのだな。ああ、俺もこの世界を構成する一つとなりたい。お前の魂の糧となりたい。)



人食はドマイナー嗜好で、共感をえられるとは思えないけど、食前のお祈りするキッド海賊団のかわいさには誰か共感してくんないかなぁ。


草々




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