Show must go on!


葛葉の介在
2014/07/21 11:50 (0)

「恩返しに来た」

ドアを開けると、マンションの廊下にがたいのいい男が一人立っていた。真っ赤な髪に、真っ赤な目、白人並みに白い肌の男だ。
「……は?」
開口一番に不審なことを言う男に、新手の宗教勧誘かと俺は訝しんだ。
「今日お前に助けてもらった蛇だ」
怪しんでいることは人目にも明らかだろうに、凡そ信じがたいことを男言いながら、真剣な目で俺を見る。
「ヘビ……」
心当たりは、あった。
真昼の鉄板のようなアスファルトに、白い蛇が伸びていた。死んでいるのかと思ったが、近くに寄ると赤い眼がギロリと俺を睨み上げてきた。

(白い蛇は神様の使いよ)

ガキの頃、田舎のばあ様の家で見た白い蛇を思い出す。怯える俺を前に、ばあ様は草むらを這う青大将に手を合わせていたっけか。
一昨年死んだばあ様の顔を思い出し、俺は持っていたペットボトルの水をその蛇にかけてやった。それが蛇にとっての助けになるかは分からなかった。すぐに立ち去ったので、その蛇がどうなったかも知らない。この男の言葉を信じるのなら、あの蛇は助かったということだろう。
「昼間のあの蛇……」
「そうだ」
男は重々しく頷いた。相変わらず真剣な目だ。
そうか、あの蛇は助かったのか、よかった、と俺も軽く頷いた。そうして、

「宗教なら間に合ってます」

真剣な顔つきの男の鼻先でドアを閉めた。


※※※


「だから恩返しに来たって言ってるだろ」
ソファーには座らず、床に胡座をかく男はバカの一つ覚えのように繰り返す。
「それは何度も聞いた。お前は誰だって聞いてるだろ」
「俺は昼間にお前に助けられた蛇だ」
「だから…」
「お前も知ってるだろう。鶴を助けた男の話や、狐を助けた男の話、蛇を助けた男の話を」
男の背筋はピンと伸びている。拳を膝に当て、キリリと正座する男からは、どこか古風な匂いがした。
「鶴の恩返しか」
「そうだ。助けられたら恩を返す。正体を見破られたら姿をくらます。それが俺たちのルールだ」
「……お前はすでに正体バラしてるじゃねぇか」
「現代人は昔みたいに馬鹿正直に幸運を享受しない。まず疑ってかかるからな。色々と説明しないと恩も返せねぇ」
「……」
男はため息をつく。つきたいのはこちらだ。世間が家族団欒の夕飯時にインターホン連打、ノックの嵐、しまいには廊下で大声を出す。近所迷惑になるので仕方なく部屋に引きずり込んだが、相変わらずおかしなことばかり言い募る。
「とりあえず…お前の名前は」
「人の言葉じゃ発音できねぇよ。人間は俺を見ると「キャー」とか「ヘビダ」とか言うぞ。「キャー」とでも呼べ」
設定もちゃんとしているようだ。俺は少し感心した。ただひどく面倒くさい。
「……じゃあお前は「キッド」だ。昔飼ってた猫の名だ」
放り出すようにそう言うと、キッドは「好きに呼べ」と簡単に頷いた。
「お前の目的はなんだ?宗教勧誘か?」
ソファーに腰掛け、足を組み、男を見下ろす。
「信仰なら好きにしろ。だが蛇は滅多に願いなんて叶えねぇぞ。願うなら狐にしろ。見返りはきっちり取られるし、一代限りだがちゃんと叶えてくれるぞ。清盛は知ってるだろう?狐はあいつの願いを叶え天下を取らせたが、見返りに命を奪い、天下も清盛一代限りだった」
世間話でもするようにキッドは史上の人間を語る。確か清盛は最期、謎の高熱により死んだんだったな、といらない知識が頭をよぎる。
「……じゃあ金か?」
「蛇が金持ってどうする」
必要はないが金なら三輪山にいくらでも埋まってるーーーとまたキッドはさらりといなした。というか今すごい情報を得た気がする。
「はぁ……」
なかなかボロを出さないキッドに、俺は息をついた。もう腹も減ってきた。そろそろこの茶番も終わらせようと、俺は切り札を出すことにした。

「……俺はゲイだぞ」

部屋に二人きりの状態でこれを言われ、ビビらない男はいないだろう。俺はさらにたたみかけた。
「しかも、お前みたいなのが好みだ」
「……」
キッドは、じっと俺を見上げる。さて、どういう反応をするだろうか。キッドの赤い唇が薄く開いた。

「ゲイとはなんだ」

「……」
「俺は最近の言葉はあまり知らねぇ。ゲイとはなんだ。物の怪の類いか?」
相も変わらず、男はまっすぐな目をしていた。まっすぐな目で、まっすぐな言葉だ。最初からそうだが、キッドからは嘘のにおいは感じない。だからと言って信用に足るわけではないが。
「分かった。お前は頭が少しおかしいんだな」
俺は痛むこめかみを抑えていた手をどけ、投げやりにそう言った。俺の言葉にキッドの真剣な目が揺らいだ。
キッドは眉根を寄せ、難しい顔で視線を床に落としている。うん……と、歯切れ悪く唸っている。
初めて見せる反応だ。
「……確かに、頭はあまり良くない」
キッドの三白眼が俺を見上げる。拗ねたように少し尖った唇、悔しげに寄せられた眉、鋭い目つきが幼子のように不満を漏らす。
「……」
俺はまたこめかみを抑え、俯いた。実は、先ほどの言葉に嘘はなかった。俺はゲイだし、悔しいことにキッドはひどく好みの容姿だった。こういういかつい男に、こういう似つかわしくない可愛らしい反応をされると、とても揺らぐ。
「……もういい」
俺はぐったりとした手つきで犬でも追い払うように手を振った。
「やっと恩返しさせる気になったか?」
キッドが嬉しげに言う。拗ねていた顔がぱっと喜色に染まる。蛇のくせに、表情豊かな奴だ。
「お前はさっきから『恩返し』『恩返し』言うが、具体的に何をするんだ」
「最近の人間は本当にものを知らねぇな」
物語は読まないのか?と、キッドが呆れたように言う。自分で頭の悪さを認めた人間……いや蛇にバカにされるのは憤慨だ。
「知らねぇよ。鶴よろしく鱗で布でも織る気か?」
またキッドは呆れた顔で首を振った。キッドは組んでいた足を正座にかえ、居住まいを正した。
「……?」
そうして、床に三本の指をつき、軽く頭を下げる。
「なんだ?なんの真似だ?」
「恩返しの基本だよ」
キッドは軽く微笑んだ。


「不束者ですがよろしく」


窓の外で雨音が聴こえた。しかし、外は雲一つなく、落ちかけた西日が街を真っ赤に照らしている。
“狐の嫁入り”だ。

「今日から俺がお前の『蛇女房』だ」

この街のどこかに、俺と同じように狐に恩を返されている人間がいるのかもしれない。





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