Show must go on!


荘周の現在
2013/10/26 21:41 (0)

家に帰ると、若い男がいた。
赤毛で、色白で、がたいのいい男だ。年は俺よりもいくつか下のように見える。


「腹が減ったぞ」


男の上体は裸で、履いているジーンズは裾が足りていない。胴回りも足りないのか、チャックもボタンも開けっ放しで、下生えの赤い毛が覗いている。つまり下着を着ていないようだ。
と言うかそのズボン俺のではないだろうか。その証拠に、俺の部屋のドアからリビングまで、クローゼットから引きずり出したと思われる服が転々と散らばっている。
「これ食っていいか?」
その男は窓際に置いた水槽の中を覗き込み、熱帯魚を指差して言っている。
俺は平然とした顔で玄関で立ち尽くす。こんなとき自分のポーカーフェイスが恨めしい。内心はこんなに焦っているのに。さっきから全く動けていないことと、片足だけ脱いでそのままの靴だけがそれを現す。

「てめ、……誰だ」

俺はようやくそう尋ねた。
「何言ってんだよ」
俺のようやく絞り出したごく真っ当な質問に、男は俺の頭を疑うように不審な顔で首を傾げた。その顔もその台詞もおれにこそ必要なものだ。
「おれだよ、“ユースタス・キッド”ーーーお前がつけてくれたんだろう?」
それは、俺が飼っている蛇の名前だ。アルビノのアオダイショウ。真珠のような鱗が全身を多い、赤い目をした長大な蛇だ。
「……なに、言ってんだ」
こちらを見る男の目は、赤かった。
「この水槽の蓋、おれが魚ぜんぶ食ったからつけたろ?そのベランダ、おれが隣の猫食ってから開けっぱなしにしなくなったな。そのソファーで風呂上がりに俺を首に巻いてビール飲むのが好きじゃねーか」
「ーーー」
俺は驚いて押し黙った。男が知っているのは、俺しか知らない事実。この部屋に他人を入れたことはない。俺でなく、この事実を知る者と言えば、唯一の家族ーーーキッドくらいしかいない。
「まさか、ほんとに、いやそんな……」
確かに彼は、キッドの鱗のように美しく白い肌をしている。確かに彼は、キッドのように生意気で純粋な瞳をしている。一度揺らいだ心は、彼とキッドの相似点を探し始めていた。

「ところで、いつまでそんなとこいんだよ」

キッドがジーパンのポケットに手を突っ込み、普通の青年のように笑った。水槽に体を向けたまま、顔だけこちらに向けている。チャックの締まらないズボンから、真っ白なしみ一つない尻の割れ目が少しばかり覗いている。
「ここは俺ん家だ」
「俺の家でもあるだろ」
キッドに言われ、俺は立ち尽くしていた玄関からやっと部屋の中に足を踏み入れた。しかしすぐに玄関に戻る。靴を脱ぎ忘れていた。脱ぎかけのまま忘れていた靴を玄関に放り、部屋に入る。と、すぐにキッドが首に腕を回し、頬を擦り寄せてきた。

「おかえり」

反射的に手がキッドのわき腹を支える。そのまま押し返すこともできたのに、腰に添えたままの手はそこからどこにも動かなかった。
「た、だいま」
触れた肌は、人間のもので、鱗の滑らかさも、固さの下に感じる柔らかさも、冷たさもない。
「なぁ、名前、教えてくれよ」
頭頂部の上から声がする。キッドは俺よりも背が高い。
「……お前、キッドなんだろ?」
「そうだ」
「飼い主の名前も分からねぇの?」
俺はキッドの鎖骨辺りから、不審な目をキッドに向ける。信用がわずかに揺らぐ。まさか、飼い主の名前も知らないなんてーーー

「だってここにはお前の名を呼ぶやつはいない」

……あり得る話だった。うん、確かにこの部屋に人を入れたことはない。つまり俺の名を呼ぶやつはいないのだ。公共料金の請求書なんかは届くが、蛇が字を読めるかは分からない。
「トラファルガー・ローだ」
名を教えれば、キッドは確かめるように何度か俺の名を呼ぶ。そうして、「ローって呼んでいいか?」と、耳殻に吐息が触れるほど近くで尋ねる。
「ああ」
「ロー、ロー」
「何だよ」
「セックスしよう」
俺は言葉をなくす。しかし否定の言葉は見つからず、腰に添えたままの手も未だ行き場を見つけられていなかった。
言い淀んでいるうちに、首に回された腕に重みがかかる。キッドが徐々に床に腰を下ろし、尻をつくと、上体を後ろに倒し、背中を床にして寝転んだ。床には毛足の長いカーペットが敷いている。キッドが這えば這い痕が残るほど毛足が長い。まだ何ヵ所かキッドの移動痕が残っている。
「お前、何言ってんの……?」
「セックスしようぜ、ロー」
「……意味わかってんの?」
「好きだぜ、ロー、ずっとこうしたいと思ってた」
キッドは言葉の合間に何度も唇を押し当ててくる。頬に、鼻に、唇に。キスの合間に喋っているという方が適切な物言いかもしれない。
「……こんなことどこで習ったんだ」
ローはわざとらしく疑わしげに聞いた。キッドの言葉を信じるなら、昨日まで蛇だったキッドは今日人間になったはずだ。ではどこでキスの仕方や誘い方を覚えたのか。
正直、すでにこの青年がキッドなのか何なのかどうでもよくなってきていたが、彼がなんと答えるか気になった。
「昼間のドラマとか、深夜のテレビ」
キッドはにべもなく答える。そう言えば、深夜にトイレに起きると、暗い部屋にテレビだけついていることが何度かあった。消し忘れかと思ったが、あの暗闇の中、キッドがどこかに身を潜めていたのか。
腰に添えた手が、わき腹を通り、肋骨から脇下までのぼる。濡れた舌で唇に触れられたので、その舌に甘噛みし、舌を絡め、擦り合わせる。普段は二股に分かれた舌は、今は人間と同じ形をしている。親指で哺乳類にしかない桃色の突起を弄ると、キッドの腹筋がひくついた。
「ベッド行く?」
キッドが俺のジーンズのチャックを下ろしながら尋ねた。昨日まで指なんかなかったくせにずいぶん器だ。
「ここでいい」
「せっかちだな」
キッドが耳元で笑った。

「蛇の交尾はゆっくり、じっくり、やるもんだぜ」

下着とズボンの間に入り込んだ手が、ゆるゆると股間を揉む。
からかうような声と、毒が、じわりと耳朶に染み込んだ。


■□■□■


「う、ぐ」

寝返りをうつとミシリと軋んだ体に、思わず声が漏れた。
起き上がるためにまた何度も呻きながら、なんとか上体を起こす。どうやら床で寝ていたらしい。いくら毛足の長いカーペットとは言え、ベッドほどの厚みも柔らかさもないカーペットがでは体が凝り固まってしまう。
ぼやける頭を振り、頭をがしがしと掻いても、なぜ床で寝ているか思い出せなかった。軋む間接にむち打ち、なんとか立ち上がると、シャワーを浴びに風呂場に向かった。
途中、Tシャツを脱ぎながら洗面所を通る。洗面所の鏡の前を通り過ぎる時、俺はぎょっとして足を止めた。脱ぎかけのTシャツがまだ肩と腕を通らないままの間の抜けた格好の自分が映る鏡。その鏡に映る裸の背とわき腹には、蛇が巻き付いたような縄目模様が幾重にも巻き付いていた。
「……」
俺は無言でTシャツを脱ぎ、鏡の前で全身を眺める。胸にも腹にも、下を脱げば腰にも太ももにも紋様が描かれていた。青あざができていないのが驚きなほどだ。
くるくると鏡の前で回って全身を確かめていると、風呂場のドアの隙間からキッドが這い出してきた。白く光る鱗が水で濡れている。
「お先に」なんて言いそうな一瞥を俺にくれ、キッドはするすると俺の足元を通り抜け、リビングに抜けていった。風呂場のドアの前には、出した覚えのない俺のジーンズが落ちている。
「……」
俺は黙ってそんなキッドを見送った。俺はがしがしと頭を掻きむしり、吹っ切ったように下着を脱ぎ捨てた。
「次は人間のセックスしようぜ、キッド」
もちろん尻にも腰にも、鱗の痕は残っている。


「激しくて、刹那的なやつ」
ローは、首筋に血の滲む咬み跡を見つけ苦笑した。
「蛇の愛は重すぎる」










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