─01─
人生で悔いが残る瞬間とは人には誰しも必ずひとつやふたつはあるものだ。結ばれなかった生涯忘れられない人、死に別れた人、それは未練となり季節が移り変わる度に思い知ることになる。
「いい景色ですね」
「そうか?いつもの何も変わらない景色だ。お前のところにも港くれぇあるだろ。」
「神戸とか博多や横浜みたいにこういうおしゃれな港ではないですから。田舎の船がたくさん並んだ漁港ですよ?」
「俺はそっちの方が好きだ」
「え、そうですか?」
「誰もいない、綺麗で静かな海でゆっくりしてぇんだよ。なぁ、綺麗な海ってのはどんな感じなんだ?本当に綺麗な海は碧なんだろう?」 男にとってそれは間違いなくあの夏の夜。まるで幻のような出来事だったと振り返れば実感する。あの時、男が彼女に言いかけた言葉の行方を探している。言いかけた言葉はどこにも伝わらないまま、行き場がないまま、今も彷徨い続けている。これ以上の深追いは余計に彼女を苦しめるだけだと知るのなら男は足掻くことはせずに大人しく身を引くべきだ。
なぜなら、彼女は、もう男の手の届かない場所まで行ってしまったのだから。それでも、どうしても会いたい、彼女に言えなかったこの気持ちだけが残って男の頭の中を巡り、今も焼き付いて離れてくれないのだから。
▼
海。その名前を呼ぶと、社会の荒波で冷えきっていた男の心はじんわりと温かくなるようだった。今も忘れられずにいる。愛しい面影を探すように。もう何処にも彼女は居るはずもないのに。叶わない願い事をしてしまう。面影を、探してしまう。長い髪の女を見れば彼女にしか見えないのに、振り向いた女はただの下品な雌豚にしか見えない。
多くの人が行き交う空港。別れる人や出会う人、そして、突然の別れに立ち尽くす、人。その後ろから金髪の小柄な少女が恐る恐る駆け寄り、涙ながらに男に頭を下げた。顔をあげれば、その愛らしい大きなブルーの瞳には涙が浮かんでいる。
「すみませんでした……私が、海の事、もっと早く教えていれば良かったんです……!」
悲痛な声で、遠くに行ってしまった大好きな友達の為に裏で奔走していた美しい少女は涙を抑えることも出来ず、背の高いクールな顔立ちの女性の胸に抱き締められ、その胸に顔を埋めていた。男は悲痛に怯えるその姿を見て責めたりはしなかった。
「いや、海が今日帰ること……会社に連絡をくれただけでも助かった。間に合わなかったのはお前達のせいじゃない」
「けどよ……あんた、リヴァイさんよ、海にホントのこと言わなくてよかったのかよ? そもそも、あいつの勘違いで、ホントにあんた誰とも付き合ってなかったんだろ?」
その言葉に、ぴくりと男の肩が揺れる。
「そうだ……。だから、海が俺とペトラの事を誤解してた事も知らねぇで・・・な。俺は大したクソ野郎だ、結局……海に誤解させたまま、悲しませて傷つけて、そして、1人で行かせた。弁解しようにも何もかも手遅れだ」
「そんな……あっ!私、海の連絡先教えますからこれで今すぐお電話を……!」
「止せ、それに海はもう飛行機乗ってるんだ。今は無理だ。それに、今更何を言ってもあいつは聞いちゃくれねぇ。お前こそあいつに勝手に俺に連絡教えたと知られたら、嫌われるぞ」
「海……」
「あいつの性格はよく理解した。自分がこうやると決めたらテコでも曲げねぇ、とんでもねぇ頑固女だ」
「ははっ、違いねぇ」
そうだ。この先、男が彼女に会うことはほとんどすれ違いや偶然で装う事は難しく、容易くはない。彼女は今や数万キロも離れた遠くの地だし、そして、何度電話をしても話そうとしても、力では頑固な一面のある彼女の固く閉ざした扉をこじ開けることが出来なくて。恐らく電話もトークアプリも拒否されているのだろう。正直そこまで拒否されてしまっているなど……出来れば知りたくもなかった。
自分はやらなかった、やれなかった。果たして、自分は、どっちだろうか。そうだ、もっと早く気づけていたら海は今もここに居て、そして、自分に笑いかけてくれていたのだろうか。
「リヴァイさん!」
「主任のタバコ、ご用意してました!」 あの人懐っこい笑顔を、愛くるしい表情を、それをめちゃくちゃに壊して自分が奪ったのだ。それなのに。
「お前がそういう態度なら……もういい、勝手にしろ。お前なんか、とっとと田舎に帰れ」 傷つき悲しむ海を突き放してしまった。忘れられない、今も傷つき悲しんでいた海の幼子みたいに儚くて、小さくて華奢な身体を……抱きしめることも出来なかった。
「(なぁ、海よ。どうすりゃ良かった?どうすりゃこの時間は戻る?気付いた時には、俺は全てを、海を失っていた」)
誰よりも頑固で、けど、寂しがり屋で、泣き虫で危なっかしくて・・・儚い、今にも都会の波に飲み込まれそうで。
「(泣き顔なんか見たくねぇと……守ってやりたいと思ったのに、お前を壊したのは、紛れもなく、俺だったな・・・)海・……」
さんざん傷つけ苦しめた愛しいその名を呼ぶだけで良心の呵責に苦しむだけ。忘れた方がいいと、しかし、忘れる事など到底出来やしなかった。
……過去、男にとって女とは3大欲求のひとつを満たすだけの存在で、愛のない気楽な肉体関係ばかりだった。しかしそれに伴う恋愛、恋情に関してほぼ無知の男には恋愛の正しい方法なんて、世界を渡り歩く叔父も、誰も、教えてくれなかった。
「リヴァイさん」
「待って……!行かないで……リヴァイ……」
「私は、リヴァイさんのことが、好き、……です」 海はちゃんと勇気を出し、目を見て言葉にして伝えてくれたのに。男は・・・言葉よりも先に海を抱き締める行動に出てしまった事を悔やんだ。しっかり自分から打ち明けて彼女を抱くべきだった。
それなのに、同じ気持ちでいたことが嬉しくて愛おしくて、柔らかい唇があまりにも気持ちよくて、自分と肌の質感も違い、柔らかくてもちもちしてて、吸い付くような肌に早く裸の海を見たくて、清楚な姿を淫猥に浸らせたいと、我慢出来ずにありとあらゆる手段で、抱いてしまった。
生々しい程、まだ海を忘れることなど、出来やしなかった。海を抱いた激しい雨の日、好きだと、目の前の快楽に浮かされてとろんとした目で事ちらを見る彼女が愛しくて、可愛いと、女に対して庇護欲抱いたのは、初めての事だった。映画のセリフだと思っていたのに無意識に言葉をついたのはらしくもないその単語だった。
バラバラのパズルを組み合わせ、点と点は線で結ばれて男が全てを理解した時、もう海はこの地から立ち去った後だった。彼女の真意をわかりかねたのは男の知らないそういう理由たちがあったからで。けれど、彼女は男には何も話してはくれず、ただ泣いていた。
……その涙の理由さえも知らずに。
泣かせたのは、海の笑顔を奪ったのは紛れもなく男だ。あの日の彼女の声は、もう今の男には、届かない。あの時、港が見渡せる丘で男は自分の言いかけた言葉を何度も反芻する。
「俺は、海が好きだ」 そう、あの日、言いかけた言葉、言えなかった言葉。伝えたかった言葉達。それは、もう何処にも行けずに今もさまよっている。この雪が降り始めた灰色の空に、虚しく宙に舞う。茹だるような熱に浮かされたあの季節はとうに過ぎ去り、男の住む都会(まち)は冬を迎えていた。
ほら、また思い出はしずかに、ゆっくりと色褪せてゆく。彼女は、もう彼の中から死んだのだと。
TIME
To be continue…
2018.08.18
2020.08.12
2021.01.08加筆修正
prev / next
[読んだよ/back to top]