─13─
男と海は今までのすれ違いを埋めるかのように片時も離れずに同じ時間を共有した。
インフルエンザに倒れた男を手厚く介護したが、元々鍛えていた身として年は重ねても大して酷くもないのか男は具合が悪いのをいいことに、それを危惧して仕事場で寝泊まりしている海の実父が居ないのをチャンスだと海を独占したかった。もう離したくないし、離れたくないと願った。やはり九州育ちの自分に雪国は無理だと改めて思ったのだった。そして、病床に伏せる母親の為にも年が明ける前には温暖な福岡に帰らないとと思いながらも海を求める気持ちは止められなかった。
「リヴァイ、っ、ダメ、寝てなきゃ……良くならない……」
「いいから」
甲斐甲斐しく食事を運び、食べさせてくれて。おまけに身体も丁寧に拭いてくれる献身的な海の手厚い看護のおかげか熱はもうないし、あとは熱が下がって2日ほど経てば完全に復活できるだろう。しかし、元気だろうが病気だろうが、男はずっと海を求めた。
「なぁ、海よ。恥ずかしいのは分かるが、もう余すことなくお前の身体は見たし、お前の知らねぇところはねぇんだが。未だに隠す意味はあるのか?」
「っ……あ、あるの……」
恥ずかしそうに俯きながら、導かれるがままに小さな抵抗をしながらも真っ赤な顔で結局あっという間に着ていたワンピースもフリルのエプロンも取り払われ、自分に流されてしまう押しの弱い海の儚い姿。それだけで男の枯れた情欲は再び火を灯す。
「あっ、でも……またシーツが……っ」
「お前が汚してるんだ。そうか、シーツ汚したくねぇなら、ホテルに行くか」
「えっ!? で、でもでも病気なのに外に出るなんてダメです……」
「なら俺の家に行くか?」
「っ……そんなの無理に決まってるでしょう?きょうは大雪です。飛行機だって飛んでないですし、それにまだインフル治ってないじゃないですか……」
「なぁ、海よ。もう言い訳は言い尽くしたか?」
「ダメ、リヴァイは静養しなきゃ……離して……っ、きゃっ!」
問答無用でベッドに引きずり込むとあっという間に男の腕に捕まり抱き潰す勢いで海を組み敷いた。自分の下で囚われたままの海の真っ赤な顔に口付け、男は最大限のとけるような低く甘い声で海に囁き、抱き締めた。
「もう逃がさねぇよ。ほんとに今の今まで散々逃げ回りやがって、……やっと捕まえたんだからよ」
黙ったまま涙を浮かべて男からの熱い抱擁とキスに応える小さな彼女をようやく男は手にすることが出来た。このまま抱きたい……抱いて壊してしまいたい。男は既に崩落しつつある理性を抑えることはもうしない。
ようやく手にした、結ばれた愛しい存在。ずっと焦がれ、追い求めていたから。あっという間に男の手によって海は男の求めるままに順応に甘い声で自分が求めるのと同じように求め返すようになった。
無知で純情な海はもう居ない。ここに来る前よりあの夏の時みたいに匂い立つ儚げな色香を感じるようになった。色白ですべすべの肌は極上。今まで欲をただ散らすだけだと思っていた行為に初めて男は意味を持った。純情な海をここまで変えたのはあの馬面の元カレではなく自分だという暗い優越感に浸る。叶うなら自分の上で恥ずかしそうに戸惑いながらも声を上げる彼女をあの男に見せつけてやりたいとさえ思った。
今夜も慣れない行為に体力を消費しすっかり憔悴し切った自分よりも小さな海を抱き締めて眠りに落ちる。ああ、たまらない。いい香りのする髪に顔を埋めて柔らかな胸に包まれすっかりご満悦。これが至福ならもう何も要らない。早く自分の家に連れて帰りたい。ずっと今まで離れていて、抑えてきた、耐えてきたからこそ、今は欲望が許すままに病気に甘えて海の麻薬みたいに依存性のある優しさに浸っていたかった。
この先にどんなに過酷な別れが待っていたとしても、今だけは・・・。
▼
「リヴァイ、リヴァイ、起きて。」
「う……ううん……何だ。朝っぱらからヤリてぇのか? 悪ぃがもう若くねぇから朝からは無理だ」
ゆさゆさと揺さぶられ、心地よい夢から目が覚めて。男は寝起きも変わらず不機嫌そうな目付きを残しながらも揺さぶる海の手を取ると海は昨夜のことを思い返し真っ赤な顔から神妙な顔つきに変わり男にスマホを差し出した。
「ば、ばかっ……! 何言ってるの……!? 違うの、ベッドの下にリヴァイのスマホが落ちてたの。そしたら充電無くなっててね、だから慌てて充電したの」
「ああ、悪ぃな。助かる」
「そうじゃないの。いいから見て、」
そうして手渡されたスマホを受け取ると、着信履歴を埋め尽くす見覚えのある名前の羅列に一気に覚醒した。
「ケニー?」
「ケニー?」
「叔父だ」
「あぁ、海外を飛び回っている……」
実の叔父からのしつこい着信。普段一切連絡をよこさない男からの鬼のような着信とメッセージにすぐ様に電話を返すと海は気を遣って部屋を出ていこうとしたが、その手を掴み、男の必死な顔に海も黙って男の隣に座り込んだ。コールを待たずに直ぐに叔父の怒号が響いた。
「おい! このっ、どチビ!! なんで数日も電話に出ねえ! どっかでくたばってんのかと思ったじゃねぇか!」
「悪ぃ、葬式先でインフルになっちまって充電切れてそのままにしてた」
「このっ、馬鹿野郎! ミカサの葬式はもう終わったんだろ?用事が済んだらとっとと戻ってきやがれ!いいか、落ち着いて聞けよ。……クシェルが危ねぇ。いきなり寒くなったし今も何とか命をつなぎ止めてるみてぇで、いつどうなるかわからねぇんだとよ」
長い沈黙の後に普段のおちゃらけた姿とは別人のような叔父の重苦しい声に男は静かに耳をすまして聞き、瞳を閉じて隣にいた海の手を握りしめた。海との再会に舞い上がり、そして漸く結ばれた思いをひしひしと噛み締めていた、浮かれていた男の頭に実母の安否なんて全く過ぎりもしなかった、考えてもいなかった。強く美しい母親がもうそんなに危ないところまで弱っていたことに、どうして傍に居てやらなかったのだろう。唯一の肉親で、女手一つで育ててくれた誰よりも、大切にしてきた恩人を、最愛なる母を。
「海……」
「リヴァイ? どうしたの? 何だって?」
電話を切ると海を抱き締めた。思わず不安で堪らなくなって目の前の愛しい存在に縋りつくしか無かったのだ。
海を守らねばならない立場のいい歳した大人がなんとも情けないと思う。しかし、母親を失う恐怖を目の当たりにした時、目の前の恋しい存在に縋り付くしかなかった。
「海……」
「リヴァイさん?」
「急用が出来た。明日にでも俺は福岡に帰らなきゃならねぇ。もうインフルは平気だろ」
「え、でもっ、念のために大事をとってもう少し……」
「ああ、本当はそうしてぇし、もっとお前と一緒に居てぇんだがな、仕方ねぇ」
この生活がいつまでも続けばいいとそう願っても。叶わぬものは叶わない。自分たちは夢ではなく現実を生きているのだ。そろそろクリスマスの夢から覚めて現実を見るべきだという啓示なのか。
男は最後に海に提案した。
「なぁ、海よ」
「どうしたの?」
あれは、最後のデートとしたあの日。海と離れたあの海の見える丘の話。
「最後に、お前の好きな海が見てぇ」
ここを離れる前に、男は少しでも記憶に、思考に、焼き付けておきたいと思った。海が好きな地元の景色を。これからも。永遠に。
▼
「そうか、んだよな、お前も年明けまではいられねぇよな。帰省ラッシュ巻き込まれちまうもんな」
翌朝、迎えた別れの日。海の父親への挨拶を手短に終わらせて男は父親に頭を下げた。
「はい。申し訳ないですが……ただ、また近々改めて挨拶に伺います」
「えっ?」
「あのね、お父さん」
そこで口を開こうとした海を遮り男は愛娘の海を大切に思う父親に告げるのだった。
「もっと早くお話しするべきでしたが、娘さんとこの度お付き合いさせて頂く事になりました。勿論、今すぐでは無いですが近い将来結婚を前提にと俺は考えています」
「リヴァイ……」
結婚を前提に。思いもしない単語が自分の口から飛び出したことに自分自身驚きながらも男は父親に告げて頭を下げた。自分の年齢を考えれば確かにこれが最後の恋だと。いや、今まで結婚をしたいとさえ思わなかった。女手一つで苦労してきた母を思うと自分には到底理解が出来なかった感情。子供なんて考えたことも無い男が今は海との未来を見据えている。
「そ、うか……そうか……なんと! いつの間に! いつからだ!? いや、そんなのは後から聞けばいいか!? お前達はそんな感じしてた!! いやこれホント!! お互い見てないところでボケっとお互いの事眺めてたしよ、ただ、俺の娘は今はこんな状態だし、元々おっちょこちょいでそそっかしくて母親似で不器用だし、毎回何かやらかしてお前に迷惑かけるかもしれねぇ……けどよ、愛嬌はいいし、嘘もつけねぇ素直な子だと思う。お前さえ良かったら、貰ってやってくれると嬉しいよ」
「お父さん……」
「良かったな、海。三十手前で嫁に行けるなんてなかなかねぇぞ?大事にしろよ」
小さな頭を撫でながら父親は優しく微笑んだ。
「落ち着いたらまた呑もうや」
「はい。お世話になりました」
普段荒々しい叔父の口調そのままの男が珍しく丁寧な口調で頭を下げそう告げ、二人は父親の店を後にした。
そして、次に向かうのは海が好きな冬の浜辺。吹きすさぶ風は荒々しく2人の体温を奪うも、片時も離れず二人はこの数日で何度も抱き合い絡めた手を繋いだ。
海辺を眺め、男はずっと吸うのを我慢していた電子タバコに手を伸ばし、そして、緊張と安堵から腰をおろすと静かに呟いた。
「お前は……最初から、俺と来る気はねぇんだろ?」
「っ……」
核心を突いた男の言葉に海は結婚を前提にと言ってくれた男への感謝を募らせながらもどうしても捨てきれない思いを吐露し、その瞳には微かに涙さえ浮かんでいた。
「責めてるわけじゃねぇんだ……泣いてねぇで。ハッキリ言えよ」
「ごめんなさい……っ、あんな風に言ってくれたのに……っ、でも、私、今、こんな状態なんです……リヴァイに迷惑かけちゃうだろうし、きっと、今の不安定なままでいたら、また夏みたいになってしまう……そしたら、リヴァイと離れなきゃいけなくなる……」
「俺は構わねぇ。病気だろうがなんだろうが、無理やり治したりとかなんてしなくていい。お前1人くらい楽な生活させてやれる……。それに、お前と離れたら俺の方が、参っちまいそうだ」
「リヴァイ……」
「海……愛してる」
本気で互いを尊敬し、そしてわだかまりが解けてお互いの境目がなくなるほどまでに深く愛して、そして、本気で添い遂げたいと思ったのは後にも先にも彼女だけ。その愛があるからこそ、お互いを深く思うからこそ海は。
「はい。私も、愛してます。だからこそ、あなたに釣り合える相応しいちゃんとした人間になりたいの。自立して、お薬も要らなくなって、仕事もちゃんと出来るようになりたい。そのっ、あ、赤ちゃんだって欲しい……。だから、しっかりした奥さんになってリヴァイを支えたいから。だから……待っていて、貰えますか?」
「ガキか……。そうだな。ガキなんて今まで考えたこともねぇが、お前の子なら、可愛いと思うのかもな。けどよ、俺はそんなに気長に待てるタイプじゃねぇし、結構寂しがり屋だ。耐えきれなくてお前を無理やり福岡に引っさらってでも連れて行っちまうかも知れねぇが……まぁ、お前がそう決めたなら、お前は曲げねぇだろうからな、やれるだけやってみろ」
「リヴァイ……」
「春にでもなりゃ少しはここも暖かくなるだろ?そしたら、またお前に逢いに行く。」
「私も……リヴァイさんに会いに行きます」
見つめ合い微笑む二人。ただそんな二人を包むように海は静かに広がって居た。二人は手を繋いでゆっくり海岸線を歩いた。思い出を噛み締めるように、別れを惜しむように。
風が冷たく、冷え切った空気は澄み切って、酷く乾燥している。ちらちら見えた儚くも溶ける雪のような淡い感情に言葉にさえならない。
抱き合い、二人は幾度も唇を重ねていた。これからはまた別の道をゆく、しかし、それは別れではない。
この想いは永遠に消えないのだ。男は静かに海を抱き締めて噛み締めた。次の別れは永遠のサヨナラではない。海とは同じ空の下でいつでも繋がっているから。
急ぎ帰る空港のガラス越し、今度はしっかり向かい合って2人は束の間の別離を選択した。永遠の別れなど無い、そう信じて。
To be continue…2018.12.30
2021.01.09加筆修正
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