─12─
こんなにも静かで聖なる夜に。雪の舞い散る街の片隅で果たされた願い。今まで同じ気持ちでいた人はコインのように表と裏ですれ違っていた。
不器用な男は漸くその隙間を優しい体温で埋めることが出来た。
それは今までにない程、心から満たされた最後の誕生日前の夜。きっとあの日、自分が生まれたのはこんなにも寒い冬の日。母が一生をかけて自分を愛し産んでくれたこの日を感謝せずには居られない。男にとって一生忘れられない思い出となった。
翌朝、男は心も身体も満たされた気持ちで目を覚ますのだった。精根尽きるまで愛しい女を抱き尽くしたその表情は晴れやかで、普段恐れられている死んだような三白眼の鋭い目付きやクマはなりを潜めその表情は晴れやかで普段よりも穏やかに、柔らかく見える。
そして、自分の隣で昨夜の行為の激しさに気を失うように、枕に突っ伏したまますやすや眠る海を見た。化粧を落とせば子供みたいにあどけない寝顔。そして、何も身にまとわない色白なその首には昨夜、自分が贈ったゴールドのシンプルなネックレスが輝き、男は漸く本当の意味で心も身体も海と結ばれたのだと、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
無駄な毛のない手入れの行き届いた綺麗なむき出しの背中に触れて、口付けて、そして優しくその髪を撫でてやる。すると、海は冷たい男の手に驚き小さな声で身じろぎ、そっとくるりとうつ伏せからリヴァイを向くように横向きになると、大きな瞳がぱちりと開き、男と視線が交わった。
「……おはよう」
「……ん……あ、おはようございます。リヴァイ……」
とろんと。気だるい空気を纏い囁くような男の声はこんなにも甘く優しかっただろうか。昨夜の余韻に少し気まずそうに、まだ海の優しい色素の瞳は昨夜の行為の激しさを物語るかのようにまだ微かに潤んでいて。
そしてお互い何も身にまとわない姿。海はその事にも気付かずに普通に起きあがり、そして自分が裸だと気が付くと、一心に注がれる彼の目線に恥ずかしくなり真っ赤な顔で慌ててベッドに伏せてしまった。
「あっ、あの……っ」
「海」
今更恥じらうも何もあったもんじゃないが。しかし、昨夜の余韻と朝の生理現象も手伝い海の何処かあどけないのに儚いその姿にすら欲情し、男のまだ燻っていた情欲に火を灯す。その朧気な瞳を見つめるだけだ。
昨夜、海の甘い声が悲鳴に変わるほど泣いて気を失うまで行為に不慣れな海が痛みよりも心地良さを覚えるまで抱いたのに。まだ飽くなきこの欲求は消えない。
「えっ……んん、リヴァイ……どうしたんですか?」
「悪い」
海が悪いのか、それとも、いい歳をしたもはや四十手前がまさか思春期の男子のように朝の生理現象でそのまま行為にもつれ込むとは。
「痛むか?」
「い、いえ……ただ、何だか違和感が」
久方ぶりに男を受け入れた海のそこは痛まないか、昨夜はいくら喜びに振るえていたとはいえ、些かやりすぎたから。
もしかしたら自分はただ欲望に餓えているケダモノなのか。
下半身の熱が静まらない。海が足りない。あんなに求めても、馬鹿みたいにまた海を求めてしまう。
「海」
「えっ!?リヴァイ!?あ、無、無理です、昨日だって……その、も、もう、ダメですっ」
「そうだな。俺も……もう無理だ」
「え?」
「ずっと欲しかった女を前にして、今更抑える事なんか俺は出来ねぇ。わかったな」
不安そうに首を傾げる海に小さく謝罪をし、男はまだ起きたばかりで昨夜の余韻に足腰も立たない海の腕を乱暴に引くと海から戸惑いと朝日が爛々と射し込む一室に晒され、小さな悲鳴があがった。
「リヴァイ!? えっ、あのっ、待ってください……! こんな、明るいところで……!?」
「ああ、悪くねぇ。お前がよく見える」
「やっ、ダメっ! これ以上は……!」
「ずっと……お前を、こうしたかった。お前をやっと抱けるのによ、……それを止めろなんて無理な相談だ、いいな」
「よ、良くないです……! あ、待って、あっ、んっ」
男は上から下まで舐めるように海のありのままの姿を眺めると、それは満足したように自分の元に引き寄せ、昨夜の余韻を残すベッドへと彼女を組み敷いたのだった。
▼
「悪ぃ」
「……ん、ん、」
ぐったりとベッドに仰向けのまま固まってしまって動かない海の胸に顔を埋めたままの男に触れた時、海は意識も途絶え途絶えになりながらも昨夜から感じていた確かな違和感を口にするのだ。
行為だからではない、息も荒く手は氷のように冷たい男の身体が今は燃えるように熱い。いつも蝋人形のように真っ白の男の頬も今は赤らんでおり、まるでそれは・・・
「リヴァイ、あの、もしかして、熱があるんじゃないんですか?」
「違ぇよ。心配すんな……そんなわけねぇだろ」
問いかけに苦しげに応答し、その灰色の鋭い瞳は何処か朧気で、普段にも増して海には扇情的に見えて首から下の彫刻のように鍛え抜かれた肉体を晒しているのもあって、まともに直視できない。
敬語はナシだと散々教え込むように。低く甘い毒を孕んだ声が何度も名前で呼ばせた為に呼ぶ名は呼び捨てなのに、理性が戻れば敬語はまだ抜けきれていない海。お互いにぐったりしたまま大きなベッドで抱き合って見つめ合う瞬間、海は自分の胸に縋るように抱き着いて離れない男の異変に気付くのだった。
「駄目ですよ。もしかしたらインフルの可能性もありますし・・・ホテルから出たらどこか休日でも診てくれる病院を探してちゃんと診て貰いましょう?」
海としては、シャワーを浴びてこのままホテルの豪華なモーニングを堪能したかったが、こんなにも求められるとは、思わなかったから・・・。まさか、ずっとベッドに縫い付けられ、壊れてしまいそうな程に愛され、息さえもできないほどに離してくれる筈もなくて。こんなにも愛する人に求められるのはそれは幸せなこと。海はこのまま彼が福岡に帰る日まで毎晩求められ続けたら自分の身体はどうなってしまうのかと、本当に彼無しで自分は居られなくなってしまうと、彼を失うことへの恐ろしさも感じていた。
チェックアウトの時間も差し迫る中で、男は荒く息を乱し、ゆっくり起き上がるもまたベッドに突っ伏してしまう。暖房の効いた部屋で悪寒が止まらない。それなのに身体は燃えるように熱い。一体自分はどうしたと言うのか。昨夜の行為の激しさにまだ身体が熱を帯びているのだろうか。しかし、それは違う。
「リヴァイ、あの、保険証とお薬手帳はお持ちですか?」
「オレの身分証明書……一体何に使うつもりだ?」
「やっぱり、病院に行きましょう……」
昨日の今日だ。原因はいくらでも。もしかしたらお互いに裸で寝たから、それが原因で風邪を引いたのかも。と足腰もフラフラの海は頑で、ベッドに突っ伏す男の腕をようやく掴んだのだった。
そこで男の視界は暗転する。身体も鍛えており病気には殆どかかったことが無かったはずなのに。
しかし、福岡の温暖な気候で育った男に北陸の寒さは容赦なくて。海の声と共に、男は意識を混濁させるのだった。
▼
「リヴァイさん」
朧気な夢を見ていた。優しい声で微笑むエプロン姿の相変わらずまだ幼い少女のような風貌の海がそっと自分をベッドに寝かせて、そして一生懸命作った美味しそうな卵の入ったお粥を食べさせてくれる。
「良かった……食欲はありそうですね。お薬も飲んでくださいね」
「……悪ぃな」
「いいえ。いいんです。夏の時・・・私も沢山ご迷惑おかけしたから……」
診断の結果は言うまでもなくこの時期猛威を奮っているインフルエンザだった。自覚症状は確かにあった。高熱と悪寒、慣れない環境、いくら男が精神的に鍛えていたとしても男は誰よりも潔癖で神経質で繊細な一面を持っている。潜伏期間を経て昨日ようやく手にした安堵と安らぎに一気に張り詰めていたものが解き放たれて病に冒されたのだと知る。
「お父さんには前もって連絡したので安心して休んでくださいね」
「……いい、迷惑かけたくねぇ。俺は帰る。お前にも感染しちまうぞ」
「そんな……インフルの人がむやみやたらにお外を出歩いたら駄目ですよ!ちゃんとお熱が下がるまではここにいてください。それに、私今働いてないですしずっと傍に居ます。前にインフルの予防接種は受けてますし、だから、安心してください。ただ、お父さんはインフルの予防接種受けてないのでクリスマス終わるまではしばらく職場で寝泊まりするそうなので、安心してください」
にっこりと手をにぎりしめ薬を飲ませようとする海を男はぼんやり見つめる。本人は自覚がないのだろうか。こんな時に家にはふたりきり、邪魔する父親は暫く帰ってこない。そんな中漸く結ばれた男と女がふたりきりの空間にいたらどうなるかなんて。
「海……」
「どうしました?」
「苦しい……熱くて、おかしくなりそうだ……」
こんな時にしか、仕事でもう関わることもないからこそ年下の海にしか見せられない姿。ずっと、ずっと触れたくて仕方なくて、たまらなかった。だから、今すぐこの隙間を埋めて欲しい。
「海……」
「リヴァイ、だめ、です……」
「楽にしてくれ。熱くて死にそうだ」
病気で普段よりも弱気な声に、庇護欲を駆り立てられる。海の優しさに甘えて居たくなり、男は熱を分け合うかのように海をベッドに引きずり込むとそっと口付けをした。
「リヴァイ……」
こんなにも求めて止まないのはなぜなのか。自身の危機に瀕して子孫を残そうとする男の本能が、そうさせるのか。それとも、目の前の海が自分を狂わせるのか。
「飲ませてくれ……」
「でも、」
「早くしろ」
急かすように、海は目の前で待つ飢えた目をした男の姿に無心で身体を差し出すしかなかった。本当に彼の温もりに、心地良さに飢えているのは彼よりも自分だと言う自覚はある。
経口飲料水を1口、息を乱して苦しそうな男の燃えそうな咥内に吸い込まれて行き、その氷の冷たさが男の熱を多少冷やしてゆく。
「っつ……!や、冷たい……」
「ああ、冷たくて気持ちいいな……海」
普段よりも甘いその声にどう逃げ出せばいいのか。彼の身体を気遣い、労るのならこんな風に抱き合うなんて良くないのは分かっている。けど、その灰色の鷹のような鋭い瞳に見つめられた時から、初めて出会った福岡の夜からもう自分は彼の腕から逃れることは出来ない。
海は不慣れな姿のまま初めて自分から彼を抱きしめてあげた。氷の冷たさはもう何も感じなくなるほど、2人は暖房の効いた部屋で欲望が尽きるまでまた求めあった。
「海……一緒に福岡に来てくれ……」
朧気に呟いて、男は静かに海の腕の中で眠りに落ちた。裸の海を抱き締めながら、静かに寝息を立てる男を見つめて、海は静かな声で、そっと何かを秘めたかのように意識を混濁させたまま眠る男に答えるかのようにそっと抱きしめ返し、綺麗な寝顔に口付けて、普段と違い乱した刈り上げの髪を撫で、海は返事をした。
「私は……リヴァイとは……一緒には暮らせません」
まるで儚い雪のように。穏やかに聖なる夜は更けてゆく。
離れていた分の距離を埋め合い激しく二人は求め合っていた。部屋の温度が高まり汗を浮かべる程。その傍ら、男の穏やかな気持ちとは裏腹に、ベッドの下に落ちたままの充電が切れかかっているスマホからは狂ったように男を呼ぶ叔父からの電話が鳴り響いていた。
To be continue…2018.12.24
2021.01.08加筆修正
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