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─09─

 海の事を思えば思う程男は苦しむ事になる。葬式が終われば自分の役割は終わる。それはつまりここを去らねばならないということ。いつまでも海の傍には居られない、しかし、なかなか2人で話す切っ掛けも無く、まして海の父親の手前、なかなか病弱な海を二人きりなりたくても肉体関係は覚えても恋愛に慣れない男は海をどこかへ連れ出す事も出来ないまま意気地無しの男はそろそろ温暖な故郷へ逃げるかのように、戻らねばと思案していた。
 あっちに戻ったらきっとこういう風にきっかけがない限り二度とこの地に足を踏み入れることも無いだろう。そして、まだ若く未来ある海はきっと自分など忘れてきっと新しい恋をする。好きだとも言えなかった、泣かせてばかりの自分では無くもっと、素敵な人と。
 あの年下の目つきの悪い元彼の方がまだ海を大切にしていたかもしれない。あの目が今も海を忘れられずにいるのは、海を同じく忘れられない男にはよく分かっていた。
 これなら早めの年末休みなど取得しなければ良かった。どうせ家に帰ったところで独り身の男はまた寂しくクリスマスに歳を重ね、そして虚しくもひっそりと年越しを迎えるだけなのに。



 葬式を終え、ミカサの旧友や親族の皆が海の家に集まり語らう中で男は1人悶々とした気持ちを抱え黙々と海の父親と酒を飲んでいた。
 しかし、幸いなことに海に良く似た面影を持つ父親は男を何かと気にかけ一緒に酒を飲むのを楽しんでくれているのか色々世話を焼いてくる。どちらかと言えば父親の方と歳が近いのもあり母子家庭だと言えば俺達と似てるなと、お前も苦労したんだな。とほろ酔い気味のたるんだ笑顔を浮かべ熱燗を勧めた。
「海〜! 元上司のために熱燗をなぁ、もっともってこい!」
「もう、わかりました」
 喪服のワンピースの上からフリルのエプロンをした海の間延びした声がキッチンカウンターの向こうで手を挙げ返事をする。普段おとなしい海も今日は親しい人たちとの語らいに心を穏やかに笑顔で周りに料理やお酒を愛想と共に振舞っていた。
「(クソ……何なんだその服はよ……可愛すぎだろ……)」
 しかし、男はそのエプロン姿で自分にお酌をしてくれる海がなんだか結婚したばかりの新妻に見えてきて、流石に酔いが回ってきてきるなと感じる。香水を変えたのかまた違うふわふわとしたいい香りがし、恋しい女が近くにいると酒に浮かされた思考はどうしても卑猥なことを連想させる。
 またあの夏のように触れたいと。女は歳を重ねるに連れ性欲を増す。というが、男はその真逆ではなかったのか?どうして目の前の彼女を見ると・・・こんなにもやるせなくなるのか。
 その時、向かいに座っていた例のリヴァイの憎悪を加速させる対象が突然立ち上がろうとした時、大きな音を立て海がまだ持ってきたばかりの熱々の熱燗を思い切り倒したのだ。それはしゃがんでいた海のタイツに包まれたしなやかな足に思い切りかかった。
「キャッ、熱い!」
「海!」
 リヴァイにとってはすでに脅威であり嫉妬の対象である彼女の元カレであるジャン・キルシュタインが海の足にかかった熱い熱燗を冷やそうとおしぼりに手を伸ばしたその時、言葉よりも先に条件反射ですかさず身体が動いたのは男だった。
「馬鹿野郎!そのままじっとしてろ!」
 男は海を軽々とお姫様のように抱き上げ、浴室へ直行する。海の父親はその姿に呆気に取られ、ミカサは目を丸くし、その背中を見送る。火傷は時間勝負、そう、患部を真っ先に冷やすことだが、それよりも海を守ろうとした男の必死さがひしひしとその平均男性より小さいのにやたら厚みのある背中から伝わったから。
「あっ、あの……! 何をするんですか!?」
「ったく、お前もボケっとしてるから酒なんか浴びるんだろ」
 ずんずんとリビングから冷え切った廊下を進みバスルームのドアを蹴破る勢いで開け、服も脱がせず男は海を黒いタイツのまま浴室の椅子に座らせ、冷水のシャワーをすぐに浴びせた。
「ほんと、ドジだなお前は」
「あ、っ……ごめん、なさい……」
「ったく、初め出会った時もそうだったな。俺のズボンに熱々のお茶かけやがって」
「……それは……あの……」
「海」
「……っ、何でしょうか」
 バッチリと視界が交わって。ああ、自分は本当に意気地無しの男だと実感した。海の黒いタイツに包まれた無防備な脚を眺めながら、無意識に触れる事しか出来なくて。
 「リヴァイ……さん」
「痛むか?」
「っ! 痛く、ないです……」
「なら、早くそのタイツ脱げ、」
「え?」
「早くしろ、」
 皮膚に張り付くタイツを脱がせれば火傷した皮膚はそのままタイツにくっついて剥がれるのではないかと危惧はしたが、直ぐに冷水をかけたのでタイツ越しでも軽傷なのは見て取れる。違う、本当は見たかったのだ。堪能した海の素肌を。
 恐る恐る、しかし、リヴァイの灰色の瞳に見つめられて海はそれでもその瞳に逆らえずに真っ赤な顔でタイツを脱いだ。しなやかな脚に透けて張り付いたように絡みつく黒い薄いタイツ。
 そこから見えた真っ白な生脚にリヴァイは無意識に触れていた。相変わらずきめ細やかな白い肌をしていて、当たり前だが無駄な毛もない。触れたそこからしっとり吸い付くようで……とにかく、そそられてたまらない。
「あ、あの……何を? っ!」
 ビクッ、と大袈裟に肩をはね上げ、海は目の前の男に釘付けになる。なぜなら目の前の男は愛おしげに海の火傷を受けた皮膚の上を優しく撫でるように触れてくるから……。
 濡れたような表情を浮かべる目の前の男にときめくなと言われても、海はどうしても彼を拒めない。
「海……」
「あっ……!」
 ちゅっ、とつま先に恋しい女の触れたかった肌の温度を。男は夢中で海のつま先に口付けるとまるで姫に忠誠を誓う騎士のように跪き、キスをする。
 潔癖症は嘘だったのかと思う程、男が自分のそんなところにキスをするなんて・・・海は恥ずかしくて必死に抱え込まれた脚を降ろそうとするが屈強な肉体をした厚みのある身体つきの男の力の前では非力な身体はどうすることも出来ない。ひとつひとつ足の指に口付ける男の鋭い瞳に射抜かれ、体が言うことを聞かないのだ。
「ん、やぁ、……っ、リヴァイさん……っ!」
「(やっと、俺の名前を呼んでくれた)」
 まるで、あの夏を彷彿とさせるような、海の甘い声。ああ、離したくない、このまま、あの馬面の元カレが帰るまでこのまま二人きりの空間に閉じこめて置けば……。
 聞こえた悪魔のような囁き。浴室に響くの海の声に興奮しているのは男も同じだった。
 今の男は誰よりも飢えていた。そう、まるで狼のように、獣のように、海という女を求めていた。
「リヴァイさん、ひ、あっ……ダメです……、あ、んぅ、誰か来たら……それに、こんなのっ」
 海が戸惑いながらも酒に浮かされ真っ赤な顔で必死にこの状況から逃れようと身じろぐも男が許さない。海をここで繋ぎ止めないと、きっと・・・男はもういまにも暴れだしそうな暴力的なまでに渦を巻く理性で隠した本能を、抑えられなかった。背後から抱き竦めるように腕を回して男は海に耳寄せ男は低い声が海の鼓膜を震わせ、聴覚を奪って抵抗さえもなくしてゆく……。
 湯のない真冬の凍えそうな冷え切ったバスルーム。それなのに二人は今にも火照りそうな酔いに浮いた顔をして、今にも自分の腕の中でしなだれかかるように崩れ落ちそうな海の艶やかな姿。
「い、あっ、ああっ……やめてっ、も、リヴァイさん、っ……」
 男はもう逸る気持ちを抑えられなかった。ずっと触れたかった女が目の前にいる。上げた脚の向こう側、微かに柔らかそうな太ももの間からチラチラと垣間見える下着にさえも興奮してしまう程、今更何を躊躇う必要がある。散々焦らされて、もう逃がしはしない。
 今にも唇が触れそうな距離で、男は低い声で囁くように、まるで海は毒蛇に睨まれた草食動物のように大人しくなった。
「海……あの時の続きだ。お前にハッキリ答えを伝えようとした。なのにいきなり泣いたり逃げやがったり、何めんどくせぇことしやがる」
「だ、だって、……あなたには……ペトラさんが、」
「あ?」
「っ……リヴァイさん、ペトラさんと付き合ってるんじゃないんですか?どうせ、田舎に帰る私は後腐れのない欲求不満解消の遊び、だったんですよね?」
 ペトラ。ああ、やっぱりその事が海を苦しめてきたのか。だからあの時も泣いたり、そして塞ぎ込んだり、やがて無断で仕事を休んだりしたのかと、今までの奇行の原因が点を線で結び今繋がった。
「オイオイオイ……まさかほんとうにそうだったとはなぁ。オイ、海よ。聞きたいことは山ほどあんだが俺がいつ、ペトラと付き合っていると、いつ、お前に言った?」
「えっ……」
「お前は何を見て勝手にそう思い込んだ?いや、部署の連中共も勝手に浮かれて誤解して、外堀囲んでお前を追い詰めたのは間違いねぇだろうな。けど、ハッキリ俺は周りにもペトラにも言ってやった。俺は、お前が好きだと、心底惚れてる、何なら嫁にしてもいいくらいお前が好きなんだよ」
「えっ!?」
「じゃなきゃあんなクソ眠ぃ真夜中にタクシー拾ってお前のとこに会いに行くわけねぇだろ、ンな事も分かんねぇのかその脳ミソは」
 突然の男からの愛の告白に、海は真ん丸な目を更に見開いて、まるで信じられないと言わんばかりの顔で男を見た。いつにも増して今日の男は良く喋る。そう、それは海が居なくなり、行き場所を無くしてさ迷っていた今まで言えなかった不器用な男の言葉の亡霊達だ。
「黙って逃げるように勝手に帰ってそのまま俺の傍から居なくなりやがって……。ペトラはあいつがまだ下の毛も生えてねぇガキの頃からの近所馴染みだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」
「嘘……だ、だ、って……確かにあなたがペトラさんと……」
「まだ信じられねぇのか。この頑固な脳ミソは。ペトラは頑固でも馬鹿でもねぇ。俺の気持ちが今誰に向かっているのか理解して俺の宛で入社したあの仕事も辞めてさっさと身を引いた。お前に申し訳ないと、言ってな」
「じゃ、じゃあ……今までの……は、」
 濡れた表情から困惑した表情に変わった海。今までの出来事を振り返れば無理もない。自分はただ無駄に誤解して勝手に傷ついていた、そして辛いは自分だけだと、彼を恨みやがて塞ぎ込んでしまっていただけなのだと。それを自覚した時、海は今までのことを悔やみ、そして恥じるのだった。
「おーい!海!大丈夫かぁ!?」
 ガラッと開いたドア、姿を見せたのはそんな会話をしてるなど、つゆ知らず。ほろ酔い気分で呑気な海の父親の姿だった。
反射的に距離を取る二人に父親はさっきまで漂っていた雰囲気など知らない。
「火傷してからすぐ冷やしたしもう大丈夫だろ?リヴァイ、どうもな。ジャンに海が傷物になったら責任とって嫁にしろ何て言えねぇもんよ。これで嫁入り前の海も安心。あと、もうお開きだ。みんな帰るとよ、お客様をお見送りだ!」
「う、うん。今行くねっ!」
 ドアが開く前に脚をおろし、唇と唇が今にも重なってしまいそうな距離をさりげ無く取った男は父親がいなくなったのを確かめゆっくり立ち上がると海に振り向き様に声を掛けた。
「もう平気だな? あとは夜中もそのまま患部を冷やしておけ。後から来い。そんな真っ赤な顔で人前に出るな」
「……っ、わた、し……」
「この葬儀が終わり次第俺は明日にでも戻ろうと思う」
「えっ、」
 それは男なりの不器用に傷つけた海への愛し方だった。経験だけ無駄に重ねろくに人を愛した事などない、愛の告白。そんなの、もってのほかだ。しかし、今はさんざん傷つけ誤解させてしまった自分を責め、そして償いたいという本心でいっぱいだった。
 試すように、捨て台詞のように。男はそう告げ、静かにバスルームを後にした。微かに手に残る海の温度も、肌の匂いも、甘い声も。夏を越えた冬、空想ではなくリアルに触れてしまった今、もう失いたくはないと願ってしまった。

 
To be continue…


2018.11.14
2020.01.08加筆修正

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