エルヴィンは監禁暴行された傷を抱えながらもその背に再び自由の翼を纏い、立ち上がる。未だ行方不明のままである一部の中央憲兵とそしてこの壁の実質上の支配者だったロッド・レイス。エレンとヒストリア奪還作戦へ移動を開始する調査兵団達よりも自由の身となったリヴァイ班達は先行して夜の月明かりの下、馬を走らせレイス領地礼拝堂へ向かっていた。
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その一方で、レイス卿領地にある礼拝堂。しかし、そこの表向きの建物は礼拝堂だが、それはカモフラージュであり、その地下にはレイス家の秘密が隠されていた。どんな成分で出来ているかはわからないが、今も眠り続けるアニを包む硬い氷のような成分と同じようなもので出来ているのか、其処は深く輝く青の世界で包まれ、その一番高い場所でエレンは上半身裸の状態で両手両足を鎖に繋ぎ、その両手は指先まで包帯でぐるぐる巻きに拘束され、眠るように気を失っていた。
エレンが囚われている牢獄のような世界は眩く輝き、昼夜変わらず照ら均一の光が放たれていた。巨人化の条件である自傷行為も出来ないように口元には猿轡が嵌められて囚われの身の状態のエレンは微睡みの中で夢を見ていた。
エレンが朧げな記憶の中で見たもの、それは、前にも見ていたミカサより長く艶めく黒髪を櫛で梳くヒストリアによく似た高貴な佇まいが美しい女性。エレンが記憶の狭間、鏡越しにこちらを見つめていたその黒髪の女性がこちらを不思議そうに見ている何とも奇妙な夢を見ていた。
「何だ……!?」
目を覚ますとそこに居たのはいつの間にかラ私服から清廉な白に染まるローブを着たヒストリアだった。彼女が心配そうに崖上のエレンに優しく呼びかけている。
「エレン!? 起きたの!? もう少し辛抱してね、大丈夫だから」
「……(無事だったか……! ヒストリア!)」
じゃらり……と音を立てて拘束された鎖が揺れる、しかし、喋りたくてもエレンは巨人化の条件である自傷行為が出来ないように猿ぐつわをかまされていて何も話すことが出来ない。
「エレン……聞いて、私のお父さんはこれまでもこれからもこの壁に残された人類すべての味方なの。私達には誤解があったんだよ……! 確かに彼ら(中央憲兵)は調査兵団の邪魔をしたし、ニック司祭や商会のおじさん達は彼らに殺された。でもお父さんはそうするしか無かった。そのすべては人類を思ってやらざるを得なかったの」
いきなり何を言い出すのか、戸惑うエレンに対しヒストリアは再会した父であるロッド・レイスの言葉を完全に信じ込んでいるようだった。その背後では何か話をしているロッドとケニーの姿が見える。するとロッドはゆっくりとヒストリアの背後へと歩み寄り、エレンへ呼びかけた。
「ヒストリア。後は私から説明しよう」
「(思い出したぞ……確か……オレの最後の記憶はこの二人だった……どのくらい時間が経った? ウミ……兵長……あいつらは……調査兵団は今どうなっている…?)」
きょろきょろとあたりを見渡すエレン。生きて来てこの方今まで一度も見た事もない幻想的な空間を見て何かを感じ取るかのように見渡している。
「(……この壁……? 何だ? うっすら光ってる……時間がまったくわからねぇ……いや……そうじゃなくて……オレは……ここに……来たことが……ある……? ヒストリア……お前はそいつに何を言われたっていうんだよ、……オレは――攫われるのはこれで何回目だ??)」
「どうした? 君はここに来るのは初めてだぞ。だが……見覚えがあっても不思議ではない」
「(……? どういう意味だ?)」
ヒストリアの手を取り、見晴らしのいい祭壇のような場所で拘束されたエレンに向かって歩みを進めるヒストリアの手を引くロッド・レイスにエレンは警戒したように彼を睨む。エレンの背後に立ち、何を思ったか突然エレンの背中に掌を向けたのだ。
「お……お父さん……エレンに、説明を……」
「あぁ……そのつもりだ。だが一つ試してみようと思ってな……。私達が彼に触れるだけでいい、説明と言っても彼はここで起きたことの記憶がどこかにある。こうすれば彼は思い出すかもしれない……」
「え?」
「この場所なら少しのきっかけを与えるだけでもしくは――」
ロッドの突然の発言に戸惑いながらも、父に言われるがまま彼に倣う様にエレンの背中に小さな掌を押し付けるヒストリア。
2人の手がエレンの非力だった少年から今は兵士として成長段階の鍛えられた剥き出しの背中にゆっくりと触れた、その瞬間−突然エレンの中に背中から伝わるように激しい光が脳髄を駆け巡る、エレンの脳裏には自分ではない「誰か」の記憶が一気に稲妻のように駆け抜けたのだ。
まるでフラッシュバックするように駆け抜ける記憶の中でエレンは見つけたのだ。
――馬車を走らせ夜の礼拝堂へ侵入していく人物、それは紛れもなく自分の父親。
――手と取り輪になって祈りを捧げるレイス一家の姿を見つけた。
――自分を睨み付け、同じように親指の付け根を噛んでフリーダが居る。
――女型の巨人と化して自分へ攻撃を仕掛けるフリーダの姿、
(これは…何だ…? オレの見たものじゃない…違う!! 誰の記憶だ!?)
――巨人の腕に掴まれて助けを求めるレイス家の子供たち。
――子供を見捨てて逃げるロッド・レイスの姿。
――まるで証拠を消すかのように、火に包まれた礼拝堂
――避難する人々の群れの中で見つけた調査兵団の証である自由の翼の腕章を身に着けた制服を着た黒髪の少しくたびれた印象の男、それは紛れもなくエルヴィンの前の前団長でそして自分達訓練兵時代の教官だったキース・シャーディス。
ーそして幼いエレンの掌に握らされたのはあの惨劇の日の最後の平和な朝、父グリシャが渡すと言っていた「地下室の鍵」を掌に巻き付け、泣き喚く幼きエレンに注射を向ける手、涙を流すグリシャの顔。
「(……この鍵!! これは……!? ――まさか……)」
――泣きわめきながらも無理やり注射を体内に注入され、叫びと共に巨人化する幼いエレン。
――理性を無くした巨人化したエレンが掴みかる先に見えた両手、そしてその瞳に移ったのは紛れもなく自分の父親の最期の光景。激しく駆け抜けるそれはまるで稲妻のように、一気にエレンの脳裏を埋め尽くしていく……。
――その後、骨と化した巨人の抜け殻の中で人間に戻ったエレンの手には父親のメガネと靴と、そして地面にはもうどこにも居ない、物言わぬ抜け殻とかした父親の腕の一部だけが横たわっていたのだった。
――「お……とう……さん……? あああああぁああああああ!!!!!」
「どうだ? 思い出したか? お前の犯した父親の罪を……」
ロッド・レイスとヒストリアがエレンに触れた瞬間、エレンの中にあるグリシャの記憶が一気に呼び起こされたのだ。これは誰の記憶だと言うのか、衝撃的な記憶のふたが開いた事で未だ放心状態のエレン、エレンに触れたヒストリアもエレンと同じように強制的に封じられてきた幼き孤独だった頃の記憶が一気に蘇る。
――「すごいよヒストリア!!もうこんなに読めるようになるなんて」
「だって、おねぇちゃんが教えてくれるから」
「あ、だめだよ鼻水垂らしてちゃ。ヒストリアはもうちょっと女の子らしくしないと!はい、かんで」
本を読んでいたヒストリアの可愛らしい顔には似つかわしくない鼻水がぶら下がっている。それを見た黒髪の女性はすぐさま取り出したハンカチを鼻にあててやると、ヒストリアは勢いよくそのハンカチに鼻水を吹き出した。
「ふんんんんん」
ズビーという激しい音を立ててヒストリアはお言葉に甘えて勢いよく鼻をかむ。その勢いにその女性は満足そうに微笑んだ。
「おう。出た出た。はい、よくできました」
「ねぇ?」
「ん?」
「「女の子らしく」って何?」
「そーだね……女の子らしくっていうのはこの子みたいな女の子のことかな」
女性は一緒に読んでいた本に描かれた悪魔にリンゴを差し出す金髪の長い髪をした少女(クリスタ)を指差し、優しく微笑んでいた。
「クリスタ??」
「ヒストリアもクリスタが好きでしょ?」
「うん!」
「クリスタはいつも他の人を思いやっている優しい子だからね。ヒストリアもこの子みたいになってね。この世界は辛くて厳しいことばかりだから……みんなから愛される人になって助け合いながら生きていかなきゃいけないんだよ」
「……うん。じゃあ……私、おねぇちゃんみたいになりたい」
「え!?」
その言葉が後のクリスタ・レンズの人格を作り上げていた事を知らず。純真無垢なヒストリアのその言葉に頬を赤らめながら女性は耳を疑うも、尚もヒストリアが言葉を続ける。
「私……大きくなったらおねぇちゃんみたいになれるかなぁ?」
「……いいよ!!」
「わ!?」
「いいよいいよ、ヒストリアはそのままでいいよ!!」
自分になりたいと微笑んでくれるヒストリアがいじらしくて小さな彼女がとてもかわいくて。女性は胸をときめかせ、まるで懐をガシッと鷲掴みにされた気分だった。そんな彼女の思いがけない言葉に嬉しさを押し隠せない。しかし、こうして二人で過ごす時間は日に日に限られていく。許されざる面会の中で女性はもう頃間とヒストリアへ告げた。
「ごめんねヒストリア。もう時間になっちゃった。今日も私のことは忘れてね。また会う日まで」
そうして呆然とするヒストリアへ、コツンと額を当てる女性に幼少のヒストリアは一体何を、そう思った瞬間。
「え?」
女性がヒストリアに向き直り、互いの額と額を重ね合わせた瞬間驚くべき現象が起きた。ヒストリアの脳内をまるで電流のようなものが流れ一気に全身を駆け抜けていく。そうして、気付いた時には女性は静かに柵を乗り越えてスタスタとその場を去って行く後ろ姿だけだった。やがて、その本が風にあおられページをどんどん捲っていく…。
「あれ? あの女の人……だれ……?」
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「あぁ……あ……」
「……どうした? ヒストリア」
呆然とするヒストリアに声を掛ける父、ヒストリアは額に手を当てたままその場に立ち尽くしてい居り、みるみるうちにその青くて大きな瞳には透明な涙がじわじわと浮かびあがっていく。ヒストリアの記憶の中でもエレンと同じように今まで閉じ込められていた記憶の引き出しが開いたようだった。
「……何で……何で……今まで……忘れてたんだろう……私は、一人じゃなかった……。私には……あのお姉さんがいた……私に……本を……読み書きを教えてくれた。優しくしてくれた…あの人のことを忘れるなんて……」
「……フリーダと会っていたのか?」
「……? フリーダ?」
「その子が長い黒髪の若い女性であれば…おそらく彼女はフリーダ・レイス。お前の腹違いの姉だ、」
「え……」
「フリーダはお前を気にかけ、時折面倒を見ていたようだな。お前の記憶を消していたのは……おそらくお前を守るためだ」
「え? 記憶を消す?」
「あぁ。しかしそれも、ここで彼に触れたことで記憶の蓋が開いたらしい」
「……え??(エレンも何かを思い出したの……?)ねぇ……お父さん……フリーダお姉さんは今どこにいるの? 会ってお礼が言いたいの。お姉さんがいなかったら私……。あの時のこと、ありがとうって伝えなきゃ……!」
記憶の蓋が開き思い出したのは優しい少女の存在、何と彼女は自分の腹違いの姉だったのだ。そうして自分は決してあの柵の中で孤独ではなかったのだと、その安堵と喜びに涙を流していた。そしてどうしてそんな大事なことを忘れてしまっていたのかとさえ思った。
自分は決して一人ではない、必要としてくれる人、教えてくれたあの黒髪の女性は何と自分の大切な血縁者で、腹違いの姉だったのだと。その事実に胸を震わせ感激に打ち震えるヒストリアに対し、ロッドは静かに告げた、あまりにも残酷な事実を…。
「……フリーダはもうこの世にはいない……」
「え……」
「私にはフリーダを含む5人の子供がいた……。しかし……妻も5人の……フリーダを含む子供達も全員。5年前ここで彼の父親、グリシャ・イェーガーに殺されたのだ。グリシャは「巨人の力」を持つ者だった。彼が何者なのかはわからない。目的はレイス家が持つある「力」を奪うこと。グリシャが求めるその力とは……フリーダの中に宿る巨人の力だった。フリーダの巨人はすべての巨人の頂点に立つ存在……いわば無敵の力を持つ巨人だった……。だが……それを使いこなすにはまだ…経験が足りなかったようだ。フリーダはその真価を発揮することなくグリシャに食われ、その力は奪われてしまった…その上彼は…我々一家に襲いかかった。レイス家を根絶やしにするためだ。14歳のディルクと12歳のエーベルを叩き潰し、10歳のフロリアンを抱えた妻ごと踏みつけ、最期は長男のウルクリンを握り潰した。奇しくもその場から生き残ったのは私だけだった……」
今まで封じられていた記憶を思い出し、呆然とするエレンに浴びせるようにロッドはヒストリアを宥めるように抱き締め畳みかけるように自分の行方不明だった父親が起こした残酷な昔話をした。ヒストリアの大きな支えだった姉は家族もろとも殺されてしまったのだ、そう、エレンの今も行方不明の実父、グリシャ・イェーガーによって…。そしてそのグリシャも既にこの世を去っていた、幼き自分は巨人となり父親を喰い殺してその力を継承していたのだ。
「そんな……お姉さんが……。どうして……そんなひどいことができるの?」
唯一の生き残りとなったロッドからレイス家のあまりにも悲惨で残酷な末路を聞いたヒストリアは残虐非道な行為を起こしたエレンへ憤怒を露わに無言の背中へぶつけたのだった。重い沈黙が支配する空間の中、長い脚から靴のかかとを響かせながらこの場に似つかわしくない陽気な声がする。三人の元へ崖下から歩み寄って来たのはケニー・アッカーマンだった、まるで盗み聞きするように会話を横切り茶々を入れる。
「オイオイオイオイオイオイ、なぁにのんびりくっちゃべってんだぁあんたら。外はどえらい事になってるってのに」
「ケニーか。何が起こった」
「調査兵団がクーデターを企てて全兵団が寝返った。王様は偽物だってバレちまったし、お偉方も全員逮捕された。大変めでてぇ状況だよ。ここが見つかるのも時間の問題だ。さっさとやること済ましてくれ」
「あぁ……わかった。君たち対人制圧部隊は入口の防備を固めてくれ。儀式を行うにはまず君たちがここから離れることが必要だと言ったはずだ。なぜ君はまだここにいる?」
「何だ王さま? 怒っちまったか? 俺は便所探してただけだよ デケェ方に用事があって……」
「ケニー……君を信用しているぞ。行け」
「俺もだよ、王さま」
ふざけた様なケニーにまるでお灸をすえるかのように苦言するロッドに対して複雑な表情を浮かべるケニー、内心舌打ちしつつ、その場を立ち去って行くと、本来任されている自分の任務へと向かう。
「チッ、……油断もクソもねぇ……」
その手には巨人ではなく同じ血が流れる人間の血を奪う道具。おそらく向かって来るだろう、自分にはわかる、何故なら彼はかつての自分なのだから。幼き日のリヴァイを育てたケニーは静かに迫る戦いとこれから始まるは自分の願望「大いなる夢」をかなえるための戦い。その為にはどんなものが立ち塞がろうともこの手で奪うと決めたのだ。例え銃口を向けるその相手が、自身の最愛の生き写しだとしても…。
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クーデタ−が成功し、兵団によって全てが統治された王都・中央のエルヴィンが監禁暴行を受けていた地下牢では王政幹部を表現にするにはあまりにも屈辱的な姿に拘束し、嬉しそうに拷問を楽しむザックレーの本性が明るみになっていた。
「これからは一切の食事を「下」から摂取していただくことになっております。また、着用できる衣服は膝から下の物までとします。そして週に1度は、民衆の前でその姿を披露していただきましょう……。美しい……これ以上の芸術作品は存在し得ないでしょう。何十年もかけて考案した甲斐があった。そして、あなた方が虐げた民の前でそのお姿を晒して、ようやくこの作品は……完成を迎えるのです」
「ザックレー……今に見てろよ……お前のその血は奴隷用の血だ……我々名家の血筋とは違ってな……お前はすぐに記憶を失い、排便の仕方すら忘れ――「ダハハハハッ!! また同じ脅し文句を垂れたな!! 他のヤツは! 無いのか!?」
至極楽しそうに笑いながらザックレーはその醜いぶよぶよの腹に一発見舞うと、椅子に逆立ちに座らされている大臣の股間から直接繋がっているチューブを黙らせるように口に嵌めて高らかに笑い声をあげるのだった。
威厳ある兵団の総統がまさかこんな不埒であまりにも変態じみた妄想を日夜繰り広げていつかそれを王政実行するために虎視眈々と胸の内に秘め従っていたなんて思いもしなかっただろう。どんな貴族よりも悪趣味な変態思考、その光景を見て誰もが言葉を無くしており、それは稀代の変人と呼ばれるピクシスも同じだった。
広場では未だ行方不明のエレンとヒストリア奪還作戦に向け、出発の準備をしていたエルヴィンの耳にも届いていた。そんな彼に事実を口にするここまで共に戦い抜いたピクシスが現状報告にやってくる。
「まずいのうエルヴィン……。王政幹部は皆同じことを吐きおったぞ。お主と父君の仮説通りじゃ。レイス家は人類の記憶を都合良く改竄できるというわけじゃ。しかも、奴らを含む一部の血族はそれに影響されないといった口振りだったぞ」
「……!! そんなことが…」
「レイスがエレンの持つ「叫び」の力さえ手にすれば、民衆の反乱なんぞこともなしというわけじゃ。その証拠に皆恥じもせずべらべらと喋りおったわい…ぶたれるだけ損とばかりにのう、」
父がかつて導き出した仮説である「107年前に人類は王によって統治しやすいように記憶を改ざんされた」は実際にそうだったのだと認められた。
無残にも殺されてしまった自分の父の分までこれまでエルヴィンが長年真実を求め、いつかその父の抱いた夢を必ず自分がその仮説を突き詰めると言う思いだけで今までその思いだけで生きてきた彼はようやくここに来て父の仮説を証明することが叶ったのだった。
今までその秘密を守り続けてきた王政・貴族達は父の抱いたその仮説通りに王政、レイス家がこの壁内人類の記憶を幾らでも改ざんできるのだと、実際にそうだったのだと認めたのだった。
しかし、それならばそんな王政たちにも背いた異端児だった今は亡きあの貴族の男はそんなこと一言も話さなかった。そんな彼の思いを組んでか彼と親交もあったピクシスが今は亡き彼の分まで答える。
「クライスの小僧じゃが……。あいつは恐らくは知らなかったのだろう……いや、教えてもらう前に彼の父親は病死したからな……」
まだアインリッヒ大学で学生をしていた頃に突然父親が死んだと知り彼は自らの意志とは違う方向へと人生を変えられ、突然父の爵位を引き継いだのだ。莫大な遺産や土地を引き継ぎそんな混乱の中で王政の秘密も知らされぬままがむしゃらに生き抜いた。もういない男の屈託のないあの人を馬鹿にしたような笑みがエルヴィンの脳裏に描かれた。
「なるほど……そうか。司令、ではそんな重要な情報さえ、我々はいずれ忘れ去ると……」
「じゃがまぁ……どの道ザックレーの手にかかり、我らの拷問を受け続けた方がマシだったと思っておるじゃろう。わからん奴じゃ……。あれが生涯を捧げてやりたかったことだとはのう……」
なんと、ピクシスはザックレーが今まで秘めていた変態じみた野望を既に知っていたのだった。思わず口を滑らせていしまい、黙り込むももう遅い。
「……! 司令……知っていたのですか……」
「むぅ……口が滑ったな……いかにも。ダリス・ザックレーの野望には感付いておった……。ワシはお主と違って賭け事は好まん……。また……お主らと違って、己よりも生き残る人類の数を尊重しておる。お主の提案に乗ったのはそれが人類にとって最善だと思うたからじゃ。その結果王政に付くべきじゃと風が吹けば……ザックレーと争うことも覚悟しとった……とまぁ、ワシらクーデター直後のお仲間同士でさえこの有り様じゃ……いつか人は争いをやめるとか誰かが謳っておったが……それはいつじゃ?」
背中を向けたままでエルヴィンにそう問いかけるピクシスにエルヴィンは沈黙した。重い沈黙が支配する中で同じく釈放された調査兵団の生き残りたちが準備を終えたと彼に指示を促した。
「団長! 総員準備が整いました! いつでも行けます!!」
終わりなき人と人の戦い、巨人がこの世界からもしいなくなってもまた誰かがこうして新たに自分達が建設したこの体制の崩壊を狙う過激な集団が未来にいつか生まれるのかもしれない…自分達が起こした革命の代償はあまりにも重い…これからの見えない未来に不安を吐露し、背を向けたピクシスに対し、エルヴィンは極論とも言える発言をしたのだった。
「人類が一人以下まで減れば、人同士の争いは不可能になります」
「……ははは……そんな屁理屈が聞きたかったわけではないわい」
「総員整列!!」
調査兵団・団長としての威厳とと共に彼は調査兵団のマントを羽織り革命時から一団長として颯爽と馬に乗り込み高らかに部下たちに告げる。
「これよりエレン及びヒストリア奪還作戦を開始する!! 目標と思われるレイス領地礼拝堂を目指す!!」
エルヴィン達も先行してレイス卿領地に向かったリヴァイ達を追いかけるようにクーデタ−の舞台となった王都ミットラスを背にこれからの暗雲立ち込めた未来へ進軍を開始するのだった。
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眩い幻想的な空間に似つかわしくない場所で銃の冷たく光る音がした、絶えず発光する謎の鉱石のような成分で青く光る礼拝堂の地下に広がる巨大な地下空洞。そこの最奥で今も囚われの身のままのエレンそしてヒストリア。聳え立つ石柱の中で礼拝堂に続く隠し扉から見えない死角で自分達対人立体機動部隊の為の足場が組まれている。ここで今から来る来客を迎え撃つのだ。
そこではエレンとヒストリア奪還を目指して必ずリヴァイ率いる彼らはここへたどり着くと睨んで待機する対人立体機動部隊のメンバーたちが居た。ロッドの元に居る代わりにここの指揮を託された副官のトラウテが生き残りの部下たちに指示をする。
彼女たちもストヘス区での急襲でリヴァイの返り討ちに遭い仲間を殺された恨みを持っている。そして、もう一人、厄介な敵がいる。リヴァイの他にもあの魔女の娘が居るのだ。
「数は少なくとも7人以上……その中には当然リヴァイが含まれる。知っての通り、リヴァイは完全な奇襲を受けた上で、我々の仲間を12人も葬った。後……もう一人、ミナミ・アッカーマンの娘が生きている。見た目は確かに弱そうだし、とても魔女と呼ばれた女には似ていないが、その見た目に騙され三人殺されている。そしてー…どうやら我々中央憲兵の本部も王政も兵団が寝返ったことで全部制圧されてしまったらしいじゃないか……。厳しい状況だよ、この狭い世界じゃ……投降した後に私達を待っているのは、死んだ方がマシな日々だろう……でも……それってこの壁の中で生きてる限り同じことでしょ? 敵いっこない敵(巨人)がいて、いつ壁を破って私達を滅ぼしに来るかわからない。私達が憲兵を選んだのも、中央憲兵を志望しケニーの元に付いたのも、そんな無意味な世界と無意味な人生に…意味を見出すため……。ならば最後まで信じてみよう。この世界を盤上ごとひっくり返すって言うケニーの夢を……!」
トラウテが力強くそう皆に呼びかけそれぞれは行動を開始した。今、リヴァイ班達、そして対人制圧部隊、それぞれの意志を駆けて全てはウォール・マリア奪還作戦の為に。なんとしても失えない最後の戦いが始まる。秘められた思い、全てを暴くために、その手に震える刃は鈍く光を放った。
2020.03.28
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