THE LAST BALLAD | ナノ
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#74 二度と約束の地には戻れない

「マルロとヒッチの協力が無かったら…今もあの場に残された私達、どうなっていたかなぁ……」
「こんな時に考えたくもねぇ話だな」

 これ以上人を殺すのは……。銃を手にしているジャンの手が微かに震えている。決意はしたが、みんな今まで同じ壁内の人類で、殺した事も、殺す事もないと思って生きてきた。まだうら若き少年少女、彼らの手を汚させることを強要したのは上官である自分だ。
 部下の手を汚させることを強要したこの責任は大きい。そんな自分がそう簡単に愛する者と結ばれる未来なんて描いていい筈が無い。もし王政が崩壊して新たな体制が出来るとして、果たして手放しに喜べるものなのかと、リヴァイは人知れずにそう思い始めていた。その重みさえもその身に受けて、流れる血の果てにリヴァイは思う。もし調査兵団のクーデターが成功したとしても、きっと調査兵団はそのクーデターで市民たちから王を奪った過激な危険集団だと誤解されたままクーデターを終える事になるのではないか、と。
 しかし、もうこれしか手段が無いのだ。未だジャンの覚悟は未だ危うげで不安げだ。しかし、精神的に追い込まれ、普段なら出来る善か悪の見極めも今は判断できかねる程に疲弊していたリヴァイ、しかし、部下の前で気丈でなければ頼ってついてきている部下たちを不安にさせる事になる。それに、目の前で同じようにその手を血に染めてそれでも過酷な運命に抗う存在をもう二度と失わない為に。
 マルロとヒッチ二人が今の調査兵団の協力者として信頼に値する人物かを見極めたのはジャンであり、自分達が今こうして茂みの中を進むのは彼のお陰だ。彼なりに覚悟を決め、そして自らの目で正しいと信じた事に行動を起こしたのだ。
 彼は調査兵団に入ってから人間的にも成長し、その姿は頼もしささえも感じた。大事な親友であり自分にとっての良心だったマルコの死によって大きな転機を迎えたジャン。
 誰よりも正しいことを見極める力がある彼の短期間での成長ぶりはあまりにも大きい、きっともっと年月を重ねれば数年後、調査兵団には欠かせない人の上に立つにおいて重要な人物となっているだろう。
 人類最強のリヴァイとはまた違う、ジャンは決して強くはないからこそ、誰よりも弱者の人間と対等で在ることが出来る。それを慕う人間も出て来るだろう。誰もがリヴァイのように強くいられない人もいる、そのリヴァイも決して完全無欠の英雄と呼べる存在ではないのだが。
 マルロとヒッチの協力でそのまま深い闇の中に紛れ、中央憲兵の拠点となる古城へと静かに忍び寄る一同。

「こんなにすぐ辿り着けるとはな。あの二人とジャン……お前らのおかげだ。
 行くぞ……! 今度はこっちから仕掛ける」

 協力者のお陰でここまでこれたことをリヴァイは噛み締め、そして目の前の館に向かって力強いリヴァイの号令に一同は頷き行動を開始した。茂みの中で体勢を低く様子を窺いつつ、リヴァイ達は接近する。少数精鋭で突入し、そして荷馬車を守るのはアルミンへ託し移動を開始した。
 不意打ちを受けながら何度も何度も今まで危険な目に遭った。今度はこちらから攻撃を、反撃の狼煙を上げる番だ。リヴァイはサネスを拷問した際に交わした言葉を思い返し、思わずウミのどこかここではない遠くを見ている横顔を見る。
また何か一人で考えているのだろうか…。今度こそ離れないように、あんなにも確かめたのにどれだけウミを離さないと願っても彼女はここではない遠くを見つめている。自分でさえも届かないその未来を。
 しかし、明かせない事実があるウミと自分の間に宿った命を消したのは紛れもなく中央憲兵、そしてウミの母親の差し金だ。彼女の母親は頑なに自分達の間に生まれてくる命、そして自分達が手を取り合う未来を悲観していた。何故なら自分はかつて彼女の母に殺されかけたのだ。強烈なトラウマだ。幼く無力な強さを切望していた幼き自分、死の淵に落ちていた時、彼女は恐ろしい顔つきで叫んでいた。

――「呪われた血は私たちの代で全て断ち切る…!!」

 しかし、あの母親も今はその身に子を宿したと知り、心を入れ替えたのだろうか。子供を産みたいと願うのは女の本能なのだから仕方がない、あの人間性さえも失われた母親から生まれたとは思えない目の前のウミの愛らしい眼差しにこの残酷な現実で淘汰された命を告げたところでこの世界にとっくに絶望しているウミにもうこれ以上の残酷な現実を与えたくはない。
 その事実を知ればウミはきっともう二度と自分に微笑むことは無いだろう。ウミにはこの楽園に束の間でもいいから優しい夢を見ていて欲しいとリヴァイは切に願っていた。終わる事のない夢の中で自分は彼女を幸せだけで囲いたいのだ。永遠に。残酷な事実にはどうか目を伏せていて欲しい。と、そう願っていた。
 中央憲兵は許しがたい罪を犯した。自分達の家族を殺した者達、裁くのはこの手。

「ウミ、お前はジャン達が陽動してる間にミカサと手分けして突入しろ、ガキどもは頼んだぞ」
「えっ……? でも、リヴァイ……あの、兵長は?」
「今更言い直さなくてもいい。俺が中央憲兵の親玉を捕まえて引きずり出してくる、この混乱で逃げれられちゃあ作戦もパァだ」

 リヴァイ自らで中央憲兵の親玉を取っ捕まえる。そして拠点に潜む影を叩くのだ。中央憲兵の拠点となる館へはリヴァイの連日の行ないから一時は不信感と猜疑心でいっぱいだった新兵のジャン、コニー、サシャたちが自ら名乗り出た。
 昨日の戦いで手を汚したアルミン、汚さざるを得なかったが、アルミンの覚悟を見て三人も心を入れ替えリヴァイ班の一員として同じ人間と戦うと、まだ十代の若者である彼らも覚悟を決めた。

「ジャン、コニー、サシャ、気を付けてね」
「まっかせてください!」
「やるしかねぇよな、ジャン」
「あぁ……もう二度とヘマなんかしねぇよ」

 ウミの声を背に狩猟を生業として暮らしていた森育ちのサシャは完全に武器を弓矢に変え、三人は馬車を走らせ行動に出る。ウミも深く雨具のフードを被り直し、いよいよこっちが今度は反撃をするのだと覚悟を決めた。意味も分からぬまま殺されたハンジ班の三人の思いも背負い、まだ血の匂いが立ち込める気がしてその剣のグリップを握り締めるのだった。人を殺さずに済むのなら、誰も人など殺したくはない、
――「だッ……誰がッ!! 人なんか殺したいと!! 思うんだ!! 誰が好きでこんなこと!!こんなことをしたいと思うんだよ!!」
 あの時、涙ながらに叫んだベルトルトの嘆く言葉がウミの脳裏にはあった。

「ウミ、お前こそ行けるか」
「あ、うん……」

 同じ人間と戦わなければ守れない、この世界も、エレンとヒストリアも。誰だって人は殺したくないだろう、それは目の前のリヴァイも同じだ。

「今回は親玉をとっ捕まえてエレンとヒストリアの居場所を吐かせるのが目的だ。それ以外の奴等はその戦力を無力化させるだけでいい、」
「兵士長。具体的にはどのようにすればいいのでしょう」
「お前は容赦がねぇからな…そうだな、逃げる手段さえ奪えばいい、」
「分かりました。なら、足を狙って動けなくさせます」
「早く、影を退治してエレンとヒストリアの事を取り戻さないとだよね…」

 リヴァイの言葉にミカサと共にウミは頷くと、ミカサの言う通りの方法を脳内で考えながら馬車で突っ込んでいくジャンとコニーとサシャの雄たけびにも似た気合十分な叫びを耳に暗闇に紛れながらこの壁の世界を牛耳る影を倒しに古城へと潜入を開始した。

――「「「うおおおおおおお!!!」」」
「いきなりなんだ!?」
「侵入者だ! 相手は立体機動装置を装着している」
「何でここが割れるんだ!?」
「知るか、早く逃げろ!」

 突如突っ込んで来た馬車にここは憲兵でもごく限られた人間しか知らない極秘裏に隠された場所でもあるがゆえに、住民や夜盗の襲撃など起こり得ない。その考えは根底から覆されるのだった。
 リヴァイ率いる調査兵団の残党の襲撃はあっという間に中央憲兵達を混乱に陥れた。その中を突き進むリヴァイ班達は次々と中央憲兵の足元に狙いを定め、抵抗する間もなく中央憲兵の一同は皆戦闘不能へと陥れられた。中央憲兵らの脚を狙い刃で攻撃するミカサ、コニー。その吹き抜けの屋根上からはライフルで攻撃するジャンと、弓矢で援護するサシャ。突然の襲撃に次々と戦闘不能に陥り慌てふためく中、天窓から姿を見せたのはウミだった。

「こんばんは」
「は???」

 ひらりと床に着地すると目の前で呆然とする兵士の顔を見つめる。

「私の事、覚えてますか……?」
「は……、いや……」
「あなた達が抹消しようと企んでその度に返り討ちにされてきた……けど、ウォール・マリア陥落の時に瓦礫に押しつぶされて死んだミナミ・アッカーマンの娘だよ」
「な……!」

 かつて自分の母も中央憲兵時代にこうしてこの連中の中に紛れていたのだろうか。自分もサネスと何度か情報交換でやり取りをしていたが、本拠地までを知ることは無かったが母はここで暮らしていたのだろう。
 恐らくここで壁の事実をたまたま知ってしまったり、たまたま壁や王政や歴史に疑問を抱いただけ、それを口にしただけの自分が密告した者達も含め罪もない住人たちが少しの芽さえも摘み取るように情報隠蔽の為に殺されたのだろうか。
 静かにこの場に似つかわしくない状況の中で挨拶を告げたウミ。母の名前を出すも自分は母には似ていなのだろう。突然告げられた名前に戸惑い、いつも強く美しく凛と背を正していた彼女とは相反する柔らかな雰囲気を纏うウミの問いかけに疑問符を抱いたまま兵士は硬直する。
 そして、聞こえない返事の代わりにウミは先に飛び蹴りを見舞ったのだった。背は低いが鍛えてきただけある、それはきちんと顔面に命中し兵士は壁の奥まで吹っ飛んだ。
 中央憲兵との制圧戦にサシャたちの叫び声が聞こえる。彼らも暴れ周り、リヴァイの言う陽動役として館内を攪乱させているのだろう。ウミは失神した兵士の顔をまじまじと眺め彼がここの親玉ではないことを確認した。
 奴等は用心深い、そう簡単には教えないし、大事なエレンとヒストリアの行く先を知る人物を殺してしまわぬように動けなくさせる。
 自分達が襲撃をしている隙に今にも逃げ出そうと企む悪の親玉を捕まえるのだ。今まで巨人相手に命懸けの死と生の境目ギリギリで任務をしてきた自分達にとって中央憲兵の根城を叩くなど赤子の手をひねるくらい至極簡単な作戦。エレンとヒストリアを探しつつそれぞれが中央憲兵の根城をあっという間に制圧した。

「オイ……動くんじゃねぇぞ調査兵団……もう諦めろ……」
「そう、一応、挨拶はしたんだけど……それに、あなたたちこそ突然私たちの大切仲間の頭を吹っ飛ばしたじゃない……動かない方が身の為だけど、私たちの団長は??」
「残念だがもう何もかもが手遅れだ、エルヴィン・スミスの処刑と共にお前たちの命もここで終わるんだよ」

 ウミは自身に向けられた銃口にいち早く気付くとそのままくるりと振り返り体制を低くして相手の足元に潜り込むと鈍色の刃にウミの顔が映る。そのまま逆手に持ち替えるとウミはそのまま脹脛の部分を狙いブレードで切り裂いたのだった。

「ぐあああああ!!」
「勝手にそんな事決めないでくれる?」

 削いだ部分が飛び、抵抗する間もなく足を抱え冷たい床へ倒れ込む、リヴァイには足元を奪え、逃げられないようにしろと事前にミカサと確認したが、その通りに制圧は行われた。
 兵士たちの叫び声を耳に、リヴァイは周囲の混乱に生じて静かに裏口から潜入した。潜入した豪勢な洋館内の空気は淀んでおり、洋館内は中央憲兵の悪事を包み隠さずに露わにしていた。王に守られし集団は王の影で暗躍しては壁の秘密に近づいた住民たちを面白おかしく拷問し、時には娼婦を呼んでは乱痴気騒ぎ、時には貴族たちと酒を飲み、賭け事に勤しんでいたのだろう。不衛生極まりないこの空間は潔癖なリヴァイにとっては毒でしかない。

「(くせぇな……)」

 地下街を髣髴とさせる鉄格子が続く地下の先、この中にヒストリアとエレンの姿を探すが、どうやらこの不衛生な空間にはいない。それは気配で分かる。そして20年ぶりに対峙したあの男の姿もない、いや、彼らが率いる部隊はここが根城ではないようだ。奴等はもっと別の所に居る。早くエレンとヒストリアのを連れて向かうその先を割り出さねば…。
 地下特有のムワッとした熱を感じ、何故かここにいると地下街にいた時を思い起こされて昨日の交戦で久方ぶりに人間を手に掛けて以来、いや、サネスを暴行した時と記憶がリンクして五感から感じ取る陰鬱した感触に酷く高ぶる気持ちを抑えきれなくなる。

「(駄目だ……消えろ)」

 それは自分の身体に流れる忌まわしい呪い。まるでリミッターが外れたように本能だけに支配されて、暴走する心を押さえられなくなる。血の匂いに本能が高ぶるままにウミに対してその感情をぶつけてしまったあの日の後悔はもうしたくないのに。地下街にいた時の殺伐した世界をほうふつとさせるこんな場所など早く離れるべきだ。
 ざわめく建物の内部をあっという間に占拠したリヴァイ班たち。地下には幾多もの牢と拷問部屋があり、ここで多くの人間が秘密裏に殺されたのだろう。ウミは初めて潜入した中央憲兵の根城の中でリヴァイ達が暴れているのを見届けながら一番の親玉を探す。その時、ウミは秘密裏に逃げ惑う髭面の男を見つけた。胸元には勲章をぶら下げ、長い髪を束ねた。

「私が、誰か……覚えてますか」
「き、さまは……確か、あの女の……」
「そう、話が早くて助かります……」

 そう告げ、突然暗闇の中から姿を見せたウミは逃げ出そうとしていた男の脚を迷わず狙うと、そのまま突き刺した刃で力なくとも貫通力にも優れた巨人殺しの刃は太腿から脹脛を貫いてそのまま射出すれば命はあるが、完全に逃げることは叶わなくなった。心など捨てろ。
 自分達の未来の為に。ウミはずいっと人形のように色白な顔を近づけて貫通した刃を揺らしながら尋ねた。

「ぐううぅっ!! やめろ……! やめろ……!」
「……そう言って……たくさんの人があなた達に拷問されながら死んでいった……」
「っ……お前だって……同じだろうが…お前が密告してた人間はお前のせいで死んだんだよ!」

 その言葉にウミの手が止まる。
そうだ、自分はこっち側の人間だ。痛い位に理解している、鈍器で殴られたような衝撃にウミの剣を持ち上げた手がガタガタと力なく震えている。図星で

「そうね、私も密告してたから同じよね…とても許されるようなことじゃない……私もしかるべき罰を受けるべきだと、理解してるから…でも、今はまだ罪を償うまで猶予が欲しいから……だから、教えて欲しいの」
「うぁああああ!?」
「あんたらの親玉は何処に隠れてるの? 逃げ出そうとしても無駄よ、私たちはもうここまで来た。もう引き返すことは出来ないの。エレンとヒストリアの手掛かりを得るためなら地の果てまであんたらを追い詰めて…聞き出してやる」

 ふわりと揺れる髪は柔らかそうなのに、見つめるウミのその目には押し隠せない狂気が秘められていた。まるで狼のように獰猛な…兵士はその気迫に圧され、口から小さく零れてしまった。隊長は地下に居ると。それはケニーの事だろうか。ウミはまた彼と戦う事になるとは、とかつての恩人との戦闘、対峙に身震いした。本当に恐ろしい人間だった。
 リヴァイもミカサも底なしに強いが、あの男は本当の化け物の親玉だった。彼には対話して聞きたいことがある、彼の切れ長の目はあまりにもリヴァイに酷似している…彼は、リヴァイにとってどんな存在なのか、そして、自分の母との関係も、自分はそんな二人の間の子供だったのか、ならどうしてリヴァイと自分は同じファミリーネームなのか。
 次々と浮かんでは消える疑問符の中でウミはふと、持っていた剣を収めて既に失神している兵士を蹴り転がしながら人間との戦いに疲弊しているミカサ達に先に退避してと促した。

「リヴァイを探してくる。隊長は地下に隠れたみたい、リヴァイに知らせて来るね」
「わかった。ウミ、気を付けて。あなたにこれ以上何か起きたら私たちは……」
「ごめんね。手のかかるお姉さんで……大丈夫だよ」

 いつも自分が心配してあれやこれやと世話を焼き、過保護になっていたのに、いつのまにかミカサに心配されるような立場になるとは思いもしなかった。まだ十代の少女にまで心配されるほど自分はすっかり弱くなったのだろうか。
 地下への道を見つけて歩いていくともう既に動けない兵士たちが転がっている。寸分の狂いもなく足だけから血を流して…。リヴァイは正確に本当に足だけを狙って攻撃したらしい。

「ウミ、全員無事か、」

 聞こえた声に振り向くと一人、長い黒髪にひげを蓄えた男を引きずりながら通路の向こうの暗がりからリヴァイが姿を現した。

「リヴァイ……よかった……エレンとヒストリアは!? エルヴィンは?」
「探したがエレンとヒストリアの2人はいなかった。エルヴィンも残念ながらな。お前たちは大丈夫か」
「うん、大丈夫だよ」

 これから自分に起こる尋問にも似た暴力。それがこれから始まる事を怯えながらリヴァイに引きずられる人物にウミは見覚えがあった。この男が隊長か、間違いない。

「私、この人知ってる……」
「そうか、間違いないようだな」
「うん、この人が隊長だ。間違いない。サネスに命令してた……」

 暗闇の中でも分かるのだろう、そう告げるウミと彼女を睨みつけるその髭の男。そうしてふわりと漂ったウミから香る香りがいつもより濃く感じ、リヴァイは今にも暴れ出しそうなこの感情に押し流され、たまらずその腕を掴んでいた。

「リヴァイ……どうしたの?」

 リヴァイが苦し気に眉を寄せ、呻く声にウミが顔を覗き込むとリヴァイはウミから漂うその強い香りに五感を刺激され、流れる血がまるで麻薬のように染み込み強靭な理性で暴れ出しそうな心臓を押さえようとするが、余計早鐘を打ち鳴らすように気分が高揚しその目が訴えていた。
 この空間はリヴァイにとって過去の記憶を呼び起こす最悪な環境であるらしい。彼の身体に流れる血に染まった戦闘本能は今自分に向けられている。

「ウミ……」
「リヴァイ……リヴァイ…落ち着いて。連続で人間の血ばかり見て当てられたんだよ。ここはあの場所によく似ている、だから、早く出よう。ね、」

 ウミは彼が理性で必死に本能を抑え込んでいるのを知ると早くこの陰鬱な館から脱出だと彼を支えながらなるべく急ぎ足で彼を出口まで導いた。
 今にもこの暴力にも似た本能を今すぐウミに叩きつけたい、彼女をこんな穢れた血の本能に晒したくはないのに。何故か無性に疼いてたまらないのだ。壁外に居る時よりもウミが居る事で余計に今煽られた。しかし、外に出て夜風に当たれば次第に顔をのぞかせた血まみれの本能は静かに消えていった。その流れる血の本能が全ての迫害の原因である事を知らないまま。

「アルミン、撃たないで! 私達だよ!」

 館内に居た中央憲兵の人間は皆、血に倒れ伏していた。待機していたアルミンが茂みをかき分ける音にすかさず銃を向けると姿を見せたのはリヴァイとウミ達だった。全員無事だ。安堵する中でアルミンは長髪で立派な髭を顔に蓄えた男の襟首を掴んだリヴァイに目線が行く。

「兵長、その人は?」
「中央憲兵の親玉だ、こいつには聞くことがある。移動するぞ」



 中央憲兵の根城を抜け、森の中に潜むと月明りだけがやけに明るく照らす場所でリヴァイの綺麗な蹴りが憲兵の男を勢いよく木の幹に叩きつけるように蹴り飛ばしたのだ。

「やめ……ろ……ぐふぅっ!」

 抵抗の言葉はリヴァイの蹴りが奪う。バキッ、ボキッ!と蹴り上げる度に痛々しい暴行の音が反響する森の中でうっすらと照らされた月明かりに浮かんだリヴァイの顔に表情は無い。新兵達はまた始まった暴行に目を反らすように周りに意識を向けてなるべく見ないようにしている。しかし、ウミは目を反らさずにそんな最愛の男の背中を黙って見つめていた。
 全ての感情を殺し、エレンとヒストリアを見つけ出す為に非情なる手段を使う、どんな手を使っても男は非情に徹した。森の奥では男の苦しげな声と、リヴァイの足から繰り出される蹴り。しかし、髭面の男は何度も何度もリヴァイに蹴られても頑ななにその口を割らない。リヴァイの蹴りの強さに口から洩れるのは苦悶で、あまりの痛みに声も出せないのだろう。木の根元に叩きつけられた男の前にリヴァイがゆっくりしゃがみ込む。
 逃げ出されないようミカサが背後で静かに控え、恐らくこの世界で一番強い人間が同時に2人に居る兵団などここにしかいないだろう。巨人の未知なる領域に挑む人間など自分達しかいない。どこにも逃げる事は不可能だ。

「いいヒゲだなあんた。エレンとクリスタはどこだ?」
「……部下は殺したか?」
「……残念だが、あんたの部下は助けには来ない。あんまり殺すのも困りものだからな。しばらくまともに歩けないようにはしておいた。これで中央憲兵はしばらく使い物になんねぇよ」

 このクーデターが始動してからトラウマになるほどに何度も見て来た繰り返されるリヴァイの暴行を黙って見つめる新兵達。ここまで覚悟は決めていたが、手段がもうこれしか無いにせよ無抵抗の人間が情報を吐くまでこんなに痛めつけるのはやはり見ていて辛いものがある。その様子にジャンの手が震えているのに気付くアルミンは彼がまだ人と戦う事、暴力を行使することに対して未だに割り切れず葛藤している様子なのを感じていた。

「ははっ、勇ましいなぁ……まだ若い兵士や女を使って館の丸腰の憲兵を片っ端から斬っちまえば誰でも英雄気取りか……。言っとくがあの屋敷には……何も知らない使用人も含まれていた。お前らが見境なく斬った中にも確実にな」
「あぁそうか……それは気の毒なことをしたな」

 その言葉に自分達がしてきたことを冷静になり考える新兵達の動揺が広がり漂う空気が淀んだその時、リヴァイはその兵士の言葉にも顔色一つ変えず、黙らせるように履きなれた靴のつま先を振り上げ、その汚い口に向かって勢いよくローキックを繰り出したのだ。それはすっぽりと口の中に収まり、あまりの激痛と骨の砕ける音に男は悶絶した。

「ぐおおおっッ―――!?」

 即席のリヴァイ専用の汚い靴箱の完成だ。痛そうだと周囲に居た誰もが顔を歪めた。寸分の狂いもなく綺麗に口の中に入り込んだ靴とリヴァイの蹴りの勢いで男の歯が零れて血と共にぼろぼろと崩れ落ちた。先ほど館内の気に当てられまだ猛っている彼の本能は冷酷に冷たく男を追い詰めていく。

「俺だってかわいそうだと思っているんだ…特にあんたの口は気の毒でしょうがない。まだまともに喋れる内に口を使った方がいいぞ? エレンとクリスタはどこだ?」
「ッ――ッ――!!!」
「リヴァイ、靴を外してあげないと喋れないよ…」

 サシャとコニーが顔を見合わせながら先ほどの戦いで多くの憲兵の足を仕留めた光景を思い出して黙り込んでいる。その中、ウミが暴行を続けるリヴァイに駆け寄る。危険だと周りが止めるより先に、ウミがリヴァイの肩にそっと手を置いた時、リヴァイの冷徹さが消えた気がした。
 口に突っこんだままだったつま先をスッと引き抜くと、髭の男は苦し気に呻きながら激しく咳き込んだ。口からは不摂生でもともと弱っていた歯が欠け、地面に落ちた。肩で息をして苦しむ男にリヴァイは汚いものに触れた靴の先を地面になすりつけながら、ゆっくりと生気のない冷たい目で見下している

「無駄だ! 無駄なんだよ……! お前らが……何をやったって……調査兵……お前らにできることは……この壁の中を逃げ回って!! せいぜいドロクソにまみれてセコセコ生き延びることだけだ―――!! それも仲間を見捨ててな!! お前らが出頭しなければ囚われた調査兵は処刑される!! お前らがやったことを考えれば世間も納得する当然の報いだ!!最初は調査兵団最高責任者である エルヴィン・スミスからだ!!!」
「エルヴィン……!?」

 憲兵の口からエルヴィンの名前が出たことにショックを受けたのはウミだった。エルヴィンが見せしめに民衆の前で首を吊られ処刑されるというのか…。エルヴィンに迫る危機にウミの脳裏には最悪のシナリオが浮かんだ。

「ただし……お前らが独断でやったことだとその首を差し出すのなら……他の団員の命だけは、何とか助かるだろうがな。ミナミ・アッカーマンの娘! それならお前も同罪だ!逃げられると思うなよ……」
「っ……」
「わかったかリヴァイ……もう、あんたがやれることは……それしか無いんだよ」

 ガクガクと生まれたての小鹿のように膝を震わせながらゆらりと髭面の男は立ち上がるとウミを睨みつけてきた。思わず黙りこむウミに満足したように男は自分より頭二つくらい小柄なリヴァイの肩に両手をポンと置いた。リヴァイを懐柔すつもりなのだろうか。この冷徹な獣を飼いならすことなど誰にも出来やしないと言うのに。ウミの名前を引き合いに出してもリヴァイの怒りを助長するだけだと言うのに。

「ミナミ・アッカーマンの娘か? そしてリヴァイ……お前の命を使って仲間の命を救う…それだけだ。俺が口を利いてやろう、そうすりゃ上手くいく……お前の部下も女も助けてやる……」
「イヤ……それは遠慮しておこう。お前はエレンとクリスタの居場所を言え」
「……へぇ……仲間を見殺しにして若い命を散らしてそれでも貴様は無駄に生き延びるか。そりゃ……また絆の深ぇことで……」
「まぁな、調査兵団の命には優先順位ってもんがある……」

 リヴァイはもうウミの名前を出されても決してそう簡単に心を乱したりはしない、そのまま自分の肩に置かれた髭の男の手を穢いと言わんばかりにひねりあげるリヴァイの姿があった。そしてその手をそのまま樹木に押し当てリヴァイは思いきり渾身の力で捻り上げたのだ。骨が軋む音がする、このままだとこの男の腕は綺麗に真っ二つに折れてしまうだろう。

「それを承知の馬鹿共の集まりが俺らだ」
「ウッ!!」
「リヴァイ!」

ギギギ……とありえない方向に腕が曲がる。尋常ではない骨の音がして思わずウミも眉を寄せ、制止の声を投げかけるもリヴァイに一瞥され黙り込む。

「そもそも王政が調査兵団を根絶やしにする絶好の機会を俺らの首程度で逃がすとは思えねぇな……」
「ッ――」
「それと。さっきの質問に答えなかった分と――……俺の妻を侮辱した分がこれだ」

―――ボキイッ!!
「ぎっ――……ああああああああ!!!!」

 「俺の妻」そう、はっきりと告げたリヴァイはウミを蔑むような発言をした事に対しても静かなる怒りを見せていた。ウミは特に自分が散々今まで浴びせられてきた罵倒を受け止めているし克服している。特に気にしていないが、リヴァイにとって妻への侮辱は彼の逆鱗に触れるもの。ましてさっきの血なまぐさい匂いに猛る本能がまた顔を出しそうになる。
 しかし、そんな顔はおくびにも出さないままに冷徹な眼差しで骨が軋むほど掴んだ腕をそのまま本来曲がらない方向へと傾け、そのまま勢いよくへし折ったのだ!骨が折れる痛々しい音と共に森には絶叫が反響し、例え仕方ないとしてもその声があまりにも悲痛で痛ましくて、あの晩リヴァイがサネスを激しく暴行した夜を彷彿とさせ、思わずウミは耳を塞ぎ肩を震わせた。しかし、また吐くわけにはいかない、自分達よりも幼い子たちも必死に堪えているのだから。

「うるせぇよ、エレンとクリスタの居場所を言え」
「しっ知らない!! 本当にほとんどのことは教えられてないんだ!! ケニー・アッカーマンはとても用心深い!!」
「アッカーマン……?」

 必死の形相で叫ぶ男はあまりの激痛に情けないことに威厳もクソもない髭面にくしゃくしゃの顔から涙を流している。初めて聞くケニーの姓、それは同じ姓を持つミカサの耳にも伝わる。唯一その事実を知るウミだけが重く口を閉ざして。

「それがケニー……ヤツの姓か?」
「そうだが……?」
「まぁ確かに……ヤツは教えねぇよな。大事なことは特に……。しかし、心当たりくらいあるだろ? 思い出すまで頑張ろうか」
「ひっ……よせ!!」
「まだ骨は何本もあることだしな……」
「あんたらは……まともじゃない……」

 その言葉はウミとリヴァイの胸に深く突き刺さる。「まともじゃない」鋭いナイフで抉り取られるようだった。
 こんなことを強要させる男も、それを実行するウミも、そんなのお互いが理解している……。リヴァイの表情にまた深く暗い影を落とした。そして姿を消したケニーの姓をリヴァイは今初めて知った。
 彼はそれすらも告げずに姿を消した。何故ミカサと彼女と彼は同じ姓で、そして…2人は言葉なくその男を見ていた。お互いの抱いていた気持ちを見抜かれたようだった。

「……かもな、」

 それは自分に向けて、ウミに向けての言葉だった。この前の山小屋での一夜は本当に夢だったのかもしれない。現実的に考えて、この手はもう既に汚れ切っていて、きっと……もう戻れない道を行くようにリヴァイがさらに拷問を続けようとしたその時、矢を番えたサシャがこちらに向かって接近する人の気配を繊細な聴覚で聞き取り叫んだ。

「あっちから誰か来ます!!」

 サシャの声にリヴァイが髭面の男の腕とウミの頭を掴むとそのまま地面へと押し付け、野良猫並みに気配の敏感なミカサが即座に剣を構え、ジャンとアルミンが草むらに伏せて銃を構え、すかさず応戦態勢を取り身構えるリヴァイ班のメンバーたち。

「複数います!!」
「言ったろ兵長……もう無駄なんだよ……何もかもな……お前達のやってきたことを償う時が来た、調査兵団はここで最期だ」

 その言葉を受け一同は覚悟を決める。マントを装着した一角獣の紋章を刻んだマントのフードを深く被った追手は背の高い草むらに紛れて自分達の周囲を囲んでいた。ここまでだと言うのか…。もうどうすることも出来ないのか、エルヴィン、ハンジ、みんな殺されてしまう。
 深い絶望にウミはただ奥歯を噛み締めて地面に俯き静かに項垂れるしかなかった。

To be continue…

2020.03.24
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