「あぁ……うッ……!!」
「アルミン!」
「う……、うぅ……っ」
嘆くアルミンの背中をミカサがそっと優しくさすってやると、アルミンは真っ青な顔でミカサに問いかける。
「ミカサとウミもこうなったの……?」
敵兵に銃を向けられる絶体絶命の状況を救ったアルミン。しかし、それによってこの手蜂に染められた。自分達がこうして無事なのはアルミンが人を殺めたからである。たとえ命を狙われていても同じ人間を殺した、巨人ではない人間を、微かに鉄の匂いが今も消えない、何度手を洗っても。アルミンは幾度も嘔吐して、改めてその罪の意識に苛まれ苦しんでいる。
「……! え……」
「あ……! ……あぁ、ごめん……ミカサ……いいよ……ごめん……ごめん……」
吐瀉物が付着した口元を拭いアルミンはうなだれたまま動かない。アルミンの問いかけに固まるミカサ、かつて強盗に襲われたミカサの悲しい壮絶な過去の体験が蘇る。両親は殺害され、残された自分も東洋人の血を引く身として危うく人身売買で地下に売られる危機を救ってくれたのはエレンだった。
両親を殺され絶望の淵に居たミカサ、そんな自分に戦う力をくれたのもエレンだ。そして、手にしたミカサのナイフが、戦えと言うエレンの言葉が電気信号のように脳内を駆け巡り、あの時から自分は戦えるようになった。エレンを殺そうとした強盗犯を仕留めたあの時、ミカサの手は血に染まったのだ。エレンからもらい今も自身が身に着けている赤いマフラーと同じ血の色に。
強烈な通過儀礼を終えたミカサと今回初めて目にした十代半ばの少年少女たちが通った通過儀礼、見た光景はあまりにも衝撃的で、初めて巨人ではなく同じ壁内の人間同士の戦いを目の当たりにし、誰もが言葉を無くしていた。
▼
「ウミ、」
「オイ、そこは違うんだが……」
それはウミもだった。この手を赤に染めたこと、もう二度と、両親に守られ無邪気だった子供時代には戻れない。
地下街に堕ちたあの時、自分は逃れるために人を殺した。何度も何度もナイフで相手をめった刺しにして血まみれで横たわる男を見て逃げ出した。逃げて逃げて、巨人を殺して返り血を浴びてもそれはすぐに蒸発して肌に残らないが、今この手に付着したそれは洗っても濃い鉄の匂いがツンと漂って。
自分の絶望の先にリヴァイが居たのだ。
「ウミ、てめぇの目は腐ってんのか」
「あぁ!? ごめん、なさい……」
「チッ、サシャ頼んでいいか。交代してくれ、こいつじゃむしろ悪化する」
「あっ、はい……」
激戦を潜り抜け何とか逃げ延びたがリヴァイの傷は深く、あちこちから出血して相当なものだった。綺麗な頬にはテープが貼られている。無理もない、襲い来る対人立体機動部隊の相手にたった一人で潜り抜けたのだ。やはり彼はただ者ではなかった。それは彼の肉体が物語っていた。
「人類最強」と呼ばれるリヴァイが見せた均等の取れた肉体、兵士として幾多もの激戦を駆け抜け鍛え抜かれた鎧のような筋肉質な上半身に言葉を失った。彼が肌を晒してこうして人前に出ることなど無い。ウミもアルミンと同じ、この手を血に染めていた。
かつて初めて人を殺した時の記憶がよみがえり呆然とする彼女は頼まれるがまま上半身を露出した逞しい身体をさらけ出したリヴァイの傷口の縫合をしていたのだが、いつの間にか別の部分まで糸を通していた。リヴァイが呆れたようにもういいと振りほどくとサシャに交代を促すのだった。
「あ、ダメ、私が……っ、」
「ウミ。大丈夫ですよ。大事なリヴァイ兵長の傷は私がちゃんと元通り、綺麗に直しますから。ね、ウミも身体汚れてしまったでしょうから……水浴びでもしてきませんか? すっきりしますよ」
「でも……いいの、私が……」
しかし、ウミは私がやるのだと頑なに言う事を聞かず素直にサシャに譲ろうとしない。彼の肌に触れていいのは自分だけだと言う独占欲が垣間見える。こんな状況の時に子供みたいにわがままを言っている場合じゃないのに。リヴァイがうんざりしたように聞く耳を持たない自分を見ている。
「オイ、まさかこの緊急事態に及んでまで駄々こねてんのかてめぇは。いい年した女がガキみてぇな事言ってんじゃねぇよ……」
頭に置かれたその手にウミはそう、例え仲間であり幾ら気心の知れたサシャでもリヴァイの肌に触れていいのは自分だけだと、子供じみた独占欲を覗かせる。困ったようなサシャを見てリヴァイがウミを離した。
「ウミ。てめぇ、この先俺がいちいち負傷する度に他の奴が治療にあたってもお前にわざわざお伺い立てねぇといかねぇのか。そのままぼんやりと上の空で縫われちゃたまったもんじゃねぇ、お前は手先が絶望的に不器用だからサシャに任せてその血なまぐさい体をどうにかして来い。俺の命令が聞けねぇのか、それとも、お前は俺の副官だろうが? 私情を持ち込むな。部下に対して示しをつけろ」
「……っ……はい……兵長」
強制的に傷の縫合の係を解任され、落ち込むウミに対して申し訳なさそうにサシャが慣れた手つきでリヴァイが負傷した肩の傷を縫い始めるのを見て明らかに自分が縫合しようとしていたガタガタの縫い目を見てため息をつくしかなかった。
森の奥で狩猟を生業としてきた野生育ちの彼女に任せた方が明らかに適任だと見てわかる。
「サシャ、上手だね」
「あっ、ありがとうございます……」
ウミが彼女を褒める言葉を使うが、ウミの口にしたその言葉にサシャがひきつったような顔でこっちを見る。何かまずい事でも言ったのだろうか。首を傾げるも周囲から見れば今のウミは何をしでかすかわからないと言った顔をしている。
目が笑っていないのが何よりの証拠だ。彼女の上っ面だけのその褒め言葉にさえ棘を孕んでしまうのは、今は自分だけが触れる事を許された彼の細身に見えて脱げば逞しい身体。
その肌に自分以外の女が触れているから。それがまだ色気より食い気の食欲旺盛で異性には未だ微塵も興味のない少女のサシャでも許せないだけ。
リヴァイの治療を自分以外の女性がする。この状況でも浅ましくサシャにまで嫉妬する程余裕がなくなっていた。
その縫合の腕前はサシャが芋やパァンばかりに執着しているわけけではないのだと改めて感心する程、その縫合の腕前はリヴァイの切り開かれた肌を元通りに癒していく。しかし、ウミは浮かない表情のまま黙り込んでいて。幾ら治療目的だとしても触れて欲しくなかった。自分は十代の少女にまでこんな醜い嫉妬心を抱くようになっていたのか。いい大人がくだらない、サシャも申し訳なさからなるべくリヴァイに触れないようウミに配慮する始末。
もう彼が自分以外の女性と…そんなマイナスな妄想に囚われる事もないと言うのに、地下街での長く苦しい恋は今も彼女に影を落としているらしい。
女遊びとは違うが、彼はとてもモテるのだ。見た目は粗暴で不愛想だが、その根は誰よりも慈愛に満ち、優しい、非情な一面を持ちながらも内心は部下に手を汚させることを強要する自分に葛藤している。
地下街でも、貴族でも、彼を贔屓する娼婦、彼をお気に入りにして呼び出す貴族も居た。自分が不安になるほどに…。
仕方なくウミは見張りを終えて戻って来たミカサと入れ違いに裏の小川に向かうのだった。
▼
誰も見ていないのを確認して着てた服を脱ぐとウミは裸になり無心で水を頭からかぶりそのまましゃがみ込み裸の素肌を抱き締め膝を抱えた。先ほどまでいっぺんに起きた強烈な出来事にただ思考が未だ浮遊しており戻ってこない。ケニーとの再会、そしてケニーが言っていた「アッカーマン」という名前。そしてその名前を持つミカサ、リヴァイ、そして自分、このつながりが意味する物は。ましてリヴァイと自分が同じファミリーネームだと言う事がある疑惑をより深いものにしていた。
自分は確かにミナミ・アッカーマンとカイト・ジオラルドの娘だ。女の子は父親に似る事が多い。
周囲からも認められるくらい自分の顔は父親に酷似しているのに…しかし、ウミを証明する戸籍がどこにも存在しない。それに、抱き合う母親とケニーがただの友人ではないことが良く伺える懐かしそうに自分を見つめるあの男の眼差しが今も忘れられない。
自分は誰の子供なのかこの年になって自身の生い立ちに苦しむ日が来るなんて思わなくて。ふと、背後からガサガサと聞こえた茂みをかき分ける音に慌てて振り向くとそこに居たのはこちらに向けて銃を構えるジャンだった。
「ジャン……」
「おっ! おい!! 立つな! 見えちまうじゃねぇか!! 俺がリヴァイ兵長に殺される!!!!」
「あっ、ご、めん……」
「……悪い、こっちも、見張りで変な物音がしたと思って……いいか!? 覗く気は全くなかったんだ。なかなか戻ってこねぇからお前に、なんかあったんじゃねぇかと……お前になんあれば、リヴァイ兵長が……」
どうやらいつの間にかミカサからジャンに見張りが後退になったようだ。水音が聞こえて気になってくれば裸の自分が膝を抱えて動かないのだ、そりゃあジャンも驚くだろう。
「ごめんね、変なもの見せて……」
「い、いや……別に変じゃ……って俺は何言ってんだ!!」
普通に立ち上がろうとした自分は今何も身に着けていない。慌てふためくジャンの顔は可愛そうな位その顔は赤く染まっており、その初々しさにウミは訓練兵時代間違って自分が入浴中に入ってきたジャンの慌てふためく姿やマルコに怒られ女子たちに白い目を向けられ散々な屈辱を浴びてきた訓練兵時代を思い出して思わず吹き出した。
その瞬間、この前撃たれた部分が鈍く痛み思わず顔をしかめその部分を押さえ蹲る。先ほどの激闘で傷口が開いたのだろうか。しかし、こんな時に…。
自分に向けられたその銃、しかし、ジャンはもしここにいるのが自分達を狙う中央政府の刺客だとして果たして今度は撃てるのだろうか。
「おい、ウミ、大丈夫かよ……まさかお前もさっきのでケガしたのか!? リヴァイ兵「ごめん、大丈夫。なんでもないから、言わないで、」
女の肌など今まで観たことがあるとすれば母親か新兵の間で貸し借りした画集でしか知らない。真っ赤な顔で目を反らしながらもジャンはウミの腹部の大きく巻かれた包帯に青ざめている。リヴァイと二人、あの山小屋で夜を明かしたあの時の傷、もしかしたら開いているかもしれない、だが。
「何ともない、リヴァイには言わないで……今ただでさえエレンとヒストリアを奪われてしまっているのに……今後どうしていけばいいか悩んでいる彼にこれ以上余計な心配を掛けたくないの」
「ウミ……」
「このことは秘密ね、大丈夫、かすり傷だよこんなの」
ジャンはあのトロスト区で起きた攻防戦以降常に自分には何が出来るのか、常にその事だけを考えて手探りしながら生きてきていた。そして見つけた答え。だから、最初は人類最強と言われた彼がただの暴力で相手を支配しようとする恐ろしい人間なのだとリヴァイを完全に誤解し、ウミはそんな彼に言われるがままの操り人形だと思っていた。
しかし、今こうしてみるとウミはウミなりの目的を持って、そしてリヴァイを誰よりも深く想い、愛しているのだと知る。そして、今回自分の考えのせいで彼女を危うく危険な目に遭わせるところだった。そして替え玉作戦では自分は目の前でウミが犯されかけていたと言うのにただじっと耐えることしか出来ずにいた。
「あん時はよ……守ってやれなくて悪かった……」
「あの時?」
「もう忘れたのかよ、替え玉だよ、エレンとヒストリアの」
「ああ……、そういえば、そんなこともあったね。大丈夫だよ、もう、痣もだいぶ薄れてきたし……何だかまだ数カ月の出来事なのに、新生リヴァイ班が結成されて一週間もしないのに随分私たち、有名になったよね」
「そうだな、」
「ジャン、リヴァイをあんまり誤解しないであげてね。リヴァイは言葉が足りないだけで……本当は誰よりも仲間を、皆の事を思っているし、本当はこんなこと、したくてしてるわけじゃない。あなたと同じ人間だよ、」
にこり、そう微笑むとウミは脱いだ服を着るためにそのまま裸を隠すように茂みの中へと入っていくのだった。前を隠せばいいとかいう問題ではないが、華奢な背中が頼りなく見えて。
このまま森の中に消えてしまうのではないのかと、ジャンはそんな錯覚を抱いた。あまりにも浮世離れしているから異性としての感情を抱いたことは無かった彼女、しかし、今はよくわかる、彼女に深く愛されている男の幸福を噛み締めたくなる理由が。
「大丈夫じゃねぇくせに……何で強がるんだよ、リヴァイ兵長に、アンタなら守ってもらえばいいじゃねぇか……別に兵士として戦わなくたって、良かったのに」
無理して明るく振舞う彼女にそれを言うのは俺のセリフではない。自分達へは決して見せたりしない弱音。大人だから、年上だからではない、彼女はいつもそうやって簡単に息をするように嘘をつく。
本当は大丈夫ではないくせに、心の中では笑顔の裏でいつも泣いている。男に生々しく犯されている自分を吐き気がするような過去を無理やり笑顔と愛する者への思慕へ変えて……。
▼
夕暮れから辺り一面が夜になるとすっかり周囲は真っ暗闇に包まれた。ジャンから見張りはサシャへと変わる。焚火を囲みながら沸かした湯で薄くて美味しくない紅茶を飲み、そして用意した野戦糧食を食べるメンバーたち。こんな時でも腹はすくものだ。しかし、アルミンは野戦糧食を手にしたまま一向に口をつけようとしない。
「……どうしたアルミン。こんな汚ぇ馬小屋じゃ飯なんぞは食えねぇか?」
「……いえ」
そんなアルミンを気遣うリヴァイ、ようやく治療を終え今は逞しい肉体は衣服の下に隠れている。リヴァイの肌を他の班員にもさらした事に対して不服なウミも何とか機嫌を直して食糧にありついているさまだ。そんな空気の中アルミンがジャンに尋ねる。
「ジャン……ひとつ……わからないことがあって、その……」
「何だ……」
「銃を撃って君とウミを助けた時、僕は正直間に合わないと思った。ごめん……。でも、相手の方は既にジャンとウミに銃口を向けていたから……なのに、何で先に撃ったのは…僕なんだろう…どうしてウミはあの時何の躊躇いもなくジャンを庇ったの?」
「アルミン……」
アルミンの言葉を聞き、ジャンは対人立体機動部隊の女性兵士が発砲するのを躊躇していたことを思い返し黙り込む。ウミもその事を見越していたからこそ助け出し、そして自らを差し出した。あの時自分はアルミンが撃つとは思っていなかった、あの時一瞬で考え付いたのが自分が身を差し出す事しか思い浮かばなくて……。
「……それは、」
ジャンのその言葉がアルミンをさらに追い込むことになる……と気遣い口を噤むウミとジャンにあの場に居たリヴァイが冷静にジャンの代わりに述べた。
「相手が一瞬撃つのを躊躇した。そうだろ?」
「え……」
「……アルミン、すまねぇ……! 俺がすぐにやらなきゃ、撃たなきゃいけなかったのに……」
「ジャン……、ごめんね、アルミン。あの時、私がやればよかったのに…あなたの手を汚してしまった……私が守ると言ったのに……!」
「……そうだったんだ。僕が殺した人はきっと優しい人だったんだろうな……僕なんかよりずっと人間らしい人だった。僕はすぐに引き金を……引けたのに……僕は……」
後悔をするように、瞳にまた大粒の涙を澱ませながら呟くアルミンにリヴァイが気遣う様に彼を励ました。そう、彼は決して暴力で相手を従わせるだけの男なら自分がここまで彼を信頼し、そもそも彼に惹かれて身を捧げる程愛することは無かった。彼を誤解している新兵達はここで彼の温かみに触れるのだった。
「アルミン、お前の手はもう汚れちまったんだ。以前のお前には戻れねぇよ」
「なぜそんなことを……!」
「新しい自分を受け入れろ。もし今もお前の手が綺麗なまんまだったなら…今ここにジャンとウミは居ねぇだろう。お前が引き金をすぐに引けたのは、仲間が殺されそうになっていたからだ。アルミン、お前は聡い、あの状況じゃ半端なことはできないとよくわかっていた。あそこで物資や馬……仲間を失えば……その先に希望は無いのだと理解していた。お前が手を汚してくれたおかげで、俺達はこれ以上の仲間を失わずにすんだ。ありがとう」
アルミンを気遣い、そう告げたリヴァイの温かな言葉を受けとめるアルミン
「……リヴァイ兵長。俺は……人と戦うなんて……そんなことをいきなりやらせる兵長の事も、命令でも自分の恋人を危険に晒したあなたのやり方は間違ってると……思っていました。イヤ……そう思いたかった。自分が人に手を下すのが怖かったからです……でも、間違っていたのは俺でした……! 次は、必ず撃ちます」
「何が本当に正しいかなんて俺は言ってない。そんなことはわからないからな。お前は本当に間違っていたのか?」
「え……?」
リヴァイの問いかけに誰も答えない。沈黙が支配する中で唇を噛み締めた、あの時からずっとそうだ、例え人類最強と呼ばれるリヴァイにも分らないもの。いつだってそうだ、今この瞬間、即座に判断するこの選択が正しいのか。リヴァイが思う悔いのない選択、それが出来るものなど、居ないのだ。
リヴァイは今もあの日のまま、仲間達の死を抱えてそれでも剣を振るう。自分が本当に悔いなき選択をする為に。
▼
翌日、調査兵団と中央憲兵が秘密裏に隠していた調査兵団対抗組織の対人立体機動部隊の襲撃があったストヘス区ではストヘス区の新聞社であるベルク新聞社に所属するロイが、ナイルにインタビューとして聞き取りを行っていた。
「酒場の客の話によるとその長身の男は自らを「憲兵様」と名乗ったようです。そこからこの街全体に噂は広がり、憲兵団が街中で調査兵団と争ったことが明るみになっています。話は明日にでも壁全土に知れ渡るでしょうが……ドーク師団長ご安心を、我が社の記事の方がそれより早い。公式発表としては…憲兵団が秘密裏に開発した新型立体起動装置を用いて現在手配中の残存調査兵団と交戦、人類最強とされるリヴァイ兵士長を取り逃がし両員が多数死傷したことで間違いないと「状況証拠から見ればな。ただ、まだ待ってくれ。我々もまだ何が起きたのか正確なところを把握できてはいない」
「……つまり、これは中央憲兵がやったことで、捜査は中央憲兵の主導で行われたということですか?」
「おい……ピュレ、」
「通常の憲兵団とは組織系統がまるごと違うといった話は本当だったんですね!」
まだ入社した手で新人でのピュレは突然そう言い放つと目を輝かせながらシャカシャカとペンを走らせる。
「おい! ピュレ!」
「あっ!!」
未だこの新聞社の理を理解していない彼のすかさずネタ帳を奪い取るベテラン記者のロイは慌ててナイルに謝罪した。
「すいませんドークさん、こいつはまだ新人でしてね、この壁の理をわかっとらんのですよ。中央憲兵に関わることは一切記述しませんので。例の新型立体機動装置についても……」
「助かるよ。ロイ……」
いつも自分達の都合の悪いことを公表しないで秘密裏に処理して新聞にしてくれるベルク者にはナイルも頭が上がらないようだ。
「(新型立体起動装置……散弾なんぞ巨人には無力だろうが、人を殺すならそれだ……。まさに調査兵団を殺すためだけにある兵器。そして……憲兵団(われわれ)にもその存在が隠されていたということは……)」
ナイルはあの時見た光景が目の錯覚ではないのだと噛み締めた、それに確かに自分は見たのだガスを蒸かし空を飛んでいく調査兵団が身に着けている立体機動装置よりも軽量化され自由自在に散弾銃を撃ちまくる奴らの存在を。
「(我々はあの銃口が向けられる対象外……ではないということか……)とにかく、奴等からの報告があるまでもう少し待ってくれ」
ナイルは二人にそう言い残すと手を挙げその場を去っていく。ナイルから得た情報や住民達からインタビューで得た情報を書き記したメモを手に帰還した記者の2人はベルク新聞社に戻り今回の騒動を生地にまとめ上げる。しかし、いざ完成した記事の内容を見たピュレが不思議そうに中央憲兵のいいように改ざんされた記事を見て異を唱えた。
「ロイさん……これじゃあまるで中央憲兵が主役の小説ですよ」
「確かに……ヤツらいい趣味してるよ。中央憲兵の死は野生化した調査兵団の襲撃から住民を守るための名誉の死……だったらしい」
「……いつから我が新聞社は王政の広報機関になったのですか?」
「ずっとだよ……私が入る前からずっと王政の目が入っているしどこも同じだ。もう世に出た記事のことは気にするな」
「気にしますよ……僕は入社するまでその創作を信じていた購読者の一人だったんですから……」
「じゃあ慣れるんだな……」
その記事を見て不服を唱える未だ若き情熱にあふれるピュレにそう告げ、飲み物をすするロイ、思い描いていた新聞記者の仕事だと思っていたが、いざ入社してみてピュレが目の当たりにしたのは自らの描く真実とは程遠い生地の内容だった。
「ロイさんはなぜ記者になったんですか? この謎多き世界に情熱を燃やしていた時期もあったはずでは……「ピュレ、我々は一人の力で生きてるわけではないのだよ。私も昔は世を正す理想に燃えていた。だがな……人と出会い、仲間ができ……女房と娘を持つ頃には。自分なんかどうでもよくなっていた……自分を偽ることで自分の大切な何かは死んでいった……。だが、その代わりにもっと多くの大切な物を守ることができた。どうだ、かっこ悪いだろ?だが、私が選んだのはそのかっこ悪い現実……って……おいピュレ」
しかし、ピュレはロイの話を聞いておらずそれどころかよそ見をしているではないか。
思わずロイがピュレの視線の方へ目を向けると、そこにはいつの間にかどこに隠れていたのか、音も無く机に座るハンジの姿があった。しかもその顔は今現在指名手配中であるハンジ・ゾエの姿だ。思わず青ざめるロイにハンジは明りも少ない暗闇の中で影を背負い静かに告げた。
「お邪魔します。私は調査兵団分隊長のハンジ・ゾエ。この新聞社でも現在手配中の者です。何でも私の部下は民間人に襲いかかった末に殺されたらしいのですが……」
ニファ、ケイジ、アーベルが殺された事を知り暗い顔をするハンジに続き、潜伏していたモブリットもドアを開けてまるで自分達の退路を完全にふさぎ追い詰めるように姿を見せた。
「その様子だと……やはり創作だったようですね。私の部下は死してなお侮辱されたようだ。私は今すぐあんたらの手の形を、二度とペンが握れない形に変えてやろうと思ってたところだけど。ブン屋もそれなりに大変そうなので今日は止めときます」
ピュレが見上げた上空の天窓が開いている。立体機動装置があればあんな高い場所からの侵入などお手のもの。ハンジは自分の大切にしていた部下に死を変えられ怒りに満ちている中でロイが慌てて謝罪した。目の前の子の人間なら本気でそうやりかねない恐怖を感じ取ったからだ。
「あなたの部下の件は……お詫び致します。調査兵団が今理不尽な状況に置かれていることも察しています……しかし「王政に従ったのは仲間や家族を守るためだと……。確かにこんなことで逆らったって仕方が無い……私だって立場が同じだったら王政に従いますよあなたが特別間違っていたとは思いません……ですが」
記者の鏡らしくハンジの言葉をメモしようとペンを取るピュレだったが、その背後から伸びてきたモブリットの手がそれを遮った。
「いッ!?」
「失礼」
余計な事をメモされては困るとすかさずピュレの手首を捻り上げるモブリット。彼も巨人が絡むと暴走するハンジを慕う仲間を殺された怒りを持っている。その表情は普段と買わなくても彼も今まで困難を生き抜いてきた兵士だ。
「待って下さい! 手荒なマネは!」
「まったく……大げさなんだよモブリットは、彼はただメモをとろうとしただけだよ。丁度いいじゃないか」
モブリットが捻り上げたことで床に落ちたペンを拾い上げピュレに返すとハンジはロイに向き直る。
「ロイさん、あなたがこのまま王政に従っていても仲間や家族……娘さんも守れませんよ」
「それは……どういう意味でしょう?」
「1日だけでいい。私達を取材して下さい、そしてご自身で判断してください、この先の未来を、王政に委ねてもいいのかどうかを……」
普段の陽気なハンジの表情は何処にもない、調査兵団分隊長。いや、今のハンジは分隊長ではない、13代目団長直々の推薦を受けた14代目調査兵団団長として。抑揚のない声でハンジはそう告げた。
2020.02.25
順番に書いているわけではないので執筆日はバラバラです。補足事項が多くて…
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