彼らもずっと自分達に故郷を奪われたエレン達を間近で見て、その罪の意識に苛まれていたのだ。
だが、だからと言って彼らを許すことは出来ないし、エレンを渡すことも出来ない。ミカサは静かにベルトルトへ願い出た。
「ベルトルト……エレンを返して……!」
「駄目だ、出来ない。誰かがやらなくちゃいけないんだよ……誰かが……自分の手を血で染めないと……」
「お前ら!!!! そこから離れろ!!」
その時、ハンネスの声がそれを遮った。
大きな声で説得にも似た会話を続ける104期生達へ大声で呼びかけ顔を上げれば一同の視界の先に飛び込んで来たのはー…。
「信じらんねぇ……どういうつもりだ!? エルヴィン!? 巨人を引き連れて来やがった!!」
なんと、その向こうから強い意志を秘めた瞳を燃やしたエルヴィンが巨人の大群を引き連れこっちに向かって来るではないか!
「(エルヴィン!! なんて無茶を!! 幾らエレンを取り戻すためだからって!!!)」
エレンを取り戻す。その強い意志はもはや敵だと認識したエルヴィンはもう罪の意識に苛まれる彼らに対して同情のする気は毛頭無い。
エレンを奪う為、巨人に巨人で対抗するために多くの憲兵団の命を引き連れここまで来たのだ。鎧の巨人とエルヴィンが引きつけてきた大勢の巨人がぶつかるその瞬間、
「お前ら!! 今すぐ飛べ!!」
叫んだハンネスの声に慌てて併走する馬めがけ一斉に散り散りに飛んで馬に着地した。
何とか転がりながらもそれぞれが馬に乗り込みすぐに距離を取る。
巨人同士がぶつかり合う。通常の人間がその衝撃に巻き込まれればひとたまりもない。奇行種もいくつか交ざっている。ぶつかって吹っ飛んだところを食われてあの世行きだろう。
タヴァサにしがみつき、何とか距離を取り夢うつつにこれはウミは悪い夢なのかと錯覚していた。
何故か、この絶望的な光景を見ても不思議と怖くはなくて、まるで俯瞰で見ているようだった。
これまでも長く調査兵団で生き、そして地下街で生き延びてきたがこんな地獄のような光景があるとは信じたくなかった。
しかし、ユミルにしがみついたままのクリスタは大丈夫だろうか。あの衝撃の中で成績上位10番内に入ったのが疑わしいほどまでに巨人が蔓延るこの残酷な世界で生きるにはあまりにも非力な彼女が生き延びれるのだろうか。
ドドドドドと、大地を割れんばかりの勢いと激しい足音と共に鎧の巨人の真正面からエルヴィンが引き連れやってきた巨人が迫ってくる。真っ向から睨み合う鎧の巨人とエルヴィン。
エルヴィンの瞳は強く揺るぎない決意に満ち溢れ、まるで自ら仲間達を地獄へ導く鎌を持つ死神のようだった。
「総員散開!! 巨人から距離を取れ!!」
その声に一同は一斉に散る。鎧の巨人は逃げる暇などなく、真っ向から巨人の群れにタックルして巨人をその鋼鉄のボディで薙ぎ倒して吹っ飛ばしていった。
その衝撃でユミル巨人の中に居たクリスタは必死に耐える。そのまま強行突破するかと思ったが、その足元を小さな巨人に捕まれていしまい、そのまま倒れてしまった。
「あッ!!」
ユミルにしがみついていたヒストリアを捕食しようと巨人が手を伸ばした。捕まれるーー!!その危機にユミルが叫んだ。
「(ヒストリア!!)」
掴んでいた巨人の手を振りほどき、ヒストリアを捕食しようと手を伸ばした巨人を、巨人化したユミルが鋭い爪で引き裂いた。
鎧の巨人はエルヴィンが自分達にぶつけるべく引き連れてきた巨人たちに完全に囲まれている。
エレン達を食われないように必死に腕をずっと交差したままその場で必死に耐えているが、もう長くはもたないだろう。離れた位置からその様子を伺う兵士たち。
ウミは鎧の巨人を覆い尽くさんばかりの勢いで群がっている巨人たちを掻い潜りながらどうやってエレンを救えばいいのか必死に考えていた。
しかし、答えはもう出ている。そう、あの群れの中に突撃する以外にもう手段はない。
あの群れの中に飛び込みエレンを連れ去る。その為には彼をおぶっているベルトルトに接触しなければならない。
まさに虎の穴、巨人が巨人を食う世界に飛び込む。捨て身で彼を奪い返す最後のチャンスだった。
「何だこりゃ!? 地獄か?」
「いいや……これからだ!」
巨人が巨人を食らう地獄絵図を馬上から眺め、ジャンが呆然と呟いた瞬間、エルヴィンが剣を掲げ馬を高らかに駆りそして全員へ声高らかに続けと言わんばかりに叫んだのだ。
「総員!! 突撃!!!!」
「な……!?」
勇敢に剣を上げる我らが調査兵団・団長の作戦に彼は正気かと誰もが絶句する中で力強い美声が反響する。ウミはやはりそう来たかと決意したようにタヴァサの鬣を一撫でして決意を込めてそのボロボロの女としての自分を捨て見るも悲惨な顔を上げた。
「人類存亡の命運は今!! この瞬間に決定する!! エレンなくして人類がこの地上に生息できる将来など、永遠に訪れない! エレンを奪い返し即帰還するぞ!! 心臓を捧げよ!!」
心臓を捧げ、先陣を切り剣を手に駆け出していくエルヴィン。彼に続けと、その勇ましい我らが調査兵団・団長の声を合図にエレン目掛けて馬を走らせるウミ、そしてミカサも続いた。
「#bk_name_1!! ミカサ!」
「ちくしょう……俺達が行かねぇわけにいかねぇだろうが……!」
ミカサの脳内はもうエレンを取り戻すことで頭がいっぱい。恐怖などおくびにも出さずにエルヴィンの走る馬についていく。
ウミはこの猛攻を潜り抜け立ち向かうだろう。ジャン、コニー、サシャ、アルミンらも慌ててミカサの後を追う様に走り出した。
「うおおおおおおおおお!!!」
誰もが剣を掲げ恐怖を振り切るように叫んだ。これは特攻のような捨て身で挑む無謀な作戦。
全ての思いを込めてエレンへと突っ込んでいく。ジャンは一か月前のトロスト区奪還作戦を思い出していた。
あの時も残りわずかなガスを蒸かして仲間の死を犠牲に本部へ無我夢中で飛び込んでいった。
この死に向かうだけの無茶な作戦を敢行したエルヴィンへの恨みのままに次々と巨人の群れに飛び込む中で食われる憲兵。
その姿を見て命知らずの自殺集団にはもうついてはいけないと、残りの憲兵達はその命を失うことなど恐れず飛び込む集団を化け物でも見るかのような眼差しで傍観していた。
「調査兵団め……奴ら……完全にどうかしてる」
「オイ!」
「は?」
壁外に居る以上のんきにおしゃべりなどしている場合ではない。その瞬間背後から音もなく現れた巨人に食われる憲兵達。巨人は容赦なくその手を伸ばし、手で踏みつぶし、馬がその衝撃でひっくり返り兵士を押し潰し、またある者は吹っ飛ばされたところを巨人がキャッチし、そのままボリボリと骨すらも砕くような音を立てて食い尽くしていた。
そんな中、エルヴィンが大量に引き連れてきた巨人の大群に囲まれ完全に動けない鎧の巨人のライナーは必死にもがいていた。
エレンもさっきから外で何が起きているのか、その手の中で周囲の状況が見えずに困惑している。聞こえる巨人の荒くねっとりした息遣いがあまりにも近い気がしていた。
「(さっきから何が!? 何が起きてるんだ!?)」
「(動けねぇ……巨人を引き剥がさねぇと……このままじゃジリ貧……なら……!!)」
その瞬間、ライナーはエレンとベルトルトをガードするように守り組んでいた手を離して叫んだ。
「(踏ん張れよ! ベルトルト! あと少し! あと少しなんだ!!)」
大きな手で次々と自分達に群がる巨人を打ち倒していく。手を離したことでエレンをおんぶしたベルトルトがようやく姿を見せた。
奪い返すなら今しかない!
「やったぞ!! 手を放した!」
「今なら……!」
「オイ、ミカサ!? 周りの巨人が見えねぇのか!? つーか……誰かあそこまで行けんのかよ!? この巨人の中を掻い潜って……!」
「進めええええ!!」
ミカサはそのスキをついて恐怖などものともせずに突っ込んでいく、その光景を呆然と見ていたジャンの後ろを右手の剣を振りかざしたエルヴィンが叫びながら突き進んでいく。
ウミもその勇敢な自分達を束ねる団長の逞しい背中の後に続いてタヴァサを走らせていた。あちこちから聞こえる断末魔、血の匂い、むせかえるような死臭の中で無心で鎧の巨人目掛けて馬を走らせる。
今度こそ、止めてやる。故郷を奪われた者達への弔い合戦だ。美しい母の死、カルラの叫び、そして――……この五年間の恨みをウミは募らせ先程受けた恥辱を夢中になり思い返していた。
正面ばかりに気を取られていたから気が付かなかった。通り抜けた茂みの中に四足歩行の奇行種が潜んでいたことに。
「ウミ!!」
木々の間から飛び出してきた奇行種が視界に広がった瞬間、ウミは何か強い力に押されて急に体が軽くなるのを感じていた。
「(っ――……!)」
おかしい、自分は確かにタヴァサに乗って馬を走らせていたのに。
気付いた時には地面に転がっていて、そして……。
「ああっ!?」
「うああああああ!!!!!! エルヴィン団長――!!」
「(えっ!?)」
ミカサの悲痛な声が、仲間の兵士達がその光景に絶望し、そして慟哭した。馬を駆けるウミを捕食しようと、木々の中に潜んでいた奇行種がなんと、自分より先を行き、茂みを抜けた次の瞬間を狙ってエルヴィンの右腕に食らいついたのだ。
地面に転がり落ちたウミの視界いっぱいには、エルヴィンの大事な右腕ごと食らいついて離さない奇行種の背中が。
腕を喰われて周囲に鮮血をまき散らしながら、奇行種は先陣を切る彼を馬から引きずり落として上空へと持ち上げたまま、それはまるで自分達の戦意を奪うかのように
あっという間に連れ去って行ってしまう……。
――「ねぇねぇ、私、大きくなったらエルヴィンと結婚してあげる!!」
「そうか……ウミが俺の花嫁になってくれるのか? それは今から楽しみだな、」
「もう! また子ども扱いして!! もたもたしてたら私他の誰かさんのお嫁さんになっちゃうからっ、ね!!」
「(エルヴィン……!!)」
なぜ今になって幼い頃彼と過ごした記憶がよみがえるのか。まるでこれがエルヴィンとの永遠の別れ、みたいに。
調査兵団で絶対的な「存在」の彼が巨人に食われた。その衝撃は兵士達を一気に絶望へと叩き落とし、戦意を喪失させるには十分だった。
しかし、その仲間たちを鼓舞するように、発破かけるように右腕を悪魔に差し出しながらも怒気迫る凄みのある顔でエルヴィンは叫んだ。
「 進め!! エレンはすぐそこだ!! 進めえええええ!!」
巨人に右腕を食われながらも、食われていない残りの左腕で剣を鎧の巨人へと向けたまま、部下たちへと指揮を出すエルヴィンから放たれたすさまじい気迫。
大きな声が響き渡り呆然とする兵士たちを鼓舞した。その後押しを受け、調査兵団のトップが巨人に食われそうになっているショックを振り払う様に、一斉に雄たけびを上げて鎧の巨人の元へ向かっていく。
「(タヴァサ!! 来て!!)」
ウミは慌てて起き上がると落馬した衝撃も構わず仲間達とは逆方向へタヴァサを走らせた。
エルヴィンを救うべく、立体機動装置を展開して逆走する精鋭兵士たちに続いてエルヴィンを連れ去ろうとする奇行種をウミもタヴァサを走らせ、そして馬上から飛び上がるとガスを蒸かして追いかけた。
本当は今右腕を奪われていたのは自分かもしれないのに。目の前の彼は私を庇い突き飛ばし自らその腕を差し出したと言うのか。
――「(あなたが死んだら調査兵団はそれこそ完全に意味を為さなくなると言うのに。何で、あなたはそんなことをしたの?)」
ウミは今にも泣きそうな顔でこのまま彼が死ぬのだけは何としても避けねばと必死に追いかけた。
エレンも大事だが、何度も存続の危機に瀕してきた調査兵団を率いて今こうして憲兵団さえも味方に引きずり出した頭脳を持つ彼をこのまま失うわけにはいかない…。
「(……エルヴィン! 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だよ! 嫌だ……っ!! 死なないで!)」
もうこのまま自分のガスが尽きてもいい。彼をこのまま巨人に奪われてたまるか。完全に彼の右腕に食らいついたまま離そうとしない奇行種。
このまま縄張りまでお持ち帰りし、そしてこのままお気に入りの場所でも行ってエルヴィンをゆっくり食うつもりなのかもしれない。
一刻も早くエルヴィンに食らいついている奇行種を殺してエルヴィンを助けなければ。
しかし、エルヴィンを引きはがそうと無理やり引っ張ってもその歯は食い込めば食い込むだけ余計に彼の腕に負担がかかる。どうか右腕は未だかろうじて皮膚一枚でつながっていてくれと願うしかなかった。
しかし、エルヴィンは自ら差し出した腕を見てもう手の施しようがないと言う事も理解していた。
こうして巨人に食われて四肢を失った人間ならごまんと見てきた。幾ら巨人から肉体を離しても、噛みつかれた部分の損傷が酷く、そのまま大量の出血を起こして失神したり、最悪亡くなってしまう人も数多く存在した。
ウミの母親もそうだった。彼女がウミをその身に宿していた頃、ウミを守るために自ら巨人に両足を差し出し切り落とした瞬間を覚えている。
彼女はもう兵士ではなく両足のない母親としての人生を選んだのだ。
痛みは不思議と感じない、ただ宙をぶら下がる足元を見つめてエルヴィンは考えていた。
今この瞬間にもこの世界の終わりは近づいている……。存続のカギを握るのは間違いなくエレン・イェーガーただ1人である。
ウミには酷なことを今から告げる。心優しい幼い頃からその成長を見守り続けてきた彼女にしか頼めない。
ようやく自分の元に追いついたウミに向かってエルヴィンが叫んだ。
「ウミ……今すぐ俺の腕を斬れ、」
「(っ……そんな!!)」
これは対巨人に使うための武器である。だと言うのに、エルヴィンはウミにこれを使って自分の腕を切り裂けと言う残酷な指示を下したのだった。
ウミは受け入れがたいこの言葉に思わず剣を落としそうになる。
この手がエルヴィンの大事な右腕を切り裂くのだ……。ゾッとした。対巨人の兵器で人間の肉体、しかもかつては淡い思いを寄せた相手を斬るなんて、想像すらしたこともなかった。
しかし、今こうしている間にも。彼の腕を犠牲にしてでも何としてでも生き延びてもらわねばならない、エルヴィンの存在は、調査兵団には絶対にこの先のウォール・マリア奪還作戦においてもエレンの能力を引き出して活かすには必要なのだから。
もう迷っている場合ではない!
「(このままでいてもエルヴィンが……!!)」
「団長命令だ!! ウミ! 俺が許可をする! 俺の腕を斬れ!!」
「(エルヴィン……!! わかった……切る……切るよ……!!)」
幼い頃の記憶。確かにリヴァイとも長い付き合いだ。リヴァイが自分に人を愛することを教えてくれた。愛した故に孤独の寂しさも知ってしまったが。でも彼と出会う前、確かに自分は目の前のエルヴィンの背中を必死に追いかけていた時期が確かに存在して。子供なりに、彼の事を好きだったのだ。
しかし、もうそれは戻れない遠い昔の酷く懐かしい記憶。まだ世界の残酷さを知らなかった、彼の背中ばかりを追いかけて叶いもしない恋に明け暮れていた少女だった自分。叶わない初恋。
父親に宥めて貰っていたことが懐かしい。
「初恋は実らねぇもんだが、二度目の恋は一生忘れられないものになる」その言葉を胸に生きていた自分は自分以上に大切な存在の意味を知り、そしてあの日々から随分二人の関係は変化した。あの切なくも愛しかった日々はもう二度と帰ってこない。
今一度現実へ戻る。刃を手にガクガクと震える手を強く叱咤して。ウミは顔を上げ、恐怖に引きつっていたその双眼は瞬く間に兵士としての顔つきへと変えた。
そして決意したからもう迷わない。エルヴィンを捕食した奇行種のうなじを削ぎ落しそのまま巨人の返り血を浴びながらエルヴィンの右腕を躊躇うことなく真っすぐに寸断し、巨人の醜い口内から切り離し救い出したのだった。
「(っ――!!!!)」
彼の大事な右腕を彼女の鈍色の刃が分断した瞬間、赤く花弁を散らしたように華やかに飛び散るエルヴィンの血は蒸発することなくウミの半身を汚し髪にまで飛んだ。
ドオン!!と、派手な音を立てて奇行種は絶命し、そして右腕をウミの刃によって寸断されたエルヴィンはおびただしい量の血を吹き出しながら草原に転がり落ち、そのまま動かなくなった。
「(エルヴィン!!!!!!!!)」
着地し、急いでエルヴィンの元へ駆け寄り長身だが痩せ気味のクライスとは違い団長として厚みのある体格の良い長身の体躯を必死に揺り起こす。
顔を叩いて混濁するエルヴィンの意識を必死に繋ぎ止めようと呼びかける。彼が助かるのならどんなことでもする。どうなっても構わない。
急いで止めどなく溢れる夥しい量の返り血を浴びながら自分が血に染まっても構わずにその右腕の切断された根元を思いきり掴んで止血する。
「(エルヴィン!!!!!!!!)」
急いで駆け寄ってきたタヴァサの手綱を解き、血まみれになりながらエルヴィンの切断した腕の根元にその手綱を何度も何度もグルグルと巻き付け思いきり縛る。
ズタズタに引き裂けた団服から見えた腕の切断面が痛々しく、今もこの手にはしっかりエルヴィンの右腕を寸断した刃の感触が残っている。
肉を切り裂きその骨まで切断する為に勢いをつけて切り裂いた腕。エルヴィンは顔色を青く染め、瞼も震えており、呼吸が浅く早いものへと変わりつつある……。このままでは大量出血のショック状態で命の危機だ。
「(しっかりして……!!)」
たまらずウミは彼を抱き締め安心させるようにとその流れる血に、頬に触れていた。抱き締めると言うよりは、彼より何倍も小柄なのでどうしても彼に包まれる形にはなってしまうのだが。
ウミはありったけの力を込めてエルヴィンの切断された右腕を掴んで直接圧迫法で止血し続けた。
ひとまずこの流れる血を止めなくては。何としても彼を死なせるわけにはいかない。ただでさえ先程の自分達の団長が巨人に食われて誰もが動揺していると言うのに。
「ウミ……俺は、大丈夫だ」
「エルヴィン、」
「ウミが綺麗に切断してくれたからな。根元を縛って押さえてくれたから出血は思ったより酷くはない」
ほんの少しだけ掠れた様な声がようやく染み出てきた。彼の名前を口にした。震えるウミを抱き締め返してエルヴィンは自分よりも何倍も小柄な肢体を抱き締め返してその温もりを感じ落ち着いて呼吸を繰り返した。
彼も恐らく自分と同じ状態だ。酷い外傷なのに意識を保っていられるのは身体が今興奮状態で痛覚がマヒしているおかげである。その割にはっきりとした声でウミを導く。
「エレンを何としても取り戻さねばならない、ウミ。俺の分まで頼む、もう君しかいない……!!」
彼が自分に願い出た事なんて未だかつてあっただろうか。
「(エルヴィンーー……)」
自分はいつも彼の力になりたかった。だが彼の傍には自分よりも実力もキャリアも上の優秀な兵士がごまんと居たし、知識ならハンジ、そして戦術は絶対的存在のリヴァイとミケが居たから自分はその気持ちとは裏腹にエルヴィンにとっては何の役にも立てなかった。
しかし、今こうして彼に託された刃、血にまみれながらウミは彼の言葉を背に歩き出しそして。
「(任せて、)」
強い決意を託されウミはタヴァサに跨り果敢に走り出した。
命を賭け巨人に立ち向かう仲間達の元へ自分も向かう。その途中、何人もの兵士が巨人に掴まり捕食されていく中それを囮にして、他人の命を踏みにじり屍の道を行く。巨人共の手を潜り抜けウミはタヴァサに跨り駆け抜けて行く。
巨人に踏んづけられ、奇行種にそのまま食われ、まさに阿鼻叫喚の飛び交うここは現の地獄だ。その視界の向こう。
鎧の巨人の顎の下に潜むベルトルトを発見するミカサが必死にエレンを奪い返そうと、鎧の巨人の腕にアンカーを射出しその腕を支点にして回転しながら勢いよく切りかかった。
しかし、同じく自分の立体機動装置を装備したベルトルトに綺麗に避けられ、勢い余った身体は重力に従い落ちていく。
「ん〜〜!!」
ベルトルトに背負われ猿轡をされているエレンがミカサの背後から彼女の落ちてきた瞬間を狙って捕食しようと、手を伸ばしている巨人が居ると伝えようと叫ぶも届かず。
その瞬間、ミカサは腹を巨人に鷲掴みにされとうとう捕まった。
「ああッ!!」
ミカサが体勢を立て直す前に伸びた手はミカサの腹筋で鍛え抜かれた腹を掴んだ。メキメキと嫌な音を立てて骨が軋んだその激痛にミカサは苦悶の声をあげ叫んだ。
「ミカサ!!」
このままじゃミカサが!その瞬間、ミカサに向かってジャンが馬から飛び立ち自らその巨人に向かって勇敢にも剣をその目に突き刺したのだ。
「クソッ!! てめぇ!! 放しやがれえええええ!!」
ドスッと鈍い音を立てて巨人の眼球を潰すジャン。その衝撃で巨人がミカサを掴んでいた手を放し両目を手で覆った。
「うおおおおお!!!」
次々とエレンを奪い返そうとベルトルトの元へアンカーを差し込む兵士達。だが、鎧の巨人が削のワイヤーたちを手で引きちぎり引き離す。
「ウッ!!」
「クソッ!!」
「やっとここまで来たんだ!! エレンを連れて帰る!! 故郷に帰るんだ!!」
ようやく闘志をむき出しにしたベルトルトが剣を抜いて立ち向かうべく鼻息を荒く自分たちに絶対にエレンは渡さないと、そう、身構えていた。
次々と犠牲になっていく兵士たちのあまりにも惨い姿。エレンはベルトルトの背中で必死に逃げ出そうと足掻いていた。
「(クソッ……オレが捕まったせいで……このままじゃみんなが死んじまう…!!)」
「ベルトルト!!」
その時、その隙をついてアルミンがベルトルトの元へとたどり着き顎付近に着地して真上から呼びかけた。彼も危険を潜り抜けてここまでたどり着いたのだ。
「(アルミン!)」
――「何も捨てることが出来ない人に…何も変えることは出来ない。化け物をしのぐために必要なら……人間性さえ捨てる。それが出来るものが勝つ!」
――「進めぇえええ!!」
「(何を……何を捨てればいい?僕の命と…他に何を…?)
エルヴィンの声と、自分が告げた言葉を反芻した。
(他に何を……)」
アルミンは必死に限られた時間でどうしたらエレンを取り戻せるのかを必死に考えていた……。
訓練兵団時代、今までの、そして憲兵団になるべく新兵勧誘式で去っていくアニの小さな背中を見つめるベルトルトの姿を思い出した。
そうして、アルミンはニタァ……と、悪魔の形相で微笑みを浮かべ、優しい声で。
まるで幼子をあやすように静かにベルトルトへと囁いたのだ。
「いいの? 二人共……仲間を置き去りにしたまま故郷に帰って……」
彼が何を話しているのかウミが居る場所までは聞こえない。しかし、何となく理解した。
アルミンは時に姑息で卑怯でゲスな作戦を思いつくことを。アルミンがベルトルトに見せているその表情がそれを物語っている。
彼はベルトルトに体格で適わないのならと頭脳を使い、精神的に動揺させスキをついてエレンを奪い返すつもりだ。
ここまで多くの犠牲を経てたどり着いたのだ。今更何も失うものなど無い。のだと。
「ベルトルト……ライナー……アニを、置いて行くの? アニなら今…極北のユトピア区の地下深くで、拷問を受けてるよ。彼女の悲鳴を聞けばすぐに、体の傷は治せても痛みを消すことができないことはわかった。死なないように細心の注意が払われるなか、今この瞬間にもアニの体には……休むヒマも無く様々な工夫を施された拷問が――……「悪魔の末裔がぁぁぁあああ!! 根絶やしにしてやる!!」
初恋の少女がこの壁の世界の人間に囚われている。それをアルミンから聞かされたベルトルトは真に受け一気に脳内は彼女の事で埋め尽くされた。
勇ましく感情的に鎧の巨人から立ち上がり、この壁の住人たちはやはり自分達の故郷で聞いた通りの悪魔の末裔なのだと叫んだ瞬間。
長身の彼が立ち上がったその隙をつき、駆けつけたウミがベルトルトの胸目掛けて剣を下から上へと斜めに切り抜き一閃した。
「(エレンは返してもらう……!!)」
見事ウミがエルヴィンの意思を引き継ぎ、その期待を背負って見事ベルトルトの胸ごとエレンを拘束していたマントの紐を一刀両断したのだった。
驚愕の表情を浮かべたまま状況を把握しきれないベルトルトの背中から滑り落ちたエレンを見事にミカサがキャッチして受け止めた。
ようやくエレンを奪い返す事に成功したのだ!!
「総員撤退! トロスト区へ帰還せよ!」
ウミの手当てにより無事止血し、容体を持ち直したエルヴィンがそれを見届け指示を出した。
その鶴の一声に一斉に頷きドドドドドドドドドとけたたましい音を立てて兵士たちは馬で一斉に退避した。
鎧の巨人の顎に突き刺したワイヤーをぶら下げながらベルトルトは呆然とぶら下がり、一瞬にしてエレンを奪い返されてしまったのだとウミに切られた箇所から流れる鮮血。
馬の蹄の音を立てて逃げ去っていく調査兵団の自由の翼を見つめていたのだった…。
「(よくもやりやがったな…ウミ……やっぱり侮れねぇのは一番あいつだった!! もっと前から気付いて始末しておけば……いや、始末は出来ねぇ、生きて連れ帰らねぇと……!!)」
このままみすみす逃がしはしない。決して。終わらせはしない。鎧の巨人は去り行く調査兵団へふつふつと恨みを募らせていた。絶対に安全な壁内へと帰らせはしないと。道連れに引きずり落とす。
2019.11.14
2021.02.08加筆修正
2021.06.24加筆修正
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