THE LAST BALLAD | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

#34 辞令交付

 100年の安寧はとっくに崩れ去った。その壁がどうやって築き上げられたものなのか、それは誰も知らない。
 そして、その壁が破られた瞬間、人々は壮大な争いの渦中へと飲み込まれていくのだった…。果てしなく続く戦い、やがて多大なる犠牲の上に知るのだ。壁の内側から破壊をもくろむ殺戮者の存在を。

 薄暗い地下深く。冷たい氷のような無垢な棺の中。5年前、ウォール・マリアの壁を破壊した「超大型巨人」・「鎧の巨人」と同じ人間の中に紛れ込んだ巨人の一人、「女型の巨人」としてアニ・レオンハートはその正体をウミ達の前に明らかにした。何の理由があるかは知らないが、巨人の力を持つエレンを奪うため、ウォール・シーナ・ストヘス区を急襲し、巨人化したエレンと調査兵団を相手に熾烈な戦いの果てに悲願であるアニを捕獲することにようやく成功したのは壁が破壊されて人類が屈辱を味わってから5年目の出来事だった。
 すべての情報を彼女から聞き出す前にその沈黙を貫くかのように、全身を硬質化のような美しい輝きの中で深い眠りに落ちたのだった。

 アニは一言も語らぬまま、まるで眠れる森の中で100年の眠りにつき王子様の助けを待つお姫様のように、冷たい棺の中で今も変わらず沈黙している。どんな手を使っても、どんな技術を持ってしても、彼女を覆ってしまった硬いその壁のように強固な物質に覆われ、それは今の調査兵団の技術を以てしても決して打ち破ることは出来なくて…。暗い布に覆われ運ばれていく物言わぬアニの姿をただ黙って見ている事しか出来なかった。

 その一方で、人類は今新たな脅威が迫っていることを知るのだった。夕暮れに染まる美しいストヘスの町並みは無残に破壊されており、その東の壁にはエレン巨人に敗北したアニが逃走しようと指先を硬質化して壁をよじ登ろうとして刺しこんだ指の一部が欠けて壁の中身がむきだしになっていた。しかし、壁に穴が空いただけ、ではない。ゆっくりとその目でその破片を辿り、そしてその穴へと注がれていく…多くの調査兵達が見上げた先で、まさか、こんな事になっているなんて。

「オイ、何してやがる、マヌケな顔しやがって、」
「リヴァイ…」

 呆然と、見上げた目線の先で、ウミは信じられないと言わんばかりにその光景を見ていた。いや、目があったから見つめ返していたのだ。大きく開いていた瞳孔が狭まりそれははるか下の自分達を見つめている。ウミはたまらずリヴァイの上等な衣服の袖を掴んで震える足で何とか立っている状態だった。

「巨人……?」
「まさか、」

 壁下にいる兵士たちもその異変に気付いて次々とその場に集まってくる。情報を耳にしたハンジが急いで駆け寄るとモブリット・バーナーがその光景を見て不安そうにハンジへと指示を仰ぐ。

「分隊長……指示を!?」
「え……何……? ちょっと待って……(アレは……たまたまあそこだけにいたの……? それとも、もしそうじゃなきゃ……)」

 壁の中から姿を現したのは壁のサイズより大きな50m以上はある「超大型巨人」よりは小さいが、それでも壁と同じくらいのサイズの大型巨人が現れたのだ。壁の中に隠れていた巨人、まさか、いつからあんなところに????呆然とするハンジの肩をいきなり背後から息を切らしながら現れたウォール教の司祭であるニック司祭が姿を現しハンジに告げる。

「ニック司祭?」
「……るな、あの巨人に……、日光を……当てるな……!! 何……でもいい、光を遮るものを……被せろ…急げ……!」

 突如息を乱して現れたニック司祭の指示を受け、壁の巨人が動き出す前に慌ててシートでその巨人の顔は覆い隠され、巨人が活動しない日没後に、壁の穴を埋める作業がこの壁の中の住人に気付かれぬように行われることになった。
 この世界は想像以上だった。まさか、この壁の中の正体を存在を知りながらずっと隠していた者がいたのだ。
 ハンジは強い強い憤りを覚えた。それは自分たち調査兵団が長らく探し求めていた事実じゃあ、無いのかと。
 怒りの眼差しはニック司祭に向けられることになる。無知を知れ、人々は何も知らないのだ。
 盲目の果てに見えた真実に憲兵団が死体処理等に追われる中ではマルロが悔し気にヒッチへとその無念さを、多くの民間人が犠牲となった血まみれの惨事が繰り広げられた住宅地を眺めていた。

「いったいどうなっているんだ……ここで答えて下さい! あの2体の巨人は何なんですか!? 」
「今説明できる時間は無い! 下がってくれ!」
「住民に多数の被害が出てる!死人も出たというのに……なぜここに巨人がいて戦闘が行われてしまったのか!? この責任は誰が負うのですか!?」
「新兵よ……お前では話にならない。お前らの上官を呼んでこい、酔っぱらってなかったらな」
「クソ……」
「アニってばこんな時にサボりやがって……」
「あぁ……まったくだ あいつどこ行きやがった」

 この凄絶な争いの果てに多くの罪なき民間人が踏み荒らされた現状を…アニが作り出したとは思いもしないだろう。しかし、皮肉にもそのアニの手によって人類はまた新たな脅威に直面するのだった。

 ▼

 露出した壁の中から出てきた大型巨人。日光の光を浴びて活動する巨人が壁の中ではずっと眠っていたのか目を覚まして暴れ出す前に慎重な作業が迅速に行われて、ひび割れて欠けた部分は幾重にも交差したカラフルな布で覆われていた。
 壁の上に連れてこられたニックがその真下にある大型巨人が隠れたのを這いつくばりながら恐る恐る覗き込んでいる。

「さて、そろそろ話してもらいましょうか。この巨人は何ですか? なぜ、壁の中に巨人がいるんですか? そしてなぜあなた方は、そのまま、黙っていたんですか?」
「私は忙しい。教会も信者もめちゃくちゃにされた! 貴様らのせいだ、後で被害額を請求する! さぁ、私を下に降ろせ」
「いいですよ」

 普段の陽気さを完全に消えたハンジが冷徹にその瞳を厳しいものに雄々しく変えて睨みつけているも、それには答えずに今回被った被害を調査兵団に問い詰めるような発言をするニック司祭。そして、逆に女神を信じる者たちの神聖なる儀式を信者を殺されたんだと責めるようにまくし立てるニック司祭の神父服に皺が寄るほどにハンジはその胸元を掴んでいきなり片手でそのまま持ち上げると、

「ここからでいいですか?」

 ずっとハンジの無茶ぶりに付き合わせられながらも彼女を信じてついた来た腹心の部下のモブリットが慌てたような声を発した。いくら事実を隠していたとしても壁の中の権力者であるニック司祭を傷つければハンジの身が危ない。彼の胸倉を掴み持ち上げたままそのまま遥か壁上から落下させようとぶらりと宙に浮かせたのだ!!

「ううっ!!」
「分隊長!! ウォール教の司祭に!!」
「寄るな、」

 駆け寄ろうとしたハンジ班のメンバーを遠ざけ、ハンジは静かに。あくまで激情を抑え込んで静かに怒りを露わにした。しかし、いつもと違うハンジの纏う空気に部下たちもハンジが本気で怒っていると、本気で怒らせたらまずい人間だということを理解し、大人しく見守るしかない。

「ふざけるな。お前らは我々調査兵団が何のために血を流しているかを知ってたか?巨人に奪われた自由を取り戻すためだ!! そのためなら、命だって惜しくなかった、それがたとえ僅かな前進だったとしても、人類がいつかこの恐怖から解放される日が来るのならと命を捧げ続けてきた。今まで得られなかった、それでもまだ……とぼけられるのか? どれだけの仲間が巨人に食い捨てられていたか、知りませんでした。と? 事実お前らは黙っていた。お前らは、黙っていられた。いいか? お願いはしてない、命令した。「話せ」と、そしてお前が無理なら次だ! 次のヤツに自分の命とどっちが大事か聞いてみる。何にせよ、お前一人の命じゃ足りないと思っている。それともお布施の方がいいか? いくら欲しいんだ?」
「……手を……放せ……」
「今、放していいか?」
「今……だ!」

 真実を今すぐ語れ、そうしなければ命は無いと脅かすハンジ、足元のはるか下でぽっかりと空いた深淵の淵でそれでも絶対に口を割ろうとしないニック司祭の揺るぎない覚悟は死んでも口を割る気はないと彼女に伝え、その光景をまざまざと目の当たりにしたハンジはついに強行手段に出た。みんな一度キレたら恐ろしいハンジの姿に誰も動けずに二人のやり取りを見守ることしか出来ない。

「わかった、死んでもらおう」
「ハンジさん!!」
「お…っ、お前達の怒りはもっともだ。だが……我々も悪意があって黙っていたわけではない! 自分の命がかわいいわけでもない! それを証明してみせる!! そもそも私などは酒に溺れて家族を失った……ろくでなしにすぎない……神にすがることでしか生きられない男だ……そんなろくでなしの口一つさえ割れんようでは私以上の教徒にどんな苦痛を与えようと到底聞き出せまい!! 私を殺して学ぶが良い!! 我々は必ず使命を全うする!! だから、今……!! この手を放せぇぇぇえええええ!!」

 この教団は真実を命懸けで守り続けて今の今まで…あの大型巨人が壁の中から現れるまで押し殺してきた壁の真実に、ハンジはもうこの男は殺しても真実を明かそうとしないことにそのまま胸ぐらを掴まれまともに呼吸すらできていなかったニック司祭を鍛え抜かれたその片腕で壁の下に投げ出そうとしていた司祭を軽々と後ろに放ると、ハンジは脱力した。

「き、さまぁ……」
「ハハハ……ウソウソ……冗談……」

 殺すつもりでこっちが掴みかかれば目の前の非力な司祭はすぐに真実を口にするかと思ったのだが。
 どうやらこの目の前の自分達が公に心臓を捧げているように、ウォール教に魂を捧げているニック司祭は真実を話す事よりも自分の命を捨てる事を選んだ。
 それがこの壁の真実を守る者達の覚悟だ。調査兵団が命懸けで巨人の領域に挑む中で司祭たちはまた壁の秘密を命と引き換えに守り続けているのだった。お互いの思う気持ちは同じ、あまりにも危うく目の前の恐ろしい顔つきをしたハンジに殺される寸前で何とか一命をとりとめ助かった、命を賭けながらもやはり生かされたことに安堵したのかブルブルと震え蹲るニック司祭に背中を向けてハンジは静かに沈みゆく西日を見つめながらまるで自分自身で確認するように呟いていた。

「ねぇ……ニック司祭? 壁って全部巨人でできてるの?」
「分隊長?」
「あぁ……いつのまにか忘れてたよ……こんなの……初めて壁の外に出た時以来の感覚だ。……怖いなぁ……」

 自分達が知ろうとしていた以上の事実がこの壁の中に存在していた。巨人に支配されしこの壁は何と皮肉にも巨人に守られていた事実。
 到底信じたくはなかった。それは皆が同じで、ウミは地下深くに立地された水晶体のような強固な物体に覆われ眠ったように結局最後までその真実を言わないまま穏やかな表情のアニを見つめていた。
 激しい戦いの果てに何とか彼女を捕まえ。さぁ、まず何から聞き出し、そして…償わせようと、脳内でいろいろ思案していたのに。

「リヴァイ……これから私たち調査兵団はどうなるの?」
「どうなるもこうなるもねぇ、まずエルヴィンが戻ってこねぇことには話が進まねぇだろ」
「そうだね、けど、この戦いで多くの民間人が巻き込まれた。調査兵団の立場がますます危ぶまれるんじゃないかと、不安で」
「チッ、エレンのヤツ、怒りに任せて暴走しやがって……いつになったらマトモになるんだ? お前どんな教育してきたんだ」
「もう。自分だって無茶したじゃない、それに、エレンは今は巨人の力を使い果たして疲れてるの、休ませてあげよう?」
「チッ、相変わらず甘ぇな、エレンに対して……」
「当たり前でしょう? エレンはね、あの子がまだおむつが取れていない頃からの大切な幼馴染なんだよ?」
「ああ、そりゃあ知ってる。耳が腐るほどにな」
「えっ、」

 するりと服の袖を掴んでいたウミの手から離れるように。リヴァイは相変わらずの無表情だがエレン、エレン、何かと呪文のようにエレンの名前を口にする心配性の彼女に対して背中を向けてしまう。
 正直言えばウミとエレンは幼馴染で自分よりも深い絆があるのだろう、何かと過保護なウミの性格は理解しているが、いちいち心配していたら身が持たないし、それになによりウミが自分以外の男のたとえそれが自分よりはるかに年下の思春期のガキ相手だとしても、どうにもムカついて許せなかったのだ。ガキ相手に嫉妬してみっともない姿など知られたくはない。

「リヴァイ、どうかしたの……? 怖い顔。してる」
「もし本当のガキが出来たらどうすんだ。それでもあの3人のガキが大事だ、気になるって言うのか?」
「そ、っ……そ、それは……」
「俺はあんなデケェガキ共の面倒は見ねぇぞ、」
「どうしたの? 何で怒ってるの? 私、何かしたの?」
「うるせぇな……怒ってねぇよ、」
「リヴァイ……! ねぇっ……、待って!」

 沈黙したアニを傍らに会話をしながらウミは早足で立ち去ろうとするリヴァイの服の袖を慌てて掴んで問いかける。ようやく長い長い5年間の沈黙を経て見つめ合えたのに、何か不満があるのなら言ってくれととても悲しそうな表情をするウミの飼い主に捨てられた犬のような瞳にリヴァイは居た堪れなくなると背中を向けたままぼそりと呟いた。

「……お前が俺以外の男の名前を口にするのが許せねぇだけだ」
「は? え?」

 元々声が低いからその声は広い広い地下室にはよく反響した。よく聞こえた彼の声にウミはきょとんと効果音が付きそうな顔で小首を傾げていた。

「どうしたの? リヴァイがそんなこと、言うなんて……やっぱりまだ本調子じゃないのね」
「おかしいか? ああ、俺もだ。俺自身がさっぱりだわかんねぇ。お前に出会ってから本当にお前には振り回されっぱなしだ。お前に近づく男が心底気に入らねぇとは……あんなガキにさえムカついて仕方ねぇなんて」

 そう呟いたリヴァイの声にウミは困ったように、何度も何度も諭すように語り掛ける。

「だって、地下にいた時は、私ばっかりがリヴァイの事が好きで。リヴァイと関係を持ってる女の人に嫉妬……してたのは私なのに。リヴァイ、誤解してるなら何度でも言うけれど……エレンは私のお父さんとお母さん、家族ぐるみでよくしてもらっていたシガンシナ区のお医者さんだったイェーガー先生の大事な一人息子、そして私が助けられなかったカルラさんの託した大切な息子さん。それに、エレンの持っている鍵がこの世界をひっくり返すかもしれない真実が隠されているとしたら。そこに辿り着くにはまず、ウォール・マリア奪還のためにエレンと言う存在はあの巨人の力は調査兵団にとって、家、人類にとっても必要不可欠な存在でしょう? 心配して当たり前でしょう」
「言われなくても理解してんだよ頭の中ではな。だがな、お前は全く分かってねぇよ。さんざん男がどんなもんかわかって来たじゃねぇか。ガキがいつ男になるか……お前は無防備すぎんだよ。そのうち二人きりで隙でも見せて襲われてでも見ろ、心配で身体がいくつあっても足りねぇよ」
「それは……ご、ごめんなさい」

 一昨日のエレンに組み敷かれた浴室での出来事を振り返るかのように、睫毛を伏せてウミはあの時エレンから感じた得体の知れない恐怖と。
 そして彼ではない誰かをエレンの瞳に重なる党変な現象に襲われていた。
 お互いそのまま黙り込むと、リヴァイは空白の5年間を埋める中で抱き合い再会を確かめ、そしてお互いに片時も離れないと誓ったウミを愛しげに引き寄せた。

 戦闘に支障が出るとしても離したくない、離れたくないと、お互いの左手の薬指の指輪をようやくその指に嵌めて、そして今はようやくお互いの話をし始める。離れていた空白の時間の中で、ウミの中には3人の若者の命の存在だった。
 亡くなった親の代わりに命を預かり、そして今の今まで小さな身体を労働に費やして懸命に守り抜いてきたのだ。辛かったのはウミを失った自分だけではない。お互いの大切な命を無くした喪失感は2人とも、痛いのだ。
 そんなウミを責めるのは間違っているとわかっている、しかし、この世界は他人を巨人の脅威から守れるほど優しくはない。
 アニは、死んでいるのか、眠りに落ちて長い夢を見ているのか……。
 真実はこの強固な彼女の棺を砕くしかわからない、しかし、大砲で吹っ飛ばして万が一そのまま粉々に砕け散ったとして。彼女がなぜ執拗にエレンを連れ去ろうとしたのか。それを知るまでは共謀者の真実を隠すアニもろとも吹っ飛ばすわけにはいかない。
 この氷のような冷たい材質はいつか溶ける時が来るのだろうか。今は入念な調査が必要になる。
 絵本の中のお姫様とはまた違うアニの綺麗な年相応の寝顔。いつもクールにすましていた彼女の寝顔はやはりまだ16歳の年相応の少女なのだ。どこかかわいらしくもある無防備なその光景を眺めながらウミはぼんやりと呟いていた。

「結局、私たちがしてきたことは…無駄、だったのかな。ペトラちゃんや、エルドにオルオにグンタの無念、晴らせなかったのかも」
「オイ、また泣くのかよ…」
「ッ、だって!悔しいんだもん…!! 私の考えが甘かった。アルミンなら納得できるんじゃないかって、アニは大人しく地下に入ってくれるって、私、訓練兵の時からアニの事、知ってたの。何度話しかけてもそっけなくて、嫌われてると思っていた。でも、私だけじゃない、みんなから常に距離を置いていた。だから気にしていたの、でも、まさかこんな重大なことを隠していた……あぁ、悔しい!! もっと早くアニの異変に気が付いていたら、止められた。少なくともこの地区が滅茶苦茶になる事も、リヴァイ班やアニに殺された人たち、みんな死なずに済んだかも、しれないのに……!!」

 リヴァイの服の袖を掴んで、はらはらとウミは縋りつくように今回の作戦の不出来を嘆いていた。しかし、ウミは立派に務めを果たした。
「殺すな」「生きて捕獲せよ」という本来倒すべき憎む敵を倒してはいけないと言い聞かせ何とも難しい作戦をミカサを率いてウミは負傷した自分の為にと代わりにやり遂げたのだ。
 悔し気に自分の前でだけ流せと伝えた涙を素直に流す姿は先ほどまで憎悪に取りつかれたかのように果敢に女型の巨人と死闘をしていたウミとは思えない。まるで別人のようだった。
 先ほどまで苦闘していた彼女にこれ以上の責め苦はあんまりだ。リヴァイはいたわるように昨晩愛し抜いたウミをまた抱き締め、優しくその頭を撫でながら涙を流すウミの瞳の端にそっと口づけた。人類最強と呼ばれる男でもウミが見せた涙にはどうやらひれ伏してしまうようだ。

「泣くな、もう二度と言わねぇよ」
「っ、リヴァイにそんな風に言われると悲しいよ、だから、お願い、私を信じてっ、私はリヴァイの奥さん、なんでしょう?」
「ああ、そうだ……だからこそ、他の男に簡単に気を許すんじゃねぇよ……特に、あの歩く生殖器には尚更だ、妊娠させられるぞ」
「ふふっ、クライスなら大丈夫だよ? クライスとはクライスが若い頃からずっと一緒だったけど、クライスの手の速さならあなたが良く知ってる筈、それなら私にとーっくに手、出してるでしょ?」
「それは言える。たが、昔のお前は色気もクソもなかったからな……今は別だろ」
「それは、褒め言葉として受け止めていいのかな?」

 眠るアニを背景に束の間の安らぎの中、安堵と共に再び生還できたこと、命のやり取りを終えて静かに見つめ合う2人の間に突如開かれた扉から姿を見せた一般兵が衝撃的な事実を突き付けたのだった。

「リヴァイ兵長! よろしいですか? たった今、ウォール・ローゼに…! 巨人が出現したとの事です!」

 壁の中に居た巨人の正体もまだよくわからない中で。抱き合う2人の元に駆け付けた兵士がその静寂を切り裂き叫んだ言葉に収まりかけたウミの涙がまた溢れそうになるのだった。さりげない早さで距離を取った二人。ウミは衝撃の事実によろめいた。

「嘘」

 驚愕の表情を浮かべる彼女の脳内に浮かんだのは…一か月前のトロスト区での悪夢。突如として姿を現した超大型巨人、壁を破壊され、それは無残な状態で瓦礫に潰された罪なき民間人の姿。
 そして記憶は更に5年前の無力なあの日へと忽ち戻っていく。

「ウミ、」
「っ……巨人がーー……!?」

 肌に感じた巨人の恐怖、ショックのあまりかくんと両ひざから力が抜けて、折るようにその場に蹲るように崩れ落ちたウミの震える両足は続く激闘でボロボロで、生まれたての小鹿のようにかくかくと震えていた。

「オイ、まだ状況が詳しく分かったわけじゃねぇんだからいちいちメソメソ泣くんじゃねぇよ」
「ごめんなさい」

 トラウマと真相。巨人がウォール・ローゼに侵入してもう数時間が経過しているはずだ。しかし、もうあの時の無力な自分達、いや、人類ではない。ミケ班が何のためにウォール・ローゼに残ったのか、104期生を監視する目的で分担した戦力がある。悔しいのはリヴァイも同じ。もう二度と調査兵団の不在中に奇襲させることは絶対にもう何が何でも阻止する。
 アニが砕いた壁の隙間から顔をのぞかせたあの死んだ目をした大型の巨人によって守られた壁の世界……ひたひたと足音を立てて迫りくる現実は休ませてくれない。さらなる戦いの渦中へ導かれるように。
 リヴァイによりまだ気を失うのは許されないのだと。抱き起したウミの華奢な腕を引く。折れてしまいそうに細いのに、こんな細い体で自分の代わりとなるんだと決意して巨人と戦い続けるウミ連れて2人は急ぎエルヴィンの元へと向かった。

「ったく、休ませてくれねぇな、巨人共は」
「行けるか?」
「行くしかないだろ、」
「104期の監視にミケ分隊長率いるミケ班が当たったのは正解でしたね、どうにか持ちこたえられるかと」
「ああ、だといいがな、」

 既に日没を迎えていた窓の外の月を見上げてエルヴィンは遠くを見つめながら巨人が出現したと言われる南西を向いていたが、その表情は決して明るいものではなかった。そうしている間にウミに目を配り、エルヴィンはリヴァイに目配せした。

「なぁ、エルヴィンよ」
「ああ、そうだな。君の隣には彼女しかいないだろう。ウミ、」
「はい、」

 かつての初恋の相手。今は同じ兵士として肩を並べている。ふいに名前を呼ばれてウミは巨人の出現に過去のトラウマを揺り起こされその恐怖に支配され憔悴していた顔を上げた。

「リヴァイの副官だが……君が適任役だと、リヴァイが聞かなくてな」
「え? でも、それはペトラ、ちゃんが……」

 殉職したリヴァイの副官を務め彼の手足となるべく奔走していた若くて優秀なペトラ。彼女の脅威的な討伐補佐数は彼女がいかにリヴァイと出会ったときは彼に対して怯えていたペトラがやがてリヴァイとの信頼関係を築くにつれその地位を確固たるものとした「リヴァイ兵士長」としての副官。彼の副官を務めるからには並々ならぬ精神力とそして気配りを求められるというのに。

「ウミ、辞令の交付は未だ用意出来ていないが後々用意する。本日付で君をリヴァイ兵士長の副官を任命する」
「私が……リヴァイ班の副官ですか?」
「そうだ」

 エルヴィンの美声が部屋に響く。上官からのその言葉に「いいえ」なんて拒否権など自分にはない。彼の言葉でいつも自分の運命は決められてきた。分隊長を命じられた時も荷が重くて不安にな中での内示を受けたことを思い出していた。リヴァイの手足となって活躍していたペトラはもういない、現在エレンを救出すべく躍動したさっきの無理がたたって負傷中のリヴァイだからこそ尚のこと、今の彼に必要不可欠な副官の存在を射止めたのは紛れもなくウミの存在だった。

「どんどんベテランの兵士が死んじまってる中でもうお前にしか頼めねぇ。俺の手足となって存分に活躍してもらうぞ、ウミ」
「リヴァイ……」
「俺の目の届かない場所で死ぬことだけは許さん、命ある限り、お前の心臓は俺のモンだ。そして、お前は誠心誠意俺に尽くせ、いいな」

 このワンシーン、どこかで見たことがある。そうだ、それは一か月前に彼が自分の班にウミを引き入れた時の事だ。そうして自分はまた彼の傍で堂々と共に在れる幸せを噛み締めて。
 ウミはまた頷きリヴァイの手を取る。

「はい、リヴァイ兵士長。あなたにお仕え出来る事……大変光栄に思います。精一杯務めさせて頂きますので……よろしくお願いします」

 それは彼が最愛の人だからではない。兵士長として調査兵団の欠かせない存在である彼の為にこうして力になれる事が純粋にうれしかったから。ウミはにっこりと微笑んで。
 それは今にも掻き消えてしまいそうな儚い微笑みだったが華奢で小さな手、だったけれどウミは今度はリヴァイの刃、手足として今後活躍の場を与えられたのだ。兵士として何としても彼の役に立ちたい。今この瞬間、自分は彼の唯一無二の刃となったのだ。

「行くぞ、原因を調べにエルミハ区に向かう」
「はい、リヴァイ兵長」
「待て、リヴァイ。エレンとミカサとアルミンをお前たちに着ける。ウミもなじみの三人が居た方が心強いだろう。ハンジの班と一緒に行動してくれ。ウミ、リヴァイの代わりに巨人の相手は任せた」
「はい、エルヴィン、団長」

 先程まではらはらと涙を流して泣いていたウミは入れ替えの激しい調査兵団の中でウミの事を知る者はもうほとんどいない。ウミの実力を知らぬ者達は見た目で判断している者も居るらしい。リヴァイ兵長の副官になりたい女ならごまんといる中で、それを差し置きウミを選んだこと、もう二度とリヴァイはウミを離したりはしない。
 兵士長の妻となるべく女が一般兵では貴族や兵士たちも異を唱える者が出て来るに違いない、ならばここで堂々と。正直公私混同はいかがなものかと意見する兵士もいる中でエルヴィンも思案した。死に行く者たちの中で適役はウミしか思い浮かばなかった。だからこそ何としてもその務めを果たさなければならない。そう、命の限りに。
 馬や馬車を引き連れながら動き出すウォール・シーナ東のストヘス区からの移動を開始するべく準備に取り掛かる。エレンの回復を待たずして忙しなく。
 ひとまず南のエルミハ区へ移動をすることになったウミ達の前より遡る今朝の出来事。

 ▼

 それは女型の巨人捕獲作戦が始動する同時に起きた12時間前の出来事。ミケはクライスに指示をし、巨人の掃討にあたっていたが、撤退しようとした際、未知なる恐怖と対面していた。

『えーっと……その武器は何て言うんですか? 腰に付けた……飛び回るやつ』

 リヴァイに次ぐ実力者で彼がエルヴィンにスカウトされて調査兵団に流れて来るまではベテランの精鋭兵士として彼を慕う多くの者達からも尊敬の眼差しで見つめられていて、ウミにも指導してくれた調査兵団の中でも不動の地位を築いていたミケが。
 徘徊していた全身を体毛に覆われた猿人のような巨人。愛馬を投げつけられてその勢いで巨人の口の中に落下しそのままあらぬ方向に折れ曲がったミケの足首は完全に機能を失い立体機動どころかもう馬のない彼は逃げる事は愚か歩くことも出来ない。
 周囲にはミケを捕食したいがまるで彼に操られているかのようにその主である彼が「動くな」と命令し、それに従いつつ恨めしそうに捕食したい欲求を堪えて待機している。ミケは巨人が人語を話すなんて聞いていないと、自分が今まで調査兵団に居た中で長きにわたって経験してきた過去の今までの自分の常識のよりもはるかに上回る展開に呆然としていた。

『う〜〜ん……同じ言語のはずなんだが……怯えてそれどころじゃないのかぁ。つーか……剣とか使ってんのか……やっぱ、うなじにいるってことは知ってんだね。まぁいいやぁ。持って帰れば』
「ああ!! うあああっ!?」

 巨人を殺す道具であるミケの装備している立体起動装置の仕組みに興味津々に質問をしてくる猿のような外見の巨人。の本体。
 うやって使うモノなのか、思案する獣の巨人が丁寧な口調で話しかけミケに向かって伸ばしてきたのだ。いったいこの巨人はどこから来たのか。今まで長く調査兵団に所属してきたミケですら予想をはるかに超えた未知なる巨人との遭遇に恐怖で完全に意気消沈し、突然迫るその巨大な手にどうすることも出来ずに地面に頭を守るように青ざめ表情のまま地面に這いつくばったのだ。
 普段冷静な彼が、調査兵団のNO.2が、まさか…そんな彼でさえも恐怖に青ざめる程に獣の巨人との遭遇により奪われた立体機動装置と共にそれはミケの戦意すらも奪ってしまったのだった。
 絶望に暮れ膝をついたままのミケを建物の物陰では巨人が物欲しそうに見つめている。万事休すだ。
 しかし、その絶望の中で…ミケはついさっきこの場所でナナバに言った言葉を思い返していた。

 そう、−−「(人は戦うことをやめた時、初めて敗北する。戦い続ける限りは、まだ)
 負けてない!! うああああああ!!!!!!」

 そうだ、まだ戦う意思はある。戦慄していた瞳を再びその言葉で闘志に火を灯して身構え叫び、立体機動装置を奪い去り行く獣の巨人に手にした刃を向けたその瞬間。

『あ、もう動いていいよ』

 支配された巨人たちはまるでその声に操られるかのようにミケの周りで止まっていたミケが仕留めなかった無垢の巨人らが一斉にミケに向かって駆け寄ってきたのだ!!!

「やぁだぁぁぁ!!! やめてええぇ!!! あああ! いやぁああ」

 一気に四肢を巨人に捕まれどうすることも出来ず無残に頭から食いちぎられていくミケの悲鳴が響くも彼を助ける者はいない。
 周囲に飛び散る血、そしてミケは得体の知れない恐怖にむしばまれながら死の淵に冷静さを失い聞くに堪えない断末魔の悲鳴を上げながら抵抗もむなしく全身を生きたまま無残に巨人共に食いちぎられていく。
 両方から噛みつかれあらぬ方向へ引き裂かれていく胴と頭は首から離れ、ミケの悲鳴はそこで途絶えた。その言葉に自分言語はこの壁の中にしか世界が無いのだと信じて暮らしている者達と同じ事を知ると、獣の巨人は立体機動装置を壊さぬように繊細な指先が摘み上げ掌に乗せて呟いた。

『なぁんだ……やっぱ、しゃべれるじゃん。しっかし面白いこと考えるなーーこれだから壁の中の人間が考えてることなんてわからな「この壁の中の世界の人間?? 何言ってやがんだてめぇ」

 その瞬間、自分の耳元で聞こえたのは怒りに燃えた地を這う男の低い声。振り向いた時には刃が煌めき驚いたような獣の巨人の顔が鈍色の光に浮かんでいた。

To be continue…

2019.09.18
2021.01.29加筆修正
prevnext
[back to top]