再びウォール・ローゼが破られ巨人多数襲来の知らせを受けたウミ達はエルヴィンの指示に従い班を編成し、そしてウミはペトラの果たせなかった意思を引き継ぐように最愛の人であるリヴァイの副官となった。
突然の愛すべき男からの異例の指名、抜擢に嬉しくもあり、しかし、心にはまだしこりが残ったまま。5年間のブランクがある自分はまだ戦力的に本当に現役の頃の自分を取り戻せていない。
彼の負担になりはしないか、まして、今婚約をした自分たちがお互いに上官と副官になるとは。
自分の親がそうだったように、兵士として公私混同だとまた影で囁かれるのではないか。
団長、兵士長として今まで5年間築き上げてきた2人ののことを思えば、選んでくれた2人の男の評判を自分のせいで落とすわけには行かないと、気を引き締めて取り掛からねばと思った。あの時、自分はアニを殺そうとした。3年間一緒に見守ってきた104期の仲間の彼女を何の躊躇いもなく。しかし、その時の記憶はない。一瞬過ぎったエレンの悲しそうな顔に、アルミンの表情に、揺らぎ躊躇ってしまった。非情になりきれない自分の甘さがこの先もっと大きな誤ちを犯したとして…。
いや、もう自分は既に誤ちを犯しているのだ。
5年前の悪夢。「鎧の巨人」と「超大型巨人」を殺せなかった。そのせいで壁の破壊を許し、そして巨人の手によってウォール・マリアは陥落した。
だから次こそは何としても果たすのだ。最後まで勇敢だった自分の両親を思い出せ。この命を賭けて故郷を取り戻すために自分は生かされた。自分の前を行く彼を悲しませたとしても。5年間自分を待ってくれていた彼の手を今度こそ離さない…。それなのに、こんなにも愛されているのに、大切にされているのに、彼に慈しむように愛された安らぎの中でも生きているという価値を見いだせない。抜け落ちた半身、守れなかった小さな命が消えてしまったあの日から心には今も穴が空いたまま。
「オイ、何ぼんやりしてやがる」
「えっ!」
「早く来い、」
「ごめん、なさい」
半ば手を引かれるように。女型捕獲作戦から数時間も経たぬ内に再び巨人との戦いに駆り出されることになる。
激しい戦いの果てに物言わぬ眠り姫となったアニを地下深くに安置し、そして、2度あることは3度あると言う言葉の通りに。
シガンシナの悪夢が再び訪れ、救援の為にストヘス区を出発しウォール・ローゼを経由して現在混乱の渦中の中にある南突出区であるエルミハ区へと向かう事になった。ぼんやりするウミに対して先を歩いていたリヴァイが声を掛ければウミはここではないどこかに思考を飛ばしていたらしい。
リヴァイがすかさず小さな頭を小突けばウミは思考を再び戻した。
「お前な……ここがもし壁外で、そして巨人が居たら食われちまってるぞ? 本当に大丈夫か?」
「ごめん、なさい……大丈夫。だよ、」
「ったく、世話が焼ける……くれぐれも俺との約束を忘れんじゃねぇぞ」
「うん。分かってる……大丈夫、ちゃんと、貴方との約束は、忘れてないから」
二人きりの間に漂う空気の仲リヴァイは改めてウミに厳しく言い聞かせた。
振り向いた彼の瞳を見上げてそう告げると、ウミはまたリヴァイの背中を小走りで追いかけていく。
5年前のすれ違いの中でようやくまたこうしてお互い見つめ合い気持ちを新たに元の2人に戻ったのに。
ふと、この小さなウミの手を放してしまえばたちどころに消えてしまいそうでたまらなく不安になる、これから彼女は最前線へ向かう。ウミの戦力が必要なことは理解している、そして自分はこの足では到底役には立たないだろう。人類最強ともいう名が肝心な時に意味を為さないなんて。
人間ならまだしも、これから向かうは巨人たちが群れ無し連なる生と死の最前線。負傷したリヴァイはその任務から外れ、未だ真実を隠し沈黙を貫くニック司祭の監視を命じられることになる。負傷した自分。残念ながら人間の監視くらいしか今は出来る事が限られている。
ウミから受け取ったのは 負傷した自分に似合の金の細工が施された銃だった。もし妙な真似をしたらリヴァイは躊躇いもなく殺すだろう。地下街でそうやって生きて行く事で今まで生きながらえた男にはなんの造作もないことだ。もし、自分が手を汚すことでウミを悲しませるとしても。
壁の中の人類が生きながらえる為であれば。手段は問わない。5年の沈黙の末にようやく巡り会えたウミをもう二度と離したくない。きっとその笑顔を守る為なら、躊躇いはない。
▼
日もとっぷり暮れて巨人の動きが弱まる夜になるとストヘス区内は女型の巨人の戦いで破壊された街の処理とウォール・ローゼの壁の破壊箇所の特定に向けエルミハ区へ向かう準備に追われる者で溢れていた。
ストヘス区の支部の廊下の道中で2人は神父服にジャケットを羽織り、着替え終えたウォール教のニック司祭を見つけた。
「ニック司祭?」
彼は確かさっきまでハンジと一緒に居た気がしたが……そういえば、肝心のハンジはどこに?ウミは調査兵団内で怒らせると一番怖いハンジに散々問い詰められて疲れたような表情のニック司祭の表情に首を傾げるとリヴァイがつかつかと歩み寄り低い声で詰め寄る。
人類最強にまで詰め寄られニック司祭はすっかりすくみ上がり、青ざめていた。確かに今の今まで調査兵団達が命を賭けてでも求めていた事実を沈黙していた彼の罪はとても重い、しかし、そんなニックでも口を割れない事情があるのかもしれないと思うと改めてそもそもの沈黙を命じたこの国の王政に対して恐怖心を抱いた。責めるべきは彼ではない。
「オイ、てめぇをいじめてたクソメガネはどこだ」
「ああ、それなら……」
「リヴァイ、乱暴はだめだよ、今はこの人を責めるべきじゃない。そうですよね?ニック司祭」
「お前は……さっき女型の巨人を……」
「あ、失礼しました。ご挨拶もなく。調査兵団の兵士長副官を突然ですが今日から務めています、ウミ、と申します。ご挨拶が遅れてすみません。以後お見知りおきを」
ニック司祭は初多面でもあるはずのウミに対して昔、どこかで見た事のあるような懐かしい面影を抱いた。最後ににっこりと、微笑み瞳が弓のように柔くしかし、愛らしい顔立ちに似つかわしくないハキハキした物言い、甘くない落ち着いた声で述べた。
他人の空似であるはずなのに柔らかな色素の瞳の奥に見つめるその雰囲気の中で。ニックのその視線の先、開かれたドアの向こうでは準備に追われて荷物をかき集め焦ったようなモブリットの声が響いていた。
「分隊長、何故今? 5分後には出発らしいです! 急いでください!!」
「ちょっと確認したいことが」
「オイ!! 急げ、クソメガネ」
「ああ、ごめん、彼は?」
「さっきからお待ちかねだ」
部下のモブリットに急かされながらもハンジは気がかりなことがあった。顕微鏡で見ていたのは。ハンジの骨ばったその手には透明に透き通った石のかけらが握られていた。
「モブリット、そんなにたくさん持って大変でしょ? 手伝うよ」
「ああ、悪いなウミ。助かるよ」
「いいの、リヴァイはニック司祭とゆっくり来てね、私は先に行ってる」
一応リヴァイの副官へと5年前の分隊長の権力から一般兵へと降格した中で急激にまた大出世をしたウミだが、先輩であるモブリットにばかり荷物を持たせるわけにはいかないと、モブリットがその腕に抱えていた地図や書類の半分を貰い、二人で急いで馬車の待機場所へと向かった。
「ハンジ、」
「なんだい? どうしたの?」
「ウミの事はお前の班に任せる、くれぐれも暴走しねぇように」
「うん、任せてよ。リヴァイの大切なフィアンセだからね」
「そうだ、死なれちゃ困る」
「へぇ! 珍しいね! やけに素直じゃない」
「てめぇ。いちいちうるせぇんだよ」
「いいねぇ、本当に。こんな時だからこそ、明るい話題は大切だからね、任しておいて。リヴァイが心配しなくても、ウミは私が守るから安心して子作りに励んでよ」
「お前はいちいち余計なんだよ」
この5年間の中でウミと離れたリヴァイがどんな日々を送っていたのか、そしてようやく願い叶って結ばれた二人に、死と隣り合わせの世界でこれ以上の悲しいシナリオが起こらないように。
彼の良き友人としてウミの代わりに今までそばに居て彼を見てきたハンジは明るく頷きリヴァイから離れて駆けていくウミの頼りない小さな背中を見送った。本当に彼女は目を離せばすぐにどこかに飛ばされていきそうだから…。
巨人化の後遺症を抱えて休んでいた中で、アルミンからまた災厄が訪れた事実を耳にしたエレン達も慌てて集合場所へと向かい、エレンは悪態突きながらも、アニとの激闘の果てにまだ完全に体力が回復していない身体を引きずり馬車に乗り込み出発の準備をしていた。
「いったい、何がどうなってるんだ……? クソっ、」
「でも……巨人が居る壁を……巨人が破るかな?」
しかし、沈みゆく太陽の中、不気味にこちらを見つめていた虚ろな瞳に抱いた疑惑。アルミンはどうしても忘れられなかった。
「前にもあったろ、オレ達の街が奴らに……!」
「あれは門だった、」
「あぁ?」
「アルミン、何を考えてるの?」
「あの壁ってさ、石のつなぎ目とか、何かが剥がれた跡とかなかったから……どうやって作ったのかわかんなかったんだけど……巨人の硬化の能力で作ったんじゃないかな?」
「ん?」
「アニがああなったのも、硬化の汎用性が高い」
「巨人が……壁を……」
手足を硬化させ、まるでそれは青く輝く硬い刃のように。持ち前の格闘術と織り交ぜてエレンと戦っていた女型の巨人の姿を思い出す。崩れ落ちた壁はまるで…アルミンは幼い頃から気にも留めていなかった、自分達を守っていたあの壁の正体は一体何を材質にしているのか。壁は100年もの間ただそこに昔から存在していたわけではないというのに。
「エレン、ちゃんと掛けて。夜は冷える」
ミカサがエレンが冷えないようにと甲斐甲斐しくマントをかけてやる。昔からの決まりきったやり取りの中で、エレンはミカサがこうして世話を焼くのが内心いつまでも子供扱いされている気がして疎ましくもあった。好きだからこそ世話を焼きたくなる純情な女心をまだエレンはイマイチ理解しきれていない。ミカサのエレンを思う気持ちなど考えなかった。彼女は6年前から変わらず今も一途にエレンが遠くに行ってしまわないようにと澄んだ黒い双眼はエレンを見つめ、ひたむきにそれだけを願っていた。
「お待たせ、」
「ウミ!」
「三人とも、遅くなってごめんね。大丈夫だった?」
「ウミこそ、疲れてない? 休めた?」
「うん、大丈夫。私は問題ないよ」
先程まで共闘していた時にウミが見せた復讐に取りつかれた恐ろしい顔つきは消え、元の表情に戻り3人の前に姿を見せたウミに安心したように駆け寄る。リヴァイの背中を追いかけ去って行ったその背中を見送ってからまた戻ってきてくれた彼女に同郷組が揃いその安心感は彼らにしかわからない。リヴァイが5年間で調査兵団の幹部組と絆を深めていたようにウミもウミでエレン達104期生と絆を深めていた。
ウミの後ろからハンジたちもやってくる。が、リヴァイに連れられて歩くこの場には似つかわしくない男が姿を現したことに驚いていた。
「ごめん、案外準備に手間取っちゃってさ」
「え?」
「あの……何故、ウォール教の司祭が……」
「ああ、ニックとは友達なんだよ。ねぇ〜? まぁ、気にしない気にしない。この班の編成自体良くわからなくはあるんだし、ね? リヴァイ」
「いや、意味はある。エルヴィンがこいつらを選んだんだからな」
モブリットが荷馬車を走らせるために座り、開門準備を待つ中でエルヴィン団長もやってきて次々と集まる兵士達を見渡しながらウミはさっきまでエレンに成り代わり活躍していたエレンと同じ背格好の馬面の悪人顔のジャンが居ないことに気が付いた。
「あれ、そういえばジャンボは?」
「ジャンボ……いや……! ジャンは別の方に居るよ。僕たちはエレンがこの状態だから荷馬車でこのまま向かうんだ」
「そうなんだ。エルヴィン団長のところに? じゃあ私もそっちに行こうかな、だって、私まで乗ったら体重オーバーしちゃう」
そうしてウミは負傷中のリヴァイとまだ回復していないエレン、そしてちょうど6人で乗って余裕を持つ荷馬車に自分は乗れないからと遠慮してジャンの配列の方へ向かおうとしているその腕をハンジが掴んで引き寄せた。
「そんな! ウミくらいなら全然問題ないし、大丈夫だよ! さすがにクライスはダメだけど軽くて小さなウミ一人くらい増えても全然問題ないよ、ねっ、リヴァイ」
「オイ、ウミ……てめぇ、さっきの内示は辞退すんのか? 違ぇだろうが。つべこべ言わずにさっさと俺の隣だ。乗れ」
「ちっ、小さくない……。失礼、します」
「オイ、俺の足を踏むな。もっと悪化したらどうすんだ」
「あっ、ごめんなさい……!」
3人の間を頭を下げながら荷馬車の中を進んでウミはごく自然にリヴァイの隣へと腰を下ろした。彼の隣に腰を下ろし、狭いので少し彼に凭れる形になる。
触れ合う手と手。しっくりくるように、まるで二人は最初からひとつの個体だったように馴染んだ。
もうすぐ彼とは別行動。こうしていられるのもあと少し。本当は女型の巨人を捕獲し、失墜しかけた調査兵団の信頼を回復させたら今度こそは…しかし、それはまだ当分叶いそうもない。
ウミはリヴァイの肩に寄り添い瞳を閉じた。
そうだ、今だけしかないのだ。だから、ふたりが傍に居られるギリギリまでは…。負傷中でもある彼の隣に居るのが副官でもあり、そして許されたのは自分だけだと。願うなら自惚れさせて欲しい。
荷馬車はここからウォール・ローゼを経由して南に位置するエルミハ区へ向かう。開門が始まりエルヴィンの心地いい高らかな美声が皆に指示を出す。
「ウォール・ローゼの状況がわからない以上安全と言えるのはエルミハ区までだ。そこで時間を稼ぐ、行くぞ!」
それを合図にエルヴィンが愛馬を連れ先陣を走る。リヴァイが荷馬車の馬の手綱を握るモブリットへと指示を出した。
「出せ、」
「はっ、」
リヴァイの掛け声で荷馬車がゆっくり動き出し開門したローゼの門を潜り抜け徐々に速度を増して混乱と争いの渦中となった激闘のストヘス区がだんだん遠くなっていく。馬が駆ける緩やかな振動で揺れる髪を靡かせながらウミは聳えた壁に思いを馳せた。
アルミンは何故この中に関係ない筈のウォール教の司祭が居るのか問いかけると、信じられない答えが返ってきて、まだ足腰の立たないエレンが驚いて立ち上がる番だった。
「ところで……ウォール教の司祭がなぜ一緒に」
「それが……今回の女型の巨人の破壊した壁から姿を現した巨人の存在を彼はずっと知っていたんだ」
「え……知っていた? 壁の中に、巨人が居る事を……この人は知っていたんですか!?」
「ああ、でも、それを今までずっと黙っていた…」
「はぁ?」
「他の教徒に聞いてもよかったんだけど……彼は自ら同行することを選んだ。状況が変わったからね……彼は我々に同行し、現状を見てもなお、原則に従って口を閉ざし続けるのか…自分の目で見て……自分に問うらしい……。なぜかは知らないが、自分が死んでもその他の秘密を言えないというのは本当らしい……。彼ら教団は何かしら壁の秘密を知っている」
「はぁ!? 何だそりゃ!! イヤイヤイヤイヤ……それは……おかしいでしょ!! 何か知ってることがあったら話して下さいよ……! 人類の滅亡を防ぐ以上に重要なことなんて無いでしょう!! うっ!?」
勢いよく立ち上がったエレンだったが、巨人化のダメージがまだ回復しておらず、そのまま眩暈を起こして座り込んでしまう。
「エレン、おとなしくして。まだ巨人化の後遺症が……」
屈強なミカサに支えられ、座り込んだエレン。先程まで激情に駆られていたハンジは冷静になり答える。
「どうだろう……私には司祭は真っ当な判断力を持った人間に見えるんだ。もしかしたらだけど。人類滅亡より重要な理由があるのかもしれない」
「質問の仕方は色々ある……まぁ……こいつには少し根性があるらしいが、他の信仰野郎共はどうだろうな……全員がまったく同じとは思えんが……まぁ」
カチャリとリヴァイの上質な素材で出来たジャケットの中に先程ウミから渡された金細工の拳銃を隠し持つリヴァイがその銃口をニック司祭に向けたまま静かにつぶやいた。
「俺は今ケガで役立たずかもしれんが……。こいつ一人を見張ることぐらいできる。くれぐれも……うっかり体に穴が空いちまうことが無いようにしたいな……。お互い」
「脅しは利かないよ、リヴァイ。もう試した。まぁ、怒らせたら本当に一番怖いのはウミだから試してみる価値はありそうだけど」
からかい半分でそう告げるハンジに自分が怒れば怖いのかはさておき、提案してみる。
「そうかな? じゃあ半殺し程度に試してみる?」
「馬鹿野郎。止せ。お前だと本気で殺しちまうだろうが……」
「うん、やめた方がいい、僕も……反対かな」
「ウミの怖さは親譲りだもんね」
「確かに、ウミの母ちゃんも父ちゃんも……愛想よくいつも笑ってるのにおっかなかったもんな」
「そうかな? うちのお父さんとお母さん怖かったかな?」
彼女のの言葉に誰もが黙り込んだ。実の娘で品行方正の彼女だからエレンのようにそんなに怒られる機会は無かったのだろう。
かつて壁外を駆け抜けた父親と母親譲りの気迫で、先程のアニとの戦いで見せた躊躇いもなく彼女を殺そうとしていた殺気に溢れた状態のウミの表情。しかし、彼女はここぞと言う時にしかその内に秘めた潜在能力を発揮しない。
今のウミが彼に情報の提示を求めて問い詰めたとしてもきっと口を割らないはず。
「私には司祭がまっとうな判断力を持った人間に見える。もしかしたらだけど……彼が口を閉ざすのは、人類滅亡より重要な理由があるのかもしれない……」
「……ハンジ。オイ、クソメガネ。お前はただの石ころで遊ぶ暗い趣味なんてあったか?」
「あぁ……そうだよ。これはただの石じゃない……。女型の巨人が残した硬い皮膚の破片だ」
「え……え!? 消えてない!?」
「そう! アニが巨人化を解いて体から切り離されてもこの通り! 蒸発もしない……消えないんだ。もしかしたら……と思ってね「壁」の破片と見比べたらその模様の配列や構造までよく似ていたんだ。つまりあの壁は、大型巨人が主柱になっていて、その表層は硬化した皮膚で形成されていると考えているんだ」
ハンジが手にしていたそれの存在を知りアルミンが慌てふためく。さっきの出発までそうやって調べていたハンジの仮説にニックは瞳を閉じていた。
「本当に……アルミンも言ってた通り……」
「あ……!! じゃ……じゃあ……! ぶ……!?「待った! 言わせてくれアルミン」
やはり、仮説は当たっていたのだ。興奮して捲し立てるように告げようとしたアルミンの口を塞ぐハンジが言葉を続ける。
「このままじゃ破壊されたウォール・ローゼを塞ぐのは困難だろう……。穴を塞ぐのに適した岩でも無い限りはね……」
「でも、もし……巨人化したエレンが、硬化する巨人の能力で壁の穴を塞げるのだとしたら」
「オレで……穴を塞ぐ……!?」
「元の材質は同じはずなんだ……巨人化を解いた後も、蒸発せずに石化した虚像を残せるのなら、あるいは……」
「本当に……? もしそんなことが可能ならだけど、さっきまでそう考えてたんだ」
「賭ける価値は大いにあると思います。それにそのやり方が可能なら、ウォール・マリアの奪還も明るいですよね。従来のやり方だと大量の資材を運ぶ必要があったからそれを支える人員や兵站を考えると、壁外に補給地点を設けながら進むしかなかった。でも、荷馬車を護送する必要が無いとなると、それにはおよそ20年掛かる計算だったけどシガンシナ区まで最速で向かえます」
芽生えた希望にウミは期待に目を向けると、何かを思いついたようにアルミンが伏せていた顔を上げた。
エルヴィンが新兵勧誘式の時に話していた途方もない奪還までの果てなく長い準備を打開する大きな作戦だった。
「それを、夜間に決行するのはどうでしょうか?」
「夜……に……?」
「はい! 巨人が動けない夜にです! 松明の明かりだけで馬を駆けさせることはできませんが……その速度でも……人数さえ絞れば夜明けまでにウォール・マリアへ行けるかもしれません」
「なるほど……少数だけなら一気にウォール・マリアまで行けるかもしれないのか。状況は絶望のどん底なのに……それでも希望はあるもんなんだね」
「えぇ。ただしすべてはエレンが穴を塞げるかどうかに懸かっているんですが」
「ねぇ、エレン。こんなこと聞かれても困ると思うんだけど、それってできそう?」
ハンジのその言葉にウミもエレンへと目を向ける。荷馬車に乗った全員の視線がエレンへと真っ直ぐに注がれていく。ガラガラガラと車輪が舗装された道を走りその音だけがやけに鮮明に響くようだった。その沈黙を割くようにリヴァイがエレンに向き直ると彼らしい言葉で彼なりにエレンへ発破をかける。
「できそうかどうかじゃねぇだろう……。やれ、やるしかねぇだろ。こんな状況だ。兵団もそれに死力を尽くす以外にやることはねぇはずだ。必ず成功させろ」
「……はい!!! オレが必ず、穴を塞ぎます! 必ず……(アニが使ったあれを……オレには絶対できないってことはないはずだ……! あいつにもできたんだから)もう……、わけのわからん状況にはうんざりなんだよ……。まず……今からウォール・ローゼを塞ぐ……ウォール・マリアを塞いだら……地下室だ。そこにすべてがあると言っていた。親父の言葉が本当なら、親父の消息の手掛かりも……そこにすべての答えがあるはずだ……。そうすりゃわかるだろう……この怒りの矛先をどこに向ければいいかが……」
エレンは胸元の鍵を取りだし、その瞳には揺るぎない意志。自分に全ては委ねられている。改めて決意を新たにすべての謎を秘めたそれを強く握りしめていた。
「ん……エルミハ区だ」
会話をしているとあっという間にエルミハ区が見えてきた。ここでしばらくリヴァイとニック司祭とは別行動になる。おそらく巨人が出現したことにより多くの避難民でごった返しているのだろう。リヴァイはニック司祭を連れてその現状を敢えて見せるために避難民が溢れる街の方へと向かった。
「オイ、止まるな。迷子になっちまうだろうが」
「これは……」
「そりゃあこうなるに決まってる。壁が破壊されちまったんだからな……」
行き交う住人のその表情は絶望に染まっていて…ウミはその光景にただ悲痛に胸を痛め、かつてシガンシナ区を破壊されたあの日の悪夢、恐怖がフラッシュバックして5年前の屈辱も時間薬で癒えていたと思っていても、心身に受けたダメージは決して癒えてはいなかった。
心身共に戦い続け疲弊しているウミを蝕み、ひどく吐き気がして口元を手で覆った。泣きながら移動をする人たちを見てニック司祭は想像以上の光景に絶句している。
「お前は来なくてもよかったんだぞ」
「いいの、……平気、大丈夫」
「(お前の大丈夫は大丈夫じゃねぇんだよ、馬鹿)」
こうなる事は分かっていたのに、リヴァイはそれでも着いてきたウミに目を配らせる。
ウォール・ローゼからウォール・シーナのエルミハ区に避難した住民たちは突然住処を失いその表情には絶望が色濃く浮かんでいた。
ウォール・マリアの住人も何とかあの恐怖の政策で食い扶持を減らして未開の土地に送られて5年間を生き延びてきたというのに、今度はウォール・ローゼまで巨人の侵入を許したらこのウォール・シーナひとつでは壁の中の人類はおそらくは生きられない。
巨人に食いつくされる悪夢が忘れられずウミは大丈夫だと言うも疲弊した心身には今もあの時のトラウマが焼き付いているのだと思った。民間人が無残に喰いつくされる地獄絵図。
のんきに壁の神に祈り続けてきた男はこの現状を見て何と思うか。この世の終わりのような表情を浮かべ住民たちは歩き続けている。
「おかーさーん! おとーさーん!」
「あっ、」
避難中に親とはぐれたのだろうか。迷子になり泣いている少年に駆け寄ろうとしたニック司祭をリヴァイがその肩を掴んで止めさせる。
「オイ、何のつもりだ……? 教会の中でやってた妄想と少し違ったか? 住処を失った人達の表情が良く拝めるな。あれがお前らが切り捨てようとしてる顔だ。お前らの望みが叶って、壁を巨人で満たすことに成功すれば、みんな巨人の臭ぇ口の中で人生最悪の気分を味わい、その生涯を終える。人類全員仲良くなぁ…ああ、こいつもそうだ、5年前にシガンシナ区の地獄を味わっている。こいつの表情を見ればわかるだろう」
そうして、ウミの呆然と佇むその表情を見せつけ、ニック司祭は言葉を失っていたようだった。出発まで残り僅かな時間の中で兵団服ではない私服姿のリヴァイの背後で遠慮がちに声を掛けたのはは、控えめで落ち着いた声が響いた。
「もしかして……リヴァイ……?」
聞こえたかわいらしい女性の声。振り向けばそこに居たのはウミと同じく長い髪の綺麗な中に大人のかわいらしさもある一人の女性だった。簡易な荷物を手に纏めて寒さをしのぐように上品なスカーフを巻いている。
「お前も無事にここまで避難してきたのか、レイラ」
「ふふ、よかった。でもこんなところに居るなんて知らなかったよ。そうなの、調査兵団の人が五年前の再来だ、巨人が壁を破壊して攻めてきたから早く避難して下さいって……慌てて逃げてきたの」
「ここにひとまずいれば安心だ。お前は大丈夫か」
「ええ。大丈夫、あら……?」
何やら親し気にリヴァイと話すレイラと呼ばれた綺麗な女性。背も高くシャンと伸びた背筋に流れる様に煌めくストレートのサラサラとした腰まである月明かりに透ける長い髪。その透き通った青い双眼が自分を見ていた。幼少のころから巨人殺しに明け暮れていた自分とは違う穏やかな眼差し。
「ああ、俺の部下だ」
「初めまして、ウミと申します。リヴァイ兵士長の副官を務めております」
「そう、私はレイラよ。リヴァイ兵士長は私のお店のお得意様なの、」
「えぇ、そうなんですね」
「リヴァイの部下だなんて初めて見たわ、いつも一人で来てたから……可愛い女の子ね」
「いえ、」
「こいつはお前より年上だ」
「あらっ、そうなの! ごめんなさい……とても若く見えたから……」
「お前が老けすぎなだけだ」
「あら、意地悪ねっ」
その言葉に頬を膨らませるレイラの愛くるしい表情にズキンと胸が傷んだ。切なくなるくらいに愛しく思う彼の横顔も、その眼差しも向けるレイラへ注がれる目線は客観的に見て酷く優しいものに見えて…そのやりとりははたから見たらまるで…。知らなかった。女に見向きもしないと思っていた男が自分以外の女性にそんな表情をするとは知らなかった。
リヴァイの言葉にウミは静かに睫毛を伏せて言いかけた言葉をぐっと堪えた。自分よりも年下なのに大人びた風貌のレイラと呼ばれた美しい女性に兵士としての自分で頭を下げてそのまま会話を邪魔しないようにと背中を向けてその場を後にしてしまう。
「部下」だとハッキリあの美女の前でそう言い切った彼は自分の事を周囲にまだ妻だと紹介する気はないらしい。
「(リヴァイ……、誰なの、その人は……私も、知らない人……)」
2019.09.24
2020.01.31加筆修正
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