「ジャンボ!! よかった、エレンと無事に入れ替われたのね!!」
「しーっ!! うるっせぇんだよっ!! だからジャンボは止めろっての!! お前は俺の母ちゃんかっ!!」
「あっ!! ごめんなさい……」
「ったく、」
「でも、黒髪も似合ってるよっ」
「ああ、そりゃあどうも! ありがとよ!」
アルミンの立案した作戦によって順調にアニを誘い出すことに成功した。ウォール・シーナに入ったことを確かめ、門が開くそのスキにカツラをかぶりエレンに成りすましたジャンが静かに馬車の中で入れ替わると、ウミの待機する馬車の中にはやたら目つきの悪いエレンが入ってきた。
周囲から見れば背格好も似てる。いつも手抜きの憲兵団ならきっと入れ替わっていることにも気が付かないと思うが、ウミからすればすぐ変装がわかるくらいの馬面だ。そして、馬車が待機する中でウミは狭い馬車の中で突然立ちあがるとジャンの目の前で着ていたブラウスを脱ぎだしたのだ!
「おい! なっ何してんだよ!!」
突然服を脱ぎだしたウミを慌てて止めようとするジャンの顔は真っ赤に染まっている。しかし、バッと勢いよく脱ぎ捨てればいつの間にか隠し持っていた立体機動装置を装備した状態の白い半袖のリブニットに動きやすいように膝上のキュロットスカートを履いたウミの姿だった。
「ナイルに見つかりかけた時はどうなる事かと思ったけれど……何とかここまで来れた……!」
「ええっ!?」
「私も合流するから。後はよろしくね、ジャン。タイミングを見てあのえらっそうな憲兵団に一泡吹かせてやるんだよっ、バーカって」
器用におろしていた髪を邪魔だとくるくるとまとめ上げ、忽ち兵士のウミに立ち戻る。
まるで羽が生えたようにひらりと馬車から抜け出し、目にも見えない速さで憲兵団の目をかいくぐり見つからぬよう一気にアンカーを射出してウミはそのまま馬車から抜け出した。
飛び込んで来た目の前の壁を蹴って進み、上空からエレン達の位置まで静かに移動すると既に屋根の上で待機している兵士たちと合流を果たし真下のアニを見つめる。
いつ彼女が本性を露わにするのか。
その無表情の仮面の下では何を考えているのか。無言で立体機動装置をレインコートの中に隠したアルミンたちを追いかけていく。ウミの真下に居るのは「女型の巨人」の本体の可能性があるアニ・レオンハート。彼女は歩きながらも立ち振る舞いや背後に至るまでまるで隙が無い。
常に周囲の様子を窺い、巨人化されたら厄介だと自分達が尾行していることも捕獲しようとしていることも含めて慎重にいかねば。ウミはリヴァイから預かり受けた立体機動装置のトリガーを強く握り締めていた。
「始まったな」
「ああ、」
エレンと無事に入れ替わり、そしてウミが馬車から出ていくのを先頭馬車からエルヴィンと共に見届けていたリヴァイは静かに心の中で呟いた。
「(ウミ、必ず帰ってこい……。死ぬんじゃねぇぞ……)」
どうかウミだけは…強く握り締めた拳が軋む。次々自分の前からいなくなる仲間達。巨大樹の森での死闘の記憶が鮮明に残る中でずっと幾人もの仲間を看取り続けていた男の心はもうだいぶ前から疲弊している。ウミの死に顔だけは、見たくない。彼女が自分を残して死ぬ。
想像もしたくない、もし、ウミがエレンを守って死んだとして、それでウォール・マリア奪還と地下室の秘密を握るエレンが助かったとして後々ウォール・マリアを取り戻して巨人を絶滅させたとしても…きっと、人類が再び巨人から自由を取り戻してもウミの笑顔が無ければきっと自分の心は永遠に死んだままで、きっと生きていく意味すらも見失うだろう。
「あ! あった……ここだ!」
「(ああ、よかった……無事に着いたのね。あとはこのままアニを地下におびき寄せれば私たちの出番はいらないね……)」
どうやら作戦はこのまま一次作戦で完遂しそうだ。ミカサなら体格差があるし、きっとアニを生きたまま巨人化させないままで捕獲をやり遂げるだろう。建物に隠れて様子を窺うウミの見つめるその先では閑静な路地を抜け、アニに警戒されて怪しまれぬようにごくごく自然な流れで作戦通り地下道に繋がる入り口階段へとたどり着いた三人が居た。
しかし、追い詰められた人間が何をしでかすかわからない危険性を孕んでいる。特に彼女は危険だ。巨人化できる能力者は厄介だ。
慎重に行動するのが今回の作戦の要だ。追い詰められて変身するかもしれないアニの心を乱さぬように、互いに十分警戒して顔を見合わせたエレンとミカサ、その先に作戦で指示され地下道への入り口を見つけたアルミンが一般人に見つからぬようにとそそくさと駆けだした。
「……ここ?」
「うん、ここを通る。昔計画されてた地下都市の廃墟が残っているんだ。これがちゃんと外扉の近くまで続いている」
下手に会話を長引かせてもアニに疑われるだけだ。アニはその階段を静かに見つめてそしてアルミンへ問いかけ静かにその地下へと繋がる階段をじっと見ている。振舞う態度が不自然にならないよう、アニへ事情を説明してそのまま階段を下りていく3人に対し、アニは何故か一歩も動かずにそのまま立ち止まっている。
「ん? アニ?」
アニの気配が無いことに気が付き立ち止まる3人。背後を振り向いたエレンはその降り口で微動だにせずおぼろげな眼差しで立ちすくんでいるアニの姿を見つけて問いかけた。
「何だお前……まさか暗くて狭い所が怖いとか言うなよ?」
「……そうさ。怖いんだ……あんたみたいな勇敢な、死に急ぎ野郎には……きっとか弱い乙女の気持ちなんてわからないだろうさ、」
じっと無表情のままのアニを見上げるアルミンの瞳が微かに揺らぐ。まさか、作戦に気付かれた!?アルミンの背中を冷汗が伝った。エレンは地下を嫌がるアニの姿にまさか本当に彼女が女型の巨人の正体なのかと信じたくなくて早くその疑惑を覆してほしくて声を荒げる。
「……大男を空中で一回転させるような乙女はか弱くねぇよ。バカ言ってねぇで急ぐぞ!」
「いいや、私は行かない。そっちは怖い…地上を行かないなら協力しない」
「な……何言ってんだてめぇは!? さっさとこっちに来いよ!! ふざけてんじゃねぇ!!」
「エレン! 叫ばないで、」
「大丈夫でしょ?ミカサ。さっきからこの辺には。なぜか……まったく人がいないから」
その通り、そこは先ほどから不気味なほどに静まり返っていて通行人も住民も居ない。兵団服を着た者が建物の陰に、私服を着て民間人に成りすました者達が建物の影に。そしてウミは屋根に身を潜めて3人とアニのやり取りをはらはらしながら見ていた。苛立ち始めたエレンには焦りが浮かんでいる。アニはそれを感じ取りそして自分はアルミン、いや、調査兵団に試されているのだとうすうす感づいていたが、ここで確信するのだった。
「まったく……傷つくよ。一体……いつからあんたは私を、そんな目で見るようになったの? アルミン」
アニが万が一気が付き巨人化する前に取り押さえなければ。静かにそっと取り出した信煙弾を握るアルミンの手は震えていて動揺しているのは明らかで。しかし、恐怖を叱咤するようにアルミンが一番抱いていた疑問を、あの日のやり取りを辿るようにアニへと投げかけるのだった。
「アニ……何で、マルコの立体起動装置を持っていたの? わずかなキズやヘコみだって……一緒に整備した思い出だから……僕にはわかった」
「そう……あれは……拾ったの……」
「……じゃあ生け捕りにした2体の巨人、アニが殺したの?」
「さぁね……でも1か月前にそう思っていたんなら……何でその時に行動しなかったの?」
アニが女型の巨人だと確信してしまった、そして顔色一つ変えずに否定もせずにアニは静かに自分が女型の巨人の本体だと、そう答えた。アニの態度に今までなんやかんやで一緒に3年間共にしてきた彼女が敵対勢力の一人だと信じたくないと、出来れば自分の憶測だと、そうであってほしいと願ったアルミンの願いはことごとく裏切られ、アニの答えにショックを受けたように見上げていた。
「……今だって信じられないよ…きっと…何か…見間違いだって思いたくて……そのせいで……でも、アニだってあの時……僕を殺さなかったから今……こんなことになっているんじゃないか……」
「……あぁ…心底そう思うよ、まさかあんたにここまで追い詰められるなんてね……あの時…何で……だろうね、」
「オイ……! アニ……お前が間の悪いバカで、クソつまんない冗談で適当に話を合わせてる可能性が……まだ……あるから……とにかく!! こっちに来い!! この地下に入るだけで証明できることがあるんだ!! こっちに来て証明しろ!!」
「……そっちには行けない。私は……戦士に成り損ねた」
「だから……!! つまんねぇって言ってるだろうが!!」
「話してよアニ!! 僕達はまだ話し合うことが――「もういい」
いつまでもアニが女型の巨人だと信じたくないと否定し必死に地下道へ誘導するアルミンとエレンの言葉を遮るようにミカサは低く冷徹な声でもう聞きたくはないと腹の内を探り合う会話を一刀両断すると、勢いよくフードを剥ぎ取り、風にふわりと艶やかな黒髪が揺れそのままレインコートを勢いよく脱ぎ捨てた。
「これ以上聞いてられない。不毛……」
背中に背負っていた荷物を落とし、腕まくりをしたシャツに立体機動装置を装備した姿をあらわにした。赤いマフラーを揺らして、そのままトリガーに刃をセットして勢いよく剣を抜いたミカサは凄みのある顔でアニを見上げるように睨みつけたのだ。
「もう一度ズタズタに削いでやる、女型の巨人」
その声に巨大樹の森で死闘を繰り広げたミカサが怒りを露わにする。アニはゆっくりと視線を移動させ、眼下の3人を見下し、そして普段にこりともしない彼女のその口元はにんまりと三日月の様に弧を描いていたその瞬間――。
「ッ、フフフフ、ウフフフフ、ハッハッハ、アッハッハッハッ!! フフッ、アルミン……私があんたの……良い人でよかったね。ひとまずあんたは賭けに勝った。でも、私が賭けたのは、ここからだから!!」
ようやく自分が女型の巨人だと認めたアニ。その瞬間を狙いウミが一気に切りかかろうとしていたが、突然嬉しそうにこの場に似つかわしくない顔で笑いだした彼女の今まで見た事のない姿。思わずその光景に動きを止めるほど、突然笑い出したアニは今まで一緒に生活してきたアニとはまるで別人のようだった。今まで見たことが無いうっとりと恍惚としたように頬を上気させたその姿はまるで殺人犯が追い詰められてその罪を告白したシーンと酷似する。その笑顔は嬉しそうで、クールな彼女の年相応の本来の姿のようだった。もしかしたらこれが本来の彼女なのだろうか?今まで壁の中の人類を滅ぼす戦士としていずれ滅ぼさなければならない人間と関わりを持たないようにと感情を押し殺してきた兵士としてではなく、これが本当の私だと、自分を解き放ったかのようだった。
「(アニ……)」
そして、先ほど装着していた銀色の指輪を嵌めた右手を持ち上げ口を開いた。マズイ、あのまま噛み千切りここで巨人になるつもりだ。それと同時に信煙弾を撃つアルミンが合図したその瞬間、建物の陰に身を潜めていた数人の兵士がアニに襲い掛かり、そしてアニの眼前にふわりと舞い降りたのはウミだった。
「アニ、久しぶりだね」
「ウミ――……(やっぱりあんたが立ち塞がるんだね。わかっていたよ、)」
くるくると器用にまとめた髪のおくれ毛が揺れる。静かに、まるで感情のない眼差しでアニを見つめるウミはもうあの時みんなに優しく微笑んでいた彼女ではない。
スラリと抜いた銀色の刃で今にも切りかかりそうなウミはアニの微笑みに静かに怒りをぶつけた。
アニと出会う前からウミはれっきとした兵士だ。ずっとずっと、彼女が戦士候補生として女型の巨人の能力を勝ち取るために日夜戦っていた幼い頃から。交差する無垢な瞳を見つめたアニの蒼い瞳が驚愕に見開かれた。あの時確かにエレンを庇って殴り殺したと思っていたウミは生きていた。仲間を殺された怒りを糧に、無念を果たす為にウミは舞い戻ってそして自分に今剣を向けている。
「随分、楽しそうに笑うのね……」
瞳と瞳が重なった瞬間、アニ扮する女型の巨人に仲間を殺された兵士たちが恨みを込めて急いで駆け寄ると一斉に彼女を取り囲み、巨人化に結び付く自傷行為を阻止すべく小柄な彼女を屈強な男達が取り押さえ、そのうちの一人がアニに手を噛ませぬように布を猿轡にして巨人化を作戦通りに防いだ。
「ウミ、何で……っ」
「エレン!!」
「3人は下がっていなさい!!」
しかし、作戦外だった筈のウミが屋根から突如舞い降り、驚いたのは先ほど自分と一緒に馬車に乗って入れ替わりの時まで一緒にいたエレン。剣をアニに首元に付きつけたまま静止するウミの元へ駆け寄ろうとするエレンをミカサが制止するとウミが厳しい声ですぐに彼を守るように立ちはだかり、身構える。
「首を跳ね飛ばしたら死んでしまうよね、両手両足なら、切断してもいい?」
まるでこの緊迫した状況に相応しくない口調であっけらかんとそう告げたウミの静かな怒りが迸り、アニは戦慄した。口にしたウミの脳裏には目の前の少女に殺された「ペトラ、オルオ、グンタ、エルド」4人の無残な死に顔とそして、彼女によってミカサを庇って女型の巨人の手を退け翼を奪われ負傷した人類最強の恋人の姿が浮かんだ。ここで何としても捕らえて償わせる。殺してでもー…彼女なら本当に本気でやりかねないウミとアニの対峙する姿を呆然と見上げるエレン、アルミン、ミカサ。
構えていたウミが動いた瞬間、エレンを見つめたアニが捕らわれて身動きの取れない状況で突如右手の人差し指に嵌めたままの指輪に触れると、そこから棘を出現させたのだ!
「なっ……!」
それはただの指輪ではない、指輪の形をした暗器だ。まさかそんな暗器を指に隠し持つとは、一体そんなもの、どこから手に入れたのか、どこまで彼女は用意周到なのだろうか。裏の裏をかいくぐりウミと誰よりも早くその棘の存在に気が付き目を見開いたミカサがエレンとアルミンの首根っこを掴み階段を一気に駆け降りる!
「ミカサ!?」
「遅かった……!」
悔し気に顔を歪めたミカサがエレンとアルミンを掴み一気に階段を駆け下り、bk_name_1#が忌々しげに顔を歪めた。
「しまったー!? 押さえつけて口を塞ぐだけじゃダメだった……!!」
もう動きを止めるにはこうするしかない!急いでウミが高速回転して剣を振りかざしてアニの上半身もろとも肉体から切り離したその瞬間!!飛び込んで来たのはアニの決意を秘めた瞳だった。
「みんな!! 離れて!!」
間に合わなかった!あと少しだったのに!ウミが叫んでミカサ達の方へ振り返ったその瞬間、アニが指輪から出現させた鋭利な棘で親指の腹を一気に裂いた。平穏だった内地であるウォール・シーナ上空は金色の光に包まれる。アニの頭上に雷が落ち、吹きあがった爆風でアニを取り押さえていた兵士達が一斉に吹っ飛ばされたのだ!
――「「女型の巨人」と思わしき人物を見つけた
彼女の名は、アニ・レオンハート」
思わず見てしまったエレンの視界に見えたのはアニの身体が金色の光に包まれながら現れた筋組織の皮膚に包まれていく姿。アニを覆いながら骨が肉体を形成してゆき、どんどん人間の姿を形作っていく。
その表情は無。そして変貌を遂げる。あの時四人を殺した女型の巨人へと。
吹き飛ばされた兵士たちは押しつぶされた状態で死んでいた。さらに手を伸ばしてどんどん地下の方まで逃げるミカサ達を追い詰めていく。
一次作戦は失敗した。二次捕獲に移行するべきだがアニはその手を伸ばしてエレン達を追い詰めていく。エレンがどこにいるのかもわからない状態のままアニは一気に踏み抜いた。
「女型のヤツ……エレンが死んでもいいっていうの?」
「賭けたんだ。エレンが死なないことにかけて穴をあけた。滅茶苦茶だけどこうなると手強い。アニは……死に物狂いでエレンを奪うつもりだ!どうしよう。退路を塞がれた。立体起動で素早く出たとしても……その瞬間を狙われる……かといって……ずっとここにいてもいつ踏み潰されるかわからない……」
階段を駆け下りた地下道の中心で逃げ延びた4人は進むことも戻ることも出来ぬまま進路と退路を塞がれた。女型の巨人に変身し、エレンを殺してでも奪うべく正体がバレてもう後戻りが出来ない状態のアニによって。
踏み抜いた天井に空いた穴からは女型の巨人が覗き込んでこちらに今でも簡単に手を伸ばせば届きそうな距離で自分達が出て来る瞬間を待っている。このままここに居ても殺されるだけ。アニはもう遠慮はしない。自分達を殺しにかかるだろう。ウミは思考を張り巡らせながら考える。
ミカサとウミの出てきたタイミングで一斉に女型の巨人に攻撃するか?それならエレンを逃がしアルミンを守れる。ウミは脳内で必死に考えていた。自分とミカサとならそれが出来る。両方同時に出ればきっとアニも太刀打ちできない。
「ねぇ、みんな!」
しかし、それを遮るかのようにエレンの大きなその手が小さなウミの手を引いてそして3人の肩を掴んで引き寄せた。
「オレが……何とかする!! あの時……大砲を防いだみてぇに……こっちに来い!!」
ウミとミカサとアルミンを引き寄せるエレンが1か月前に行ったことをもう一度行おうとしている。
「ちょ!!」
「行くぞ! 離れんなよ!」
エレンがいつものように思いきり親指の近くの手の甲をガリっと噛み、それを引き金に巨人化する。その気配と巨人化の衝撃に耐えるように目を閉じるミカサとアルミンとウミだったが、しかし…。
「うっ!! ああっ!」
「え?」
痛みと苦痛にうめくエレンに痛みを代償に巨人化する彼の苦痛の声にただ耐えきれずに固く目を閉じる。巨人化するはずのエレンは元の姿のまま。思いきり噛みついた箇所からは血が湧き出ている。右手の甲を見つめ、エレンはまた巨人化になれなかった事を悟る。どうして?ただ自問自答を繰り返した。まただ、また自分は巨人になれなかったのだ。アニを捕獲して償わる、明確な目的があるじゃないか……。リヴァイ班とハンジ班の合同であの枯れ井戸で実験したあの時と同じ状態のエレンにウミが神妙そうに無理やり肉を噛み切ったった事でその傷口からは真っ赤な鮮血が溢れて止めどなく流れていくその手を掴んで止めさせる。
「エレン、」
「またかよ……そんな……っく!! こんな時に!? クソぉぉいッてぇええ!!」
苦痛に喘ぎ、巨人化するために何度も何度も噛み千切った手を抱え悔し気に膝をつくエレンにアルミンは急かすことなく冷静に諭す。
「目的がしっかり無いと巨人になれないんだっけ? もう一度!! イメージしよう強く!」
「やってる! けど、ぐっっ、ううっああ!!」
「本当に?」
膝をつき痛みに叫ぶエレンが焦っているのが分かる。皆でエレンの巨人化を手助けする中でミカサだけが厳しい目線を投げかける。それはそれはこの世の者とは思えぬ美しい顔を恐ろしい顔に変えて、エレンを覗き込んで問いかけたのだ。その瞳には何とも言えぬ憤怒が見える。とても彼女がただの15歳の少女ではないのだと知らしめ、ウミは戦慄した。いったい何が彼女に会って彼女はこんな風な目つきをしたのかと。
「まだアニと戦うことを……躊躇してるんじゃないの?
「……! エレン?」
返事をしないエレンを見るアルミン。沈黙は肯定、まさかミカサの言う通りだと言うのか。
ここまで来てなにを躊躇うというのだ、彼女が女型の巨人でないことをどれだけ願ったか。それでも願いは儚く裏切れられたというのに。今自分達がアニに殺されるかもしれない状況でも巨人化になるのを躊躇うエレンの姿にウミは悲痛に顔をゆがめた。
「エレン……ちょっと、あなた、何を言っているの? 思い出してよ、あの4人を殺したのは紛れもなくアニじゃないの?みんなを殺されてあなたは何とも思わないなんて言わせない。みんなあなたを守って勇敢にそして死んでいったのに……っ、3年間築き上げた絆をあの子は壊したのに……」
「ねぇ、まさかこの期に及んで……アニが女型の巨人なのは気のせいかもしれないなんて思ってるの? あなたはさっき目の前で何を見たの? 仲間を殺したのはあの女でしょ? まだ違うと思うの?」
「っうぅ……うるせぇな オレは……やってるだろ!!」
美しい顔を憎悪に変えたミカサと優しい口調なのに恐ろしい顔つきで凄むウミ、一度に責められながらもエレンは頭の中では理解しているのだ、しかし、何故か巨人化にブレーキがかかってしまい、何度も何度も噛み千切って血だらけになってもその手は痛みは消えずに血を流し続けている。
「わかっているんでしょう? 女型の巨人がアニだって事。じゃあ……戦わなくちゃダメでしょ? それとも何か……特別な感情が妨げになってるの?」
エレンのアニに対する特別な感情。そこには女の嫉妬も絡んでいるのかミカサの射貫くような眼差しには何とも言えない恐ろしさがある。ミカサの言葉に圧倒されながらエレンはそのまま黙り込む。その沈黙を破くようにアルミンが立ち上がった。
「作戦を考えた……!」
戦う覚悟を決めエレンが巨人化できないのならひとまずこの状況から脱するしかない、シャッ!と剣を引き抜くアルミン。剣を構えた左手を自分たちの様子を探る女型の巨人に向けた。
「僕とミカサがあの穴と元の入り口から同時に出る! そうすればアニはどちらかに対応する。その隙にウミはエレンを連れてアニがいない方から逃げて!」
「は? 待てよアルミン! それじゃあお前らどっちかが死んじまうだろうが!」
「ここにいたってみんな死ぬよ! ミカサ、位置について」
「わかった、私は前!」
「エレンは任せて、本当に、気を付けてね!」
「ウミもだよ! ウミをアニに傷つけられたなんて知ったら、リヴァイ兵長に僕たち怒られるだけじゃすまされないかもしれないからね」
「アルミン……!!」
「だから、僕はウミに傷ひとつつけないようにしなきゃならないんだ」
「エレンとウミは私が守るから、無茶はしないと約束して」
そう告げたアルミンの凛々しい表情に彼も顔は可愛らしいがれっきとした男性なのだと、今までずっと年上のウミに憧れていたアルミンは同世代のアニを多少意識していたアルミンは戦う事を決意した。同じく剣を抜いて走り出すミカサにウミは2人の言葉を受けて胸が熱くなる。いつの間に彼らはそんなに成長していたのか……自分が守らねばと思っていたのに。
その中でエレンと共に残ったウミは声を張り上げ立ち向かっていくその背中に激励した。
「二人もだよ! 本当に無茶はしないでね!!」
「ミカサ! アルミン!! な…何で、何で戦えるんだよっ!! 何でっ!!」
叩かく覚悟を決め立ち去る背中に悲痛な声をあげたエレン。ミカサが振り返り静かに一言呟いた。
「仕方無いでしょ? 世界は、残酷なんだから」
そう告げて、レインコートのフードを深くかぶり、誰が誰か、どれがエレンかわからなくさせた。うっかりエレンを殺してしまわぬようにとアニをかく乱させるために再び姿を隠して走り出したミカサの背中を見つめるエレンはその言葉を聞き項垂れている。先ではミカサ、アルミンが穴の開いた位置につき、互いに手を挙げて合図しているのを見届け、自分は未だに戦う覚悟も持てずにその場にいた。その時、
「エレン、もう一度、やってみよう、ね」
「ウミ、オレ……頭ではわかってんだよ、みんな、リヴァイ班のみんなを殺したのはアニだって……けど、どうしても、出来ねぇ!! 何でっ、いつもこうなんだよ!! クッソ! クソッ!!」
「エレン……!!」
やけになり何度も噛み続けるエレンの悔し気な表情。ふわりと香ったウミの手がエレンの手に触れた。
そしてゆっくりとその小さな手に自分の手を重ね束の間の奪われた母のような安堵を得た次の瞬間、大きな地鳴りと共にエレンとウミの居る其処を、女型の巨人の足が踏み抜いたのだ!!悲鳴とともに崩れてきた瓦礫の中でエレンはウミを思いきり突き飛ばしたのを最後に景色が白んだ。
「何があったんだ……!? 護衛班! ここはいい! 状況を見てこい!」
「了解です!」
突如として立ち上った粉塵は馬車でエレン受け渡しの為に待機していたナイル達憲兵団の眼前に飛び込んで来た。アニの同期のマルロとヒッチ達がナイルの指示を受けて立体機動装置で飛んでいく。そこにアニの姿が無いことには、まだ気付かないまま。
「妙だな……さっきの爆発のような音と言い……」
ここは三重の壁に守られた世界の中で一番安全で、ここが陥落すれば人類が終わる。その中心であり首都であるウォール・シーナだと言うのに…。馬車から降りたエルヴィン、後ろにはリヴァイが続きエルヴィンの美声が背後からナイルを呼んだ。
「ナイル、すぐに全兵を派兵しろ。巨人が出現したと考えるべきだ」
「な……何を言ってる!? ここはウォール・シーナだぞ!! 巨人など現れるわけがない!!」
その通りだ。だからこそ自分は妻と子供たちが安全な場所で暮らせるようにと内地への居住権を得るためにエルヴィンと共に目指した調査兵団ではなく安全な憲兵団に志願したのだから。
「待て! 動くなイェーガー!」
その横のもう一台の馬車からマントを手にしたエレン扮するジャンが勢いよく飛び下りてきたのを兵士が肩を掴んで制止した。そういえばリヴァイと結婚したウミはどこに?幼い頃からのウミを知るナイルはまさかと確信した。
「変装ごっこはもう! 終わりだ!!」
そして、やたら口の悪いエレンは突然そう告げるといきなり髪の毛を掴みそれを投げ捨てた。そして姿を見せたのはー目つきの悪い馬面の金髪の少年の姿だった。
「二度とその名前で呼ぶなよバカヤロー!!」
自分の宿敵に成りすます事は二度とごめんだ。ジャンはさんざんエレンに成りすましていた自分をもう開放していいのだとそれが今だと、潔くカツラを地面へ落として走る。まさか、いつからこの男はエレンに成りすましていたのか。ショックで唖然とする兵士に吐き捨てるように悪態づいてジャンはエルヴィンとリヴァイの元へ駆けつけた。
「団長、俺も行きます!!」
「装備は第四班から受け取れ、」
「了解!!」
「威勢がいいのはいいが、死なねぇ工夫は忘れんな、」
ジャンもすっかり立派な調査兵団の一員だ。凛々しくバサッとマントを広げて自由の翼を背負うその姿にリヴァイが声を掛けた。
「はい!!」
それはリヴァイなりの激励。それはかつて自身の部下の四人へ向けた言葉でもあった。ジャンはその言葉を真摯に受け止め走り出した。
「……なっ……エルヴィン!! あれはどういう……」
「団長! これを!!」
次々動き出す兵士達。屋根の上から降りてきたのは立体機動装置を隠していたトランクを手にした部下だった。すぐにそれを受け取り手早くなれた手つきで装着したエルヴィンが一斉に合図を送る。
「ご苦労、」
「オイ、エルヴィン!」
「動けるものは全員続け! 女型捕獲班に合流する!!」
「エルヴィン! 待て!」
状況の変化についていけないのは上官が無能だからか平和ボケしているのか。現状が把握できていないまま混乱する憲兵団を置き去りに動き出したエルヴィンに向かってナイルが銃を構えた。師団長の向けた銃は他の部下たちも同じようにエルヴィン達に向けられる。王都に差し出すエレンがまさかの偽物だということに対しナイルはその罪を問いかけた。
「貴様のやっていることは王政に対する明らかな反逆行為だ!!」
「ナイル。てめぇの脳みそはその薄らヒゲみてぇにスカスカか?? 何が起きてるかわからねぇらしい」
「装備を外せ! エルヴィン!!」
状況を理解できていないのか?とでも言いたげなリヴァイの皮肉にも聞く耳を貸さずにナイルが銃を向ける。かつての同期は今は互いの兵団のトップへと、対峙する2人。語り合った若い頃はもう帰ってこない。見上げた先に自由の翼を背中に背負い次々と飛んでいく兵士達。それを見上げてリヴァイが何かを思い、静かに手を力強く握り締め思い馳せた。
願わくば遠くの彼女の元へ届くようにと。しかし、リヴァイの願い虚しくウミ達は窮地に立たされていたのだった。
「エレン! ウミ!」
アルミンが先ほどまでいた場所を踏み抜いたところに居たウミとエレンが瓦礫と粉塵に飲み込まれていたのを見た。気がかりだがまずは脱出しなければ。飛び出したアルミンの声にエレンじゃないと気が付いたアニは反対側から飛び出した方の影に目を向けた。ガスを蒸かして飛んでいくのはフードで顔を隠したミカサである。回転しながら女型の巨人に捕まれたミカサはその機動力を使い一気にその掴んだ手から離れた。
「アニ!! あんたにエレンは……渡さない!!」
今度こそ絶対に守って見せる。強い決意を胸にミカサはアニへ真っ向からの戦いを挑んだ。
窮地を脱して女型の巨人がミカサと交戦している隙を見て駆けつける。踏み抜かれた瓦礫に押しつぶされたエレンとその衝撃で少し離れた場所で気を失ったままのウミの姿を見つけた、特にエレンが重傷だ。おそらくウミを庇ったのかもしれない。
「ウミ!! しっかりして!!」
苦しげな表情を浮かべたウミを覆っていた瓦礫をどかしてアルミンがいつの間にか自分よりも小柄な身体をゆっくりと抱き起こした。揺り起こせばウミは眉を寄せてそっと瞳を開いて目を覚ましている。
「よかった!! 大丈夫だね?」
「アルミン……わ、たし……そうだ、エレンが!!」
アルミンに支えられながら立ち上がる。二人で一斉にエレンに覆いかぶさっていた瓦礫に手を伸ばして必死にエレンを助けようと動く。
「エレンが私を庇ったの……! どうしよう!!」
「ウミ、落ち着いて。大丈夫だよ、とにかく早く助けよう!! エレンっ! 眼を開けてくれ……!!」
必死に瓦礫をどかそうとする2人に気が付いた女型の巨人がずんずんと音を立てて足早エレン故郷に連れて帰るべく接近を開始した。まずい、その後をミカサがガスを蒸かしてそちらにはいかせないと追いかける。
「はぁぁぁぁぁああああ!!」
邪魔だと振り払った手を交わしてミカサは女型の巨人の腕の筋肉を切り裂く。そのままの勢いで振り払った手は居住区の屋根を吹っ飛ばし、安全であるはずの内地は戦場と化した。瓦礫の雨を受けながらミカサは果敢に立ち向かうも降り注ぐ瓦礫がワイヤーを直撃してそれごと地面に突き落とされてしまったのだ。
「ミカサ!!」
「ウミ!?」
「私は平気。もういちいち気を失ってなんかいらんないのよ!! アルミンはエレンを!! 私が女型の巨人を……やる」
「くれぐれも殺したら駄目だよ!! 本当に今度こそ捕まるよ!」
「努力はする、でも今は捕獲だなんて生ぬるいこと考えていたら内地が破壊されるよっ!」
生半可に生かすことを考えていたら本当に今度こそ殺される。アニは本気の悪あがきでエレンを連れ去るつもりだ。そのまま倒れたミカサに駆け寄りながらウミが立ち上がる。立体機動装置は壊れていない、あの時の雪辱を晴らす番だ。
――「必ず戻ってこい、ウミ。俺の傍に……」
何としても。もう間違わない。強い決意を胸にウミが反撃を開始した!
「女型の巨人を逃すな!!」
「絶対に!ここから外には行かせん!!」
ウミの反対側からも次々と調査兵団の精鋭たちが女型の巨人に向かっていく。何としても生きたまま捕獲する。揺るぎない決意を胸に飛んでいく調査兵団、突如内地に出現した巨人に逃げ惑う人の群れをかき分けながら装備を受け取り立体機動装置を身に着けたジャンが逃げる民間人とは逆方向に女型の巨人が好き放題暴れている箇所へと向かっていく。
「巨人だ! 巨人が居るぞ!!」
「何でこんなところに!!」
「おい、あれ、巨人だよな…!!」
「おう、」
「何で…」
屋根の上で呆然としている憲兵団を睨みつけながらジャンは人波をかき分け逃げ惑う民間人の波を逆らいながら走っていた。
「どけ!!(ったくのんびりしやがって……俺だって、本当はあっち側に居られたんじゃねぇか……)それが、どうしちまったんだかなぁ……クッソ!」
元々あの集団を目指して自分は訓練していたはずなのに…どれもこれも死に急ぎ野郎のせいだと皮肉りながらも必死に女型の巨人を追いかけてジャンがひた走り進む中で兵士たちも女型の巨人を猛追していた。
「倒そうと思うな! 足止めできればそれでいい!!」
指示を受け、女型にまとわりついて次々と猛攻を仕掛け足止めさせる兵士たちを邪魔だと言わんばかりにワイヤーを掴んでアニは容赦なく地面へと叩きつけていく。
「ダメだ! 立体機動の動きを熟知している!」
振りかぶった拳を避けながら戦っている兵士たちが次々討たれていく中でその横をミカサが、そしてウミが勢いよく駆け抜ける。
「アニ……私ね、ずっと、思っていたことがあるの……」
くるりと宙を回転すると一気に女型の巨人へ距離を詰めて頭上に着地する。
「簡単には、終わらせないっ!!」
ガスを蒸かしながら何度もバウンドして足元のくるぶし当たりの筋肉を削いだミカサをアニが邪魔をするなとその目つきを鋭いものに変えて睨みつける。その反対側でウミがアニの顔面へと真っ向から立ち向かい、注意を引く。向かい来る拳をつぎから次へとひらりひらりと交わしながらもその耳元で話しかける。父親と幼い頃から遊びと称して立体機動装置で遊んでいて母親に怒られた事を思いだす。父なら、母なら、どうやって目の前の少女を仕留めるのだろう。
「どうして、何で!? ……調査兵団のみんなを殺してまで…!!」
向かってきた拳をフェイントで避けてウミはそのまま頬を薙ぎ払い削いだ頬の肉が飛んでいくとその返り血が微かにウミの身体を汚して蒸発する。
「もう2度と戻らないと決めた調査兵団に戻って来たあいまいな存在の私を……受け入れてくれた調査兵団の未来ある若い子たちを殺してまでエレンを奪った――……アニのそこまでする目的は? この壁の人類があなたに何をしたの?」
静かに語りかけるウミの双眼から溢れた憎悪は余すことなく彼女へと注がれる。再度ワンツーパンチで殴りかかってきたアニに向かって立体機動装置で軽やかに舞いながらウミは悲痛な面持ちでガスを蒸かして再び背後に回り、上、下、くるくると器用にアンカーを射出してまるで自分の体の一部のようにアニをかく乱した。
2019.09.06
2021.01.28加筆修正
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