THE LAST BALLAD | ナノ
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「#お仕置き」のBL小説を読む
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#29 YouSeeBIGGIRL

――「ねぇねぇ、ペトラちゃん、居る?」

 深夜、古城の中を歩き回る小さな影がいつものように彼女の部屋をノックする。コンコン、返事をする前に扉を開ければペトラがちょうど着替えの最中でエレンと一緒に呆れながら怒られたこともあった。

――「オルオ、居る?」

オルオが官能小説を隠していたとグンタにけしかけられてオルオの部屋に忍び込んだことも、

――「グンタ?」

エルドの彼女がとても美人だという事もこの一カ月はリヴァイのそれはそれは厳しいスパルタ訓練もあったが生き残るためだとみんなそれは真剣に取り組んで…。

――「エルド、」

 不気味で長年放置された古城ではあったが、潔癖症のリヴァイのおかげで城内はいつも清潔に保たれ、幽霊が出るという噂の古城内はいつも明るい笑い声が響いていた。

――「ウミさん、私たちのリヴァイ兵長を、よろしくお願いします」

「みんな……どこに行っちゃったの?」

 ようやくトロスト区に戻ってきて、向けられた目線は失望の眼差しだった。カラネス区から沈黙の中の帰還。巨人殺しの達人集団とまで言われた特別作戦班・通称リヴァイ班で生き残ったのはミカサを庇って左足を負傷した調査兵団の主力のリヴァイ、巨人化能力を使った女型の巨人との死闘の果てに敗北したエレン、そして物言わぬ人形のように眠るウミ。女型の巨人に受けた損害は甚大なものだった。
 長く長い、それは楽しいつかの間の夢の後、緩やかに浮上していく意識の中でウミはようやく残酷な現実の世界へと再び舞い戻ってきた。

「起きたか」
「クライス……?」
「ああ、よかった……! 頭は大丈夫だな? 何ともねぇか?」
「失礼しちゃうわね、まるで人の頭がおかしいみたいな言い方してっ、頭なんていつも通りだし何ともないよっ、」
「……お前……覚えてねぇのか?」
「えぇ?? どうしたの?」
「お前……女型の巨人からエレン庇って頭ぶつけて死にかけたんだぞ?」
「え……そうなの……!? あ、そういえば壁外調査は無事に女型は確保できたんでしょう?みんなに心配かけてしまったなぁ……早く謝りに行かなきゃね、行こう、クライス」
「……お前(まさか……健忘か?)」

 自分の目が覚めるまで待機していたのか、クライスはベッドの近くの椅子に腰かけていた。目を覚ますなり覗き込んできた中性的な容姿が自分の目の動きや意識の確認、その手にかざした三本の指が何本に見えるか、だとか医療知識をフル活用して事細かく確認してきた。脳震盪を起こし、発見された時は意識が無かった状態だったとクライスは言う。医師の診断では一か月前のトロスト区奪還作戦の負傷もあり、これ以上の無茶は危険だと判断された。その代償に一時的な健忘に陥るらしいがまさか、本当に。
 クライスの的確な診断にぼんやりとウミは疑問符を抱く。なぜ彼は医学知識もあり医者の名家の貴族の嫡男で約束された将来から死の常に付きまとう調査兵団に流れたのだろう。クライスも負傷していたが、他の兵士たちの応急処置に追われてようやく腰を落ち着けることが出来たと話していた。

「おい、待て。まだ動くな。頭ぶつけてんだぞ、」
「大丈夫だよ、大したことないから、」
「ダメだっての! ああ、本当に聞かねぇ女だ! 頑固なところはお前の母ちゃんそっくりだ!」
「お母さん?」
「ああ、本当に、お前に似てそりゃおっかねぇ母ちゃんだったよ、中央憲兵とも対等に渡り合えるのなんてあの人くらいじゃねぇのか?」

 引き合いに出された憲兵団の中でもその全容は知られていない影の暗躍者である中央憲兵。王に懐柔された危険な因子をこの世から消し去るこの国の影だ。

「ちょっと、やめてよ、どうして急に中央憲兵の話が出て来るの?憲兵なんて、中央政府なんて大嫌い……! 何でアニはあんなところに……調査兵団とは偉い違い様なのに……」

 クライスはその言葉に絶句した。ゆっくり身を起こして立ち上がる小さな身体が窓際へ向かいカーテンを開くとぼんやりと空に浮かんだ星を見上げていた。ウミが見上げた夜空は今も何年過ぎてもあの日の記憶のまま。リヴァイ、イザベル、ファーラン。ウミの足取りは見るからにちゃんとしている。外傷もない、以前からの記憶はしっかりあるのにおそらく昨日から今日の記憶が完全に欠如しているのだ。

「きれいな空だね、リヴァイ班のみんなで屋上でお茶を飲みながら星を見るのも風情があるよね。お父さんとお母さんもきっと星になって私たちを見守ってくれているのよね」
「ウミ」

 そんなリヴァイ班の皆も星になってしまったんだと。クライスは重く口を閉ざす。
 駄目だ、言えない。ウミにリヴァイ班たちのあの遺体を見せたらきっと…、まだ記憶が無いウミは混乱してぱにっくになってしまうだろう。芯の強い性格だが一度壊れてしまえば彼女は本当は誰よりも弱い。
 アニ、三年間一緒に過ごしてきたそのアニがお前らの班の精鋭を皆殺しにしたんだと…ウミが何気なく口にしたその単語にクライスは眉を寄せた。ウミが眠っている間、本部では今回の作戦失敗の報告を受け、王都への召還命令が明後日に決まってしまったというのに。
 今回の戦いでリヴァイ班壊滅の現状を目の当たりにしたまだ若いエレンのその心労を思うと初陣で彼は相当のダメージを受けた。そして疲弊したエレンの身柄を引き渡さねばならない中で突然エルヴィンの元にやってきたアルミンが口にした、「女型の巨人と思わしき人物の正体を発見した」との報告。全てウミに話さなければならない、今回の壁外調査の顛末を、そしてリヴァイ班がエレンとウミを残して全員壮絶な戦死を遂げたことも。

「っ……」

 しかし、目の間でぼんやりして、まだ目が覚めたばかりのウミにいきなりそんな事実を突きつけてもいいものか、資格はないが医学知識のある者として、ウミを大事に思うクライスはその判断に迷った。しかし、いずれ知ることになるのなら伝えるべきなのだ。ウミの戦う相手が彼女だと早く真実を告げなければ戦うときに迷いが生じる。迷いは剣を鈍らせまた多くの血が流れる事になる。
 このままエレンを王都に引き渡してしまえばエレンはもう二度と戻ってこない。壁の破壊をもくろむ敵も暴けない。それぞれの知恵がぶつかり合い今度こそ因縁の相手、女型の巨人を捕まえ、ウォール・マリア奪還のためには欠かせない存在であるエレンを何としても生かす材料を手にする為には女型の巨人を何としても捕獲しなければいけないのだ。
 女型の巨人捕獲作戦が本格的に始動する中で今回負傷したリヴァイの代わりの貴重な戦力としてウミの力が必要不可欠である。

「ウミ……」

 彼女自身も浅からぬ因縁の存在である女型の巨人へ一矢報いたいだろうが肝心の記憶が無い、心優しい彼女がまさか自分の仲間を殺した女型の巨人の正体がアニだと知ってどう思うのか。クライスが重い口を開こうとしたその時、後ろから聞きなれた低い声がした。

「目が覚めたか」
「……リヴァイ、兵長」

 先程クライスが処置したおかげでリヴァイの足。
 本当は通常の人間なら松葉杖をついて歩くレベルだがゆっくり歩行する分には支障はない。
 くるりと振り向いたウミにクライスは邪魔者は出てけとリヴァイの無言の圧力にため息をつくと人の恋路を邪魔する奴はなんとやら。一緒に女型の巨人の脅威に立ち向かったジャンの顔が浮かんだ。「先に行ってる」と部屋を後にして扉を閉めると昨晩何度も抱き合い肌を重ねた空間で男は静かに窓際で星を見つめるその小さな手を握り締めた。温かくてそれは昨日と何も変わらないのに心は昨日のまま、彼女は自分と過ごした昨夜の事も忘れてしまったのだろうか。

「あの、みんなは……大丈夫なんだよね?」
「……生き残ったのはお前と俺とエレンだけだ。他は全員女型と戦って殺された」
「え、」

 ありのままの現実を突きつけてリヴァイは沈黙した。呆ける表情があまりにも痛々しい。しかし、ウミはそんなに弱い人間ではない。必ずその現実を受け入れて立ち上がると信じている。ウミが居なければ…自分が負傷して翼を折られた今、女型の巨人捕獲作戦にウミの存在は欠かせない戦力なのだ。

「(本当に覚えてねぇんだな……)捕獲作戦は失敗した。女型の巨人は取り逃がし、エレンは王都に引き渡しが決まった。俺達も王都に召還される。おそらく調査兵団は解体されて壁は完全に封鎖される」
「そんな……」

 リヴァイは生半可な優しさでウミを傷つけたくはないと敢えて厳しい現実をこの残酷な世界に再び戻ることを決めた彼女の為に今の先ほどの記憶を無くしたウミへ衝撃の事実を告げたのだった。

「嘘、でしょ……だってみんなあなたの選抜した精鋭じゃない、みんな死ぬはずなんてないでしょ? 何かの間違いでしょ?」
「嘘じゃねぇ。全員、俺の命令通りに戦い、そして殺された」

 その言葉を真っ向から受け止めてガクリとウミはその場にうなだれ、信じたくない現実に叫んだ。

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……っ! 私は信じない……!」
「オイ、……ッ」

 自分の目で確かめない限りは信じない……。ウミは小走りで部屋を飛び出してしまった、その手を掴もうとしたリヴァイだったが、静止の声は左ひざの痛みにかき消された。まだ目が覚めたばかりでおぼつかない足取りでふらふらと無人と化した古城を駆けずり回るウミの背中はあまりにも痛々しかった。

「オルオ!」

「グンタ!」

「エルド!」

 バタン、バタン、広い古城に響くドアの開閉音、ウミの呼ぶ声、足音。一人一人の名前を呼んでみんなの部屋のドアを開けては覗き込んでもそこには誰もいない。

「ペトラちゃん……?」

 理解している。彼は嘘なんて言わない、気休めでしかない甘い言葉を囁いたりはしない、いつも残酷な現実を理解している。そう、また多くの命が失われてしまったのだ。

「なんで、なんで……っ、誰か、返事してよ……」

 本当は理解している、頭をぶつけて記憶を無くしたフリをしてもみんなは帰ってこない、覚えている。みんなの流した血の匂いが今も軍服から仄かに香るから。自分はどうしてまた生き残ったのだろう。何でまた自分だけが…今まで多くの人たちが死んでいくのを見届けてきた、哀悼と深い悲しみに押しつぶされて、その度に心を痛めて流せない涙を流してきた。
 走れない為に、歩きながら自身の部下の死を悼み暗闇の中で床に顔をうずめていウミにようやく追いつき男はそっと何も言わずにウミを抱き締めていた。本当はウミは記憶など、無くしてやいなかった。昨晩の事も二人の大切な宝物が眠る墓の前で思いを分かち合ったことも覚えている。
 無言で彼の背中に腕を回してウミは唇を震わせぽつりぽつりと小柄な彼の腕の中でもさらに小柄なウミは震えてそっと謝罪を口にした。その謝罪に込められた思いをひしひしと感じ取り、本当に泣きたいのは彼の筈なのだ……。
 そう、彼で間違いないのに。うるんだ瞳にじわじわとあふれるウミの涙が頬を伝っていた。
 グンタが女型の巨人の本体に切りつけられて、それを追い詰めたところでエルドが喰いちぎられた事も。
 虚ろな目がこちらを見ていたこと、青い顔をしたペトラが女型に踏んづけられてそのまま木に張り付けられ、ペトラを思っていたオルオの悲しそうか顔が怒りに染まる瞬間も、思いきり蹴っ飛ばされてそしてエレンの前に飛び込んで来た拳の先に見た青い瞳も……鮮明に覚えている。

「ウミ、」
「5年前から何も変わらない、壁外に出て誰も死なないなんて有り得ない…こうして仲間の死を悲しんでいても死んだ仲間は帰ってこない……涙なんてまるで意味ないのに……調査兵団を離れてる間に欠けてしまっていた。すっかり腕も鈍って、腑抜けになっていたね、本当につらいのはリヴァイなのに……」

 リヴァイは何も答えない、死を悼むのにいちいち泣いていては心が折れてしまう。現に心を病んで調査兵団を去った者も居た。一度巨人の恐怖に屈してしまえばもう戦えない。男はそれを理解しているから、仲間の兵士の誓いを胸に歩み続ける。もう涙など枯れ果ててしまったかのように。彼の分まで泣くかのように涙を流し続けるウミを無言で抱き締めていた。

「狙いがエレンだって知っていた。だから、残ったのに……結局エレンは壁外にさらわれかけて、私はみんなを助けてあげることが出来なかった。私がみんなを逃がして戦えばよかったのに……! 私、何のために調査兵団に戻ったの? あの子たちには……っ! まだ未来があったのに……!!」

 ペトラの、彼女の優しい香りがまだ残る部屋の前でウミは生き残ってしまった罪悪感に押しつぶされてようやく悲痛な声を上げてまるで子供のようにわんわんと泣くことが出来た。
 今まで誰の前でも涙を流さなかったウミが彼の前でだけようやく見せた涙。
 今まで泣けなかったウミが彼の前で許された行為。一度泣けばそれは止めどなくあふれ、リヴァイはしきりに謝罪を口にして縋り付くようにはらはらと流した涙に崩れ落ちたウミの涙に触れてそっと頭を撫でながら必要以上に自分を責める彼女の痛みに寄り添うことしか出来なかった。泣くという感情を失った男の分まで過酷な現実から目を反らすかのように2人は言葉なく抱き合った。

「今は、とにかく休め……もう何も考えるな」
「リヴァイ、私、ごめんなさいっ、役に立てなくて、ごめんなさい…っ、すぐ泣き止むから、そしたら、また、戦うから……っ、」
「俺しか見てねぇからお前の気が済むまで…好きなだけ泣け。人の生き死にそうやって素直に涙を流せるお前が本当のお前なんだからよ、結果は誰にも分らねぇ、だからこそ、もうこれ以上自分を責めるな、馬鹿野郎」

 リヴァイはそっと潤んだ瞳の端から流れる丸い形をした瞳から流れるウミの涙を拭ってやると、体格の割に大きな手でウミの両目を覆うように塞いで、痛む足を堪えながら昨晩愛し合ったウミの部屋まで送り届けた。

「お前がどれだけ悔やんだとしても自分を傷つけようが責めようがもうあいつらは帰ってこねぇ、後悔する暇があるくらいなら今後の対策を考えりゃいい、」
「うん……分かってる、分かってる、でも、どうしてもあの場に居た何もできなかった自分を、責めずにはいられないの……!」
「エレンと言い、お前と言い、そうやって誰かのために涙を流せることが俺は羨ましいと思う……。あいつらの死を忘れないでいればまた何度でも立ち上がればいい……それが一番の供養だ、あいつらの死は無意味ではなかった。きっと、浮かばれる」

 自分が信じた部下たちは最後まで自分についてきてくれた。今回の壁外調査に隠された本当の作戦を知らされずとも何故と言わずに「兵長のために」信じて戦い、エレンを守り通してウミを自分の元に導いてくれた。自分が救えなかった命、仲間の無念を抱え男は静かにウミをベッドへと誘導して横たわらせてやった。どこか憔悴したかのようなウミの弱々しい姿はあまりにも儚げで、たまらず触れて抱き締めなければこのまま消えてしまいそうな危機感が芽生えた。

「リヴァイは?」
「今晩エルヴィン達と作戦会議だ、それまではここに居る。お前にもエレンにも今は休息が必要だ。だから、寝ろ、」

 抱き締めて触れようとしたウミをベッドに寝かせながら男はそっと涙を拭ってやるとポンポンと小さくて丸い頭を撫でた。

「ウミ……何しやがる、」
「お願い……」

 小さく吐息を漏らしながらウミはリヴァイのその手を掴んでまた頬に一筋清らかな涙を流して、リヴァイを引き寄せるとそっと彼の唇に触れる程度のキスをしたのだから拍子抜けして脱力して彼女のされるがままに重なるキスはより深さを増した。ウミが自ら唇を求めてきたことは今までそんなになかったから不意を突かれて力が入らない。

「リヴァイに、今、すごく抱いて欲しい……お願い、」

 だが、男にはウミがこのやるせない虚無感から逃げるように、そのはけ口として自分の温もりを欲していることがわかった。受け入れたキスに応え始めれば何度も何度も重なり、繰り返してようやく唇を離すとウミの頬には流れた多くの涙の跡が付いていた。
 普段きっちりまとめいている髪は今は解かれ、緩やかに腰まで伸びている長い髪ごと抱き寄せると男は何も言わずにウミを抱き締めた。

「馬鹿野郎、今にも壊れちまいそうなのに、抱けるか」

 人間は弱い生き物だ、その命には限りがあって、人は簡単に死んでしまう。約束なんて永遠なんて存在しない、無限に続くものなどありはしない。それでも人は一人では生きていけないし、どうしても求めてしまう。5年間姿を消した自分が目の前に現れた時も彼は自分を決して責めたりはしなかった。生きている限り人はまた思いをつないで生きていける。身を乗り出しながら男は静かにウミの額にキスをして言葉なく見つめ合う。

「っ、見ないで……今、変な顔してる、から」
「見つめられずにはいられねぇよ……5年間も待たせやがって長すぎだ。こんなもんじゃ、まだまだ足りねぇよ」
「そうだよね。ごめんなさい……」
「良い、もう過ぎた事は忘れろ。だから、お前がもう離れないで済むように……決めた」
「え?」

 交わる目線は2人が初めて結ばれた夜よりも穏やかで優しかった。

「お前まで……逝くんじゃねぇ。俺の居ない場所で勝手に死ぬことは許さねぇ、」
「リヴァイ……」
「ウミ、愛してる……俺の傍に居ろ、これからもずっと、傍に……何も考えなくていい。分かった。望み通りにしてやるからもう考えるな、」

 昨晩、深く愛を確かめ合い5年間の空白を埋めた場所で、そっとウミが着ていたVネックの柔らかな生地のブラウスのボタンを外すと露わになった柔らかな肩に触れ、辿る指先はウミが大事に肌身離さず首からぶら下げていた指輪をつないでいたチェーンを外してそっとウミの左手を掴むとそっとそれを本来填めるべき場所へと填めて。そのまま騎士が姫に忠誠を誓うかのように手の甲に口づけを落としたのだった。

「リヴァイ……」
「今度はこんな安モンなんかじゃねぇ、もっといいものをお前に贈らせてくれ。お前は俺に繋がれている。必ず生き延びろ」
「うん、うん……っ、嬉しい、すごく嬉しい、ありがとう、リヴァイ。5年間ずっと待っていてくれてありがとう。もう離れないから、エレンも守って、リヴァイも。私が守って見せるから…」
「ああ、約束した。俺を看取るまで傍にいるんだろう、ちゃんと務めを果たせよ、」
「責任重大だね……」
「悪くねぇだろ。現実は残酷だ。だからこそ、俺にはお前が必要なんだ」
「うん、嬉しい、初めてリヴァイに抱かれた時みたいに胸が苦しい、幸せすぎて嬉しいの」
「お前が少しでも笑っていられるなら俺は何度でもお前を抱いてやる、だから受け入れろ、」
「うん、」

 リヴァイはまるで厳しい現実から逃れるかのように2人は女型の巨人の脅威から逃れて生還できたこと、仲間を失った痛み、お互いに負傷した身で限られた時間を喪に服し仲間の死に哀悼の意を示すべきなのに、不謹慎だとしても、肌と肌で抱き合い求め合わずにはいられなかった。
 生きている実感を全身で噛み締めるように5年間ずっと焦がれてやまなかったウミに触れてもう歯止めが利かない、お互いに目前に迫る調査兵団のいまだかつてない危機とリヴァイ班壊滅という泣きたくなるくらいに辛い現実から目を背けるように、お互いに負傷しながらも無事を確かめるように、隙間を埋めるようにリヴァイとウミは限られた時間の中で温もりを分かち合い、ウミが疲れ切って眠りに落ちるまで飽きることなく抱き合い、愛しあった。
 彼の腕の中で、ウミは自身の左手の薬指に嵌めることを許してくれた彼の腕の中で願うのだった。これ以上誰も死なないでほしい、無理だとしても残酷な世界の中で願わずにはいられなかった。



「リヴァイ……?」

 それから何時間が過ぎたのだろう、月が傾きかけた頃、ウミは夢から目を覚ました。目覚めてすぐに眼前に飛び込んで来たリヴァイの寝顔に驚いたように深く沈んでいたまどろみから浮上する。
 長い付き合いの中でも彼の寝顔はめったに拝めない。そんな中で何年振りかに見せた彼の寝顔は5年間の時を経て多少老けた気がしたが、それはとても穏やかだった。よっぽど疲れていたのだろう、激闘を終えた彼をこのまま休ませてあげたい。
 そろそろエルヴィンが本部からこちらに来るはずだ。もう2度と彼とこうして抱き合う事は無いと思っていた。久しぶりに彼に愛された身体が気怠く、足元がおぼつかない。
 何度か呼吸を整え、震える身体を叱咤してウミはそっと睡眠の浅いリヴァイが珍しく瞳を閉じて意外と長いまつげを伏せて玲瓏な顔立ちはまるで人形のように整っていた。深く眠っている彼を起こさないようにそっと腕の中から抜け出すと落ちていた服を拾い集めて部屋を後にした。
 エルヴィンの御前きっちり制服に着替える前に壁外調査から帰ってきたまま彼に愛された身を清めたい。
 潔癖症で厳しそうな男が自分だけに見せる顔。欲望とは無縁そうな男が情熱的に泣きたくなるくらい自分を求めてくれるなんて自分しか知らないままでいい。ウミの左手の薬指、心臓とダイレクトに繋がっていると言われている。
 そこに輝く銀色の指輪。着ていた団服を脱ぎ裸になるとタオルを手に長い髪を揺らして歩いていく。ギィィと鈍く重い音を立てて浴室の扉を開けるとシャワーから流れる水音に混じりすすり泣くような声が聞こえてウミは思わず立ち止まる。

「エレン……?」

 その声は紛れもなくエレンだった。自分と同じ、自分を逃がす為に女型の巨人によって仲間を失い自身を責め続ける悲痛なその声は紛れもなくエレンの声で、ドア越しに声を掛けてみるがエレンは何も答えない。
 たまらずウミは湯気の中素肌にタオルを巻き、シャワーの音に紛れて泣いているエレンに駆け寄っていた。

「エレン、どうしたの? 具合、悪いの? 大丈夫?」

 振り向いたエレンのエメラルドグリーンの瞳は涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。己の無力さに打ち震えているようだった。ここはあまりにも思い出が強すぎる...一緒に風呂や寝食も共に過ごしてきたから今は亡き四人の面影が強すぎて尚更思い出して胸が潰れそうなのだ。
 エレンにとって幼少の頃から夢見ていた、生まれて初めての壁外調査はあまりにも辛い体験となった。

「グンタさん、っ……オルオさん、……エルドさん、ペトラ、さんっ……」
「エレン……エレン……」

 彼が赤ん坊のころからの付き合いなのだ、彼は年の離れた弟のような存在で、昔のようにタオルも巻いているしと、なんの躊躇いもなく彼をウミは抱き締めていた。

「エレン、辛かったよね、でも、エレン、あなたは何も悪くない、悪くないんだよっ、だから、もう自分を責めないで……!」
「ウミ……」

 エレンを抱き締める腕を強めてタオルを巻いているからとウミはまだ幼い彼を慰めるように背中をさすってくれる。
 しかし、ウミをもうずっと前から1人の女性として見てきたエレンにとってそれは衝撃的な光景だった。どうして彼女はこんなにも無防備なのだろう。自分は確かにウミからすれば子供なのかもしれない、だが、もう多感な思春期の男でもあると言うのに。

 屈んでこちらを見つめるウミは純粋に自分を心配しているようだった。しかし、エレンの目の前に見えるウミはあまりにも隙だらけで、無防備だ。何度も脳裏に描いたタオルに包まれた柔らかな肢体が見えた。タオルから控えめに除く胸の間の谷間はどんなものよりも柔らかそうで、忽ち触れば手に吸い付きそうで。明るいランプに照らされたウミの肢体はどんな裸の女の画集よりも美しかった。

「エレン、どうしたの?」
「ウミ……」
「エレン……いっ!」

 痛いくらいに手首を掴まれて、その力強さにたまらず声が出た。ドサ、という音とともにウミは何事かと声をあげようとした時、そのままエレンの手によって硬い浴室に組み敷かれていた。今の音は自分が倒れた音。エレンは涙混じりにウミの剥がれたバスタオルから見える成熟した肢体をじっくりと余すことなく欲を孕んだ眼差しで眺めていた。

「エレン、やめてっ……どうしたの?」
「ウミが、悪ぃんだからな……っ、オレ、ウミの事」
「えっ……?」

 昔風呂に入ったことがあったがその時はまだエレンは子供だと、今も子供だと思っていた。しかし、今自分を片手で組み敷くエレンの瞳はギラギラとしており、その眼差しを自分は知っている。だからこそ男の顔をしていた。素肌をエレンに見られ、はらりと長い髪の隙間から見えた柔らかな胸に色白の素肌に、心臓が痛いくらいに高鳴った。

「ガキの頃から……ウミが好きだった。ずっと……だから、早く大人になりたくて、ウミを、守りたかったのに、守れなかった……」
「エレン……」

 それは、エレンのずっと胸に秘めてきたウミへの精一杯の思いだった。正直、ウミにとってエレンの事は大事な幼馴染で、ミカサ、アルミンと等しく自分の無力さで両親を奪われてしまった事で3人を親代わりに守るのに必死で異性としての感情を抱いたことが無かったし、エレンが自分へ異性として意識して、こんな風に自分にその眼差しを向けていた事さえも気が付かなかった、エレンはいつまでも手のかかる年の離れた弟のような存在で、それ以上でも、それ以下でもなかった…。
 自分を組み敷く彼の力は強く、振りほどくことが出来ない。若さゆえの勢いでこの状況に持ち込んだのなら、どこかその瞳は欲を孕んでいて妖しささえも覚える。
 先程まで彼に愛された身体をまじまじと見つめる眼差しにウミは得体の知れない恐怖を抱いた。下手に抵抗して逆上なんてされたらそれこそどうなるかわからない。この事実を知ったリヴァイが人類の希望であるエレンを殺してはいけない中で彼がそれでもエレンを守らなければならないジレンマの中で苦しめたくない。ウミはエレンを落ち着けるために静かに謝罪の言葉を口にした。

「私もエレンが好きだよ? でも」
「そういう好きじゃねぇ、オレは……ずっと一人の女として、ウミが」
「エレン……今まで気が付いてあげられなくて、ごめんなさい…エレンの気持ちはすごく嬉しいよ、でもね、私は、その気持ちとは違う、エレンの事は家族として、弟としてしか見られない……」
「じゃあ……っ、何で、何でだよ……リヴァイ兵長とはただの知り合いって言ってたじゃねぇか……! 何で、兵長がウミの部屋から出でくるんだよっ! この指輪はリヴァイ兵長からもらったんだろ、これはなんだよ、キスマークなんかつけて! 男ならだれでもいいのかよ」
「なっ、それは違う! 私、リヴァイがちゃんと好きよ」
「わかってんだよ、もう、オレなんかウミは好きじゃねぇことくらい」

 エレンはウミとリヴァイの事を気にしていた。だからこそわかってしまった、リヴァイは表情にあまり出さない男だから内心ウミをどう思っていたのかまでは分からないが、ウミはリヴァイを今も思っていることを、今にも泣きそうな顔で地面に這いつくばって彼が贈った指輪を探していた姿から理解していた。
 リヴァイに抱き締められていたウミは泣いてはいたが、こんな表情じゃなかった、今は突然男になった幼馴染の変化に、怯えている。自分ではあんな風に蕩けるくらいにふんわりとそれは幸せそうな笑顔は引き出せない。
 自分が見たいのはこんなにも切ないウミの泣き顔じゃないのに...エレンは男の力に任せて心が手に入らなくてもウミを自身の中に閉じ込めることも考えた、だけど。

「そうやって、誰にでも優しい顔してんじゃねぇよ……5年前も今も、ずっとリヴァイ兵長しか見てねぇのに……っ、中途半端に優しくすんなよ……」
「エレン! 待って!」

 何も言わすはらはらと涙を流して懇願するウミの姿にエレンは自分ではウミを幸せにすることは出来ないのだと、思い知らされ余計にショックを受けたのだった。拳をぎゅっと握り締めて走り去るエレンに起き上がり追いかけようとするウミ。しかし、突然幼なじみに組み敷かれ、倒れ込んだ拍子に擦りむいた手に痛みが走り、そして組み敷かれた得体の知れない恐怖に足が震えて動けなかった。
 素性の知れない他人に組み敷かれたのならこの前のように躊躇いもなく対人格闘術をお披露する事も出来た。しかし、相手がずっと大切に見守ってきた幼馴染となれば下手に抵抗も出来ないまま泣くしかなくて。

 でも、エレンは泣いて嫌がる想い人を無理やり自分のものにするような強行手段には出なかった。リヴァイが怖かったのもあるが、何よりもウミの笑顔がそれでも好きだったからだった。
 自分がリヴァイとのことを今までうやむやにしてエレンに接していたせいでエレンをこんなにも苦しめてしまっていたのだ。
 それに、今追いかけてどうなる。中途半端な優しさは今のエレンには酷なことなのに。きっと今までエレンは自分をずっと思っていたことを考えるとエレンを盲目に思うミカサへの申し訳なさと、傷つけたエレンへの申し訳なさ、ウミは誰に対してもいい顔をする自分が心底嫌になった。投げられたバスタオルを拾い上げ、滝のように降り注ぐシャワーの雨の中静かに泣いた。

 ▼

「遅っせぇな……エルヴィンの野郎共……待たせやがって。迎えの憲兵団が先に、来ちまうじゃねぇか」

 数時間後。ウミに起こされるまで熟睡していたリヴァイは久方ぶりにゆっくり睡眠が取れ、改めてウミの存在がどれだけ精神的に安定をもたらすのかを実感したのだった。鏡に映る頑固な隈も若干薄まったように見える。
 柔らかなUネックのインナーからは鍛え抜かれた胸板がくっきり浮かんでそれなのに首筋から鎖骨のラインは綺麗で、ウミは先程のことを思い出して恥ずかしいのか目を逸らした。
 着替えて食堂にやってくると、そこには先程ウミへの思いを断ち切られて塞ぎ込んでいるエレンが座っていた。回復したのか元気ではあるが、昨日みんなで集まり慰労会をした場所は今はもう3人しかいない。みんな死んでしまった、その現実が余計不気味なほど静まり返っていた。変わらぬ態度で接し、いつもの様に食後の紅茶を用意したのだが。

「あ、ごめん、なさい、間違えた」

 ここに今居るのは3人で、これから来る予定のエルヴィン達もまだ来ていないのに、いつも通りにリヴァイ班の全員分の紅茶を用意してしまっていた。もう、彼らと楽しく紅茶をを飲んで語り合うことも出来ない。
 並べたカップがよりやるせなくさせた。無言でカップを片付けるウミの泣きそうに歪んだ表情をリヴァイが無言で見ていた。そんなリヴァイを見つめるエレン。
 その目線に気がついたリヴァイがチラッとエレンを見て、また視線を戻した。

「大方……クソがなかなか出なくて、困ってんだろうな」
「ハハハ……」

 リヴァイなりに笑いを取ったつもりなのか、気まずい空気を何とかしようと小さく笑うエレン。ウミが用意した紅茶を啜り、カップを戻すと二人の間に沈黙が流れた。

「兵長……今日は……よく喋りますね」
「バカ言え 俺は元々結構喋る……」
「リヴァイ……」

 それは嘘だということがウミには分かっていた。彼がこの寂しさを紛らわすために会話を絶やさないようにしている事を。誰かが喋れば誰かが答える。4人の居ない食堂こんなにもここは広かっただろうか。

「チッ」

 リヴァイは鈍く傷んだ自身の左足に触れて黙り込む。覚悟していたがおそらく当分は前線で戦えないだろう。こんな状況だというのに情けねぇ。それを見てエレンが謝罪した。

「……すいません。オレがあの時……選択を間違えなければ、こんなことには……」
「言っただろうが。結果は誰にもわからんと」

 そう、人は未来を見ることは出来ない。だからこそどんな選択が正しくて間違いだったのか、それは誰にも分からない。全ては結果論なのだ。悔やんでも泣いてももうあの日々は帰ってこない。泣きそうになりながら頭を下げるエレンをウミは見守っていた時、ドアの向こうでノックの音がした。

「エルヴィン、」
「遅れて申し訳ない」
「いえ……」

 上官でもあり調査兵団を束ねる最高責任者の団長が来たことで身を引きしめ立ち上がるエレン。すると、上背のあるエルヴィンの後ろから姿を見せたのは。

「お前ら……アルミン? ミカサにジャンも……あの……?」
「女型の巨人と思わしき人物を見つけた。今度こそ確実に捕らえる」
「作戦の決行日は明後日。場所は我々が王都に召還される途中通過するストヘス区だ。ここが最初で最後のチャンスだ。ここを抜ければエレンは王都に引き渡され壁の破壊を企む連中の追及も困難になる ひいては、人類滅亡の色が濃厚となる。我々はこの作戦にすべてを賭ける」

 慌てて飲んでいた紅茶を下げると、この緊迫した状況で呑気に紅茶を飲みながら話す内容ではないなと判断し、ウミもそのままカップを別のテーブルにひとまず置いて椅子に腰を下ろした。
 それぞれがエルヴィンが用意した資料に目を通して今回の作戦の、今の調査兵団の状態をひっくり返す緊張の面持ちの中エルヴィンは広げた地図で新たに考案した本作戦の説明を行う。地図に描かれたのはウォール・シーナ。ストへス区だ。

「作戦はこう、王都召還にの通過するストへス区だでエレンが囮となってこの地下通路へ目標をおびき出す。最下層まで連れ込んで……サイズと強度から考えてたとえ目標が巨人化してもう動きを封じる事が可能だ。だが万が一巨人化した場合、エレン、君に頼むことになる、」
「はい、それで肝心の目標はストヘス区に居る事は確実なんですか?」
「ああ、目標は憲兵団に所属している、」
「憲兵団に?」
「それを割りだしたのはアルミンだ。いわく女型は生け捕りにした2体の巨人を殺した犯人と思われる。君たち104期訓練兵の同期である可能性が高い」
「あの時」

「えっ……ちょっと待ってください……104期って」
「その女型の巨人と思わしき女性の名は――アニ・レオンハート」

 訓練兵時代。持ち前の技術を披露すべくアニ独自の構えが脳裏に浮かんだ気がして、エレンの息を呑む音が聞こえた。ウミの手がぴくりと動いた。エルヴィンが口にしたのは思いがけない人物の名前だった。ミカサとアルミンとジャンはもう確信していたようだ。エレンが驚愕に大きな瞳を見開いていた。

「(ああ……そうか……)」

 迷いは剣を鈍らせる。ウミはどこか最初から理解していたように、静かにその言葉を受け入れて瞑目した。1人同期から離れ、憲兵団へ志願した彼女に宛てた手紙、そして、女型の巨人がエレンへ殴りかかった瞬間に金色の髪の隙間から見えた回復した右目のあの瞳の深い青さ、自分と同じくらいの背丈なのに誰よりも強い彼女の特徴の鷲鼻の彼女を思った。
 しかし、何故彼女だったのか、何故自分を助けてくれた彼女がこんな残虐非道なことが出来たのか。しかし、信じたくないと願っても現実問題彼女は仲間を非人道的なやり方で殺したのだ。戦うべき相手の正体を静かに受け入れてウミは瞳を閉じた。

To be continue…

2019.08.27
2021.01.28
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