THE LAST BALLAD | ナノ
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#58 何ひとつ守れやしないこの手

 彼は地下に居た頃から誰よりも強く、その強さは桁違いだった。小さな身体で大男を足蹴に出来る程に。
 都の地下で生まれた人間で穏やかに人生の終わりを迎える事が出来た人間は今まで1人も見たことが無い。まして、地下街の人間の殆どは一生陽の光を浴びる事が叶わないまま人生を終える。
 化け物じみた強さでも幾度もその身が危険に晒された事もあった。しかし、彼は幼い頃から骨の髄まで叩き込まれた処世術を大いに行使して今の今まで生き延びてきた。
 その中でリヴァイは自分の身体が通常の人間と違うということに気が付いた。大怪我をしても人より治りが早く、
 自分の思う通りに身体を動かし、自分が生きるためにどうしたらいいのか、自分をコントロールでき、支配することが出来た。
 そして、巨人達との戦いの中でも桁違いの強さを発揮し、多くの仲間との別れを誰よりも経験してきた。
「人類最強」自分が何故、そう呼ばれるのか、自分はただ過去の教えを与えられた処世術を行使しているだけ、あの男の処世術が今まで自分を生かしてきた。それだけだと言うのに。自分自身でもう無理だと、感じたことが無いのは当たり前だと思っていた。
 だが、自分が人と違うと言うことに気付くのに時間はかからなかった。底なしの化け物だと罵られた事もある。
 そうだ、自分はもしかしたら人間の姿をした化け物なのかもしれない。あの地獄のような世界を生き延びてきた中で、嫌になるほど醜悪な世界で見たくもない異常なものを目を見開かされて沢山見てきたそんな自分は異常者だ。
 本能が叫び、そして囁くのだ。
「自分を支配しろ、この身体に流れる血の本能に従い、戦え」と。

 人はいつからか彼を4000人分の兵士に匹敵する強さを持つ人類最強の兵士と呼んだ。多くの犠牲を体験しながらもリヴァイはただひたすらに屍の道を進んで来た。
 だから孤独を歩めと示したのだろうか。異常者なのに自分は異常ではない真っ当な少女を愛し、何の躊躇いもなく差し伸べられたその手を取る道を選んでしまった。
 生きるために抗う道を進む。男は愛する者と調査兵団にまだ入団したばかりのまだ若い唯一の生き残りである兵士たちを引き連れ、月夜の森を進み下山した。
 その平均男性よりも小さな背に抱え切れないほどの重圧が伸し掛る。その責任、仲間の命を背負って彼はいつまで走ればいいのだろうか。
 その背に抱えきれない程の荷物を抱えたその負担が少しでも和らげばいい、自分に出来る事をしようと。
 ウミは決意を固める。これから始まる戦いはきっと。震える手が持つ猟銃の不慣れな重さがそれを示している。
 人に手を下す経験、まだ若い彼らも、この手を血に染めなければならないのだろうか、この世界は変わらない。だから今こそ変革の時を。

「(今までずっと巨人と戦ってきた。敵は巨人で、全てを駆逐するために。それなのに
、まさか人間と戦うなんて……今までこうして生き延びてきたけれど、死ぬまでこんな体験なんてする事なんかないと思ってた……まさか、二度も、人間と争うなんて)」

 エレンの硬質化の能力で壁を塞ぎ、故郷に帰る、そして、エレンの地下室の秘密を知り、この壁の世界のまだ知らない謎を知る。そして、壁外の外に出て確かめるのだ。
 父親がどうやってここまで辿り着いたのか、どうして父はここで母と出会い結婚をしたのか。そして自分をこの世界に残そうとしたのか。人間の本能だろうか。
 そのルーツを確かめ、自分は辿りたい。父親が見ようとした景色を、見せてくれたその景色を観たい。
 その為に、壁外へ行くために。一刻も早く壁を塞がなければならないのに、調査兵団は壁外調査を全面凍結されてしまった。
 理由は巨人化能力を持つエレンと、そして真の王家の一族の生き残りだったヒストリア。その2人を中央にを引き渡せと言うお達しだった。
 そして調査兵団は狙われた。2人と調査兵団を取り巻く大きな力との戦いが始まる。彼らを守るために、エルヴィンが編み出した作戦。
 それはエレンとヒストリアを狙う壁内に潜む敵をこちらからあぶり出す替え玉作戦だった。
 エレンとヒストリア本人を使うのでは万が一殺されてはリスクが、危険が伴う。だから替え玉を用意してこちらから敵の懐に飛び込み刃を振りかざすのだ。

「リヴァイ兵長、」
「今度は何だ、」
「私はこの作戦には正直反対です」
「……だろうな、」

 夜通し歩き続け、合流地点のあるトロスト区へと何とか到着することが出来た。どうやら追っ手はいない、もし居たら向こうに刺される前にこちらから銃を向け、この手を赤に染めてまでも実力行使しなければいけなかっただろう。
 それを回避することが出来安堵する中で、一度「実力行使」を身を持って体験したミカサは静かに宛がわれた部屋で待つリヴァイに歩み寄ると真っすぐ、黒曜石のように美しい瞳で灰色のその眼差しを見つめた。

「山小屋の時からやけに俺に突っかかってくるがミカサよ、俺がそんなに憎いか? あいつの身も心もお前に出会う前から既に俺のモンだったが、知らなかったか?」
「っ、それは……」
「あいつを替え玉にするのがそんなに不服か。確かに体格は一番この中で近いが、あいつの顔付きはヒストリアとは全く違うからな」
「当たり前です。ウミはウミのままいつまでも変わらない。
 いえ、それよりも兵長はウミが大切なら、一刻も早くこんな危険な作戦、止めるべきだ。と思います」
「オイ、それは上官の判断には従えねぇと言う事だぞ、」
「そうは言っていません。ですが、ウミを使うのならまだ男の子のアルミンの方が……もし、何かあってからでは」
「男が女に成りすまして見つかった場合酷い目に遭うのはアルミンだ。ミカサよ。お前、俺がこの作戦でウミを使う事に対して喜んで賛同したと思っているのか。攫われた女が地下街で嬲り殺されて死んでいる光景ならもう嫌になる程見てきた、だが、もうこれしか敵を暴き出す手段はねぇ」

 地下街で生きてきた壮絶な人生。その中で幼いリヴァイが目にしてきたあまりにも異常で残酷な光景。
 リヴァイは拳をグッと握り締めてこの作戦で彼女がどれだけ危険な目に遭うのか、その可能性を全て理解していた。反対したいのは山々だ。しかしそれならば誰が代わりにすると言うのだ。新兵に押し付けるなどウミは反対する。
 エレンならまだしも、女子であるヒストリアの身代わりをするなら万が一屈辱を受ける覚悟で挑まなければならない。

「エルヴィンが企てたこの作戦にウミは賛同した。あいつはもうガキじゃねぇ、調査兵団の兵団の一員として覚悟はとっくに決めている」

 エルヴィンが提案したこの替え玉作戦、ヒストリア役に指名されたウミは二つ返事で了承してくれた。
 これでこの前のミスを挽回できると告げ、自分の役に立てると、嬉しそうに微笑んでいた。
 その作戦を実行する上でその身にこれからどんな事が待ち受けているのか。
 もしかしたら酷い目に遭うかもしれないと想定した上で…。
 ヒストリアの代わりにウミが選ばれた事に対し、エレンは心配そうに顔を顰め、アルミンもそれなら僕がやりますと名乗りをあげミカサは猛反発した。
 もしこのままウミがヒストリアの代わりに攫われたとして、急いで救出したくても敵をあぶり出す為に待機する必要がある。
 その時にもしかしたらウミがただ、ただ、犯されるのを黙って指をくわえて見てなければならなくても。
 強靭な理性を持つリヴァイの目の前で、その光景は繰り広げられ、もし愛する者のそんな姿を見たら普段冷静な彼でも怒りに狂い殺すだけでは済まされないかもしれない。
 ミカサは問いかける。「愛しているのならどうして巻き込むの」と。
 これ以上の苦しみをウミに与えて欲しくはない。そう願うからこその意見だった。
 これ以上ウミを苦しませたくはない、それならば生物学的に男のアルミンを替え玉にした方がいいのでは、そう提案した。
 それならば、まだ犯されるかもしれない可能性がある女性のウミよりもアルミンには多少のトラウマが芽生えるかもしれないが。
 アルミンもウミでは万が一危険だからと、それなら自分が恥を捨ててやると告げた。
 何かを変えるためには何かを差し出すのならそれは僕がやりますと。
 確かにヒストリアの代わりならどちらかと言えば性別は違えどアルミンは瞳も髪の色も同じ色彩だし、カツラを用意する手間も省ける。
 しかし、アルミンは新兵であり、頭脳は明晰だが戦闘能力は非力であり、いざ戦闘になった場合、不利だ。
 それこそもし変装がバレて彼が男だと知られれば暴行を受けるかもしれない。

「お前も兵士として覚悟を決めろ、私情を挟むな。あいつは兵士であり俺の副官、俺にもしもの事があれば俺の代わりに動いてもらい、指揮を取ってもらう。あいつは普段は見えねぇがああ見えても分隊長まで上り詰めた。ただの非力な女じゃねぇ。これ以上の地獄を生き延びてきてる。こんな事位で挫けるような女なら俺は副官に指名したリしねぇ」

 兵士としては優秀なウミの方が危機を察知する能力は長けているし、武器が無くても彼女なら大の男が相手でも取り押さえることも出来るし拘束から抜け出す事も容易いだろう。

「分かったなら支度しろ、これ以上俺やエルヴィンの判断に従えないならお前のこれまでのエレンに対する勝手な行動も踏まえて処分を検討するぞ」

――「あのチビにはいつか、私が然るべき報いを」
 ミカサの頭の中に常にあるこの言葉。悔しいが、リヴァイの言い分は最もだ。ミカサと違い彼はウミの婚約者として、未来の夫としての私情を決して挟まないようだった。
 兵士長として調査兵団の兵士を束ねる上官である彼にこれ以上の反論や意見を述べるのは良くないと、作戦を受け入れるしかなかった。
 共に実力者であり、同じ黒い髪色のどこか境遇もよく似た者同士の2人はこれから始まる作戦に使用するためにそろえたヒストリアとエレン用の変装道具を並べながら、エルヴィンの発案した作戦の準備を行った。
 リヴァイの本心はミカサと同じだ。リヴァイは言葉にはしないが、誰が好き好んで愛する者を犯されるかもしれない危険な作戦に送り込むヤツが居ると言いたい。
 好きな女がほかの男に寝盗られる事に私服を感じる余程の悪趣味な変態しかいないだろう。

「(嫌ってほど俺自身が1番理解しているんだよ。ウミ、
 俺はまた、お前を守れねぇのか)」

 果たして自分は耐えられるだろうか。
――「ごめんね、リヴァイ……私、もう、リヴァイの傍には……」
 地下街での苦い記憶は今も鮮明に残っている。自分のせいでウミは酷い目に遭い、自分はただ、その姿を見て胸を痛めることしか出来なかった。
 自分は信じるしかない、もう二度と危険な目に遭わせないと誓った。
 作戦の成功の為には、内なる敵を何としても引きずり出して向けられた刃を振り払うためには……何事にも代償を払う必要がある。
 もう過去の無力な自分たちではない。二度と、同じ過ちは繰り返さない。
 内なる敵を暴くために、エレンとヒストリアの替え玉を用意し、そして集団で行動する。今調査兵団は巨人騒動の件やストヘス区での件や幾度に渡る壁外調査での失敗に着きさぞ市民からは誹謗中傷の的だろう。
 トロスト区奪還作戦以降、未だに復興が進んでおらず、憲兵団も出払い治安が悪化の意図を辿るトロスト区で自分達が自ら姿を現して注目を集めて奴らをあぶり出すのだ。
 果たして誰が二人を狙っているのか。危険を覚悟で敵の懐に飛び込むのだ。
 エレンの替え玉ならちょうどいいのが班内に居る。多少目つきは悪いが、それでも彼は前回の作戦でも見事に大役を演じきって見せた。
 きっと今回も立派に役目を果たすだろう。

「オイ、まだ終わんねぇのか。時間がねぇんだ、早くしろ」
「キャッ!」
「ああ〜っ、兵長!女性の部屋にノックもなしに……駄目ですよ」
「今更恥じらう仲でもないだろ。おら、さっさと隠れてないで出てこい」
「もう、」

 用意された変装道具を手に着替え始めたヒストリア役のウミと二度目のエレン役を射止めたジャン。
 しかし、いつまでも戻らないウミに痺れを切らしてノックもせずにいきなりドアを開けたリヴァイ。
 いきなり男子禁制の空間にお構いなしにリヴァイが入ってきたので二人ともお互いに慌ながら着替えを手伝っていたサシャは金糸のカツラにヒストリアと同じ真白のブラウスに優しい色合いのピンクのロングスカートという服装に着替えたウミを隠そうとするも、もう遅い。
 ウミは溜息をつきながらちょこんと顔をのぞかせた。

「終わったなら早く行くぞ」
「はっ、はいい! あっ、でもまだ化粧が!」

 そうしてサシャの横から顔を出したウミの見慣れぬその姿にリヴァイの元々表情筋が死んでいる顔はさらに硬直した。

「へ、変かな……?」
「いや……」

 よろよろと姿を見せたのは…普段の柔らかなウミの優しい色彩の髪は今は金髪のカツラを被ったことで、髪型を寄せても顔はヒストリアに似ていない全くの別人に見えた。

「やっぱり私は反対。ウミは止めた方がいい。
 それならアルミンの方がまだ…それか、私が…ヒストリアに変装する」
「ええっ、ミカサ!?」
「いやぁ〜ミカサは……その、背が高いし、無理じゃないですかね……それに、そもそもこの服のサイズ自体合いませんよ……野生動物なんですから」
「オイ……いい加減しつけぇぞ。何滅茶苦茶な事言いやがる、お前はどう見てもヒストリア役って柄でもねぇだろうが」
「この世から変態は全て滅びてしまえばいい。それに、私はウミ程暴れません、」
「えっ! ちょっと、ミカサ、それどういう意味……?」
「ウミは女の子。もし、ウミが攫われて男達に乱暴されてしまったら……」
「ミカサ……ちょっと待って。心配してくれるのは嬉しいけど、駄目だよ、ミカサ。それなら尚の事アルミンにもミカサにも、ううん、こんな役、誰にもさせたくない」
「ウミ」

 ウミは断固反対だと姿勢を貫くミカサを宥めるように駆け寄ると、金色の髪を揺らしてウミはにこりと微笑み、私は大丈夫だと明るく告げる。

「それに……こういう事なら、慣れてるから。ね、」

 ウミはにこりと微笑み、なんてことないとミカサを宥めさせた。ミカサが生まれる前から自分は兵士として色んな事を経験してきた、それに、地下に落とされたあの日、それでも必死に足掻いて這い上がり生きてきた。
 その中で生きるためにどんなことでもやって来たのだ。
 そうしてリヴァイは静かにサシャとミカサに告げた。

「サシャ、ミカサ、席を外せ」
「ですが……」
「残りは俺がやる」

 そうしてリヴァイはより一層ウミをヒストリアに近づけるために最後の仕上げだと、宿屋の一室のバスルームに備え付けの洗面所の椅子を引き、ウミはそこにゆっくりと腰を下ろした。

「聞くが……本当に、引き受ける気なんだな」
「……うん、それに、リヴァイが反対したところであの子たち新兵にさせられるような役じゃない」
「そうか、」
「私がやる、あの子たちには誰にもさせない」

 鏡越し、自分に触れるリヴァイの手つきにウミも若干緊迫して硬くなっていた表情を和らげた。自分の髪をなぞる様に触れる彼の手は多くの巨人や地下では人の命を奪いながらも立体機動装置を扱いグリップを握ってすっかり硬くなった皮膚がごつごつして武骨だ。しかし、その手は自分をいつも優しくいたわるように触れる。
 いつも自分はこの手つきに張りつめていた心が落ち着くのだ。
 鏡越しに目が合い、彼の鋭い眼差しに射貫かれ、ウミは恥ずかし気に俯きながらスッと顎を持ち上げ正面を見据える。

「こうして見ると、お前じゃないみたいで落ち着かねぇな……別の女と話してる気分になる」
「そうだよね……金髪だなんて私にはやっぱり変かな……? そうだ、レイラさんは綺麗な金髪だったもんね……」
「お前な……未だ根に持っていやがるな」
「ごめん、嘘だよ」
「本当にお前はそもそもあいつはクライスの知り合いだ」
「……仕方ないじゃない、……好きなんだから、」
「俺がお前以外の女に今更惚れたりするかよ……」
「リヴァイ……」
「顔を上げろ、」

 兵士は当たり前だが普段から化粧などはしない。しかし、ウミは兵士の中でもうっすらでも化粧を欠かさなかった。
 同じようにいつも化粧を欠かさなかったウミの母親の受け売りだろうか。どうせ壁外調査に出れば、リヴァイが不機嫌になるくらい汚れるし、風呂も入れないのに。いちいち化粧して面倒じゃねぇのか。起きてすぐドレッサーで化粧をする当時の彼女にそう尋ねればウミはにこりと幸せそうに微笑んだ。

――「あのね、女の子は大好きな人の為にどんな時でも身なりはちゃんとしていたいの。それに、もし、もしもね、いつ巨人に食べられて死ぬことになっても最後は一番綺麗な私を、覚えていて欲しいから……!」

 南区へ移動するためにストヘス区からエルミハ区まで移動した時の事、混乱の最中、リヴァイの知り合いの自分と全く色彩の異なる青い瞳、金色の長い髪をしたレイラの存在。二人の絆に亀裂が入ったのがもう遠い出来事のように感じる。
 鋏を手に自分の髪を切ってくれたように、すっかり慣れた手つきでヒストリアにウミをより髪型で近づけようと、鏡越しでお互いの視線がぶつかり合う中で、リヴァイは兵士長としての顔を捨ててウミのカツラを整えた。

「俺は……本当はお前にこんな役割をさせたくないのが本音だ」
「え……?」
「後にも先にも……お前の身体に触れていいのは俺だけだ」
「それは……」
「お前はレイラでもヒストリアでもねぇ、ウミだ」

 そうして、わざと二人きりにしてまで彼が零したのは男としての本音だった。

「お前がヒストリアの代わりに攫われるとして……そのまま他の男に犯されているのに、すぐには助けられない……そう思うと、俺は俺自身の私情を押し殺して、任務を遂行する立場なのに、抑えきれる自信が無い。――……もう、二度とごめんだ。俺はお前にあの時のような思いは二度とさせたくないし、したくねぇ」
「リヴァイ……」

 かつての地下街での出来事。衣服を奪われ、素肌のまま地下の薄汚れた地面に横たわるウミを見た瞬間、男は観たくもなかった現実が目の前にあり、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
 地下街で生きてきた中で、幾度もその目を背けたくなるくらいに女子供問わず痛ましい光景を目にしてきたが、それが愛する存在だと知った時の恐怖は…生きてきた中で感じたことのない、得体の知れない恐怖心を抱いた。

「ウミ……」

 リヴァイはまるで刻み込むようにウミを背後から抱きしめると、振り向いたウミの顎を掴んでこちらに向かせると、そのまま2人は失う事に怯えるように重ね合った。
 地下街でイザベルと二人、乱暴されて凄惨で痛ましい姿で発見された時のウミの傷ついた姿を見た時のあの一気に理性が飛んだような自分でもコントロール出来ない強い怒りが暴力として具現化し、今も脳裏に焼き付いている。
 それを仕掛けたのは自分に恨みを持つ別の窃盗集団の男の仕業だった。
 ウミを穢したクソ野郎共をリヴァイは全員容赦なく皆殺しにした。
 その事実を知ってウミは彼が手を赤に染めたのは自分の所為だと責め続けた。
 しかし、この手はもうウミに触れる前から既に汚れきっている。激しく息を乱し、自分の腕の中に収まる小さな身体。
 自分のこの汚れた手が生きるために人を殺し、巨人の命を奪い、そして死にゆく仲間の手を握り返し、そして赤にまみれたこの手でウミを抱いた。

「リヴァイ……約束だよ。もう、私なんかのために、この手を血に染めないで」

 息を弾ませ、お互いに冷静さを欠いた行動をしていると知っていても、なおも抱き合いながらウミは武骨な男の手を握り締めた。それは小さな二人だけの約束。

「……必ず助け出す、この作戦の成功はお前にかかっている。ジャンを頼んだぞ」
「うん……大丈夫」

 ウミは知らない、約束はしたが、しかし、嫌な予感は拭えない。
 リヴァイはウミを抱き締めながら脳内で思考を張り巡らす。もし本当に自分の目の前でウミが薄汚い男たちの手にかかるようなことがあったら、自分はきっと忽ち過去の自分に立ち戻りウミの肌を見た者の目を潰すまで止まらないだろう。
 この肌に触れていいのは自分だけだ。この柔らかな髪に触れるのも、触れれば赤く染まる肌の色も、
 甘い声も、濡れた表情も、自分だけが知っていればいいのだ。

「この金髪のせいで別の女に触れてるみたいで落ち着かねぇが……もう二度と……お前は誰にも触れさせねぇ……お前は俺の女だ、俺が触れた感触を忘れるな」

 子供みたいな純粋な独占欲よりも重くどす黒い感情。こんな風に自分が自分以外の人間、まして女という存在に執着したのは初めてだから、わからない、愛しているのに、自分の命が危機にさらされる事よりも、愛する彼女を失う事がこんなにも恐ろしくてたまらない。最愛の母のようにいつか彼女も居なくなる未来なんて。



 着替えを終えて全員が集合すると、エレンの暗い髪色のカツラを被ったジャンと目が合いウミはその懐かしい光景に微笑んだ。

「ジャン……あ、エレン。よろしくね」
「あ、ああ、ウミ……じゃねぇ、な。ヒストリア……」
「その顔……やっぱり変だと思ったでしょ」
「ああ、そうだな、お前の顔じゃ女神には似ても似つかねぇって思ったんだ」
「しっ、仕方ないでしょ!私は女神じゃないもん、」

 ヒストリアとは似ても似つかないし、ウミは人間であり女神ではない、しかし、彼女はリヴァイにとって女神以上のかけがえのない存在であることは確か。
 そうして作戦は始動した。

「行ってくるね、エレン、ヒストリア」
「……気を付けて、」
「またジャンかよ……さすがにオレの代わりは無理があるんじゃねぇか……全然似てねぇのに……それに、ウミはヒストリアってよりも、金髪頭の全く知らねぇ人間みたいで一瞬誰か分かんなかった…」
「お前はうるせぇんだよ、俺だって好きでこんな格好またしたくてする訳ねぇだろ」
「やっぱり、そうだよねぇ……」
「けど、本当に大丈夫、だよな」
「うん、任せて、私がジャンを守るから」
「はぁ!? 偉そうに言ってんなよ、もう俺は新兵じゃねぇからな」

 ジャンは自分よりもベテラン兵士であるが自分よりも何倍も小柄のウミに守られるのはプライドが許さないと言わんばかりにウミを見るも、ウミは自分がジャンを守るのだとにっこりと微笑んでいた。

 昨夜ウミが見せた、屈強な人類最強の男の腕の中で誰よりも幸せそうに泣きながら笑う姿がジャンの脳裏にこびりついて今も焼き付いて離れない。
 いつも笑っていた、そんなウミが綺麗に涙を流して微笑む相手はリヴァイただ一人だけなのだと。
 ウミのこの笑顔が崩れる事が無いように、ジャン自身も願っていた。
 このまま無事に作戦が成功し、自分達も何のダメージもなく帰って来られるように。
 もしウミが襲われても自分は助けることは出来ない。
 ただ見ていることしか出来ないのだから。リヴァイ達の替え玉作戦は始動した。
 エレンとヒストリア達を宿に残し町の中心へ移動を開始する。
 金色の髪を後ろで一つに結い、ヒストリアと全く同じ服を身に纏い自然な振る舞いで微笑むウミ。その姿はヒストリアでもなく、ウミでもない全くの別人の女性に見えて余計に違和感を抱いた。

「あまり団子になって歩くな、逆に目立つ、エレンとヒストリアも普通に歩け」

 お互いに目配せしてウミとジャンはその言葉にハッと気が付きなるべく自然体で歩き出す。
 今の自分はヒストリアだ。逆に目立つように私服姿のままで進む。その代わり、自分たち以外の班員は立体機動装置で完全武装した姿を全身ロングコートですっぽり覆い隠してリヴァイは先頭を進む。

 トロスト区はリヴァイの危惧する通り荒れ果てていた。トロスト区奪還作戦の時から何ひとつ変わっていない。
 二度も巨人再来に見舞われ、超大型巨人として出現したベルトルトが破壊した瓦礫が残り、そして露店も活気がなく、かつてウミが住んでいた集合住宅も、オーナーが瓦礫に潰され店も破壊されたまま。
 復興どころか駐屯兵団も出払っており、無法地帯と化していた。

「何で王家の旗がこんなにあるんだ?」
「あ、今日って王政設立記念日じゃ……年に一回の特別配給がある日ですよ」

 さすがサシャ、食べ物の事になると詳しい。特別配給で支給される食糧に大きな期待を寄せているみたいだが、残念ながら今は暢気に特別配給を並んで貰っている場合ではない。

「ただいまより配給を始める。トロスト区の窮状をお聞きになったフリッツ王が王家の備蓄を解放してくださった。十分用意がある。慌てずに並べ!!」
「さっすが王様! 気前がいいですね」
「ある所にはあるって事だ。食い物でつられると人間は弱い……」

 年一回の特別配給により国民が王への忠誠心を上げるためだとも知らず。群れを成して進むリヴァイ達一行の姿が街で浮いているのは言うまでもない、ましてリヴァイは人類最強の兵士と名を馳せており今やすっかり時の人である。
 遠ざかるリヴァイ班たちのその姿を見て立ち去っていく怪しい人影が動いた。

「オイ……あんた……リヴァイじゃねぇか!?」
「あ?」

 その様子を見ていた町民たちはリヴァイの姿を見つけるなり駆け寄ってきた。一体何なんだと見上げたリヴァイの前を通せんぼするように出来た人だかりにリヴァイは眉間に皺を寄せ睨みつける。
 人類最強の兵士と呼ばれる彼の存在を知らぬ者はいないだろう。

「本当だ! 俺も見たことあるぞ!」
「人類最強の兵士リヴァイだ!! 本物!!」
「オイオイ小せぇな……」
「馬に乗ってるところしか見たこと無かったが……こりゃあ」

 彼の名前を聞き、瞬く間にリヴァイを取り囲む町人達に他のメンバー達も追い込まれ、あっという間に身動きが取れなくなってしまった。
 まさかこんなところで足止めを食らうとは。
 しかし、この者達が支払ってきた税金のお陰で自分達は今まで生き長らえてきたのだ。邪険に扱うことも出来ないままリヴァイは低い声でボソリと呟いた。

「……邪魔だが、」
「まぁ聞いて下さいよ兵士長! みじめな俺達の話を。お前ら兵士が大袈裟に騒いだ避難作戦のせいで職に溢れちまったんだよ」
「俺らだけじゃねぇ、ここ壁際の街には度重なる不信感で人が寄り付かねぇ、とにかく儲けがねぇし食えねぇ」
「どっか行っちまった駐屯兵の代わりにコソ泥がわんさか入って来やがった…なのに税は高ぇままで俺達にどうしろって言うんでしょうか?どうしてこうなった?なぜ巨人に何回も攻め込まれてんです? 俺にはわかる。あんたら調査兵団の働きが足りねぇからだよ」

 その言葉にカッとなったのはウミだった。巨人達が攻め入って来たのはそもそも自分達のせいではないのに……。それにその巨人から住民を守る為に自分達がどれだけ奔走し、そして多くの仲間が犠牲になったのか。
 しかし、ここで町民と兵士がトラブルになるのは大問題だ。
 暴れてはただでさえ危ぶまれている調査兵団の立場は無い。憲兵団にますます目をつけられてしまう。

「俺のやってた商売はこうだ……稼げねぇのは自分が悪い、労働に対価が見合わねぇなんていつものこと」
「だがあんたらは違うでしょ? 働きが足りねぇし結果が出てねぇのに食えてる……」
「ウォール・マリアの天使の方がまだ役に立ってるじゃねぇか、トロスト区の内門が破壊された時も住民の多くはその天使に助けられたんだ……あんたらよりよっぽど活躍してるじゃねぇか」
「……(何よ、それ!!!)」
「オイ、止せ」

 今にも殴り掛かる勢いで、ヒストリアに変装していると言うのにその事を忘れそリヴァイに制され黙り込んだウミに今度は男たちの視線が注がれる。金色の髪が揺れて見えた瞳に男たちはリヴァイと見比べ下世た笑みを浮かべた。

「なぁ? こんな街中をぶらぶら歩いてお買い物か?」
「こんなに女連れて歩いて……いいご身分だよな」

 そうして男たちはその矛先をリヴァイから後ろに居たミカサやサシャやヒストリアに変装したウミへと向けてきたのだ。
 ミカサは大の男に囲まれても平然としているが、突然強面のお世辞にも上品とは程遠いい男共に囲まれたサシャが小さく悲鳴を上げ、それを庇う様にウミが立ちはだかる。

「ひっ」

 その光景に周囲に目を配らせながら男たちの肩越しに見えた赤子を抱く老婆を見たリヴァイ。男達はどんどん自分達を舗道の端の方までじりじりと追い詰めるように歩み寄ってくる。

「あんたらに少しでも良心ってもんがあるのなら……女と金を置いて行けよ…調査兵団が余分に取り過ぎちまった分をよ、」
「何を……」

 薄汚い男たちはあろうことかウミに手を伸ばしてきたのだ。男の手がウミの華奢な手首を掴んだその時、リヴァイはウミを隠すように庇う様に男達を睨みつけ低い声と凄みのある目つきで吐き捨てた。

「てめぇら……べたべた汚ぇその手でこいつに触るんじゃねぇ」
「は? 何だよ、人類最強の兵士がよォ!!」
「リヴァイ!」

 ウミを守るように口より先に足技が炸裂したリヴァイの胸ぐらを掴み、勢いよく殴りかかろうとした住人を止めようとするウミ。すると、その向こうからガラガラと大きな音を立てて荷馬車が突っ込んで来たのだ。
 掴まれた胸ぐらを勢いよく蹴り上げ、リヴァイは叫んだ。

「オイ! 気を付けろ! 後ろだ!! 馬車が突っ込んで来る!!」

 その言葉と同時にミカサ達が慌てて住民たちを舗道側へと追いやったその瞬間、リヴァイが掴んで引き寄せていたウミはそのまま馬車に乗っていた男に一瞬で奪われ、2人が離れないように掴んでいた手は強制的に引き離された。
 そして、反対側の荷馬車の上に載っていた男がエレンに扮装したジャンを担ぎ上げ、2人はそのまま連れさらわれてしまったのだ。

「あッ!! ウミ――……じゃなくて、クリスタとエレンが!! また攫われてしまったああぁ!!」

 突如突っ込んできた馬車にエレンとクリスタを連れ去られたリヴァイ班達。サシャのいかにもわざとらしい声は虚しく上空へと響いていた。

「オ……オイ……あんたら――」

 しかし、先ほどまで大勢いたリヴァイ班たちは馬車が走り去ると同時に姿を消した。正確には立体機動装置を展開して一気に町の建物がある屋根の上に飛んだのだ。

「全員、そのまま手分けして荷馬車を追え!絶対に見失うな!」
「「了解!!」」」

 リヴァイの声に従いそのまま急ぎアンカーを射出して馬車を追いかける新兵達。このまま何としても見失うわけにはいかない。
 自分達を狙う影の正体を探るために自ら差し向けたウミがどうか無事であることを願いリヴァイは加速する。
 そして、万が一彼女が自分の目の前で乱される光景を見ても、この理性がどうかいつまでも保てるように願った。

To be continue…

2020.01.09
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