「ペトラちゃん、」
「おはようございます! ウミさん!」
「そっ、そんな、敬語は使わなくてもいいの。私はこの班で一番下っ端なんだから」
「それなら私の事も“ちゃん”付はいらないですよ」
「もう、参りました」
あくまでウミが言い切るのは調査兵団に所属していたのはもう5年以上前、昔の事であり、今はブランクもあり、この班にとっての足手まといだからと謙遜しているがペトラもペトラでその態度を頑なに崩さない。そんな同じ班の中で唯一の女性同士の二人だからこそ通じるものもあり、あっという間に親しくなるとふたりは何かと一緒に行動するようになった。
ペトラにとってリヴァイは尊敬に値する人でもありあこがれの大人の男性という目線でも自分をこの班に選んでくれたことがとてもうれしくそしてとても名誉なことだと自分を溺愛する父の手紙に書いてしまう程彼を盲目的に崇拝していた。
恋かどうかと問われればどうなのだろう。けど、彼の事を知れば知るほど本当は誰よりも仲間思いなリヴァイの事を必然的に意識するようになるのは分かっていた。向こうは30代半ばであるし自分は未だ成人すら迎えていない、歳の差もある。それでもそばに居られるだけで幸せな気持ちになれたし自分の持てるすべてで彼の刃になろうと決めた。
だから女だからと言われても負けないように今まで鍛錬を積んできた。
まったく女の気配もない彼に対して何の気なしに聞いたことがある。好きな女性はいるんですか?と。その時に応えた彼のなんともいえない表情が今もペトラは忘れられないでいた。結局その時は彼は何も言わずに去ってしまったが…。
調査兵団で唯一の同期のオルオが「女にモテても一切靡かない硬派な兵長かっけぇっす!」と、うるさく騒いでいたが。
そんな自分が、リヴァイ兵長に出会ったのは彼が訓練兵団に演習で立体機動装置で見事にその腕前を披露したのを見た時だ。
あの力強い眼差しに自分は一瞬で彼に心奪われたのだ。
そして、そんな彼にそんな表情をさせる人物が突然現れ、そしてその相手はおそらく…目の前の彼女だと自分でもわかる。しかし予想外なことに決して美人でもスタイル抜群で誰もが振り返るような容姿をしているわけでもないが、今隣でニコニコと楽しそうに微笑んでいる笑顔は誰よりも優しくて誰に対しても年上だからと決死で威張らずオルオにも優しくて…ペトラも忽ち彼女の優しさが好きになった。
小柄な自分よりもさらに小柄でいつまでもあどけない少女のように純真で、そして誰よりも優しかった。しかしその表情からは、トロスト区が巨人に襲撃された時に見せた鬼気迫る表情と恐ろしいまでの立体機動能力を持つ元分隊長の女兵士には見えなかった。今もそう。
鍛錬に付き合っている途中で本当にあの時のトロスト区の英雄なのかと思う程実力があるようには見えなかった。
しかもオルオの話だと、彼女はリヴァイやクライスと同じく訓練兵団を卒業していないそうだ。しかも彼女の両親はかつて調査兵団の精鋭で、今はどちらも亡くなってしまったそうだがその血は確かにウミに受け継がれているそうだ。
迫る第57回壁外調査に向けての準備期間中、1か月に渡る古城生活も辛いものになるのだろうと、気をまわして女性を加えたとのリヴァイの優しさがありがたかった。ウミは話しやすく年上だが同じ年の友人のように感じられて。一緒に料理をしたりウミの訓練に付き合ったりと、快適とは言えない僻地での生活で二人が親しくなるのは必然だった。
「今日はそろそろ必要なものを買い出しに行かないとですね」
「街まで行くの? じゃあ、私も行こうかなぁ……一人だと荷物大変でしょう?」
「ありがとうございます」
「それじゃあ決まりね、あと、せっかくトロスト区まで行くんだからさ、たまにはちょっとお茶しようよ?ね、ね?」
初めて会った時も古城で再会した夜、そしてリヴァイに連れられて申し訳なさそうに班に加わった時、足手まといにならないようにと言っていたが、元調査兵団で生き残ったまま調査兵団を引退した人間はきっと今までの歴史の中で後にも先にも彼女だけだろう。
訓練の合間にいつも古城で男くさい生活ばかりなのでたまには街でお茶がしたいとねだる彼女のいたずらっ子のような笑顔。ペトラは仕方ないと微笑んだ。
「ペトラちゃん、どうしたの?」
そうして雑貨屋で必要な生活品を購入していた時だった。ペトラは経費削減のために普段安い茶葉で我慢している紅茶愛好家のリヴァイの好きなブレンドの茶葉が売っているのを見つけてそれを眺めていた。普段我らがお世話になっている班長で兵士長のリヴァイの為に何か贈り物をしたいと考えていた。
それぞれで贈り物を準備して壁外調査の最終日に少しささやかなお礼をしよう。ペトラはリヴァイの嗜好品をきっと詳しく知っているだろうウミに協力を依頼した。
「あの……ウミさん、実は班のみんなでリヴァイ兵長にお世話になっているからとお礼がしたいなと思っておりまして、私からは紅茶の茶葉を送ろうかなぁと、思っていたんです。それで、ウミさんはリヴァイ兵長とは地下街の時からの長いお付き合いなんですよね? リヴァイ兵長の好みの茶葉とかご存じですか?」
「ん?」
そう尋ねればウミはいつもの笑顔で答えてくれるのかと思っていた。しかし、ウミが見せた表情はあまりにも呆けていたからペトラは自分が何かまずい発言でもしてしまったのかと不安を覚えた。
「あ、ごめんごめん……! 何でもないの! それなら5年前と変わっていなければ、うん、そのお茶っ葉を好んで飲んでたよ! でも、それ結構お値段張るんだけど、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です、これくらいいつもお世話になってる兵長になら、」
「ふふ、兵士として立派に成長しているペトラちゃんが選んだものならきっとリヴァイ兵長も泣いて喜んでくれるね」
「泣いて……えっと、リヴァイ兵長ってそんなに喜怒哀楽はっきりしてない感じですけど泣くことってあるんですか?」
いつも冷静でめったに表情を変えない男が、泣いて喜ぶ姿など想像もしたことが無い。否、想像もつかないが…
「うーん……そう、ね。5年前の入団したばかりの頃は若いのもあったし、喜怒哀楽もちゃんと表現していたと思うよ、ああ見えて誰よりも仲間思いの人だから……ペトラちゃん、本当にリヴァイ兵長の事が好きなんだね、」
「え、あっあの! それは…」
「ふふ、いいの、大丈夫。リヴァイ兵長もきっとしっかり者で気が利くかわいいペトラちゃんの事、悪くない、って思ってると思う、自信もってね! 若さでイケイケどんどん!!! 応援してるからね」
「そんな! 大して年齢変わらないじゃないですか!」
「ううん、そんなことないよ、すっごく変わるよ! 20代でも前半と後半じゃあお肌の弾力とか全然違うからねっ、シャワー浴びてジャンプしてもお肌が水弾かないからねっ、本当だからねっ」
にこにこ、とあどけなく微笑みながらそんなことをのんきに言ってのける目の前の存在に彼女は本当にリヴァイの事を何とも思っていないのだろうかと気にはなったがずっと慕い続けていた彼をよく知るウミが、彼とはただの仲間だと告げたことに対して安心するのは間違いなく自分が彼に抱いていた気持が恋慕にも似た情であることを、ひしひしと思い知るのだった。
そんな数日後のある日、特別作戦班とハンジ班による合同でエレンの実験を行うことになった。朝からリヴァイの特訓でコテンパンにされさらにエルヴィン団長が考案した長距離索敵陣形についての座学でいっぱいいっぱいになっているエレンと早朝からリヴァイの猛特訓に付き合わされたウミを横目に、リヴァイは全員を集めて黒板に向かって何かを描き始めた。
「お前を半殺しに留める方法を思いついた」
「……はい?」
1か月後に控えた第57回壁外調査に向けて万全の状態にしたいと、黒板の前に立つリヴァイとその話を真剣に聞き入り、リヴァイはチョークを手に描いたのはいびつな人の形をした絵とそれに重なるように点線で楕円を描いた。
「巨人化したお前を止めるには、殺すしかないと言ったがこのやり方なら重傷で済む。とはいえ個々の技量頼みだがな。要は――うなじの肉ごとお前を切り取ってしまえばいい。その際手足の先っちょを切り取ってしまうが……どうせまたトカゲみてぇに生えてくんだろ? 気持ちわりぃ」
「ま……待って下さい。どうやったら生えてくるかとかわからないんです。何か他に方法は……」
「「何の危険も冒さず、何の犠牲も払いたくありません」と?」
「い……いえ」
「なら腹を括れ。俺達も同じだ。お前に殺される危険がある。だから安心しろ」
「……はい……わかりました」
「じ……じゃあ、実験していいよね?」
真っ青な顔をした不安そうなエレンと相変わらず冷静なリヴァイ。その後ろの教卓に腰かけているハンジが眼鏡をぎらぎらと光らせて今か今かと実験開始の時を待ち焦がれていた。
「……リスクは大きい……かといってこいつを検証しないワケにもいかないからな」
「計画は、私がやっていいんだよね? エレン……わからないことがあったら、わかればいい……自分らの命を懸ける価値は十分ある」
話を終えて、全員で草原の広がる廃井戸のある開けた場所へと馬に乗りやってきた。
エレンを廃井戸に降ろし、その傍らに立つリヴァイと底を覗き込んでいるハンジがエレンに実験の開始を告げる。ウミは今から何が始まるのかと馬の上からそれを眺めている。
長い腰まで伸ばした髪を三つ編みにしてくるくると束ねてまとめている。今日の気分に合わせて髪形を変えるウミは決して長いから立体機動に支障が出るとは思っていないのか女性兵士の中でこんなに髪の毛を伸ばしている兵士もきっと彼女くらいだろう。動きやすいようにと髪をバッサリ切ったペトラにはそれがうらやましかった。
「そろそろいいかなぁエレン、準備ができたら信煙弾で合図するから。それ以降の判断は、任せたよ!」
「了解です」
「うん……この涸れ井戸なら、自我の無い状態の巨人であっても拘束できる……はず!」
馬に乗り涸れ井戸から距離を取るリヴァイとハンジ。
「ウミ、撃ってみろ。何事も練習だ」
「は、はい!」
リヴァイに指示を受けたウミがもたもたしながらも懐かしい思い出の信煙弾に緑の煙弾をセットして上空に撃ちあげると、夕焼け空に映える緑の信煙弾が軌跡を描いて飛んでいった。そして、それを合図にエレンが巨人化するはずだったのだが…
「……ん? 合図が伝わらなかったのかな?」
「ウミ、もう一回撃ってみろ」
「うん、あ、はい……」
時折タメ口になるが律儀に言い直すウミ。すぐ巨人化したら離れられるようにと馬に跨り乗り様子を見ている一行だが、ウミが放った信煙弾はエレンからも見えているはずなのに。
涸れ井戸からは巨人化した時に発生する落雷もあの時ウミが確かに見たまばゆい閃光も蒸気も見当たらない。
様子を窺っていると突然ウミが馬から軽々と飛び降りるといきなり立体機動装置も付けないままの丸腰でエレンが居る井戸に向かって走り出したのだ!今エレンが巨人化して暴れたらどうするのだ。
「エレン! どうしたの? 大丈夫っ!?」
「馬鹿野郎! 何してやがる! オイウミ!!」
「兵長!?」
すかさず滅多に声を荒らげないリヴァイの怒号が響き渡った。急いで馬を走らせウミを追いかけるとハンジもその後に続いた。
「オイ、エレン。一旦中止だ」
「何かあったの?」
「ハンジさん……、巨人になれません」
涸れ井戸の底には両手を自分の歯形の噛み跡だらけにしたエレンが呆然と立ち尽くしていた。巨人化出来ないとなり、ウミは助かったがリヴァイはこっぴどくウミを叱り付けた。
それを見かねたハンジにより一旦休憩となったがさっき怒鳴り声を発したリヴァイの迫力にペトラは圧倒された。あんな風に怒鳴り声を発してウミを追いかけた姿はとても普段の彼らしくはなかった。
草原にはテーブルが置かれ、ひとまずの食事休憩を取り食後の紅茶を飲んでいた。エレンがいるテーブルには、エルド、グンタ、オルオが座り、リヴァイが険しい顔つきでやって来るとエレンに問いかけた。
「自分で噛んだ手も傷が塞がらないのか?」
「はい……」
巨人化した時に一瞬で治癒する傷も今は痛々しい。その傷跡にはペトラが消毒して包帯を巻いてやったが今も血が滲んでいて、もちろんそこを思い切り噛みきってるのだから痛くて当然だ。
「……お前が巨人になれないとなるとウォール・マリアを塞ぐっていう大義もクソもなくなる。命令だ、何とかしろ」
「はい……」
リヴァイは紅茶を飲みながら不機嫌そうにエレンの元から離れて行くのをペトラはフォローに入り、慌てて追いかけた。
「まぁまぁ、兵長。そんなに怒らなくてもエレンならきっと大丈夫ですから、気長に待ってあげましょう、」
「エレンじゃねぇ、ウミの事だ」
「ウミ、さんですか?」
とぼとぼとエレンたちの元に歩いているウミはリヴァイにこっぴどく叱られかなり落ち込んでいる。リヴァイは勝手に危ない行動をするウミに対して怒ってた延長でエレンにも何とかしろと詰め寄ったようだった。
「兵長は、ウミさんがとっても心配なんですね」
「あ?」
「あっ、いえ、その、ウミさんって、可愛いですよね」
「ペトラ……お前はマトモだと思っていたが、とうとうその目はおかしくなっちまったのか?」
思った以上に不機嫌な態度の彼にウミの話題ふってみるが思った以上にリヴァイはウミに振り回されてうんざりしているのか機嫌が直らないご様子だ。挙句の果てにボロクソに文句を述べている。鈍くさくて朝は弱い、食い意地が張っている、何かにつけてああ言えばこう言うで素直にうんと首を縦に振らない。
「とにかく、あいつは世話が焼ける。巨人と対峙している時くらいだな。マトモなのはとにかく。俺はあいつのことは――」
そう言いかけた瞬間、突然稲妻が迸り閃光がはじけ立ち昇る煙と共に自分の部下が次々と吹き飛ばされていく!
「オイ!!」
「何だ!? 何の爆発だ!?」
まばゆい閃光が消え、やがて風が霧を払い。そして現れたのは……腕が巨人化したエレンの姿だった。慌てて駆け寄る中でペトラは許可なく巨人化したエレンに強い憤りを覚え刃を抜いた。
「何で今ごろ!?」
「落ち着け」
「リヴァイ兵長、こ……これは……」
「落ち着けと言っているんだ。お前ら」
抜剣してエレンに今にも襲い掛かろうとするぺトラ、エルド、グンタ、オルオらを制止するリヴァイは部下たちを落ち着けようとしているが、四人はエレンに向けた剣を収めようとする気配がない。その時、エレンと対峙する四人の背後で恐ろしい気配がしてペトラが振り向くと後ろではエレンに武器を向ける四人に対してウミが刃を向けていたのだ。
「ウミ、止せ」
「……四人とも、早くその武器を収めなさい」
「ウミさん!?」
「なんで俺達に、剣を……!」
「おい、ウミ」
「うるさい!」
それは普段の優しい微笑みを浮かべたウミからは信じがたい程の声調で、その冷たい刃のような眼差しに今度は四人が戦慄する番だった。
腕だけが巨人化したエレンに落ち着いた表情で立っているリヴァイと対峙するリヴァイ班の面々、そしてそのリヴァイ班の背後から刃を向けるウミと、緊迫した状態のままエレンに詰め寄ると皆は口々にエレンを責め立て始めたのだ。
「エレン……! どういうことだ!?」
「は……!? はい!?」
「なぜ許可も無くやった!? 答えろ!!」
「エルド、待て」
「答えろよエレン!! どういうつもりだ!!」
突然先ほどまで優しかったリヴァイ班の代わり様に慌てて周囲を見回すエレンにエルドが、グンタがまくし立てるように口々に言葉にする。
「いいや……そりゃあ後だ。俺達に……いや人類に敵意が無いことを証明してくれ」
「……え……!?」
「証明してくれ早く! お前には……その責任がある!」
オルオが鋭い眼差しでエレンに詰め寄り挑発的な言葉を放った瞬間ウミが声高に叫んだ。
「その腕をピクリとでも動かしてみろ! その瞬間てめぇの首が飛ぶ!! できるぜ! 俺は! 本当に!! 試してみるか!?」
「全員今すぐエレンから離れて武器を収めなさい!」
「兵長! エレンから離れて下さい! 近すぎます!」
「いいや、離れるべきはお前らの方だ。下がれ」
「なぜです!?」
彼は許可なく、何の前触れもなく巨人化したのだ。人類に仇なし突然暴れて攻撃してきたらどうするのだ。我々はそのために選ばれたのだ、何故刃を収めなければならないのか。
ペトラは持つだけの疑問をリヴァイに投げかける。しかし、後ろからは今にも切りかからんばかりの勢いでこちらにさらに向けられた刃。先ほどまでリヴァイに叱られしゅんとしていた彼女とは全く真逆の表情で。
「俺の勘だ」
「どうしたエレン!! 何かしゃべれよ!」
「……だ「妙な動きはするな!!」
「早く証明しろ!」
「あなたたち! いい加減にしなさい!」
「何で、何でエレンを庇うのウミさん!!」
「ウミさん! あんたはエレンと昔から長い付き合いだからってそんな私情を挟んだ理由で守ろうとしてるのか!?」
「おかしいだろ! そいつは人類の敵かもしれない巨人なのに!」
「違う! これはエレンの意志ではないのよ。いいから剣を収めてリヴァイ兵士長の言う事を聞きなさい!!」
刃を収めない四人にさらに刃を今にも降りぬこうとしているウミ、緊迫した状態で背後の彼女に投げつけられた言葉はあまりにも重い。リヴァイだけが冷静にその状況を見ている。
ペトラは今まで過ごしてきたウミの笑顔が振り向きざまに消えていたことに気付くがそれでも人類の敵をここで仕留める責任を任され全うしようとしている。
「あんた正気かよ!?」
「本当に俺達を斬るつもりか!!」
そしてペトラの目の前に飛び込んで来た光景。それは突然立体機動装置を展開しリヴァイの隣にアンカーを射出して一気に自分たちの背後からエレンを守るように立ちはだかったウミの姿だった。
「ええ、エレンが居なければ故郷は取り戻せない……エレンがたとえ暴走したとしてもエレン無しには成し遂げられないのよ! あなたたちはそんな人類の希望を殺そうとしている、私が止めなくてどうするの!? それに、エレンを失えば悲しむ子がいる。その子に頼まれた通り、私は殺せない」
「ウミ!!」
「だから―――…」
「エレン!! 答えろ!! お前は人類にとっての―――」
先程から必死に何かを放そうと口を動かすエレン、しかし喋ろうとすれば他の者が矢継ぎ早に喋るから会話が途中で途切れるしさらに周囲からの畳みかけるように自分を追い込む皆の言葉に。変わらず自分に刃を向ける四人、そしてそれを止めようとするウミまで裏切り者だと言わんばかりに責め立ててくる姿に苛立ちを募らせたエレンが叫んだ。
「ちょっと!! 黙ってて下さいよ!!!!」
一瞬の静寂が訪れる中、心臓の音だけがやけにうるさく響く。重苦しい空気の中でやけにテンションの上がったハンジがモブリットを引き連れて飛び込んで来たのだ。
「エレぇン!! その腕触っていいぃぃぃ!? ねぇ、ねぇ!? いいよねぇ!? いいんでしょ!? 触るだけだからああああ!!」
「ハ……ハンジさん!? ちょっと待って――」
「うおおおおお」
巨人化したエレンの迫力を目の当たりにし、嬉しそうに対峙する四人とリヴァイとウミの間に割り込むように駆け込んでくるハンジがエレンの静止も聞かずにエレンの巨人化したままの腕に両手で触れたのだ!ウミが思わず向けていた剣を下ろしたのとちょうど同じタイミングでジュュウウウウウゥゥと肉が焼けるような音と共にハンジの手が高温に蒸気を放った。
「あッ……つい! すッッげぇ熱いッ! 皮膚無いとクッッソ熱ッいぜ! これ! すッッげぇ熱いッ!!」
エレンから離れて興奮した勢いのまま膝からスライディングしながらエレンに触れた両手を天に伸ばしてそのままガッツポーズを決めるハンジに部下のモブリットは冷静に突っ込んだ。
「分隊長!! 生き急ぎすぎです!!」
ハンジの突然の介入をただ、ただ呆然と見ている一同はハンジのハイテンションぶりについていけないまま刃を持ったまま固まってその様子を見ている。
「ねぇ!? エレンは熱くないの!? その右手の繋ぎ目どうなってんの!? すごい見たい!!」
ハンジの言葉に力を込めて巨人化した右腕に繋がったままの自身の右腕本体を引きずり出そうとするもがくエレン。
「んんんんん!!!」
しかし、なかなか抜けないのか半ばやけくそになってその腕を引き抜こうとしているエレンに次第に敵意から彼の身を案じる方へ思考が変わってゆく。
「オ……オイエレン! 妙なことをするな!!」
「ウミさん!」
「エレン!!」
「ふんっっっ!」
エレンの右腕がそのまま引きちぎれてしまうのではないか。危惧した一同の中で彼を心配したウミが剣を向けてエレンに駆け寄るとそのウミの声と同時にブチッと右手を引き抜きエレンはその反動でそのまま地面へと転げ落ちた。
「うっ!」
「ええ!? ちょっと……エレン! 早すぎるって!! まだ調べたいことが……!?」
本体が離れてしまったことにより一気に蒸気を立ち昇らせて消えてゆく巨人化エレンの残骸をなんとかとどめようとするハンジの眼前にはエレンの巨人化した右手には紅茶にミルクや砂糖を入れた時にかき混ぜるティースプーンがしっかりと握られていたのだった。
▼
「皆、ごめんなさい」
エレンの巨人化騒動は上層部にまで伝わりハンジがその説明対応に追われる中でひとまず地下牢でエレンを落ち着けているリヴァイを待ちながら古城の食堂戻って待機していた。そんな一同にウミは深々と頭を下げてい謝罪していた。巨人殺しに長けている精鋭班の4人も突然普段の彼女から元分隊長の名残の厳しい兵士に立ち戻っていたウミに驚きながらも全員で彼女を宥めた。
「そんな、いいんですよウミさん」
「そうっすよウミさん、気にしないでください」
「俺達が先にエレンへ刃を向けたんですし、それにウミさんの行動が今となっては正しかったんですから……」
「ごめんなさい、それにしても。だよ、エレンの事みんな快く面倒見てくれてて、私も迷惑ばかりかけているのに…やっぱり私、兵長に頼んで特別作戦班から外してもらった方が……」
普段の立体機動の訓練でミスばかりだったウミが自分たちがウォール・マリア奪還のカギとなるエレンを始末しようとした時の突如何者かが乗り移ったかのようなその場に瞬間移動みたいに素早い立体機動の腕前とスラリと向けられた鋭い刃のような瞳は今は鳴りを潜め半べそで班を抜けようとするウミに駆け寄りペトラはそっとウミの手を握り締めた。
「すみません……。謝るのは私達です。ウミさんの言う通りです。私達は大事なエレンを危うく……」
「ううん、だって、仕方ないよ、誰だって突然人間が巨人化したら驚くし、怖いと思うよ、それなのに私……」
「ウミさん」
ウミに刃を向けられて驚いたがエレンはウミにとって幼馴染でもあるエレンを守るために自分たちに刃を向けたというよりかは人類の希望を守るためだと言い放ったところにある。やはり彼女はーリヴァイがはっきりと言い切ったのを思い出した。
▼
「兵長、ウミさんを特別作戦班に入れるって本当ですか?」
「そうだ」
「あの……失礼ですが5年間も現場を離れた人に突然巨人と現役時代と同じように戦えと言うのは酷ではないかと……」
「ペトラ。あいつの実力は5年前と何ら変わっちゃいねぇよ…確かに見た目はあの通りのほほんとしているが、あいつは間違いなく俺と張り合えるかもしれねぇ唯一の女だ。自分自身危機に陥った時にだけまるで人が変わったようになる。あいつが抜けた5年間であいつを超える戦闘力を持つ女は見た事がねぇ……」
「そんな、兵長と張り合えるなんて……」
「両親が化け物みたいに強かったからな……あいつもその名残だろう、死んじまったがな。だからあいつはもう誰も死なせたくねぇ、その一心で戦ってる、」
そう呟いた兵長は窓から見えた庭の草むしりを黙々と一人で行うウミの小さな背中を見て今も彼女を思っているようにペトラには見えた。そう、彼を慕い、いつも彼を見ているからこそ気が付いた感情があったから。彼がいつもどんな眼差しで遠くから見守るようにその小さな花のような笑顔を大切にしているのか。
ー結局その後、ハンジによる見解でエレンが今回巨人化できなかった理由と、休憩中に突然巨人化した理由、それは巨人化するために体に深い傷を作る自傷行為とただ実験のために巨人化すると言うだけでは満たせない条件。小さくてもいいからとにかく目的意識を持つことだということで話がまとまったのだった。これからはそのハンジの考えをもとにエレンの巨人化の実験を執り行うことで話はまとまった。
エレンはなりたくて突然何の前触れもなく巨人になったわけではないということを確認し、4人はエレンに剣を向けたことを謝罪すると共にそれぞれエレンを真似て拳を握ると親指の付け根を食い契りはしないか思い切り噛みつき、エレンの痛みを分かちあったのだった。
「リヴァイ兵長、いつもありがとうございます。これはほんのお礼の気持ちです」
「いきなりなんだと思えば……この茶葉、高かったじゃねぇか、わざわざあの店まで行ったのか?」
「良いんです! いつも私たちの為にいろいろしてくれる兵長に皆でお礼がしたくて、みんなが待ってますよ! 行きましょう! 兵長!」
「オイ、そんなに引っ張らなくてもいいだろ」
いつか兵長と対等な存在になりたい、そのために今まで新兵から調査兵団に入ってからもずっとその背中を追いかけていた。オルオと励まし合ってここまで討伐数を競い合ってきた。けれど、たとえ彼の瞳は彼女しか見ていないとしても自分は……それでも。
彼も尊敬している、誰よりもこの身をかけてこれからも兵長についていきたい。尽くしていこう、彼が自分を認めてくれた。それは誰にも代えがたい事実だから。
自分が持つ力最大限の気持ちを、これからも。
ペトラは明るい笑顔で皆が待つ食堂へ向かう。リヴァイ班の面々が尊敬する兵士長に贈る感謝の宴。これは第57回壁外調査の前日の記憶である。
2019.08.03
2021.01.24加筆修正
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