「いえ、いいんです」
団長室に入ったのは自分が調査兵団を退団したいと申し出た時以来だった。かつてはシャーディスが座っていた椅子に腰かけた現・調査兵団団長のエルヴィンと向かい合うとエルヴィンは先ほどエレンに投げかけた質問を同じくウミへ投げかけるのだった。
「ウミ、先ほどの質問だが――……敵は、何だと思う?」
「敵、ですか……? 敵は、これは、あくまで私の憶測ですが……」
そうしてウミは憶測で申し訳ないと詫びながらもエレンやリヴァイ班の者たちよりも長く培ってきた分隊長まで上り詰めただけはある。勉強は苦手でも穏やかな笑顔の裏で済んだ瞳は物事の本質を理解し的確に判断することに長けていた。リヴァイとエルヴィンがウミへ求めていたなぞなぞ。ウミは的確に正解を口にし始めた。
「私たちの敵は……巨人ではありません。恐らくは、人間です。しかも敵はこの壁の中。いえ、兵団の中に、既に潜んでいます。ソニーとビーンは本当に一瞬の間に殺されています。その犯行と逃走にも立体機動装置が使われていたこと。新兵含めて現役兵士たちは全員疑っていいと思います。巨人に恨みを持つ者の犯行というよりは……まるで……」
「まるで?」
「これから、エレンの実験が始まろうとしているこのタイミングで巨人の秘密を知られないよう、証拠隠滅の為にあの子たちを殺したように、見えます。それに、2体同時に巨人を倒せるなんてリヴァイ、兵長……みたいにごく限られた。それも今も生き残っている精鋭だけ……」
一瞬にして巨人を倒してしまえる人間などごく限られている。だからと言ってリヴァイは壁が崩壊する五年前から調査兵団にいるし、彼ではないのは明らかである。普通の兵士が巨人を一度に二体も倒すことは5年間の間に入団した兵士では困難である。それならば犯人は、ウミの口から出た自分の名前に訝しげに眉を顰め男は隣の彼女に問いかけた。
昨晩一緒に一夜を明かしたことを彼女は覚えていないのだろうか?
「オイ、俺がやったって言いたいのか?」
「それは悪い冗談だな、さすがにジョークにしては笑えないよウミ、」
「まさか! 違うよ! リヴァイ! あっ、リヴァイさん、ううん、リヴァイ兵長」
「(何回言い直すんだ?)」
「リヴァイではありません! だって……5年前の壁が破壊される前から調査兵団に居ますし……今回あの子たちを殺したのはきっと巨人の秘密を知られたくない…きっと、これは複数の人物による犯行です……2人か見張りも含むなら多くても3人かな、今も必ず兵士の中に紛れてこの状況を見ている。トロスト区でエレンが巨人化出来る人間だということを知って、それで、行動を起こしたんだと思います……」
「(そこまで頑なに名前を言い直さなくてもな、)」
3回もリヴァイの名前を言い正すウミの相変わらず生真面目な姿に紳士な微笑みを浮かべたのはエルヴィンだった。2人が5年間も離れ離れでいたのは理解している。
彼女が調査兵団に必然的に戻らなければならない形になり、そして二人が再会した今、自分は5年のブランクがあるから今期入った新兵と同じ立場だと、謙虚にかつて肩を並べた仲間なのに遠慮して話す相変わらず控えめな両親とは真逆な性格のウミが5年前壁を破壊した諜報員ではないということはもう目に見えてわかることだ。
――そして、エルヴィンが求めていた答えが返ってきたことで彼女への疑惑は晴れたのだった。5年前から調査兵団に身を置くもの、そして求めていた答えに正解した者。
「分かった。君の意見を聞きたかったが我々と同じで安心したよ」
「え!? ひどいです! 団長! 私まで疑っていたんですか? 私はむしろあの「超大型」に故郷を奪われた被害者ですよ? それに、両親を巨人に殺されているんですから……」
エルヴィンとリヴァイの脳裏にはかつてともに戦った彼女の父の勇敢で壮絶な最期が浮かんだ。彼は自分の班全員を逃がして死んだのだ。しかも遺体は最後まで巨人に奪われることなく五体満足の状態で死んだ。
「すまない、わかっていたが念には念をな、しかしこれでは君の両親に怒られてしまうな……いや、話を戻そう。ウミ、改めて頼みたい。君の実力は5年前と何も変わっていないだから何も謙遜することはない。リヴァイ」
そうして無言のままエルヴィンがリヴァイに向き直ると、男は静かに彼女に告げるのだった。自身の思い描いていた最高のメンバー、自らで選出し、そして築き上げた自分の班を。気まずそうに目を合わせるガチガチにかしこまるウミにリヴァイは低い声で呟いた。
「オイ、てめぇ……ふざけてんのか」
「え?な、何ですか?」
「お前にリヴァイ兵長って呼ばれるのが……気持ちわりぃんだよ」
「で、でもリヴァイ兵長は、私の上官だから、……敬称で呼ぶのは当たり前で」
「敬称なんかいらねぇんだよ」
「そんな! それじゃあ新兵の立場が、」
「トロスト区の英雄がいちいち立場気にしてどうすんだ。お前は5年前と何も変わっちゃいねぇよ。エルヴィンからの質問に正確に言えた。それだけで5年のブランクなんかいらねぇ、ウミ、あの役に立たねぇデカノッポの代わりに俺の班に入れ、」
「へ!?」
「俺の班に、来いって言ってんだ」
まるで脅迫のような言い方だが彼は真面目にウミを勧誘している。それは昨夜自己紹介したリヴァイが選出したあの精鋭の中にクライスの代わりに自分が入れ、という事か。驚きに瞳を丸くするウミ。自分が調査兵団きっての精鋭に入るとは
しかも、リヴァイが選出した面々は自分よりうんと実力を兼ね備えて生き残ってきた若い世代ばかり。
そんなメンバーの輪の中にもう20代も半ばを過ぎたいい年した自分が混ざる。自分の実力がリヴァイが選んだ班の中に到底及ぶなど思っていない。トロスト区の時は無我夢中だったから、今はどうやってあの時戦ったのかもう覚えていない、今あのように戦えと言われてもきっと出来ない。
多くの死線の中で幾多も失ってきた仲間達。まだ最前線で刃を手に戦う覚悟、到底自分には…。戸惑うウミをリヴァイは優しく宥める。
「そんな、あの、私には無理です……。今の私では精鋭班に選抜されてもついて行きません。足手まといになります……。もうあれから何年経ってると思ってるんですか?」
「それを判断するのはお前じゃねぇ、お前の身柄を引き取った俺だ……。ブランクなら俺が埋めてやる、朝から晩までみっちり。昔の死と隣り合わせの壁外調査とは違う、お前がいた時代の調査兵団のように無駄に死ぬ人間を出しはしない。死にたくねぇのなら死ぬ気で俺に付いて覚えろ」
そうしてリヴァイから差し出された手は真っ直ぐに自分に差し伸べられていた事に気が付いてウミは瞬きを止める。もうあの日には戻れないのにそれでも彼は自分を必要としてくれている。
何度も、何度も、たとえどんなに離れたとしても。目の前の彼の願いを、叶えてやれなかった自分の過失が招いたこと、過去、行き場を無くしてもう死んでもいいと絶望していた自分を助けてくれた彼の存在が今でも自分をこんなにも照らしてくれていた。
「(いいの? また、この手を取っても?)」
心の中で繰り返される自問自答にウミは迷っていた、もう彼は自分を必要としていない、もう昔のように愛していないとしてもそれでも自分は彼の傍に本当は居たいと本心は嘘をつけないでいる。
頑なに会わないようにしていたのは、彼が今も好きで、たまらなくて、彼と形だけでも傍に居たいと願うから。だけど、決して足手まといにはなりたくない。相反する気持ちに挟まれ身動きがうまく取れない。
「エレンの近くにいた方がお前もエレンのなじみも安心するだろ、」
そうして、ハッと気付かされたエレンの存在にウミは決意する。エレンを守るためなら、エレンを監督という名目で壁の破滅をもくろむ諜報員たちから保護しているリヴァイ班に加われば……その近くでエレンを守ることが出来る事。
彼のそばに居たい、エレンも守りたい。そうだ、自分にはもう選択肢などはないのだと、今更だけど気が付いて。
「………はい、よろしくお願いします……」
「それでいい、」
一度離れた自分はもう彼に相応しい自分ではない、だが彼についていこうと決めた。いつの間にか逆転した立場の彼には彼に相応しく彼を思う若い精鋭の子が居る。もう彼にとって何もかも落ちぶれた自分はもう必要のない存在だとしても。それでもエレンを守る為にリヴァイ班の一員に加わることをウミは決意するのだった。
せっかく離れることが出来た調査兵団にまた舞い戻る事、しかし気が付いてしまった。調査兵団から逃げたところで巨人の脅威はなくならない、むしろさらに巨人は容赦なく人類を蹂躙した、進撃を続ける調査兵団に再び戻り、この先にさらに辛く過酷な未来が待ち受けていたとしても……。
今だけは握った彼の手をこのまま離さないままでいたかった。
「最後にシャフトを交換したのはいつだ」
「6日前の掃討作戦の後です」
「記録通りだ」
「よし、次!お前だ」
「42班所属、クリスタ・レンズです」
時同じくトロスト区の宿舎の中で3人1組で立体起動装置をテーブルに置き、憲兵団が順々にチェックを行っていた。サシャとクリスタが検査を受ける最中サシャはなぜか冷汗を浮かべていた。何かやましいことでもあるのだろうか?
結局ウミの発言通りに、今回の事件で立体機動装置を使った犯人を割り出す為に新兵からアリバイのない兵士まで全員がくまなく立体機動装置の使用履歴と照らし合わせた検査を受けることになったのだった。
「巨人を殺して罰せられることもあるんだな」
「変な話だけど貴重な被験体だったし」
「だからってなんで俺ら訓令兵の中で犯人探しなんて」
「みんな今日まで続いた戦場の処理で憔悴しきってるのに」
検査を待っている間一部の兵士たちがひそひそ声で雑談しているのを横目にコニーはこの1週間の出来事を思い返していた。今日でトロスト区襲撃から1週間が過ぎ、トロスト区の戦後処理が終了したのだった。しかし、解散式の夜が104期生たちにとっては最後の安息の夜だった。この1週間で104期生たちの運命は大きく変わってしまった。
「巨人が憎くてしょうがなかったんだろうな……」
「……うん。でも、これじゃあ巨人に手を貸したようなもんだよ……。その人の復讐心は満たされたかもしれないけど、人類にとっては打撃だ」
「オレはバカだからな……分かる気がする。巨人を見るは前オレ、本気で調査兵団になるつもりだったんだぜ。けど、もう二度と見たくねぇ。今日所属兵団を決めなきゃいけねぇのに……ジャンの奴……本気で」
戦後処理を終えて、三年間同じ釜の飯を食って訓練兵時代を共に過ごした104期生の仲間たち。今はほとんどが死んだ、巨人に食われた者、全員が物言わぬ躯と化し、ごうごうと燃え盛る炎に焼かれる中で、揺らめく炎の中コニーが見たのはマルコの骨かもうわからない白い欠片を震える手で握りしめて肩を震わせ涙を流すジャンの姿だった…。
――「(みんな……後悔してる、こんな地獄だと知ってりゃあ兵士なんか選ばなかった。精根尽き果てた今、頭にあるのはそればっかりだ。なぁ…マルコ…もうどれがお前の骨だかわからなくなったよ……兵士になんかならなければ…次は誰の番かなんて考えずに済んだのに……わかってんだよ、戦わなきゃいけねぇってくらい……でも、わかっていてもてめぇみたいな死に急ぎの馬鹿にはなれねぇ)」
ジャンは確かに見た。マルコの姿を、そしてマルコと補給室で交わした言葉のやり取りを思い返していた。自分は弱い人間の気持ちがわかるから自分が今何をすべきか、正しく理解して判断できる人間だと親友はそう言ってくれた。
そして、もうマルコ以上の犠牲が出ないように……と、巨人を知らない世界で今まで生きてきたジャンは今回のトロスト区奪還戦で知ってしまった巨人の恐怖を、巨人がはびこる世界がどれだけの危険性を秘めているのかを目の当たりにし、そして親友を失ない、そうして誰よりも臆病な彼は命の重みを知り、そうして決意し涙を流したジャンの姿を。
――「今、何をすべきか……おい……、お前ら…所属兵科は、何にするか決めたか?俺は決めたぞ、俺は……俺は、っ……調査兵団になる……!」
「クソっ…、なぁ、アニ。お前どう思った? あのジャンが調査兵団になるって言ってんだぜ」
「え!? ジャンが?」
「…別に、」
「お前は憲兵団だもんな……やっぱりオレもそっちにした方がいいかな」
コニーは成績上位者10人の中に選ばれている。望めば憲兵団に入れるのは確実である。しかし、ジャンのあの時の決意がどうしても頭から焼き付いて離れてくれないのだ。一緒に検査を待っていたアニに尋ねるとアニは相変わらずのクールな態度でいまだ選択をあぐねいているコニーに問いかけた。しかし、それはアニなりの配慮だとアルミンは知っていた。しかし、ずっと憲兵団を目指していたジャンがまさか調査兵団に入る事は知らなかった。
「あんたさぁ、人に死ねって言われたら死ぬの?」
「何だそりゃ? 死なねぇよ」
「なら、自分に従ったらいいんじゃないの。アルミン、あんたはどうなの?」
「え……僕は……死ぬ理由が理解できたら……そうしなきゃいけない時もあると思うよ……嫌だけどさ、」
「そう……、決めたんだ……」
「前からそのつもりではあったんだけど」
「マジかよ……アルミンお前まで……」
「あんた、弱いくせに根性あるからね」
アルミンは幼い頃から交わした約束の通り、壁外の外にあるあの「海」を見る前に、ずっと変わらず調査兵団に入るつもりだった。それはトロスト区奪還作戦で巨人の恐怖を目の当たりにした後も変わらない。自分は何としても叶えたい夢がある、自分の親でさえ成しえなかった夢。
子供の頃に誓ったのだ。まだミカサと知り合う前にウミと自分とエレンで、いつか必ず海を見に行こうと。そのためにひたむきに今まで鍛錬を積んできたアルミンをアニはしっかり見ていた。彼はどんなに最下位だとしても諦めず必死に食らいついてきていた。人と極力関わらないようにしていたアニだったが、冷たい言動が目立ち周囲の女子たちから孤立していてもそれでもアニはアニなりに苦楽を共にしてきた同期たちの事は友好的に見ていたのだ。
「あ、ありがとう。アニってさ……実は、けっこう優しいよね」
「……は?」
「だって僕らに調査兵団に入ってほしくないみたいだし……憲兵団に入るのも何か理由があるんじゃないの?」
「別に、私はただ」
その時、アルミンはふと、何気なくアニが提出したている立体機動装置を見た。
「自分が助かりたいだけだよ」
そこには確かに、見覚えのある傷、へこみがあったのを聡明で洞察力のあるアルミンは見逃さなかった。
ハッと気が付いたようにアニの立体機動装置を横目に見ていた。あれはいつの時か、マルコと一緒に整備した懐かしい思い出、記憶がよみがえる。ジャンの話ではマルコは立体機動装置も付けていない状態で発見されたそうだ。
アニが提出した立体機動装置は間違いなくマルコと同じ傷やへこみがあったのだ。まったく一致する傷などありえない、もしアニが所持しているそれがマルコの立体機動装置だとしたら――。
一体どこでどうやって、手にしたのか、何故アニがそれを持ち歩いているのか……。本部から旧調査兵団までの道のりは遠い。2人はお互いの愛馬に跨り来た道を引き返していた。今日は104期生たちの勧誘式が行われるのだ。
「おい、お前の馬はもっと早く走れねぇのか。のんびり屋なのは飼い主だけでいいんだよ」
「ごめんなさい……! 分かってるけど……! 5年ぶりの乗馬で怖くて……も、もう少しゆっくりと景色を……」
「馬鹿野郎。んな暇あるか。お前が3年間みっちり世話した可愛いガキ共が今日どの兵団に配属になるのか決まるんだろ、」
「え……っ、知ってたの? 私が訓練兵団に居た事……」
「喋るとオルオみてぇに舌噛むぞ」
「ううっ!」
馬を走らせながらウミはクライスの「誰にも言わねぇ」は信用できないと思うのだった。きっと自分が訓練兵団に居た事をリヴァイにしゃべったとしたらクライスしかいない。彼は5年前からずっと自分の居場所を知っていたということになる。それでも会いに来ようともしなかったこと、しかし、それが彼の優しさだということに気付いていたから決して悲しくはないのに。
自分と並走して馬を走らせてくれる彼の不器用な優しさが今は暖かかった。自分は知っている、彼が本当は心優しくて、そして誰よりも仲間思いな人だ。ということを。
ウミとリヴァイが向かう旧調査兵団が見えてきたころ、エレンはグンタ、エルドらと共に馬に餌を与えながら出発の準備をしていた。
「結局、無許可で立体起動装置を使った兵士は見つからなかったようだ」
「一体、誰が…」
「さぁな…しかし今はこの後の新兵勧誘式の方が心配だ。入団しようって酔狂な新兵がどれだけいるのか…。なぁエレン、お前の同期にウチを志願する奴はいるのか?」
「いますよ……いや…いましたが…今はどうかわかりません」
エレンの脳裏には1週間前、確かに一緒に調査兵団を志した仲間達の顔が浮かんだ。しかし、あの悪夢が全てを食い尽くした。戻れるのならば解散式のあの日に戻りたい、憲兵団を志すジャン、そして自分の発言に心動かされた。
事を話していた一緒に固定砲の整備をしていた仲間たち一人一人の表情を。その時、馬の嘶きが聞こえると姿を見せた兵士長の姿にエルドとグンタが手に持っていたカップを置きすぐに敬礼の大勢で彼を出迎えた。
「集合っ!!」
「支度を急げ、集会に出るぞ!」
「はい!!」
「お疲れ様です! リヴァイ兵長!」
「いいか、エレン。俺から2馬身以上遅れるなよ? てめぇがうろうろできるのは俺が監視しているからってことを忘れるな」
「はい!」
「行くぞ、」
エレンも慌てて慣れない敬礼でリヴァイを出迎えるとそこには同じく白馬に跨ったウミも居てエレンの表情は一気に曇った。なぜ、彼女が彼と一緒なのか、エレンはリヴァイについて歩くウミを見ると辛く、苦しく、とても胸が痛んだ。
ずっと気になっていた。しかし、ウミの思い人がよりにもよって今自分を監督している調査兵団兵士長を務める人類最強と呼ばれる男、だったとは。自分よりはるかに年上の落ち着いた大人で、冷静で、そして部下からの人望も厚い男は乗馬も軽やかで(自分よりも小さな身長以外は)非の打ち所がない。幼い頃から自分より年上の幼馴染としてウミを好きでいたエレンの初恋はここで脆くも散る、この男には誰もかなわないだろう。最初から勝ち目なんかあるわけが無いと純粋に思った。
馬を走らせるリヴァイに必死についていくエレン。厳しい口調ではあるがリヴァイなりに自分が1か月後に控えた壁外調査でろくに馬も走れなければ足手まといにならないようにと並走してくれている。巨人殺しに長けた精鋭班。そんな中にいきなり新兵でもある自分のために結成された班に交ざるだけでも名誉なことである。
しかも彼の率いるこの班は、邪魔な枷も外してくれた。自分を普通の人間として接してくれていた。それが今のエレンには何よりもありがたかった。なぜ突然として自分が巨人化できるのか、自分自身が理解に苦しんでいるのだから……。
そして夕刻に差し掛かり、日も暮れた頃、調査兵団による新兵勧誘式が始まった。自分が試験官を務めたクライスも精鋭班と共に舞台袖に控え調査兵団に入団する酔狂な人間を探していた。
「なぁ、ナナバ、誰が入ると思う?」
「そうだねぇ……入団してくれる子たちが居ることを願うよ」
ナナバと呼ばれた中性的な雰囲気に金髪のサラサラと風になびくショートカットの美女がクライスに話しかけられて冷静に答える。
「ゲルガーは?」
リヴァイ班をクビになったことも知らず、クライスは色んな班のメンバーと絡みながらまだ酒が抜けていないのかのんきにおしゃべりしている。リーゼント頭がトレードマークの飲み仲間のゲルガーは自分たちの上司であるミケの無言の眼差しに焦りながらクライスに耳打ちした。
「オイ、いつまで喋ってんだよクライス、俺まで怒られるだろうが」
「はははは、悪ィ、悪ィ」
「ほら、始まる、酔っぱらいのおしゃべりはここで終わりだよ」
そして、エルヴィンは皆の前に立つと高らかに声を上げ後ろの方にいる新兵達にまで届く大きな声で演説を始めた。兵団をまとめる存在であり壁外で声を張らないと指示が出せないのもありエルヴィンの美声はよく通り、全身に深く染み入る様だった。
「私は調査兵団・団長、エルヴィン・スミス。所属兵団を選択する本日私が話すのは率直に言えば調査兵団への勧誘だ。今回の巨人の襲撃により諸君らは既に巨人の恐怖も、己の力の限界も知ってしまったことだろう。しかしだ。この戦いで人類はこれまでにないほど勝利へと前進した。エレン・イェーガーの存在だ。彼が間違いなく我々の味方であると共にいうことを彼の命懸けの働きが証明している。さらに我々は、彼によって巨人の侵攻を阻止するのみならず、巨人の正体に辿りつく術を獲得した!」
そして、突如として名が出た104期生たちの同期の名前に一同はどよめいた。
「彼の生家があるシガンシナ区の地下室には、彼も知らない巨人の謎があるとされている。その地下室に辿り着きさえすれば、我々はこの100年に亘る巨人の支配から、脱却できる手掛かりを掴めるだろう!」
「地下室だと……!?」
地下室、巨人の謎、と次々と訓練兵達に衝撃の事実を突きつけてゆくエルヴィンに動揺を隠しきれず波紋が広がってゆく…その光景を黙って見渡しているエルヴィン。この中に潜む敵を内からあぶりだそうというのか。ライナーがそんなのきいていないと言わんばかりにぽつりと呟いた。
「もうそんな段階まで来てるのか……」
「巨人の正体が分かればこの状況も……!!」
「(いくら兵士を集めたいからってそのことまで公にするなんて……それとも、何か意図が?団長は一体)……何を見ようとしているんだ?」
「え?」
アルミンは突如として次々とあの時のエレンの審議で明らかになった事実さえも包み隠さず公表していくエルヴィンの瞳には何が見えているのか、何故ここでそう言ったのか、その意図が読めないまま一人呟いた。彼は何を考えているのか、調査兵団の頂点に立つ男がここで得ようとしている情報が何たるか、理解に苦しんでいた。エルヴィンは一人一人の顔をしっかり見渡しながら話を続ける。
エルヴィンの合図で先に準備して待機していたミケとペトラが地図を手にそれを広げると新兵達にこれからの作戦ルートを説明した。
「我々はシガンシナ区の地下室を目指す。ただ……そのためにはウォール・マリアの奪還が必須となる。つまり、目標は今まで通りだが、トロスト区の扉が使えなくなった今、東のカラネス区から遠回りするしかなくなった。4年かけて作った大部隊の行路もすべてが無駄になったのだ。その4年間で調査兵団の9割以上が死んだ。4年で9割だ。正気の沙汰でない数字だ。今期の新兵にも一月後の壁外調査に参加してもらうが、死亡する確率は5割といった所か。4年後にはほとんどが死ぬだろう。しかし、それを超えた者が生存率の高い優秀な兵士となってゆくのだ。この惨状を知った上で、自分の命を賭してもやるという者は、この場に残ってくれ。そして、自分に聞いてみてくれ、人類のために、心臓を捧げることができるのかを。以上だ、他の兵団の志願者は解散してくれ」
エルヴィンの言葉に誰もが重く現実を受け止め、口をつぐんだ。そう、ここで多くの新兵達が振り分けられていくだろう、そしてこの中に残った者が人類の敵である。次々と去ってゆく新兵達。
「団長、必要以上に脅しすぎではありませんか? 一人も残りませんよ?」
ハンジ班のケイジが咎めるが、エルヴィンの目的通りに彼の脅し文句にも似た勧誘にしり込みした新兵達が隣の者と顔を見合わせると頷いたようにほとんどが居なくなっていく。すれ違う人の群れの中で立ち尽くすジャン、コニー、サシャ達。最初から調査兵団への志願する気持ちは変わらないミカサとアルミンでさえもエルヴィンの決して調査兵団には夢も希望もなく巨人との生きるか死ぬかの瀬戸際の辛い現実が待ち受けているのだと、言う言葉が重くのしかかっていた。
しかし、生半可な気持ちで調査兵団に入った者は確実に死ぬ。理想論などいらない。これが調査兵団、精鋭だって巨人前では無残に死んでゆくのだ。脅し文句ではなく事実をしっかり伝えねば巨人に支配されし街の奪還は到底不可能だ。
「(クソッ……頼むぞ、決めたんだ、これ以上……自分を嫌いにさせないでくれ)」
「(今……ここから動かないと……また……)」
「(……オレは元々…憲兵になるために村を出たんだ……)母ちゃん喜ぶぞ。憲兵になったら、村の皆もオレを見直す」
次々と去っていく仲間たちについていきそうになるのを必死に抑えるジャン、泣きべそをかくサシャ、ブツブツと呟くコニー。足音を立て次々と巨人の脅威を目の当たりにして心折れた者たちが去って行く。
心臓が疼くように鼓動がやけに静寂の中に響いた。3人の脳裏には1週間前に遭遇した巨人たちが自分たちを食う瞬間が容易く想像できた。それなのに足が動いてくれない、恐怖で足の震えが止まらない、今も鮮明に覚えている。一緒に苦楽を共にした仲間たちが巨人に食われていく生々しい悲鳴も。
「(俺達はもう知ってる。もう、見ちまった……)」
「(巨人がどうやって)」
「(人間を食べるのか――……)」
自分は無理だ。と、次々と足早に去っていく新兵達。ジャンは心の中で月夜に叫んでいた。先ほどまで多くの新兵達が居たのに、今はガラガラとなった練兵場には静かに隙間風が吹き抜けていく。
「君達は……死ねと言われたら死ねるのか?」
「死にたくありません!」
「そうか……皆……良い表情だ。では今! ここにいる者を新たな調査兵団として迎え入れる! これが本物の敬礼だ!心臓を捧げよ!」
「ハッ!!」
一斉に残った全員でエルヴィンに向かって敬礼をした。去ってゆく新兵達とすれ違いながら残ったアルミンは同じく敬礼をしている同期たちを見て安堵していたようだった。
エレンが調査兵団で待っている中でミカサはエルヴィンからの脅しのような勧誘にも決して動じず静かに前を見据えていた。
「……皆……」
「(あぁ……クソが……最悪だチクショウ……調査兵なんて……)」
「(……う……嫌だよぉ……こわいぃ……村に帰りたい……)」
「(あぁ……もういいや……どうでも)」
悪態付きながら立ち尽くすジャン、怯えながらも残ったサシャ、半ばやけくそ状態のコニーはもうすべてをあきらめたような表情で。そして、小さな身体を震わせ静かにその愛らしい大きな瞳に涙を浮かべるクリスタを守り、どこまでもついていこうと静かに決意していたユミルはそんな小さな彼女の横顔を見つめていた。
「……泣くくらいならよしとけってんだよ」
敬礼をし、振り返るベルトルトの視界には去っていくアニの後ろ姿があった。
「よく恐怖に耐えてくれた……君達は勇敢な兵士だ。心より尊敬する」
今期の第104期調査兵団から調査兵団に入ったのは総勢21名。1か月後に控えた壁外調査に向けてこれから1週間前の惨劇がまだ記憶に新しい中で歩み出した道は決して平たんな道ではないとしても。
もう、解散式前の厳しくも楽しかった、笑いあったあの頃の日々に戻ることは出来ないのだから…。犠牲の果てに自らが選択した自由の翼は果たして何をもたらすのだろうか。エルヴィンは残った21名の新兵達の顔を、もう一度よく見渡すのだった。
――マルコ・ボット
巨人に捕食され死亡。
2019.08.01
2021.01.18加筆修正
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