THE LAST BALLAD | ナノ
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side.L The reluctant Heroes

 今から100年以上前の事だった。人類の前に突如として現れた巨人。彼らと人類の間には絶対的な力が存在しており、人類は瞬く間に滅亡の危機に追い込まれた。人類は巨人から逃れるために築いたマリア・ローゼ・シーナの三重の壁の中に逃げ込んで100年の平和を保ち、静かに繁栄してきた。

「兵長、前々から思っていたんですが、この子だけいつも壁外調査に連れて行かないのはなぜですか?」

 壁外調査に向かう準備の途中、自分の愛馬に話しかけながらペトラは馬小屋の外れでぽつんと一匹だけ佇む真っ白な毛並みの馬を見つけてペトラはその馬に触れようとしたとき、その様子を見ていた男が吐き捨てるように呟いた。決して機嫌が悪いわけではないし、こう見えて部下思いであり思慮深いこの男は育ての親の影響か誰に対してもこの口調だ。

「そいつは……自分が、認めた人間しか乗せねぇからな」
「そう、なんですね、名前はあるんですか?」
「……タヴァサだ」

 今も帰らぬ主を待ち続ける健気な姿に自分を重ねて男は久方ぶりにその馬に触れた。彼女は今も待ち続けているのだ。一緒に壁外を駆け抜けた彼女の事を忘れられず、そして彼女が戻ってくる時の為に誰かを乗せることを拒み続けている。自分が他の誰かを乗せてしまったら、戻ってきた彼女が乗れなくなってしまうから。と、

「(待っていても……帰ってこねぇのにな、そんなにあいつが恋しいか……。いや、恋しいのは、あいつを待っているのは俺も同じか、)」

 誰が触ろうとも嫌がり、怯えて、連れて行こうにもその場から決して動かず走ろうとしない馬をこのままここに残す意味はあるのだろうか、しかし、調査兵団にとって馬は貴重な移動手段であり、庶民の生涯年収に換算される価値がある馬を簡単に手放すことも出来ない。ので、このままここで今も飼われ続ける。彼女によく似た垂れた大きな瞳がリヴァイを見つめている。もう帰らない彼女を待ち続ける者同士、男はその瞳にかつての彼女を思い描いてた。
 そして、そのすぐあと、男は五年間越しの思わぬ再会を果たすのだった。約束したとおり今も伸ばしている長い髪を揺らめかせ、そして、少し歳を重ねたまだ少女の面影を残す彼女はこの数年の長い年月の果てに女性となっていた。
 その数時間後にまさか、自分たちの不在時に調査兵団の本部のあるトロスト区が巨人の襲撃を受けるとは、思いもしなかっただろう。
 トロスト区で兵士たちの被害が大きかったのは精鋭である「調査兵団」の不在が影響していた為だった。トロスト区奪還に向けて人類が巨人と熾烈な戦いを繰り広げているその数時間前の今朝の出来事。
 ここは巨人に支配されたかつてのウォール・マリア領内。ウォール・マリア陥落から5年という長い年月の果てに巨人に踏み荒らされたそこはゴーストタウンと化していた。
 それでも危険を覚悟で未知の領域に挑み続ける「調査兵団」彼らに人類は希望を寄せ資金と人材が集中した。その背中には自由の翼を背負い、壁内の住人たちの為に来るウォール・マリア奪還に向けての布石としてその活動領域を広げていた。
 この任務を託される調査兵団は人類の英知の結晶である。ウミの父親が死に、ウミが去った後のエルヴィン団長が就任してからの調査兵団は一部の才覚によって生存率が飛躍的に向上していた。だが、それでも尚、巨人の領域への派兵には毎回三割を超える犠牲者が伴っていた。それほどまでに人類と巨人の間には容易に超えられぬ力の差が存在していた。

「今に……見てろよ、お前等なんか今に…人類が滅ぼす…最後に生き残るのは人類だ……! お前らなんか…今に……リヴァイ兵長が……!」

 物資拠点を設置しながら最終的にシガンシナ区に開けられた穴を塞ぐ為の作業は巨人に阻まれ困難を極めていた。逃げ遅れた一人の兵士が巨人の口内に咥えられ、今にも下半身を喰いちぎられそうになっていた。それでも尚も足掻き、せめてもの抵抗に刃を巨人の目玉に突き刺すも巨人は痛みを感じることなくそのまま咥えた下半身を食いちぎろうとしたその瞬間、一人の男が風に舞うかのようにその横を駆けるとともに巨人は赤い筋を描いて砂煙と共に、倒れ、口に咥えられていた男は地面に投げ出された。ワイヤーを器用に操り回転しつつ屋根の上に着地した黒髪の男ーリヴァイは冷静に周囲を見渡し巨人の数を目で追った。

「(右に一体……左に二体……)」

 部下の窮地に駆け付けた男に追いついたペトラが同じ班のエルド・ジンとグンタ・シュルツを引き連れ屋根に着地した。

「兵長! 増援を集めてきました!!」
「ペトラ、お前は下の兵士を介抱しろ! 残りの全員は右を支援しろ」
「え…!?」
「俺は左を片付ける!」
「兵長!」

 二体を相手にリヴァイはアンカーを射出し自由自在に宙を飛び部下に的確な指示をするとそのまま屋根を蹴って一気に接近した。

「揃いも揃って面白ぇ面しやがって……」

 大口を開けて今にも食いつきそうな一体には遠くの壁にアンカーを射出し、遠心力をかけるように大きく外周を回転してその勢いでうなじを切ると、残りの巨人には刃をブーメランのように放り投げて両目を潰し、その頭に着地した。

「おっと……おとなしくしてろ……そうしないとお前の肉を…綺麗に削げねぇだろうが」

 鞘から補填した刃を取り出すと上空から体に負担がかかるため生き残り腕を磨き立体機動装置の扱いに長け、熟練した兵士にしか出来ない回転斬りで止めを刺したのだった。落下する勢いとワイヤーの回転をかけて一気に下へ急降下、その勢いで綺麗にうなじだけを切り裂いた。まるでワイヤーさえも自分自身の体の一部と化したかのように男は切り裂き、屋根の上に着地を決める。

「ちっ、汚ねぇな……」

 トリガー部分に付着した巨人の返り血がべったりこびりつき、不快感を露わに男はポケットから綺麗に洗濯されたハンカチを取り出すと悪態づきながらその手を拭った。
 先ほど巨人に捕まっていた兵士と救命処置を行うペトラの元へと降り立った。ペトラは有能な部下で自分よりも小柄ながら男顔負けの実力を持ちどんなに過酷な状況でも自分を信じて健気にどこまでもついてくる。リヴァイも若い彼女を一目置いていた。

「兵長……血が…止まりません……!!」

 何とか上半身と下半身はつながったまま救出することが出来たが、巨人の歯にガッチリ咥えられていた腹部の出血が酷く、顔色も出血したショックで真っ青に染まっている。おそらく助からないだろう、兵士はもうすでに虫の息だった。ペトラが当て布を当てて腹部の出血を止血するもその血はどんどんあふれて彼女の手にも染み込んでいる。

「兵……長……」
「何だ、」
「お、俺は、人類の役に…立てた…でしょうか……。このまま…何の役にも……立てずに……死ぬのでしょうか……」

 先ほど巨人の血にまみれた自身の手を汚いとハンカチで丁寧に拭うような神経質で潔癖な男は自身の手が汚れるのも厭わず、その男が伸ばしてきた血にまみれた手は決して汚いとは思わなかった。ガッチリと力強く握り返し男は誓う。

「お前は十分に活躍した。そして……これからもだ。お前の残した意志が俺に「力」を与える。約束しよう、俺は必ず!! 巨人を絶滅させる!!」
「兵長……ウミ……分隊長……」
「え?」

 最期に男が口にしたのはかつての上官の名前であった。五年前に調査兵団に入団したからペトラは知らない名前に疑問符を浮かべる。男は最後に何を見たのだろうか、懐かしい名前を口にし兵士は二人に見守られながら眠るように穏やかに息を引き取った。

「兵……長……彼は……もう……」
「…最後まで聞いたのか? コイツは」
「えぇ……。きっと聞こえてましたよ。だって……安心したように眠っている……」
「ならいい、」

 あともう少し早ければ。彼を助けられたかもしれない。また部下が一人死んだ。その事実に胸を痛める暇もないほど巨人との戦いが常に付きまとう壁外調査は常に死と隣り合わせである。ウミの部下でもあったこの男は最後に彼女を思い出したのだろう。もしここにウミが居たらきっと誰よりも泣き虫な彼女は胸を痛めて涙を流してこの男を最後まで見守っていたかもしれない。
 部下が死ぬ度胸を痛めていた彼女を思い出す。今朝方確かに壁外調査に向かう馬に騎乗した自分を遠巻きに見つめていたウミ。今にも泣きそうな顔でこっちを見ていた。あの時点で気が付いて今すぐ追い駆ければ間に合ったかもしれないのに……。
 もう、あの長い髪に触れることは許されないのだろうか。渡せなかった約束も果たせなかった誓いも永遠に時間だけが止まっていて。もう五年の歳月が流れたのに歳ばかり重ねても気持ちだけがあの頃のまま。

「リヴァイ兵長、」
「何だ」
「あの……最期に言った、ウミ分隊長って」
「……こいつの元上官だ、もういねぇがな」
「そう、ですか……。あの、その人って……「ペトラ、こいつを回収する、後は頼んだ」
「はい、兵長……」

 ペトラはそれ以上は何もリヴァイに聞けなかった。そうだ、彼は時折調査兵団に長く生き残っている幹部たちが口にしたりする際に耳にする決して彼の前で呼んではいけない「ウミ」というワードを口にすると、その瞬間だけは確かに優しく口元に弧を描いて寂しそうに俯くのだ。その表情が何を物語るのか。
 顔も声も知らない存在にペトラは思いを馳せるのだった。ウミ、果たしていつも喜怒哀楽の乏しいこの男にこんな表情をさせる存在はどんな姿なのだろうか、かつて分隊長として、死神として名を馳せた彼女の存在をペトラは空想の中でしか知らない。
 ペトラに遺体回収を頼むと、向こうから馬を引き連れリヴァイの元にやってきたのは団長として統率力を発揮する男が信じて着いていくと決めた今やかけがえのない仲間、友でもあるエルヴィン・スミスだった。

「リヴァイ! 退却だ」
「退却だと? まだ限界まで進んでねぇぞ? 俺の部下は犬死か?」
「本部にいたクライスが彼女の馬を操り伝令に来た。落ち着いて聞け。トロスト区の壁が超大型巨人によって破壊され、巨人が街を目指して一斉に北上し始めた」
「……5年前と同じだ、まるで俺たち調査兵団の不在を狙ったみてぇに、な」

 フルスピードで飛ばしてずっと馬に揺られっぱなしで自分の身を危険に晒してまで巨人の生息域を抜けてきたのか息を切らしたクライスが青ざめた表情でそう言い放つとリヴァイの顔つきがみるみる険しいものへと変わっていく…。
 今朝方見かけた彼女は確かにトロスト区にいた。馬に跨った自分を静かに見つめていた。シガンシナ区出身の彼女が五年前の襲撃と奪還作戦で命を落としていたとこの五年間言い聞かせて諦めて生きてきたというのにまさかトロスト区で再会を果たすとは。
 トロスト区が襲撃にあったと知るや早く男は自分の愛馬に跨り先ほど突き進んできた道を引き返し走り始めた。彼女がどんな人間か理解している、現役を退いたとしても何が何でも奔走しているだろう。並走してきたクライスに男は前を見据えたまま問いかけた。

「おい、クソノッポ、タヴァサがお前を乗せてるってことは……あいつが指示したのか?」
「あぁ? んだとコラ。あいつの事だ、わかってんだろ、チビオヤジ。そう思うなら早くトロスト区目指すぞ」
「てめぇに言われなくても分かってる、クソッ……!」
「大丈夫だ、生きてるよ」
「五年間も姿くらませといて今更現れやがって……あいつはそう簡単にくたばる様な女じゃねぇ」
「困ったお姫さんだ、壁を越えてさっさと行っちまった。早く追いかけてやれよ、」

 ヤツらは五年前と全く同じく、ずっと様子を窺っていたのだ。ウォール・マリア陥落の悪夢の再来だ。
 まったく同じ状況で人類の居住区を再び巨人で蹂躙すべく狙っていたのだろう。自分達調査兵団が不在になるこの日を。そして今朝見た彼女はこの非常事態に何もしない女ではない、いつも自分の言う事には二つ返事で素直に頷く癖に、有事となれば無理ばかりする彼女は刃を手に巨人を相手取り戦っているはずだ。

「総員、立体機動を展開し壁を登れ! トロスト区内の巨人を掃討せよ!」

 馬を走らせてどれくらいの時間が過ぎただろうか。男の眼にはトロスト区の壁しか見えていない。ようやく見えてきた今朝方出てきたばかりの門は「超大型巨人」よって完全に破壊されており次々と巨人たちがその穴に向かって歩き出している。
 おそらく多大な被害が予想できるがまだ幸いなことに「鎧の巨人」は現れていないし、住民の避難も完了しているらしく被害は最小限にとどまっているそうだが、今も多くの駐屯兵団とまだ配属先も決まらない若い新兵たちが決死の思いでトロスト区奪還に向け刃を振るい命を散らして犠牲となっている。早く行かなければ――……。
 誰よりも早く馬の手綱を握り、駆ける男は先ほどまで冷静に巨人を削いでいた男と同一人物だろうか。悔し気に唇を噛み締め有事に先頭を切って馬を駆けていた団員に向かって手をかざした調査兵団のトップであるエルヴィンが声を張り上げ低く通る声が壁内に響き渡った。
 速度を落とし、馬の上に立ちアンカーを放ち立体機動に移る。壁の上部に向かってアンカーを飛ばし一気に上昇する彼に続きクライスも立体機動に移行する。タヴァサがそれを察するとスピードを落として急停止するとそのはずみでクライスも壁に向かって飛んだ。

「オイオイオイ、何だありゃ? 何してんだ?」

 トロスト区の壁に着地した二人の視界に飛び込んで来た光景に思わずクライスは素っ頓狂な声を上げた。エレンの事は口外してはならないと言われたのだが上官には説明しなければならなかったのでもうエルヴィンには説明している。リヴァイのグレイの瞳には一体の黒髪長髪の巨人が巨大な大岩を肩に担ぎ、その開けられた穴に向かって突き進んでいるのが見える。もうじきこの壁の下に到達する。まさかあの大岩で穴を塞ぐというのか?何故巨人が人間を捕食するだけしか能のない巨人がそんなことが出来るのか。

「あの巨人もおそらくは……超大型巨人や鎧の巨人と同じ知性があるのかもしれない。クライス、そのエレンという新兵が巨人になり我々人類に手を貸したということで間違いないんだな」
「俺もにわかに信じられねぇが……。そうだ、確かに俺はあいつに救われた。この目で見たんだからな」

 次々と壁に上り、その光景を呆然と眺めている中、ドオオオオンと大きな音と共に巨人は大岩で壁の穴を栓をするように完全に塞いで見せたのだ。それを合図に夕闇に黄色の煙が放たれそれは空に向かってまっすぐ伸びていく。その下では巨人化したエレンを助けようと奮闘する兵士たちの中でリヴァイは見つけた。

「ウミ……」

 ぼろぼろの姿で戦い続けるかつて一度は人生を共にした少女から妙齢の女性へと成長したウミの姿を。額から流れる血が彼女の顔を汚し、まとめた髪の毛が今にも解けかけている。刃もガスもなくなり、力尽きるように彼女が地面に落下してそのまま倒れていた。

「っ……クソッ!」
「待て、リヴァイ」

 その彼女に向かって二体の巨人が接近しておりあっという間に掴まった。次々と調査兵団の精鋭たちがトロスト区に向かってガスを蒸かして飛んでいく中、エルヴィンの静止の言葉も聞かずリヴァイは真っすぐ彼女と巨人から出てきた少年たちを捕食しようとしている15m級の巨人に向かって迷わずアンカーを放った。
 瞬間、リヴァイは様子を窺う兵士たちに構わず我先に目にも見えない速さで彼女の元に飛び、まるで獲物を捕食する猛禽類のように急降下してワイヤーの戻る勢いを利用し回転しながら切りかかると二体の巨人をあっという間に仕留め終え、宙を舞った彼女の軽い身体を受け止めて蒸気を放ちながら消えかけた巨人に無事着地した。
 リヴァイに救出されたウミの姿に安堵するとそのあとを追いかけるようにクライスも骨折した足を庇いながら飛んだ。しかし、抱き上げた彼女は思った以上に深刻な状態だった。開拓地時代の厳しい生活で痩せた華奢な体を掻き抱き怒号を放つ男の姿を誰もが驚いていた。普段どんな状況でも取り乱さない。
 兵士の長として調査兵団の兵士たちを統率する立場でもある男がウミを助けるべく他の者や巨人化したエレンよりも先に彼女を優先すべく医療班の元へ向かう、今にも殴り掛かりそうな勢いでウミを優先して診てもらえるように促す姿にクライスは笑いそうになりながら普段見せない男の姿にただ、ただようやく止まっていた時間は動き出したのだと感じていた。
 はらりと解けた長い髪、屈強な男の腕の中くったりと横たわり弱々しく息をするウミは医療班の治療を受けひとまず危険な状態は脱した。
 安静にすべく、男は迷わず幹部専用の自分の部屋へ彼女を促し、自分の腕で彼女を運んだ。長身が多い調査兵団の中で小柄な男。
 その男よりも小柄な彼女は余計儚げに頼りなく見えた。今回人類が巨人の脅威を退けた英雄であるリヴァイからすればまだ子供であるエレンの巨人化能力に対する認識や彼の処遇がまだ定まらない中でトロスト区内に残された巨人の掃討を翌日に残し。
 リヴァイは久方ぶりの彼女の存在を見つめていた。同じシガンシナ区出身のミカサとアルミンという二人の存在やエレンという少年をウミが引き取って面倒を見ていたことを新兵であり今回の作戦の発案者であり当事者でもあるアルミンやミカサから聞き、リヴァイは未だ困惑していた。

「ウミ……」

 巨人化したエレンは力を使い果たし昏睡状態のままそのまま寝かせるわけにもいかないと巨人になれる危険因子としてその身柄は憲兵団へ明け渡されそのまま審議所の地下牢にて今後の処遇を決めることとなった。
 しかし、今は自分の部屋で疲れ切ったまま動かない彼女がこうして生きてまた出会えたことに感謝し、その存在をただ噛み締めよう。綺麗に清拭を受け、すやすやと眠るその顔に近づこうとしたその瞬間だった。

「リヴァイ兵長、よろしいですか?」

 ふと、ドア越しに聞こえた声に舌打ちしながら顔をのぞかせると医療班の兵士が手に何かを大切そうに持っている。見覚えのあるそれに男は手を伸ばした。

「先ほど処置した方が首から下げて身に着けていたものです。高価なものだと思いましたのでお届けに参りました」

 そして、リヴァイがその手に受け取ったのは繊細な細工が施されたチェーンに繋がれた柔らかな雰囲気を持つウミに似合う緩やかな曲線を描いた指輪だった。それは間違いなく自分が用意しかつて彼女に贈りつけたモノだった。

「綺麗な指輪でしたので……肌身離さず指だと傷がつくからとわざわざ心臓に近い場所にこうして身に着けているなんて……よほど大事なものだったのでしょう」
「……そうか、」
「今回の作戦で精鋭たちと共に共闘した彼女の活躍で精鋭班も生き残った者が多くおりました。今回の作戦でかなり無理されたようなのでしっかり休ませてあげてください。特に落下したダメージが大きくまだ昏睡状態ですが、不幸中の幸いか脳は異常もなく比較的危険な状態は脱しましたので2、3日すれば目が覚めると思います」
「ああ、助かる」

 婚約指輪だと言われ、男はそれを医療班の兵士から受け取ると静かにそれを自身のポケットに突っ込んだ。五年間離れ離れだった彼女は未だに目を覚まさない。死んでしまったかのように真っ青な顔をして…ガス切れにより地面に落下した衝撃はすさまじいものだったのだろう。戦い続けた疲労と出血したことによる貧血、額の縫合された傷が生々しく光る。
 五年間兵団を抜けてからの彼女の人生は決して平和ではなかった事がその細くなってしまった身体が、抱き上げた軽さがその壮絶さを物語っていた。彼女は結局兵団を離れたことによって余計につらい思いをしたのだ。唯一の家族でもあった母を失い、故郷も失い、そして、二度も巨人の脅威に晒された…。
 彼女との再会に先ほどは我を忘れ「兵士長」としての兵士たちの上に立つべき上官らしからぬ自分の行動を恥じた。彼女だけだ、自分の心をこんなにも、かき乱すのは。

「まだ持っていやがったのか……。こんなもん、さっさと捨てちまえばよかったのに」

 もう五年も経過したのだ、時の流れは移ろいゆくもので。彼女はもう自分との約束などとっくに捨てていたと、そう、思っていた。死んだ思い出と共に果たされなかった約束は今も変わらず彼女の胸に残っていると自惚れてもいいのだろうか。この五年間彼女だけを思い続けて生きてきた。どこかにいつも面影を探し、こんなにも求めてやまなかった。きっとどこかで生きていると信じていた。素直で明るくいつも優しい笑顔を向けてくれていた彼女の笑顔を殺したのは紛れもなく自分で、そんな自分から姿を消した時も追いかけることさえもしなかった。
 男の懐に持っていた指輪と彼女が持っていた指輪。それをぴったりと重ね合わせると、ちょうど二人で一つの指輪になる。まるで離れた後もお互いにとってお互いの存在が今も心の拠り所として存在しているかのように。
 二人は今も歳を重ねたとしても変わらず二人の片割れを大切にしている。自分の為だけに伸ばせと言った柔らかな色の髪は腰まで伸びており、いかに彼女が誠実に約束を守りこの五年間一度も髪を切らなかったのか、見てわかる。最後の彼女を見たのはまだ肩につくくらいに長さの髪だったから。
 こうしてまた出会えたのなら、その時は。決めていたことがある。

「もう、どこにも行くんじゃねぇ」

 今度こそ果たされなかった約束を果たすために。もう二度と泣かせない、そしてこの手を二度と離さない、と。だから早く目を覚まして欲しい、その声でもう一度名前を呼んで欲しい。それだけを祈る。

To be continue…

2019.07.16
2021.01.12加筆修正
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