THE LAST BALLAD | ナノ
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#125 義憤たち

 立ち上る蒸気がゆっくり傷ついた彼女の身体を癒していく。しかし、これまで長きに渡り戦場を共にしてきた仲間たちは皆、雷槍の爆撃により跡形もなく消し飛んだ。
 命からがら雷槍から逃れた彼女だけが人間でなかったから、巨人のうなじにいた本体から引きずり出されて逃れることが出来たが、巨人化能力を持っていたとしても見るからに重症なのは明らかだった。これでは暫くは戦えないだろう。

 九つの巨人の中で一番持久力がある「車力の巨人」でを宿したこの身体は半永久的に欠損した内蔵をまた再生させる。
 だが、そんな自分と共に戦っていた仲間たちはみんな、殺されてしまった。
 守り切れなかった。最愛の父が居る守るべき故郷は失われたのだ。突然現れた島の悪魔たち。そして――エレン・イェーガーによって。

 島の壁を破壊された報復それ以上の損害の中でピーク・フィンガーは壁にもたれながら兵士から手当を受けていた。
 大きく負傷した体は傷を癒すのに精いっぱいで指先ひとつ動かす事さえ出来ない。

「ブラウンとグライスはどうした?」

 壁に背を持たれて大きく開いた腹の風穴。ピークが傷を癒している建物にタイバー家の犠牲と代償と共に絶対の権力を得たマガトが戻ってきた。

「それが……急に走り出したっきり、戻って来ないんです」
「ピーク……」
「隊長……思い出しました。戦士隊を誘導し、私とガリア―ドを穴に落としたマーレ兵です。そのマーレ兵を見たのは……3年前。ライナーら戦士隊撤退以降、パラディ島へ向かった最初の調査団のメンバーでした」
「行方不明の調査船か……!?」
「はい……何より……あのアゴ髭は……似合ってなかった」
「なぜ、そのマーレ兵だとわかった」
「それは、私が個人的に興味がある人物だったからです。彼女はジークの信奉者でしたから」

 あの悪夢の夜から意識を無くし、もう2度と目覚めなくてもいいとさえ思っていたが、無情にも巨人化できるこの身体が簡単に終われることは無い、自分は生き続けなければならない、アニ、ベルトルト、マルセルの中で生き残ったのは自分だけだ。目覚めたライナーを待っていたのは傷を癒したピークとポルコだった。人街な被害をもたらしたレベリオは夕闇に染まりつつあった。

「悪い夢でも見たか? すべて夢ならよかったのにな」

 ポルコの問いかけに答えず、ライナーは確かに聞こえた二人の声にこのまま二度と浮上しなくてもいいとさえ感じていた意識を浮上させるのだった。
 自分達があの楽園にした事と同じ答えだ。その報復を受けたのは自分達であった。

「……カビとファルコの声が聞こえた……。二人はどこだ??」

 むくりと起き上がると治療の為か上半身裸のライナーの肉は度重なるストレスと仲間達の犠牲の上に成り立つ自分のせいの罪悪感に駆られ訓練兵団104期生としてパラディ島で暮らしていた頃からすっかり削げてしまっていた。そんな彼へポルコがこれでも飲めよと差し出した瓶の中身は酒だろうか。本当にこのまま現実を忘れ、酒に逃げてこのまま酔いしれれば忘れられる悪夢の中で、自分の後を引き継いで巨人になろうとしている自分を奮い立たせてくれた少年と少女を思い起こした。

 ▼

「君は、こんなこと聞かされても困ると思うけど、聞いて欲しいんだ。どこからが始まりだろう。あそこか? いや……どこでもいい。今日……は今回の作戦で死んだ8人の葬儀があった。サシャを含めてね。僕は、誰よりもエレンを理解しているつもりだった……ミカサよりも……でも、もう……わからない。エレンは一人でもやるつもりだった。エレンに協力しても見放してもどちらにしても最悪の選択になっただろう。とにかく……大勢の人間を殺した。戦艦も軍人も民間人もすべてを巻き込んで……「あの日」の僕達と同じように、突然……すべてを奪った。でも……あの軍港が健在だったら……すぐさまマーレ軍はこの島に報復攻撃しただろう……。和睦の道は絶たれた。けど、やるしかなかった。「あの日」の、君達のように……」

 作戦の前後や訓練の日や非番の日なども利用して。アルミンは悩んだ時や困ったことがあった時も欠かさずにまるで彼女をウォール教の女神を崇めるかのように立ち寄り話をするのが日課になっていた。
 四年前のあの日から今も沈黙を続け水晶体のような光の硬質化で出来た何人たりとも崩せない棺の中で今も眠り続けるアニへ。
 返事はなくてもアニは聞いてくれているような気がしたから、アルミンはアニへ語り掛けながらお守りのように持っている初めて海を見たあの日の波音を閉じ込めた証を手に転がしながら視線を上げた。

「ねぇ……アニ。何か……答えてよ」

 あの時からずっと、彼女はここで安置されている。硬質化の檻に包まれたまま眠るかつて「女型の巨人」として自分達を対峙したアニはアルミンの縋る様な声掛けにも口を閉ざすかのように沈黙を続けて眠り続けている。
 アルミンでさえもあまりの責任の重圧から仕方なかったと言い放つその姿はアルミンではなく、まるでベルトルトのようだった。
 彼の巨人を引き継いだ自分の生かされる意味を、まるでアニへ救いを求める姿も、かつては彼がエルヴィン団長かある民家の小競り合いの末に引き継いだ強烈な熱風を放つ「超大型巨人」だったベルトルトの幻影を残していた。

 ▼

 葬儀を終え、亡くなった兵士たちの眠る兵団墓地ではミカサが膝を抱えて夕闇の中構わず唯一の生き残りで兵団同士、そして同性としても親しかったサシャの死を今も引きずるかのように墓前の前から動けずに居て、そして膝を抱えて座り込んでいた。

「勝てなきゃ。死ぬ……勝てば……生きる」

 サシャの人柄を現すかのように。彼女の墓前には手書きの手紙や彼女の雰囲気によく似合う可愛らしい黄色い花をあしらった花束など、彼女がいかにこの島で愛されていたのかを物語っているようだった。
 サシャの墓標にもたれ掛かって悲しみを今も受け止めきれないミカサ。
 ミカサもまた、足繁くサシャの元へ足を運んでいた。彼女の死をまだ受け入れられそうになかったから。

 また別の日、涙雨に打たれ、石碑にもたれて濡れようが構わずに静かにサシャとの思い出を振り返って悲しみに耽っていたミカサの耳に聞こえてきた、ただならぬ怒号と飛び交う暴力の音に驚き目線を向けた。

「オイ!! お前マーレ人だろう、ここに何しに来やがった!! マーレに殺されたエルディア人の墓地に何しに来やがったあああ!!」

 ボカッ、バキイッという音と共に一角獣のエンブレムを背中に刻んだ憲兵団が申し訳なさそうに蹲る喪服を着たマーレ人の男を攻め立てていた。

「待ってください!! こいつは俺達で!! 何とかしますんで!!」
「すみません、ここは……」

 憲兵団の男にボコボコに殴られていたのは自分達も見知った元マーレ調査船団の一員で今はパラディ島で店を構えるニコロの姿だった。
 彼はサシャの死を知り、仕事を抜け出して彼女の墓前に会いに来たのだが、やはり今回のレベリオでの一線で犠牲になった兵士もおり、その死を嘆く者からすれば忌むべき敵である。
 マーレ人の男が墓参りに来れば仲間を無くしたやり場のない怒りの矛先が彼に向けられるのも致し方ない。

「マーレ人なんか近づけんじゃねぇよ!!」

 コニーとジャンに取り押さえられた兵士がバッと押さえつけられていた腕を離すと、ニコロへそう吐き捨て男はそのまま去って行ったのだった。
 ニコロもマーレから派遣されてきた調査船団の一人だったがこの島の上陸と共に先に待ち構えていた調査兵団に捕まり島の捕虜となっていたが、今はこの島でレストランを開きこの島でマーレ人としてパラディ島にはない美味い海の幸をふんだんに使った料理を提供しているシェフとして店を切り盛りしていた。
 そんな彼の料理を誰よりも喜んで食べてくれたのは間違いなくサシャだった。
 そんなサシャが死んだと知り、涙目でただサンドバッグのように殴られ続けていた。
 サシャはニコロにとってはこの島に来て忌み嫌っていた悪魔たちという誤解を見事に解き放ったまるで夏生まれの通りに眩しい太陽のような人間だった。淡い感情を抱いた相手だった。
 誰が見ても明らかなほど、ニコロはサシャに恋をし、そして、この作戦が終わったら――……しかし、ニコロの思いは物言わぬ彼女の帰還により永遠に失われる事となってしまった。

 ニコロは涙ながらに、コニーとジャンに問いかける。コニーは半身を失った悲しみからか食事もロクにとれていないのか酷く衰弱しているのが見て取れる。

「オイ、ニコロ……」
「大丈夫か? お前、どうやってここに来たんだよ?」
「クソッ、なんでだよ……本当に……サシャは死んだのか? なぁ? 何で……お前ら何やってたんだよ……!!」

 地面に蹲っていたニコロは涙雨に隠せない涙を流していた。そして、ジャンとコニーと様子に気付いて歩み寄って来たミカサの顔を見て苦し気にこれが悪い夢だと信じたくて、そして仲間でありながらサシャを凶弾から守れなかった三人へ責めるように、なじるように目を向けていた。

 サシャのお墓の前で呆然とするニコロ。彼の手には彼女への思いを込めた手向けの花に真っ白で純白の薔薇が。白の薔薇が持つ花言葉は全てニコロのサシャへの思い渡せなかった気持ちが溢れているのだった。

「……飛行船に乗り込んできた少女に撃たれたって……? は……そんなバカな話があるかよ」
「ただの女の子じゃない。訓練されていた」
「……戦士候補生か」
「俺の油断があった……すまない…」
「何で俺に謝る……? 俺はただ……飯を用意してただけだ」

 サシャはそれを知っていたから、最後の走馬灯の中でニコロの笑顔を思い返していたのだろうか。サシャは特にニコロの肉料理が大好きだったから。ニコロの言葉に、優しく肩に手を掛けるコニー、自分も辛いが、皆も辛い、誰もが多食いのサシャが楽園でも食べ物に困ることなく過ごせている事を願った。自分達の身体に流れるエルディアの血が成仏さえできない事も知らず、サシャの死を悼むのだった。

「あいつに……美味いもんいっぱい食わしてくれて。ありがとうなニコロ」
「……お前は……どうなんだよコニー」
「……俺とサシャは。双子みてぇなもんだった。自分が半分なくなっちまったみてぇだ……」と答えるコニー。

 ニコロはずっとサシャと自分より長く一緒に居るコニーが彼女を最後までどう思っていたのかが気になっていたのだ。自分が思うように、コニーもサシャを想っているんじゃないか。と、だが、コニーにとってはサシャの存在はウミとリヴァイのようなお互いだけしか見えないような、お互いの存在無しには生きていけない、まるで共依存のように深く重厚に繋がれた関係とはまた違う形をした、恋愛感情ではないもっと奥底の互いの魂が同じだった絆で結ばれているような。

 周囲の誰もがニコロとサシャはお互いに思い合っていることを願い、そしてどうか成就することを信じていた。だが、放たれた弾丸は結ばれる二人を引き裂いた。

 その時、聞こえた草を踏む音に振り向くと一組の家族がやってくる。決して縁のない場所であってほしかったその場所に姿を見せた優しい面差しをした男性、それは紛れもなくサシャの父親アルトゥルと母親のリサや兄弟たち、かつてウォール・ローゼ南方に巨人が出現したラガゴ村での事件の時にサシャに救われ、孤児となってからはブラウス家に娘として引き取られサシャを実の姉のように慕っていたカヤ、そして。

「ミカサおねぇちゃん、ジャンボ、コニー!!」
「エヴァ……」
「おとうさんからね、お花、預かったの。かわいいサシャおねぇちゃんに似合うからこのお花あげてって。後、これは私が摘んだお花、きっと喜んでくれるって」
「ありがとう、きっと優しいエヴァの花だ、サシャも喜ぶな」
「ほんと?わーい!」

 ブラウス家に時折面倒を見てもらいつつ、まだ幼いなりに父親の仕事を理解し我慢しているだろう、だがすっかり懐いているリヴァイと自らの手で巨人化しないよう細心の注意を払いながらも取り上げたウミの間に生まれた二人を繋いだ娘だった。
 父親によく似た美しい黒髪を靡かせた少女は母親と同じ愛くるしい目で周囲を束の間の安らぎで満たしていた。
 リヴァイが今も戦っているのはこの子の存在が大きいだろう。
 俯きながらも悲し気なそぶりは見せずに一番死に近い場所で戦っていた母と父親の願い通りに死神の世界とはかけ離れた世界でまわりからエヴァランサはエヴァと親しまれすくすくと成長していた。

「そうなると、あなたが……」
「娘が世話になったようやね……」

 最愛の娘へ、桃色の百合が添えられていた。泣き崩れるカヤと母親と立ち尽くす父親たち、突然帰らぬ人となった娘の墓前で泣き崩れる姿へどう声をかけていいか迷っていたニコロは意を決して声をかけた。

「あ……あの……っ、俺は捕虜のマーレ人ですが、料理人として就労許可を持っています。娘さんは俺の料理を、誰よりもうまそうに食べてくれた。だから…もしよかったら俺の料理を食べに来てください!」

 マーレ人でありながら関係ないと、ニコロの言葉に笑顔を見せ手を差し出すサシャの父親。彼女からニコロの話はよくブラウス家でも話題になっていたからだ。娘へ向けるニコロの思いを感じ取り、二人はガッチリと握手を交わす。

「もちろん無料(タダ)なんやろ?」
「はい……っ」

 南方の独特の訛りを持つサシャの父親は嬉しそうに笑った。
 サシャという太陽を無くした三人の104期の生き残り達は同じ生き残りでもあり、そしてサシャとこれまで共に過ごしてきた仲間。直接でないにしろエレンと裏で共謀していたウミ達への不信感をますます募らせるのだった。

 ▼

 本部では、イェレナ達反マーレのマーレ兵達も帰還を果たし、ピクシス司令へとある物を渡していた。

「マーレから奪ってきた巨人化の薬はこれですべてです。しかし複製は困難でしょう。必要な器材も巨人化学の専門家も今回は奪えずじまいでしたから」
「いや。これだけあれば十分であろう。本当に何と感謝を申し上げればよいことか……。諸君らには借りしかない。無知な我々を希望へと導いてくれた。諸君ら有志を疑うことは悪魔の所業に等しくあろう」
「この三年間、エルディア人の友人であることを証明してきたつもりでしたが……。私達が持ち込んだこの銃はエルディア人に自由をもたらす銃なのに」

 イェレナ達がマーレに潜入して持ち込んで来たのはマーレから奪った巨人化薬だった。
 この量があれば望み通りに女王でもあるヒストリアの一度は途絶えたレイス家の血は「獣の巨人」を受け入れ、再び巨人を捕食するだろう。
 だが、この三年間で貢献してきたイェレナ達のお陰で他の国たちとの国交を遮断し何百年間も島の壁の中取り残された文明のパラディに画期的な文明を持ち込み飛躍的に発展を促したと言うのにエルディア兵に囲まれている。
 これが今までパラディに自分たちなりに友好的に文明を授けたり怪しまれぬよう随一行動を報告して少しでも疑惑を持たれないように振舞ってきた自分たちへの礼儀だろうか。イェレナの目は笑っていない。

「虫のいい話ですまぬが、我々の弱さにしばしの間だけ目をつぶってくれぬか? ジークに枷をかけぬわけにはいかんのだ」
「構いませんよ。ピクシス司令。すぐにまた我々と食卓を囲む日が来ますから」
「その日が来ることを願っておるのは……ワシらの方であろうぞ」

 4年前に獣の巨人でもあるジークがかつてシガンシナ区決戦の際に兵士達を惨殺したことを思えば、亡命してきたジークが今も信用できないのは当然の事である。だからジークの拘束を「獣の巨人」から引きずり出したリヴァイへ託し、そして拘束したのだ。
 マーレよりも科学力の劣るパラディ島はジークの作戦通り「安楽死計画」を進めるために、疑いが晴れるまでは拘束することを決めたのだった。
 そして、この巨人化薬である事を遂行しようと企んでもいるのだった。調査兵団やハンジ団長にも知られぬようにと、

 ▼

 指先ひとつさえ動かせないまま、ウミは旧調査兵団本部の地下牢で拘束されていた。何処にも逃げられないように、両手両足を拘束されたまま、そして口には猿轡を噛まされて。巨人化の条件である自傷行為が出来ないように全てを禁じられて。
 あれからどれだけの時間が流れたのだろう、リヴァイが居なくなってから彼の愛の重みを受け止めた行為は終わりを迎えた。
 突っ伏すように眠りに落ちてから巨人化の力もありすっかり身体は元通りに戻った。身体は、だが、自分の心が癒えることは無い、今も。
 むしろその穴は広がるばかりだった。だが、それ以上に傷ついているのはリヴァイである事もまた事実。

 結局、彼は非情なまでに。むしろ、自分が彼と離れた罪悪感を植え付けるようにあらゆる方法で自分を追い込んで離そうとはしなかった。まるで嵐のようだった。

 このまま意識を手放してしまいたくても、巨人化能力者である自分は容赦なく揺さぶられるとまた遮断しかけても意識をゆり起され、そうすれば彼は切なげに顔を歪め、もっと、もっと奥までと重圧をかけてきた。
 自分が悪い、そう、彼を傷つけたのは自分。
 これは罰だ。彼こそ辛いはずなのに彼は何度も何度も気が狂うほど自分を愛していると、裏切った罪悪感を自分へ移植するように無心で抱いた。
 痛み以上の与えられるべく与えられない快楽程つらいものはない。欲しいものが与えられない苦痛はやがて快楽へすり変わり、そして幾度も彼に余すことなく愛されたこの身体を貫いていった。
 彼を愛する資格など、去りゆく自分は想いに応える事は出来ないというのに。
 結局お互いがお互いを愛しているから、求めてしまう。
 悲しいのに、もう離れてしまえばいいのに、苦しみの中で交わる身体だけが今にもこの夜に消えてしまいそうな二人を確かにつないでいた。

 ふと、耳をすませばカツン、カツンと硬い床の音を立てて誰かが自分を迎えにやってくる気配に虚ろな目を向けていた。
 リヴァイが戻って来たのだろうか。自白剤と自分も彼も口にしたあの薬の効能はもう切れているはずなのに、今も愛されたこの身体が疼いて仕方ないのはなぜか。

「どうも。お久しぶりです。元リヴァイ兵士長の奥さん。生きていたんですね。まぁ何も言わずに、着いてきてくれますよねぇ?」

 根拠のない堂々とした彼女の立ち振る舞いは相変わらずだ。動けないし、衣服さえ逃げ出さない為にと与えられていない、ただ簡素な毛布を体に巻いただけの自分をあざ笑うかのような笑みで女、アリシアはウミを睨んでいた。
 猿轡を噛まされ喋る事も出来ないと言うのに。女はウミが言い返せないのをいいことにずかずかと牢屋の扉を開けると自分より小さなウミを見下しながら――。

「なんっで、戻って来たんだよっ!! お前なぁっ!!」

 と、いきなりウミを思いきり裏拳で殴り飛ばしたのだった。下手に巨人化されたら困ると誰もがウミに触れるのを恐れていたのに、アリシアだけは自分が巨人化して踏みつぶされてもいいからとにかく彼女を殴りたくて仕方なかったのだと暴行を加えた。
 抵抗など出来ないままウミはされるがまま。皮肉なことに巨人化できるこの身体は彼女の気が済むまで暴行を受けてもその暴行の痕は全て癒されてしまう。その時感じた痛みはリアルに覚えているのに。

「リヴァイ兵長とさんざんお楽しみだったんでしょう? よかったわね、愛されて幸せだった? どんなふうに抱いてくれるのあの人は?」
「……」
「私は、あなたが居なくなってから、何度も、何度もリヴァイ兵長に迫ったの、だって私、地下街の娼館に居た頃から男が途絶えた事は一度も無かったわ。だから、それなのに、どうしてあんたみたいな女が選ばれて、私は見向きもされなかった。服を脱いで馬乗りになったのに、リヴァイ兵長はいつもの顔で誰も触れられないあの目で、私をまるで見ていない。腹が立つ……何であんたなのよ、地下街に居た時から、あんたばかり……娼館に火がつけられて多くの娼婦たちが逃げ惑う中、あなただけをリヴァイ兵長は……」

 アリシアが自分を激しく憎む。その理由を辿れば今はもう居住区ではなくなり兵団の管轄下にあるもう遠い記憶になりつつある地下街での出来事だった。
 地下の娼館に引き戻された自分を奪い返しに来てくれたリヴァイのあの腕の温もりの中で声を殺して泣いた、彼ならきっと迎えに来てくれる、自分を光指す場所へ連れ出してくれると。
 信じていたからこそ嬉しかった。改めて自分はリヴァイが好きなのだと痛感した。
 その自分の深い喜びの元で。絶望していた人間がいる事も知りもせずに。

「なんで、っ、なんでよっ……!!」

 こんな奴辺りまがいの事をしてもリヴァイは振り向くことは無い。甲斐甲斐しく彼を支え子供を見守り育てて面倒を見てくれていたレイラでもリヴァイの心を得る事は不可能だったのだ。身体だけ手に入れても本当の心が通いあわなければ一時の快楽しか残らない、後は惨めな女になり果てるだけだ。
 アリシアはウミさえいなくなればリヴァイのその欠けた大きな隙間に滑り込めると、そんなことなど誰もが不可能だと言うのにやってのけたのだ。
 だが、もちろん、誰よりも女という存在に縁のない男には通用しなかった。
 誰よりも強く誠実な意思を持った獰猛な目で、「さっさと服を着ろ、風邪を引く」ただ、それだけだった。そしてリヴァイはどんな時も既に心にウミだけだと男の操を立てている。
 無駄なのだ。彼の目にはいつだってこの島の未来と子供たちの笑顔、そして、ウミしかいないのだ。
 裸の服をすぐに衣服で隠し、アリシアは己の行いを恥じた。それをハンジに知られた彼女はすぐに副官を外され、今は駐屯兵団へと飛ばされ、今回の作戦にはもちろん参加していない。
 兵団の人間が色恋沙汰で狂う色魔だとなれば風向きは彼女をより追い詰めるだけ。
 この場所をどうして知っているのか、だがそこまで粘着する程リヴァイに固執していた女は腹いせにその怒りの矛先をウミへの暴力にすり替えるのだった。

 腹を蹴られてウミは咳き込むが何も食べていない腹は空っぽで何も出ない。リヴァイに折られた脚の痛みに勝る痛みなど無かった。だが、あの痛みさえも彼の深い悲しみであるなら、それさえも受け止めるつもりだった。無責任なのは自分だ。世界広しと言えど、この先もう二度と彼以外を愛するつもりはない。
 また男を使って自分をどうにかするのだろうか。自分が巨人化できる人間である限り誰もが恐れこの自分を閉じ込める檻には――。

「それで、満足……?」
「うるさい!!!」

 ウミの拘束が緩む頃には肩で息をしていたアリシアは挑発してきたウミの顔面を思いきり蹴り飛ばした。
 鼻血を垂らしながらウミの笑みはそれでも消えない。ウミがやり返さないのをアリシアは詰め寄ってなじるが、そんなの分かり切ったことだ。
 自分がもしやり返したら、彼女は――。

「アリシア……」
「何よ!!」
「――あなたには、あなただけには……本当の私を……いつか、見せてあげるね」

 暴力で相手へ自分の心情を訴えることなど動物でも出来ること、自分は理性的な心を持つ人間だ。
 本当に強い人間は常にその強さは隠しておくべきなのだ。ここぞと言う場面で出せるように。
 ウミのその表情は自分を島に居られなくさせた因縁だと言うのに、慈愛に満ちていた。
 強い力を得過ぎた代償か、それとも、これから始まる事を示唆したのか。
 幸せを壊したのは自分だと言うのに、都合のいい話だ。
 あんなにも親しかったレイラからの罵倒も、アリシアからの暴力も誰よりも一途に自分を愛し、信じて帰りを待ってくれていたリヴァイの盟友を殺した因果にもなった相手と共謀し、そして傷つけた罰と受け止め、許しを請うつもりはない自分の居ないこの先の人生をどうか彼はまっとうに生きて欲しい。まっとうな生まれではなかったからこそ、残りの人生を、どうか光ある場所で。大事な宝は、彼の中にあるのだから。そう望むばかりだ。

 ▼

 街の中心をゆっくり一台の馬車が優雅に揺れる窓から見える景色の向こう側では人々が号外を見て歓喜していた。
 その新聞の文字が読める程のスローペースで走る馬車のカーテンの隙間からそれを見たジークは今自分を監視下に置いているかつての宿敵、今まで地面に伏した事の無い自分を人間の姿のまま地へと叩きつけた畏怖の象徴と向かい合っていた。

「なるほど。戦勝……と報じたわけか。恐ろしいね。何も知らないってのは」

 ジークの向かいに座っているのはリヴァイだった。兵団のコートを着用し、いつもの平静の中で、盟友であるエルヴィンを死なせた原因、そして彼の投石攻撃で多くの同胞たちを殺され、それだけではなく、愛する妻であるウミを奪った、因縁という二文字では簡単には片づけられない目の前の相手を今すぐにでも殺したい衝動を抑える強靭な精神力。無表情に隠し表情を崩さず激情を隠したままジークへ告げる。

「お前を殺してお前の死体をマーレに送りつけ、陰謀を明るみにする。祖父祖母の命は無いだろうな。だが……お前の言う「秘策」とやらが本物なら、切り刻むのを少し待ってもいい。俺はどちらでも構わない」

 ジークを見据えて薄ら笑いながら話すリヴァイの表情があまりにも恐ろしく彼が今にも自分を切り刻みたい衝動を抑えていることがひしひしと伝わり、ジークもあまり彼を煽らないようにとあくまで下手に振る舞うが、リヴァイにはその態度が自分をバカにしているような気がして、自分よりも年下で食えないマーレ側の自分と同じ立場の彼の存在がますます気に食わない。

「寛大なお言葉に感謝致します。だが、俺をエレンとウミちゃんに会わせるのが先だろ? 何処にいるの? まさか、ひどい目に遭わせていないよね、あんないたいけな年下の女の子をあんたは離れられなくさせるために手篭めにしたんだろ?」
「お前には関係のねぇ話だ。そう急ぐな。お前に最上級のホテルを用意したんだ。まずはそこでゆっくり休んで頂こう」
「……なぁ? 睨むの……やめてくれないか? それに……ずっと睨まれてるの、本当に怖いんだけど」

 ――「なんでウミちゃん、あんなおっかないのと結婚したのか本当に理解に苦しむよ〜。君くらいなら望めばいくらでもいい金持ちの人間と結婚できるだろうに呆れちゃうよ。そこまでしてあいつが好きなの?? 笑っちゃうよ本当に。本当に君って男の趣味悪いよね。申し訳ないけど、肉体的な関係を結んだから愛だの恋だの、余計に感じちゃうんだよ。運命とかそういうのじゃなくて、人間ってのは、もっとそう言うのは本能的な、動物的なものだよ、初めての相手だから、快楽が先に勝って離れられないだけさ」
 ――「……ううん、違う……。私が、一生誰かと結ばれる事も無いまま一生を終えるつもりだった私がリヴァイを愛しているのは、そんな本能だとかからだとかそんな簡単な言葉じゃない。あなたはリヴァイを知らないだけ。でも私だけが知っていればいいと思っている。もっと、もっと大切なことがあるの。あの人の事を……だから、最期まで私の思いを果たさせて」
 ――「やれやれ、本当に君は頑固だね、身体の相性がいいから離れられないだけだろ?」
 ――「頑固で良い。それが私、だから……。私の生涯最初で最後の恋をそんな風に言わないで」
「ウミちゃん……。いや、俺は、もしかしたらウミちゃんのような人の子供として生まれてくれば「それは……嫌です。お断りします」
 ――「ハーやれやれ。子供なんか作ったって生まれてくる子はこの先も辛い目に合うだけなのに」
 ――「それを決めるのはあなたじゃない、この子達だよ。抱いてみますか?」
 ――「え?」
 ――「これが、ジークさん、あなたには到底理解に及ばない私の愛の答え、形です」

「俺とウミちゃんがマーレで体の関係があったとか変な勘違いしてるんなら勘弁してほしいね。俺達は生まれて来るべきじゃなかったのに、どうしてまた繁栄を続けるのか……。ウミちゃんが俺の意見を信じて聞き入れてくれただけで俺からは何もしていないし、あんただってウミちゃんが身体使って男を転がすような器量を持っていると思わないでしょ。」
「ごたごたうるせぇその口を黙らせる方法がある。寛大な計らいに感謝したいのなら、もうこれ以上喋るな。お前の口には俺の靴がちょうど収まる。ホテル暮らしの食事は流動食で構わねぇか」
「いやぁ……それはやめておこうかな。君の立場上どんな理由があれどこの島の「秘策」を持っている俺を殺すことは出来ないのに」
「殺しやしねぇ。今は、な。だが――。もし、あいつの処遇をどうにかするなら、お前と共謀して何かを、あいつが俺の支配下を抜けて、行動に移した瞬間、せめてもの慈悲だ」

 ――「リヴァイ、リヴァイが……好き、」
「――俺が、真っ先にあいつを殺して息の根を止める。あいつの、ウミの指の先から髪の先まですべて……俺のものだ。どう扱おうと俺の決める事だ。俺の居ない場所で死ぬことは許さん」

 ウミとの優しい思い出が今も残るから。残るからこそ、愛している大切なたった一人の存在はこの手でせめて。
 互いにそんな関係を望んだ、唯一愛するのなら、生涯思い続ける存在、魂のかけら。リヴァイは目の前の宿敵を殺したくても殺せないまま彼を今晩の宿まで連れていく。

「俺のホテル……これぇ?」

 馬車に乗せられてカーテンで窓の外を覆われ辺りは暗くなりつつある。ジークが連れてこられたのは、巨大樹の森だった。どんなに不衛生で時代遅れな建物に監禁されるのかと思いきや。自然豊かな巨大な木がたくさん茂るその森での野宿に不満そうなジークに対しリヴァイが低い声で答える。

「何か不満でもあるのか? 樹高80mの群生林からなる巨大樹の森だ。これ以上お前に相応しい宿はねぇよ。一人じゃ簡単に出られねぇし、手頃な岩もねぇ。何かをぶん投げることも満足にはいかねぇだろう」
「立体機動でたくさん遊べそうだしな」
「しかし…これも世界中でここだけにしか無いものだぞ」
「なぁ? リヴァイ兵長。ガビとファルコにもこの雄大な自然を見せてやりたいんだがどうだ?」
「……ガキが気になるようだな。ガキが雄大な自然を拝めるかどうかは、お前次第だ」

 そこは、かつて自分の部下たちを惨殺されそして自分も負傷した今も忘れられない「女型の巨人」によって甚大な被害に遭い、そして無残な姿で帰還した場所。
 そして、自分がエレン・イェーガーを救う度に喪う仲間達を、見殺しにした代償に今も生き延びているエレンは今では自分たちの敵か味方かも分からないすっかり変わり果てた姿で地下街に居る男たちのような目で自分を見上げ、その真意は読めない。そして、彼の手引きにより最愛の妻が自分から離れていく絶望を味わった。マーレで彼女が他の男の妻として婚約者として誰かに奪われるくらいなら。こいつに喰われるのなら。

「(あいつは俺が、喰う事にする)」

 そうやって、彼女を自分の一部にできるのなら、この思いは消えるのだろうか。癒えない痛みを抱え、リヴァイは、憎き敵との一ヶ月、我慢と強靭な精神力を強いられる共同生活が始まるのだった。

2021.09.16
2022.01.25加筆修正
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