THE LAST BALLAD | ナノ
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#107 最後の愛歓

 ――今はもうどこにも居ない、ユミルは告げた。この壁の外全てが敵だ。と。

 明るい太陽の下で巨人が闊歩する地平を走り続け、当たり前の日々の中で自分は息をしていた。
 巨人と人類、どちらかが最後の一人になるまで終わらない死闘を繰り返す日々に疑問を抱いたことは無い、ただ戦いに身を投じていた。
 巨人が先ほどまで同じ飯を食っていた仲間達を食らう。これ以上の地獄は無いだろうと思っていた。
 しかし、堕ちてから気付いた。この壁に覆われた世界のもっと深く、そして昏い地の底にこそ、もっと残酷な世界が存在していたことを。

 そのまま薄暗い地下に売り飛ばされた家畜のような薄汚い自分を何も言わずに抱き締めてくれた、引き戻してくれた。
 助けてくれたのは他でもない愛しい者の存在だった。
 リヴァイがあの日から今も自分を生かし続けてくれているのだ。

 この世から巨人を屠れるのならば彼を世界で誰よりも愛おしい存在だと、抱いたその思いはこれからも変わらない。
 かつて「始祖ユミル」の力を受け入れた時に誓ったのだ。
「あなたに救われたこの命を持ってこのままではいつか死ぬ未来に居るあなたを、この島を助ける」と、そう決めたのだ。

 かつてマーレ人でありながらエルディア人と関わろうとした、やがてエルディア人の、そしていつかこの世界から全ての憎しみの矢を向けられたこの島の未来を憂いてマーレから逃げ出した自分の父親が居なければ彼に出会わなかった。

 そして持ち出した自分たちジオラルド家の長年研究した「始祖再生計画」ユミルの遺伝子を自分の身体に受け入れたあの日から恐ろしい夢を見る。自分が次第に自分で無くなる夢、そして――。

 ――「オイ、何してる、さっさと起きろ」
「リヴァイ、待って、何処に行くの??」
「マーレが攻めてきやがった……お前は子供たちを連れて中央へ、とにかく安全な場所へ逃げろ」
「待って、私も一緒に戦うか「馬鹿か、お前はもうとっくに退団した人間だろ、今更戦う事なんか出来ねぇだろうが。それに、お前まで前線に出たとして今更何が出来んだよ。残された子供たちはどうすんだ? ガキの俺と同じ目に遭わせてぇのか」
「それは……。でも、リヴァ」「問題ない。余計な心配すんじゃねぇ、必ず獣を仕留めてお前達家族も、この島も、守る。俺が指揮を取らないで誰が前線に立つんだ」
「っ、分かってる、だけど、」
 ――行かないで。あなたを失いたくない。まだ、一緒に居たい。

 喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込んで抑えた。これが、最愛の彼との今生の別れになるのではないか。そんな不安が頭から焼き付いて消えてくれない。
 怯えたような眼差しで彼の逞しい身体に縋り付きそれでようやく安堵できるのに、この温もりを自分は永遠に失ってしまうのではないかそんな不安が消えない。

「必ず、帰る。俺の戻る場所はここだ、ウミ」

 何もかもを残し、そして掴んだ腕をすり抜けたリヴァイは背中を向けてその場から姿を消した。
 交わした口づけを忘れぬように刻み付け、幾度も彼に触れて、そして彼が同じように確かめ合う様に自分に触れた肌の感触さえも忘れぬように。名残惜しみながらキスを交わしてそして二人はその場を離れた。

 彼は必ず帰ると誓ってくれたのだ。だから自分は彼の言葉を信じ、彼との間に授かった大切な命たちを守るのだ。

 何としても、彼との約束を――……。

 しかし、戻って来た現実はあまりにも酷なものであった。
 どうせ、どんなに抱き合っても温もりを覚えようとしても、死んでしまったら、全て意味のないものになるのに。
 人間はいずれ死ぬ、その果てに待つのは何も感じる事の無い、無の世界、それだけ。
 彼は帰ってきた、その言葉の通りに、しかし、戻って来たのは求めていた彼の姿ではなかった。

 ――「ウミさん。リヴァイ兵長が名誉の戦士を遂げました。最期まで誇り高く果敢に戦い、とても立派な最期。でした」

「は……」

 ――「ウミ、これからは永遠に一緒だ」
 ――「お前を誰よりも愛すると誓う、もう戦わなくてもいい、俺の傍に居て、俺の帰りを迎えてくれ」

「ウミさん?」
「死んだ――?? あの、人が……」

 待ちわびた彼の帰還、しかし、戻ってきた彼は彼ではなかった。兵士が持って来た彼の生きた証、そして彼が最後まで背負っていた自由の翼とそして自分との愛を交わした証の指輪、それだけ残して彼はマーレとの戦いの前にその翼を散らした。
 彼は遺体さえ残さずに、自分の前から永遠に姿を消してしまったのだ。
 予期せぬ言葉、見知らぬ兵士が告げた彼の最期はこんなにもあっけなくて。
 吐き気がする、そのまま卒倒しそうになった。
 これは悪い夢の続きのまま、自分はただこの悪い夢を延々と繰り返しているだけだと、そう信じたかった。
 ウミは涙を流してその場に力なく座り込むと、一緒に話を聞いていたアヴェリアだけが、まるで覚悟していたかのように。無言でもうすぐ追い越しそうなその頼りない背中を撫でた。

「ただ、死んでいっただけ。何が、立派な最期、だと言うの?死んだらもう何も残らないのに」

 もう二度と、彼は帰ってこない、苦くてそして冷たく重苦しいその事実を受け止めきれずに彼の温もりを感じない身体を抱き締めながらその場に崩れ落ちるしかなかった。
 皆、皆、死んでしまった。自分達の立体機動装置の刃など、マーレが誇る最新兵器の前に脆くも崩れ去るだけだ。
 立体機動の見せかけの翼では空から襲ってくる飛行船になど到底届きはしないし、馬に乗っても巨人にも最新兵器にもかなわないと言うのに。
 泣き崩れるウミを居た堪れないといった兵士が無言で彼の唯一の生きた証の血まみれの自由の翼を手渡してきた。

 ボロボロの翼に彼の最期がどんなものか。元兵団の人間として今まで多くの死を見届けてきたウミでも容易に想像できた。
 それを握り締め震える身体にぱたぱたと足音を立てて何も知らない彼との間に生まれた最愛の娘が駆け寄った。
 兵舎に戻る際、いつも不器用ながらその表情からは伺えなくても彼は愛しい我が子を抱き締め言葉以上の愛を注ぎ、いつも家族を守ると言う、エルヴィンと交わした誓いとそしてまた新しい誓いと共に自分の傍に居てくれた。しかし、死んでしまっては意味が無い、もう彼はいないのだから。

 この子たちの前で泣いたり不安にさせるような顔をしてはいけない。自分には彼の死を嘆く事は許されない。兵士としてではなく今は彼の妻、そしてこの子たちの母親として強く在らねばならないと言うのに。
 まだ言葉を覚えたての幼い彼の面影を宿した最愛の娘が愛らしい目を細めて問いかけてくる。
 だが、言葉にすることが出来ない、もう彼は帰ってこないのだと、まだ幼い子供にそんな酷なこと、どうやって告げられるのだろうか。
 自分の父親を失った日の悲しみを今も思い出すから。
 この子達に自分やリヴァイと同じように親を失う苦しみを与えてしまったのだ。
 彼が初めて生まれたての娘を抱いた日の事がまるで昨日のように思い出すのに。

 ――「ねぇ、リヴァイ。初めての女の子の赤ちゃんはどう?」
「……悪くねぇ」
「あっ、待って。首まだちゃんと座ってないから、グラグラさせないでねっ、」
「……ふぇ、ええん……」
「ああっ、もう、そんな顔で見たら泣いちゃうわよ、リヴァイったらただでさえおっかない怖い顔してるんだから、そんなに難しい顔しないでっ」
「……そうか」
「あ、ご、ごめん。そんなに難しい顔しないで」
「怖いな、それに重い。俺が抱いて居るのはお前が産み落とした大事な命だ……随分重いモノをお前は俺にくれたんだな」
「うん、そうだね……私と、あなたの子供、大切な、私達の宝物」
「そうだな……何としても、守り抜くものだ」
「うん、あなたの留守は私が守るから、」
「それなら……俺は、お前を、お前達を守る、」
「もう、巨人はいないのに?」
「いや……まだ、敵は壁の外にある」

 どれだけ嘆いただろう。我が子を抱き締めたあの幸せな日々も、子供を慣れない手つきで抱いたり、ぎこちない手つきであやしていた最愛の人も永遠に帰ってこないのだ。
 また彼も楽園へ旅立ってしまった。
 そしてあの日、彼の手を離した己をこれからも責め続けるのだ。
 そもそも、大国マーレ相手に自分たちパラディ島の文明など何百年も遅れている。勝ち目のない戦いだと、分かっていた。
 マーレに攻め滅ぼされたこの島は陥落し、そして敗者である自分達はこれから収容区での惨めな暮らしを送る事になる。
 兵団組織は解体され、誰一人として生き残ることは無く、知性巨人の能力は全て、マーレの兵器となった。
 そして、この壁の王であるヒストリアは捕らえられた。
 地鳴らしの犠牲となりマーレに一生監禁され望んでも居ない相手との子供を産まされそして繰り返される歴史……巨人の脅威は消えることは無い。
 駄目だ。
 そんな未来など。絶対に永劫訪れることは無いのだ。そんな未来なら自分の手でひっくり返す。それまで。
 この島を戦場にはさせないと誓った。その為ならどんなことも受け入れる、ジークの代わりにこの島にやって来たイェレナから託された。
 もし、自分が残り13年の寿命となり、永遠に彼の前から消える事になったとしても。
 そう、この気持ちはあの日から、今も変わらない。

 自分は――。

 ――「あなたひとりが犠牲になればこの島が救われるなら、簡単なことじゃない。私ならあなたの代わりにリヴァイ兵長を愛してあげられる。子供も含めてね、」

 ふと、過ぎるあのスレンダーで若さだけが眩しい彼の副官が嬉しそうに自分にそう囁いたあの言葉。
 自分にしか聞こえない声でわざと自分をこの島から追い出したいのだろう。しかし、彼女の言葉の通りだからこそ何も言い返すことが出来ずにいた。
 きっとそうだ。これから自分がする事、その選択は恐らくは彼を独りにしてしまうものだ。そして自らの手で産み落とした子供達も……。
 だが、それ以上に彼に生きていて欲しいのだ。自分はそれをただ切実に祈るだけ。永劫変わる事のない純粋な思い、それがやがて取り返しのつかない悲劇を招くことになるとしても、構わない。
 同じ人間同士が殺し合う地獄など、そんな悲しい未来があってはならないのだから。
 もしこの島が攻め滅ぼされる未来、それが現実のものとなるのならば。
 そうなれば。真っ先に最前線を駆ける愛する彼は己の命を賭けてきっと、誓いを果たすと決めて、そして、自分の元から二度と永遠に消えてしまう。
 愛する人をもう二度と失いたくない、幾度も失い続けてきた彼をどうかこれ以上奪われる未来などあってたまるもんか、そう噛み締めた時、ウミは覚醒した。



「嫌だ、いやっ、いやあああっ!!」

 無理矢理起き上がったウミは涙目で恐ろしい夢の狭間で激しく取り乱していた。パーティの終わり、彼とのラストダンスを終えた。
 そして、この肉体はまた彼の子供を今妊娠していると気付いてからは一気に崩れ落ちるように、体調が悪化したのだった。
 リヴァイや子供たちに心配をかけないと仕事に没頭し振る舞うが、その分夜になると一気にその反動が彼女を苦しめ、ウミはみるみるうちにやせ細り元気を無くしていた。
 体調が悪く精神的にも落ち込む日が続く中余計な不安迄抱くようになり、そして終わりなき悪夢をひたすら見続ける日々の中で今日は愛する彼に抱き締められて眠りについた。
 しかし、伸びた髪を揺らしてウミは見えない恐怖から逃れようと暴れていた。

「ウミ、ウミ……オイ、落ち着け」

 ただならぬウミの声がした。それは慢性的なショートスリーパーであり、いつ何時も眠りが浅い男はすぐに愛する妻の異変を察知した。
 幾度もすれ違い、一度ならず、二度も離れた彼女をもうどこにも行かせないように、リヴァイがすかさず起き上がる。
 体調が悪いと調査兵団を退団して筋肉も落ちた華奢な肩を掴むとはっ、はっ、と浅くて速い呼吸を繰り返しながらウミは普段よりも青白い顔に涙を浮かべている。
 はらはらと流れる涙、半開きの口に荒い吐息、今にも消えてしまいそうで。尋常ではない彼女の苦しみを感じ取り普段取り乱さない男もどうしたらいいのか、判断を迷う。

「っ、ああっ、嫌だ、いやっ、リヴァイ、置いて行かないで!!」
「あ?」

 今にも消え入りそうな声で叫んだ拍子に伸びた白い手を引き寄せた。隣の部屋の小さなベッドで眠る娘の泣き声が聞こえる。一度起きれば火が付いたように泣いてしまうまだ甘えたい盛りの娘をどうにか起こさぬようにとリヴァイはもう一度落ち着かせるためにまるで子供のように悪夢に怯える彼女を骨が軋む程強く抱き締めた。

「お前を置いてどこに行くんだよ、どこにも行かねぇ。オイ、しっかりしろ、」
「う……私……?」

 優しく揺さぶっていた肩に骨が軋むほど思いきり力を込めればその痛みに呻いたウミがようやく正気に戻った。
 いつも自分を抱き締め守る力強い腕の存在に先程の夢は悪夢なのだと認識して目を覚ました。
 顔をあげれば暗闇の中で浮かぶ鋭い双眼が自分を見つめている。
 労わるように降り注ぐ彼から贈られた唇の温度を感じ、ウミは安堵したようにはらはらと涙を流してそのまま前のめりに倒れ込みシーツに顔を埋めた。

「悪い夢でも見てたのか、汗なんか掻きやがって」
「んん、大丈夫……、はぁ……ごめん。何でもない、」
「何でも無かったらあんな風に取り乱す筈があるわけねぇだろうが。いいか、俺達に隠し事は無しだ、」

 全てを見抜くような双眼に何も言えなくなる。囁くような彼の言葉にウミはイェレナからもらったジークの手紙を思い出し胸を痛めた。

「……悪い夢を、見たの。すごく、怖い夢」
「いつもガキの泣き声にも気づかないくらい爆睡してるお前が珍しい事もある、どんな夢だ」
「っ……それは、ごめんなさい。あの……私が、……あ、いいの、」
「何だ、」
「ねぇ……、リヴァイ……お願いがあるの、」
「何だ」

 顔を伏せて先ほどの悪夢を消し去るように。ウミは今度は自分からリヴァイの首に腕を回して、甘えるように口づけていた。そして、か細い声でまるで幼子が甘えるように縋り付くと、彼の頬に触れながら強請るのだった。

「怖い夢のせいで眠れなそうなの……いつもみたいに、抱いて欲しいの。気が付いたら眠ってしまうくらいに、お願い」
「お前な、具合が悪いって便所占領してるヤツが、それに、ガキ共も寝てるときに」
「だめ? お願い、リヴァイ……っ」

 今だけは、いいだろうか、この腕の中の温もりに甘えても。その目に確かに感じる彼女の思いの中に秘められた自分への信頼、確かな絆、恋人同士からやがて母となり父親となり、夫婦となり今は家族としての2人が居る。その思いを見抜き、リヴァイは彼女がまた自分の腕の中からすり抜けてしまうのではないかと、ひたりひたりと迫るこの島を取り囲む情勢がいつか自分達を引き裂くのではないか、そんな不安を抱きながらもリヴァイは懇願するウミの願いを拒むことは無かった。

「今日は、私が……」
「ウミ、」
「いい?」

 今目の前にいるのは本当に自分が知るウミだろうか。突然のウミからの大胆な申し出に面食らって言葉を無くすリヴァイは思わず片手で顔を覆い元々言葉が拙い彼は黙り込んでしまった。
 しかし、返答に迷う自分の身体は綺麗なシーツへと倒れ込み、その上にはウミが不安そうに、戸惑いながらリヴァイに跨った。
 あっという間に衣服を脱ぎ捨てて邪魔なドレス姿では見えなかった彼女のありのままの身体を見上げていた。
 言葉が拙い二人はいつもこうして肌を重ねて思いを確かめる、その通りに、本能が示すままに不安をかき消し声を潜めて抱き合った。

 彼を自分の腕に抱く、しかし、抱かれるのが性に合わないのか結局彼のなされるがままに揺さぶられ、先ほどの悪夢など一瞬で彼の腕の温もりで奪い攫われた。
 彼に深く突き上げられ、涙を流しならウミはあの悪夢がどうか正夢にならないことを願い、そして決意した。

「(戦争になれば、犠牲になるのは、真っ先にこの人……今まで昏い地下で暮らしていた、そして地上に出ても彼を待っていたのは壁に覆われた不自由な世界、そんな世界で今まで失い続けてきた彼には、まだ、広い世界を見て欲しい、自由に地下でも地上でも、不自由な彼がこのまま死んでしまうなんて……そんなの嫌っ、私、彼を失いたくない……!!)」

 だから、決めた。ウミは彼を抱き締め今にも途絶えてしまいそうな意識の中であの手紙の内容を受け入れる事を決めたのだった。

「(エルディア人安楽死計画……ジーク・イェーガー……私たち調査兵団を壊滅に追いやった諸悪の根源、私達の敵が、まさか、エレンの腹違いのお兄さんだったなんて)」

 島へやって来たマーレ人たちは、ジークの意志に賛同しマーレ軍を離反した反マーレの思想を持つ義勇兵たちであった。そして、ジークが考えた名前から聞くにして恐ろしいその作戦の起源。

「(それでも、この島が救われるのなら……リヴァイ、)」

 ジークは獣の巨人の前継承者でもあるジオラルド家と共に巨人科学の研究者でもあり、自身の先代の「獣の巨人」の能力者でもあるトム・クサヴァーから、この島を支配するレイス家が所持している「始祖の巨人(座標)」の力を使えばエルディア人の記憶だけではなく体内構造までもを変えることが出来ると言う驚愕の事実を手にしたのがこの悲しい計画の全ての始まりだった。
 自分たちエルディア人を救う方法、それは自分たちの命が生まれなくなる、悲しみの連鎖を止めるためには自分たちの一族を潰す未来だった。
 トム・クサヴァーから得た情報を元に長い期間を経てジークが考えた計画、それが「エルディア人安楽死計画」だった。
 しかし、それは名ばかりの計画だ、安楽死だなんて生易しい表現を使っているが本当の目的はこの島、いや、この世界からエルディア人がこれ以上栄えないようにするための事実上のユミルの民消滅計画なのだから。

 自分達エルディア人である限り巨人化の能力は残り、巨人化の力は戦いの道具として使われ続けるのだ、そして世界中から自分達は恐れられている。
 今まで絶対だった巨人の力も今はどんどん近代化が進み、巨人に対抗しうる兵器の開発もされている。巨人の力は、もうこの世界には必要ないのだ、それはつまり、この世界から巨人は完全に掃討される者であると、言っているようなものだ。
 そしてこの身体にその血が流れ続ける限り永遠に巨人に支配される恐怖は消えない。
 そして、あれだけ巨人を殺し続けてきた自分も今ではその忌まわしきあの巨人と同等の存在なのだから。

 ――「なぁ、クサヴァーさん「ユミルの民」から子供が出来なくすることもできるかな?「始祖の巨人の力」を使えばエルディア人からこの先、子供が生まれない体に作ることは」と。
 ジークは願ったのだ。かつての自分が継承した「獣の巨人」の先代であるトム・クサヴァーに。
 子供が生まれないようにすれば、今の子供が死ぬまでの約100年でエルディア人がいなくなる、と。
 もちろん、マーレ国を含む連合国が100年を大人しく待ってくれるはずもな。その為にエルディア人が滅亡するまでの約100年の間は、自分たちに与えられた地鳴らしにより諸外国へ自分たちに容易く攻撃すること、この壁の巨人を覚醒させ世界など一気に平らにする事も出来るというけん制を与える。
 自分達エルディア人が生き残るための手段に用意した計画だけが、自分達エルディア人・ユミルの民と呼ばれ世界からその恨みを受ける我々が生き残るための手段だった。
 そう、どちらにせよ、いつまでもこのままで居てはこのパラディ島は、世界中からの総攻撃を受けるのだから。

 自分達エルディア人の祖先ユミル・フリッツは、大地の悪魔との契約により、巨人の力を手に入れ、荒れた土地を耕しそして橋を架け文明を発展させたはずだった。
 しかし、そんなユミルの死後、その肉体は三人の娘たちを通じてやがて九つに分かれた。
 やがてその巨人の力を用いてエルディア帝国を建国し、そしてエルディア帝国は巨人の力を使って大国マーレを追い詰めこの大陸を支配し、あらゆる残虐な手段で繁栄を続けていたのだ。

 エルディア人(ユミルの民)が世界から敵とみなされ、そして侵攻の対象とされるのは、もちろん、過去のエルディア帝国が巨人の力を使い大陸を支配した忌まわしき先祖たちの歴史の名残だ。
 そして、何よりも世界の人間たちは自分達エルディア人が持つ、唯一巨人になれる遺伝子が身体に組み込まれている事がその理由だった。
 この島が得体の知れない未知の生命体でもある「巨人」と言う生き物に支配される中で自分達はそれでも生きて来たのだ。
 過去の自分達の祖先がしてきた残虐な過去は消えない、だが、今生きている自分たち人類は過去のマーレ人を迫害していたエルディア人とは違う、今も恨まれる理由は違うはずだ、果たして今を生きる自分達が何をしたと言うのだろう。

 パラディ島で蔓延る巨人たちが、自分達と同じ元は人間だと知らずに。その脅威に怯えながらも三重の壁の中に閉じこもって暮らしてきた。壁の外に人類はいないものだと今までその記憶を改ざんされ、その記憶がこの島を支配する「始祖の巨人」の力を持つ王家によるものだとも知らずに。

2021.08.15
2022.01.30加筆修正
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