THE LAST BALLAD | ナノ
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「#幼馴染」のBL小説を読む
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いつか見たこの情景に映る私と/

 そして目覚めた朝に、ひとつの小さな産声が響いた。
 しんしんと雪の降り積もる夜。狭く暗く封鎖されたこの世界であなたはこの世に産声をあげた。
 愛おしくも大切なその命を手にして。この世界で光を受けた。こんなにも愛おしく愛される喜びを感じた事はあっただろうか。それは誰しもが見る景色の中にあった。

 夢に描いた世界まであともう少しだ。この音が止む頃、きっと。遠く離れたふたりはその時を静かに待ち続けていた。
 あの夢のような出来事からまた季節は冬に向けて肌寒さを増した。冬は越せないだろうと言う医者の言葉が本当ならば、もうじき自分の命は肌の温度が冷えていくように一人冷たいベッドの上で、ここで終わりを迎える。その筈だった。
 巨人に食われて死ぬと思っていた自分には縁遠い末路、その筈だったのに、どうやら自分は冷たい土の上や生温かな巨人の腹の中で一生を終えることは無いらしい。
 いつどうなってもいいようにと未練が残らぬように身辺整理をし、あの時リヴァイに破り捨てられた遺書も記憶を頼りにまた書き直した筈だった。
 どうせ届かぬ手紙を持っていても仕方ないのに、この文だけは捨てられる自分は未だお互いに了承し、納得した上で、後悔の無いように最後まで愛し抜いて離れたというのに、それでも捨てられない未練に腹立たしくなる。
 こんなものでこれからの過酷な道を歩む彼を縛り付ける事は出来ないというのに。

 導かれるように現れた「獣の巨人」の本体でもあり、そして、今生きるただ一つの目的に向かうリヴァイの見据えた先に居る因縁の相手でもあるジーク・イェーガーとの不可思議な夢の後、ウミの身体にある変化が訪れたのだ。
 頻繁に頭痛が起きベッドに寝たきりが多くなり、身体も自由に動かせなくなり、とうとう自分は誰に看取られる事もなくこの封鎖された空間で故郷にも帰れないままこのまま死ぬのだと心のどこかでは常にその最悪の結末は覚悟していた。
 しかし、兵士だった頃はいつ死んでも後悔はない、心臓を兵士として捧げて走り抜けていた世界から離れいざ平穏で安全な日々の中で、自分の死が間近に迫ると人間の本能が顔を覗かせた。
 本当はもっと生きたいのだと。心が叫ぶ。その意識のままに暗い部屋でウミは泣き続けていた。
 しかしその夢から目覚めた世界は大きく変わっていた。いつも慢性的な頭痛や収まらない吐き気をどうにかこうにか誤魔化しながら戦っていたのに、痛み止めの薬を飲んでも一時的にしか効かなかった頭痛やめまい、そして吐き気がまるで露と消えたのだ。
 そして、何よりも決定的だったのが「獣の巨人」の投石の際に頭部に突き刺さったまま抜けなかった石片が消えたのだ。
 奥深くの神経までも届いており、もし無理にでも引き抜けば元々抱えていたこの脳内の血腫と共に破裂すると言われていた。そして、この島の医療ではどうにもならない事からこのまま自分の命が尽きるその時まで、この石片と生きていくのだと思っていたのに……。
 その日を皮切りに寝込んでいたウミの体調がまるで魔法のように、劇的に回復したのだ。これには気休めの治療しか出来なかったトロスト区の医者も驚き、奇跡だと告げた。中央の今はヒストリアが管理している王政の病院への店員や精密検査も進められたが、怖くなりウミはそれを断った。
 それ以来、体調は瞬く間に回復したが、それは自分が知性巨人となったから、その恩恵で在り、その代償で寿命は残り13年となったウミは考えこんで眠れなくなった。
 ジークとの対話は夢ではなく正夢だったのではないかと恐怖するようになった。
 彼なら可能な気がする、何故なら彼はエレンのように始祖の巨人の能力者ではないのに彼の叫びで巨人たちはまるで意志を持った人間のように容赦なく襲い掛かったのだから。
 無垢の巨人が意志を持つ、それがどれだけ恐ろしい事か、そしてそれがどれだけこの島に大きな損害と被害を与えたか。
 そして今度は別の不安が今度はウミを襲う。もし、いや、そんな事試せるはずがない。自らに打ち込んだ注射薬が今後どんな意味を持つのか、ジークに言われるがままあの注射薬を破壊するのが本来父親の願いだったのかもわからない。遺言もなく死んでしまった父親はもう答えない。

「(お父さんが、もし、私がこうなる事を知って、そして生かすチャンスをくれたの? だとしたら、こんな未知の物をこの島に持ち込んで隠している訳無い)」

 あの時自らに投与し、打ち込んだ注射薬が正夢ならば。エレンやアニやライナーとベルトルト、そしてユミル。自分の目の前で起こり得ないことが起きたのだ。人間が自らの意志をもってして巨人となり戦う。その光景の中に今自分がいる。もし自分が軽い傷でも負えばもしかしたら、自分もそうなるのだろうか。光の柱で泣いていたかのように、無垢な目のまま生きる少女のように。
 もう体は平気なのにいつまでも閉じこもっていては精神的に不安と巨人化能力者となった自分に待つこの先の末路に飲み込まれてしまいそうだ。自分は戦いから逃れられない宿命だというのか。今度は兵士としてではなく、知性巨人として。この島のはるか先で待つ敵を。
 気にしてもしょうがないと、ウミはそんな不安を拭う様にまた仕事を始めた。夜の酒場の給仕ではいつまた兵団と出くわすか。
 今度は昼間の仕事を探した。トロスト区の食堂でウェイトレスとして。もちろん元々父親から教わった料理の腕も活かして厨房にこもる事もあった。いつ死んでもおかしくないと宣告されながら健康になったことで目まぐるしく身体は変化し、兵士時代で失われた少女時代を今更取り戻し過ごす日々はリヴァイとの別れの寂しさや人恋しさを時間薬。共に癒してくれた。

「いらっしゃいませ。あら、ウミ!」

 時の流れは無情なほど離れた距離をより遠ざけた。彼の噂だけが独り歩きしているように感じられるトロスト区の街並みはかつての平穏を取り戻しつつあった。調査兵団が自由を再びこの壁にもたらしたのだと、調査兵団がエルヴィンとアルミンの命を天秤にかけて巨人化薬を奪い合ったのことなど公表するはずもない。リヴァイに組み敷かれたあの重みに呻き、あばら骨が折れた痛みもまだ鮮明に覚えている筈なのに、今はもう遠い過去のようだ。
 この先、巨人が攻めてくることは無いのだと、誰もが安心したように。ウミもかつて兵団を離れた時の母と暮らしたつかの間の平穏な期間へ思い馳せるように兵団関係者ではない者との新しい交流を始めたのだ。
 カランとベルを鳴らしよそ息のワンピース姿、裾を翻し開かれた店のドア。顔を見せたウミに厨房から姿を見せたのは金色の長い髪に青い瞳、スラリとした体躯に落ち着いた声、しかし、顔立ちはあどけなさの残る面差しを秘めた美しい女性がウミを迎えてくれた。

「会いに来てくれたの? 嬉しい!」
「レイラ、もちろんだよ」

 旧知の友のように。嬉しそうに抱き合う2人に気遣い店主が二人きりにしてくれて、気楽な友人同士の午後のティータイムと洒落込むには薄い紅茶と王政が変わったことでこれまで旧王政府が独占しており途絶えていた流通が復活して普及した高級だった卵や砂糖などの焼き菓子が今一番突出しているトロスト区でも好んで食べられるようになり、トロスト区の住人達も栄養のある食事がいきわたるようになった。その店で一時はトロスト区から離れ二度の避難を経験しながらもまた仕事を
 リヴァイとの間の親し気なやり取りに自分が勝手に嫉妬して子供じみた態度でリヴァイと険悪な空気となった原因でもある彼女には大変失礼な態度をした事。
 ウミ自ら探し当て謝罪に出向いたのだ。しかし、そんなウミの誠実な態度に対し、レイラはやはりウミより年下にも拘らず苦労してきたのか。落ち着いた態度でそんなウミに食事を振舞い、そしてリヴァイと破局した事もこの店で行きかう噂で聞いていたからとむしろウミを気遣ってくれたのが縁で、居心地のいい関係に安心し、ウミも友人がいないのもあり、お互いの店を行き来するようになり、今はよき親友として語らう中にまで関係は進展したのだった。

「そう……そうよね、いずれはシガンシナ区に戻るつもりなのね。元々ウミはシガンシナ区で暮らしていたんだものね。それは早く帰りたいわよね。でも残念。トロスト区から結構遠いわ……一番広い地域だものね。ウォール・マリア領は。今みたいになかなか気軽に会えなくなるかもしれないし」
「でも、離れていても、またいつでも会おうと思えば会えるよ。お互い暇を見て会いましょう。私、シガンシナ区に戻った際は家を改装してお店一人でやろうかなって考えてたの。きっと前よりも戻ってくる人は少ないかもしれないけれど、それでも食事を求めている人の為に、私と同じ、帰る場所や家族の居ない人の為の拠り所になりたい。1人だから別に居住区を二階にしても暮らしていける……改装するにしても家を一から建て直すのも、お金がかかるから働かないとね」
「強いのね、ウミは」
「うぅん。そんなことないの。私は元々強くなかった、だけど、」

 これから歩む道がどれだけ過酷で、どんなものが待っているのか、今の自分には想像すらしない世界を自ら選択して、あの注射薬を自らこの腕に、打ち込んだのだ。並大抵の決意ではない、それでも、愛しているのだ。彼を。
 もう二度と重ならない温度が冬の寒さで冷えていき褪せてゆく中でそれでも、彼を愛して愛されたこの壁の世界がいつまでも絶え間なく続くことを、そして彼の悲願が成就される瞬間をただ切に願う。

「あの人に愛された幸せな記憶があるから……私はその思い出を抱いて、今日も生きていける」

 彼に愛された記憶を抱いて生きていくのだ。残された人生に比べればこれから何十年と残された命を歩んでいけるのだ。
 先行きも長くないと思っていた自分の命は途絶えることなく紡がれていく。知性巨人の能力を引き継いだ者はユミルの呪いにより余命13年となり、その後は継承されずにこの命が尽きたとして、この巨人はまた別の生まれて来た赤子に引き継がれる事になる。その意味を感じていた。だが、自分もエレン達と同じ知性巨人能力者になったことを隠せば、周囲から見れば健康を取り戻し病を克服した奇跡の女と呼ぶしかないだろう。

「ウミ……。無理はしないでね、女性の身体は繊細よ。一人では心配だわ」
「ううん、大丈夫。ありがとう、レイラ。私これでも元・調査兵団よ? そこら辺の人間ならこの一発で叩きのめしちゃうわ」
「ふふ、本当にウミったら」

 和やかな空気の中で。微笑み合う2人の笑い声が途切れた時、確かに声が聞こえたのだ。弱々しくも大きな声で、たった一人の存在を呼ぶ。その声に耳を澄ませる。

「あら、待ってね。どうしたの?」
「え……」

 聞こえたか弱いその声の主は階段の上から呼んでいるようだった。慌ててその声の主の元へ駆け抜けていくレイラを眺めながらウミは自分が思っていたことで間違いないのだと。そして、彼女はそっと小さな宝物を腕に抱えて階段をゆっくりと、降りてきたのだ。内心、胸の奥が痛んだのは彼女は自分と同じように同じ男を想っていたと。そう思っていたから。
 誤解は解けた、彼女に抱いた醜い嫉妬心は、今はもう感じられないが、それでも、その声にウミはやはり彼と彼女は、そう感じ、しかし、それでも彼の遺伝子を残せることが出来る彼女になら、彼を託そうと、おめでとうの声を用意して迎えたその時、だった。

「え……?」
「ふふ、驚いた? あの人がね。私に宝物を残してくれたの」

 まだひとつかみ程度の。不揃いな生え際だが、しっかり生えているワインレッドの色彩は間違いないくこれまでの長い期間を共に駆け抜けてきた部下でもあり、別れの言葉もなしに原形を無くし無残にも変わり果てた姿で自身の愛馬に連れられ突然帰らぬ人となってしまった赤く染まった彼をウミに思い起こさせたのだ。

「(クライス……いつの間に……私に何も言わずに、ずるいじゃない、先に死んじゃうなんて、殺しても死ななそうだったのに、あんなに、あっさり)」

 危険な状況の時に死にたくないと心臓を公に捧げた兵士からすれば信じられないくらいに誰よりも生きたがっていた男がよく口癖で叫んでいた「死ぬ時は女の上で腹上死」彼にもそんな相手がいた事など、思いもしなかった。
 しかし、開かれた愛らしい無垢な瞳も彼のように下睫毛が目立ち、彼の面影をウミに思い起こさせた。将来の彼女の未来が見える気がした。きっと、この子は母親の愛を受けて天使のような少女になるだろう。顔だけはよかったあの男に。

「あの人にそっくりすぎて、見た瞬間おかしくて……笑ってしまって、そして会いたくなったの」

 きっと、今ここに彼がいたら誰よりも大げさに愛らしい天使に頬を寄せ微笑んでいたに違いない。彼の子供、となると腹違いの母親同士、公にされることは無い異母兄弟のリヴァイの姪にあたるのだと思うと、孤独を歩んできた彼に、血縁者が出来た事になる。
 これまで汚してきた自分の手でこんな無垢な赤子に触れてもいいのか、戸惑いの中でウミはレイラに促されるままそっとその赤子を腕に抱いた。

「あぁ……命、ってこんなに、温かいのね、そして重いね」
「命の重みを感じるよね」

 そして、言葉でどれだけ説明しても届かなかったレイラとウミの間に通っていた誤解はここで完全にまだ雪解けには早いが、春を迎える事となった。

「ウミったら、見た目の割にものすごく頑固で……私とリヴァイに体の関係なんてものは一切ない。ただの馴染みのお客さんが連れてきた常連さん。そう、彼はきっと一生、誰でもないあなただけを思っているって口でどれだけ言っても私がリヴァイと身体の関係が無い、潔白だってこと、これっぽっちも、信じてないんだなって思ってた。けど、これでようやく、信じてもらえたかしら?」
「レイラ、ごめんなさい、私」
「ほーら。やっぱり。内心ず〜っとウミにリヴァイとの仲を誤解されたままだったから申し訳なくて。リヴァイもうまく言葉にできないから余計にウミに火に油注いで怒らせてしまったかと思ったわ。確かに、二人が離れた理由も二人に何が起きたのかは何も知らないけれど、でもこれで離れていた間彼の身の潔白も証明できてよかった。これで本当の意味で、私たち、友達になれるのね」
「っ、ごめんなさい……本当に、私、あの時は本当におかしかったの!」
「ふふ、いいの。そんなウミの一本筋の通った頑固なところも、リヴァイは可愛くて仕方がない位大事にしてたんだから。そう、クライス。リヴァイはあなたがいなくなった頃に私のお店の常連さんのクライスがただ連れてきたお客様よ。あんなに不器用なくらいにウミが好きなのが見てわかるくらい落ち込んでいたあの人がウミを忘れて一時の欲求で女性を求める訳、無いじゃない、あの人はどんな女性に迫られてもあの目で黙らせてたもの。最初にここに来た時も今以上に雰囲気も悪くて、私があなたに少し似てるみたいで、真面目な彼は尚更ウミの面影を重ねてとても傷ついていたわ。クライスも兵団で恋人に振られて口にはしないけど相当落ち込んでいる奴がいてなって、話して余計なおせっかいして。そんな感じであの殺しても死ななそうなちょっとおせっかいなクライスが殉職したと聞いた時にはこの子がいること、まだ知らなかったの。そうして自分が落ち着いた頃から体調が悪くて。彼が好きだったから、なかなか立ち直れなくてね、合同葬儀で遺骨を見ても私を抱き締めてくれた温もりも、何も感じられなくて。落ち込んでいたからだと思っていたのにそのうちに胎動を感じたの。あぁ、あの人は私に宝物を残してくれたんだと知った時は、この子のために強くならなきゃと思ったわ」

 楽園へと走り去っていった彼はこの世界に生きた証を残していたのだ。本人も本当はあの場で死ぬとは思っていなかった、いや、これまでの戦いで犠牲になった誰しもが同じことを思い、そして楽園へと旅立って行ったのだ。
 残された者達はそれでもこの世界で生きていかねばならない、しかし、人は1人で人生を生き抜いていくことは出来ない。希望、誰しもが抱くその光ただ一つを胸に生きていく。レイラはそれが生まれたこの小さな命で、そして自分は、彼を愛し、愛されたあの記憶。
 リヴァイに与えられたものがこの先の人生を生きる自分にはあまりにも多すぎるのだ。これ以上の何を求めればいいというのだ。母、道しるべ、仲間、これまで幾度もその手のひらから零れ落ちるように全てを失い続けた彼に、自分が出来ることは彼の失う理由に自分はならないという事。それが自分に出来る彼への愛の証明になる。もうこの指が彼の贈り物で光ることは無い。それでも、自分もこの楽園がいつか脅かされる未来が来るのなら、その時の為に、自分は自ら選んだのだ。
 生きている限り、いつでも会うことが出来る。お互いにもう会わなくてもそれぞれの思いを胸に生きていけるとお互いに理解している。

「それでも、もし、偶然彼に会ったとして、私は迷わず彼の誓いが果たされるその瞬間を夢見て、願ってあの人のくれた思い出を抱いて生きていく。あの人に恥じない人生を、送ってみせるから。今度は自分の手で」

 帰り際、聞こえた轟音に耳を澄ませた。巨人は今も尚この壁の向こうにある「地獄の処刑人」によってまた一人、また一人と安らかにその長い長い呪いから解き放たれて天へと登って行く。かつて楽園を目指した同胞たちの嘆きと犯したその罪さえも槌音が消し去るように。また一人と巨人たちは蒸気を放ち蒸発してゆく。
「巨人の正体は人間である」その真実に導かれていく通りに、自分はかつて忌み嫌い憎んでいた巨人を全ての憎悪を込めた刃で皆殺しにした過去がある。しかし、今は違う、彼らは父親の故郷から来た自分達と同じ血の流れる人間。しかし、かつての呪いで巨人になれる遺伝子を持つ者達。つまり、巨人になれる自分達は他の人類からすれば「悪魔の末裔」でしかないのだ。淘汰されていく巨人のように、自分達も巨人になれる可能性があるのならいずれは。
 しかし、何とも皮肉なものである。忌み嫌って絶滅を願っていた巨人と自分達の根底は何ら変わらないという事に。そして、今、自分もその一部なのだ。雑踏の中に紛れるようにウミは静かに消えた。幾度も刻んだリヴァイの微かな思い出を五感で思い出しながら。



――……トロスト区の巨大な槌から巨人を潰す音が聞こえなくなったのは、それからまた数か月後の冷たい雪が降り積もる頃だった。
 やがて積もった雪が溶け出す頃、温かな風が壁内を吹き抜けた。その春の風に乗りながら、兵団はウォール・マリア内の巨人は掃討されたと発表した。
 それに伴い、ウォール・マリア奪還作戦により失われた兵士たちの遺体が回収され、エルヴィン団長の遺体もリヴァイの手により回収され、手厚く葬られた。
 あっという間に街の整備は始まり、トロスト区から昇降機が解放され、街道の舗装事業が開始される頃には草花が芽吹き蝶が舞っていた。
 シガンシナ区を拠点とする住民の入植が許可されたのは、トロスト区襲撃から一年が経過する頃であった。
 そして、この日。調査兵団は実に6年ぶりとなるウォール・マリア外への壁外調査を行った。
 ウォール・マリアを抜け、エレン、ミカサ、アルミンの故郷のシガンシナ区の門をくぐり、とうとう本当の壁の外に出る事が出来たのだ。念願であった壁外調査へ颯爽と馬を走らせる調査兵団達。夢にまで見た景色が広がって居る。
 マリア領内の壁外調査ではない、壁の無い本当の自由な本でしか見た事の無かった世界が。
 リヴァイもあの日、四人で見上げた空を見上げ再び思いを馳せる。彼も歳月が過ぎ顔つきも前よりもぐっと歳を重ねまた深みを増した。
 あれから一年の年月が過ぎて、若き兵士たちもそれぞれもまた違う変化を迎えていた。
 ミカサの髪もまた伸びて、年齢より大人びた顔立ちはより一層美しさに磨きがかかり、どこか儚ささえも感じさせる。
 アルミンもエルヴィンとの天秤により生き残った罪悪感を抱えながらもそれでも託された命の意味を、役割を理解しては必死に生きている。
 ジャンもまた髪が伸び、リヴァイの厳しい訓練で鍛えた身体はまた厚みを増し、14代目団長のハンジの側近として一緒に行動する機会が増え彼を知る女性も増えたが、それでもミカサへの思いは今も変わらずに彼の根底にある。
 サシャも髪が伸び、元々彼女もミカサと同じように実年齢よりも大人びた体躯をしていたが、前よりも背も伸びたように感じられる。
 シガンシナ区決戦において「鎧の巨人と」奮戦し共に死闘を潜り抜け負傷した自分に献身的に尽くしてくれたコニーとの仲も友達以上恋人未満の関係は今も健在だ。コニーも背が伸び、リヴァイの背もすぐ追い越し、立派な調査兵団の一翼となるだろう。ハンジも左目の視力は喪われたが、片眼での不安定な状態からリハビリを重ね隻眼でも通常と変わらず動けるようになり、14代目団長として調査兵団の新たな団長としてエルヴィンの遺志を継ぎ、彼のように非情な決断のできる団長とはまた違う新しい団長として。
 快活な性格、対話を恐れない飾らない優しさと人柄で慕われている。フロックも周囲から孤立していたが、徐々に距離を縮め、調査兵団の一員として死んでいった同期達の分まで任務をこなしていた。

「お前の読み通りだハンジ ウォール・マリア内に入っていた巨人が殆どだった
 俺達は奴らを一年でほぼ淘汰しちまったらしい」
「そんじゃ予定通り、目的の場所を目指すぞ!」

 そして、その背後で馬を走らせるエレンの姿はこの歳月ですっかり髪も伸び、グリシャの記憶を見せられた彼は訓練兵団時代の巨人をこの世から一匹残らず駆逐してやるという覚悟に燃えていた彼とはまるで別人のように他の同期達とは違う、ひときわ大人びた雰囲気を放っていた。
 撃ち上げられた信煙弾の先へ向かうと、そこには地面に顔を埋めたままうつぶせの状態で動けなくなった巨人が沈黙を抱いたままその場に鎮座していた。

「動けない……のか?」
「あの体で、少しずつ這って壁まで進もうとしたんでしょう。とても、長い時間をかけて」
「この先で「楽園送り」にされたオレ達の同胞だ……。ここから近いぞ」

 その巨人のうなじを削ぐことなく、這いつくばって動けずにいる巨人を通り抜け、エレンの言葉通りならば、その先に待つ道なる青を目指して。更に馬を走らせていくとその先には壁が見えている。エレンの記憶が「進撃の巨人」の記憶を通し、自分と同じ名前のエレン・クルーガーとグリシャが見た景色と重なる。

「間違いない。ここの場所でエルディア人は巨人にされた。そして、あの先に

 巨人にされ落ちていった高い防波堤の真っ白の壁を越えた先に見えたのは。何処までも続く地平に青い海原、それは本や思い描いていた想像で見る以上にどんな言葉でも表現することのできない程に美しく煌めく宝石をちりばめた星空とは対極の色のある春の海だった。
 波の音が絶えず寄せては返していくその情景を眺めそろりそろりとどこか緊張したような面持ちで波打ち際に立つアルミンが目線を下に向けると、波間の中に奇妙な塊を発見し、それを両手で掬い上げる。

「ああぁぁあい」
「目があああぁぁ!!!!」
「うおおぉ!! しょっぺえぇ!!」

 アルミンが幼少期から夢見ていた光景を眺め今は亡き父や母や祖父への思いに耽る、その傍らでは早速海に入りはしゃぐサシャ、コニー、ジャンの仲良しトリオが楽しそうに戯れ、コニーがサシャに水をかけていた。

「うへえぇ!! これ本当に全部塩水なの!? あっ!? 何かいる」

 ハンジもブーツを脱ぎ捨てどんなものかもわからずに探求心が求めるままに海水の中にどんどん入り込み、透けるほど美しい手つかずの浜辺でナマコのような何かを見つけたととっさに捕まえていた。

「オイ、ハンジ。毒かもしれねぇから触るんじゃねぇ」

 しかし、躊躇いもなく海水へ入って行く部下たちを見てもリヴァイは自らの身体に染み込む生まれて初めて見るその海に対し警戒して砂浜から動こうとしない。ましてこの砂もさっきから歩くたびに細かい粒子が舞いその粒子を吸い込まないように息まで極力抑えている徹底ぶりなのに、いきなりそんなしょっぱい海水の中に入って居られるかと仲間たちのはしゃぐ様子を見てこの瞬間の為にこれまで自分は戦い守り抜くためにこれからも戦うのだと、改めてこの目線の水平線の先に居る「獣の巨人」を見つめていた。

「エルヴィン、見えるか。これが、辿り着いた答えらしいが……悪くない」

 その言葉は、かつて初めての壁外調査で壁外から見える壁のない自由な景色を目にした時に不意に口から零れた。
 その記憶を彼に思い起こさせた。あの時一緒に空を見上げたイザベルとファーランとウミの姿はない。そして、そんな自分を自由の翼へ導いたきっかけとなった自分の一部だったかのような、彼を弔って。数カ月が過ぎて。今は一人置き去りにしてきたエルヴィンは安らかに楽園からこの景色を眺める自分達を見ているのだろうか。
 もうかつての面影はなく、隠すように彼に覆い被せたマントだけ、真っ白な雪のような白骨化した遺体が13代調査兵・団長のだとリヴァイに知らしめていた。
 その一部を今も大切に持ち歩いている。彼は自分の一部だったかのように。

「この先に……ヤツが居る。見えるか。あの日の誓いを、何年かかろうとも俺は必ず果たす」

 リヴァイは静かに散っていったかつての仲間達へ届くように、一人静かに周りから離れた場所でこの青の景色を焼き付けた。
 いつか、見たいと願っていたウミとの夜を何度数えてこれまで来たのだろう。もう二度と、この手が誰かと重なることは無い、戦いの中へ沈んでいく自分の先にウミは居ない。そして、もう果たされることは無い願いもこの青へ沈めようとリヴァイは手にした重みのあるそれを握り締めた。この青の青さをウミは知らないとしても、きっと、いつかどこかで、

「ウミ、」

 呼べば何時だって振り向いてくれた笑顔が今はセピア色に色あせ、そのうちもう感じられなくなるのだろう。だけど、今はその名前がとても愛しくて、膨れ上がる愛しさだけが自分を支配していた。
 そろそろと。海に入っていくアルミンは両手でそっと落ちていた純白の硬い渦を巻いた物体に触れ、それが文献で見た貝殻なのだと、嬉しそうにすくい上げて夢にまで見た景色を目の当たりにし、大きな青い海のように深い瞳を輝かせていた。

「ひっ」

 ブーツを脱ぎながら、恐る恐ると海へしなやかな真っ白な脚を沈める。その冷たさに驚いたミカサが滅多に出さないような可愛らしい声を上げ、戸惑いを浮かべて、その光景にアルミンとミカサのもともとあまり感情の変化が乏しい彼女のひきつった表情を見て微笑むアルミンの姿があった。屈託のない笑顔の二人が交差する。その先で、ただいとり、膝下まで波打ち際よりもさらにそのまま沖へ向かってしまいそうな哀愁漂う背中を見せるエレンに、背後から近付くアルミンとミカサが近づく。

「ねぇ、これ、ウミに持って帰ったら喜ぶかな。ウミにこの本物の景色を見せられるのはまだ先になりそうだし。海にはこんなきれいな宝石があるんだよって。きっと、ウミに似合いそうだ。だから、あの時、言っただろエレン。商人が一生かけても取り尽くせないほどの巨大な塩の湖があるって……僕が言ったこと…間違ってなかっただろ?」
「ああ……すっげぇ広いな…」
「うん…」

 手のひらの貝を見つめながら頷くアルミンは今にも泣きそうな顔で水平線の先を見つめるエレンへ呼びかける。

「ねぇ……エレン、これ見てよ! 壁の向こうには……「海があって、海の向こうには自由がある。ずっと……そう信じてた」

 お互い幼い頃より夢見ていた憧れていた「海」を目にして感極まっているアルミンの言葉を遮り、ぽつりぽつりと話し出すエレンの背中からは言葉にしがたい哀愁が漂っていて。三人いつも並んで歩いていた、しかし、今はもうエレンは自分達よりもっと先を見つめている。まるでこれから歩む三人の道のように。幼馴染の間には目には見えない冷たい隔たりのような壁がそびえたつ。
 その三人の後ろろでは相変わらずのテンションでジャン、コニー、サシャがはしゃぐ姿が見えるのに、その声はエレンとアルミンとミカサの間からはまるで感じられない。ハンジは黒く蠢く粘液で覆われた不気味な物体を両手に掴みながら海を眺め、その後ろの砂浜でそんなハンジを眺めているリヴァイの目がアルミンに背中を向けたまま語り掛けるエレンを見ていた。この短期間で色んな光景を見せられ、そして思い出したエレンの葛藤は誰に知られる事もない。

「でも違った。海の向こうにいるのは敵だ。何もかも。親父の記憶で見たものと同じなんだ……」

 自由とは一体何なのか??? エレンはアルミンへ答え無き問いをし、求めていた。エレンは水平線に向かってそっと指を向けて、そして、幼馴染へ問いかけた。

「なぁ? 向こうにいる敵……全部殺せば……オレ達。自由になれるのか……?」

 エレンは指を指し振り向いた顔は今にも泣きそうに歪んでいた。彼の望んだ先に、自由など無かった。この壁の向こうに何があるのか、幼き日に憧れ、そして目の当たりにした情景を目にしても、もうエレンは無邪気に笑うことは無かった。沈黙の代わりにアルミンが両手に掲げていたその「貝殻」海の生態鉱物がそっと海鳴りを呼ぶのだった。これは終わりではない、これから始まる大きな戦い、この海の向こうから向けられているこの島は、既にエレンの望む自由な世界、ではなかった。




 851年。
 ウォール・マリア陥落の悲報から六年の歳月が流れ、とうとう人類の手に再び取り戻された自由。
 蹂躙していた巨人が全て掃討され、犠牲になった兵士たちの遺体も弔われウォール・マリアは整備された。
 ようやく悲願である故郷への帰還を許された市民たちは嬉しそうに慣れない避難生活から本来の元の生活に、故郷へ戻れる喜びをかみしめるも、それでも奪われた失われた命は二度とは還らない。

 シガンシナ区に戻った住人の大半はすでに巨人に食われ甚大な被害が出た街の後、街で再び暮らそうと決めた住人はそう多くはない。まして、あの情報が廻った後、いつまた巨人が襲って来るかわからないと思うと、安全に近い壁内の中心に人が集まるのも無理はないだろう。そして治安も心配な中でウミは女一人と言う不安要因はありながらも持ち前の腕っぷしがあるからと、住み慣れた故郷を建て直そうと必死に行動した。
 暇を見ては顔を出し、よく酒を飲もうと声を掛けてくれたハンネスも、隣近所の噂好きのご婦人も、イェーガー家も、夫を亡くし、それでも弱音を隠すように気の強さだけが取り柄だった母親も、もう誰も居ない。
 だが、自分はこの街で確かに生まれ育ち、そしてあの日故郷を奪われ着の身着のまま一銭も持たずに逃げ続けようやく果たされた帰還、そして母親との対面だった。

「お母さん、どうか、もう心配することは無いの、巨人はもう居ない。お父さんと楽園でこれからも仲良く暮らしてね。ケニーおじさんが来たからって喧嘩したら駄目だよ? リヴァイのお母さんや、イザベルやファーランや、リヴァイ班のみんな、ミケ班の皆、ハンジ班のみんなやエルヴィンやリーブス会長やクライスも……みんなに、よろしく伝えててね」

 そして、ここで起きたウォール・マリア最終奪還作戦を経て、お互いの行く道を進むため、リヴァイとの決別を選んだ。今度は一方的ではない、双方納得の末の別離。
 愛しているからこそ、一緒には居られない。
 その重みをひしひしと受け止め、ウミはそれでも彼の温もりが恋しくて寒い夜を何度も越えてきた。身を斬り裂かれるような別れだった。
 こんな感情を抱くために自分達はこれまで地下で出会い地上に上がってからも、別れを選ぶために愛し合ってきたのだろうか。
 最後の死闘、激戦が繰り広げられた痕跡を辿りながらゆっくりと歩いた。
 整備された街並みの中でそっと愛し、愛された思い出を抱き一人暮らすには静かなくらいがちょうどよかった。活気を取り戻しつつあるトロスト区に居ては、自分は落ち着けなかった。リヴァイに街のどこかで出会う事がまだ怖い自分がいた。

「(もし、私が巨人になったと知れば、あなたはどんな反応を、見せるのかな)」

 夢にまでうなされるくらいだ。自分が見る影もない恐ろしい巨人になり、彼を喰らう夢。そう遠くない未来の夢の中、自分の意志を持ちコントロールして戦っていたアニやベルトルトやライナーやジークの姿を重ね、そして最初は不安定だったエレンやアルミンも巨人化能力を引き継ぎ戦っている。

 五年の歳月の中で一部だけだった母の遺骨をようやく墓に納め、父親の眠る墓地に眠らせることが出来た。そして、家の中を改装して店にすべく片付けの作業をしていた時、亡くなる前に認めていた父親の手記を見つけたのだ。
 どうしてこんな無防備に隠す事もなく、自分なら見つからないとでも思ったのだろうか、その手記にはどれだけ彼がこの島を愛して感謝していたのか、素直な思いの丈、彼の力強い文字で丁寧に綴られていた。日記など書くような律義な性格ではない父親が、まるで自分の死期を悟っていたかのように。
 そして自分への思い、母への思いも余すことなく綴られており、ウミは今はもう居ない父親に縋るようにその手記を我が子のように抱き締め眠りについた。
 彼は敵国の人間だというのに、彼は敵国に失望しこの島に流れ着いたのだ。そして、彼はこの島を最後まで愛していた。
 そして彼は自分に託したのだろう、この巨人化薬を使って島の未来をどうか自由へ、求めていた情景を抱きながら。
 父親の遺志を継いで自らの手で思いを未来へつなげる。そう決めたウミはいずれ起きる戦いに向け自分に何が出来るのかを考えた。
 リヴァイにはもう、頼ることは無いだろう。自分の身は自分で守れる。
 自分は思うほど弱くはない、それに、自ら離れても心配して代わる代わる非番の合間にかつて共に過ごした104期生達もトロスト区から随分離れたシガンシナ区に戻った自分にはるばる顔を見せに来て成長や起きた事を教えてくれた。
 本当の壁外への調査で駆け抜けていく彼らを影ながら見守り、変わらずにリヴァイが兵士長として他の兵士達を引っ張って行く頼もしい存在である事に心の底から彼の安否を憂いそして、安心していた。
 離れている間、きっと彼はアッカーマン家復興の為に他の女性との将来を考えたりもしているのだろう。もし彼が誰かと結ばれる未来を思うと心の底から喜べるか、悩んだりもしたが、でも今はあの日々がとても穏やかな思い出としてウミを満たしていた。
 毎日顔を会わせなくなったその期間、マーレの一次調査船団がこの島に訪れ、そしてマーレからジークの命で亡命してきたと名乗った者達の存在によりこの島は守られる事になったのだ。
 瞬く間に飛躍していくこの島が長年閉じこもったことで封印されていた文明が飛躍的に向上する中で、ウミだけは変わらぬ笑顔で目まぐるしく変化していく情勢に追いつくのも大変なかつての104期達はそんなウミを慕い、輪をかけてシガンシナ区で店を始めたウミの売り上げ貢献だと名目上理由をつけ何かと騒ぐようになった。いつか彼らも飲酒をたしなむ頃になったら。ウミは健康状態が一般女性と変化ない事に安堵しつつも彼らを見守り続けた。
 すっかりこの期間で成長真っ只中の兵士達は逞しく立派に成長を遂げその成長を見守るのが何よりの喜びであったウミは嬉しく思うと同時に、もう昔の手のかかる彼らではないこと、そして楽しかった訓練兵時代を思い返してはもうあの日々は二度と帰らないことに寂しさを抱いた。
 あっという間に目線が遠くなった。そして、アヴェリアも頻繁ではないが、何かとヒストリアにと理由を付けながらも会いに来て女性一人では大変だと力仕事を手伝ってくれた。お礼をさせて欲しいと食事を振舞えばぎこちないながらも生き別れの親子は長年の空白が埋められていくようだった。

「俺もいつか、調査兵団になろうかなと思ってる」
「えぇ!? あ、あなたは、無理してならなくてもいいのよ?」
「王家の側近になるにしても兵団にならなきゃ公務中のヒストリアに近づけなんだろ? 城で毎晩毎晩ドレス着て、あちこち走り回って、見てて大変そうなんだ。で、孤児院に戻ってくるとさっきまでドレスでちゃんとしてた女王様がよだれ垂らして寝てる」
「ふふ、ヒストリア女王陛下が心配なのね」
「一応、俺を拾ってくれた人だから。産んでくれたのはあんただけど」
「……あなたを産んでくれたことは、許してくれるの……?」
「そりゃ、産んでくれなかったら今俺はここに居ないわけだし。あんたたちにも事情があったんだって、ヒストリアに言われたら聞くしかないよ。俺を産んで捨てた人間にもし会うことがあればなんて言ってやろうか、なんて思ってたのに、いざあんたをみたら……でもあんただって見かけチビで弱そうなのに、調査兵団の精鋭の一人だったんだろ。今調査兵団に志願する子供が多くて訓練兵団も試験に受からないと入れないらしいから。孤児院でも訓練兵団を目指して特訓だとか言って鍛えてる奴らも居るから俺も負けられない……」
「ち、チビで弱そうとは心外だわ……あなた一人くらいなら今でも叩き潰してやるわよ」
「それなら……俺に特訓つけてくれよ。そしたら、俺……」
「アヴェリア」
「あんた料理上手いし、優しいし、一緒に、暮らしてもいいかなって、思うよ。……たまに」

 奪われてしまった本当は幼い頃から当たり前のように築き上げられるはずだった。そんな親子の絆を取り戻すように。
 歩み寄ってきてくれたのはまだ母親が恋しい年代のまだ幼い彼。彼が自分を「母」と呼ぶことは無くても、それでも拙い言葉で自分を頼ってくれたことが純粋に嬉しく、自分の作った料理を完食して帰る小さな背中を見送りながら、アヴェリアは孤独を抱えた彼女に寄り添う様に、シガンシナ区まで足を運ぶようになった。
 そして二人特訓と言う名の組み手をしながらウミはかつて自分を鍛えてくれた父親が何故あの時必死に自分を戦いから遠ざけようとしながらも兵士として生きてこれるよう処世術を施していたのか、親の立場になって分かる親の思いにもういない両親の思いに、今打ちのめされていた。
 女を捨てて戦い続けていた自分がリヴァイと出会い彼との出会いが無ければ彼との間に子供を宿す事もなかった未来を思えば、今この瞬間は本当に心の底から自分が求めていた未来だったのだと、感じていた。
 アヴェリアの孤児院に暇を見ては定期的にリヴァイが彼に逢いに来ることも聞いた。彼も彼なりに死んだと思っていた自分の血を分けたうり二つの息子に対して、思うことがあるのだろう。
 ウォール・マリア最終奪還作戦、死を覚悟した中でリヴァイは2人でアヴェリアを迎えに行こうと話した。あの約束。今も覚えている、消え入りそうな声で死ぬなと言ってくれたリヴァイの悲痛に歪んだ泣き顔を。
 彼の泣き顔など、もうさせたくない、そう思っていたのに、自分は最後まで彼を泣かせてばかりだったと悔やんだ。
 最後に抱き合った夜、彼は思いの丈を吐露してその場に蹲り、そして、泣いた。
 声を押さえ、肩を震わせて。そんな嘆く彼の悲しみに自分はただ寄り添う事しか出来なかった。
 エルヴィンという最大の彼の戦う原動力が消えうせて、それでも、彼は今もあの日の誓いに囚われ自分がどうなろうとも最後の最後まで「獣の巨人」を仕留めるその瞬間の為に生きている。
 昔の彼に戻ったようだ。
 二人の約束は遠い過去になり、二度と果たせなくても、それでもリヴァイの面差しを宿した彼を愛おしく思う。これが最大の贈り物ならば、自分はどれほど恵まれていたことか。
 愛から愛が生まれそして、無償の愛に変わる。これが、本当の愛なのだと、彼との間に何も残らなかったわけではないのだと実感し、ウミは改めてリヴァイの望んだ平穏で退屈だった「超大型巨人」が襲来するまでの幸せな毎日を今また送れている事に感謝した。

「みんな、今日は忙しい中集まってくれて、ありがとう」

 今日はシガンシナ区に移り住んでから季節が過ぎ、そしてまた厳しい冬が巡って来た。北に比べれば雪は少ない方だが、それでも肌寒さは暖炉を使わないと温まらない。救世主の誕生を祝う待降節のこの時期は、子供だけではなく大人達も25日の訪れを待ちわび家族や親しい者達で食卓を囲むのだ。
 タイミングを見た104期のかつて共に過ごしたメンバーと、その日を狙って非番にしたサシャがいち早く駆け付け、王族となり一般市民であるこの壁の端のシガンシナ区まで問うて来れるはずもないが、ヒストリアが持たせた豪華な鶏料理や焼き菓子や酒の代わりにとアヴェリアも駆け付け、ウミの店でささやかな食事会を開催した。

「そう、エルヴィン団長も無事に埋葬されたのね」
「本当はウミも呼びたかったんだけど、一般の立ち入りは許可されてない葬儀だったから」
「いいの、元兵団の人間でも今は市民であることに変わらないから、その話が聞けただけでもう十分だわ」

 ウミが用意した料理はどれも彼女が腕によりをかけて振るった料理ばかりでほとんどサシャが食べ尽くしたようなものだった。エレンもこの一年間で髪も伸びたせいかあの「死に急ぎ野郎」と言われていた若さゆえの猪突猛進さが消えたように感じた。大人しく食事にする姿にまるで違う人間が彼に取りついているような。そんな奇妙な感覚さえ抱いた。

「ウミ、お酒は?」
「お酒は……いいかな、」
「珍しいね、あんなに飲んでたのに」
「あっ、失礼ねっ、もう私も若くないからお酒は控えようと思っているの」
「でもそうするとこのお酒はどうしたらいいんだろうな?」
「持ち帰って団長にでも飲ませようか?」
「あぁ、二人ならもうじき来ると思いますよ」

 アルミンの言葉にサシャが食事に満足したのか、うっかり口を滑らせたことに気付いたミカサがサシャの口を塞ごうとしたが間に合わず、ウミは一体何のことだと首を傾げた。
――もう二度と、重なることは無い。それでも、一生この思い出を抱いて彼を愛し続ける、その瞬間まで。そう、決めたウミには耳を疑うサシャから放たれた言葉はウミを動揺させるには十分であった。
 そして聞こえたドアの向こうからノックの音。

「俺が出る」
「お?頼もしいな未来の調査兵団」
「うるさい。ジャン」

 すっかり髪も背も伸び逞しく成長したジャンにおちょくられながらむっとしたように彼を睨むアヴェリア。おかわりを平らげ、ぎこちない動きで明らかに動揺しているウミの代わりにこんな夜更けにと警戒しつつドアを開けると。私服姿で厚手のコートで寒そうに肩を縮こまらせたハンジ、そして。もう二度と会うことは無いと思っていたその面影、二度と忘れはしない、最愛の彼の姿が久方ぶりにウミの眼前に飛び込んで来たのだ。

「ウミ……っ、」
「ハンジ、久しぶり」

 ハンジとは、アルミンとエルヴィンのどちらに注射薬を使うのか、その時に自分がアルミンを選び、そしてリヴァイに牙を剥けたことで完全にハンジとはこれまで築き上げてきた絆は断たれたのだと、ウミは思った。だからこそ、ロクな挨拶もせずにハンジも自分を追うことなく兵団を去った。
 しかし、ハンジも長い年月をかけエルヴィンが帰還し、そして自分が団長となり、エルヴィンの死の、そして背負う自由の翼の重みがどれだけのものか。心細く折れてしまいそうになりながら、いつまでも負の感情に囚われかつての仲間と仲違いのまま、終わりたくはない。本心はその気持ちで溢れていた。そして、敵国である大国マーレとの戦争の足音が迫る中で変わりだした自分達とパラディ島を巡るこの日々がいつどうなるか。明日をも知れぬ多忙な毎日の中で思い出したウミの笑顔をハンジは無くして気付いた。

「本当に、ごめん。体調はどうなの?それに、今まで顔も出さないで、ずっと。本当に。今更許してくれなんて言わない。辛いのは、悲しいのは、どうして私だけなんだって思ってしまったんだろうね」

 その言葉だけで、もう十分に伝わる思いがある。抱き合いも慣れた間柄。友と呼ぶハンジに抱きしめられるようになる形でウミは微笑み、しきりに謝罪するハンジをしっかり、受け止めた。

「体調はね、もういいの。何ともない。健康だって、経過も落ち着いてるから心配しないで、ハンジ。もう、みんな、全部、あなたは悪くない、だから悲しまないで」
「よくないよ……だって、私、君とはまともに話もしたくないと遠ざけて」
「ハンジはそうやって私を遠ざけながら、私に酷い言葉を言わないようにしてくれた。悪いのは私だよ」

 過去のことを今更蒸し返して悔やんでも、もう二度とエルヴィンは戻ってこない。そう、皆で言い聞かせ、そして彼の死を乗り越えここまで少数精鋭の調査兵団が歩んできた道のりがあった。
 その道のりの中で一人去ったウミ。彼女だけが後悔して居ないと思ったら大間違いだ。そう、ウミも共に負け戦の調査兵団のあの暗黒の時代、苦境を共に生き抜いたかけがえのない仲間だったではないか。

「ハンジに許してもらえるのなら……叶うならまたらこうしてあなたに会いたい」
「ウミ……もちろんだよ……なんなら君は特別に兵舎へ入ってもいいよ」
「そ、それは……幾らあなたの、団長の権限でも、公私混同はよくないよっ」

 ウミの口から零れた願いを受け止め、ハンジは何度も何度も頷いた。背後に居たリヴァイなどもう眼中になさそうな二人の再会を眺めながらリヴァイは会わない間に歳を重ね、歳月を経て髪も伸び一際見違えたウミを見る。

 ハンジの肩越しに見つめた穏やかな顔立ちは脳に末期の爆弾を抱えているようにはとても見えない。まるで、出会った頃に戻ったような錯覚さえ抱いた。長い髪のウミを久方ぶりに見つめて。そっと目を伏せ、自分はただ、14代目団長様をシガンシナまで送り届ける任務を終えただけで、縁も切れたウミの家に長居せずに帰るつもりだと。背中を向けようとした時、ウミは咄嗟に口をついた。今まで、呼ばずにいた彼の名前を。

 その時。確かに聞こえたのだ。野生動物並に勘の鋭いアッカーマンの血を引く二人は即座に2階のウミの居住区を見上げ耳を澄ませる。そして聞こえた声にウミも気付き、どうしたことか今度はリヴァイでもハンジでもなく、背中を向けそのまま二階へ走り去って行ってしまったのだ。

「あっ! ウミ!」
「ちょっと、何してるの、リヴァイ。あなたが早く追いかけなよ」

 少し怒ったような声でハンジや周りに急かされて2階に駆けていったリヴァイを見てミカサが髪も伸び女性らしさに磨きのかかったますます大人びた雰囲気に似つかわしくない恐ろしい顔つきで舌打ちをした。

「あのチビは絶対必ず然るべき報いを……」
「ミカサ、ちょっと落ち着いて!」
「まだそんなこと言ってたの!?」

 ハンジに背中を蹴っ飛ばされながらリヴァイは一瞬面食らったが、直ぐに、持ち直し駆け足で階段を駆け登り、ウミが入っていった部屋の扉の前にたどり着く。優しいウミの声、彼女の匂いで溢れるこの空間は彼女を捨てようとした彼にとってあまりにも毒だ。
 この扉を開けたら、何かが変わるような、そんなに気さえする。意を決して彼は扉を開けた。
 鍵のかかった部屋の扉を木っ端微塵に蹴破ってしまうほどの脚力を持つ男が、いざどこにでもある平凡な家屋に、付けられたただの薄いドア一枚を重く感じたのは隔てられたこの二人の距離だろうか。
 この地区にはもう巨人の蠢く足音も、不気味な目線も、死臭蔓延る香りもない。巨人の消えた世界を自分たちはこの手にとりもどしたのだ。

「よしよし……ごめんね、ちょっとうるさかったかな〜……もう大丈夫だよ」

 ウミはほんのりとした薄明かりの中で、誰かと話し込んでいるようだった。しかし、その話し込んでいる話し相手が見つからない。暗闇に慣れた目でゆっくりウミに近づけば、ウミの腕には黒髪の、生後暫く過ぎた赤子が、大切そうに清潔な布に包まれた状態で涙を流し真っ赤な顔で母親を求めていた。

「お前……これはいったい、どういった状況だ」
「大丈夫、この子はあなたの、リヴァイの子じゃない。私が油断しただけで「お前はそんなヘマはしない」「シガンシナ区で産み捨てられていたのを私が「嘘が上手くねぇのに、馬鹿だな」

 気付いた声に慌てたように振り向いたウミ。久方ぶりに見つめ合うお互いの姿にただ言葉は要らなかった。気まずさから慌ててその場を離れようとしたが、出口はリヴァイに塞がれ、そして言い訳の言葉はみんな彼によって撥ね退けられてしまった。

「リヴァイ。ごめんなさい……まさか、今日、あなた達が来てくれる事、思わなかったの。心の準備が、だって、私はあなた達2人に合わせる顔もないのに。ごめんなさい。ずっと、隠してた。自分がどうなってもいい、と。どうしても……この子を抱きたいと、願ったの。でも、大丈夫よ、私一人でも育てていけるから……」

 産気づいても誰にも頼らず、誰かに頼れば自分の耳にいつか届いてしまうと、先読みしていたかのように。リヴァイは、目の前の少女だった女性はたった一人きりで苦痛に耐えながら二人の間に授かった命を産み落としたのだと知る。

「どうして言わなかった、言えばもっと早くに――……」
「前に生まれそうな人を介助したことがあるから、素人判断で、危ない事をしたと分ってる。どうしても、この先を生きるあなたの負担に、迷惑になりたくなかった」

 いつの時の。もう何度も。数えきれない程に生を求め重ねた肌に冷えた心は温められ、その温もりだけがこの消えない喪失感を癒した。しかし、芽吹くはずのない命だと、彼女は泣いていた。それでも、泣いた夜をいくつも超えて、目の前の命は確かに存在している。もう二度と、帰らないと思っていた命は、目の前にあるのだと。その力強い産声は知らせている。

「どうして、お前は……」

 もし、何か起きれば彼女の抱えた爆弾は弾け、いつどうなるか分からない。最悪の心づもりはしていた。いつどうなってもいいようにと。むしろ、二人が物理的に離れたことでお互いの気持ちはより一層深まり、絆も今はお互いの全てがわかるようになったと気付いた時にはその腕には新しい命が育まれていた。

「何もかも捨てて、誓いだけを胸に、俺は「獣の巨人」を殺すと決めた。全てを差し出し、そして俺は誓いの為にこの心臓を捧げた筈だった。お前と会えばこうなる事は分かっていたのに……。どうして……! いつもそうだ、お前は俺を諦めさせてくれねぇんだよ……」

 迫る彼の気迫に未だ首も不安定な赤子を抱いたまま走れる筈が無い、この狭い部屋に二人きり、もう逃げられる筈が無かった。リヴァイはウミがこれまで一人で守ろうとした命に触れた。たくさんの人をこれまで殺めてきたその手で。そして、これからもこの手は幾度も血に染まるだろう。
 これまでに幾つもの数の命を奪い、そして、奪われてきた。母も叔父も仲間も、みんながこの手をこぼれ落ちていった。何も守れずこの背に背負った業は重い重圧となり、自由の翼は重く、自分を縛り続けていた。
 失い続け、二度と失わないようにその手を離したのに。罪悪は増え続け、孤独はより色を濃くした。もう二度と、還らない。しかし、芽吹く命は確かに存在していた。
 もうはるか昔の遠い記憶の中、凍えそうなこんな夜の陽の射さない地下はどんなに肌寒かったのだろう。密やかに産み育てた母親の面差しを今も忘れたことは無い。ケニーの遺品から出てきた母親の肖像画。その記憶が目の前の幼子に映される。ありもしない幸せがそこには確かに存在していた。
――「可愛い私の子よ。あなたは愛されて生まれてきたのよ」

 その言葉の重みを噛み締めリヴァイとウミはまるで、最初からそうであったようにあの時飛んでくる投石の雨の中交わした物より、もっと深い。腕の奥深くに閉じ込め、死に瀕した恋人が互いを名残惜しむようなキスを何度も重ねていた。
 お互いの揺るぎない本心だった。別れる事を選んだのに、近すぎて見失ったお互いの距離が離れた事で、余計にお互いの存在を浮き彫りにさせた。お互い無しに、この世界を生きるには寂しすぎるのだ。あまりにも、失ったものが増えれば増える程に。今存在する命を互いに求めていた。

「小せぇな」
「うん……そうだね、赤ちゃんだもん」
「けど、悪くねぇ……。温かいな」
「赤ちゃんだからね……暖炉もつけてたから。今夜は雪だよ」
「俺の生まれた日はこんなに寒かったんだな」
「そうだね」

 貴方の生まれ落ちたこの日は、二度と来ない何度目かの記念日になる。ちらちらとシガンシナ区にも聖なる光が舞い降り雨交じりの雪はやがて白い妖精が踊る様に舞い降りる。

「あなたは、調査兵団の兵士長としてこれからも戦い続けていく。退役した私の事なんてもう、すっかり忘れてよかったのに。私なんかじゃない。まともに子供を宿せる人とアッカーマン家を引き継いで、エルヴィンとの誓いに。生きて欲しかった、だから、言わないつもりでいたの、無事に産めるかどうかなんてわからない、だから、もし私に何か起きてもいいように、この子をヒストリアの孤児院においてもらうつもりだった、アヴェリアもそれに賛同してくれた」
「ガキを身篭ってた事を隠してやがったとはな。お前を忘れる……それが出来たら、苦労しねぇ……お前の、ウミの居ない日々に、慣れる日は永遠に来ねぇと気付いた分だけ、思い知らされたよ」

 どれだけ孤独を選び過ごした日々が遠ざかる場所で剣を振るい続けてきた。しかし、研ぎ澄ませた刃が鋭さを増しても一人の時間は余計に思い知らせた。目の前の触れた彼女にどれだけ心癒され満たされてきたのか、自らの刃の原動力の源がそれでも彼女だと気付かされるだけだった。

「一人で守ってくれたな。俺たちのガキを……二人も、ありがとう」
 最初から傍に居た。そして二度目の別離は余計にお互いの寂しさを募らせたのだ。

「いざ、お前を前にする勇気が俺にはない。こうなる事が分かってた。だからお前の顔は見ずにハンジだけを見送って、俺はトロスト区にそのまま帰るつもりだった」

 彼女を前にすると抑えきれない本能が暴走する、あの瞬間、彼女を手に入れたその瞬間(とき)から、二度と離さないと決めて。幾らでも零れ落ちた命の中で唯一、彼女だけは消えはしなかった。離れるほどその距離は近くなった。

「世界で誰よりも、お前が好きだ。ウミ」

 納得した上での上辺で、求めるだけの関係に互いに疲れ果て互いに憎み合うその前に、別れを選んだ二人を繋いだのも、この小さな命であった。
二人の間で眠る命に名前を、夢で話した記憶の中で大切そうに自分と同じ黒髪に触れて、すやすやと寝息を立てて、ウミの守り抜いた天使は寝息を立てているのに、どこか微笑んでいるようにも感じられた。

「ずっと泣いてばかりだったのに、今日はよく寝てる」

 子供には見えない力が宿ると言うが、その通りならばそうなのだろう。リヴァイが懐から取り出したのは彼女が確かにあの日投げ捨てた、彼への思い。

「それは……」
「細工したのが、兵士たちの死んだあの場所を訪れた時に、これを見つけた部下を経由して、そして持ち主の俺の手に届いた、確かに俺の名前だが、自分の名前を彫る様な趣味はねぇよ」

 指輪の裏には刻印が彫られていた。自分が彼との愛を永遠にすべく細工した、「Levi Ackerman」と。一年間の沈黙を経て、指輪はそのまま色あせることなく持ち主のも元へ戻って来た。そして、もう一度、彼の手から贈られる。

「こういう時は、泣いてもいい。ウミ。今まで、お前にばかり背負わせた。エルヴィンとの誓いの前に俺は、もっと最初にお前に誓っていたのにな。地下でお前と出会わなければ今の俺は居ない。お前を、誰よりも幸せにする、お前の親父と約束した。その約束も果たせない俺が、エルヴィンとの誓いを果たせるはずがない事にお前を二度も失わなきゃ気付けなかった俺を許して欲しい」
「リヴァイ」

 本当は、私も真実を話さなければならない。貴方とは永遠に一緒には、居られない事を。
 それなのに、口をついた言葉、今は、悪い夢のまま聞こえないふりをして欲しい。そして応えたい。私がいずれ世界を滅ぼす絶対の悪になるとしても。

「あなたの傍に、居る」

 手渡された指輪は汚れが目立っていたのをリヴァイが再度磨き上げ彼が送ってくれたあの日の輝きを閉じ込めたままだった。その銀色の風景に自分が映る。この景色の先に、自分の望んだ未来がある。そう願い、そして、ウミの手にあるべき形に全てが収められた。

「戻ってきてくれ。もう二度と、お前もガキも二度と失いたくねぇ」
「リヴァイの傍にいつも居るから……」

 その様子を隙間から見守る兵士たちの姿がある事も気付かぬ二人の間に漂う空気はあまりにも優しかった。先程までリヴァイを取り巻いていた誰も寄せ付けなかったあの空気が一瞬で塗り替えられる、それを可能にしたのは。
 そんな二人の間に生まれ落ちた命、名付けられたその名が嘘偽りなき本心で在る事、うわ言のようにその名を呟き続けていたウミとリヴァイの求めていた平穏を守る為に、リヴァイは決意した。この命を賭けて、それでも誓いを果たし、この島に取り戻す、エルディア人の未来が今後の自分達にかかっている。

「エヴァランサ。あなたの生まれた日に」

 ベッドに横たわり、間には最愛の命を。手にした喜びにそっとウミはリヴァイへ口づけを落とし微笑んでいた。彼の生まれ落ちた日に、彼の傍に、また寄り添える喜びを噛み締めて。
 階下に降りる頃にはもう誰も居なくなっていて、1人アヴェリアが食事を楽しんでいた。地下にいた時はこんな料理を食べたことは無かったと告げる彼を囲み、今まで果たされなかった「家族」としての時間を取り戻すように食卓を囲むのだった。

To be continue…

2020.12.04
2021.03.17加筆修正
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