ヒストリア奪還をかけて調査兵団と対人制圧部隊が激突し、青い静寂に包まれていた洞窟内は戦いの激しさを知らせるように儀式の間に居た三人の耳にも届いていた。
「敵が近付きつつあるようだ……急ごう、ヒストリア」
「うん……」
「んんん!!! んんん!!」
父親たちが犯してきた罪はそれぞれ異なる道筋を辿り生きてきたエレンとヒストリアをめぐり合わせた。かつての同期だった二人が今は因縁の相手となってしまった。特別なのではなかった、エレンは絶望した。この力は父親から受け継がれた者であり、自分の持つ力ではなかったのだ。
拘束された両腕の鎖を激しく揺らしてヒストリアが自分と同じように巨人化してしまうのを必死に阻止すべくエレンは必死でヒストリアに駄目だと、耳を貸すなと訴える。抜け殻の彼女は父親と再会し、自分の役目を果たそうとしている、それではクリスタとして生きて来た時と何にも変わらない、今の彼女は父親に再会し、今度は父親の為に自分を捨てようとしているのだ。
エレンの必死の叫びは猿ぐつわで遮られ届かない。それどころかその叫びさえも今までてっきり父親は自分を疎んでいたのだと暗い感情を抱いていたヒストリアは父親の期待にこたえたい気持ちもあって、そして復讐の為に姉を殺して力を奪った忌むべきグリシャの息子として姉の力を奪い引き継いだエレンを睨んでいた。
「何よ……エレン。そんなに睨んで」
「彼は自分の運命を悟ったのだよ。彼に奪われた力は在るべき場所へ帰るのだろう。ヒストリア、お前の中へとな」
「え……?」
「んんんん!!!」
「この洞窟は今から約100年前、「ある巨人の力」によって造られた。あの三重の壁もその巨人の力だ。巨大な壁を築くことで人類を守ったのだ。そして、その巨人の力は人々の心にまで影響を与え、人類の記憶を改竄した。それは…いくつかの血族を除いてだが……その末裔も他の人類も、100年前の世界の歴史を誰も覚えてない。ただ一人……フリーダ・レイスを除いては……。フリーダが持っていたものは、巨人の力だけではない、この世界の成り立ちと、その経緯のすべてを知っていたのだ。フリーダが巨人の力と失われた世界の記憶を手にしたのは彼女が15歳の時、今から8年前のこの場所で…彼女の叔父にあたる私の弟を食べた時からだ」
それは、今から約8年前の事。記憶と辿るようにロッドは娘に語り掛けた。フリーダの叔父ならばヒストリアにとっても叔父でもあるウーリ・レイス。
彼は今エレンが拘束されている場所で静かにその時を待っていた。引き継ぐのは兄のロッド。
ではなく、ロッドの娘であるフリーダだった。自分は弟との約束として「看視者」としての役目を果たさねばならないとその巨人の力を引き継ぐことを避け、娘に与えた。彼女はまだ幼い心に震える手で叔父との別れと未知の巨人の力に恐怖し、はらはらと涙を流しながらその腕に注射を打ち、叔父の前で巨人化したのだった。
巨人化したフリーダは即座にその本能に従い叔父を捕食してその力を引き継いだ。それは叔父との永遠の別れ、その光景を離れた場所から見守るロッドは何が起きてもいいようにと残した偽りの王に隠れた真の王家であるレイス一家の跡継ぎでもある子供とその妻たち。
「それが王家であるレイス家に課せられた使命であった。フリーダは「巨人の力」と「世界の記憶」を継承した。同じことが100年……何代にも渡り、繰り返されてきた」
「……お父さん?」
「……あぁ…要は……この状況だ。壁が破壊され、人類の多くの命が奪われ、人同士で争うこの愚かな状況……それらもフリーダが巨人の力を使えば何も問題は無かったのだ。この世の巨人を駆逐することもできたであろうな。彼の父親が…奪ったりすることがなければ……。今その力はエレンの中にある。しかし、この力はレイス王家の血を引く者でないと真の力が発揮されない。彼がその器であり続ける限り、この地獄は続くのだ……」
「え……じゃあ……」
その言葉にエレンの瞳が驚愕に見開かれた。まさか、そんなことが…。自分が特別だと思っていたこの力は真の王家として正当な血筋であるレイス家が持たねばその真価は発揮されないという衝撃的な事実だった。父親はそれを知らずに奪い、そして自分に託して死んだというのか……。
その時、その一部始終を聞いていたケニーがウミを小脇に抱えたままワイヤーで降りてきたのだ。
「エレン!!」
「ンン――!!!」
エレンはウミが何故こんな所に、しかも自分達を攫った敵対する人間に彼女が囚われているのか、拘束された両腕の鎖を鳴らしながらも、もがいていた。
「オイオイオイオイ……オイオイオイ……」
「ケニー……」
「それじゃあ……レイス家がエレンを食わなきゃ……真の王にはなれねぇのかよ?」
「……そうだが?」
「じ……じゃあ……俺が巨人になってエレンを食っても、意味無ぇのかよ……」
「な、何を言ってる……」
その事実に衝撃を受けるケニーに誰もが困惑する中、ケニーは抱えていたウミをその高い場所から落としたのだ。突然の出来事にこんな硬い床に叩きつけられればどうなるかわからない、とっさに不格好な受け身を取りながら、ヒストリアを止めようとした。
長い脚でつかつかと一気にロッドへ距離を詰め、ケニーは先ほど耳にした衝撃の事実に驚いたような顔をすると、突如彼の胸ぐらを掴んで、そのまま地面に足が届かなくなる場所まで持ち上げると手にしたその散弾銃をいきなりロッドの眉間へ突きつけたのだった。
「おっ……お父さん……!」
「待って、ヒストリア……!」
「離してウミ……! お父さんが……お父さんが……!」
今まで父親から受けてきた仕打ちを彼女は忘れてしまったかのように見えた。彼女は父親にその存在を消されかけたというのに…今はそんな父親を守ろうとしている。一体ヒストリアの心境に何が起きたというのか。しかし、その目に彼女は黙り込むしかなかった。
疎遠だった父親に今はこんなにも心を開き懸命にその思いに応えようとしている。其処には少しも計算や打算など無い、純粋に父を思う心で溢れたヒストリアが居た。自分ももし父親が銃を突き付けられていたら止めるだろう…。それを止めさせようとウミを突き飛ばし銃を突き付けられたロッドに駆け寄ろうとするヒストリア。銃を突き付けるケニーの顔には先ほどまでリヴァイと生き生きと戦っていた顔は消え、悲壮感が漂っていた。
この世界を盤上ごとひっくり返す大いなる夢。口にしていた夢の事を思い返していた。しかし、ケニーが描いて、そして準備してきたすべてはこの瞬間の為に、望んだ夢はあまりにもあっけなく散る。まさかレイス家の血筋でなければ巨人の力が発揮されないなんて…。
ケニーはレイス家の力を奪い自分が巨人となりエレンを喰おうとしていたが、それは叶わないと知り、そのショックをかき消すようにロッド・レイスに襲い掛かかる。
「私が……嘘を言ってると思うか?」
「いいや……この継承の儀式の瞬間だけは嘘をつかねぇハズだと思ったからこの日を待った。まったく……、俺の気持ちに気付いておきながら……散々利用してくれたもんだな。この色男がよぉ……!」
「感謝する……お前のような野良犬を引き入れたとちくるった弟の気まぐれ「それ以上ウーリを侮辱すれば……てめぇの頭が半分に減るぜ!? 俺は構わねぇがな!!」
ケニーの目は本気だ。ロッドの弟であるウーリが引き入れた事、ケニーに対してそう吐き捨てた瞬間、ウーリを侮辱された事により、ケニーの顔つきがみるみるうちに戸惑いや混乱から怒りへと変わったのだ。
かつて、その力を保持していたウーリ・レイスとケニーには何か浅からぬ因縁がある様だった。ロッドの頭を今にも撃ち殺しかねないケニーから放たれる並々ならぬ気迫、そこへヒストリアがウミの制止を振り切って銃を持っていた腕にしがみついて引き離した。
「やめろ!! 父を離せ!!」
自分の腕にしがみつくように銃を父親から遠ざけようとしたヒストリア。この男が何を考えているのか、理解もせずに今まで虐げられて来た父親を健気に守ろうとしている。その姿にロッドの本性を知るケニーはヒストリアをまるで小さな子供を扱う様に突き飛ばすと、盛大にため息をついた。
「ああああ……お前ぇはなんて哀れなんだヒストリア。もう分かっただろ? このオヤジはお前ぇを化け物に変えて、エレンを食わせようとしてんだとよ、」
「何ですって……?」
ケニーにそのまま突き飛ばされたヒストリアに駆け寄るウミはケニーが口にしたこの祭壇でこれから行われようとしていた惨劇を知る。エレンの顔を見ると、エレンも不安そうな表情を浮かべていた…。ケニーは父親を守る為に自分に掴みかかる健気なその姿に哀れむような目でヒストリアを見た。しかし、ヒストリアも負けずにウミの手を借りることなく立ち上がると、ケニーに言い返す。
「それが私の使命でしょ? ……私が巨人になって……人類を救うことがそんなに哀れ?」
「へぇ……お前の友達食っちまってお腹壊してもそれが使命だと?」
「そんなの……駄目よ! ヒストリア!」
ウミはかつての同期同士、エレンをまさかヒストリアが捕食してその力を引き継ごうとしていることに対し異を唱えた。これまでどんなに辛い時も仲間で乗り越えてきた…エレンに宿る巨人の力をめぐって争うなんて…まさか彼を捕食するのがヒストリアだなんて。
ウミはエレンの巨人化した経緯を知らないからこそ尚の事混乱した。
「そう……私はエレンを食って! 姉さんを取り返す! そして世界の歴史を継承し――……この世から巨人を駆逐する!! それが私の……使命よ!!」
「オイオイ……ヒストリア? この親父がお前にした仕打ちを忘れたのか?」
強い意志を宿し、父親の思いに応えるため、自分はエレンを喰ってその始祖の力を取り戻すと言い放ったのだ。その言葉に思わず胸ぐらを掴んだまま持ち上げていたロッドを床に落としてしまったケニーはそのまま背後からロッドの顎を掴んで持ち上げ、取り出した鋭いナイフの切っ先を口の中に押し込んだのだ。
「まずお前が生まれた理由は悲惨だったよなぁ? こいつが自分の立場もわきまえずに屋敷の使用人と気持ちいいことしたついでにデキたのがお前だった…。お前の母親はあわよくば領主の妻になれるとでも思いお前を産んだが……領民共にとっても王政議会にとってもお前は不名誉な存在でしかなかった。誰もがお前を「無かったこと」にしたかったんだ。この父親を含めてな!! だが、まさかだった! しこたまこしらえといた血統書つきのガキ共がまさか一晩でお釈迦になるとはな! するとようやくこの体のいいジジイはノコノコお前の前に姿を現した! そりゃなぜだ? 唐突に父性に目覚め、唐突に娘が愛しくなったからかぁ? いいや残念!! こいつはお前の血に用があっただけだった!! おまけに自分が巨人になりたくねぇから弟や娘になすりつけるようなクズ!! それがお前ぇの父親だ!!」
人を見抜くリヴァイの目利きはこの目の前の彼によって培われた、その通りにケニーの洞察力はロッドのあまりにも生々しい本性を見抜いていた。その事実を知り聞きたくないとヒストリアは泣きそうな顔で顔を歪める。
ケニーはロッドの口の中に押し込んだナイフを綺麗に並んだ歯に当てガチャガチャと嫌な金属音を立てて揺らした。
「もっと言やあ、フリーダやガキ共が殺されその「巨人の力」が奪われたことさえ隠そうとした!!「巨人の力」を奪われたレイス家が求心力を失うことを恐れたからだ!! こいつがあらましを白状し出したのはエレンが巨人の力を使ってトロスト区防衛戦に勝利した辺りからだ! この5年の間にしこたま消えたぜ!? 尊い人々の命がよお!! だがこいつにとっちゃどうでもいいことだ!! 家族も!! 人類も!! もちろんヒストリア! おまえもだ!! あるのは自分の保身のみ!! どうだ、それがお前ぇの父親だ!!」
ケニーはヒストリアもどこかうすうす感じていたことを鋭利なナイフのような言葉で突き付け、彼女の父親に必要とされた喜びさえも疎遠だった肉親であるロッドの本心をずげずげと見抜かれその事実に揺らぐ中、ロッドは口の中に押し込まれたケニーのナイフを渾身の力で手で剥き出しの刃を掴むと止めたのだ。
「違うぞ……ヒス……トリア……まだ……話していないことがある……私が……巨人になるわけにはいかないんだ……理由がある。他の者を……信用してはいけない……」
「へぇ――……そうなのかい」
その言葉には感情の一切を感じられない。叶えたくて、その為にこれまで色んなことをして、そうやって生きながらえてきたというのに…夢破れたケニーはあっさりロッドを解放し、そのまま床に落とした。駆け寄るヒストリア、ロッドは口の中を負傷したのか血を流しながらケニーへ呼びかけた。
「お父さん!!」
「……ケニー……今までよくやってくれた……あの時の弟の判断を誇りに思っている。お前の野望は……叶わないが…人類はきっと……平和を取り戻す。お前はもう、自由だ…他の生きがいを探して長生きしろ」
「それじゃあつまんねぇんだよ……」
そう吐き捨て、ケニーは自分が特別だと思っていた、自分だけが巨人を駆逐できる力を持っていると信じていたが、それはグリシャから受け継いだだけで、しかもその本当の力のありどころはレイス家でありこの力は他人の地から盗んだものだと知り絶望しているエレンのいる祭壇の階段を上り出したのだ。
「ケニーおじさん! 何をするの!? 止めて! エレンに手を出さないで……!」
「お前ぇはすっこんでろ! お前ぇには永遠に関係のねぇ話だ」
ウミが懸命にその背中を追いかけようとするが、ケニーは静かにその手を振りはらった。未来に、自分の運命に心底ショックを受けたのはエレンだけではない、ケニーも同じだった。まるでおもちゃを奪われた子供のように、傷ついた目をして、今のケニーは夢も希望も一瞬にして失い抜け殻となっていた。
「ケニーおじさん……!」
「ケニー……何をするつもりだ?」
「巨人になればいい。もう邪魔はしねぇよ。ただ……よ――いどん。でだ。お互いが巨人になって殺し合う。ヒストリアが勝てば平和が訪れる。エレンに負ければ……状況は変わらねぇ。舌噛み切るのも難儀だろエレン? 切り込み入れといてやるよ」
お互いを巨人化させて戦わせるために、ケニーはエレンが巨人化出来ないようにされていた猿ぐつわを取り外し、ナイフを自分の手足のように器用に振り回すと、スッ、と鋭い刃がそのまま呆然とされるがままのエレンの額に線を入れ、其処から赤い血が幕引きのカーテンのように流れエレンの顔が血まみれになった。
「寿命が尽きるまで息してろって? それが生きていると言えるのか?」
そう吐き捨てたケニーの本心だった。彼には考えられなかった。この世界で、ただ何もせずに家畜のように生きて死ぬなんて想像したくもない未来だ、しかし、どうあがいても自分は最強の力を手にすることは出来ない、ここまで志を共に自分いついて来て戦ってきた仲間達へ、そして自分の夢の為に犠牲にしてきた最愛の女性のさえも、そのすべてはこの瞬間の為だったというのに……。
呆然とするウミとヒストリアとエレン、その中でいつの間にか巨人化出来る先程の注射器を手にしたロッドはヒストリアにその注射を突き付け急ぎ大声で叫んだ。
「ヒストリア!! この注射なら強力な巨人になれる……最も戦いに向いた巨人を選んだ。巨人になれば制御はきかないが……エレンが拘束されている今ならまだ望みはある…さぁ急げ! 食うと言っても正確には彼の背骨を噛み砕き、脊髄液を体内に入れればよいのだ……!」
「そんな事……!」
エレンが巨人化する前に慌ててヒストリアに注射をさせようと詰め寄るロッド・レイスの気迫にヒストリアは圧倒され、そのまま注射器を受け取り震える手で八年前に姉がしたように自分も同じ道をなぞる様に柔らかな皮膚に鋭い注射針を刺しこむ。
「おっと、離れねぇとな」
「ケニーおじさん!?」
「あん? 巻き込まれて死にたくねぇだろ」
止めようとするウミを再び小脇に抱えたケニーはその祭壇から離れるように立体機動で天井へと移動した。
「止めて! ケニーおじさん!!」
「おじさんおじさん……、止めろよその呼び方。オイオイオイ、生身の身体でお前に何が出来るってんだよ。もうガスもほとんど残っていねぇくせに自殺行為だぞ……」
「それは……いいの! 同期同士が…調査兵団の大切な仲間同士が巨人化して争うなんて! そんなの黙って見てられるわけないでしょ!! もう私の目の前で誰も死なせないと決めた……! 離してよ!!」
「お前ぇ……」
大声で叫び、ウミは渾身の力で精一杯足掻いた。お互い巨人になって食らい合うなんて…そんなおぞましいことを未だ若い十代の少年少女にさせる訳にはいかない、どうしてヒストリアは敵対勢力である王政側、ロッド側についているのだろう、父親とは名ばかりの、ヒストリアを捨てた男が今更父親面南下するわけない。
この男はヒストリアを巨人にしてエレンから力を奪うつもりなのだ。まして、こんな広い洞窟だとしても巨人同士が争えば崩落は免れない、何とかして今すぐやめさせなければ!
ヒストリアも、エレンも、この世界には、今人間同士の争いを止めるためには何としても二人の存在が必要なのだ。自分が間に入って巻き込まれて死んだとしても、リヴァイと兄妹かもしれない疑惑が晴れようやく安堵した中で彼にこの事実を伝えたい、しかし、まずはこの世界の命運を握る2人の食い合いを止めなければならない。
歴史的瞬間の立会人ならば放棄していい、ウォール・マリア奪還という栄えある未来の為に。この命を捧げると…。しかし、ケニーはそれでも彼女を死なせるわけはいかないとその腕を尚更強いものにし、ウミを押さえつけていた。
「急げ、ヒストリア!!」
揉めるウミとケニー、その真下ではヒストリアが寒さではなく未知なる力を手にする恐怖に震えながら自分の腕に注射器を刺そうとしている。しかし、自分が早く打たねばとなる前より祭壇の上で未だ巨人化できるのにピクリとも動かず、今にも泣きそうな顔をしているエレンが気がかりで打てずにいた。
「……な、何でよ!? エレン 何で巨人化しないの!? 私が巨人化したら……食べられるんだよ……そのままだと……」
「やるんだ!! ヒストリア!!」
急かすようなロッドの言葉。しかし、ヒストリアは絞り出すようなエレンの今にも泣きそうなほど弱々しい声に動きを止め聞き入っていた。
「……いらなかったんだよ……」
「……え?」
「オレも……オレの親父も……親父が5年前にここでこんなことをしなければ……お前の姉ちゃんがすべて何とかしてくれるはずだったんだろ? オレと親父が巨人の力をあるべき所から盗んだせいで……一体どれだけ人が死んだ……? アルミンのじいちゃん、トーマス……ミーナ、ナック……ミリウス、マルコ……リヴァイ班のみんな……ストヘス区の住人……オレを助けようとした兵士……ハンネスさん……とても……オレは……償いきれない……いらなかったんだよ。あの訓練の日々も、壁の外への……夢……も……オレは……いらなかったんだ……」
涙を流しながらこの力を望んでも居ない中で引き継いだ。その罪の重さに打ちひしがれ、すっかり戦意消失したかのような声で巨人を駆逐すると息巻いていた彼の姿は何処にもない。
弱々しい声を絞り出しながらエレンはこの力を持つ自分の為に今まで多くの人たちが自分を守ろうとしたそのせいで、たくさんの犠牲者を生まれた。
その悲劇の元凶は自分の父親が犯した罪。ヒストリアの姉を殺し、そしてこんな風になり、あまりにも悲痛なエレンの言葉に、かつて同じように「いらなかった」存在として、母親に拒絶された自分の姿を重なったヒストリアの姿があった。
「なぁ……だからせめて……お前の手で終わらせてくれ。ヒストリア……オレを食って、人類を救ってくれ……あとは……任せた」
エレンは涙をボロボロと流して、自ら巨人化する事も、抗うことなく項垂れた。ウミはエレンの見せた涙とその言葉に悲痛な眼差しにケニーから逃れようと抵抗していた手を止めた時、
「もう寝ろ、お前は見なくていいんだよ……ウミ」
ケニーの銃身がウミの未だ生々しい痣が残る包帯で巻かれた細い首の側面、そこを直撃したのだ。突然の衝撃が彼女を襲い、一瞬でウミの全身からは全ての力が抜け、ケニーの腕の中くたりと動かなくなってしまった。
「エレン……あの時は…私のことを普通のヤツだって言ってくれて、嬉しかったよ」
エレンの願いをかなえるために、呼びかけるようにヒストリアは最後にそう告げ、父親と同じ血が流れている証の大きな青い瞳に涙を浮かべながら、持っていた注射針を皮膚へと刺した瞬間。突如としてヒストリアの脳内には訓練兵時代から今までずっと共にしてきた、しかし今は傍に居ない、ベルトルトとライナーと共に壁外へ行ってしまった心の支えであったユミルの姿が過ぎったのだ。
――「お前……いい事しようと、してるだろ……」
ヒストリアの記憶の中であの雪山で、負傷して虫の息のダズと共に遭難した時に見せたユミルの顔が浮かび上がる。
――「心臓を捧げよ!!!」
「何だよ……根性ねぇなヒストリア。さっさとなっちまえよ……この世界の支配者に……」
注射針を皮膚に射しこんではまだ躊躇いながら微動だにせずに色白の肌を青ざめたように冷汗を浮かべる未だ迷いがあるヒストリアの姿に焦れたようにぼそりと、夢破れたケニーは吐き捨てた。何故、今になってユミルの言葉が過ぎったのだろうか…。突然記憶の中から顔をのぞかせた記憶にその場に釘を打ち付けられ、硬直したように困惑するヒストリアにロッド・レイスが遠くから歩み寄り再度声を掛けた。
「どうしたヒストリア……怖いか? 大丈夫だ、中の液を体内に押し込むだけでいいんだぞ」
「お父さん……あの……どうして、お姉さんは戦わなかったの? レイス家は人類が巨人に追い詰められてから100年もの間……どうして巨人の脅威を排除して人類を解放してあげなかったの? 「すべての巨人を支配する力」を持っておきながら……。思い出したの。姉さんは…時々人が変わったみたいになってた……。何かに取り憑かれたように……私たちは罪人だとか言って……その後は……ひどく落ち込む、ずっと何かに悩まされているように……それは……失われた世界の記憶を継承するからなの? 初代王の思想も受け継ぐという……」
「そうだ、この壁の世界を創った初代レイスの王は人類が巨人に支配される世界を望んだのだ。初代王はそれこそが真の平和だと信じている…なぜかはわからない。世界の記憶を見た者にしか……」
戸惑うヒストリアの手をとるロッドは彼女を宥めつつ、それでも時間がないと、レイス家が持つ絶対の力を再びレイス家に取り戻すべく強行しようとその唯一の継承者となってしまった娘の背中を押し、その注射の押子に力を込めた。
「私も知っている……。王の思想を継承した父がどうであったか……弟と共に人類を巨人から解放することを願い……何度も父に訴えた……何度も。しかしそれが叶うことは無かった。理由も決して明かさない。やがて父がその役目を子へと託す時が来た。その時、私の弟は継承を買って出る代わりに私にあることを託した。どうか……、祈ってくれと。私は巨人の力を受け継いだ弟の目を見て、その意味を理解した。この世界を創り、この世の理を司る、全知全能にして唯一の存在へと弟はなったんだ。それを何と呼ぶかわかるか?我々はそれを「神」と呼ぶ。すべての災いには意味がある、人類が滅ぶ定めにあるか、生きる定めにあるかはすべて神に委ねられる……。私の使命は神をこの世界に呼び戻し、祈りを捧げることにある。説明が足りなくて悪かった……しかし、我々に他の選択肢が残されているか?」
「(選択肢は……無い……どの道、エレンの中に王の力があっても人類に望みは無い。でも、私は……姉さんや歴代の継承者のように初代王の思想に支配される)」
「祈っているよ、ヒストリア…。神は人類を導いてくれると」
「(そう……祈ることしかできない)」
――「クリスタ……。お前の生き方に口出しする権利は私には無い」
「(神を宿す……それが私の使命……)」
――「だから、これはただの……私の願望なんだがな」
「さぁ……ヒストリア、今ならまだ間に合う……」
「(そして……お父さんが望む私の姿、)」
――「お前、胸張って生きろよ」
注射器を差し込み後はその巨人化の成分が入った薬液を皮膚から注入するだけとなったヒストリアの気持ちにそっと寄り添うように、ウトガルド城の朝日を背に受けたユミルの言葉が吹き抜けた。その時。
――パリンッ……。
と、聞こえた繊細なガラスが割れる音にロッド・レイスは一瞬何が起きたのかわからなかった。そうして、地面にはヒストリアが叩きつけたガラス製の注射器の割れた破片と、巨人化する液体が水たまりを作っている。長い長い沈黙の中で何が起きたのかを理解した。なんと、ヒストリアは先ほど自分に言われるがまま巨人化の透明な薬液が入った注射器をその硬質化で出来た硬い床に手から零れ落ちるように重力に従い落として破壊したのだった。
「はっ……あっ……ああああああ!! ヒストリアァァ!!!」
ようやくレイス家に力が戻る事に安堵したロッドのその希望は娘によって打ち砕かれ、ロッドは目の前の現状に青ざめ、そのままヒストリアへと本性をむき出しに掴みかかったのだ! しかし、ロッドに掴みかかられた瞬間、鍛えられた兵士でもあるヒストリアの眼には確かに強い意志が宿っていた。ユミルの言葉、誓いにヒストリアは覚醒したのだ。
ヒストリアはそのまま向かってきたロッドの勢いを利用するように、小柄ながらもどこにそんな力があるのか、三年間培い現役の兵士でもある彼女は対人格闘術で身に着けた豪快な一本背負いで勢いよく自分を今まで遠ざけていながらも手のひらを返したように温和な態度で自分を巨人化させてレイス家の力を取り戻させようとした親父を投げ飛ばし硬質化の床に叩きつけたのだ!!!
「ぐううううっ!?」
硬質化と同じ成分で出来たその硬い床に背負い投げから叩きつけれたロッドの背骨から嫌な音がした。ヒストリアは地面に叩きつけられ呻く父親に涙ながらに自分の思いを叫んだ。
「何が神だ!! 都合のいい逃げ道作って、都合よく人を扇動して!! もうこれ以上……私を殺してたまるか!!」
そして、ヒストリアはロッドが手にしていた黒川のカバンを掴むとぺたぺたと履いていた靴を鳴らして祭壇の上で呆然とするエレンの元へと階段を駆け上がった。
「……!? なっ!?」
「ハッ、ハハハ……いいぞお前ぇら!! おっもしれぇ!!」
反抗期の化身のようだ。まさか注射器を叩き割り掴みかかってきた実の父親を投げ飛ばすなんて。ヒストリアが見せた行動にエレンとヒストリアの食い合いのギャラリーとして見物をしていたケニーが思わず笑った。
「オイッ……ヒストリア!? 何やってんだよお前!?」
「エレン!!! 逃げるよ!!」
「オイ!? お前がオレを食わねぇとダメなんだよ!! お前は選ばれた血統なんだぞ!? オレは違う!! オレは何も特別じゃない!! オレがこのまま生きてたらみんな困るんだ!! 早くオレを食ってくれ!! もう辛いんだよ!! 生きてたって!!」
「うるさいバカ!! 泣き虫!! 黙れ!!」
バッグの中に入っていた鍵の束を取り出し泣き叫ぶエレンを拘束していた南京錠に差し込み次々その拘束を解こうとするヒストリアの突然の行動にエレンは思考が追い付かずにパニックになりながらまるで幼子に戻った時のように上半身裸で泣きわめくその姿にヒストリアは叱るようにげんこつをしたのだ。
いつも何を考えているのかわからなかった彼女の叱咤と激励にエレンは戸惑いの声を上げる。
「な……?」
「巨人を駆逐するって!? 誰がそんな面倒なことやるもんか!! むしろ人類なんて嫌いだ!! 巨人に滅ぼされたらいいんだ!! つまり私は人類の敵!! わかる!? 最低最悪の超悪い子!! エレンをここから逃がす…! そんで全部ぶっ壊してやる!!」
ヒストリアの決意が、本心が叫びエレンを拘束していた鎖を解いてその凛とした声は空洞内に反響した。
「あ、ああぁ……父さん……ウーリ……フリーダ……待ってて……僕が今…」
娘からの背負い投げによって背骨をへし折られたロッドはショックで理性を失っており、自身の心のように壊れている注射器の元へとずりずりと這いつくばりながら水たまりとなって蒸発しかけている巨人化の薬液をあろうことか舌を伸ばして舐めとったのだ。
その瞬間、エレンとヒストリアとケニーの前で、ヒストリアが注入するはずだった薬液を咥内から摂取したロッドが巨大な雷が落ちたかと思えばそのまま巨大な骨格が形成され、みるみるうちに「超大型巨人」さえも優に超えるとてつもなく強大な力とこの地下施設を貫く勢いで規格外の体躯を持った巨人へと姿を変えたのだ!
2020.04.13
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