unfair love | ナノ
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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -


「01」



 忘れもしない、あの夏の出来事。私は確かに彼に恋をしていた。暑い暑い茹だるような季節に浮かれて。束の間の、逢瀬。今も感じる力強い温もりも、切ない胸の痛みも。喜びよりも苦しみだけしか残らなかった、生きていると心から実感するようなひと夏の恋。今も思い返してはどうしても忘れられなくて、消したはずなのに頭の中はまだその番号を覚えていて。
 わかってるけどやるせなくて、わかってるけど、会いたくて。思わず涙が溢れた。
 
***

 コンビニで買ったビールと枝豆の入った袋をぶらぶらぶら下げて。いつもの時間のいつもの帰り道、ピカピカに磨いた愛車をアパートに停めて2階の部屋を開けた。週末お決まりの今夜のメニュー。1人だと手の込んだものはあまり作らなくなる。金曜日の夜なのにどうしてこんなに心は晴れないのか。ビールを飲みながら思い描くのは今日のこと。

「海、おはよう、朝早くにすまないね。ちょっといいかな?」
「おはようございます、スミス課長。はい、どうなさいました?」
「来てくれ。君に頼みたいことがある」
「分かりました……!」

 朝、いつも通り仕事に行き誰よりも先に全員のデスクの雑巾がけをし、上司のコーヒーの準備をしているとエルヴィン課長が急に給湯室に姿を見せたので、朝から驚きにひっくり返りそうになった。
 話ってなんだろうと、もしかしてクビ!?いろんな不安に首をかしげながらも、海は若くして課をまとめるエルヴィンの広い背中を追いかけた。案内された面談室。腰をおろすとエルヴィンは静かに口を開いた。

「今、この会社で勤続10年以上のキャリアを持つ社員を都心のグループ会社へ集めて新たな企画を始めているのは知っているだろうか?」
「あ……はい」
「前にここから代表で選ばれた女性が出向先で妊娠したから辞めさせてほしいと急に来なくなり、そのままここも辞めてしまった。出向先からも代わりのそれ以上の人材が今すぐ欲しいとのことで、君に行って貰えないかと思って今回君を呼び出したんだ」
「そうだったんですね」

 突然の出向命令に海は空いた口が塞がらない。左遷ではないのならいいが、何故、なんの取り柄もない出世どころか無駄に勤続年数ばかり稼ぎの日々仕事をこなすだけの自分が選ばれたのか。

「問題はありませんが、ただ、どうして私ですか?私、特になんの取り柄もないですし、ペラペラの平社員ですし……」
「私が君を高く評価しているからだ。何もしない扱いに困る新人より率先して嫌な顔せず朝早く来てテーブルを拭いたりお茶を出したり、そして仕事もそつなくこなすし、何よりもタイピングが早いし、端末の扱いに長けている。気が利くそういう細かい所がサポート役に向いていると判断させてもらった。勿論、交通費やその間はアパートもこちらで手配するからそこで生活をしてほしい。この先も長くここで働いてくれるなら悪くない話だ。どうかな?」

 高卒でこの会社に飛び込んで早いもので10年は過ぎた。今まで仕事はそこそこ、のらりくらり毎日暮らせるならそれで良かった。仕事はあくまでお金の為で、仕事こそこなせば賃金がもらえてプライベートも楽しめる。そして、そのお金は美容や趣味や愛車の為に捧げ、今も働いているようなものだから。突然の上司からの推薦のような出向命令。断るなんて、今の自分にはなかった。

「わかりました、出向なら……ちなみにあの、その場所って……?」
「そう言えばまだ君は行ったことが無かったな、本社の場所はここではない県外だ」
「えっ!? 県外? ……ず、随分とまぁ、遠い所ですね……」
「君は確か、そこには友達が居るから行ったことがあると言っていたな。引き受けて、貰えるか? ただ、君も年頃だ。もし結婚を約束した相手がいるなら無理には……「居ませんよ。そんな人、私には。だから、どこへ行っても大丈夫です」

 
***


「えっ? 県外に?」
「うん、そうなの、」
「どうしてそんな急に。まさか……海、何かしたの?」
「もぅ、みんなに言われるけど何もしてないよ! 左遷じゃないからね……!」
「それならいいけれど。ただでさえここも日本列島からだいぶ北の方だ……そんな日本列島から離れた遠い場所まで海が行かなくちゃいけないの……?」
「そ、そうだね、確かにほぼ端と端くらいの距離だよね……」

 電話越しに会話するのは親友であり妹みたいな存在のミカサ。海自身もどうしてそんな所までわざわざ出向という形で応援に行かなきゃいけないのか、なんて謎だけど、福岡と言えばラーメンにめんたいこに苺。そしてもつ鍋。そう、海はサシャに負けず劣らずの大食いなのだ。福岡にはうまかもんが沢山あるばい、でなくて。それに、福岡には前に同じバンドの追っかけをしてて知り合った天使のようにかわいい博多美人のヒストリアが居る。住むところも用意してくれるなら特に心配はない。

「まぁ、せっかく行くんだから楽しんでくるよ」
「そう?」
「うん、だからそのあいだはエレンと仲良くね、」
「うん。ありがとう。海の車、私の家で預かろう」
「うん、しばらくこっちに置きっぱなしで誰かに荒らさられるのも嫌だし、お願いしてもいい?持っていきたいけどさすがに費用が大変そうだからさ……」
「あなたの為なら私は構わない」

 妹みたいな存在。だけど、20代も後半に差し掛かった海よりもずっと大人びててしっかりしているミカサとの電話を終えて、海は目前に迫る出向の日に準備したスーツケースを目にやり眠りについた。
 夢の中瞳を閉じて思い出す。朧気な海の夢の中でふと、思い出してはきっと今もこんなに胸を締め付けるのはこの思いが叶わないままだということで、今までそれなりに恋愛もしてきたが、夢の彼以上に満たされたことは未だにない。しかし、30も手前。そろそろ諦めて大人しく婚活すべきなのか、迷っていた。

「お客様、着陸体制に入りますのでリクライニングシートをお戻し下さい」
「へ!?あっ、はいいっ、」

 ぼんやりまた不思議な夢を見ていたみたい。そうこうしているうちに飛行機のアナウンスが聞こえる。そろそろ着陸体制に入るからとのことで着陸という嫌いな瞬間がやってくる。なるべく意識しないように、まもなく見えてきた福岡の景色に思いを馳せた。

 ガラガラとキャリーケースを引きながら地下鉄を乗り継ぎ博多駅に向かうとそこにはヒストリアが待っていて。暗闇でもすぐ分かる。思わず駆け寄るとヒストリアも嬉しそうに眩い笑顔で海を見るなり迎えてくれた。

「ヒストリア〜!久しぶり〜!!」
「海。うん、本当に。いつぶりかな?長旅お疲れ様」

 到着が夜になってしまい、今から用意されたアパートの案内などしてくれるはずもなく。しかし、今夜はヒストリアの家に泊まる予定になっているので今晩の心配はない。

 久しぶりの再会を喜びさっそくもつ鍋と生ビールを頼む海。これから始まる新天地での仕事に興奮や胸の高鳴りも抑えることが出来ない。アルコールもあり、海はどんどんジョッキを空けていく。そしてネタは最近の近況報告から恋の話になる。

「そうだ。ヒストリアは彼氏とかどうなの?」
「ううん、相変わらずいないよ。でもユミルがいるからいいんだ。海は?」
「そうだよね、前に紹介してもらったけど、確かにユミルかっこいいもんね。背も高いし。ああ〜私もなかなかいい人に出会えなくて」

 ヒストリアは物凄くモテるし、女神のように可愛らしいのに、はなかなかお目当ての殿方は居ないらしい。まぁ一緒に暮らしているユミルがいるから自分よりはまだ、いいと思うけど・・・世の中とはなかなかうまくいかないものだと海は思う。最近の男子は草食系男子と呼ばれるだけあって確かになかなか出会いから恋愛に発展する確率も女子から切り出さないと行動に移せない奴らが多く感じる。なかなか出会いがないことを嘆きながらも女同士、久々の語らいに笑いあった。

「じゃあお会計してくるね」
「えっ、でも!」
「いいの、いいの、私のおごりだよ」

 得意げにレシートを奪うと海はヒストリアにもう一杯飲んでなさいと甘いカクテルを飲ませるとその間、1人レジに向かう。

「お会計は8000円になります」
「じゃあカードで」

 そう言って得意げにピンク色のカードを出すと店員も当たり前のようにカードを機械に通すと、急にその笑顔を貼り付けていた顔が凍りついた。

「え……!?」
「?どうしました?」

 そして大見得きった海にとんでもないことを告げるのだった。

「お客様、恐れ入りますがこちら……カードの限度額を超えております……」
「え―――!?」

 そうだ。会社のクレジットカードなのだが、限度額を確か最低金額10万円あたりに設定していたかもしれない……そうして思い出すのはクレジットカード払いで買った車のカスタムパーツのことだった。
 それならば現金で、しかしこっちに来る際にちょうどお金を下ろすのを忘れたことに気づいたが、クレジットカードがあるからいいやと思って下ろさなかったのだ。
 完全に困り果てた海。年下のヒストリアに理由を話して立て替えてもらうしかない。なんて恥ずかしいんだ。いい大人が限度額把握しないで支払いもできずクレジットカードを持ったままレジの前で立ち往生するなんて。
 やはり、ヒストリアに素直に謝るしかない。海がレジの人に頭を下げてヒストリアのところに戻ろうとしたその時、

「こいつの分もまとめて支払う」
「え?」

 振り向くよりも先に聞こえた脳髄まで響く心地よい男の声。黒いデザインの有名会社のクレジットカードを持った大きな手か伸びてきて海は目を見開くと、後ろにいたのはいつの間にか会計待ちをしていたクール・ビズの影響でノーネクタイノージャケットの海よりは大きいが、ミカサよりは小さい男だった。黒髪の刈り上げスタイルの目つきの悪い外見に海は硬直する。どっからどう見てもその目付きにスーツとなればただの反社会的勢力にしか見えない男にビビっているのだ。

「ええっ……!そんな、見ず知らずの方に支払って貰うだなんてダメですよ!友達が居るので大丈夫ですっ!」

 小柄て細身なのに腕が太く、何とも目つきの悪い男。あとから因縁つけられたらどうしようと海は真っ青な顔で首を横にブルブルと振り遠慮するが、それをピシャリと跳ね除け男はカルトンにカードを置いた。

「いいからとっとと俺の会計と一緒に支払え。後ろの客共が待ちくたびれてんだろうが」

 そういえば。振り向けはいつの間にやら閉店間際で会計待ちの人達でごった返している。全く気付かず財布やバッグの中をあさっていた自分が恥ずかしい。最初は戸惑っていた店員もとりあえず2件分、合計5万の支払いをカードで終えた。

「あの……本当にすみません……必ずお返しますので、あなたのご連絡先を……」
「いらねぇ」
「え?」
「いらねぇって言ってんだよ。文無し女」
「えぇ――!!」

 事なきを得て、頭を何度も下げてスマホ片手に連絡先を聞こうとするとまたピシャリと跳ね除けられ、何も言い返す言葉も見つからない。しかし訂正するが決して貯金のない文無し女ではない。たまたまお金を下ろすのを忘れただけ。しかし、実際に支払えないのなら文無しと一緒か。

「出世払いでいい。じゃあな」
「え!?あの、ちょっと、出世払いって?とにかく、連絡先を……」

 傍から見たら自分たちは奢る奢られるの関係に見えるがしかし、自分たちは全くの初対面だし、何よりも……名前さえも知らないままで。海はこれまで聞いたどの声よりも特徴的な男のはっきりしたよく通る声を聞いて夢の中のぼんやりした霧が晴れて、夢の中の男の影が浮かび上がってきた。

「……あの人……?」
「海!大丈夫だった?」

 あっという間に人に紛れて街の雑踏に居なくなってしまったスーツ姿の小柄な男。小柄なのに手は大きく、捲ったシャツから見えた腕も筋が通って太く、ガタイも良く見えた。あれは夢なのか、と錯覚するほどに。
 ヒストリアが駆け寄り、一部始終を説明するも、ヒストリアもこの店には初めて来たらしく、店員に聞いても結局彼が何者なのか、一体さっきの出来事はなんだったのか、分からないまま海はひとまずは波乱万丈だった1日目を終えるのだった。
 ヒストリアとユミルの家で眠りについた海。ぼんやりとまた夢を見た。夢の中の男は、たしかに自分を呼んでいた。優しく微笑んで優しく触れてくれて。その温もりがあまりにもリアルで、初めて幸せだと思えた。これが現実の温もりならどれだけ幸せかなんて、考えなくても痛いくらいにその喜びが伝わってきた。

 
To be continue…

2018.07.30
2020.07.16.加筆修正


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