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「12」



 暗闇の中にいるような気持ちだった。今もあの夜に溺れてしまいそうになる。約束をしたのにそれでも彼に会いたいと心が叫ぶ。心が求めることは誰にも止められない。

「おい、起きろ」
「ん……」

 ゆさゆさと揺さぶる声と温もり。ジリジリした暑い太陽、差し込む陽射しに海はゆっくりと目を覚ました。

「おい、いつまで寝てやがる。さっさと起きねぇか」
「ん……リヴァイさん、どうして……?」
「行くなって言ったのはお前だろ。自分の言ったことも忘れたのかこのニワトリみてぇな脳みそは」
「あたっ!」

 ゴツンと上司のげんこつか落ちて。昨夜の夢のような熱帯夜から一転、爽やかな朝に海は朧気な思考から意識を戻す。そこに居たのは紛れもなくリヴァイで、海はゆっくりベッドから起き上がろうとしたが、リヴァイは無言のまま自分をじっと見ているから何事かと思って自分の首から下に目を向ければ自分は昨夜のまま。何も身に纏っていない海を無表情で見つめる視線に今更羞恥がこみ上げてきて、慌ててタオルケットに蹲った。

「あっ!?きゃあ!!見、見ないでください!!」
「さんざん見た。今更隠そうがもう手遅れだ。おら、起きろ、飯だ」
「えっ!!」

 昨日は弱々しく今にも消えてしまいそうだったのに、子供みたいな姿、夜と昼のギャップにタオルケットで素肌を隠しながらこそこそとリビングに顔を覗かせる海。

「すごいです! 全部主任が作ったんですか?」
「これくらい大したことねぇだろ」
「そんな事ないですよ! ありがとうございます。あっ、着替えるのであっちいってて下さいね」

 化粧をしていないあどけない幼い顔はテーブルに並んだ美味しそうな朝ごはんに嬉しそうに顔をほころばせて笑っていた。

「んん〜美味しいです」
「そうか」
「主任って仕事もバリバリ、お掃除も出来るしお料理も得意なんですね!」
「一人でやるしかねぇだろ。作ってくれる奴なんて居ねぇからな」
「え?」

 床に落ちていた服に着替え、リヴァイの作ってくれた朝ごはんを食べる海。しかし、リヴァイの言い放った一言に思わず耳を疑った。
 作ってくれるやつがいない?貴方にはかわいい彼女のペトラが居るではないか。彼女がどんな料理でも作ってくれるのではないのか?と内心突っ込みたかったが、リヴァイの口から真実を聞くまで海は自分が彼女のいる人を独占しているという罪悪感に耳を塞いだ。いちいちこんな天気のいい朝にそんなこと、考えたくもないし、惚れた弱みからか、幾らズルい男だと思っても、彼を、リヴァイを責める気にはどうしてもなれなかった。
 冷蔵庫に放ったらかしのままだったあさりの味噌汁を啜り、彼を見つめる。自分はたしかに彼に告白をした。それなのに返事もなく彼は久方ぶりの行為に震える自分を多少強引だったが、慈しむように抱いてくれた。しかし、事実をリヴァイの口からは何も聞かされていないまま。
 ただ、一昨日のリヴァイとペトラの甘い空気を、現実を目の当たりにしたのは紛れもなくこの胸の痛みが覚えている。人は辛く悲しい記憶から先に薄れるかのように、今は夢見心地でどうしてもあの日、目にしたことを信じたくなくて拒む海にリヴァイも話を切り出すことはなかった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「喰ったなら俺は帰るぞ」
「あ、そうですよね……じゃあ駅までお見送りしますよ」
「いらねぇ」
「それはいけません! わざわざ来てもらってそのままだなんて……どうせ暇ですし。ね」
「出かけてぇのか?」
「えっ!? まさか! いえ、そんな……滅相もございませ「行くぞ」
「え? ええっ!?」

 決して暇だと強調した訳では無いが海は友達も家族もいない離れた場所に一人ぼっちで。そんな時に哀れみでもリヴァイが優しくしてくれたからで。彼を好きだとかそう言う気持ちではなくて、きっと、このひとりの寂しさを埋めてくれた彼の優しさに甘えてるんだと、思う事にした。

「わぁ〜すごいです! 綺麗な港ですね……!」

 ジリジリ眩しい太陽に海の気持ちも気温も最高潮に達している。海はリヴァイに連れられて有名な港が見渡せるタワーにいた。これではまるでデートではないか。浮き足立つ海のニヤニヤは止まらない。もしかしたらペトラと付き合っているのは自分の勘違い?そんなありもしない幻想、期待さえ抱いてしまう。

「いい景色ですね」
「そうか?いつもの何も変わらない景色だ。お前のところにも港くれぇあるだろ。」
「こういうおしゃれな港ではないですもん。田舎の船がたくさん並んだ漁港ですよ?」
「俺はそっちの方が好きだ」
「え、そうですか? 都会暮らしのリヴァイさんが……田舎は不便ですよ」
「誰もいない、綺麗で静かな海でゆっくりしてぇんだよ。なぁ、綺麗な海ってのはどんな感じなんだ?本当に綺麗な海は碧なんだろう?」

 彼にも何か思うことがあるのだろうか。海についてやたらと聞いてくるリヴァイ。彼にも1人になりたくなる時があるんだろうか。遥か遠くを見つめるリヴァイの綺麗な横顔が焼き付いた。雄々しい鋭い目付き、誰よりも彼の近くにいるのは自分なのに。今は、やけに遠く感じて。

 やがて沈みゆく夏の夕方のオレンジに染まる世界で、リヴァイは横顔から一転、海と向き合った。見つめる真っ直ぐな目線、今から振られるのかと覚悟を決めるも、

「……海、この前の返事だか、俺はやはり「言わなくていいんです!分かってましたから。だから、私、リヴァイさんと最後にこうしてデート出来て良かったです。でも、もう、仕事以外でこういう風にリヴァイさんと関わること、やめます!」

 しかし、どうせ分かっていたことを告げられるほど辛いものは無い。海はまくし立てるようにリヴァイの会話を遮り喋り続けた。

「おい、いきなり何訳の分からねぇこと抜かしやがる。俺は……「いえ!いいんです。私はどうせここから居なくなる人間ですから。私も、忘れますから、リヴァイさんも忘れてください。今日はありがとうございました。また明日から上司と部下として、9月までよろしくお願いします」
「お前」

 怒ったような口調になるリヴァイの気迫に負けてしまいそうになる。またほだされてしまう。しかし、女の涙は男を黙らせるには十分の力があって。海の頬を伝うのは紛れもなく素直な海の気持ち。自称よく喋るリヴァイも悲痛な顔を浮かべ涙を流す海には流石に言葉を詰まらせた。

「だから……お願いします。私、馬鹿だから、すぐ、舞い上がったり、嬉しくなってしまうから。これ以上、期待持たせるようなこと、しないで、ください」

 涙を堪えて微笑み、一生懸命自分の気持ちを押し殺すように。決して悲しくはない、この恋は終わりなどない、なぜなら、まだ始まってすらもいなかったからだ。海は必死にこの思いを封印した。海は背中を向けリヴァイから離れるように走り出した。

「(さよなら、さよなら……リヴァイさん)」

 しかし、分かっていたが、すれ違う人にぶつかり、時には泣き顔を見られながら小走りで駆けてゆく海。後からリヴァイが探しに追いかけてくるはずもなかった。
 家に戻り、壁を殴りつけ、子供のようにあたり構わず部屋のものに当たり散らし、叫び、そしてついに泣き崩れた海。夏の始まり、それはあまりにも、苦い恋の終わりだった。
 次の日、海は三連休明けの一番休んでおきながら、何年も働いている社会人にあるまじき行動。
 翌日、無断で仕事を休んでしまった。まだあの夜も嘘だということがリヴァイの言葉も信じられなくて、ペトラと二人で一緒にいる所を見るだけで心が壊れてしまいそうだったから。壊れそうな心を保つには、恋の痛手から立ち直るにはただ、今は辛いがひたすら時間が過ぎるのを待つしかない。恋の痛手に効くのは新しい相手ではなく、ただ、今この時間が過ぎ去るのみ。海は恋を失ってようやく理解した。
 彼はきっとペトラの元へ帰るのだろう。そして、また彼女の髪を愛おしげに撫でるのだろう。

 
To be continue…



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