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「スノームーンが浮かぶ夜に」

unfair loveTIMEのその後の二人

 スノームーンが浮んだ冬の夜に。
 パジャマ姿でベランダに出て、ベランダ用に用意したテーブルとイスに腰かけながら缶ビールを手にぼんやりと見上げた夜空へただ思いを馳せていた。
 生まれた町とは比べ物にならないこの街は全く寒さを感じない。
 遠く離れたこの場所でただ思うのは彼の事。
 口寂しさから辞めた筈の電子煙草を手に、綺麗な満月を見上げるその瞳には冬の澄んだ空に綺麗に星が煌めき、視界に溶けていくようだった。
 指先でなぞる様にその月に重ねる。
 1人の夜はこんなにも孤独にさせる。
 もう二度と離れないと、何度も何度も噛み締めても、こんなにも遠く感じる。
 距離が、心からそう思うのだ。
 そして、物理的な距離が遠ければ遠くなるほどにこの広い無言の箱に一人にされた自分は時間が長引けば長引くほどにとてつもない虚無感に苛まれ、これは夢なのかと錯覚してしまう。
 あんなにも焦がれて止まなかった愛しい存在とこうして思いを通わせ合った、それだけでも奇跡だ。もしかしたら自分は一生分の幸せを使い切ってしまったのかもしれない、もしかしたらこの先大きな悲劇が待ち受けているのかもしれない。
 今見つめるこの景色は儚く消える幻想なのだろうか。
 あの夏、初めて彼の部屋に来た時、もう二度とここには来ることはないのだろうと心のどこかで感じていた景色に今、自分はこの部屋の住人としてこの部屋に一人で、まるで迷子のように今も息をしている。
 これは精神を病んだ自分の妄想の産物で、きっと自分はまだ現実を現実として見ていないのではないのかと、錯覚してしまう。
 いつまでもいつまでもこの手に鳴らないスマホを眺めても意味が無い。
 自ら手に取り震える指先でその名前をなぞる。
「いつでも連絡してこい」
 彼はそう言って旅立って行ってしまった。
 自分との将来の為に彼は出世として管理職への道を選んだ。
 わかっている、彼は決して自分を邪険にはしない。
 だけど、臆病な心は簡単に脆くもその言葉を信じることが出来なくて、疲れているのではないか、彼の負担や邪魔にならないか、重たい女は嫌われると言う巷の言葉が重くのしかかる。
 出世の為の研修で日本の首都に向かった彼の後ろ姿、頭に置かれたその手の優しさ。
 彼と別れた空港のロビー。
 だけど、見送りの時に泣きそうに顔を歪ませた自分はその顔を彼に見られないように素直に見送りの言葉を言えないままに、そっけない態度のまま彼を遠ざけてしまった。
 遊びで不在ではない彼にこうして連絡するのも迷ってしまうくらい彼に迷惑や何よりも負担だと思われたくなくて。
 未だに彼の事をちゃんと名前で呼べない、躊躇い、そして静かに1人眠りに落ちる。
 彼の香りが染み込んだ清潔な枕を抱き締めても心は癒えない。

「(眠れるわけがない……)」

 小柄ながら彼の逞しい腕の中で微睡ながら眠るのが好きだった。
 その微睡の中で組み敷かれて思う様に呼吸すらも奪われる口づけに絆されるがままにそのままなし崩しに抱かれてしまう、決して嫌ではなかった。
 行為に不慣れな自分、恋愛経験もままならない未熟な自分に大人の彼は優しく労わりながらも、自分を抱くその剥き出しの本性は紛れもなく男だった。
 今まで感じたことのないめくるめく快楽をくれた。
 最初は痛みだけを覚えていた身体は次第に彼に触れられるだけでたちどころに甘く感じるようになった。あの熱が今はもう冬の寒さに冷えてそのまま冷えて凍り付いてしまったかのようだった。

「(……来ない……いつも、私ばかり……連絡しろって言ったけど、そうじゃないの……たまにはリヴァイさんから連絡して欲しいのよ、まるで私だけがずっとずっと……好きで好きで、子供みたいに追いかけているみたいで馬鹿、みたいじゃない……)」

 愛する者と繋がらない、こんなもの。
 彼と結ばれてこの上なく幸せを感じたのはほんの数日間だけだった。
 女は愛された方が幸せになれる、友人のヒストリアがいい例だ。
 彼女はユミルに愛されているのがよくわかる、元々綺麗な顔立ちに大きな青い瞳が印象的な気品があり可愛らしい彼女だったが、ユミルとの出会いでますますきれいに磨かれ、桜色の頬はいつもつやつやしていて、愛されている幸福があった。
 しかし、自分はいつも彼の背中を必死に追いかけている。
 歩くペースの速い彼に必死について行こうと髪を振り乱し、息も荒く、まるで溺れているかのように。
 振りかぶって投げようとしたスマホは手元から滑り落ちてベッドのシーツに深く深く沈みこんだ。
 そうして我に返る。
 こんな一時の感情で自分は何をしようとしているのだと。
 同じタイミングで古い機種から新しい機種に変更した時、このスマホを買ってくれたのは彼だった。
 お揃いで買った最新機種。これを壊そうなど。
 しかし、寂しいと言いながらも待てども、待てども、彼の方から連絡が来ることはこの離れていた1か月、1度たりとも無かった。
 それが海には不満でもあった。
 自分が先に彼を好きになったから、だから彼は自分の気持ちを無礙に出来なくて本当は自分の事なんかこれっぽちも好きじゃないのかと思ってしまう。
 ただもういい年した親父だから……。
 母にも先立たれて頼る親族も叔父しか居なくて、それでまだ若い部類の自分がちょうど、たまたま。
 彼が自分に連絡をくれたことは今まで数えるくらいしか無い。
 まして、連絡をくれたとしても本人なりに若い自分に気を遣っているのかアプリに元々ついている無料スタンプの乱打や愛想もクソもないただの返事。

「リヴァイさんの……馬鹿、」

 連絡の来ないただの便利な板に溜息をつき、待ち受けに映る彼のスーツ姿。
 綺麗な黒髪、綺麗な横顔、男らしい精悍な顔つき、鋭いあの目に射貫かれるだけで身体が疼くように反応する。
 ロックを解除すると自分と彼が頬を寄せ合い幸せそうに笑う姿が暗闇の中で浮かび上がっていた。
 普段表情筋が死んでいると思っていた彼はいざこうして二人で暮らすようになると割と笑顔を見せてくれるのだと知る。
 厳しかったのは仕事の上司と部下であるから当たり前で…相変わらず潔癖症なのは変わらなくても、本当は誰よりも優しく、今まで片親で苦労したのもあるのだろう、学生時代は「兄貴」と慕われていたみたいだし、気遣いも出来自分には負担を駆けないようにと振舞ってくれていて……実の母親の死からまだ一周忌も過ぎたばかりなのに。

 海はその板を放り投げそっぽを向いた。
 そしてまた1日が終わる。
 今日も彼からの連絡はない。
 平成から令和へと移り変わっても今年も同じようにイベントは繰り返される。
 新しい時代、そして迎えた令和最初の2月14日はもう間近に迫ってきている。
 バレンタインは女にとって戦いだ。
 しかし、最近は会社の男性陣や本命相手、だけではなく、何よりも宝石のようにキラキラと輝くデザインやころんとした丸みを帯びた小ぶりなフォルムは乙女心をくすぐる。
 そのチョコレート達の可愛らしさに惹かれるように、女性達は他人の為ではなく、何よりも自分へのちょっとしたご褒美と、この時期にしか手に入らないにチョコレートをこぞって買うようになっていた。
 ときめく有名ショコラティエによる今年の祭典。
 そのパッケージやデザインに惹かれ、誰よりも自分へのご褒美用にとチョコレートを準備する。
 その会場内。
 海は勤め先のケーキ屋のパートの仕事を終えると、同じく仕事上がりの友人のヒストリアと駅で待ち合わせをしていた。
 相変わらずナンパに絡まれている彼女を助けながら会場である駅から少し離れた百貨店七階へ向かう。

「ヒストリアは離れると駄目っ」
「あっ、ごめんね海」
「もしヒストリアに何かあったらユミルが悲しむから……」
「海、」
「ね、だからお手手つなぐの、さっ、行こ行こ」

 はぐれないように、仲良く手を繋ぎ向かうのはインフルエンザ流行中の中人でごった返す女の戦場。
 お互いの愛する恋人の為のチョコレート選別と言いつつ、それを名目にあちこちのショコラティエのチョコレートの試食を楽しんでいた。
 中でも今年の目玉商品は80年ぶりになる新フレーバーであるルビーチョコレートだ。
 その名の通りうっすら紅色のそれは食べる前にその見た目の可愛らしさで女性たちを虜にしていた。
 こんなに可愛いチョコレートを男性だけが楽しむなんておかしい。
 女性たちは最近男性よりも自分自身へのご褒美としてチョコを購入するようになっていた。

「わぁ〜美味しいね〜これがルビーチョコレート!」
「うんっ、このチョコ初めて食べたけどおいしい! 見た目もピンク色で超かわいい…!」
「今有名だもんね、私、ユミルにこれにしようかな?」
「ユミルって見かけによらず甘いもの好きだもんね、」
「あっ! 待って! 海! あれ、ピエール・エルメのマカロンしかもバレンタイン仕様だよ!」
「ほんと!? うわぁああ〜可愛い〜箱もおしゃれ! 欲しい……私用に買うっ!」
「あっ! あっちは月9とのコラボチョコレートだよ!」
「本当だぁ……うわああ……可愛いねぇ、どれもこれも欲しくなっちゃうよっ、お金足りるかなぁ……!」

 サロン・デュ・ショコラの歴史はフランスで始まった。
 そして日本にも上陸する成り百貨店の会場内はチョコレートを買い求める女性客達で溢れ返り、溢れるその熱量は海が着ていた薄手のカーディガンですら暑くて脱ぎたくなる程だった。
 暖冬の影響で毎年着ているのに今年は未だにクリーニングの袋から出さないまま役目を終えそうな厚手のコートの代わりに薄手のコートを着た、金色の流れる髪に愛らしい空よりも青い瞳をした誰がどう見ても美少女のヒストリアと、そして、雪国育ちでまだ温暖なこちらの寒さを寒さと感じない海。
 季節は節分を過ぎたからもう春だと言わんばかりに季節に逆らい薄手のカーディガン姿でディスプレイされているチョコの試食を受け取りプラスチックのフォークに突き刺してある生チョコを頬ぼっていた。
 そんな薄着の海を心配したヒストリアが声を掛ける。

「海、寒くない……?」
「えっ?? 寒い? 嘘でしょ? むしろここ暖房効きすぎて暑いくらいだよ……チョコレート溶けちゃいそう」
「そ、そうかな……でも風邪も流行ってるのにそんな薄着で……」
「大丈夫だよ、寒くない、だってこの時期なら私の住んでる地域もうマイナス行ってるよ?こっち気温二桁じゃない! 真夏だよ!」
「そ、それは……」

 そんな装備で大丈夫かと言いたげなヒストリアに、そのセリフが流行った某ゲームの大丈夫だ、問題ない。とでも言いたげな海はマカロンで有名な高級チョコの試食を終えて早速そのマカロンを購入していた。
 危うく完売になる手前で何とか買えたのは運が良かったとしか言えない。
 てっきりそのマカロンは海の愛するお世辞にも人相の良くないあの小柄な彼と半分個して食べるのだろうかと思っていたヒストリアの前には、ピエール・エルメのロゴの入った紙袋が差し出されていた。

「これはヒストリアとユミルに、二人で仲良く食べて、ね?」
「海……ありがとう。わざわざそのために今まで選んでてくれてたんだ……あれ、それじゃあ、リヴァイさんのは?」

 ヒストリアとユミルには夏の時期お世話になったからと、友チョコだと嬉しそうに微笑む海の姿。
 昨年の夏、苦しい恋に溺れていた彼女が見せた今、何よりも幸せそうなその笑顔に、彼女はもうすっかり立ち直り、それどころかその彼女が精神衰弱するまでに恋をした愛する彼と今ではその恋が実って幸せに、住み慣れた街を離れて今こうしてこの五大都市のひとつであるこの大都市の片隅のマンションで一緒に暮らしているのだから友人として影で奔走していたヒストリアは嬉しくあり、微笑んでいた。

「えっ、と……リヴァイさんのは、手作りしようかなぁって思って……」
「そうだったんだね、」

 ぽつり、そう小さな声で呟いた海は耳まで真っ赤にしてそう呟いた。手には全国で有名な焼酎入りのチョコの紙袋を持ちながら恥ずかしそうにつぶやいた。
 そうだ、これが二人にとって初めてのバレンタインなのだ。

「リヴァイさん、もうすぐ帰ってくるね……」

 会場を後にし、海はエレベーター近くの百貨店の9時開店を知らせるカレンダーを見つめてため息をついた。
 こうして思いが実り、田舎化からはるか遠くの日本列島から離れたこの土地でようやくもう離れずに彼と暮らせると思っていた安堵はすぐ粉々に打ち砕かれる事になる。
 彼は自分には楽をさせたいと、今まで蹴っていた昇進の話を受け入れたと告げ、その為には日本の首都で出世の為の研修があるらしく、それに1か月間参加して試験を突破しなければならないと告げた。
 一緒に暮らし始めてまさかこんなにも早く彼と離れ離れになるとは夢にも思わなくて…。
 自分の為だと理解しつつも海は突然まだ慣れないこの都会で一人になる事に対して不安を抱いた。
 実家に帰ってもいいと言われたが、待つと決めたのは自分。
 心配だからと彼の叔父も駆け付けてくれたりしつつヒストリアとユミルを呼んだり、独りぼっちの海を周りがフォローしつつ何とかここまで一人でやって来た。
 しかし、心配ではないのか、彼からの連絡は一切なかった。
 確かに彼は連絡していいと言った。
 そして、いざ連絡すれば遅くは成りながらも彼は応えてくれた。
 しかし、電話越しの彼の声は明らかに疲れていたし、フェイスタイムをしてもその顔は日に日に疲弊しており、そして次第に海は彼に遠慮して連絡をするのを控えるようになっていった。
 朝から晩まで研修に明け暮れる彼に電話をしたり、メッセージを贈りつけたり、土日なら…と、内心何度も何度も会いに行こうかと考えたりもした。
 だけど、……彼は遊びではなく仕事で東京に居るのだ、自分との将来を考えて出世街道に乗り始めた彼の負担にはなりたくはないと、海はどうしても躊躇う事を重ねていた。
 しかし、自分が連絡を控えたからと言って男から連絡が来るかと思えば決してそうではなかった。
 そうこうしているうちに、まるで冬の寒さの厳しさが増すように自身に向けられた彼の愛情が本当に自分だけのものなのか、孤独の時間は恋愛に臆病な海をより臆病に変えてしまったのだった。
 彼の顔を見れば、声を聞けば、安心するのだろうか。
 ため息をひとつ重ね、冷蔵庫のカレンダーの日付に赤いマジックでバツを付けて、指折り数えながら海は彼の帰還を待ち続けた。
 一人の夜は孤独を誘う。彼の居ない無駄に広いクイーンサイズのベッド。
 他人の触れる温もりをあまり好まない彼が甘えるように縋りつけばそれでも拒むことなく彼の温もりに包まれそうして満たされた。
 しかし、今はもう欠片もその温もりを思い出すことが出来ない。

「(眠れない……)」

 その日の晩、いつものように風呂を済ませ、独りぼっちの晩餐を終えるとベランダでしこたまビールを飲みながら今日自分用に買った焼酎入りのチョコを口に運び噛み締めていた。
 ヒストリアが友チョコ返しだとくれたドイツの有名なチョコレートはビール入りでそれはリヴァイが帰ってきたら食べようと思っていたところだ。
 そういえばドイツは日本とバレンタインデーの風習はどう違うのだろうか。
 彼に聞かなかった、いいや、聞いたとしても彼は帰ってこないのだから。
 ベッドに横になりながら彼の枕を抱き締める海。
 鼻腔一杯に吸い込んだ香りに彼の面影を探しつつなんとか微睡の中で寝ようと思いながら目を強く瞑るが、眠気が全く襲ってこない。
 自分と同じシャンプーの香り、清潔な石鹸が彼らしい。
 彼の居ない夜、広いベッドは嫌でも自分が一人だと思い知らされた。
 何度も何度も寝返りを打ちながら海は暗い天井を見つめた。
 このベッドで彼と眠れたのは何回くらいだっただろう。
 彼が出張で居なくなるまでの間にこのベッドで抱かれたのは何回くらいだっただろうか。彼の部屋に初めて上がった時の事が今も忘れれられない、あの時はお互いに酔っていたが、それでも思考はクリアだった。

「(リヴァイさん……)」

 未だ快楽に不慣れな自分は彼によって忽ち順応に感じるようになってきた。
 彼とこうして付き合うまでほとんど友達の延長戦のような恋愛ばかりだった。
 最初は痛みと得体の知れない不快感ばかりで、自分は不感症なんじゃないかと思った。
 しかし、それは杞憂に終わる。
 大人の男性でもある彼の巧みなテクニックで次第に痛みを忘れて、そうして自分でも理解できなかったこの身体はあっという間に彼によって掌握され、どこがどう気持ちいいのか、ちゃんと伝えられるようになっていった。言葉足らずの自分が彼の温もりの中で
 彼は自分から言葉を引き出さなくとも身体に尋ね、そして暴いていった。
 彼に触れられた身体はもう彼なしでは生きていけない、
 最初は痛みだけ、しかし、今はもうその痛みの端さえ思い出せない。
 つまり、身体の相性は全く問題ない。
 むしろ、初めて彼に抱かれたあの雨の日の夜が今も忘れられないくらいに…良すぎて、骨抜きにされたのだ。

「っ……んん……!」

 そう思うと下半身の、彼をいつも受け入れて愛されて居る其処が鈍く疼いた。
 ネットでいつも購入している新調した下着を試しに着けたのだが、サイズが合わなくて驚いたのは言うまでもない、この半年で痩せたり太ったりしたが胸のサイズは大して変わっていないと思っていたのに。
 彼に愛された部分が熱を持ち、そこからズクズク疼くようだった。

「(違う……でも……どうしよう……)」

 自分は変態なのではないかと、異常ではないかと不安を覚え、その葛藤の末、耐えきれなくなり、こっそり触れてみた…。
 しかし、其処は何の反応も示さない。
 いつも彼が触れる時には臀部まで伝うくらい潤いに満ちているそこは今は乾いて硬く閉ざされ、触れてみようものならヒリヒリと痛みを伴いながら海を拒んでいた。
 サイズの合わない下着を無理やりずらしてレースに包まれた下着から零れた胸の飾りに触れるが、自分の身体なのに、身体自身が自分という存在すら否定するように冷たい冬の空気に晒されただ、硬くなるだけだった。

「(こんなことして、馬鹿みたい……全然何も感じない。痛いだけ……)」

 もしかして離れていたこの一カ月の間に彼の感触を忘れてしまったのかもしれない。
 彼が触れたように触れてみるのに全く気持ちよさを感じない。
 馬鹿みたいだ、一人で彼の居ないベッドで慰めるなんて。
 海は乱した服も直さずにそのまま眠りに落ちた。

 ***

 東京から始まり、やがて終点であるこの駅に新幹線が着くと自分と同じスーツ姿の会社員や旅行客などが持っていた荷物を慌ただく手に一斉に降りていく。
 ようやくついたか、飛行機なら一発なのに新幹線での移動は長い長い旅だった。
 お陰でずっと座りっぱなしで揺られて尻が痛い。
 本社に居たが、自分の今居る支社でトラブルが起きたとのことで予定より前倒しでの帰還となり男は缶詰ですっかり疲弊した顔をうんざりしたように歪めていた。
 あっちは寒く、筋肉質で皮下脂肪も体脂肪率も一桁のしか無い常人よりも寒さが大の苦手な男は着込んだことを後悔するほどこの住み慣れた都会は今年は異常なほど、例年以上に温かいと感じた。
 他人と暮らすことなどこの先永遠に無いと思っていた男を変えたただ一人の存在。
 彼なりに大切にしたいと思える女との出会い、海を招き、こうして二人で暮らし始めてから他人との暮らしは神経質な彼にはストレスにもなるが何とかうまく付き合いつつ、独身貴族街道まっしぐらだった男・リヴァイの生活は激変した。それは良い方向へと真っ直ぐに向いて。

「(連絡して来いって言ったじゃねぇか……)」

 舌打ちをしながら男はスマホをコートのポケットに突っ込み、また無意識にため息が漏れた。
 今日は移動だけで疲れた、日本列島を半分以上横切って来たのだから当たり前だが余計にその疲労は濃い。
 しかし、自宅のあるマンション行きのバス停へ向かう足取りは不思議と軽く感じた。
 清楚なワンピースにエプロン姿がよく似合う年下の可愛らしいお嫁さん。
 家に帰れば玄関のドアを開けていつも嬉しそうに迎えてくれる海が居るからどんな仕事も頑張ろうと思えたし、他人と暮らす事は未経験のお互い同士気を遣い、潔癖な自分のために毎日掃除を徹底して頑張る海を養って行きたいと思った。
 しかし、海はそれを良しとしなかった。今まで片親で苦労してきたからなのか、海は自立心が強く、リヴァイの収入を宛にした自由きままに旦那の給料で昼間はママ友とランチや趣味にと勤しむ専業主婦のままは嫌だと、世の女性が聞いたら羨ましい生活を与えてくれるリヴァイに対してそれは申し訳ないと告げ、せめてフルタイムが駄目ならパートタイムでと許可をすれば海はすぐにケーキ屋の売り子の仕事を決めてきた。
 母の死に際に海を見せてやれなかったことは男にとって一生の後悔だった。
 そう遠くはない近い未来、そんな海を生涯の伴侶にしたいと生まれて初めて男は身を固める決意をした。
 結婚したら次に望むのは2人の間の可愛らしい赤ちゃん。
 きっと気立てもよくおっちょこちょいではあるがお互い片親同士経験してきた苦労も分かち合える。
 出来れば子供は愛想のいい海に似て欲しい。
 そうすればきっと彼女のように愛らしい子が生まれるに違いない。
 自分に似て表情が乏しい不愛想な子供が生まれたらそれはそれで彼女の父親も叔父も悲しむからそうであってほしい。
 彼女が頑張って働く姿を見て、自分も負けてはいられない。
 年上の甲斐性を年下の恋人に示さなくては男としてどうなのか。
 今まで昇進を蹴り続け無難なポジションを維持していた男も負けずに働き、以前よりも部下に鬼と呼ばれながらも激を飛ばし、そして責任を負うのは面倒だからとずっと避けてきた昇進の話も受け入れ、その為に必要な資格試験を受けることも決め、一カ月も居られるかと前倒しでようやく合格し、自身の部署のトラブルにかこつけて帰還した。
 昇進してからきっとこれから帰りが度々遅くなりはするか、それでもいつも笑顔で迎えてくれる海の優しい声を心待ちにして。
 しかし、どうしたことか。今自分で鍵を開けた部屋は温もりも優しい声も感じない。
 海だけが居ない。
 まるであの夏に戻った時のように、海の居ない冷たい部屋で男は佇んでいた。

「海?」

 もう夕方だが。
 パートが長引き遅れているのだろうか。
 ふと、あの自分の誕生日の日に幾度も愛を交わした愛しい存在を形成する名前を口にしても、日も長くなってきた春に近いこの季節、真っ暗な部屋からは何も聞こえない。
 まるで1人の時に戻ったような、そんな錯覚さえ男に抱かせ、リヴァイは呆然と玄関に立ち尽くしていた。
 海が自分よりも仕事が遅くなるなんて…そんなことが今まで無かったので、リヴァイはたまらず海が仕事の途中で何かあったのか、不安でたまらなくなった。
 パートタイムで働いているのに?何故居ない、まだ帰ってこないのか。
 ソファにどっかりと腰かけリヴァイはスーツの上着を脱ぎシャツにベスト姿でカップル専用のメッセージが送れると息巻く海に促され登録したアプリを起動して頻繁に連絡をくれていた海が突如連絡を寄越さなくなったことに対して何か起きたのかも何となく聞けず、目の下のクマが濃くなりただ拗ねてるウサギのスタンプを連打した。
 荷物はあるし、靴も残っている。
 ……よからぬ犯罪や事故に巻き込まれていなければいいのだが。

 ***

 バレンタインデーのケーキ屋は意外にも混んでいた。
 しかもまだインフルエンザの猛威が振るう中で海は定時になっても帰れる雰囲気ではないとなんとなく察してそのままケーキ屋で愛想を振り撒いていた。
 そういえば故郷でケーキ屋を営む父親も確かバレンタイン用のケーキを売って儲かっていた気がする。
 クリスマスケーキのイベントを終えたパティシエもこの時期繁忙期のショコラティエに便乗したのだろうか。店頭に出てチラシを配り、何とかチョコレートを売り切り海は急いで帰る。

 たまたま震えたポケットの中のスマホを見て驚いたのだ。
 この一カ月マトモに連絡も電話もくれなかった彼からのメッセージ。
「今着いた、どこにいる?」
 と
 彼の顔面からは想像もつかないそのスタンプに彼が戻って来たのだと飛び上がる勢いで喜んだのは言うまでもない。
 急いで走りバスに飛び乗る。オートロックの解除ももどかしい、早く彼に会いたい、海は嬉しくてたまらなかった。

「リヴァイ! ごめんなさい! 遅くなりました。お腹、空きましたよねっ?」
「遅くなる時は連絡くらいよこせ。」
「ご、ごめんなさい……バレンタインデーのキャンペーンで忙しくて……っ、」

 買い物袋をぶらさげ、スリッパを鳴らしてバタバタ帰ってきたのは愛妻の海。髪にまで染み込んだ甘い香りをふわふわと漂わせ、コートを脱ぎ捨てると慌ててキッチンの前に立ち、大急ぎで買ってきた食料品を並べ始めた。しかし、脱ぎ捨てたコートをハンガーにかけている彼女の全身をよく見れば働いているケーキ屋の服装のまま……しかも。

「おい、なんだその格好は、何処の痴女だ」
「あっ、」

 ふ、とそう言われて気づく海。そうだ、
 焦っていたのかそのまま私服に着替えずに制服のまま帰ってきてしまったのだ。
 白い清楚なフリルブラウス、しかし…コート共に脱ぎ捨てたのかエプロンスカートも脱いでそのブラウス一枚だけというあられもない姿でエプロンを身に着けキッチンに立っている。
 小柄なのか、制服が大きいのか、履いている下着は見えないが、触れば沈み込み柔らかそうな太ももの真ん中まで惜しげもなく晒されている。元々日本海側の雪国育ちで色白な海の肌に映えるその清楚なシャツ1枚の姿を目の当たりにし、リヴァイはため息をつくとそのまま黙り込んだ。

「おい、海よ……俺の居ねぇ間その格好でウロついてやがったのか?その格好で宅配便の荷物やらケニーと過ごしたのかよ」
「あっ、違うんです…! 今日はたまたま…だって、リヴァイさん今日帰ってくること知らなくて…!」

 普段も家事をする時などエプロンは身に付けているが、その制服姿はまた違ったギャップを男に抱かせる。

「ったく(疲れて寝てぇが……こいつはわざとなのか、それとも誘ってやがるのか……)」

 1ヶ月にわたる研修の疲れと、海が傍に居なかった、まして連絡も一切なかった中で自分から連絡も出来ずに居たのはリヴァイも同じだった。抱いたその不安と、そして、露になったシャツ1枚姿の海。
 長い髪は緩やかにギブソンタックに纏められており後れ毛と項がチラチラ見えるのもまたいい。

「リヴァイさん、今日のご飯砂肝のネギ塩煮込みでいいですか…?」
「ああ、軽く摘まむ程度でいい」

 わざと海の背後に回り込むように。リヴァイは冷蔵庫の中の水出しのアイスティーを飲みながらそのグラスを海の真横のコップスタンドから取った。
 キッチンに立ちいつもの様に野菜を刻み料理を始めた海を目線は後ろから舐めるように見つめていた。
 自分の為に一生懸命包丁を手に料理を始めた海。慣れた手つきで野菜を刻み、次々鍋に放り込んでゆく。後ろから覗き込むリヴァイの眼差しに気がつくと海は恥ずかしそう微笑み、また前を見た。
 しかし、リヴァイはその笑顔を見て何を思ったのかそのまま近づくと彼女の臀部を後ろから掴んだ。

「ひぁ!? ちょっと!  リヴァイさん、あんまりジロジロ見な……!」

 近い。異様に顔が近い。
 間近に迫る死んだ三白眼に射貫かれ思わず間抜けな声が出て、海は目の前にある彼の精悍な顔つきが近すぎる事に驚いたように持っていた包丁を落としかけた。

「海」
「リヴァイさん、どうしました?あの……っ?」

 突然眼前のリヴァイの姿にパニック状態になる海。
 1ヶ月離れていたから尚更久しぶりの再会で緊張しているのにいきなりドアップで迫られるのは心がもたない。
 急に声を掛けられ、振り向いた時眼前に飛び込んできたリヴァイに驚いた海はあっという間にリヴァイに思考を奪われた。
 項に突然触れた唇の柔らかな感触に驚き華奢な肩が跳ね上がる。
 ふわふわと揺れる後れ毛がリヴァイには酷く扇情的に見えた。

「そんな格好をしてるお前が悪い」
「ん…んんっ!」
「甘ぇ匂いがするな」
「それは……んっ、」

 そうして肩を抱かれ、振り向き様にリヴァイの薄い唇が重なる。その咥内を楽しむような彼から送られたキス。
 まるでその先を促すような深い深いキスに思考が奪われ、足元もふらつく。
 しかし、ガッチリと抱き込んだシャツを腕まくりした
 その太い腕に支えられ抗うこと等許されない。

「ん、っ……ふ、……ぁう……っ」

 甘く、深く、海の底に沈むようにそのキスがどんどん深まる、微かに海の香水の中に混じり香る甘い香り。
 対面式のキッチンなのでリビングに居た自分からは見えない、よく見れば自分に見えない場所で海がつまみ食いしていたチョコレートの残り香。
 しかし、それは売り物とは疑わしく歪な形をしている。

「俺が腹空かして帰ってきたのにお前は遅くなった挙句つまみ食いとはいい度胸じゃねぇか……」
「あ、ごめんな、さっ……そ、それは……あの、リヴァイさんには、手作りのあげたくて…でも、失敗してしまって……」

 そうしてしどろもどろになりながら海はピエール・エルメのマカロンチョコを自ら再現しようとしていた事を打ち明けた。
 しかし、マカロンは実際に自分で作るとなるとかなり難しい。メレンゲで出来ているから作るまでも手間がかかるし、何よりも温暖なこの地域でその気温にまで、気を配らなければならないのだ。
 そうこうしてるうちに、結局奮闘しながらも今日も失敗してしまったので結局全部自分で食べて消化するしかない。
 時間も材料費も勿体ない。
 それなら大人しく最初からクリスマスケーキと彼の誕生日ケーキと同じようにプロである父親に送ってもらったものを渡せばよかったのだ。
 しかし、それでも自分の手で作ったチョコを彼に渡したかった。甘いものはどちらかと言えば苦手な彼の為に。
 それに、初めてのバレンタインだからこそ。

「ああ、だからいつもの香水以上に甘ったるい香りさせやがってたのか…」

 呷るようにグラスのアイスティーを飲み干し、空になったグラスをコン、とキッチンのシンクの隅に置くと、リヴァイは臀部を撫でまわしていた手をそのまま上へ上へと辿るように海の背中をなぞっていく。
 1人で触れても何とも感じなかった筈なのに……彼に触れられたこの身体はゾワゾワと身震いを覚える。

「お前はそのまま料理してろ、俺が勝手に触るだけだ……」
「っ!」

 そうしてリヴァイは一か月前に触れた時以来の愛する女の恋しい素肌を求めるように料理を続けさせる気なんかさらさらない状態で触れ始めたのだ。

「っ……連絡、くれなかった……」
「あ?」
「あっ……わた、し……ずっと、待ってたのに……」
「何かあったらいつでも連絡しろって言ったじゃねぇか……」
「いつ、も……私、ばかり……」
「海……」
「っ、」

 スルスルとエプロンの脇から伸びてきたリヴァイの武骨な手が海の膨らみを包む。

「あっ、リヴァイ……さん、」
「いいから、さっさと作れよ、飯だ。腹減ってんだよ」

 何が料理に集中しろだ。
 これでは気が散って料理どころじゃない。
 普段あまり食欲も睡眠欲――……いや、目の前のこの男は3大欲求全てにおいて飢えてなさそうな男が腹が減ったと言うなんて珍しい事もある。
 しかし、この男は三大欲求のうちのふたつを同時進行で満たそうとしているようだ。
 シャツ越しに両胸の感触を確かめるようなリヴァイの手つきに海は下半身の奥がキュンと切なく疼くのを感じていた。
 いつも彼に抱かれる度に突かれるソコが反応するように。
 真面目にまな板に向き直って包丁を手にじゃがいもの皮むきに取り掛かる。
 しかし、

「ひ……!? あっ……」

 それは突然だった。
 ブラウスと下着越しにリヴァイは狙ったように海の柔らかな両胸を感触を確かめ、持ち上げてそのまま転がしながら胸全体を愛撫し始めたのだ。

「んっ、……ああっ!」

 急に両胸を好き勝手に揉みしだかれ、たまらず腰が浮く。しかし、背後から抱き着きそのまま覆い被さるように自身を腕の中に閉じ込める男はすっかりこの雰囲気に呑まれている。

「海……俺は、この1ヶ月ずっと思っていた。お前を抱きてぇ、それだけだ」
「っ……、」
「ああ、お前は本当に酷い奴だ…なんでわかってくれねぇんだよ…言葉にしなくても分かることを言葉にするのなんて、そう簡単に出来るかよ…」
「え?」

 背後から抱きすくめられ、そうして彼の硬い胸板からはこの雰囲気に高まった彼の心臓の音。

「疲れてると無性にお前を抱きてぇし、年甲斐もなくたまらなくなる……お前の事を思うだけでこうなっちまう……いい歳した男がこんな……みっともねぇ…」
「リヴァイ……」
「この研修はいい歳したオッサンしか居ねぇ。そんな群れの中で俺からお前に年下の女に会いたい、寂しいなんて連絡できるか……そんなのサムいだけだろ……」

 胸を揉む手を止めずに突然どこか落ち込んだように事を言うものだから海は思わず普段見せない彼の姿に吹き出しそうになる。
 会いたい、寂しい。
 口にする彼のそんな姿を。いつもスーツを着こなし真面目に仕事をしている彼が内心そんな風に頭の中で思っているなんて。

「オイ、笑ったな。毎日連絡出来るわけねぇだろうが……分かれよ、馬鹿野郎」
「リヴァイさん、可愛い……」

 堪らず口にしたのは年上の彼に言ってはいけないランキングに入る言葉だった。

「あ? 可愛い? どの口がそんな生意気言うようになったんだ?」
「っ!」

 その通りに。彼のNGワードだったのか。
 リヴァイの顔つきが険しいものに変わる。

「お前は……何かあったら連絡してこいって言ったのにそれでもまだ俺を信じられねぇのか」
「っ……違い、ます……」
「俺はな、……言葉選びが上手くねぇんだよ……」
「それは……知ってます……」
「知ってるなら何がお前をそんなに不安にさせる? 去年の夏の話か?」
「違います……ただ、」
「何だ、はっきり言え。嘘をついたらお仕置だ。 」
「……そっ、それは! 私、ばかりが連絡してるのが……不安で…リヴァイさんがこんな風に寂しがって居たなんて知りませんでした……」
「何だ……そんな事かよ」
「っ、だって……リヴァイさんには、分からないですよ……好きになったのも、こうして私が精一杯の勇気を出してあの時、部屋に呼んだのも……」
「あ?」
「リヴァイさんは……私の事……」
「オイ、待て待て」

 言葉足らずで不器用な男は頭を抱えていた。
 言葉で上手く伝えられない、しかし、女は言葉を望んでいる。
 何故、不安になる。
 自分はこんなにも目の前の海に溺れているというのに。

「これ以上俺を恥ずかしがらせて…後で覚えておけよ、伊達に年は食ってねぇ、それ相応の仕返しは覚悟出来てんだろうな」
「えっ、」
「俺は、大事な言葉は一生のうち一度しか言わねぇ……お前は恋愛映画の観すぎだ。俺がロマンスや歯の浮くようなセリフを言えるとでも?
 お前は態度より言葉が欲しいみてぇだが、そもそも俺に言葉を求める事自体間違えてねぇか?」
「そ、れは……」
「そう何度も連呼するもんじゃねぇだろ…バレンタインは男が女に花を送る風習だと昔、教わった。だが、この国は愛とか恋とか抜きに毎年食わねぇモン押し付けてられるのて独り身にはうんざりだった。
 ならまだ手縫いの雑巾の方がいい。
 だが、こうして惚れた女から貰えると思えばそれも悪くねぇと思ってたのに……まさか……ねぇ、とは。しかも自分はちゃっかり食いやがって……」
「あっ、ごめん、なさい……」
「俺のチョコだ」
「それは、失敗してしまって……」
「いい、代わりに、今思いついた」
「何んですか? だって、今、お腹空いてるんですよね……」

 そうしてキッチンカウンターに自分を押し倒す勢いで迫るスーツ姿の彼にあっという間に羽交い締めにされたまま、海の小さな身体はいとも簡単に冷たいキッチンカウンターに押し付けられてしまう。

「あっ……! ちょっと、な、に?」
「1ヶ月連絡もしねぇで挙句バレンタインに何もねぇのはな……」
「だって、リヴァイさん、甘いものそんなに好きじゃないなら……んんっ!」
「そんな格好で俺じゃなくて不審者だったらお前このままヤラれちまってるぞ、」
「でも、オートロックにしてました……! リヴァイ、さ、」

 顔が近い、振り返るように重なる目線に海は化粧よりも赤く染まる頬にたまらず瞳を閉じようとするもリヴァイに顎を捕まれそのままじっくり穴があくまで見つめられてしまい動けない。

「食わせろ。その失敗作」
「っ、はい……、」
「違う、口で、」
「えっ!? そんな、……! あの、私、」
「今更何純情ぶってやがる。俺がしこたま汗水ブッ垂らしてお前を抱きてぇと思いながらも何とかここまで1ヶ月も研修耐えてきたのにか?」
「っ……」

 まさか口で食べさせろというのか。
 間接キスどころかいわばまるごと咥内で生きてる細菌の交換のような口移しをこの目の前の暴君は求めてきたのだ。
 彼のその欲を孕んだ眼差しに逆らえるはずがない、その瞳は自分を今にも貪る勢いで見つめる捕食者の目をしていた。
 捕食者は、自分という獲物を狙っている。
 逃げることなど出来ない、獲物が逃げれば本能のままに食いつかれる。
 恐る恐る唇に挟んだマカロンの欠片をそのまま持っていくと、さっきからぐつぐつ煮えたぎっている沸騰した鍋も炊飯器の保温も何もかもそのまま遮られ、捕食者は1ヶ月ぶりのご馳走にありつくのだった。

Fin.
2020.02.11
2021.04.11加筆修正
 
To be continue…Going under



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