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「(to day)」

あれから、三週間が過ぎて。
クリスマスイヴを待ち遠しく待っていたなんて。
カレンダーの日付がまたひとつふたつと減り。ついにエックスデーまで明日となった。
約束をした。
リオンと海のふたりにとって単なる約束にしては軽いものだったけど、時間を経て、この旅がやがてふたりを変えて行くきっかけだなんて思いもしない。

ぎこちないふたりだが、やはり意識し始めたのだろうか。
お互いがお互いを好きになる。そんなこと、あるはずもないのに。
ふたりが互いを意識するのに時間はかからなかった。

しかし、それでもふたりは煮え切らない微かに芽生えはじめた思いを口にすることはなくて。

それはまだ名前をつけるには確かではない感情だ。

いつかは離れるときが来るなら。この思いは口にしない方がいい、離れると知ってて深く思いあうなんて、悲しくて怖くて出来なかった。

「海…」

小さく呟いた名前。
世話しなく動く小さな背中を見つめながらリオンは指摘された言葉を思い返していた。
この世界で仲良くなった同じ歳の割りには女の扱いが上手く自分と違い軽薄な彼からはあっさり言われた。

自分が、海を意識していると。

指摘されてから、日に日に海を見る回数が増えた気がした。
手料理を振る舞う海、伸ばし途中の髪で巻いているコテで首に痛々しい火傷をしないように気にして髪を伸ばしていること。
華奢な手がシャンプーを手渡してくれる優しさも。

最初は言葉を交わすことさえ嫌でたまらなかった自分がこんな劇的な変化を迎えるなんて思いもしなかった。
今は眠るまで語り合う回数も増えていって。

そうして迎えた土曜日。
クリスマスイヴ当日、ふたりは朝早くにトランクに荷物をまとめて出発した。
目的なんてない。
ただ宛もなくふたりは自由を目指して旅に出た。

ナビをぎこちなく操作する指先が戸惑ったように泳いでいる。

「うぅん、高速道路いった方が早いかな、」
「下の道路の方が眺めがいいぞ。早いのは苦手だ。」
「そうかな、じゃあ下を通っていこうね。」
「そうだな。」

ハンドルを片手で器用に操り空いた右腕は窓に。荒々しい道をなんなく進む海がハンドルを持つと不思議なことに乗り物に凄く弱いリオンが酔い止め目薬をリラックスしてしまうほど運転はうまかった。

人は見かけによらないとはよく言う、彼女は車に並々ならぬ愛を注いでいたからだ。

「ちょっと、リオン君」
「何だ?」
「プリン食べたらこれでピカピカに磨いててね?」
「あぁ…」

長い長い時間、思えばどこかに遠出するなんてはじめてだった。

とりとめもない会話をし、時には笑ったり、ぎこちない空気を解すようにリオンは無意識に振る舞っていた。

「そう言えば、聞いてもいいかな。
リオン君ってマリアンさん以外と付き合ったことってなかったの?」
「は?」
「…ん?」
「付き合うとは…?」

海のいきなりの言葉に面食らってなにも口にできない。
いきなりそんなことを言われるなんて初めてだったから。
ましてや海の口からそんな単語が飛び出すなんて、思いもしなかった。

「付き合うって、そのままだよ…?いちゃいちゃしたりキスしたり、デートしたりお泊まりとか、」
「いちゃいちゃ…っ!お前はい、いきなりなんだ!彼女とはそういった関係ではない!」
「えっ、そうなの?」

真っ赤な顔でそう答えるリオンの純情な姿に海はそっけなく答えながらも理由はなくても内心嬉しかった。
リオンも、ずっと抱いていた誤解がほどけてゆく、

リオンは、今まで名前だけしか口にしなかったマリアン・フュステルの話をはじめて彼女に打ち明け始めた。

初めて海に打ち明けようと決めたきっかけはこの旅行からだった。
語り始めた気持ちは突っかかることなく彼女に話していた。
普段の快活さは消え、何も言わずに黙って話を聞く海。

「…マリアンは僕の家のメイドで、ずっと僕の母親代わりだった、僕の母親がマリアンと似ていたらしくて…僕はマリアンに母親の面影を重ねていただけだ……そして、利用された。」

闇に閉ざした悲しく辛い過去。
確かに愛を求めていた、しかしそれは手応えのない愛だった。

マリアンは自分がマリアンのために戦い、そして死んだことをどう受け止め、思っただろうか。
今さら考えたくもなかった。きっと、変わらずに自分を憐れんでいるのだろう。
気付いたときには憐れみの眼差ししか見受けられなかったから。

「もっ、もう、いいよ…
リオン君、いつもその人のことを考えているとき、辛そうだから…。
思い詰めるくらい、マリアンさんが大切だったの、ね。」
「そう、なのか…」
「うん。
私には、出来なかったなぁ…そんな風に相手を思いやれるなんて、」
「僕は逆にそれが出来なかった。自分を犠牲にすればなにもかも解決できると考えていた。」
「…そぅ、」
「……お前の方が、彼女の話をすると暗い顔をする。」
「……」

これではまるでマリアンが自分のすべてで、今でも大切だと口にせずとも##NAME1##に知らしめたようなものじゃないか…
サイドミラーに映る海の姿は傷ついて、悲しげに歪んでいた。

「(駄目だ…話さなければよかったか、)」
「(ダメ…聞かなきゃ、よかったかな…)」

ふたりの思う気持ちも一緒だった。
リオンはそれ以上話したくはないのか、口を閉ざしてしまった。
しかし、リオンが話したくないのは海がマリアンのことを口にする度気にして落ち込んでいたからだ。
それに、マリアンのことを深く話せば、自分が明かしたくない過去を、海に明かしてしまうからだ。

彼女に嫌われたくない、自分があの世界でどれだけ憎まれているのか無垢な海は知らないのだ。

そんな優しい海に軽蔑されたら、自分はもうどうにかなってしまいそう、未だにこの芽吹く気持ちを抑えきれなくなる。

決して言わないし気持ちを通わせ会うこともきっとこの先もない。

だが、マリアンへの気持ちが、恋愛の類いではないことはわかってほしい。
これはそう、恋慕ではなく母親に与えられなかった愛を求めていただけ。
その取り繕う気持ちが返ってリオンのマリアンに対する深い思いを思い知らされてしまった気がした。

「わぁ〜っ、すごい、ね!」

重苦しい沈黙が続くなか、重圧な空気を振り払うようにふたりを崖道の絶景が出迎えた。海に面した綺麗な道を車が走る。

この冬の気候で紅葉は木枯らしにさらわれあっという間に枯れてしまったが、それでも澄んだ空気に広がる海面は青に輝いてよりいっそう綺麗だった。

「私、今日のこと、忘れない…。」
「海…」
「リオン君がね、いつかまた元居た世界に帰っちゃうことはわかってるの、でも、私、忘れないからね。もう会えなくても、リオン君のこと。」
「お前…」
「ほら、もうすぐ着くから、ね。
不思議だね、リオン君と居るとね、あっという間に時間が経ってるんだ。」

小さく呟き、海はただ本当に嬉しそうに笑顔を見せた。
その笑顔を見せてくれたのに、気恥ずかしくて目を反らしてしまう。
その笑顔に、優しすぎる海が本当にリオンの孤独をどれだけ救い上げているのか、

「僕のことなんか、さっさと忘れればいいだろ。本当に…本当に、

お前は……馬鹿な女だ……」
「馬鹿だもん…馬鹿だから……私、ごめんねしか言えないよ。」

微かに語尾が震えていたのはきっと。リオンはここに彼女が居なかったら堪えていた気持ちが爆発して大声で泣いていたかもしれない。

本当に、そう心から思ったのだった。

冬空の下を歩きながら温泉街を歩くふたり。
お団子を食べあったりお参りしたり鯉に餌をあげたりと、回りから見たらふたりが観光に来たカップルなのは明らかだった。
しかし、小柄でどちらかと言えば整った中性的の綺麗な顔立ちのリオンが女に見えたらしく声をかけられたのは言うまでもなかった。

あちこち立ち寄りお土産を買うと辺りはすっかり夜闇に包まれていた。
予約していた宿は山の麓にあり、そこの露天風呂は安価なわりに海も見渡せて本当に隠れ宿の様だった。

「寒いなかこんな山奥までようこそおいでくださいました。ご案内いたしますね。」
「はい、」

荷物を預かってもらい部屋まで案内される。期待に弾む胸、案内された部屋は趣のある広々とした和室だった。
ベランダからは大きな滝が見渡せてとても見晴らしがいい。
思わず感嘆の声をあげる海とリオン。

「わぁ、すごいね、リオン君!」
「あぁ…こんな美しい景色は初めてだ。」
「温泉も海が見渡せるんだよ。楽しみだね、」
「温泉、か…まさか、男湯が工事中な訳ないよな。」
「えっ?」

昔のことを思いだしたリオン。
不安げに思わずそう問いかけを投げ掛ければ海は小さく笑みを浮かべて安堵を与える笑顔を見せた。

「いや…別に…深い意味はないが」
「どうしたの?大丈夫だよ。男女どっちもあるから。それとも混浴がよかったの?」
「なっ!?ちっ、違う!!別にお前と風呂なんて!」
「ふふっ、冗談だよ。そんなことしたらリオン君がマリアンさんに怒られちゃうかも、しれないもんね。」
「別に…僕は、」

混浴が嫌だと言ったわけではない、女の肌なんかろくに見た経験もない、気恥ずかしいのが当たり前だ。海と近くで過ごせば過ごすほど芽吹く思いは意識してからあっという間に彼女をまともに見れなくさせた。
近くにいたから見ようともしなかった、意識してから今さら感じるなんて、こんなに優しくて、心も綺麗な海がどれだけ自分の心を癒してくれていたか、今さら思い知るだなんて。

「じゃあ、あとでね、リオン君。」
「あぁ、」

久々の温泉だと喜ぶ海、きっと彼女も仕事で疲れているだろうから長風呂にとっぷり浸かってくるのだろう。
時計を見れば既に時刻は夕方も過ぎ夜に差し掛かっている。
夕飯は食べたからあとは寝るのみ。その頃には布団も敷いてあるだろう。
リオンも慣れない家事に疲れた体を癒そうと露天風呂に向かった。


冬の雪に彩られた露天風呂の景色は最高だった。
誰もいなかったので海も気持ちがすっかり舞い上がりついつい長湯をしてしまった。
チラチラと降り始める雪、それは本当に綺麗な景色で海はその情景の儚さに思わず魅入っていた。

「綺麗な景色…」

ぽつりと呟き、湯船に身を寄せる。雪とライトアップされた街灯が光るプリズム。
うまく笑えているだろうか、ここまで来たが、海も彼女なりに抱えていた気持ちは深刻なものだった。

「リオン君…」

なぜか、気づいた時には意識して、彼が気になって仕方なくなりはじめていた。
リオンに出会ったばかりの頃は未だに別れた彼が好きだったのに、彼を失って、もう誰も好きになっちゃいけないと自分の気持ちを抑えようとすればするほどにリオンを意識してしまう矛盾する気持ち。

自分の気持ちは自分がわかっていて、きっとどうすればいいのかもわかっていた。

素直だからこそ複雑に絡み合い矛盾するのだが、

「…くしゅん、は、はっくしゅん!……さ、寒い…」

いけない、また長湯して湯冷めしちゃった。海は小さく苦笑して確かに長風呂に浸かりすぎていたようだ。むき出しの肩はすっかり冷たくなっていた。
短い針がちょうど一周した時刻を見上げ、海は体にバスタオルを巻き温泉から出るといそいそと歩き出した。

「リオン君、」

慌てて部屋に戻ると其所には浴衣を着たリオンがいた。

「あぁ…長かったから先に食べていた。お前の分も頼むが…」
「うん…いい、かな…」
「……顔が赤いな。」
「え、そう、かな…大丈夫だよ。」

先に食事をしていたのか、箸は使えないのでフォークを手に用意されて食事をすると艶やかな黒髪は流石、和洋折衷のどんな衣服にでも映えている。
しかし、浴衣の着方が自分ではよくわからないのか胸元が今にもはだけそうだ、

海の手に触れて彼女を座らせると、温泉に入る前よりも海の顔が赤くなっていることに気付いた。

「海…湯中りにしては熱い、おまえ、まさか最初から熱があったんじゃ…」
「違うよ、私、」
「とにかく、体温計借りてくるから寝てろ、そんな薄着では治るものも治らないぞ、」
「わっ、」

ふわりとかけられたのはリオンが着ていたメルトンジャケットだった。

「わざわざい、いいのに…っ」
「いいから着て寝てろ。いいな?」

有無を言わさぬ眼差しに見つめられては何も言えない。
主導権をリオンに握られてしまいどうすることもできない。
仕方なくしかれた布団に足を入れた瞬間だった、

「布団、すごく広いね…」
「夫婦布団だそうだ。」
「えっ!ど、どうして別々にって言わなかったの…!」
「知るか、僕が戻ってきたらこうなっていたんだ。今さら敷き直すわけにもいかないだろう。」
「そ、そうだけど…でも、」
「別にどうだと言うんだ。いつもと変わらないだろう。
お前は喘息持ちなんだ、もっと体調管理に気を付けろ。」
「…はい」

全く態度も顔も変わらないリオンにひとりだけ舞い上がっているような気がして海はそれ以上は何も口にしなかった。ぴしゃりと叱られ、年上のメンツも丸潰れだ。

促されるがまま布団に体を埋めて鼻まで布団を持っていくと隠れてしまった。

「ごめんなさい…」
「別に、いい。ただ、気づいてやれなかったから…その…」
「ごめん、何て言ったの…?」
「さっさと寝ろ!」
「ごっ、ごめんなさい…!」
「謝るな、誰も、殴ったりしない…」

"ごめんなさい"としきりに口にする海の頭を撫でるように和し掴んだ。
背中を向けて、そう自分に気を利かせてくれる。ぶっきらぼうでクールで、それでも彼の言葉は優しさで溢れていた。

過去の恋を忘れられない痛みも、リオンは何も言わずに解ってくれた。言葉数は少なくても、リオンの存在は何よりの力だった。

安堵に包まれて、抱き締めるよりも何よりもリオンがくれる言葉がすごく嬉しかった。

「あのね、リオン君に、クリスマスプレゼントがあるの…」
「…お前は…そんなものよりも自分の身を大切にしろ」
「うん。そのバッグの中にあるから…見て、ね…」

そうして、やはり風邪を引いていたらしい、熱を測れば高熱が出ていた。
薬を飲ませ首にもしっかり熱さまシートを貼り、すやすやとようやく眠り出した海がバッグを取らせてリオンに渡したのはシンプルなタイプのネックレスだった。

「…海。」

降り積もる気持ちが雪の破片の様に彼方をさ迷う。
幾重にも重なる出会いの中で、見いだした感情はきっと海だけに。
彼女がくれたネックレスの裏には自分の名前が刻まれていた。
貰ったままにさっそくネックレスを身に付けた。

「今は、…」

蓄えも何もない自分が悔しくて惨めに感じていた。彼女の苦しみを、わかってやれなくて。だが、いつか必ず、彼女を守って笑顔を与えられる男になりたい。
いつか消える身だとしても、それでもいい。

「僕のことは、忘れていいから…」

そっと、眠りについた海を見つめて。リオンは黙ったまま彼女の隣に寝そべった。逆光と顔を腕で覆ったその表情はよく伺えないが、 リオンはそっと安らかに眠るその無防備な寝姿をいつまでもいつまでも眺めていた。

「僕のファーストキスを奪ったのは、お前だけだ。」

彼女のために何ができる?
傷ついた笑顔を優しく抱き留めてキスしてやるなんて馬鹿みたいで出来やしない、
それでも芽吹く気持ちに嘘はつけなくて。
いつか彼女を思い出せなくなるまで深い眠りに落ちたら祈りを捧げよう、

他の男でも、何でも、自分がいつか彼女の記憶から褪せても。
傍にいられる限りはいつか現れる男に海を任せよう。
これが、愛情であるならば。

―――5年後

「ぶえっくしょーっ!ちくしょぉ!」
「きゃっ…!」

あれからリオンではない違う男が傍にいた。あの日、突然自分の前から消えてしまったリオン。
最初はたくさん泣いたし、傷ついたし、さんざん落ち込んだ。
しかし、時が経てば色褪せて行くように、不思議と、いい思い出になったと変換できるようになった。

「くそ、…風邪だ。」
「大丈夫…?」

今は、リオンではない他の人と聖夜を共にしているなんて。不思議な気持ちだった。遠巻きに背の高い彼を見上げている。

「早く帰るぞ、寒ィ…」
「うん…」

当たり前のように手を繋いで歩く。車に乗るとタバコを吸う彼の横顔がやけにちらついて、

「なぁ、そのネックレス…かっこいいな。」
「あぁ、これね。うん、5年前に、ちょっとね…クリスマスに買ったんだ。懐かしいなぁ…」

白い雪が行き交う、優しい記憶に彩られて、胸元のダグが輝いていた、

「なんか、妬けるな。」
「えっ、」
「今のその笑った顔だよ、」

海は微かな記憶に残る穏やかな眼差しのリオンを見た気がした。

「…」

ネックレスのプレートには英語で
「最愛なる人の幸福を願う」
と刻まれていた。
小さな小さな字で、並んだエミリオと彼女の名前。
記憶の中でいつか信じている。
永遠のさよならをしたとしても。また巡り会えると、片隅でそんな夢を見てる。

Fin.

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