「あれ…?繋がらない…」
仕事終わり。いつもワンコールですぐに出るはずのリオンが電話に出ない。嫌な予感が胸を過ぎるのは何故だろう。海は今朝から胸がドキドキしてたまらずにいた。昨日の火照った熱い身体よりも。
「まさか…!」
嫌な予感がする、リオンに何かあったのではないか。最近の彼は様子がおかしかったから…募る不安をかき消そうと走り出した。
「た、だいま!エミリオ!エミリオ、どこなの?」
真っ暗な室内、何もかもが片づいている空間にただ1人。まるでリオンと出会う前にタイムスリップした様な気がして、不安を打ち消すように彼を呼んだ。
「エミリオ…エミリオ!」
リオンが居なくなったら。不気味に心臓がやけに響くように鼓動を打ち鳴らす、ふと開きっぱなしのベランダにもたれるように倒れるエミリオに慌てて駆けより、何度もその肩を揺さぶる。まさか、心臓が…はやる心を抑えて何度も揺さぶると…
「う」
意識があるのを確かめると、海は優しく彼を抱きしめた。
「海?」
「エミリオ…心配したんだからね!電話も出ないし…部屋は真っ暗だし、いなくなっちゃったのかと思ったの…」
「すまない……大丈夫だ、」
「ほんと?」
もうエミリオと離れたくない。これ以上1人になったら本当に自分には受け止められない。海はそう願うのに…。エミリオはある決意を胸に秘めていた。スタンが死に、そして、彼と姉の息子、いわゆる自分の甥に当たる父親似の男の子。リオン・マグナスの罪を、過去を断ち切るために贖罪を。
「エミリオ?」
「…なぁ海、」
「なぁに?」
そう言った瞬間、リオンはいきなり何も言わずに海の腕を引いて自身が壁に凭れるようにそのまま抱き寄せた。
「きゃっ!」
「頼む…今だけはこうしていてくれ」
まるで最後のように。海を抱き上げると、後ろから抱きしめ、さらさらの髪に指を絡めて口づけ、そのまま堅いフローリングに海を押しつけた。
「エミリオ…変だよ、どうしたの?」
「何でもない……何でも……すまない、今日は、加減できない…許してくれ……海」
「えっ・・・エミリオ・・・っ?」
謝罪をするように、リオンはこれが最後だと涙を堪えて海を引き寄せていた。海も、何も言わずにリオンを受け入れ、2人は無心でお互いを求めた。捌け口を探すようにリオンは乱暴に海を抱いた。まるで背後から獣の様に。それでも海は決して拒んだりはしなかったからなおさらリオンは胸が痛んだ。この手は汚れているのに。たくさんの人を殺した鮮血で汚れきった醜い手。そんな指先が海を汚してゆくなんて・・・ぐったりとしたまま肩で息をする海。リオンは海の耳に輝くそれを眺めていた。
「何だ、この穴は……」
ふと、乱れた短い髪の隙間から見えた軟骨に見つけた貫通した穴。リオンは触れると海は少しくすぐったいのか、身じろいだ。
「これ?ピアスだよ。」
「ああ、しかし…こんな所に開けるとは、軟骨貫通してるのか?」
平然と答える海にリオンはしげしげとその穴を眺める。リオンくらいの年頃の時に開けたそうで大人になりたくて開けたのだと笑顔で話す海。その痛みはどれだけのものだったのだろう。彼女にも痛みに勝る葛藤があったのだろうか。
「大変、だったんだな……」
「そんなことないよ…私の痛みよりも……リオンの痛みに、私は触れられないから…」
お互いの痛み、それはどうしても分かちあえることは出来ないもの。それでも、分かちあえるのなら、リオンは自分の耳たぶに触れてそして、海に申し出た。
「なぁ、海……僕も、お前の痛みをくれないか?」
「えっ!?」
「僕も同じところに、お前の痛みを背負わせてくれ」
突然すぎるその言葉に海は思わず起きあがる。この痛みがどれほど痛いのか、リオンはわかっていない。頑なに断るが、リオンは引かない。
「彼氏とお揃いのピアス…憧れてるけど、でも、本当に痛いよ?病院で開けた方が…」
「今がいいんだ。痛くても構わない、やってくれ、お前と、同じにしてくれ」
そう、身体の痛みなど心の痛みに比べたら……苦痛は一瞬だ。懇願するリオンを静止しても彼は揺らがない。軟骨を開ける痛みがどれほどか知る海が前に買って余っていたピアッサーに触れて、リオンは海に左耳を預けた。何度も何度もマーカーでマーキングし、印を付ける。そうとう痛いと聞くが、それを堪えた海に今更引く筈などない。
「いくよ、……」
「ああ。やってくれ、」
貫通してもリオンは決して動揺しなかった。そう、この程度の痛みなどいくらでも耐える訓練をしてきたからだ。父親の徹底的な体罰にも似た教育の末に痛みにぐらつかない精神力を持った。海はリオンが受け入れた痛みを忘れない。二度と消えない傷をリオンに残したのに、それでも、お揃いのピアスに、ただ永遠に消えない絆を信じた。
静かに、しかし、離れることなく穏やかに寒い冬を利用して2人はくっついたまま、いろんなところに出かけてたくさんの思い出を胸に刻んだ。時間が許す限り2人で今したいことをやり尽くして、そして冬を謳歌した。季節の終わりとともに消えゆく夜の儚さ。目を覚ますと一番最初に目をついたのは、変わらぬ表情ですやすやと眠る海の姿。貫通した軟骨の痛みが疼く度にリオンは海を思い出そうと決めた。そっと流れるように髪を撫でると気持ちよさそうに彼の元にすり寄ってくる海。幸せな日常。そんな海を起こさないように部屋を出た瞬間、ある変化に気が付いた。
「……また貴様か。」
夢か幻か。目の前には茶髪の長い三つ編みを垂らした女性が微笑みながらリオンの前に立ち尽くしていたのだ。
「やっと会えましたね、あなたを迎えに来ました」
「な…んだと?」
「さぁ、もう一度「ふざけるな!僕は、今が幸せだ。僕に幸せを押しつけるな!ならば放っておいてくれ、僕は知らない、なにも考えたくない。
頼むから、海と僕を方って置いてくれ。これ以上、引き離さないでくれ……」
「これから始まることの前では全てが無になるのに。その罪を、拭って、お前は英雄になれるのだぞ」
「僕の知ったことか!そんなもの…要らない!」
「ん…」
事情も知らずにすやすやと眠る海の寝息が聞こえる。
「………どんなに足掻いても運命から逃れられるわけなどないのです」
そう言いながら次第に薄れていく影にリオンは背を向けて幻を消すようにリビングのドアを閉めた。知っている。スタンが死んだ世界、姉やそして、2人の息子に迫る危機も。迫り来る贖罪の時、運命から逃れられる訳もないのに。リオンは思い出したようにクロックスに足を突っ込み家を飛び出していた。手には友里への連絡先、
「友里か?ああ、僕だ。大事な話がある。海翔を連れて来てくれ…」
リオンは決意していた。だからこそ海の後を任せるために、傍にいてやれなかった自分への思い。罪を償うためにリオンは覚悟して、決めた。
彼の気持ちが分かるわけもなく、海は再び安らかな眠りに沈んでいく。どうか、今だけは。安らかな眠りを彼女に、すやすやと幸せそうに眠る海を見ると涙が思わず溢れそうになる。
泣きたくなる程、海に惹かれていたのかと、初めてのこの"恋"という苦しい感情と離れたくないという切ない気持ちにただ、うなだれるばかりだった。
「エミリオ…おはよう、」
「…海。もう起きても大丈夫か?」
ドアからひょっこり顔を出した海に笑いかけると海もはにかんだような笑みを浮かべて笑った。
「おはよう、平気だよ」
「そうか…すまなかったな。」
「いいの。好き同士だから、それに、大事なことだもんね」
ふとした沈黙、それを破いたのはリオンだった。出会った頃からかけ離れたリオンの穏やかなまなざしをこんな風に見たことがあっただろうか。彼の穏やかな表情を引き出せることが何よりも今の海には癒しだった。
「なぁ、海。僕が倒れていた場所…2人の出会った海に行かないか?」
「海に?うん、いいよ」
手を取る、その真っ直ぐな目は覚悟を決めていた。そっと手を繋ぎゆっくり、ゆっくり確かめるように歩く。
「リオン。い、行こっか!」
「ああ」
イルミネーションまで未だ時間はある。荷物をひとまとめにし、2人で歩き出した。リオンも慌てて後を追いかけてはっとした。静かに寄せては返す波、潮の匂い。あの時と同じ、光景。一瞬過ぎった苦しみがリオンに恐怖心を抱かせた。海は時に恐ろしい魔物と化して大切な者すべてを容赦なく飲み込み破壊し尽くしても止まらない。
「エミリオ、怖くない…?」
「いや、大丈夫だ、」
そう、もうあの時の深い深い暗い海の底ではない。ここには愛しい海の微笑みが確かにリオンを繋いでいる。2人はまるでこの瞬間がいつまでも続くと、信じていた。海の底から迫る異変さえも知らないで。無邪気な子供の頃を取り戻したかのように笑いあっていた。
「つっ…寒いけど、気持ちいい〜」
穏やかな波風に海の髪がなびくのを見つめながら、リオンはお揃いのピアスにただ、愛しさを募らせ、背後から抱きしめたのだった。
「エミリオ…?」
「なぁ…、海。ひとつ約束してくれないか」
「なぁに?」
ドクン、ドクンと背中から伝わる彼の温かな鼓動。生を表す…命の音色。
「この先、2人過ごしたこの日々を忘れないでくれ」
それはまるで祈りのように願いのように海の胸に響いた。リオンの身体が震えている、今すぐに振り返り向き合いたい、なのに、リオンが抱きしめる腕は力強く離れられそうにない。
「エミリオ…お願いっ。そっちに向かせて…」
彼の腕が、声が震えている。早く、早く抱きしめたいのに…
「今だけは僕に…背を向けてくれ…」
リオンの悲痛な声…震える彼の声に海も回された彼の腕に顔を埋め、ぼろぼろと涙を流す。
遠く、潮騒の音が2人の涙混じりの吐息を消してくれた。
海は気付いていた。いつか、エミリオはここから消えることに…きっともうそれは間近に迫ってきていることに。時間を忘れ、海が彼を見つけたこの場所で向かい合えずに2人はただ、日がくれるまで肌寒い浜辺でぼろぼろと涙をこぼした。
「じゃあ、エミリオ、私、先にお風呂入ってくるね!」
「ああ、」
のんびりソファーに座ってくつろいでいた2人。
そろそろお風呂に入ろうと先に立ち上がったのは海だった。その後、何故か海が浴室のドアを閉めたのを耳で何度も確認するリオン。確認し終えた後、タンスにずっとしまっていたあの服を取り出した。
「スタン、…僕は…」
自問自答を繰り返し、かつての親友の笑顔を思い浮かべる。エルレインによりスタン達が守った世界が消えようとしている今、再び生を授かった。これは自分があの忌々しい過去を断ち切れる時なのかもしれない…。
久々に着るウエアはやけにきつくて、ボタンが閉まらない。なんとか防具を付けてマントを付けて。久々の着慣れた客員剣士の服がやけに窮屈に感じられたのは、また成長した証拠なのかもしれない。着ていた服を丁寧に畳んでタンスに納めると自分の身の回りのものを全て片づけていく。せめて持っていたスマホだけでも海と繋がっていたい。無言でそれを懐にしまい込んだ。
「おい、…エルレインと言ったな。僕はもう逃げも隠れもしない。貴様の望みに協力する。だから僕を18年後の世界に連れて行け」
するとリオンの足元から真っ白な光が溢れ出し、やがてリオンを包み込んでゆく。その眩しさに目を細めながらも、そっと1人呟いた。
「海…ありがとう、…」
過ごした景色を、過ごした家を焼き付けて。リオンは瞳を閉じて、胸一杯に焼き付けた。2人で眠ったベッド、海のタンス、ドレッサー、2人ですごした部屋。綺麗なキッチン、2人で腰掛けたソファー。2人で観たDVDいろんなところへ運んでくれた海の愛車。
そこで、リオンの意識は途絶えた。
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