「ああ、ありがとう、」
かつてはマリアンがその日の気分にあわせて煎れてくれた紅茶。場所を駐車場から部屋に変えると、旅行の荷物もそのままに2人はリビングのソファに腰を落ち着けた。向かい合うことも無く、隣に座り、正面を見据えたままのリオンの綺麗な横顔が儚げで、今にも消えてしまいそうで、たまらなく不安になり、海はリオンの手をぎゅっと握り締め、その感触を確かめていた。
彼女に、全てを話す。例え嫌われようが、軽蔑されようが、覚悟は出来た。逃げ続けてきた過去を精算する時がきたのだ。自分を心から愛してくれた大切な海を幸せにする為には、無垢で無知な彼女に何時までも綺麗に思われるに値する価値などこんな自分には存在しない、自分がかつて架せられた戒め。皮肉な運命。過去を断ち切る為なら 逃げずに向き合おう。リオンは紅茶を飲み干すと意を決したように語り始めた。
「僕の世界では燃料や電力ではなく 「レンズ」と言うエネルギー源で生活している世界だ。僕が産まれる前、千年前、僕らの世界もこの世界と同じように長い戦争で大地は荒廃していた。地上軍はそこからレンズエネルギーの技術を結集して、ソーディアンと呼ばれる知能を持った剣…意思を持ち言葉を話す剣を造った。そのソーディアン、所謂被験者の人格を剣に宿した物言う剣の活躍で、天上軍、そしてアジトである「ダイクロフト」は陥落した。
そして、戦争は地上軍の勝利で終わり、役目を終えたソーディアンは深い眠りについたはずだった。」
今、リオンは思えば彼女に未知の母親の面影を重ねて甘えていただけだったが、マリアンはあの息が詰まるような屋敷生活で唯一、ソーディアン・シャルティエと同じ母親がわりになってくれた、本当に大切な人だった。しかし、優しさは実の父親に愛されない僕を哀れむ同情だと言うことは分かっていたつもりだった。それでもわかっていた、だが、マリアンと過ごした日々は本当に満ち足りていて。
そんな中、ソーディアンと言う運命に導かれて出会った仲間。その中には、女だと理由でヒューゴにより殺されかけたが、それに気づいた僕の母親がソーディアン・アトワイトと共に孤児院に逃がした姉の姿もあった。
「僕の本名はエミリオ・カトレット。しかし、病死した僕の母親、クリス・カトレットの存在さえ、あいつは抹消したんだ。そうして僕に与えられたのはリオン・マグナスと言う名と、偽りの主従関係だった。
僕はマリアンを人質にされた。ヒューゴによってな。マリアンを救うためには奴に従う他なかったからな。そしてヒューゴの思惑に気づいていた師を毒殺した。」
「えっ・・・」
「みんな殺したんだよ。ヒューゴの思惑に気づきかけたもの、あまつさえ・・・僕の部下さえも。みんな、みんな、マリアンのために殺した。」
「リオン、生まれてすぐ両親を亡くしたと言っていたな。
実は、私も同じでな。お前は他人とは思えない。」
「リオン、私を父と思え、私はおまえを息子と思う。」
「リ、オン…これだけは覚えておいてくれ。お前は…あのヒューゴの元に居たら自身を破滅させる、」
「古代都市ダイクロフト復活に荷担することになった。国の客員剣士として迎えられたが、ヒューゴに国の情報を横流しして、そして復活を果たした同じソーディアンを持った仲間たちを僕は裏で手引きし、順繰りに世界を回らせ、最終的に仲間たちのソーディアンの能力を封印した。そして、僕の裏切り、ヒューゴの野望を知り、阻止するために追いかけてきたかつての仲間と戦い敗れた僕は…海底洞窟で爆弾を起動させ、崩落を始めた海底洞窟でそのまま濁流に飲み込まれ死んだはずだった。」
一気に全く異なる世界の話をしたから海は混乱するだろう。まして、この過ちを、実の姉でさえも、マリアンという他人のために他人よりも血の繋がりの深い身内を、自分はなんの躊躇いもなく…迷いなく、殺そうとしたのだから。
海は一切喋らないまま、しかし、彼の話を普段おっとりしているあの海が黙って頷きながらリオンの震える手をずっと握り続けていてくれていた。過去は消せない。当たり前のことだ。だから、お互いがお互いに溺れ、深く愛し合う前に、今だからこそ海に伝えておきたかったんだ。
マリアンの話をしたら海を傷つけてしまうかもしれない。重い過去を背負いきれないかもしれない。正義感の強い海だ、最低だと、軽蔑されて、自分を嫌うとしても構わない…
嘘をつけない不器用な性格、しかし、その優しさが海には痛いほど身に染みていた。彼は、本当に不器用な人だ。海は最初から彼がうまく人間関係を築けるような人だとは思っていなかった。だから、守ってあげたいと心から思った。
本当は誰よりも優しいのに、わざと他人を突き放そうとする姿。だからこそより放っておけなくなるのだ。全てを話し終え、一息つくと、リオンはすっかり温くなった紅茶を一気に飲み干した。
海はさっきから黙ったまま、頭を垂れている為、その表情も見えない。
「海?」
「リオン、私…。」
「…幻滅しただろう…こんな僕でもお前はいいのか?こんな、犯罪者を、匿っているようなものだぞ?」
リオンが裏切り者として歴史に確実に記されていると言う真実に。しかし、海は怒ったように声を張り上げ、鼻をすすっている。
「幻滅?何言ってるの?する訳ないでしょ…ばか!ばかばか!どうして…なんで、ずっとそれを1人で言わずに我慢してたの?どうして私に黙ってたの?」
「…綺麗事かもしれない お前に軽蔑されたくなかった。お前は穢れていないから、僕の過去に触れて欲しくなかった、だが、お前が本当に愛しくなればなる程、お前に隠したまま、お前の純粋な笑顔に僕が相応しい訳などない、独占していいわけないだろう。あの世界からしたら僕の選択は正しくはない。だが…僕に残されたのはあの選択しかなかっ たんだ。…だが、お前にその過去を話してしまえば、お前も同じ過去を引きずることになる。 だから今まで言えずにいたんだ。」
そして、生まれて初めて誰よりも愛したい女だから。冷たい世界で、感情の奥底にいつも押し殺していた感情達が、海の涙と共に流れてきた、ひとしきり涙を流すと、海は涙混じりに、今まで感じたことのない気持ちを迷いなく吐露した。
「……エミリオを道具みたいに!あなたの心に一生残る傷を付けたヒューゴさんを、あなたの愛を、見て見ぬ振りして貴方の枷になっても見返りもしなかった、マリアンさんを、私はどうしても許せない…っ!エミリオのこと、追いつめたのは、あなたのせいじゃない、エミリオは、冤罪だわっ!」
その時。生まれて初めて彼は赦されたんだと思った。母親の愛を知らないまま、父親に忌み嫌われて、マリアンには憐憫の眼差しで見られていた、数え切れない過ちや裏切りや恥も後悔も、フィンレイやシャルティエや仲間たち。いつでも信じてくれた人間もいた。それでも、これは罰だと言い聞かせて。
海はこんな自分が愛しいと笑ってくれる抱き締めて、優しい口付けをくれる。真実を知っても顔色を変えず。 むしろ、愛しげに優しいキスを落としてくれる。
「それでも…あなたが命を懸けて助けたマリアンさんは…エミリオの大切な人だったんだね、きっと、すごくすてきな、人、なんだねっ」
震える手を握りながら無理してにっこりと笑う海。だが、その瞳からは涙が止むことを知らずに 後から後から溢れてくる。
「海…、」
過去を受け止めてくれた海に感謝
の気持ち。そして、マリアンと海の気持ちの誤解を解きたくて、そのまま肩を震わせる海を強く抱き寄せた。間近に迫るリオンの端麗な顔立ちに不意打ちを食らって真っ赤に染まる海に募る愛しさ。
「エ、エミリオ!?」
「もしも、この過去がなければ… 僕はあの日海に出会うことも、愛しさも知ら ないままだった。」
そう言い終えた後、海の涙をそっと指で掬い 、瞼にキスをすると…
「エミリオ…っ 私が居るからね…! 1人じゃないから、 私が1人にさせないから…っ」
「海…」
互いに見つめ合い、近づく顔に目を伏せてー柔らかく触れ合う唇の感触に酔いしれた。囁かれた言葉はただ胸に響く。
「愛してる…」
「…うん。私も好きだよ。エミリオが大好き、あ、愛してるの・・・」
「海・・・」
愛してる。素直な気持ち。ふたりは互いに笑って、見つめ合う。強く抱き合い手を繋いで寝室に向かった。
「エミリオ、今夜は、離さないで・・・ずっと、朝まで、一緒にいたい・・・」
「海・・・」
柔らかなベッドに2人分のふたつの影が重なり合った。
彼の残酷すぎる運命。 愛することも愛されることも知らずに幸の薄 い人生を閉じたはずだった。孤独を抱えて生きてきたと思っていた海でさ え理解できない程の彼の孤独。
こんなとき、気休めの言葉なんかよりも伝わ る思いがある。以前、さらけ出した孤独を彼が受け止めてく れたように海も必死に彼の過去を受け止めた。どくどく、と、互いの身体を通して伝わる鼓動。顔を上げた彼の瞳が海の瞳をとらえた。透き通るほど美しいアメジストの瞳。リオンが優しく海の長い髪を一房掬い、優しく口づけを落とす。 そして、またひとつ キスを交わした。
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