「エミリオ、お背中流してあげましょうか?」
「ああ、頼む。」
恥ずかしかったがリオンが機嫌を悪くするのもイヤで、海は戸惑ったが何もしないと言う硬い鉄の条件で一緒に朝風呂の温泉に浸かったのだった。
最初は恥ずかしかったが、きっとこうして触れ合ってまた慣れていくんたろう。
「何故、僕にはいつもそうして恥ずかしがる?前の男とも一緒に風呂に入っていたんだろう?」
「ち、違うよ、やっぱり身体は隠してたよ?それに、エミリオにしか、見せないよ…」
「海…早く家に帰りたいな。
お前とこうして触れ合っていたい。」
「エミリオ…う、ん、私も、だよ?でも、その前に今日もたくさん、遊ぶんだから、ね?」
「ああ、わかってる。不思議だな、お前に出会うまではこんな風にどこかへ遠出することが、楽しいなど知らなかった。そんな余裕なんてなかったから…」
「エミリオ、エミリオが我慢してきたこと、たくさんたくさんあると思うんだ…でも、今はもうエミリオを悲しませることは…無いから、だから、笑ってて…私、エミリオの過去…受け止めるから、」
彼の心にしみてゆくように優しすぎた海の言葉にリオンは海を抱き締めて、心の底で涙を流していた。
あの場所に彼女が居たら…自分の未来は変わったのだろうか…しかし、あの過去がなければ自分はきっとこうして彼女と触れ合うことなど、きっと、なかった。
過去を悔やむことはない、しかし、やはり過ぎるのは唯一の姉であった彼女に刻んだ自分、父親の裏切りにより、この先苦しむことになる、ルーティのことだった。
「やめてくれ…海、僕は、本当はわかっている、こんな僕が誰からも愛される資格など無いことなど、本当は…お前に優しくされて、こんなにも幸せすぎて…いつかその優しさを失ってしまうくらいなら、」
「エミリオ…ちがうよ、幸せになりたいって、愛されたいのなら、もっと私を、求めてよ…欲しがっていいんだよ?幸せになる価値のない人なんて居ない、幸せにならなきゃ、愛されたいなら私、貴方の望む声、みんな、応えるから…」
海に抱き締められながらリオンは頭の中で姉のことを思い出していた。
きっとルーティは苦しみ続けた。今も、苦しんでいるだろう。突如として明かされた知りたくもなかった過去。裏切り者として歴史に刻まれた自分達と同じ血が流れて居ることをずっと引きずるだろう、しかし、リオンは信じていた。同時にそんな彼女をこれから支えてくれる未来の伴侶のスタンが居たからこそ、自分はスタンへ未来を託し、そうして今は異なる世界の優しい天使のような少女と共に幸せになろうと、あの日奪われたすべてを抱いて彼女は舞い降りた。
「えっ、エミリオ!?」
「海・・・」
狂おしい程、焦がれた愛はこんな形で返ってきた。
暗闇を照らす、優しい道しるべだった。優しい海の言葉が身に染みるからこそリオンはなおさら海にこのままあの過去を明かさないままでいいのか、戸惑う海を抱き締め悩んでいた。
海は優しい、しかし、だからこそ知らないままの過去をそんな風に暖かな言葉で救ってくれた。知らないからこそ、海はきっと優しく自分を愛してくれたのだ。きっと彼女も、あいつらも自分の犯した罪の深さを知れば離れていくのだろう。
こんな罪に穢れた手が海を抱いて、何度も仰け反りながら甘い声でこんな自分を受け入れてくれる海が本当に愛しくて、このまま2人がいつか離れるなら海を道連れにしてもいいとさえ思ってしまった。
「エミリオ・・・」
海の首に手をかけ、リオンは正気に戻る。今、自分は何をしようとした?
「いいよ・・・エミリオ・・・このまま、あなたと逝かせて・・・」
ー自分は人殺しだ。
マリアンの為だと言い聞かせ、誤魔化しながら、ヒューゴに言われるままにかつての父親のように自分を見てくれた偉大なる師を、部下を殺し、実の姉にも剣を向けた。
そして、天と地をふたつに別つあの戦争を引き起こしてしまったのだから。
さんざん抱き合い、慌ててホテルからチェックアウトをし、また昨日の乾かした水着に着替えると険しい顔つきのリオンが海の手を引いて歩き出した。ただでさえ無防備な彼女だが、今の格好はさらに無防備すぎて心配だ。悪い虫が海の肌を見て良からぬことを考えられるのも我慢ならない。
国に仕えてきただけあり女性のエスコートやマナーは嫌だ嫌だとマリアンにごねながらもしっかり学んだらしい。今までにはないくらい海の事を女性として接してくれる。そんな彼が愛しくて、海もリオンの手をぎゅっと握り返していた。
「わあー広いね!素敵だねっ!」
「ここも混んでるな、2人きりで温泉に入りたかった。」
「だめっ!仕方ないでしょっ!さっきのぼせるまではなしてくれなかった誰かさんは我慢しなさい!」
「そんなに怒るな。」
「もぅっ!」
先ほどの朝風呂の際に、この前の前科もあるのに結局離してくれなかったリオンのせいで海はすっかりのぼせてしまったのだ。屋外に設置されたスパガーデンはとても広々としており、まったりとくつろいで誰もが思い思いのときを過ごしている。
海とリオンもプールとは違うゆったりとした穏やかな空気に2人はリラックスして普段の家に過ごしていた空気とは違う環境に満たされた。
「楽しいね、何でもないんだけど、何でもないのが、落ち着くねっ。」
「まぁ…お前が楽しいなら、それでかまわないが…」
「エミリオ…リオンは楽しくないの?」
「はぁ…もうエミリオで良い、どうせここにいる奴らは皆、思い思いの時を過ごすのに夢中で誰も聞いてやしないだろう…」
「ごめん、なさい!わざとじゃないの、エミ、あ!」
「馬鹿が!」
何度言っても彼の誰にも明かさなかった本名と偽名を使い分けられない海にリオンは呆れ混じりに海を見ると海はごまかしのきかない舌を出した。
スパガーデンでゆったりと歩いたり、音楽を聴いて癒されたり、2人きりの遠出はとても楽しくて、あっという間に時間は過ぎていってしまった。名残惜しむように混んできたプールを後にした。次に車を走らせて向かったのは前に友里が行きたがっていた水族館。やはり三連休の真ん中だけあってかなり混んでいる。あまり人慣れしていないリオンはうんざりした様子だったが海も楽しみにしていたのでそれを我慢し、また2人きりで水族館で自由に泳ぎ回る魚たちの美しい優雅な時間を楽しんだ。
「わぁー!すごい!」
「本当に水槽がトンネルになっているな、綺麗だ…」
「エミリオが感激してる!」
「美しいものには誰しも感銘を受けるものだ。」
「私は?」
「はぁ・・・どこがだ」
にこにこ楽しそうに笑う海の頭上を大きなエイがまるで空を飛ぶように悠々と泳いでいく。人で混雑した水族館や周りのリオンの日本人らしからぬ妖しい雰囲気に彼の気持ちなどお構いなしに注目を浴びる眼差しにうんざりもしたが、海は周りの視線など気にならないほどこのデートを楽しんでいた。
「前に、お前に連れて行って貰った水族館を思い出したんだ。」
「ああー…懐かしいねっ、そんなときもあったよね。あの頃はこうして2人で遠出してデートするなんて、私、夢にも思わなかったよ…だかららすごく嬉しいの。」
「海…」
暗がりで、よく見たら観覧客も疎ら、リオンは海の手を引くと、そっと額にキスをしたのだ。リオンがこんな風に優しく人前でキスをすることなんてあっただろうか。ぼんやりする海に不敵に瞳を細めたリオン。
そんな彼が見せる男だという証。16歳でも彼はれっきとした男性として成長しているのに、彼がもうとっくに死んでいるなんて信じたくないし、信じられないし、思いたくもなかった。
淡麗なリオンの顔立ちがこの青い魚たちのトンネルにとても格好良く映えて、海はまるで水中を漂うクラゲのような舞い上がるような錯覚を覚えた。
また、此処に来たい、2人でこれからも。たとえ、無理な願いだとしても。これからも…彼を愛していきたい。きっと、もうこんなに誰かを愛せない、あの人に捨てられた海の心を誰よりも癒やし、そして、いつのまにかこんなにも、どうしようもないくらいに、彼を好きになっていた。
リオンの前ならどんな姿も、ありのままの自分で居られることに気づいたから。あの男のことをもうどうして好きだったのかわからないほどに、リオンが知れば知るほど海は好きになっていた。
これが運命なら、きっと。
海から手を引くと、リオンは驚いた顔をしながらも微笑んでくれた。リオンの静かなる微笑に魅せられたらきっと自分は何だって出来るだろう。
「わぁー!可愛いね、アザラシのぬいぐるみさんだよっ…いいなぁ、」
「記念に買ったらどうだ?」
「うん、そうしようかな…遠出デートの記念、どうかな?」
「ああ、そうだな。」
海が手に取った可愛らしいアザラシのぬいぐるみを抱えたリオン、よく見てみるとアザラシのつぶらな瞳や愛らしい仕草はまるで海そのもので、リオンはたまらず吹き出した。そして、優雅に海を泳ぐ姿は海の泳ぎに似ていた。
それから、日が暮れるまで館内にある砂浜で遊んで海とリオンは幸せそうに笑いあっていた。
まるで、無くした初恋を取り戻してゆくように流れていく時間がどんなに大切なものか、
その先に待つ悲しい結末など、知らないからこそ無邪気に、残酷なほど、愛おしくて。
高速道路を降り2人を乗せた車はやっと見慣れた町並みに戻ってきた。ずっと運転してきた海は疲れていないのだろうか。気になってリオンはなかなか寝ることが出来なかった。
夜になりすっかり寒くなった外の景色を流れてゆく車。天を仰ぎながら夜の空を見つめる海、あまりにも無防備なその表情にリオンは海の手を引くと、車のシートにそのまま海ごと倒してきたのだ。
「きゃっ…?エ、エミリオ?急にどうしたの?!」
「いや、…何でもないが、やっと、お前と2人きりになれた。」
「エミリオ…ふふ、前にもあったよね、どうしたの?」
リオンにとっては長かったこの日。公衆の面前を気にしながらのデートは些か慣れなかった。ようやく訪れた2人きりに海は車のエンジンを切ると、不思議そうに首を傾げている。リオンに甘えてもらえるのが素直に嬉しい。
お互いに見つめ合いながらやや冷えた肌をそのままに2人は見つめ合いながら小さなキスを落として、抱きしめあった。
「ずっと、このままこうしていたい。」
「エミリオ…ん、私も、ずっとこのままでいたいな。」
しかし、いつまでもこんな誰が通るかわからない車内で抱き合っていても落ち着かない、するするとリオンの伸びてきた手を遮り、海は瞳を閉じた。それからどれだけの時間が流れただろうか、
2人は言葉も交わさないまま抱き合っていたが窓も閉まったままだんだん2人の熱気で曇ってきている。
「ねぇ、エミリオ、そろそろ、部屋に戻ろう?暑いし、シャワー浴びたいの…。」
「…話したいことがあるんだ。」
しかし、そんな問いとは全く関係のない言葉が薄く割られた彼の唇から開かれたのだ、
「どうしたの…?エミリオ、怖い顔、してるよ…」
「お前は、言ってくれたな、僕の過去がどんなものであろうと…お互いの過去には一切…触れないと、気にしないと、言ってくれた。だが…僕は、やはりいつまでも、このままで居たくない」
こんなに誰かをまた愛すること、本当の愛しい気持ちを教えてくれた、エミリオと離れたくない。 海はそう願うのに… エミリオはある決意を胸に秘めていた。
リオン・マグナスの罪を、過去を断ち切るた めに海に全てを明かすことも。
「エミリオ?」
「…なぁ海、」
「ん?」
「…お前を、愛してる。」
「えっ、ええっ、」
あのリオンが、愛をささやくなんて。長い長い、永遠のような沈黙の果てに寡黙な彼から紡ぎ出された言葉、リオンは徐に海の腕を引いて、シートに凭れるようにそのまま抱き寄せた。
「頼む…今だけはこうしていてくれ。」
海を体格や腕力などお構いなしに軽々と抱き上げると、後ろから抱きしめ、さらさらの柔らかな癖のある髪に指を絡めて口づける。
「エミリオ…?変だよ どうしたの?」
ふと、よぎる不安。 心臓が高鳴る。
別れ話なら聞きたくない、耳を今にも塞ぎたくてたまらない、戸惑う彼女に構わずリオンは会話を並べた。エミリオの目が鋭く海を射抜いた。
「お前が勇気を出して過去の傷を僕に話してくれたように、僕だけ何も言わないままなのは不公平だろう。僕は裏切りと言う名の汚名を背負って死んだ 。 ……大切な女性(マリアン)を救うためにな…」
リオンが明かした過去はまるで死刑宣告のようだった。マリアンの存在はずっと知っていた。しかし、今ここで、このタイミングで告げられるにはまだ受け止められる覚悟がまた、海には備わっていない、しかし、リオンは止めない、やがて最初は世界の終わりのように強ばっていた海も覚悟を決め、静かに耳を傾けた、
「うん、…わかった。聞かせて、エミリオ。その前に…部屋に戻ってゆっくり聞かせて欲しいな…ここじゃあ暑いし、会話だだ漏れだし、脱水症状になっちゃう、」
「ああ、そうだな。」
車から降りて2人はアパートへ向かう。
リオンの独白、長い長い暗い夜が幕を開ける。
prev |next
[back to top]