朧気な記憶。夢の中、独り言ではないリオンの声が確かに聞こえた気がしたが、海は夢だと思い瞳を閉じ、ベッドに戻ってきたリオンに気付かれないよう瞳を閉じる。
「すまないな、無理させて。」
いたわるような声音、それを最後にまた意識を失う。
やがて、開け放たれた窓から見えた街並み。星空が瞬いていた夜を越えて、秋も深まり日が短くなってゆく中ですっかり遅くなった朝焼けが穏やかに眠る二人を照らした。リオンと結ばれた明くる日、海はこれまでにないくらいに幸せな気持ちで朝を迎えた。
いつの間にか眠っていたらしい。ふ、と目を覚ました海。気持ちは清々しくも頭が割れそうに痛くカラカラに乾いた喉が傷んだ。ゆっくりと起き上がろうとするも下半身に力が入らなくてベッドにまた突っ伏した。
ふと、後ろから自分を抱き締める逞しい腕に気がつくとその先には穏やかな顔で眠るリオンの綺麗な寝顔が飛び込んできた。まじまじと眺めるが本当に綺麗な顔だと思う。まだ10代でこんなに完成されているのに、この先どんな美形に成長するのか。口もきっちり閉じられ美形な人は寝顔まで綺麗なのかと内心毒づきたくなるもそれを堪え自分が何も服を着ていないことを知ると昨夜のことがふつふつと脳裏に浮かび上がりあまりの恥ずかしさに身悶えた。
「もう・・・エミリオのせいなんだから・・・っ、」
リオンが起きる前に。すやすや眠るリオンに背中を向け、ベッドの下に落ちていた下着に手を伸ばすも届かない。必死に手を伸ばしていると背後から聞きなれた低い声がした。
「僕のせいで悪かったな。」
「えっ!?」
振り向くといつの間にか目を覚ましていたリオンが海に気遣ったのか、それともわざとなのかいきなり声をかけてきたのだ。今まで寝てた筈なのにいつの間に起きてたのか・・・もしかしたら、ずっと寝たフリをしていたのかもしれない。急に声をかけられて驚き、ベッドからそのまま滑り落ちた海。
「いたた・・・」
下腹部の違和感と鈍痛と共に足腰に力が入らず裸のまま床に倒れ込んでしまうと、リオンが海を引き寄せ、そっと、抱き抱え身を起こしてやるが、自分は今何も着ていない事実に慌てて隠そうとするとリオンがそれを遮った。
「隠すことはないだろう。昨夜さんざん見たんだ。」
「んなっ!何言ってるの!」
「本当のことを言ったまでだ。いや、待てよ。そうだな、アレは・・・「ひゃあああ!んもぅ、馬鹿正直にそういう事は言わなくていいの!」
結局明け方まで2人で愛を確かめ合い、愛の深さを全身で受け止めた海は最後は気を失うように眠ってしまったのだと、リオンはさらりと告げた。
そのまま床で恥ずかしそうに落ちていた服で身体を隠す海をリオンは丸ごと抱き寄せベッドに引き戻す。大好きな人にお姫様抱っこをされ、海の記憶がある中リオンに抱き抱えられたのは初めてだったので胸の高鳴りが抑えられず、恥ずかしそうにずっと俯いていた。
「声も枯れてるな・・・無理をさせてすまなかった。」
「いいの。」
謝るくらいならそこまでしなきゃいいのに。自分をこんなふうにクタクタにさせたのは目の前の彼なのに。喋る度ささくれた喉も痛いし、リオンから貰ったミネラルウォーターも一気に飲み干してしまった。内心悪態づきながらも彼の姿を思い出すと恥ずかしくてたまらなくて、海は高鳴る胸を抑えきれずまた蹲るとリオンは優しく乱れていた海の髪を梳きながら真顔で見つめてきた。
「セミダブルの部屋しかないと言われて一瞬迷ったが、賭けてみた。お前がもし嫌がるなら僕はソファで眠るつもりでいて、きっぱり、この思いは断ち切ってお前の前から姿を消した方がいいんじゃないかとさえ、思った。」
「そんなの、だめっ、そしたら、私も一緒にソファで寝るっ」
「おい、流石に2人は無理だろ。」
「無理じゃないもん」
「はぁ・・・お前ってやつは、本当に憎めないやつだな。」
先程の明るい電気の下で見せた艶っぽい姿とは別人に見えるほど、子供じみた海の発言が可愛らしく見えて。くたりとベッドに突っ伏しすやすやと寝息を立て始めた無防備な寝顔を横目にエミリオはふわふわと海の髪を撫でた。
「エミリオ・・・眠るまで一緒にいてね、」
「ああ、だからもう少し寝ろ、」
「うん・・・」
迷わずそう打ち明けてくれた一途な眼差し。自分よりも年上なのに、どうしてこんなにも庇護欲を抱かせ愛おしく思うのだろう。瞳の端に溜まった海の涙を拭い、エミリオは1人微笑んだ。こんなふうに自分を思い自分のために涙を流してくれる、いつの間にかかけがえのない存在となっていた海を失いたくないと、心から思った。
「おい、起きろ。そろそろチェックアウトだ。」
「う・・・ん」
それから暫くして、未だ昨夜の余韻も残り低血圧な身体は眠いが、清々しささえ覚えるほどに鮮明なまでに飛び込んできたリオンの微笑に海は胸を高鳴らせた。ふわふわの柔らかな髪を指先に絡めて微笑むリオンが今まで見せたことのない表情を見せているから…海はたまらなく切なくなった。
「リ、オン」
「エミリオだと、何度も言っただろう。未だ呼んでくれないのか?」
「ごめん、なさい」
起き上がろうとした時、自分は何も着ていないことに気づき慌ててまたベッドに倒れ込むと、同じく何も着ていないリオンのむき出しの肩、筋肉質な腕、ベッドの下に落ちているのは紛れもなくリオンのバスローブ。結びつく先はベッドの彼は自分と同じく裸なわけで。そしてそのまま立ち上がろうとしたので海は昨夜愛し合った彼の裸を直視できないと慌ててリオンをベッドに押し付けた。
「きゃあああ!ま、待って!せめて服を着て!」
そのまま起き上がろうとしたリオンを悲鳴で押さえつけるとリオンは明らかに面白くなさそうに先にシーツを身体に巻き付け背中を向けようとした海を、背後から抱きしめた。
「今更恥ずかしがるな。」
「なっ!」
「もう忘れてしまったのか?」
「ば、ばかっ!」
昨夜のことが鮮明に思い出させるリオンの低い声。嫌でも脳裏を駆け巡り、海はまともにリオンが見れなくなり、抱き締められて足を深く絡まれて、自分が恥ずかしくなり頬を赤らめ布団に顔を埋める。
エミリオ、海、
何度も名前を呼びあいふたりは幸せな夜を過ごした。
お互いの瞳に映るのはお互いの瞳だけ。真っ直ぐな告白、睫毛さえ重なるくらいに長いドラマチックなキス、そして2人は抱き合いお互いの愛を確かめ、海はすやすやと夢の世界に堕ちていた。唇が未だ少し腫れていて身体も気だるく、痛みすら感じて。リオンがこんなに風にキスをするなんて、知らなかったから。
そうして気づく、彼は少年だがれっきとした男だったということ。しかし、リオンはまだ、未成年だ。ましてや初恋と言う恋情ですら未だよくわからないのに越えられない壁があることを知っていながら年の差も世界の壁さえも越えて2人は繋がった。
リオンは海を躊躇いもなく抱き締められるだけで満足で、こんなに誰かを抱き締めたりしたいなんて意識を抱いたのは初めてだった。
本当に海は不思議な存在だと思った。自分が得られなかった多々あった気持ちを意図も容易く与えてくれる。名前のない贈り物を沢山くれて、思えば誰かにこんなにいつまでも触れていたいと思うなんて初めてだった。
愛し愛され誰かに思われる喜びも、
「チェックアウトまで未だ時間がある。なにか食べるか?」
だんだん登り始めた太陽を横目にリオンはベッドから起き上がるとバスローブを手に取り羽織るとそのまま歩き出したのを海は素肌にシーツを巻いただけの姿のまま追いかける。
「待って!行っちゃだめ・・・!未だ、ふたりきりでいたら、駄目、かな?」
ぎゅうぎゅうになりながらベッドで身を寄せあう状態は決して海には苦しくはない。むしろ、今まで表裏一体のコインみたいにすれ違っていた二人だから、もっと何もかもまざりあえるくらいに抱き締め唇を重ね続けていたいほどに海はずっと苦しんでいた焦がれていたリオンと結ばれたときめきの朝。こんなに甘く満たされた優しい夜の余韻にまだ浸っていたい。海は拙い言葉ながらリオンを引き寄せ、綺麗な鎖骨に顔を埋めていた。昨夜ようやく結ばれた彼とまだ離れたくなくて、現実に戻りたくなかった。
「だが、風呂に入らないと、その・・・昨日のままだし、な。」
「もうっ、ムードを壊すようなこと言わないで!私は、昨日のことをまだ夢みたいな気持ちであなたに甘えていたいのに・・もう」
背中を向け、リオンに指摘された言葉通りにあのなんちゃって合コンでタバコや酒の臭いが染み付いたまま彼と結ばれたことを大いに悔やんだ。きっと泣いたりしたから今はすごい顔をしてるに違いない。よくよく考えたら化粧も落とさないまま寝たのだから。今更こみ上げてくる恥ずかしさに頭が支配され、今度は海がリオンから離れる番だった。
「私っ、シャワー浴びてくる!」
「海、待て、」
「やっ!私、だって、昨日・・・あっ、」
「悪気はないと言った。すまない、お前があとから自分でわかって落ち込んだらかわいそうだと思ったんだ」
確かに昨夜は無礼講で酒も飲みおまけに・・・口はゆすいだが歯は磨いていない。今さらでも口を塞ぎながら言葉を紡ぐ海はあまりにも意外な光景に目の前で素直に頭を下げるリオンは別人のようで、リオンに成り済ました宇宙人にすら感じられた。素直に自ら謝罪するなんて。
まんまるな目をさらにまんまるくしてリオンを見れば、申し訳なさそうにこちらを見ている。海は理解した、リオンの冷たい態度は本当は上辺だけの虚勢で根は素直で純粋なのだ、本当は誰よりも思いやりのある優しいリオン。
知らないままであとから気づいて気にする方がいいか、それとも優しさと言う気遣いで教えてもらった方がいいか。
海はよくよく考え、後者をとったリオンをギュッと宝物に触れるよう抱き締めていた。
「ごめんなさい、エミリオ。お願い、そんな悲しい顔、しないでっ」
「海、謝るのは、僕の方だ。許してくれ、
お前がシャワーを浴びたら、待っているから。」
そうして海は知る。リオン・マグナスと言う冷たい仮面を纏った男はもうここにはいない。彼はきっと、そう、これが本来のエミリオ・カトレットなのだ。
「でも、やっぱり、まだ離れたくないよ・・・せっかく、私の気持ち、伝わったのに・・・まだ、そばにいたいの。どうしたらいいのかな?」
「どうすればお前は満足するんだ?一緒にシャワーを浴びればいいのか?」
「えっ!?あ、あのっ・・・!」
リオンが告げたのは直接的な、恥ずかしがり屋の海が精一杯に伝えた思いを彼なりに享受した証だった。
「そうか。」
「エミリオ、待って、本気、なの?やっぱり、恥ずかしいよ」
「今さらか?初めて出会った時背中を流してくれただろう。お前はあの男とは一緒にいつも風呂に入っていたんだろう?僕とは、嫌なのか?」
「だって、恥ずかしい・・・昨日の私、とか、私、ほんとに魅力なんてないもの・・・エミリオは、好きだから、カッコよすぎて・・・意識しちゃうの・・・」
「全く、お前は本当に困ったやつだな。何故、そうやっていつも・・・お前の可愛いわがままに僕は振り回されてばかりだ。」
真っ向からリオンに初めて甘い言葉で告げられ、海はあまりの衝撃に開いた口が塞がらない。
まさかあのどんな異性を前にしても徹底的に冷酷なまでに無視していたリオンが・・・今、確かに可愛いと言った。
海は恥ずかしくて背中を向けるが、リオンは逃がさない。まだ足腰に力の入らない海を捕まえ、小柄な身体をお姫様のように抱き、浴室まで連れていった。
「エミリオ、待って!」
「離れたくないのは僕も一緒だ、海。」
前は冗談じみたように笑顔を浮かべて身体を洗ってあげようかなんて真っ赤になったリオンを得意気にからかっていたのに。今では立場が逆転している。恥ずかしがる海を今度はリオンがからかっている。
普段はおっとりしている海が恥ずかしそうに自分の腕のなかで大人しくしているからリオンはそんな彼女がますます愛おしく思い、海を引き寄せた。
「きゃ!」
「逃げるな。」
なんとか走って逃げ出そうとしたが、海はリオンに簡単に捕まってしまった。巻いていただけのシーツが足元に落ちたのを知り、もうリオンから離れられないことも知った。
海を抱きすくめながらリオンが着ていたバスローブも彼の堅い肌を滑り落ち足元に落ちる。朝からこんな風にお互いに一糸纏わぬ姿をしたまま熱い湯を浴びるなんて、昨日の家を出たふたりからはあっという間の出来事で、今も信じがたい大きな進歩だった。
「ねぇ、エミリオ、のぼせない?」
「平気だ。海がいなかったらもっと具合悪くなる。」
海が、誰のものにもならないで欲しかった。海を抱き寄せて浴室に閉じ込めるリオン。気付けばくたくたになっていた海を見て、リオンは優しくシャワーを出すと海の身体を洗ってあげた。
「ふふっ、リオン・・・くすぐったいよ、」
「綺麗な肌だな、いつも塗ってるあれか?」
「そうそう、チクチクしないでしょ?」
「ああ・・・昨日、さんざん明るい光の下でお前を隅々まで見たが綺麗だった。」
「そ、そう言うことは言わなくていいの・・・っ」
無心で自分の脚を洗い続けるリオンが何故かとても可愛らしかった。彼の足の間に座りながら、海はこれならばもっとちゃんと綺麗に徹底的に磨いておけばよかったと後悔した。
「エミリオのばかっ・・・お風呂で何もしないって・・・約束、したのに」
「すまない。本当に反省している」
結局お風呂で彼が離してくれる筈もなく、ぐったりのぼせた海の介抱をしていたらチェックアウトの時間をとうに越してしまっていた。
ふたりは忙しなくホテルを後にしながら海はスマホ片手に友里に早速メッセージを打っていた。今日は1日休み、家に帰ればあの頃とは全く違うふたりの叶わないと諦めていた幸せな生活が待っている。高なる胸を抑えきれないまま、海はやきもきしているであろう友里に結果を伝えたのだった。
きっと、どんな別れがふたりを引き裂いたとしても海はリオンが好きで好きで、仕方ないままでいると信じている。どんなものにも今なら負けない気がした。リオンは私が守る。海はそう強い気持ちを抱いていた。
「おい、人前でくっつくな!」
「いいじゃない!お風呂でずっと一緒に居たし、街ゆくみんなに見せたら、私たち、何も悪いことしてないわ。今は、エミリオが私のものだって、みんなに見せびらかしたいの」
「海・・・」
時おり見せる海の子供じみた可愛らしい少女の独占欲。大人びている海とはかけ離れた姿にリオンは胸を打たれた。
「本当にお前は。ようやく昨夜の本性を見せたな?駐車場までだからな。」
普段はスーツを纏いバリバリ働き、頑固で負けん気の強い海も恋する乙女に生まれ変わればたちまち甘えたな子猫だ。
街中の恋人たちが普通に人前で大胆に手を絡めるように、海だって人前でそんな大胆なことに憧れていた。
恥ずかしいと思う気持ちがないわけではない。
ただ、リオンとこうして結ばれたことを行きずりの恋人やリオンをうっとりした目で見つめるものたちに海はそうして人前で甘えたりはしない世間体やマナーを気にする海以外には冷淡なリオンに求めていた。
ふたりは休日の午前の街中を駐車場までの長い長い距離をあっという間に感じるほど幸せそうに歩いていた。
「あっ、ありがとう」
「いい。」
車のドアを開けてくれたリオンの手を握り締め海はリオンと正式な恋人になれたことをいまだに夢物語の続きを見ているような気がした。
リオンは案外レディファーストを心得ている。そんな一面も知り、海はますますリオンに焦がれていくようだった。
海の憧れていたプリンセス気分に浸らせてくれる。車を走らせて帰路へ向かう、引っ越したばかりの二人の家に向かう間、待ちきれなくてリオンは運転に真剣な表情の凛とした海のクールな横顔が珍しいのか何度も海にちょっかいをかけた。
「もう!ふざけないの!事故ったらどうするのよっ!」
「退屈なんだ。酔いそうだ」
「じゃあ音楽でも聞いて寝てたらどう?」
しかし、くすぐったいのか膝や肩を触られる度海は真っ赤な顔で怒ってしまった。
海を怒らせるとしばらく機嫌が直らないのを分かっているリオンは直ぐ様ちょっかいをやめた。
代わりに、海はハンドルを右に持ち替えて空いた左手をリオンに差し伸べる。
「もう少し、待っててね」
家に帰るまで代わりに繋いでて、そういう意味を込めてリオンも穏やかに笑みその手を握り返したのだった。
それが余計にリオンを燃え上がらせた、本当は誰よりも海に甘えたかったのは彼なのだから。
信号待ちのあいだ、ふたりは人目を気にしながら秘密の恋人同士の密会のように唇を重ね合わせた。
「エミリオがキスが好きだったなんて知らなかったわ」
「勘違いしないで欲しい。海が、教えてくれたんだ、この心地よさも、みんな教えてくれた、ずっと、海とこうしたかった」
「んっ、わ、たしも、だよっ」
本当にどうかしている。朝から晩まで唇が腫れても痛くても、まだキスを何度も繰り返しふたりは通じ会えた気持ちを噛み締めた。
車を走らせ、ついでにルームサービスを忘れてお風呂で愛し合ったがためにお昼を食べ損ねたふたりは食べ放題の安いイタリアンで食欲を満たし、その敷地内にあるショッピングモールで1週間分の食材を買い込みようやく駐車場に到着した。
「リオンも車に揺られっぱなしで疲れたね、早くご飯にしてゆっくりしようね、」
「お前はまだ慣れないんだな。2人きりの時、必ずエミリオと呼べと言ったろう。」
「あっ、ごめんなさいっ!リオン・・・!あっ!」
「お前な本当に学習能力がないんだな。それともわざとか?・・・"エミリオ"という名前を初めて本当の赤の他人だと思っていた海に捧げた。お前をこんなに誰かに奪われたくないなんて、ひとりの存在に嫉妬するなんて、知らなかった。お前に教えた"エミリオ"と言う名を海が呼んでくれないだけで、腹が立つんだ。だから、次から"エミリオ"と、呼ばなかった場合のことを考えておこうと思ってな。」
海の邪魔にならないように気を遣っていたリオンは恋しい存在とキスを交わすだけで嬉しくて、こんなに幸せに包まれるなんて海に出会わなければ知らないままだった。邪な気持ちではない、今は、純粋に海を求めたかった。誰も咎めることなく海と堂々と抱き締めあえる。すれ違っていた日々を埋め尽くすくらい抱き合いたい。すれ違っていた背中合わせのふたりはもう居ないのだ。リオンは電動のリクライニングシートを倒すと、そのまま大胆に海を抱き寄せて来たのだ。
「きゃっ、どうしたの!」
「海・・・」
エンジンを切り、気付いたときには海の肩越しにリオンの艶やかな黒髪がサラリと靡いたのが見えた。
しかし、リオンはなにも答えない。黙ったままくらくらするような熱いキスを海に落とし、暗闇に包まれた車内で昨夜を思い起こさせるような深い深いキスをしてきたのだ。
「エミリオ、待って、ここじゃあ誰かに見られちゃう!」
「何度でも、お前が欲しい。あんなに抱いたのに、お前と繋がっていないとおかしくなりそうだ、」
「んっ・・・だ、だめっ、だって、昨日も、今日も・・・」
「僕は足りない。何回抱いてもきっと飽きない、もっとお前が欲しくなる。」
リオンの香りに包まれて、海は一気に心地よさに包まれた。深く唇を重ねあい、リオンの手が海の長い髪を掠り、耳たぶにキスをするとむき出しの足を優しく撫でた。
「ひゃ!」
沈黙がふたりを繋ぐ。リオンが息を乱しこんなにも自分を求めてくれるなんて、海は嬉しくて、初めてこんな自分を求めてくれた彼を愛しく思ったが、しかし。いつ誰がこのアパートの駐車場を通りかかるかわからないのに、海は夢中になりこんなに求めてくれるリオンを引き寄せ甘い疼きが止まらない。リオンはまだ子供だと馬鹿にしていた自分が恥ずかしかった。自分を求めるリオンの手つきはれっきとした男性だったのに知らない振りをしていた。優しく壊れ物を扱うように触れられて堪らなく心臓が破裂しそう。こんな風に自分を求めてくれるのがリオンだと認識すると海はただ心地よかった。
「お前にこうして触れるなんて、夢のようだ。」
「夢じゃないよ。現実だよ」
海は自らを穢れと象徴するリオンのその手を握り返していた。リオンが幾多も相棒を振るい駆け抜けてきた戦場で彼はどれだけの命を奪い血を流してきたのだろう。しかし海は過ぎ去った彼の過去を過去だと割り切っている、彼を信じていたから。彼は、決して自ら罪を犯したわけではない、当事者でなくてもそれだけはわかる。
「海、」
「だめっ、エミリオ、貴方はまだ、未成年なのよ・・・」
「今更あんな風になっておきながら、まだ言うのか。」
上擦った海の声にリオンは明らかに興奮していた。どちらが大人で子供なのかわからなくなってくる。
海はリオンがまだ未成年だと言うことを強く意識してその壊せない壁を何よりも気にしていた。
もし、ふたりに隔たりがなかったら…今にも強く強く抱き締め会える、硬派で純情なリオンがこんなに自分を求めてくれているのに、応えることができない自分が申し訳ない反面、リオンに我慢をさせてしまうのが辛かった。
「わ、たし、エミリオと身体だけで付き合いたくないのっ。けじめ、つけなきゃ・・・これは私が大人としてあなたを我慢させなきゃいけない義務がある。」
二人の間にはまだまだ壊せない壁がそびえていた。
「私・・・年上なのに、我慢させてしまって、ごめんなさい、」
「いや、いい、分かっている、分かっているつもりだ。」
駄目の一点張りでリオンを拒んでしまったこと、何故ダメなのかなんてうまく言えない海をリオンは大人の気持ちで受け入れることを努めた。こんなに求めてくれているのに。それでも意固地に彼を拒む自分なんかよりもふさわしい相手がいるんじゃないか、そうとすら感じていた。リオンは苦しそうに長い睫毛を伏せると海を倒していたシートをあげ、小柄な海を軽々と抱っこすると自分の膝の上に座らせた。
「頭では理解している。お前を苦しませたくない、そうだ。僕は、まだ未成年だから。お前とは違う、壁がありすぎることを理解しているつもりだったんだ。」
「ごめんね、我慢させて・・・でも、私、っ、エミリオが大人になるまで、幾らでも待つからね。私はこれからも、身も心も、エミリオだけのものだから。」
「海・・・早く、大人になりたい。そうしたら真っ先にお前を、海を・・・僕だけの海にする。」
海は自分のことを素直に打ち明け、リオンはそれを察した。大人になれないかもしれないのに。今すぐ力ずくでも誰かに奪われる未来が来る前に海をかき抱いてしまいたかった、そんな葛藤を繰り返してもリオンは二人の距離を隔てている年の差や壁を今にも壊して、海を一気に奪い去ってしまいたいと願った。
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