冷血だと思っていたリオンは海の想像をはるかに上回る行動を起こした。そして改めて知るリオンの優しさや年相応の不器用な性格、そして、抱きしめられた力の強さ。宥めてくれた優しさ。
意識はしていたが、それは確かなものとなった。海は改めて気付いた気持ちをどうすることも出来ないまま仕事に向かうも、安堵感と抱きしめられた時の力強さに胸が苦しく頭がぼんやりと思考もままならなくて。そんな状態で仕事が捗るわけもなく、海は夜が明けても、お昼になっても、リオンのことが頭から離れられずにいた。
「えっ!えぇっ!!んで、で、どうしたのよ!突入してリオン返り討ち!?ぼこぼこにやられたんじゃないの!?ひーかわいそう!!」
「ゆ、友里ちゃん、胸、胸が揺れてる、」
「いちいち見ないでよ!牛みたいで気にしてるのに〜!!」
「羨ましいんだもん。私なんか亀みたいに平らだから・・・あ、それでね、だ、大丈夫だったよ、リオンったらほんとに容赦なく殴りつけてくれて。でも、リオンを巻き込んでしまったから・・・申し訳なくて・・・」
リオンを庇い殴られた顔はリオンが応急手当をしてくれたおかげでマスクで隠す程度で留まり口角の切れた傷跡も残らなそうだ。
そうしていつものようにリオンに見送られながら職場に向かった海を友里の尋問が待っていた。あの時一緒にいたが自分がいなくてもリオンがいるから大丈夫だろうと気を利かせて抱き合う2人の邪魔をしないようにそのまま帰ってきたのだがどうやら思った通り上手くいったようだ。
リオンに返り討ちにあい海に拒絶されたダメージは大きかったが海はもう二度と元彼が自分達には関わらないと確信が持てるほどそれは濃厚な夜だったと思い返す。
怖かったが、1度は姿を消してしまったリオンが助けに来てくれたこと、今でも鮮明に思い出せるほど。それよりも、リオンに2回も殴られた元彼があまりにも酷い有様だった。リオンは平均男子より身長はまだ発展途上だが、改めてただの一般人ではなく、王宮に仕えていた剣士なのだと痛感させられた気がする。
「でも、リオンが、ねぇ〜・・・見た目、ぶっちゃけ貧弱っぽいよね」
「そんなことないよ!確かに小柄だけど、それは多分背の割に筋肉質だからで、見た目よりいい身体してるんだよ、それに、腕っぷしも強くて・・・」
「身体!?ちょっと、まさか海の口からそんな単語が出るなんて!そこまでの仲ならあんたたち何なの?付き合ったの?それで襲われそうになった海を助けてそのままヤッちゃった!?」
職場にも関わらず相変わらず大声で捲し立てる友里に海も性を匂わす言葉に真っ赤な顔で立ち上がる。
「ゆ!友里ちゃん!」
リオンとそうなる事なんて・・・海は赤らんだ頬を隠しきれずに友里に耳打ちしたがそれすらも恥ずかしいのか上手く言葉にできない。素直になれるほどもう若くもない、海は叶わぬ恋とわかっても気持ちはリオンに向いていたことを知る。
「うぅん、違うの。私の一方的な気持ち。」
「でも!よかったじゃないの!あーこれであんたも新しい恋に向かって一歩踏み出したのね!そうよ、あんなチャラ男忘れてリオンにしなさいよ!あいつやるじゃない!まぁわたしだって殴っていたでしょうけどねっ!やっぱり眼鏡男子はダメよ!」
「友里ちゃん、それは偏見だよ・・・うん、ひと夏の恋でもいいの。」
「海?」
「あのね、リオンとはね、いつまで一緒にいられるかわからないから・・・」
「海」
「それに、リオンはちゃんと好きな人がいるから・・・」
リオンはこの世界の人間じゃない、海はそう言いかけた言葉をぐっと堪え、別の、しかしどちらにせよリミットがある恋をすることを理解して覚悟していた。
海の言葉に友里は驚きに目を見開いた。昨日のリオンのやりとりではリオンはそんなこと一言も言っていいないし、言葉にしなくても態度から見てリオンにとって海は大切な存在になっていると感じる。
誰よりも不器用でいじらしい彼女が見せた悲しみ。
辛い恋を乗り越えて新たな恋を見つけ、ようやく立ち直れたのにまた更なる苦しみが海を苦しめるのか。
友里は怪訝そうにつり上がった眉をして、海に詰め寄った。この自由な時代、付き合う相手は異性同姓問わず今は咎められたりはしない。元彼も去った、それだと言うのに、何がふたりの愛を隔てるのだ。
「何で?せっかく一緒に暮らしてたのに?また海外に帰るの?なら会いに行けばいいじゃない!それとも、まさか、リオンは病気とかなんかなの!?」
「病気とは違うけど、住んでる国がね・・・簡単には会えない地域なの。」
「そう、なの?ビザとか?」
「うん、リオンは戦っているの。きっと、そうなんだと思う。あっちにはリオンの大切なものがつまってる。私は、いいの。そんなリオンを支えられたらいいなぁ・・・って」
しかし、自分たちが服を脱ぐ関係になることは100%ありえない事なのだと海は理解している。
これは自分の一方的な思い、リオンが夜な夜な口にする姿なき大切な存在があるのだと海は知っていたから。だからこそ、海は小さな恋を胸に秘めていた。しかし、打ち明けもしないでずっとそのまま暮らすのか?2人はなんだなんだいいながらも上手くやっているし、絵的にも年上だが、歳の割に素直で可愛らしいおっとりした海と年下のクールで不器用なリオン、バランスも取れてお似合いだとも思うが・・・友里は納得がいかないようだ。
「海、あんたそれでいいの?後悔しない?わたしだったら、絶対に嫌よ!そんなの辛いだけだし、リオンにも言わなきゃ!!・・・ん?海?」
不意に、友里は違和感を感じて海の顔をよく見てみた。マスクをしていてもわかるほど何やら赤くなっている頬をリオンを思うが故に赤らんでいるんだと思っていたが、どうやら様子が違うようだ。何やら息がいつもより荒く、いつも子供みたいに温かい手が今はとても冷たく、額に触れれば燃えるように熱を帯びている。まさか・・・友里の予感は的中した。
「ちょっと、海?もしかして熱あんじゃないの?いつもよりとろーんってなってるし」
「へ、いきだよ」
「海がよくたってだめよ、あたしたちは保険の手続きしに病院で入院してるお客さんとかも相手にお仕事してるのよ?風邪とかうつしたらどうするの?早退しなよ、昨日の今日で疲れたんでしょ?あっ!リオンに迎えに来てもらったらいいじゃん?そんでそのまま・・・」
「んもぅ!それはいいの!それに、昨日の今日で心配、かけたくないの!」
「あんたもねぇ〜こんな時だからこそ素直に甘えたらいいのに。私の病、それは恋よ、ああ胸が苦しいっ楽にしてぇ!!って、そのまま押し倒してさっさとやる事やっちゃいなさいよ!!大人の女のテクニックで身体からトリコにするのよ!」
「そ、そんなこと、出来ないよ・・・私、友里ちゃんみたいに出来ないよっ!」
「だぁいじょうぶよ、リオンも悪い気はしないんでしょ?だって昨日は・・・」
と、言いかけたが友里は黙り込む。
そうだ、昨日は自分は居ないことになっているのだ。しかし、海は頑なにリオンへの好意を否定するので友里の言いかけた言葉に追求はしてこなかった。
「そんなの、わかんないよ。リオン、なに考えてるかわかんないし・・・ほんとは優しい性格なのはなんとなく伝わるけど・・・」
「う〜ん・・・分かりにくい性格に見えたかなぁ?ツンツンクールぶっててもやっぱりまだ10代だし、結構カッとなりやすいタイプだし、思い切りわかりやすい性格してるじゃない。」
「でっ、でも!」
悪い気はしない?果たしてそうだろうか。リオンの気持ちは結局リオン自身にしかわからないのだから・・・海はどうしても確信を持てない。リオンが秘めた思いもきっと彼のみぞ知る、そうだろう。
「古雅、具合悪いそうだな?」
「あっ、主任!そうなんですよ、熱あるみたいで・・・」
「あ、だ、大丈夫です」
「古雅が大丈夫でも仕事上それは駄目だ。」
確かに何だか頭が痛くなってきた。しかし社会人が体調を崩すなんてとまた和之に怒られると、迷惑をかけたくないと半ば意地を張る海だったが立ち上がった拍子に重くて気だるい身体を引きずりながらまた椅子にへたりこんでしまう。どうやら自分が思うより体温が高いらしい。ふらつく海の肩を簡単に片手で支えた鬼こと和之に連れられ海は早退することになった。
「朝からマスクもしてるな、そんな状態でお客様のところへ営業に行くなんて非常識だと思わないか?」
「すみません・・・」
「今日は帰ってゆっくり休め。佐竹の会話から聞くようにプライベートで色々大変だったみたいだからな。」
「はい・・・」
友里のおしゃべり。内心思ったがこの狭い店内でそんな大声で喋れば確かに聞こうと思わなくても丸聞こえだ。午後からの和之の営業ルートがちょうど海の地区内であるのもあり、ついでに自宅に送ってもらうことになった。若くして成績もよく主任のポジションなだけあり営業車も立派なワンボックスカー。軽の海たちとは大違いだ。ふらつきながら和之に支えられ車に足を掛けるが海の背は平均より小さいので足が届かず、うっかりバランスを崩しそうになる。
「ほら、俺の腕貸すから。」
「すみません・・・!」
「ほんとに、危なっかしいんだな、」
そう、からかわれたのか分からないが海は和之がとにかく恐ろしくてたまらないためひたすら謝り続けている。車で説教だろうか。その肩にしがみつき後部座席に横になる。しかし、主任はなにも言わずに海を支えてくれた。
「問題は解決してよかったな。」
「ああ・・・はい。」
「暴力を振るうやつはどうしようもないやつだ。断ち切って正解だ。」
「・・・はい、」
「古雅、大丈夫か?って聞いてもお前の大丈夫って、大丈夫に聞こえねぇから心配だ、ゆっくり休め。」
「・・・主任・・・」
普段の厳しくきつい口調はどこへやら、窓を開けて我慢していたタバコをふかしながら素に戻り話しかけてくる和之が別人に見える。この人もヤクザかぶれの会社の社長なども恐れず対等に相手にしているからか鬼のように仕事もできるし恐ろしく冷血だと思っていたが彼も生身の人間であり、優しい一面もあるのかもしれない。
今ので一気に体力を消耗したのかほとんど上の空のまま、自分が何を言ったか朧気なほど会話にもならない会話をするうちにマンションに到着した。
ただ、わかるのは主任もなんだかんだで自分を間接的に知っていたから今の事情をわかってくれたこと。海は自分には心強い味方がいたことを知り自らあの男のために死のうと絶望したことを、命を投げ出そうとしたことを悔やんだ。
死んでおしまいにしたって苦しみは消えない。死んでも苦しいまま、死んだら、苦しみの先にあるこの愛しさもわからないまま、だった。
昨夜もリオンは何も言わずに傍にいてくれた。殴られた頬を冷やしてくれて、乱れた服に自分の服をかけてくれて、眠りに落ちるまでいてくれた。リオンはまるで静かに寄り添う月のように。寡黙で多くを語らないけれど、海はどんな慰めや憐れみよりも愛しさを感じ始めていた。マンションに着くとリオンを呼ぶためにスマホで電話をかける。
「はい、」
「リオン」
「海、どうした。」
まだ数時間しか離れていないのに。スマホ越しに聞こえるリオンの低い声はこんなに優しくて、愛おしかっただろうか。
海はうまく話せずにただリオンに声なき声を発するも今にも倒れてしまいそうで、そんな海を励ますように主任が助け船を出したのだった。
「あの・・・わた、し・・・」
「いい、病人は無理して話すな。リオン、君?だっけ、」
「?誰だ貴様・・・」
ふと、聞きなれない落ち着いた大人の男性の声にリオンの思考はぴたりと止まる。
「俺はリオン君の殴った相手じゃない。古雅の上司の松本和之だ。実は古雅、熱があるみたいで早退させてついでに家まで送りに来てて今下で車を停めてある。昨日の件で大分心労がたまったんじゃない?とにかく下に降りてきてもらえるか?」
「煩い、僕に命令するな。」
「あ?」
「(ひいいい!リオンのお馬鹿!!)すっ!すすすすみません主任!彼、ゆとりなので許してあげてください・・・」
「全く、彼女の教育が行き届いていないようだな?」
「すみませんすみません!」
初対面であるにも関わらず挨拶どころか海が普段世話になっている上司に対し不機嫌丸出しの様子で切ったリオンに海は眉を寄せた。
貴重な休憩時間を抜けてわざわざ送ってくれた上司に対しあまりにも上から目線で申し訳なさを感じた。
普段にも増して機嫌が悪い。いったいどうしたのだろうか。理由を探す間にリオンがエレベーターから降りてきた。
「初めまして。営業所主任松本和之と申します。」
頭を下げ名刺を差し出す松本に海も目で挨拶しろと促せば先ほどとは打って変わりリオンも丁寧口調に変わる。確かに名刺通りなら海に対してなにかよからぬ事を企む男ではないだろう。
「・・・いつも、海が世話になっております。わざわざすみません。海、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
上司には目もくれず、しかし、会釈はしたリオン。やはり宮廷儀礼を学んだだけはある。以前よりも丸くなった気がして海は微笑む。
熱でますます喋れなくなってきたのか、焦点が定まらずリオンに手を伸ばす海の指先が震えている。
「彼氏、後は任せたぞ。」
「あ、あぁ、はい。ん?彼氏?まさか、僕は・・・「だいぶ熱があるみたいでな、興奮させて更に熱を上げるようなことはするなよ。」
彼氏と取り繕う間もなく普段の仏頂面から意地悪く笑みを浮かべて駐車場から出ていく和之の営業車を見送りながらリオンは今までずっとあの上司と一緒だった海を内心睨みながらも和之から渡された海をしっかりと受け止めた。
「きゃっ・・・!」
さらさらの髪に触れてからそっと額に手を当てると微かに汗ばみマスク越しの頬も耳まで赤く染まっている。最もそれはリオンが急に触れたからだろうが。びっくりして、驚く海に構わずリオンは平然と熱を測っている。海のつけていたマスクを奪い取ると唇が近い距離でリオンの美声が響く。
「やはり、昨日のせいか・・・海、歩けるか?」
「ん・・・大丈夫」
潤んだ瞳をし、歩くのも覚束無い海。心労が溜まったのか弱々しく振る舞う海に罵る言葉すら浮かばないほどリオンは純粋に海を心配するようになっていた。
言葉にすらならないほど辛いのだろう、ふらふら歩くたび今にも膝からガクリと崩れ落ちてしまいそうで。
リオンは何かを秘めるようにエレベーターに乗る海の手を引いた。
「リオン?どうしたの?」
「辛いのか、」
「へ、いきだよ・・・」
今にも倒れそうなほど衰弱しているのにそれでも大丈夫と意気地を張る海。大丈夫、大丈夫、大丈夫ではないのに。虚勢は聞き飽きた。辛そうに見えるのは明らかなのに、リオンは密室のエレベーターでしゃがむと海に顎で背中に捕まれと、おんぶを促した。まさか、あのリオンが。半ば信じられないと、何かの幻だと思ったが海は立つのも辛くなってきて仕方なくリオンの背中にしがみついておぶってもらうことにした。
「重いでしょ?ごめん、なさいて・・・」
「いいさ、お前には迷惑をかけた、」
「そんなこと、ないよ・・・」
近所に見られたら困ると言う不安も構わず自分が辛いとき、こんなにリオンが優しかったなんて。昨夜がきっかけだったかもしれない。ほんとは優しいんだね。恥ずかしくて言えないが言わなくとも海はただ笑みを浮かべて安心したように瞳を閉じた。
そんな自分を支えてくれたのはリオン。リオンがあの場所にいなかったらきっと。自分はもっと身体にも心にも深い傷を負い、本当に心から笑えなくなってしまうところだった。
リオンにおんぶされながらようやく部屋にたどり着くと、リオンは何も言わずに靴まで脱がせてくれて、ベッドまで運んでくれた。見ただけではわからない、リオンに触れた背中は思った以上に広くて。海は安堵し、今だけは触れていたくて、もっとこの瞬間が続けばと思わず背中に縋り付く力を強めた。
「しかし、体温が高いな。お前、本当は朝から我慢していたのか?」
「ん・・・ちがうよ、ねぇ、何度ある?」
「いいから着替えて寝てろ。なにか食べるか。」
「ううん、だるい・・・何もいらない。」
おんぶを、意識しているリオンにしてもらうなんてはじめての経験だったから。重くなかったかな?気にかけたがだるくなり、また力なくベッドに倒れ込んでしまう。
制服がシワになるから着替えたいのは山々だが熱があるとわかると何故に人は余計にだるく感じるのだろう。
普段寝起きを除いてはちゃきちゃき行動する海だけに具合が悪いとこんなに無気力なのかとリオンは目を細めた。
「スーツ、シワになっちゃう・・・」
「僕は着替えさせないぞ。そこまでは自分でやれ。薬を飲んで寝てろ、明日も休めと友里から連絡が来てた。何か食べるか?」
「いらない・・・」
「経口補水液とかなら飲めるだろう。それに、薬くらいの飲め。待ってろ。」
額に手を当ててやや呆れ混じりにそう告げ何か持ってきてやろうと背中を向けるリオンを遠巻きに見つめながら海は赤い頬を携えキッチンに向かう背中を見つめていた。夏になり薄着のリオンの小柄な見かけから見える以外にも筋張った太い腕や広い背中。
今のうちに着替えてしまおう。海はふらつきながら投げっぱなしにしていたパジャマに着替えた。
「バニラアイスでいいか」
「う・・・ん」
「ほら、起きろ。」
すがるように弱々しくリオンの胸板にしがみつくと、海はとろんとした眼差しをリオンに向け、ただ静かに涙を流している。
「っ・・・おい、海、離れろ・・・」
振り向くと自分の胸板に寄りかかり静かに涙を流す海。理由はないのか、ただ、辛いのか。口にはせず静かにはらはらと涙を流す仕草にリオンは激しく感情を揺さぶられる。海の弱々しい姿にひどく痛む胸、無邪気で子供みたいな姿はなりを潜め、扇情的な表情のの海にいつもの様に自分に関わる全てを拒むこと、弱り切った彼女を振り払うことが何故か出来なかった。
「ほら、口を開けろ・・・」
「あーん」
もう食べさせてもらう気満々の海に盛大なため息をつくと、リオンは仕方なく海を引き寄せ腕に寄りかからせ膝を立てるとその膝に海に頭を置くように促した
前はこうして海に食べさせてもらっていた、しかし、二人の立場は今や逆転している。
「うまいか、」
「んん〜!おいしい!」
「全く・・・ほら、もっと欲しいか?」
「うん、」
食欲はあるのか嬉しそうに次々親鳥から餌をもらう小鳥のように口をぱくぱくさせる海の様子を物珍しく見るようにリオンも次第に恥を忘れ献身的に自分を看病してくれた海に恩を返すようにアイスを食べさせてやり、口についていたバニラも拭き取ってやった。
「後は寝てろ、疲れが出たんだろう。」
背を向け部屋を出ようとしたが、縋るように伸ばされた手に捕まった。心細くてたまらないと言わんばかりな海に無意識に包み込むようその手を握り返してやると海は安心したようにゆっくりと瞳を閉じる。
「ねぇ、どうしてあの時、私に本当の名前を教えてくれたの?」
「特に、深い意味はないからだ。」
「そうなの?変なの・・・だって、言わないってことは、大切な名前だったんじゃないの?私が、エミリオって呼んで、いいの?」
「二人きりの時にでも、好きにしろ。」
「エミ、リオ・・・かぁ、素敵な名前だね。」
「別に、お前なんかに、教えたくて教えたんじゃ、ない」
薬が効いてきたのか、元々疲労がたまっていたのか、きっと些か無理をしていたのだろう。眠りについた海をリオンは何も言わずにふわふわの頭を撫で続けていた。
さぁ、熱がある海と一緒には寝られない。今夜はどこで寝ようか。そんなことを悩みながらも海が呼んでくれた名前が今も脳内をめぐっていた。
「(はじめてだな、マリアンやシャル以外にこの名前を、預けるなんて。こいつはマリアンじゃない、海だと、解っているのに。)」
海をおぶった感触や柔らかな髪や背中に押し付けられた身体の柔らかさも、海は改めて女性なのだと実感して今も焼けつくように心臓はうるさく脈を打ち鳴らす。海の職場の上司にすら嫌悪感を抱くなんて。本当にリオンは海に振り回されてばかりいることを噛み締めていた。あんなに恋しかった大切だったマリアンが今は面影さえ浮かばない。
だが、今は海が居てくれる。同情や憐れみもない、海が泣いて自分を必要としてくれたことが本当に嬉しかったんだ。
寝床がないまま海がトイレに目を覚ますと手に感じた熱に気付き眠たい目をこする、すると、そこにはベッドに顔を伏せて寝るリオンの姿があった。
「リオン・・・」
まだ熱で覚束ないながらも海は積み重ねられた段ボールの山を見つけるとリオンが早めに引っ越しの準備を合間を見てしてくれていたことに気付いた。
もう一度彼の本当の名前を呼んだらどうなるだろうか。
リオンの寝顔を改めて見つめると本当にリオンは人形みたいに整った美形な顔立ちをしている。さらさらの黒髪が顔にかかり、黙っていればとても麗しい。
「そっか・・・あいつ、みんな持ってってくれたのね。」
忘れていたがあの男に鍵を投げつけ置き去りにしていた荷物をすべて撤去させ、何もかも片付けられていたことを思い出した。
「ありがとう・・・エミリオ・・・」
人知れず、海は熱で赤らんだ頬がますます熱くなるのを感じていた。リオンの無防備な寝顔に魅せられて、そっとキスを頬に落としたのだった。リオンが半分起きていたことも忘れたままに。
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