「あぁ」
いつの間にか自然に身体は温もりを探して毛布に滑り込んでいた。誰かと寄り添って眠るのがこんなに心地よかったのかなんて知らなかった。この人生で誰かと温もりを分かち合ったことすら無かったから。
翌朝、眠れたのかすっきりした面持ちのリオンに見送られ海は緩やかに巻いた長い髪を揺らし、オフショルダーのシフォン素材のシャツに下はワイドパンツを履き、リオンと出かける時の女子アナウンサーみたいに清楚なOLの格好から一転、カジュアルファッションに身を包み海翔とのデートに出掛けた。
「おい、」
「なぁに?」
「いや・・・」
「ん〜?」
艶やかにリオンの視界に映る海の肩は本当に真っ白で雪みたいだ、自分も肌の色は白いがそれよりも海は白い。日本人は黄色人種の筈なのに。触れたら簡単に指が沈んで柔らかく溶けてゆくのだろうか。見下す様に近づくと嗅いだことのない芳しいいつも海が纏う香水の香りが立ち上ぼり、思わずクラクラした。
「結局、約束しちゃったから今さら断るのも、ドタキャンって言うんだけど、それも海翔君に申し訳なくて・・・ごめんなさい。私が無神経だったね」
「別に・・・、そんなくだらないことを気にしなくてもいい」
「早く帰ってくるから、お土産買ってくるからね」
「好きにしろ、せいぜい楽しんでこい」
これでは明らかな嫌味ではないか、困ったように自分を見上げる海のあどけない瞳が揺れていた。彼女なりに申し訳なさを感じているのか。リオンもグッと辛辣な言葉をすっこめた。
しっかりしているが根がどうしようもないくらいにお人好しでおっとりしているからか、周囲の好意に断れず、すぐ絆されてしまう所が海の良い所でもあり悪い所でもある。
相変わらず歩くのも何をするのもおっとりのんびりしている海。ほんとに危なっかしくて見ていられない。自分より年上なのに、守ってやらなければ簡単に誰かにさらわれて飛んでいってしまいそうで。マンションのベランダから漸くのろのろ走り出した海の外見に似つかわしくないのが車を知らないリオンでも理解できるほどゴツイ車が駐車場から出ていくのをベランダから眺めてリオンはため息をつく。果たして、あんな状態のまま独りで行かせて大丈夫だろうか。
海翔のあの眼差しの裏に介間見える馴れ馴れしい迄に女に対する態度、相当女に馴れているだろう。当たり前だが単なる女にモテる百戦錬磨の海翔へのひがみではない、リオンも声を大には出さないが淑女や男装の麗人だという噂を信じた男達からも羨望の眼差しで見つめられていたから。
馴れ合いを嫌うリオンは今までそのような羨望的な眼差しに嫌悪を抱いていた、いつの世界でもその視線は嫌ってほどに感じている。
それほどにマリアン以外の女には見向きもしなかったが、それはさておき今のリオンはとにかく海翔が気に入らなかった。
何故こんなにこの胸が騒ぐのか、何故、海の身を案じる自分が居るのか。
今まで生きてきた中で感じたことのない感情を海に対して見出し始めていた。
「あの男、海に万が一のことをしたら只ではすまさん・・・」
無意識にそう吐き捨て拳を握りしめたたことを知るはずもなく、リオンは海にスマホでも昔流行ったポケベルでもなんでも連絡手段か何かもらっておけばよかったと心底悔やみ部屋に戻るのだった。何故だか不安でたまらない。あのふたりがもし、結ばれたらいったい、自分はどうなるのだろう。このまま海が帰ってこないんじゃないかとさえ、錯覚するようで。
そしたら急にこのマンションがあの冷たい屋敷のように広く感じてきた。
海が受け入れてくれた。自分という存在を。どんなに冷たくあしらっても悲しませても、海は笑顔で決して拒んだりはしなかった。だからこそ、リオンはこのまま海との生活が波風立たないように、変わらないでほしいと願っていた。海が海翔と付き合ったら、自分はどうなるのだろう。流石に恋人同士で思い合うふたりの間に自分がいてはさぞやいい気はしないだろう。まして、海翔は海を狙っているのはこの前ので分かっている。きっとふたりは・・・しかし、追い出されようが自分にはもうこの世界で海の家の他に行く宛など無いというのに。末路はボロキレのようにこのまま行き倒れだろう。
「海翔君!」
「あっ、海ちゃん!!」
「久しぶり、だね海翔君、元気だった?」
「うん、元気だったよ!」
海翔と会うのも久々な感じがする。しかし今日はリオンがいない。海翔はいつもの様に綺麗に髪をセットし女受け抜群の長身をホワイトデニムとラフな黒のデニムシャツで年頃の大学生より大人びて見えた。
満面の笑みでこの日を楽しみにしていた海翔に悪いと思い、海も頭の中でリオンの事が過ぎったが海翔とのデートを楽しむことにした。
「何処にいこっか?」
「またアウトレットかモールに行こうか?でも、海ちゃんの行きたいところに行こうよ、せっかくの二人きりなんだからさ、」
低い声で囁かれふわりと柔らかな髪を海よりニ回り以上もある海翔の大きな手が掠めていった。
「海ちゃんの髪って超ふわふわだな、可愛い。マジで!カジュアル系も着るんだね!」
「やっ、やだ。恥ずかしいよ、あんまり褒めないで。いつもリオンにけなされてるからさ、」
海翔がどんな眼で自分の剥き出しの肩を見ているかなど知らない海はあまりにも無防備で。リオンの心配が的中しそうだ。車の中でBGMは変えずにリオンがやかましい、耳障りだと眉を寄せていた中で唯一聞いていた女ボーカルの壮大なサウンドのロックバンドのファーストアルバムを流していた。
「(リオン・・・家にいてばかりで退屈だよね・・・そうだよね・・・ほんとに悪いことしちゃったなぁ)」
しかし、海は海翔の眼差しを微塵にも感じずリオンのことを思っていた。寂しそうな様子だった気がする、気のせいかもしれないけれど、海には年下の甘えたな偏見もありそう見えた。
そう言えば年下を恋愛対象と思ったことがなかった気がする。何故ならば大人びていても未だ16歳の少年、自分からすれば子供だという認識でリオンを見ているからだ。
今時の若者は早熟だとも知らず、そして、リオンも海翔もれっきとした男だというのに。
「取り敢えずモールいこっか、」
「行く行く、」
きらきらと瞳を輝かせこの日を心待ちにしていたのだろう。リオンには悪いがやっぱり海翔の誘いを断らなくてよかった。それに前はデートではなくリオンの買い物になってしまったし、その埋め合わせのために。
二人を乗せた車は買い物客や大型連休でごった返しているショッピングモールへと向かった。
「海ちゃんの服かわいいね、パンツも履くんだ?」
「うっ、うん。あのね、リオンにスカート履いたら太い足が見苦しいって!酷いでしょっ!だからワイドパンツ買ってみたんだけど思ったより履きやすくて気にいっちゃったんだ。」
「信じらんねぇ、海ちゃん背の割に脚長いし、いい脚してんのに!このラインとか・・・んまぁ、あいつなんか気にすんな!」
海翔はやはり目立つらしい。背も高いし、何よりイケメンと呼ばれる部類に入る。リオンが静なら海翔は動だ。同じ年齢なのにこんなにも違うなんて。海はそんなことをぼんやり考えながらリオンと前にたまたま立ちよったジュエリーショップに目を奪われた。
「(不思議だな・・・あの時、元カレと指輪見に行ったんだよね、結局買ってもらう前にフラれたんだっけ。でも、今はリオンと見ながら話したことしか思い浮かばない・・・)」
「海ちゃん?どうしたの?あっ、あのブランド?」
「あっ、うん、」
「いいよな、女の子の憧れだってよく言うもんな。見てく?」
「ううん、大丈夫だよ」
そう、あそこは赤をモチーフにした自分の大好きなジュエリーブランド。あの時もリオンに熱くその魅力を語っていたのを思い返していた。
そうして、思うのは。リオンが悲しみや痛みに閉ざしていた自分の心を開いてくれたこと。同じ孤独や痛みを抱えていたからこそ、リオンと寄り添いそうして、リオンが笑ってくれたことがすごく嬉しかったこと。そんなことを考えるとリオンが隣に居なくなってみて、今の情景に違和感を覚えた。繰り返す痛み、リオンの心は何処にあるのか。
「海ちゃんも試着したら?」
「うん。着てみようかな、」
海翔とお互いの好きなショップでお互いに似合いそうな服を見せ合い、海の番。少し控えめなフリルが可愛らしいフェミニンなワンピースを手に取り試着室で着替える。リオンともこうしてお互いの服を比べあったことを思い出した。
何を着てもリオンは容赦なくダメ出しした。しかし、海翔は海翔で今度は海はどんな服でも似合うと笑い、何でも素直に誉めてくれた。
「海ちゃん、荷物持つよ、アイス食べにくいだろ?」
「あっ、ごめんねっ!」
「キス、してくれたらいいよ」
「はいっ!?」
「ははっ、赤くなって可愛いね!ジョーダンだよ、ジョーダン!」
「んもぅ、」
可愛い、直接的に何度も女なら誰だって胸をときめかせるような笑顔で甘い言葉をささやく彼に甘い言葉に不慣れな海はどうしたらいいのかわたわたと持っていたアイスを落としそうになってしまう。
「海ちゃんチョコミント好きなの?」
「う、うんっ、」
「どれどれ・・・」
そう言えば海翔が首を傾け海のアイスに突然食らいつく。妖艶に伏せられた睫毛、思わず見つめていると海翔は悪戯な笑顔で舌を出した。
「海ちゃんと間接キスしちゃった〜」
「もっ、もう!年上をからかわないのっ・・・!」
さりげなくアイスを食べられ嫌悪を抱く前に全て驚きに何もかも持っていかれた。しかし、自分は年上に見えないのか、海翔はぽんぽんと頭を撫でながら海にまた笑みを乗せた。
「次どこいこっか?」
「もうすっかり夕方だね」
昼前に出掛けてあっという間に過ぎて行く時間に海は時計を目にしてリオンを思う。
お腹、空かせてないかな、ひとりで寂しくないかな?
海は時折リオンが見せる拗ねたような寂しげな眼差しが忘れられなかった。
無防備な寝顔も、風呂上がりの濡れた髪がとても色っぽいことや、腕捲りをした時に見えた、たくましい腕も。
気づけばリオンの面影ばかりを追いかける自分がいて、それが堪らなく気恥ずかしかった。
リオンはいずれ帰ってしまう、いつまでも傍にはいてくれないのに。彼を、異性として意識なんてしてはいけない。
また、薄情だと思われる。元カレを忘れたように、自分もまた忘れるのか。リオンの鋭い言葉たちが容赦なく胸を抉ってゆく。感情論で動く海とは対照的に理知的で合理的なリオンではきっと相性どころか何が芽生えるはずもない。リオンが他人に心を許して恋に落ちるなんて、そんな事、全く想像出来なかった。
携帯ショップを横切りふと海の愛用しているリンゴマークのスマホが目に入った。次々出る次世代のスマホによりどんどん価値が下がり、海のスマホもすっかり古いタイプのモデルとなり格安になっていたのだ。
リオンがスマホもないのでなかなか連絡がとれないのを不便に思い無意識に下がってきたオフショルのシャツを引っ張ると海翔がその光景に目をそらした。
「あっ、スマホ安くなってる」
「欲しいの?」
「うん、私のそろそろ買い換え時だし、ならついでにもうひとつ私名義にしてリオンにプレゼントしようかなぁって思ったんだ。ほら、リオンスマホ持ってないし、この前みたいにはぐれたりとか、何かあった時とかリオンと連絡のやりとりするの不便で。」
しかし、ぼんやり口を開けたままスマートフォンを見ていた海に海翔はなにも答えない。まるで何かを考えているように。
「ピンクかなぁ・・・可愛いね、でもリオンは黒かなぁ、ね、海翔君・・・海翔君?」
「ねぇ、海ちゃん、急なんだけどお父さんって名前なんて言うの?」
「え?」
お父さん、・・・?
まさか、そんな突拍子もない質問。どう答えたらいいのか、今まで家族の話題なんて職場でもそんなに聞かれた事がなかったのでよくわからないと海は頭に疑問符を浮かべていた。
「居ないよ、私には。私、父親も母親も物心ついた時には居なくて、ずっと叔母に育てられてたから。」
「ごめん、何でもないんだ。あのさ、ちなみに楢崎海翔って知らないよね」
「楢崎、海翔って・・・海翔くんと、同じ名前・・・?」
「まぁ、そうだね。俺の名前の由来になった人でさ、」
しかし、頭の中のありったけの記憶をかき集めてみたがそのワードには記憶を揺り起こすような感情は出てこない。
「ごめん、分からない。そんな人、知らない。」
「そっか・・・いや、知らないならいいんだ。」
中途半端なまま話が途切れたので海は結局海翔が何を伝えたかったのか一体全体何なのか分からないまま疑問符を抱いたままスマホを購入するのに付き合ってもらったのだった。
家族の話題が出るなんて。リオンとは一切そういった会話をしたことがないから何だか新鮮に感じられた。
「そろそろ帰ろっか?」
車に乗り、行く宛もなくぶらぶら街中を走り回っていると海翔は何度か言うのを躊躇ってから急にハンドルに触れていない海の左手を包み込むように握った。
「海ちゃん、」
「わっ!急にどうしたの?」
「俺、実は・・・」
何度か躊躇いながら海の瞳をまっすぐに見つめながら、語りかける。真剣な瞳、まさか、他人の気持ちに鈍感でのろまな自分だってわかる。海翔の顔が近づく、驚いたまま硬直した海に気づくと困ったように苦笑し、すぐ顔を離した。
「やっぱり、海ちゃんは可愛いね。」
「そっ、そんなこと、ないよ!ぜんぜん!友里ちゃんみたいにおっぱい大きくないし!」
「そこまで気にしてないし、い、言わなくていいよ。
だから・・・海ちゃんがリオンだけど一応他の男と一緒に暮らしてるって、すごく心配だよ。あと、海ちゃん、自覚ないけど屈むときとか胸元隠した方がいいよ、」
「えっ!」
あわてて今さら押さえても何の意味も成さない。確かに屈むとき、シャツの隙間から今日身につけている下着の色も明確にわかるほど見えてしまっていた。今日はワイドパンツだからと言ってゆったりしたブラウスの胸元まで気が回らずすっかり油断してしまっていたらしい。
「・・・元カレの件はまだ吹っ切れてないと思うからさ・・・、でも、とりあえず、また気晴らしでもなれば俺とデートしてよ。親父もいつでも顔だしてくれって言ってたし、海ちゃんの話したら会いたいってさ、」
なぜ彼の父親が海翔にそう伝言したのかわからないが、海は一瞬、海翔の近づいた真剣な眼差しと、キスされるのかと驚いたのですっかり運転することを忘れそうになってしまった。開いた口が塞がらないとはまさにこの事を言うのだろう。
「俺、友里ちゃんに海ちゃんのこと言われて、それでどんな子か仕事の時の写メこっそりもらって・・・彼氏と別れたからフリーだって言われて、ずっと気になってたんだ。まぁ、生意気なオマケがいるけど」
「海翔君」
「俺、女に軽く見えるかもしれないけどほんとに好きな子には一途だよ。浮気なんか絶対にしないし」
海翔の真剣な話に夢中で運転どころではない。あわてて道の脇に停車し、ハザードをつけて彼の言葉に耳を貸すと、海翔は暗闇で大胆になり海を抱きしめてきたのだ。
急に抱きしめられて驚きは隠せないし久々の異性の温もりに、振りほどくことができない。
「リオンに奪われたくないよ、リオンはあの通り女とか、あんま興味無さそうだし、なに考えてるかわからないし無愛想だけど、毎日海ちゃんと一緒に過ごしてるんだ、内心まんざらじゃないよ。」
簡単に小さな身体は海翔に包み込まれてしまう。海翔を送る帰り道、海翔は真面目に今の思いの丈を彼女に明かしていた。
この人なら自分を大切にしてくれるだろう。
リオンみたいに、卑屈じゃないし、冷たくないし女の扱いも長けているからきっといい気持ちで付き合える・・・だが、今すぐ頷けるほど海翔を受け入れられる気持ちにはならなかった。そして、どうしてもリオンの見せた笑顔が頭から離れなかった。
「またラインするね。今日は楽しかったよ。ありがとう、」
「うん、おやすみなさい・・・」
海翔が自宅兼店に入っていく様子を見送りながら海はこっそり待ち受けにしていたリオンと桜の木の下で撮った写メを見つめていた。
「海翔君・・・あぁ〜・・・!どうしよう、どうしたらいいのかな!生まれて初めて、しかも年下から・・・」
純粋に嫌ではない。むしろあんなにかっこいい百戦錬磨な海翔に告白されるなんて、思いもしなかったから・・・むしろどうしてこんな平凡な自分に!?と良からぬ疑いを企ててしまう。そしてサイドミラーに映る自分の赤らんだ頬が物語る。逆に驚きを隠せない自分がいた。
しかし、無性に家に帰りたくなるのはなぜか。時間が経てば経つほどに、リオンの拗ねた眼差しがたまらなく視界に焼き付けたくて、車から飛び降りると買ったスマートフォンをギュッと抱きしめ小走りで走り出し、車を降りるとなかなか降りてこないエレベーターがもどかしくて、マンションの階段をかけ上がった。
「ああっ、おうちの鍵持ってくるの忘れたんだ!」
動揺するあまり車に家の鍵を置き去りにしてきてしまった。仕方なくインターホンを押してリオンを呼び出し開けてもらうことにした。
我ながら本当に情けない、またリオンの見下すような目線が思い浮かぶようだ。
「海!また鍵を忘れたな!」
「あ、リオーン!ただいま!早く〜開けて開けて!」
「お前は何故鍵をいちいち持ち歩かないんだ・・・ほんとに懲りない奴め」
リオンの怒鳴り声に飛び上がり海は萎縮しながら玄関の扉が開くのを待った。自分よりも年下なのに何て様だろうか、頭を下げながら申し訳なくて穴に入りたい気持ちだ。
これじゃあまるで自分が下の立場ではないか。インターホンでリオンを呼び出すとまるで帰ってくるのをわかっていたかのようにすぐリオンの声がして怒られながらもリオンの声を聞けたかと思うとホッ、と安堵した。
「(海翔君に告白?みたいなのされたこと、リオンに話したらどんな反応するのかな・・・?でも、きっと知らないってそんなこと僕には関係ないって思うよね)」
リオンには関係ない、
そうだ。関係ないのに。リオンが何か思ってくれるのではないかと、ほのかに期待してしまいそうになる、
ようやくオートロックの玄関のドアを開けてもらうと今か今かと待っていた彼女の視界に飛び込んできたリオンの姿に海は雄叫びをあげ飛び上がった。
「全く、風呂の途中で呼び出される身にもなれ、」
「きゃああっ!リッ!リオン!なぁっ、何てカッコしてるの!」
「騒ぐな、とりあえず中に入れ。下は履いてるだろう、」
「そんな!ハレンチよっ!」
「何がだ?」
驚く海の視界には下はデニムを履き濡れた上半身裸のリオンが玄関の前にいると言うことだ。風呂の途中だったのだろう、慌てて浴槽から飛び出しかろうじて下は履いて、上半身裸という艶っぽいその姿に赤い頬はますます赤みを増し海は目をそらした。
あの時は彼の裸を見ても何ともなかったのに・・・今は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。どうしたらいいのか目が泳いでしまう。
「もっ、もぅ〜心臓が止まるかと思ったわ」
「ずいぶん早かったな」
「わっ!取りあえず何か着てよ!ご近所さんに見られたらますます誤解を招くからっ!」
「どうせいつも来客はない、お前くらいだ。いつもの調子はどうした、顔も赤くして、生娘みたいな反応だな。」
「うっ!誰が生娘よっ!もぅ!」
含み笑いを浴びせられ逆にリオンにからかわれて海は悔しそうに真っ赤な顔をしたまま足踏みをした。おかしい、これでは数ヵ月前の自分と形勢逆転ではないか。
余裕そうなリオンの表情がたまらなく、普段よりも倍増しで格好よく海には見えた。
口元には少なからず笑みが携わっていて。どっちが年上かなんてもう関係なかった。
服を着ているとわからない、鍛練で鍛えられたスラリとはしているが逞しいリオンの体に前に風呂の介助で見た時以上に見惚れてしまった自分が恥ずかしくてたまらなかった。Tシャツから見える腕は細いが筋肉の筋が見えて男らしいと思っていたが。改めて彼は男なのだと思った。
あの腕にマリアンと言う女性を閉じ込めていたんだろうか。あの腕に強く抱きしめられて、雨のように口づけを浴びて、重みのある身体に―
「いた・・・っ!」
「何してる、」
「指、切っちゃった」
丁寧に箱から開けようとハサミを使ったはいいがリオンの腕に見惚れて妄想していたなんて言えない。
切ってしまった指先をリオンが手に取りティッシュでうっすらにじんだ血をぬぐってくれたが、傷は深いのかじわりとティッシュを汚してゆく。
「ありがとう・・・ごめんね、」
「おい、結構深いぞ。間抜けだな、いちいち世話が焼けるやつだ、ぼんやり口を開けてどうした?」
「ん・・・」
「海翔に何かされたのか?」
海翔に抱きしめられた時、感じたのは得たいの知れない恐怖だった。思わず身震いしてしまったがリオンなら・・・嫌ではない自分がいた。彼は潔癖で高貴だ、容易く惰性に揺らいだりはしない。リオンに抱き締められたら、その低い声で、愛を囁かれたら・・・そんなの浅ましいと、リオンに言われるだろう。
「何でもないの・・・はい、お土産だよ。」
「それで・・・何だこれは?」
風呂から上がり、ライブTシャツにハーフパンツを履いたリオンが半乾きの髪を揺らしながら問いかけてきた。
先程の逞しい身体を見たからか、うまくリオンを見ることができない。恥ずかしそうにスマホを手渡すと真っ赤な顔でずっと俯いていた。
「あのね、前に話してたスマホだよ、私の使ってるのと同じタイプの、」
「ほぅ・・・これがあの、僕が使ってもいいのか?」
「うんっ、いいの。タダだから!リオンも今日みたいに連絡とれないと不便でしょ?GPSもついてるから迷子になっても安心だよ!」
「GPS…正式名はglobal positioning system、全地球測位システム・・・」
「すごい!そっ、そこまで調べたの!?」
「おかげ様で。広辞苑と言うのは実に面白いな。お前とは育ちが違う、どうせ僕は世間知らずのお坊っちゃまだからな?そうだな、お前が迷子になったら便利だな。」
「むっ!違うもん、リオンがだよ!」
「操作はどうなっている、」
「それでね、タッチパネルで画面にこうして、」
後ろからリオンの手を使い店員さんが教えてくれたように使い方をリオンに教えた。ただ指先と指先が触れて、風呂にも入っていないのに異様に温度が高まっているように感じられた。16歳にしては平均身長に満たないのに大きなリオンの手足、綺麗な横顔。
電話が通じるとリオンはポーカーフェイスを保ちながらも電話から聞こえる海の声に不思議そうにスマホのシステムに感心しているようだった。
「あぁ〜ゴールデンウィーク終わったらまた仕事だなぁ・・・」
「電気、消すぞ」
「あっ、待って!真っ暗にしないで!夜中に起きたら、怖いから」
「はぁ、勝手にしろ」
眠れないと互いに起きていたあの日から、ふたりはいつの間にか同じひとつのベッドで寄り添うように眠っていた。人の温もりが安心を与えるのか、若い男女がひとつのベッドで寝る意味を未だ若いなりに理解してはいるがふたりには全くその気配すら感じられないからと海はすっかりそう思っている。
そもそもリオンには異性に対して関心すらないように思えた。
「リオン・・・」
しかし、先に背中を向けて眠りについたリオンに海はぼんやりその引き締まった背中に手を伸ばし、シャツの裾をそっと握りしめていた。リオンは沈黙を続け、起きていたが振り返りも言葉を発することもせず、何も反応しなかった。否、しないことを決め込んでいた。
いずれ離れる、踏み込んではいけない、今日、何があったのか気になって本音は仕方がないくせに、踏み込んでしまったらきっと更なる傷を重ねてゆくに違いないから。
そう思い封じた気持ち。何故こうも胸が騒ぐのか。やるせない苦い痛みに貫かれリオンを苦しめていた。
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