「リオン君、」
「呼んだか?」
「あっ、ううん・・・何でもないの!」
「はぁ・・・なら呼ぶな。」
リオンに対し彼を改めて異性として意識するようになっていた。自分を省みずに傷を負いながらも助けてくれたリオンに引き寄せられた身体は未だに熱を持つようだ。
確かにリオンは見かけは平均男子に比べれば小柄な方だが、引き締まった身体は想像以上に鍛えられていて、落ち着いた風貌にどこか中性的でミステリアスな容姿、高貴なオーラ。
冷たい瞳の奥に押し隠したリオンの優しさ、温かさ、冗談混じりに自分をからかうときに見せる笑顔が次第に見られるようになると、嬉しくもあり切なくもあった。
考えたくはないがいつかは離れるときが来る。
そうなったら自分はきっと、そう考えれば考えるほど胸が締め付けられてたまらない。
元カレに受けた傷はいつの間にか癒えていた。リオンに焦がれる自分はまるで・・・リオンに淡い思いを寄せているみたいではないか。
「本日はどのようにします?」
「どのようにとはどのようにだ。」
「えっ?」
「ああっ、す、すみません〜!」
ケープをすっぽり着て巨大な鏡の前に座らされたリオン。
髪を綺麗にセットした所謂イケメン美容師がリオンのあのまま乱雑に切られて放置されている髪を撫でながら問いかけてくる。
「カラーは?お客さん綺麗な髪ですね。カットモデルの経験は?」
「知らん・・・」
「あっ、す、すみません!この子人見知りで・・・」
「いいえ、大丈夫ですよ、もしかしてご兄弟ですか?でも顔立ちが違うような」
「えぇっと、し、親戚の子ですっ!取り敢えず、この子伸ばし放題にしてるんでこんな感じにバッサリいっちゃっても大丈夫です」
爽やかな風を受けて美容院から出てきた海とリオン。街中を颯爽と歩くリオンを見て思わず振り返りその姿を見つめてはうっとりしている女性達と何度もすれ違うその度にその目線が気にかかり苛つくリオンはどんどん早足になる。その隣をのんびり歩く海にも鋭い目線が向けられた。
きっとこんなにカッコいいリオンの隣を歩く海に誰もが疑問符を抱いているのは自覚している。
自分は特に美人でもないしかわいくもないしスタイルがいいわけでもない。だが、気にしても仕方がないし自分には非がない。それに、彼と付き合っているわけではないのだから。
「リオン君、どう?新しい髪型は、今まで伸ばし放題にしてて暑苦しかったよね。気づかなくてごめんね。」
「・・・確かに涼しくはなったな。ただ、前髪は切らないで欲しかったんだが」
「いいの!あんなに髪の毛伸び放題にしてたら暑苦しいよ。それに、今回襲われそうになったのはきっとリオン君が髪が綺麗な美人さんだからだよ。せめて髪型くらいは男らしく短髪に、ねっ?短い方が男らしく見えるね。」
「いちいち触るな」
そうしてショーウィンドウ越しで、ツーブロックにザックリ切られた自分の髪型を見つめてすっかり見渡せた視界に自分が他人と目を合わせたくないがために無意識に右目にかかるくらいに伸ばしていた前髪が無くなり印象は良くはなったかもしれない。しかし、あのカリスマと言われる美容師が押し付けてきた"流行"には些か不満であった。
襟足は短いがサイドに刈り上げが入り、襟足まで隠れていた艶髪は今は顎下まで切られてしまった。
ふと、柔らかな薫風にふわふわと靡く海の柔らかな髪が前よりも軽く感じられた。腰まであった髪は背中まで切り揃えられ、パーマをかけ触り心地の良さそうな柔らかな毛並みは猫のようだった。どうやら自分が髪を切っている間、いつのまにか彼女も髪型を変えていたらしい。
「お前も切ったのか?」
「うん、少し。あと、髪の毛プリンになりそうだったから、染め直して後は軽くしてもらったの。」
「プリンに・・・」
「うん、プリン、見たまんま。リオン君、の好物のプ「誰が好物だ!勝手に決めるな」
「えっ、でも、甘いもの好きじゃなかったの?」
「違う!僕がいつそんなことを言った」
急に甘いものが好きだと認識されたのが気恥ずかしくて素直に喜べない。
甘いものが好きだなんて女子供じゃあるまいし。何より、彼女は甘いものを好まない。それが返ってリオンの羞恥をさらに煽るのだった。
「それよりもなぜこの世界の住人どもはいちいち髪の色を変えるんだ、隣のやつはやたら赤かったぞ。」
「うーん・・・理由は色々あるけど、私たちの国はみんな遺伝子的に色素が黒いの。他の国は色素が明るかったり、ね。黒髪もいいけど私は黒いのは嫌だから少し明るくしてるのっ。あとはイメチェンとか」
「そうなのか?」
「髪が明るいと気持ちも明るくなるよ。でもリオン君は染めたら勿体無いくらい黒が一番似合ってるよ。艶々してて綺麗、カットモデルもせっかくなんだから引き受ければよかったのに。お小遣いももらえたんだよ、」
「冗談じゃない、そんなことをして何になる。見世物にされるんだろう?シャシンなんか嫌いだ。」
「ふふっ、リオン君、可愛い〜」
「誰が!」
さっきまで機嫌は普通だったのに突然ふいっと顔を背けてしまったリオンに苦笑しながらふたりは海の行きつけのショップが軒並み並ぶファッションビルの中に入って行く。拗ねたような彼の小さな頭が少しかわいく見えて、海は小さく微笑んだ。
桜の木の下で半ば無理矢理、撮ったあの写真以来、リオンは鏡でしか見れない自分の姿をこうして客観的に外から眺めるのは不思議で不気味で苦手なそうだ。確かにそうなのだろう。彼はデジカメのない世界から来たのだから。突然自分がどんな外見をしているか客観的な視点から見て畏怖の念を抱かないわけがなかった。
「何処に行くつもりだ。」
「あのね、リオン君がこの前助けてくれたお礼に甘いもの食べ放題に招待しようかなぁって思ったんだけど」
「うっ・・・」
「でも、嫌、なんでしょう?」
エスカレーターを登りながら気付けは8階に出来たばかりの1480円でスイーツ食べ放題のバイキングの看板が輝いて眩しく見える。甘い物、しかも食べ放題。黙り込むリオン、素直に行きたいと言えるなら苦労はしない、しかし、それは何故か恥ずかしい気持ちもあるし、何より海に年下の可愛い男の子と言う印象を持たれているからか、それをどうにか拭いたい気持ちが強かった。何故か、海に頭を撫でられたり年下呼ばわりされるのが内心面白くないと感じる。
「誰も、笑ったりしないよ?好きなのに意地張るなんて損だよ?素直に食べたいって私には言っていいんだよ。」
「海」
「私じゃ、マリアンさんの代わりにはなれないかな?」
そうして海が口にした名前にリオンは心臓を一気に鷲掴みされたように感じた。海には特に深い意味はない、だが、それでもリオンの行動を止めるには十分な意味があった。
心配そうに問いかけてきた海が口をついた彼女の名前だったが、リオンは足を止めて瞳を閉じる。
「エミリオ!」
マリアンだけに預けた本当の名前。
深く深く誰よりも大切な人で、葛藤の果てにマリアンを守るために戦い死んだ。
「気安くその名前を呼ぶな」
「ごめんね、そうだよね、触れられたくないほど、大切なんだね。その、マリアンさんって人はリオン君にとっては特別なんだもんね。」
それなのに今はまったく気にならなかった。大切だから触れてほしくないわけでなく、海にマリアンのことを話して海に何と思われるのか、その事ばかりが頭をよぎるのだ。
マリアンよりも、リオンは自分が当たり前のように海の名前を呼ぶようになったことに驚いていた。海も、自分に心を開いてくれたのだろうか。少しでもそう思ってくれるなら何よりだった。
まるで、少しずつ永久氷土が溶けて行くようにリオンは海に対して心を少しずつ開きはじめている。海もそれを感じるようになったそれだけでも十分だった。そうしてリオンの内に秘めた熱さや優しさを知れば知るほどに海はますますリオンの事を見つめていた。
黙りこんでしまったリオンの深く閉ざした過去。その背中は何も語らない。口にはしなかったが充分にわかった。
「うん。リオン、行こう。ね、」
「お前・・・、問い詰めたり、しないのか。」
「しないよ、出来ないよ・・・きっと、リオンもマリアンさんのことや、追われる身になるしかなかった理由も簡単に口にして語れるような・・・私が簡単に聞いていい過去じゃ、ないでしょ?それに、私と前に付き合ってた元カレのこともリオンはしつこく詮索したりしないし、」
「海・・・」
「ほらほら、行きましょ」
海は初めて自らの声で何度言われても呼び続けたリオン君という敬称を抜き呼び捨てでリオンの名前を呼ぶと、ふわりと蕩けるような柔らかな笑みを見せた。閉ざした過去、汚れた手は何も掴めず無力さを痛感し嘆くしかなかった悪夢は海に出会った瞬間、終わりを迎えたのだ。
そうして、今は覚めない穏やかな夢を見る。小さな町と海辺で導かれるように彼女に出会った。
皮肉でムキになり何でも言い返していたリオンがマリアンに関しては初めて言葉を閉ざした事。リオンの手を黙ったまま引くと海はエレベーターにリオンを押し込み乗った。
「リフトか?」
「違うよ、エレベーター。エレベーターって言うのは」
「いや、言わなくてもわかる」
「そう、」
たまたまだろうが上階に行くまで誰も乗らず、密室のエレベーターに本当にふたりきりだ。てっきり海がマリアンに対して問い詰めてくると思っていたリオンだったが変わらない笑みを携えたその言葉は逆にリオンを救ってくれた。同情されるのもしつこく詮索されるのも、とにかく他人に干渉されるのが何よりも嫌だった。何より、慰められる気持ちなどこれっぽっちもない。マリアンの自分を哀れむような眼差しを知らないわけがなかった。報われなくともリオンは勇敢に運命に戦い散った。あの過去を気安く話せる日なんて死んだと思っていたから、今ある生からは全く考えもつかなかった。
「フン・・・お前は本当に、変わった奴だな」
「束縛するの、嫌いなだけだよ。私もリオンにも、誰にだって人に触れられたくない過去、あると思うから」
手を繋いだままエレベーターでふたりきりになると、リオンは助けたのが海で良かったと口にはせぬよう噛み締めた。
いつかは離れる時が来る。束の間の時間ならば、少しでも海の笑みを取り巻く世界をもう少し、見ておこう。
深入りして傷を残すのではなく、いつか離れる時のために。しかし、いつか海の傷が癒えて、彼女を守る恋人が出来たらどうなるのだろうか。
いつかは出ていかねばならない、自分と言う荷物を抱えて海だっていつまでも自分と暮らすことを考えていないだろう。
「リオン、どうしたの?」
「何でもない」
「エレベーター苦手?実は、私もあんまり好きじゃないんだ」
「何故だ」
別に深い意味ではないが取り敢えず聞いてみた。
「なんか、上へ昇ったり下へ降りたりその高低差で内臓が持ち上がりそうになるの。あと、密室でしょ?前の彼氏が急に誰もいないからってキスしてきて・・・いつ誰が乗ってくるのか分からないのにすごくひやひやしたの。だからそういう風にするのが嫌なの。恥ずかしいし、」
「付き合ってもいない僕の手は繋ぐのにな、」
「リオンはいいの。迷子にならないようにお姉さんが繋いでてあげなきゃ、なんてね、ふふっ。」
「本当に、腹が立つ女だな。」
「リオンだもん。リオンはそんな変なことするような人じゃない」
リオンは欲望と無縁な人間だと海は言う。
しかし、この女はたった数ヶ月で自分を分かったつもりなのだろうか。全く迷惑な話だ。自分の本当の姿も知らないで。まして、完全に自分を子供だと見下す笑顔が最高にリオンに不快感を与えた。何故彼女に男だと思われないのか?そんな不快感と答えのない問いがぐるぐると脳裏を駆け巡っていた。
「お前な・・・僕だって男だ、お前など簡単に思いのままに出来るさ」
「きゃ・・・っ!」
果たして急にあんなに言っても言葉にすることを拒んでいたのにどんな風の吹き回しか知らないが、柔らかく澄んだ声で海に名前を呼ばれることがこんなに心地いい物だったろうか。
挑発に乗るようにリオンがらしくもなく、しかしリオンなりにからかっているのだろうか、海の両手首を掴み簡単にエレベーターの壁に押し付けたとき、海は思い切り耳まで顔を赤らめてこっちを見ていたのだ。
こんな風に間近で端麗な顔に見つめられた気恥ずかしさでいつも笑みを絶やさなかった海が見せた戸惑い、突如エレベーターは停止し扉が開くと家族連れがその様子をぼんやり見ていた。
「きゃっ!リオン!」
「うっ!」
予告なしにエレベーターが止まるから、間違いなく見られてしまった。しかも小さな子供もいると言うのに。
お母さんお姉ちゃんたちが抱き合ってるよーと言う声をBGMに二人はエレベーターから手を繋いだまま逃げ出した。それは、二人に指摘したら違うと断固拒否するだろうが回りから見たら明らかに恋人が甘い空気に浸っているようなものだった。
「もう!急にあんなこと!は、恥ずかしいじゃないっ」
「ああ、悪かったな。」
「嘘!ほんとに悪いなんて思ってないでしょっ?もう!大人をからかうんじゃありません」
「心から反省してる。とても」
「むっ、なぁに、その棒読み!」
「大人・・・見た目は大して年の差も感じないのにな。ああ、あそこか?」
「だ、だって・・・きゅ、急にリオンみたいな美形に見つめられたら、どっ、ドキドキしちゃうの!」
「つまり、僕に見惚れたと、」
「い、言わなくていいよ!!」
「そうか・・・」
「んもう!意地悪っ!」
海の小さな手に引かれて椅子に座って待つ人達を横目に女性だらけのケーキ食べ放題の店内に入る。安くてパスタも食べ放題、予約しなければ到底入れない店内は日曜日と言うこともあり若い客でますますごった返していた。簡単に予約なんかとれないはずなのに。リオンは、その裏で自分のために前もって海が予約を入れてくれていたのだろうと少なからず察していた。
「わぁ〜すごい、思ってるより混んでるね」
「女子供しかいないんだが。」
「うーん、まぁ、スイーツ好きな男子だけだと入りづらいかもね。こればっかりは仕方ないね、とりあえず、座ろうよ。ね、」
促されるまま案内された席に座り、皿を手にリオンは心行くまで溢れ返る様々な種類のバラエティーに富んだケーキに表情は崩さないが瞳を輝かせていた。
しかし、ケーキよりも他の客達は突然表れた見目麗しいリオンに心を奪われている。髪も切り、余計端麗な面持ちが露になり海ですら新しい髪型になり美しさと男らしさも増したリオンを瞬きを忘れて見つめる回数が多くなるほど。
無意識にリオンを目で追いかける海、リオンが周囲の目線を疎ましげに気にしながらケーキを次々選んでいる様子を見つめてこっそりスマホを開いた。
「人に言えないような過去、」
届いたメッセージを見つめてため息をつく海の横顔をリオンは知らない。
「お前はパスタか。」
「うん!生パスタだからもちもちしててすんごい美味しいよ。」
「ほぅ・・・」
「食べる?」
「ああ、貰おうか」
てんこ盛りに盛られたパスタの山に海がそういえば甘いものは普段からあまり好まないと話していたことを思い返していた。ケーキよりスープやパスタを選ぶ彼女。ならば何故こんな甘味食べ放題の店を選んだのか。
いつの間にか当たり前のように行儀など気にせず海がフォークにくるんだパスタをこちらに向けているから無意識に彼女に口に運んでもらい食していた。
誰かに口に運んで食べさせてもらうなんて・・・マリアンが見たらお行儀が悪いと怒るだろうか。それとも、自分がそんな風に気心許せる相手に巡り会えたことを知り喜んでくれるだろうか。
「おいしい?」
「あぁ、」
微かな微笑を浮かべる自分が滑稽に見えた。一体自分はどうしてしまったのだろうか。
エレベーターの中で感じた二人の見つめ会う沈黙がひどく、心地よく感じたのは。
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