MISSYOU | ナノ
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MISSYOU

14

季節は止まることなく流れてゆく。長袖もいつの間にか薄着になり、桜の枝には緑が眩しく光る季節。

海底洞窟で死んだはずのリオンが傷心の海の元に来て夏に向かって天気は次第に気温を上げ始めた。
2度目の生を受けたことも、リオンは知らない、なぜ自分が今も生かされているのか。
彼はなんの為に、海に出会ったのか。

「ただいま!ごめんね、リオン君。遅くなってしまって!急いでご飯作るからね!」

夜も21時になり、待てども待てども帰ってこない海が慌てて帰ってきた。
どうやら取引している顧客とのトラブルで奔走していたらしく残業でこんなに遅くなってしまったとの事だった。
走ってきたのだろう。息を切らし、パタパタとスリッパを鳴らして海は買ってきた食材をダイニングテーブルに並べ慌てて野菜を切り始めた。

お腹を空かせた自分のために気遣って料理する海。夕食を終え、風呂の準備をリオンが終えると海は化粧も落とさず風呂にも入らずスーツ姿でソファで口を半開きにしてすやすやと寝てしまっていた。
普段幼い顔を凛々しい顔に切り替えてバリバリ働いている海らしからぬ姿に呆れながらもこのままにしては置けず、リオンは何度か揺すり起こす。

「おい、海、起きろ。寝るなら風呂に入ってからにしろ」

正直、マリアンは自分の屋敷のメイドであり、身の回りの世話をしてくれる時もこんな風にソファで眠る女ではないし、こんな風に何もかも中途半端にして眠る海の姿にリオンは呆れるが、自分の為に仕事に走り回りそして、掃除も洗濯も料理もこなしてくれて、その反面自分は居候の身で何もしていない。見知らぬ世界に辿り着いて、海と暮らしてもう数ヶ月も経つのに・・・海の疲労はピークに達してきているはず。いつまでも細いのはそのその所為なのだろうか。当たり前だが鍛錬をしていない海は自分が思う以上に疲れているし、非力なことをリオンは知りながら海のことを気遣ってやれない自分のことを内心恨めしく感じていた。

「ん〜・・・」

「寒いか?」

「んん・・・ごめんね、リオン君・・・」

自分に出来るのはベッドから持ってきた海の毛布をソファで眠る海にふわりとかけることしか出来ないのに。風呂に入る前に力尽きて眠る海は申し訳なさそうにリオンに謝りまた寝てしまった。

「すみません、お先に失礼します!」
「どうしたのよ海、今日合コン誘うつもりだったのに〜最近、残業しないで慌てて帰ってるけどもしかしてデートなの?なんなの?」
「あの・・・」
「リオンと何かあったの!?まさかあたしに嘘をつこうなんてそうはいかないわよ!」
「ひゃっ!」
「最近、うちの店の近くでキレイな顔の男の子が誰かを待ってるって聞いてさぁ、よく見たらリオンなんだもんね〜知らなかったわ、二人がまさかそんなとこまで。やっぱり同じ屋根の下で暮らしていれば・・・若いっていいわねぇ」
「ちっ、違うよ!」

更衣室で必死に首を降り抵抗する海に思いきり顔を近づけてきた友里。真下を見れば着ていたシャツを脱ぎキャミソール姿になった女なら憧れるくらいに大きな胸が零れてしまいそうに揺れている。

自分のお世辞にもセクシーではない胸を嫌でも友里と比較してしまう。自分の控えめな性格を模した胸を隠すように急いでシャツを直して背中を向けた海に友里は何となく問いかけた。

「ねぇ、あれ以来どうなの?リオンと付き合ったの?」
「まさか!ちっ、違うよ!!」
「そうなの?夜は?付き合ってないならキスくらいは・・・若い二人だもん、羨ましい〜10代とか超元気じゃない!」
「えぇっ!?」

そうして海は元カレと間違えてリオンとキスしてしまったことを思い返し耳まで赤く染めてしまった。

「いちいち顔赤くして、ほんとにあんたはかわいいわね!もう!冗談だってば、あんたはあんたよね。」
「ん???」
「ほんと、あんたはいつまでもスレないのね、うらやましいわ」

頭にクエスチョンマークを浮かべながらそれでも頷く海に友里は安心したように煙草を吹かした。

「この際だもん、リオンと付き合えば?一緒に暮らしてるんだし、リオンも満更じゃないでしょ!あんなにかわいい年下、味見くらいしたらいいのにもったいない、お姉さんが筆おろししてあげればいいのよ!」
「ふでおろし?」
「はぁ・・・ほんとにあんたと喋ってると自分がいかに欲望に汚れてるかひしひしと感じるわ・・・あのね・・・」

小首を傾げる海。どうやら意味を知らないらしく友里に耳元でその意味を言われると思い切り肩をはね上げた。

「なっ!そんなの!!リオン君にはちゃんと心に決めた人がいるもん!」

うわ言のようにリオンが呟いた「マリアン」と言う聞くからに想像できる美しい名前。きっとリオンの想い人であり、彼女もきっとリオンの帰りを待っているのだ。ボロボロに朝から晩まで働き、帰ってきても疲れて化粧も落とさずソファでひっくり返る自分の事なんてリオンは女として見ていないだろう。

「じゃあ、海翔は?あんたのことかなり気に入っているみたいよ?マメだし、モテるし、あれ以来やりとりしてたの?」
「うん、ID渡されてたし、無視するわけにも行かないし、一応やりとりはしてたよ。でも、海翔くんイケメンだし、やり取りしてて女の子のことよく分かってるなって思うよ。私の他にも遊んでくれる女の子ならいくらでもいるんじゃないのかな?」
「そりゃあね〜あいつモテるからね。あの顔にあの身長だもん、女に苦労してないのよ。それか、まだあいつのこと、ひきずってるの?」

しかし、友里に突っ込まれてからそう言えばと思い出すように語るほど、海は出ていった恋人のことが思い出すようになるまで気にならなくなっていた。あの時は一生立ち直れないんじゃないかと思っていたのに。不思議なことだ。やはり時間は過去を洗い流して癒してくれるものなのだろう。

「不思議だよね・・・私、あんなひどいフラれ方したのに・・・あんなに好きだったのに、今はもう、平気なの。写真とかもみんな捨てたし、連絡先も消したけどう全然平気。ほんとに、友里ちゃんの言う通りなんだね」

数ヶ月前まではこの世の終わりのような顔をしていたのに。これには友里も驚き、そして感じた。

「それは、リオンのお陰なんじゃない?あんなに若くてあんなにいい子なんだもん、一緒にいて楽しいからじゃない?」
「まさか・・・!」

海の脳裏には自分を見下しニヒルに笑うリオンの姿が浮かび上がった。彼が本当にいい子なら世界中の人々がみんな幸せだ。
友里は知らないのだ、リオンが時々見せる凍てついた眼差しを。

しかし、確かに前にからかわれたときよりも否定しない自分がいた。確かに、リオンの存在が日に日に大きくなっているのが自分でも手に取るようにわかった。

「やっぱ男よ、男の傷はね、男しか癒せないのよ。」
「そう、なの?」
「そうよ、だから、新しい恋を探すんでしょう?」
「そうなの・・・?でも、私はもうしばらく恋愛はもういいよ。」

今まで友里もそんな思いをしたのだろうか。しかし、自分と違い快活でグラマーな友里からは答えは見出だせそうにもなかった。
あれから仕事も無事に復帰して、毎日リオンに見送られて仕事に向かう日々。
婦女暴行未遂事件が未解決の市内で、犯人は未だに行方知らず。しかし、リオンはそんなの関係なしに気が向けばいつも職場の前の電柱で待っていてくれた。
たまの帰りは近くのファミレスでアイスを食べたりファーストフードを食べたり、休みになればモールで買い物をしたり、それが当たり前のように生活の一部に組み込まれて。
改めて感じるリオンと過ごす日々。こんなに満たされて楽しいなんて知らなかった。当たり前すぎて自分はあの雨の日の痛みを、忘れてしまっていたのかも。
どんな悲しみも時間が癒してくれる。しかし、また恋をする気になど全くなれなかった。確かにリオンを見るとカッコイイと思うし、ときめきも覚えたりもする。しかし、彼はまだ16歳の少年。そんな年下の彼を異性として意識したことは無い。それに、もうあんな風にボロボロになってまで誰かを愛したいなんて、とても思えなかった。
職場の裏口から出て階段を軽い足取りで降りて行くと少し離れた電柱に寄りかかるリオンの姿があった。

「リオン君、お待たせ!」
「別に待ってなどいない、今日はたまたま通りかかっただけだ。」
「はいはい。」

相変わらず低音の美声はひねくれたことしか言わない。見た目の美しさに反して愛想も素っ気もないリオンだが荷物を持ってくれたり、最初に比べたら冷酷な双眼は成りを潜め、海に対しても相変わらず辛辣な口調だが、前よりはずっと穏やかになったような気がした。リオンは自分のことをどう思っているのか、友里の言葉が脳裏を過ぎるが、恋愛や色恋沙汰に無縁なリオンの姿を重ねても、いつもクールで澄ましているリオンが愛欲に溺れるなんて全く想像出来ない。テレビや映画でたまに目にしたラブシーンにもまったくリオンは動じないのだから。

「今日は1日何してたの?」
「図書館で中世ヨーロッパの歴史を調べたり後はお前に頼まれたDVDを借りた。」
「えっ、わざわざ探してくれたの!?ありがとう、リオン君っ!」
「おい、やめろ!頭を撫でるな!!」
「むっ!いい子いい子してあげようかなぁって思ったのに!」

友里に言われた言葉を気にしていないわけではないが、もし自分がリオンの立場だったら自分を異性として見れるだろうか?
自分が戯れで触るだけでも真っ赤な顔で拒否してくるのだが、自分には色気など皆無なのは分かっている。
でも、リオンにはその手は通用しなさそうなのは彼の純朴で真面目な態度からは読めた。
冬の終りから春の季節まで一緒に過ごしてわかった事だ。

「あっ、これも、これも!私の大好きな映画なの!帰ったら観ようね!」
「どんな内容の寸劇なんだ。」
「あのね、簡単に説明するとね、地球に迫る流星群を止めるために主人公のお父さんとその娘の婚約者が所属してる石油採掘のチーム命がけのミッションに挑むんだけどお父さんが娘を婚約者に託して代わりに死んでしまうの!」
「なぁ、観る前から誰が結末まで簡単に話せと言った?」
「あっ!!ご、ごめんなさいっ!今のは無し!忘れてっ!」
「馬鹿め!今さらどう忘れろと言うんだ!この口か!」
「ごめんなさい!」

うっかり結末まで口にした海に思わず逃げ出した彼女の影を追いかけた時、人一倍気配に敏感な彼は背後に確かに視線を感じ思わず振り向き獰猛な肉食獣のような鋭い双眼を暗闇に向けた。

「何だ?」
「リオン君、どうかしたの?」
「いや、気のせいか?今、確かに背後から何かの気配を感じた」
「きゃあああー!いっ、いきなりそんな怖いこと言わないでよっ!」

訝しげに眉を寄せ周囲を見渡すリオンに幽霊かその類いだと勘違いした海が飛び上がるように震えていた。
思い起こせば確かに最近それは日に日に増して感じるようになっていた。

「おい、行くぞ。なるべくひとりでうろついたりするな」
「え?う、うん、もちろんだよ!リオン君が怖いこと言うからもうひとりで帰るのが怖くなっちゃったもん」
「怖い、だと?お前は、何も分かっていない。本当に怖いのは、生きている人間だ。」

きっぱりと告げたリオンの表情を皮切りに黙り混んだ海は怯えたように涙目で下を向いていた。

「リオン君は・・・」
「何だ、」
「リオン君の居た世界で、すごく怖い思いを、したの?」
そうして、海はなるべく触れないようにしていたリオンの過去の傷に触れるように、控えめに、抱いていた疑問符を投げかけた。思わず黙り込むリオン、

「何故、そう思う。」
「だって・・・リオン君、私がトイレとかで夜中に起きる時、必ず起きてるし・・・常に周りを警戒してるから・・・なにか怖い思いをしたんだよね?安心して眠れてないでしょ?」
「そんな事は無いさ。それに、ここは、日本は僕がいた世界よりも遥かに安全だが、この世界も恐ろしい事件があるのだな、と思ったそれだけだ。
それに、元々鍛錬で気配を察知したりとか、そういうのは元々敏感なだけでお前が気にするようなことではない」
「っ・・・そう、だね。」

リオンは言葉を濁して帰路に向かって歩き出した。自分は、今何を口にした?リオンはうっかり滑らせた言葉を改めて思い返してみた。
人の恐ろしさならわかる、当たり前だ。自分がその渦中に居たのだから。次第に狂いだした運命の中で懸命にもがいていた自分。
自分は、ヒューゴの傀儡で、王国で得た情報をヒューゴに横流ししたり、他人のマリアンを守るためにこっちが眩しくなるほどの笑顔で仲間と呼んでくれたスタンや肉親の、実の姉にまで剣を向け裏切った犯罪者なのだ。そんな自分の血にまみれた手を拒絶もせずに行く宛も帰る手立てもない自分を嫌な顔せず住まわせてくれる海に感謝の気持ちよりも今は申し訳ない気持ちで一杯だった。
しかし、海が優しくしてくれるのはそれは真実を知らないから。いつか彼女が自分の本性を素性をわかったとき、手のひらを返すのだろう。

何も知らない、本当の人間の怖さを知らない純真な海、リオンと歩く帰り道は街灯が少ない心細さを埋めてくれた。

しかし、リオンこそ知らない。自分の存在がどれだけ海の支えで、癒しなのか。海は海でリオンに心を開きかけてきている。事実煙草も酒も前よりは減ったし、薬がなくてもよく眠れるようになってきた。

「えっ!雨?」
「強くなってきたな・・・走るぞ。」
「わっ!」

降り出した冷たい雨が降る空の下を走る2人。傘は無く無意識にリオンは海が少しでも濡れないようにとその手を引いていた。

「っくしゅん!寒いねっ、」

ずぶ濡れの冷たい身体を震わせながら海がちいさなくしゃみをした。その拍子に濡れた海の長い髪がふわふわと遊ぶように踊る。

「なら早く風呂に入れ、もう沸かしてある。」
「でも・・・」
「何だ?」

何度か躊躇ってから海はリオンの冷たく濡れた身体に手を触れていた。生意気で皮肉屋な彼の癖に、根は誰よりも優しい事を隠せない。冷めたアメジストの瞳は冷たい輝きを放つけど、彼は本当は、とても優しいのだろう。喧嘩で始まった二人の奇妙な共同生活。そんな生活の中で優しさが少しずつ見えてきたリオンを海は見直すようになっていた。

「だって、リオン君も濡れてるじゃない。」

ふわりと柔らかな笑みを向けられリオンはふいと顔を背け照れ隠しを誤魔化したまま吐き捨てた。

「お前の方が濡れてるぞ、」
「いいの、私、夕飯作らなきゃ、だし」
「もう準備してある。先に入ればいいだろう、職場復帰したのに風邪でまた仕事を休んだら今度こそクビだぞ。」

ずぶ濡れなのに頑なに一番風呂を拒もうとする海に対し意地になったリオンの声が反響した。いつも彼女はそうだ、自分は後回しでリオンを優先してくる。

「これくらい平気だよ。」
「仕事、復帰したのに風邪でも引いて休めばお前の信頼は無くなる、部下もついてこないぞ」
「ぷっ、部下って・・・私の職場で最年少なのは私よ?そうかぁ・・・リオン君には部下がいたんだね、」
「部下・・・か、」

ふと、リオンの脳裏をよぎったのはこんな雨の晩だった。そうだ、あの日はあの人の追悼式で…そして、計画通りに自分を阻止しに来た部下を、それだけではない、自分はマリアンという存在と引き換えにヒューゴの言いなりでたくさんの人を殺した。大義名分と自らに偽りの偽善として。

「リオン君、どうしたの?怖い顔してるよ、」
「いや・・・何でもない。さっさと入ってこい。」
「うん、わかった、じゃあたまにはリオン君の好意に甘えようかなぁ・・・。ふぅ、雨って嫌になるよね。」

寒さで海が自らを抱くように身を寄せるとスーツの中に着ていた白いワイシャツは雨に濡れて細身の身体にぴったり張り付き、彼女の身につけている下着がくっきり認識できるほど透けている。
直で着替えていた時に生肌を見るのとは違うなまめかしさに咳払いをして目をそらし小さくて儚い存在を見つめ、リオンは彼女が触れた左肩に新たに宿る熱を感じていた。

リオンもリオンで海ことを考えていたなんて、自覚はないが、彼女の優しさと明るさにリオンは少しずつ心を開きはじめていた。
素直で、一途なのだがたまに針を通したように意地っ張りで頑固で本当は、泣き虫な一面もある。

文句をいいながら食事をしたり休みの日はどこかに出掛けたりして見知らぬ世界を出歩くのは新鮮で、自分を知るあの世界ではこんな風に心から安らげる時間などなかった。
常にヒューゴが自分を裏切らないように監視されていたから。今は自由の身だ監視も辛いことさえない、その反面、このままいつまでもここにいていいものかと言う葛藤を抱いていた。

本当にリオンは疲れて荒んでいた気持ちを癒して笑顔に変えてくれた自分だけを癒してくれるように感じられた。
それでもリオンが海の傷ついた心を癒したなんて彼は自覚していない。最近日増しに明るくなったと指摘した人にも笑って返答するようになった。

「リオン君、お風呂でたよ。あっ、観るの?」
「あぁ。入ってくるから準備しておけ、」
「うんっ、」

お風呂上がりの柔らかな髪がふわりとソファに腰かけていたリオンの隣で香ると、リオンは海が座るのに反して観ようとしていたDVDを手渡しジャージを持つとずぶ濡れの身体や頭をフェイスタオルで拭きながら早々に風呂に向かった。
リオンが海を見て咳払いをしたように、海も雨に濡れてどこか艶っぽい彼の中性的なとても年下には見えない色香にドキドキしていたことを悟られないようにしていたなんて。

風呂に入り当たり前のように海の用意したシャンプーで髪を洗い流し雨で冷えた体を温める。いつも一番風呂を譲って入った海の後の風呂は甘い香りで満ちていた。
彼女が専用ショップで買っているバスグッズの全て野菜やフルーツで作っているソープの香りだ。海が入ったあとの浴槽に身を置くと、まるで全身を海の香りに包まれているように感じた。

スタンにより受けた右腕の傷もこの二ヶ月でかなり癒え、あの戦いが夢ではなく、至る箇所に残る傷跡は海底洞窟で死んだ証として刻まれていた。

ふと見つめた鏡に映る自分は確かに今も生きていることを鼓動で感じていた。体を伝う雫に張り付いた濡れ髪が幾分と伸びた気がする。
そろそろ暑くなる、暑さは苦手だがその前にこの長ったらしい髪を切ろうとも考えたが自分が苦手とする他人の顔が良く見えるようになってしまうのも考えものだった。

「リオン君、まだ?」
「うわっ!」

湯船につかっている間にどれだけの時間が流れたのか。なかなか風呂から出てこないリオンにしびれを切らした海がいきなりバスルームのドアの前に姿を表したのだ。突然現れた海に驚き湯船にひっくり返るほど自分は、考え込んでいたのか。

「いっ!いきなり何だ、」
「だって、もう一時間くらい経つのに全然お風呂から出てこないんだもの。早く観ようよ、」
「あぁ・・・今行く。」

一度考えてしまえば止まらない。やはり自分の咎は拭うことはできない。罪の深さを思い知っているのに贖罪をどうしたら見出だせるかさえ分からない。罪が深すぎて、一度立ち止まればもう二度と自分は這い上がっては行けない。

「おいしい、すごくおいしいよっ!リオン君!料理うまくなったね。」
「お前と違って物覚えはいいんだ。」
「いいもん、どうせ不器用だよっ、でもホントに美味しい。いつ覚えたの?」
「本やTVの3分クッキングを観た。」

いつものように料理を作ろうとエプロンを手にした海を遮ったリオンが既に用意済みのリビングに並んだ皿に乗ったパスタやスープを示し得意気に腕を組んでいた。
リオンの口から三分クッキングという単語が飛び出すなんて。あまりのギャップに内心笑いたいのを堪えてにっこり笑みを返した。

「料理ならこれからは僕が作るし、家のこともやるからお前は居候の僕に全部丸投げすればいいだろ。どうせやることもないしな。」

「リオン君・・・」

ぶっきらぼうで素っ気ない言い方ではあったが、彼なりの優しい言葉に海はじんわり胸を温かくした。リオンが待っていると思うと職場で大量のノルマや受け持っている仕事も頑張れる。
帰ればリオンが作った美味しい料理が並んで胃も満たしてくれる。器用なのかセンスがいいのか、日に日に増して上達する料理に海も笑みを浮かべた。
昔はこうして目の前で自分の作った料理を美味しい美味しいと食べる彼を思い返しては胸を痛めて泣きそうにはなったが、今は違う。
リオンに彼を重ねることもしない、今は、純粋にリオンをリオンとして、海は見つめていた。

そして、お風呂や一人で眠るときに考え込んでしまうようになった。リオンがいなくなったら自分はどうなってしまうのだろうか?と。
不意に考えることが怖くて、思考はそこで分断して、また眠る。

戸籍のないリオンはいつまでもここにはいられない。
それに、いつか元の世界に帰る手段が見つかって帰ってしまうだろう。
遅かれ早かれ"いつか"は必ずやって来る。
だからこそ、考えたくはない。
彼がいない生活など、今の自分には耐えられそうもなかった。

「楽しみだね、」
「お前がご丁寧に結末まで教えてくれたからな。」
「そ、それは・・・!」

髪を乾かし黒のハーフパンツにボーダーのパーカーを着たリオンが隣に座るのを合図に海は部屋の電気を消した。しかし綺麗な足だと海はリオンの足をチラ見して無駄な毛のないリオンの足に魅入っていた。

「怖いくせに電気の明かりは消すのか。」
「うん、映画はいいのっ。」

気分は小さな映画館だ。メニューを開き日本語に切り替えふたりは二時間以上にも渡る感動巨編に胸を高鳴らせた。
流星雨が地球に迫るパニックムービーでありながら登場人物達のキャラクターの感情を全面に押し出しているスタイルのこの映画はスリリングな展開や宇宙に向けて旅立つ男たちの姿をありありと描いていてリオンも夢中になり、気づけば先程のことも忘れさせてくれた。

「この主題歌もかなり有名なんだよ!」
「そうなのか」

何度もこの映画を観たと言う海でさえ涙ぐんでその映像に観いっていた。小惑星に一人残り娘と最後の会話をするシーン、爆発した瞬間に広がる閃光や輝く天体。
自分達が見上げている空より空には、さらに広い宇宙が自分達を見つめていたのか。知らなかった。
ならば、自分達の抱えているものはこの宇宙に比べたらどれだけ小さいのだろう。

涙腺が弱く感受性豊かな海が流す涙。
それはあまりにも純粋すぎて、リオンは映画よりも彼女の映画のシーンと共に変わり行く表情を見つめていた。

「いい話だったね・・・っ」
「おい、まだ泣くのか。」
「だって・・・ううっ、」
「全く・・・子供みたいだな、」

そうして地球に訪れた平和。この作戦で犠牲になった人達の遺影のあとに結婚式を挙げ、あの有名な主題歌が流れる。エンドロールが流れ終わっても涙を流し続ける海、最初に出会ったときもそうだった。大人びた口調、立ち振舞いなのにどこかあどけない声、自分よりも年上なのに抱き締めれば簡単に包まれてしまう小さい手や身体、顔をくしゃくしゃにして涙を流す姿、その全てが放っておけなくさせる。

「うっ・・・お前、鼻くらいかんだらどうだ。」
「ごめんなさい・・・!」
「はぁ・・・、本当に面倒ばかりかけるな、お前。」

しくしくと未だに泣き止まない海のせいで映画の感想を述べろと言われてもきっと何も答えられないだろう。どうしたら彼女は泣き止むのかなんてきっと見出だせない。

「泣くな・・・」

まさか自分が女を宥めるなんて思いもしなかっただろう。
浴室で嗅いだ匂いを纏わせる海の柔らかな髪に触れると、海の戸惑ったような双眼が向けられる。

「っく、リオン君は・・・優しい、ね。泣いてばかりなのに、ごめんね・・・」
「いいから・・・いつまでも泣くな・・・お前にいちいち泣かれると・・・どうしたらいいかわからない。」

気付けばスタンたちと重ねたあの旅よりも遥かに長く海との時間を共有していることを知るのだった。
明るいのに、儚い。そんな二面性、ジキルとハイドみたいに姿を変える海を知れば知るほどにリオンは懐を掴まれるようだった。

明くる日、映画で泣き腫らした瞳で仕事に出掛けた海を見送り全ての家事を終えてもう一度DVDで全てを観終えたリオン。核爆弾の起爆装置が壊れてしまい誰かが惑星に残り流星の軌道を変えるために残った娘の婚約者に変わり自分が残った父親。
最後に娘と会話をした姿を焼き付けスイッチを押して爆破させた父親の走馬灯のシーンに切り替わる。人は死ぬ前に走馬灯を見ると、良く言うが果たして自分はどうだっただろうか・・・最期に交わしたシャルの、マリアンの、ミクトランの言葉がよみがえる。

そうして思い出す。

「そうだ・・・あの時、ミクトランと言う・・・何だ?思い、出せない・・・」

ミクトラン、千年前の天地戦争で悪名高いその名は後世にまで受け継がれている。天上都市ダイクロフトを支配し神の眼を独占し、ベルクラントで無差別殺戮をした非人道的な男。
その男に掬い上げられるように自分は最期まで、生ける屍として。しかし、肝心な箇所を思い出そうとすればするほどそこの視界だけが靄がかったように全く思い出せないのだ。

「思い出さなければいけない気がする。だが、そろそろ海を迎えに行ってやるか」

自分がいつか消えたら、この先誰があんな非力な海を守ればいいのだろう。誰が守るのだろう。考えても、その問いが返ってくることはない。
凍てつく寒さは去り、さわやかな薫風香る季節、寒さはもう感じられない。手にしたジャケットを取り羽織ると歩き出した。

「お先に失礼します・・・」

なんという事だ、海は思わず頭を抱えたくなった。先程もこっぴどく叱られた鬼の居ぬ間になんとやらの通りにトイレに行っている間に帰ろうとしたのに。裏口の手前にある喫煙所で煙草をふかす和之に海は硬直した。

「お疲れさま。」
「あ、ど、どうも・・・」
「一人か?送ってくぞ」

そんなリオンの胸の内など知らずに今日もいそいそと仕事を終わらせると残業に捕まらぬように慌てて職場を飛び出そうとしたところを鬼こと和之に呼び止められたのだ。

「だ、大丈夫です。」
「ここの近くの婦女暴行未遂事件・・・犯人が未だに捕まってないみたいだぞ、」
「あの・・・っ。大丈夫です・・・迎えが、来てるので・・・」
「迎え?男か?」
「えっ、と・・・男というか・・・弟のような・・・ええと・・・」

上手く言葉に言えず戸惑う海。リオンが彼氏ではないのはわかっているしあんな潔癖なリオンから願い下げだと鼻息荒くして怒るに違いない。
上司になんと言おうか言葉に迷っていると後ろからふわりと香水の香りがして、振り向くといたずらに笑う友里がいた。

「んも〜海ったら照れちゃって!野暮なこと聞くもんでないですよ〜」
「友里ちゃん・・・!」
「海だってオンナなんですよ!てなわけで彼氏待たせてるんでしょ!行った行った!!」
「きゃ!友里ちゃん・・・でも、リオン君は!」

背中を押されながら辛くもその場を脱した海。リオンはそんな気持ちなどないのに勝手に先生にそう説明した友里、小走りで部屋を出ながらリオンは彼氏ではないのに海は何故か頬の赤らみが抑えられなかった。

一方、リオンは早足で進んでいた。昨日も感じていた、背後に何か突き刺さるような視線を感じながら、真っ暗な夜道を歩きながら歩くリオンは腕時計を横目に海の仕事が終わる頃合いを見計らっていた。
やはり迎えに来てよかった。婦女暴行未遂事件の犯人は未だに逃走中らしい、海はあの通り危なっかしいしきっと襲われたら小さな身体はひとたまりもない。
ただでさえ傷ついている海が更に酷な目にあうなんて。彼女が泣くのは、映画だけでいい。

いつもの電柱に寄りかかり、海を待つ間の時間潰しをしようかと考え込んだ瞬間、背後からいきなりガツンと何か固い鈍器がこめかみを打ったのだ。

「っく・・・!何だ!?」

振り返ろうとしたがいきなり鈍器でこめかみを殴られ膝からそのまま地面に崩れ落ちてしまう。
背後は人影のない柳が不気味な公園、まさか・・・アスファルトに倒れ込んだリオンは自分の上に馬乗りになって自分の耳に荒い息を吹き掛ける男を睨み付け力が入る右腕を振りかざした。

「くっ!この!」

まさか、こいつが例の婦女暴行未遂事件の犯人なら・・・

「僕は!婦女ではない男だ!」

まさか、自分はこいつに女だと認識されずっとここ最近尾行されていたのだとしたらリオンの怒りは計り知れないだろう。
シャルティエはなくても護身用のダガーでも持ち歩けばよかったが、この世界ではカッターナイフのような刃物でさえも所持すれば罰せられるのだ。いきなり胸元から手を突っ込まれ反射的に拳を突きだしたが先程殴られ力が入らない。何か武器になるものを・・・襲われながらも頭の中は冷静に周囲を見渡すと聞き慣れた声がした。

「きゃっ!リオン君・・・!?」
「馬鹿!!来るな!」

なんと、タイミング悪くリオンの怒声に気付いた海がパンプスを鳴らしてこちらに駆け寄ってきたのだ。
危惧を促すも間に合わない、犯人は凶器を持っているかもしれないのだ。

「止せ!!僕に構うな!」
「リオン君から、離れてっ!リオン君はかわいいけど男の子なんだよっ!」
「うるせぇんだよ!オンナだからって調子乗るなぁ!!」

しかし、強姦魔はうるさいと言わんばかりにサバイバルナイフのような刃物を取りだし立ち上がったリオンに切りかかったのだ。
思わず海を庇うように抱え込みそして犯人のナイフの届かない場所へ突き飛ばすと、リオンはその反動で犯人に背中を向ける形になる。

「くっー!(背中を、斬られてたまるか!)」

すかさず持ち前の体術で交わしたがナイフが空を切る音と共に血しぶきが飛び、リオンの肩まで伸び放題だった漆黒の艶髪までもザックリと切られ、アスファルトに落ちた。

「きゃー!!」
「海!!」

最初だけでいい、これ以上海にカリを作るなんてプライドが許さない、それだけ。熱い熱のような感覚に自分は切られたのだと感じた。
別に海を守りたいと思ったのは、本心ではない。
立ち上がると思わず彼女の名前を叫んでいた。
うなじと右腕を斬られたがこんなのかすり傷だ。

「雑魚が!」
「ぐあっ・・・!」

リオンの目が暗闇に光る。地を蹴りそのまま上昇し突き上がるような上段蹴りが綺麗に奴を捉えた。アスファルトに転がったナイフをすかさず遠くへ蹴り飛ばす。

「お前は地を這ってろ!」

全体重のかかった肘鉄を思い切り食らわせ着地すると眉間に食らった犯人は端までぶっ飛ばされ頭を強打すればひとたまりもなかった。

「えい!」
「だから、お前は下がっていろ!」

怖がりで泣き虫の癖に大人しくしろという辞書は海の頭には存在しないのだろうか。リオンが決めた飛燕連脚で地に伏せた強姦魔に止めと言わんばかりにヒールで何度も踏みつける海を止めるとナイフが掠めた箇所から血がまだ溢れていた。

「リオン君、大丈夫!?」
「お前!もし犯人が気を失っていなかったらどうするつもりだったんだ!刃物で切られる方がどれだけマシか!蹂躙されていたかもしれないんだぞ?女の癖にでしゃばるな!」

駆け寄ってきた彼女についらしくもなく大きな声を張り上げた。彼女が巻き込まれることをこんなに恐れていたなんて…自分自身も分からないまま今にも泣きそうにたちまち顔を歪めた彼女がまた泣くかと思ったが、

「ごめん、なさい・・・」
「全く。取り敢えず捕縛だ。急所を突いたからしばらくは起きないだろう。この世界はどうしたらいい。」
「警察・・・だね。今取り敢えず連絡してみるね・・・良かった、リオン君が無事で、私・・・リオン君が襲われてると思ったら居ても経っても居られなかったの!だから、つい・・・」

しかし、彼女は意外なことに涙を流したり怒ったりはしなかった。ただ素直にその言葉を受け止め自らの無謀な行いを恥じている。
リオンを思うがゆえの行動だと言い張る海の唇がとがったように主張しているのがわかった。
とにかく、互いが互いに無事で良かった・・・二人は警察が来るまでの短い間、どちらともなく見つめあっていた。

「ごめんね、せっかくの綺麗な髪が・・・私が、遅れたから・・・リオン君、」
「たまたまだ。どうせ、髪もいつか切るつもりだった。傷も浅い、」

海がリオンの傷口にFURLAのバッグの中から取り出したハンカチを慌てて宛てがう。ようやく落ち着き今更ながら切られた傷が痛みだしたが、幼少からひたすらに鍛錬で鍛えた身体の反応は戦闘から離れても未だ健在のようで、鈍っていないらしく安堵した。

しかし、襲われたのが海ではなくまさか自分だったなんて。考えたくもないが、それで良かったのかもしれない。自分だったからこそ冷静に身体が動いた。長い間戦いから身を引いてはいたがやはり自分は思い知るのだった。

「でも、リオン君ってやっぱり、お城の剣士様なだけあってすごい喧嘩強いんだね・・・知らなかった」
「別に、大したことはない。ただ、」
「ただ?」
「何でもない」

お前が無事でよかった。うっかりそう言いかけた言葉を閉ざしてリオンは海に背中を向ける。
そうして、その翌朝、婦女暴行事件の犯人が捕まったと報道され、二人は僅かながら犯人逮捕に協力したとして感謝状を誇らしげに受けとるのだった。


To be continue…


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