MISSYOU | ナノ
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MISSYOU

12

リオンと暮らし始めていつの間にか1週間が過ぎようとしていた。
そろそろ仕事に復帰しなければ見かねた上司から解雇宣告を受けるだろう。
しかし、気がかりなのはリオンのことである。
客員剣士として今まで生きてきた彼がこの世界で働ける仕事などあるはずも無く、働けない彼にこの世界に慣れてもらうのも兼ねて主夫のように家事を全て任せることにしたのだが、肝心の彼はお屋敷ぐらしの高貴なお育ちのためかなかなか思い通りに家事をこなせるはずもなく。
これでは社会復帰したとしてもいつまでも彼を1人になどさせられない。

すっかり日も暮れた夜。
スマホを操作しながらネットバンクで通帳の残高を見つめながら海はため息をついた。

海は社会人になり給料を貰いだした頃に手にした通帳の残高の残りのなさに驚いた。今月はほとんど働いていない。仕事柄自分の代わりに仕事を引き受けてくれる人もいないから仕事もてんこ盛りに溜まっているだろう。

「いけない、電気代とかも引き落としになるのに・・・」

そして、もうすぐ25日がすぎれば光熱費や家賃などもみんな引き落としになる。
リオンの面倒を見ると決めた矢先にたくさんの困難が立ち塞がる。
働かなければ生きてはいけない。仕事も溜まっているだろうし、いい加減に社会人として復帰しなければ。海は小さなため息をついた。

その時、キッチンから聞き慣れない、何かが爆発したような暴発音が聞こえてきた。慌てて海がキッチンに駆けつけるとリオンが廊下に立って難しそうな表情を浮かべている。

「おい、中身が破裂した!」
「えっ、どうしたの・・・何があったのよ〜!?」
「いきなり卵が爆発したんだ」
「キャーっ!な、なぁにこれっ!あっ、当たり前だよ!電子レンジに卵そのままは入れちゃダメだよっ!」

慌てて電子レンジに駆け寄るがどうやら壊れてしまっているようであたりにはなんとも言えない匂いが立ち込める。

「もう、電子レンジで卵を使う時はしっかり箸で割りほぐしてからじゃないと・・・」
「お前の説明が悪い。なんでも温めることが出来る機械だなんて抜かすからだ」

落ち込んで夜な夜な涙を流す日々だったが、リオンと言う同居人を迎えてから生活は一気に一転し、毎晩毎晩低い声と凛とした声が賑やかな声が響いていた。

「昨日は洗濯機を泡だらけにしたり、お風呂場はマジックリンでギトギトのツルツル、ドライヤーは燃やす。今度は玉子を電子レンジで・・・リオン君、目を離したらほんとにおっかないわ。」
「フン、この世界は本当に面倒だな。機械文明は異常なほど発達してはいるが・・・かえって複雑だ」
「あー!こら、またピーマン!あっ、ニンジンも。坊ちゃん、お家ではテーブルマナーより、食べ物の好き嫌いをしたらだめって教わらなかったの?英才教育を受けて育ってたんでしょ?」
「そうだな、」
「食べなさい、お願い、ピーマンもニンジンもね、ちゃんと食べやすいようにペーストにしたんだよっ」
「だが、匂いがするぞ、」

海お手製のハートの形にした可愛らしいハンバーグを手渡されて焦るリオン。ハンバーグの匂いからはフードプロセッサーという機械ですり潰されたが、隠しきれないニンジンとピーマンの嫌な香りがした。
しかし、海は変わらず微笑むだけでこのまま食べなければ海はずっとニコニコ笑い続けるだけだろう。
リオンはうんざりしたようにフォークとナイフを手に取った。

「わかった、食べればいいんだろう。いいか、誤魔化したつもりだろうが匂いでわかる。擂り潰しても僕を騙そうなんてそうはいかないからな」
「好き嫌いばかりしてるから大きくならないんだよ?食感は感じないはずだよ。」
「それなら貴様も茄子をペーストにしたらどうだ?」
「むっ!生意気ね!」

頭に来て思い切り頭をげんこつするとリオンもむすっとムキになって立ち上がった。

「何をする!」
「言うこと聞かないリオン君にはお仕置きだよ!」
「僕に偉そうに説教か!年もそんなに違わない奴が偉そうにお節介だ」
「あら!?残念ながら私はもうずいぶん前から立派な成人です!お酒も飲めるし車だって運転できるし立派な女です!」
「何だと!?お前・・・いや、そうか・・・成人してるのか」
「むっ!な、なぁに、その目は!そんなに私の年齢にびっくりしたの?」

立ち上がることによって切り開かれた身長差、男性平均よりも小柄なリオンよりも小さな海は簡単にリオンに見下されてしまう。

「・・・僕より年は上なのに身体は僕より小さい奴に好き嫌いばかりしてるから大きくならないと言われても何の説得力もないんだがな。」
「ちっ、小さいのは仕方ないでしょ!背が低いのは私も気にしてるんだから・・・」
「だからその年の割に幼いんだろうな」
「もぅ!気にしてるんだからそれはほっといてよ・・・いいでしょ、胸はあるんだから」
「なっ!だ!誰もそんなところまでは言ってない!」

暮らし始めて一週間、この二人が順調に助け合いなにかとうまくやっていた、わけではない。

「リオン君の意地悪・・・!」
「フン、」

次から次へと、毎回こうしてなにかと衝突するふたり。やはり、最初から価値観も生活習慣も違う二人が暮らすことは、無理だったのだろうか。

気付けばリオンがいるのが当たり前の生活が始まって。いつもと変わらない朝、耳を突き破るような男のドスの効いた声と騒がしい音楽がリオンの耳を突き破る勢いで鳴り出した。
いったい何なんだ。眉をしかめるリオンなど気にもしないで楽しげな夢を見ているのか、ベッドで幸せそうに眠る彼女を横目にリオンはむくりと起き上がり海が眠るベッドの下に敷いた布団をたたんで着替えるとギャルソンエプロンを腰に巻いた。

「おい、起きろ。海、」
「ん〜・・・っ」

それから、芳しい朝食の香りが漂うと共にリオンが姿を表した。相変わらず眠り続ける海の姿にしびれを切らし揺さぶり起こした。

「おい!いつまで寝ているつもりだ。初日から遅刻するぞ、」

俯せで眠る小さな体をユサユサと何度も揺さぶる。なかなか起きようとしない寝起きの悪さは本当にあいつ並みで。やがて眉を潜めていた皺が消えると、ぱちぱちと睫毛が瞬き、色素の薄い海の瞳が紫紺とかち合った。

「んっ、リオン君、ひゃあ!?し、7時半!?大変っ!!」
「本当によく眠る。1時間前からずっと鳴っていたアラームにも気づかないなんてな。」

むくりと起き上がると柔らかな髪がグシャグシャのシーツもそのままに。慌てて飛び起きるとリオンの前にも関わらずいきなり着ていたフリースパジャマを脱ぎはじめたのだ。

「って、おい!貴様は何を!!」
「遅刻しちゃう!」
「馬鹿が!いきなり服を脱ぎ出すな!恥らいはないのか!」
「うぅん、何着ようかなぁ」

恥じらいもなく下着姿になりタンスから服を引っ張り出す海の姿にリオンは慌てて目をそらす。
今まで女の肌の温もりなど全く知らないリオンは冷静な表情と裏腹に頬を赤らめ身体を震わせたが、海は自分に下着姿を見られても何も気にしない姿。自分を男だと完全に意識していないのは明らかだった。
向けられた真っ白な背中が露になり初めて見た女の肌は何よりもきめ細やかで朝日に輝いていた。
そのなまめかしい背中を海は唇でなぞられた経験があるのだろうか。

異性として対象外だろうがそれは逆に自分の台詞だ。それはそれで構わないが。こんなに悔しいのはどうしてだろうか。

落ち着くまでため息をついていたが仕方なく着替えだした海に背中を向けてリオンは朝食の支度にかかることにした。

その間に海は家を走り回り、軽くシャワーを浴びて髪の毛を直しうっすら化粧をすると用意したスーツに袖を通し朝食を食べるためにダイニングテーブルに腰かけた。

「何?」

「いや、そうしてみると確かに、年相応に見えるな」

髪の毛を一つにまとめあげ、ピシッとアイロンをかけたパンツスーツを身に纏う海の凛とした姿は普段の可愛らしい洋服を身にまとった彼女とは違う人に見えた。

「リオン君、料理、これ、全部リオン君が用意してくれたの?」
「いつまでも貴様のペットでいるつもりはないからな。出来ることなら、何でもやる。それだけだ」
「リオン君・・・ありがとう。いただきます。」
「ああ。」

今日から仕事と張り切る海に影ながら彼女を支えようとクールに振る舞いながら、彼の瞳には確かな優しさが見えた。

トーストとスクランブルエッグにトマトが添えてある。飲み物は朝の胃に優しいミネラルウォーターだ。

「ちょ、ちょっと、あの・・・リオン君、」

それをすべてきれいに食べ終えた海。後は出掛けるだけだが…何やら頬を赤めながらトイレを指差す海。

「何だ。」
「あの・・・ト、トイレに」

しどろもどろになり、たどたどしい声。いきなり自分の前で着替えるなどそういった面で全く恥じらわないくせに。人間の自然な排泄行為を聞かれるのは恥ずかしがるのか。
それを察したのかリオンは黙ってごみ袋を手にいなくなった。

今日は燃えるごみの日じゃないのに。そんな不器用な優しさが海には温かかった。
最近、彼の優しさがとても有り難く感じるようになっていた。

皮肉屋、気難しくひねくれているように見えて、何だかんだで彼は優しいのだ。
急いでトイレに駆け込み危機一髪。恥ずかしかったが聞かれるより恥ずかしいことはない。

「ふぅ〜」

正直トイレだけは異性としてリオンを意識してしまう。トイレだけは知られたくない、リオンもそうだろうが、女心をわかってほしい。

「それじゃあ、行ってきます。」
「あぁ。そう言えば、あの車では行かないのか?鍵を忘れているが。」
「え、うん?大丈夫、だよ。」

車の運転には的さないと自らが言っていたヒールの高いパンプスを履いた彼女に不意に問いかければ海はなぜ今さらそんなことを聞くの?とでも言いたげに不思議そうに頷いた。

「私の職場はすぐ近くなの。国道沿いは混んでるし、歩いていく方が何だかんだで近いんだよね」
「そうか、」
「じゃあ、7時前には帰るから。お昼は冷蔵庫に。夕飯は帰ってきてから作るね。」
「気を付けろ。」
「うん、行ってきます。」

ひらひらと控えめに手を振りながらカツカツと靴のかかとを鳴らしてエレベーターへ向かう後ろ姿を見送り、リオンはいなくなった無人の部屋で立ち尽くすと掃除を海に習った通りにしてみることにした。

「あいつもなんだかんだで正装で立派に働いているんだな。ヒモだとか、ペットだとか専業主夫など、この世界では言うんだな。」

リオンは先程ゴミ捨ての際に知り合った近所の人達の自分に密やかに浴びせた言葉を忘れたわけではなかった。

「おはようございます。」
「あら、おはよう海さん。
そう言えば、さっき貴方の家から綺麗な顔の若い女の子?男の子が出てきたみたいだけど〜どちら様?」

その足取りは軽く、近所の目も気にならなくなっていた。かつての彼と暮らし始めたこのマンション。しかし、彼は今はもうここにはいない。そして興味本意で聞いてきたのだろう、遠回しに彼と別れ、つまり新たな男であるリオンと生活している、と。

しかし、海はそのような興味本意な質問にも臆したりはしなかった。

「はい、親戚のリオン君です。海外から今、単身で日本に来てて、私が面倒を見ているんですよ」
「あら〜そうだったの!大変ねぇ、まだ若いのに」

その言葉すらわざとらしく感じて吐き気すら浮かぶようだ。海は内心毒づきながら一礼してその場を後にした。
世間体さえ気にならなくなるほど海は立ち直りこうしてまた職場への道を歩む。
リオンと出会い彼と関わることで再びこうして立ち直ることが出来た。

「えっ、海!?」
「友里ちゃん・・・!」
「よかったぁ、ついに!来たのね!待ってたよ〜お帰り!!」
「ただいま!」

しかし、気付けば半月以上も休んだ職場。何だかんだで行くのは本当に久しぶりだ。いつ事務所内に入ろうかタイミングを伺っていた海に気付いた友里が嬉しそうに背後から彼女に抱きついてきたのだ。

「なぁに、入りづらい?」
「う、うん、ちょっと、」
「大丈夫よ。病欠ってことにしてたし、サボりとかでないんだからさ、タイムカードは押したの?あたしもついていくから。いきましょ?」
「うん。」

友里に背中を押されながら営業所に足を踏み入れる海。菓子折を手に先輩方へ挨拶をしながらたくさんの女性スタッフが海を迎えたのだった。

「古雅さん!」
「営業部長が病欠って言っていたから!心配したんだよ。」
「もう出てきて大丈夫なの?」

次から次へと浴びせられる質問責めにあうなかで次第に追い詰められていくような気がして、表情がまた暗くなってゆくが、海は唇をきつく結び、深々と職場の人たちに頭を下げたのだった。

「はい、もう大丈夫です。長らくお休みをいただいてしまい・・・皆さんにご迷惑をお掛けして本当に、すみませんでした」

心から精一杯の謝罪。しかし、仕事となれば皆がボーナス査定にも関わるノルマを達成するべくそれぞれの持ち場へと出かけてゆく。海もデスクに腰を掛け一息つくと、そんな海を見つめる厳しい瞳があった。

「古雅、ちょっといいか?」

「あ、はい・・・」

そうしてようやく腰を降ろして少し緊張から解放されたばかりの海をまた萎縮させる男がやってきた。
彼の名前は松本和之、通称、鬼と呼ばれている。グレーのスーツをビシッと着こなし海の直属の上司でもあり営業成績の優積者として表彰も受けたことのあるいわゆるデキる男だ。

「うわぁ・・・古雅ちゃんまた怒られるんじゃないの?」
「半月も休んだとは言え今月のノルマこのままじゃ達成できてないもんね・・・」

ヒソヒソ、海と上司が入っていった扉がしまった部屋を遠巻きに見つめながら女達は自分たちは関係ないと言わんばかりに海がこれからどうなるのか哀れんでいるようだった。

「病欠で大変な中戻ってきて早速だけど、お前今月の目標達成できてないよな?アテはあるのか?」

「すみません。一応リストの通りに回って実績回収して来ます・・・」

彼は海がここに就職したときから先輩として海に仕事のノウハウを
与える先輩でもあり頼りになる上司でもあるが、影で鬼と呼ばれるだけあり、その目はかなり厳しく、泣かされた記憶は数え切れないほどある。

「ただでさえお前は人より実績も取れていないし遅れをとってるんだ。そんな時に体調不良で半月も休むなんて・・・自分の身体の事なんてお前にしかわからないし自己管理なんて社会人として当たり前だ。」
「はい、すみません・・・」
「とにかく顧客管理しているリストから電話かけをしろ。今日はアポをとるまで事務所に帰ってこなくていい。」
「はい。長い間休んでしまい、すみませんでした・・・」
「俺に謝るならお前の顧客に謝るんだ」

そうして、冷たく告げられた言葉に海は思わず目眩を覚える。そうだ、この仕事は生半可な気持ちではとてもじゃないがやっていけない。泣きそうになりながらも海は社用車の鍵を手に事務所を飛び出していく。

「もしもし、お世話になっております。私・・・」

遅れを取り戻さなければ、それに、帰りを待っている人がいる。なんとしてもノルマを達成しなければ。営業という数字がすべての厳しい世界、そこに身を置くものとして、海の瞳には恋の痛手に傷ついていた涙は消え、仕事モードに切り替わっていた。

職場での質問責めを掻い潜り、通常の外回り業務を久々にこなしながら電話掛けや予約先の顧客の対応に追われていた。
しかし、アポは取れてもいつまで経っても実績に繋がらない。焦りばかりが募り時間だけが過ぎてゆく。コンビニで買ったおにぎりを食べ、黙々と訪問先を回る。

「海ちゃん。この書類とこの書類回覧で回ってた奴のカゴに入れておいたからあと綴っておいてね」
「はい!(もう・・・それくらい自分でやってよ・・・)」

若いから、今まで休んでいたから。
そう言われればもうなにも返せる言葉が見つからない。下っ端として書類の綴りもやらなければならない。ため息をついて書類を眺めながら書類に綴っていく。書類の綴りも苦手な雑務だが新米の自分しか居ないためにやるしかない。

友里は持ち前の美貌やスタイルを生かしておじさんや大手の企業を相手にどんどんアポをとって実績を伸ばしていく。ホワイトボードに並んだ名前と実績。友里にとってこの仕事は彼女の天職だと思う。それに比べて自分はどちらかと言えば営業には決して向いていないと思うがなんだかんだでこの仕事も頑張って続けているし、それなりにプライドはしっかり持っている。
今が忙しい時間帯、誰も電話をとってくれないし事務処理をしながら電話をこなさなければいけない。

「海手伝うよ、久々なのに大変でしょ!」
「友里ちゃん・・・すみません、」
「いいのいいの、私もう今日の予定は終わって今暇だし。二人で片付けようよ、ね?」
「うん、」

残業だけは免れたいがために焦りは途方もなく募ってゆく。しかし、どんなに大変でも厳しくても、仕事はやはりいい。仕事をしている間は数字がどんな辛いことや煩悩さえ弾き飛ばしてくれる。

「佐竹、お前この書類顧客の署名抜けてるぞ、」
「あ、呼ばれた。じゃあまた後でね!ほどほどにがんばんなさい、私も足りない分海の数字持ってくるし、あんな鬼の嫌みなんかに負けんじゃないわよっ」
「うん、」

鬼と呼ばれる上司を横目に友里もいなくなる。友里に頭を優しく撫でられ、海はじんわり胸が温かくなった。早く終わらせて帰ろう。
はじめは久々の事務所内で気まずかったが、友里のお陰でまた通勤する元気がわいてきた。

「(頑張ろう、何としても実績取り返さなきゃ・・・)」

そう、今考えるのは慣れない世界に慣れようと暮らすリオンのためにも。今の自分はリオンの生活費もかかっている。支えがあれば、リオンの憎たらしいあの生意気そうだが上品な微笑を思い浮かべながら。

「外回り行ってきます、」

海は業務用のカバンを手に立ち上がると再び外へ駆けてゆく。
気付けば営業所はもう営業終了時間を過ぎていた。最後の追い込みだとアポイント先へ営業を続ける。数字をとるまで帰れないのだから。

しかし、仕事はそんなに甘くはない。契約時間などいつも踏み倒されゆくもの。訪問先の顧客との会話が長引きなんとか契約までは取れたのだが無情にもリオンとの約束の7時は過ぎてゆくのだった。

約束の7時はとっくにすぎている。腹を空かせたリオンは気を紛らわすように昼間のドラマ再放送から退屈なバラエティー番組に切り替わり不機嫌そうにソファに寝そべり時計と睨みあっていた。

「遅いな・・・あいつの仕事はそんなに帰れないものなのか?」

約束したのに。残業と言う単語など知らない彼には何故、海が時間になっても帰ってこないのか不満でたまらなくなっていた。
なにか事故にでも巻き込まれたのだろうか。不意に手渡された事務所の連絡先を思い返しながら聞いてみようか、とも考えたが、自分には海のような連絡を取るスマホがない。

スマホがあれば簡単に彼女と連絡がとれるのに。しかし、居候である身でそんな高そうなものをねだれる立場ではないのは心得てる。
そんなことを思いながら番組表を開きテレビのチャンネルを変えた。

そうして自分達の文明が衰退していく世界を嘆くこともなく。不意に飛び込んできた夕方前の全国でなく県内版のニュースでリオンは思わず立ち上がっていた。

――「県内版のニュースです。最近、〇〇市内では婦女連続暴行未遂の事件が相次いでおり、近隣の警察が住民に注意を呼び掛けています。犯人は未だに逃走中とのことで引き続き警戒をとの事です・・・ここが事件のあった公園になります」

「婦女連続暴行未遂の事件か・・・ん?ここは・・・まさか、な。」

しかし、そのニュースに過る悪い予感。しかも中継現場はもうここから目と鼻の先で同じ地区内にある大きな公園だったのだから。
しかし、大丈夫だろう、あんなやつがどうなろうが知ったこっちゃないと気にしないようにつまらないお笑いクイズ番組に切り替えて気を紛らわそうとしたが、海の脱ぎっぱなしのパジャマが視界に飛び込むとリオンは降りだした雨を横目に買ったばかりのブーツに足を突っ込むときちんと戸締まりをし、ぶりぶりの可愛らしい海の傘を手に家を飛び出していた。

「あ〜あっ、何よ〜!やっと終わったと思ったらすっかり雨じゃないのよ。最悪、結局今日も20時までだったね。海も久々だったから疲れたでしょ?」
「うん・・・」
「よし、久々だし鬼にゴハンおごってもらおうよ〜。」
「でも、リオン君が、待ってるから、私、帰るね。友里ちゃんは行ってきなよ!ね?」
「でもひとりであんた帰すなんて心配だわ」
「大丈夫だよ。私は、ひとりでも平気だから」

しかし、雨足は次第に強くなってきていると言うのに。それに、海はどちらかと言うと危なっかしいしどこかそそっかしいからひとりで帰すにも心配だ。

「あんたの同居人も世話になってるんだから迎えに来たらいいのに。全く、使えないわね。」
「しょうがないよ、いいの。リオン君はお坊っちゃまだから。待たせてるから先いくね。」
「お坊っちゃまなの!?つかさぁ、そんなの関係ないじゃない、女なんだからやっぱひとりで夜歩くのはやめた方がいいって!」

テレビを見る暇も無い程忙しかった二人はそこの近所で起きた事件を未だに知らない。海が大丈夫だと言うので友里はあっさり海を見送ることにした。家も近いから大丈夫だろうという安易な考えだ。

「私、友里ちゃんみたいに美人じゃないし巨乳じゃないから大丈夫だよ! 」

「何それ〜高校の時ホルスタインって呼ばれてたあたしへの嫌味かな〜?」

「きゃっ!ゆ、友里ちゃん!」

いきなり友里に両胸を後ろから鷲掴みされた羞恥に真っ赤な顔で小走りで離れていく海を見送りながら友里は彼女が消えるまでしっかり見送っていた。

海が完全に見えなくなったあと、後ろから姿を表したのは鬼改め和之だった。

「佐竹と一緒に送ってやろうと思ったのに。帰ったか、古雅。」
「たった今帰りましたよ。全く、あの子、あたしより若くて可愛いってこと、全〜然わかってないんだから」
「そうだな。」
「え!?ど、どうしたんです?いつも海のことボロクソに言ってるのに!」
「いや、本当のことだろう。」
「あら〜ん認めた?ほんとですよ、あの男がいけないんですよ、あの子を・・・ひとりにしないって約束したのに」
「ん?」
「い、いえ・・・何でもないで〜す」

そうして心配する者の気持ちもお構いなしに。本降りになった空の下を海は高いヒールに足をもつれさせながら走っていた。

「わぁ、すごい雨!裸足で走った方がまだマシ、かも」

ヒールに邪魔されてうまく走れないもどかしさに海は立ち止まり濡れるのを覚悟して走るスピードを上げた。
家に帰ればリオンがお腹を空かせて待っている。早く帰らなきゃ、雨が降れば嫌でも甦る悲しい記憶。みんなまるごと消え去ってしまえばいいに。雨がこの悲しみさえも包んでくれたらいいのに。

立ち止まり暗闇でずぶ濡れのまま空をぼんやり眺める海の姿は回りからは一体どんな目で受け取れたろうか。

「おい」

そんなことを思った時、不意に背後から肩を叩かれ驚きに目を見開く。気のせいか雨が止んだ、気がした。

「ひゃあ・・・オバケ!?こ、殺さないで〜っ!!!」

自分でも思った以上の低い声が出た気がして。
飛び上がり振り向き様に頭を下げればそこにいたのはフリフリの海が愛用していた傘を差し出し不機嫌そうに眉を寄せるリオンの姿があった。

「リッ、リオン、君!?
あ〜〜〜よかったぁあ・・・ほんとにびっくりしたよ!」
「遅い。もうとっくに約束の時間になってもいつまでも帰ってこない、それに、この雨だ。」
「リオン君、もしかして、私のこと、心配して、来てくれたの?」

しかし、リオンは首を縦に振らないでもう片手にある袋を彼女に手渡した。

「違う、待ちきれなくてプリンを買いに行ったんだ。思い上がるのはいいが別に貴様のためではない、」
「あ、そうですか。で、でもっ、コンビニならマンションの反対車線に・・・」

そうして二人で相合い傘をしながら歩く道のなかで、リオンは小さな声で呟いた。

「こんな雨の日に誰が好き好んで外に出るか」
「リオン君・・・」

雨のなか傘を差し出した彼の不器用な優しさを介間見た気がして海は冷えきった胸の内がまた暖かくなるように感じられた。他人を病的なまでに拒むリオンの眼差し。しかし、もしかしたら彼は本当は誰よりも優しくて痛みに敏感なのかもしれない。そう、思った。

「ねぇ、リオン君。今日は、グラタンにしよっか」
「なっ!いきなり腕に抱きつくな!」
「だって・・・ヒールが高いからうまく走れなくて」
「気安く触るな!痴女め、恥を知れ!」


To be continue…






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