MISSYOU | ナノ
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MISSYOU

11

柔らかに揺れるたっぷりとした海の髪、震える小さな身体にリオンは釘付けになった。

マリアンが自分のために涙を流したこと、それは父親に愛されない不憫な自分を憐れむ涙だった。

ルーティが泣いた姿は見なかった。あの状況で自分との血縁関係を明かしたショックに凍りついた表情しか結局わからなかった。
彼女は今、自分のことをどう思っているのだろうか、もっと前からルーティが姉でありクレスタに居ることも知っていたのに、分かり会えたはずだったのに。
自分がそれを諦めてしまったから。
自分が死に、ルーティはきっと悩んでいるだろう。自分が実の弟で、そして、ヒューゴが実の父親で、その二人が世界を敵に回したことで。

フィリアはよく誰かのために胸を痛め涙を流していた、バティスタの死にも涙を流す儚げな優しい情景があった。優しいフィリア。
自分の裏切りに涙を流し一番悲しい瞳を向けていた。

マリーはマインドコントロールにより記憶を操られたダリスの姿にただ泣き、彼を思い、彼の死に深く絶望していた。あの涙がマリーの彼を思う姿に感じた。

しまったと思うよりも早く。リオンは足音をたてずに静かにその場を立ち去ろうとしたが、右腕に鈍痛を感じて後ずさる足音が床をこすり静寂に包まれた空間に響いてしまった。

「あっ!リ、リオン君。お風呂大丈夫だった?」

泣いていた姿を見られてしまった。しかもまだ出会って名もない少年に。
ごしごしと涙を拭って慌てて緩やかな髪を揺らし振り返った海は、今まで泣いていたとは思えないくらいにあどけない笑顔を浮かべていた。

「あ、あぁ・・・」
「あっ、濡れてる。」
「何が、」
「髪。
ちゃんと乾かさなきゃね、」

涙の理由などどうでもいいが。髪から伝う滴、促されるまま椅子に座らされ、美容品がつまった棚から取り出したのはドライヤーだ。

またまた見たこともない機械の登場。リオンはいぶかしげに眉を寄せどっかり腰かけた。

「なんだ、それは。」
「ドライヤーだよ、髪の毛をね、素早く乾かす機械なのっ、ほら、サラサラになるんだよ。」
「さっ、触るな!一人で出来る。」

サラサラの漆黒の艶髪に触れた手を拒絶しリオンは鋭い瞳で海を睨み付けた。
いきなり女性にさわられてビックリしただけだが。
しかし、凄みのある切れ長な瞳に睨まれてはすっかり竦み上がり、思わずまだ残っていた涙がじわりと彼女の瞳から伝い溢れた。

「っ・・・ごめ、なさい・・・っ!」


目頭を押さえて、その場に今にも崩れ落ちそうな儚い肢体を目の当たりにし、リオンは驚きを隠せない。

自分を叱りつけた一面も見せた彼女が再び先程と同じ、哀愁漂う儚い空気を纏う。
ついにこらえきれなくなり涙を流して背中を向けた海にリオンはどうすることもできない。

女の涙など、自分にはいったいどうしたらいいのかなんてわからない。
ウッドロウやジョニーやスタンならばあの笑顔と優しさで包み込むのだろう。シャルティエもその点に関しては得意だとベラベラしゃべっていた。

ならば自分は、こんな自分はどうしたらいい。

答えなど見つからない、自分をわからない自分が他人の涙をどう止めるのだ。

「おい、泣くな・・・僕が、泣かせているみたいだろう・・・」
「っく・・・ご、めんなさい」

優しさなど皆無だと言うのに、それでも、溢れた拍子に止まらなくなり涙を流し続ける海にいつまでも泣かれては辛い。
笑わせてやることもできない、だが、リオンはそれ以上なにも言わなかった。

「言っておくが・・・」
「え・・・」
「泣くのは貴様の都合であって、いちいち泣かれても僕はどうすればいいかもわからないし、それをどうにかしようとも思わんからな。」
「っ・・・」

最もな事実を改めて突きつけられて、海は激しく胸を痛め、視界はますます滲んで真っ直ぐにリオンを見つめることが出来なくなった。

「・・・っ、リオン、君は・・・誰かを、人を、愛したことがないの・・・?」
「何だと、」
「誰かを愛したり、失恋したりしたことがない、だから・・・、そんな風に、言えるんだよ。」
「誰かを愛したことがないだと?」

誰かを愛したことがない。

「エミリオ!いらっしゃい、お茶にしましょう!」

その言葉にリオンは鈍器で頭を殴られるような激しい衝撃を受けた。
率直でなんのオブラートにも包まれていない正直な海の言葉たちにリオンは思わず嘲笑するような笑みを浮かべて振り向いて濡れた髪を揺らした。その瞳はあまりにも冷たく、海は心臓をを鷲掴みにされたような感覚に陥った。

「誰かを、愛したことがない、だと?」
「な、に・・・」
「そうかもしれないな、誰かを愛して、何も得られないのにな。お前の悲しみなど理解できない」
「リオン君に理解してほしいなんて思ってないよ、別にもう、平気だもん。」
「ならばその涙はなんだ、」
「っ・・・」

見抜かれた涙、見下すアメジストの瞳に射ぬかれ思わず海は手を握りしめ後ずさる。
元彼のハーフパンツにTシャツを着たリオンの姿に錯覚を抱いてしまうほどに未だに忘れたことなんかなかったのに。

「平気か、ならば、―これは要らないよな。」

そうして窓際に歩き出したリオンが手にしたのは写真たてに飾られた元彼と微笑み幸せに笑う昔の自分が写る写真だった。
それを手にした瞬間、海の脳裏に嫌な予感が駆け巡り海は声を張り上げ小さな手を伸ばした。

「!や、やめて・・・触らないで!」
「どうした、さっきの涙は。見え見えなんだ、いつまでもいつまでも未練がましくすがり付いて虚勢でごまかして、いい加減に諦めたらどうだ」

リオンはイラついていた、理由はわからない、涙を流して愛を請う海の姿が、まるであの日の自分の境遇に似ていて―余計に腹がたったのかもしれない。
そんなことをしても、愛など手にはいるわけではないのに。
海に無駄だとリオンはせせらわらった。

「無駄なんだよ、人はいつか死ぬ、愛なんてそんな気休めなど僕は信じない。愛なんて・・・欲しがって得られる訳なんかあるか!」
「やめて!やめて!もう!いい加減にして!」

涙を流して必死にそれを守ろうとする海。思わずリオンの脛を思いきり蹴り飛ばしたのだ。

「痛ッ―!貴様!何をする!」
「きゃっ・・・!」

向こう脛を思いきり蹴られた経験など皆無。これには痛みに思いきり顔をしかめたリオンの手から写真たてが落ち、固い床に落ちて表面をおおっていたガラスの破片が粉々に散った。

「ひどい、ひどいよ、何でこんなこと、するの?最低!」
「っ!」

いきなり脛を蹴られた計り知れない痛みに悶絶し、思わず突き飛ばした海は涙を流して病み上がりなのにも構わずついにリオンの頬を打った。
脛を蹴られ、乾いた音が響き、リオンもさすがに揺らいだ。

「リオン君は、人の痛みがわからないの・・・?
その歳で国の剣士なら、英才教育を受けたお坊っちゃんだもんね、世間や苦労も知らないで今まで生きてきたんでしょう?」
「何だと貴様!黙っていればいい気になるな、僕がいつ人を愛したことがないと、そう言った!誰が、っ!父親のいいなりに、なって、やりたくもないことを強要され、それでも、その度に何度裏切られたことなどないお前に!!」

怒りのあまりリオンは言葉をなくした。世間や苦労を知らない。何も知らない女にそう言われれば冷静そうに見えるリオンも激昴した。黙ってなどいられない。

「リオン、君・・・」
「愛なんてそんな形のないもの・・・僕は要らない!!」

戸籍も変えられて、エミリオ・カトレットではなくセインガルド王国に忍び込みヒューゴに情報を流す道具として、無理矢理名前も奪われて。父親の愛などない冷えきった屋敷の生活。
挙げ句の果てに利用しぼろ切れのように捨てられた。滑稽な末路だった、笑えるくらいに。
よく知りもしない海に言われ、リオンは言葉より先に頭に血が登り怒りに任せて思わず殴りかかろうと海の胸ぐらをつかんだその時。

「殴れるものなら、殴ってみなさいよっ!」

さっと拳をあげられて海は殴られると身構えたがそれでも引かなかった。
海の瞳に映る自分の姿にようやくリオンはいつもの冷静さを取り戻した。

「お父さんが忙しくて構ってくれなくて、寂しかったんでしょう?リオン君は寂しいって、お父さんに伝えようとすらしなかったんじゃないの?」
「っ!」
「どんなに冷たくされたとしても、あなたには、お父さんがちゃんと居たじゃない・・・私には、お父さんがいなかった。お母さんも、いなかったから・・・叔母さんに引き取られて、本当に、いつも、独りだった。リオン君は本当に、お屋敷に独り、だったの?言わなきゃ、伝わらないんだよ。」
「・・・言ったところで、無駄だと分かっているのに言う、期待すればするほど裏切られるくらいならば・・・僕は愛など信じない、それを望んだこともないし、今後欲しくも、無い。それがどれだけ・・・お前に僕の、何が、わかる」

胸ぐらをつかんでいた手を離してふたりは床に座り込んだまま動かなかった。

熱くなってどうする、こんなに小さな儚いだけの非力な海に。リオンは誰からも指摘されたことのなかった事実をまだ出会って間もない海に容赦なく怒鳴られ、たまらず萎縮し微かに瞳を熱くさせた。

外は窓を叩く激しい雨。自分が生まれたのもこんな雷の轟く酷い嵐の晩だった。
思えばあの日から自分の運命を決定づけられていたのかもしれない。

「わからないよ、私はあなたじゃない、あなただって、私に理解されたくないくらいに深い闇を抱えてて寂しくて、今まで大変だったんでしょう・・・?」
「・・・やめろ、」
「リオン君・・・」
「やめて、くれ・・・そうやって、わかったようなことを並べて、美辞麗句ばかり、僕から言わせてもらえばお前こそ穢れを知らないで生きてきたんだろう、」

思っていた気持ち、誰からも、マリアンにさえ言えなかった本当の孤独をあっさりと見抜かれリオンはたまらず声を震わせたのだが、気づくと視界の先に涙で顔をくしゃくしゃにしてまた肩を震わせる海の姿があった。

「何で、何故、お前が泣く・・・!」
「っ・・・ごめ、なさ・・・い、リオン君!あなたのこと、知らないって、お屋敷育ちの苦労知らずって、私・・・お金持ちでも貧乏でも、親からの愛が無いまま大きくなって、寂しくても期待出来なくなる、貧富の差なんて関係ない、親から愛情を貰わないまま大きくなっていく寂しさはみんな、同じなのに」
「泣くな、余計に、虚しくなるだけだ。
父親は・・・ヒューゴ様は物心ついたときから僕に無関心だったから確かに、幼少の頃は寂しくもあったが、次第にそれを当たり前と思うように・・・いや、僕はもう最初から諦めてしまっていたんだな。僕は国に仕えることで会社の経営も利益もそれしか僕に価値は残らない、道具で良かった・・・従わなければ姉や母親のように消される、そう、思っていたが、本当は捨てられるのが怖かったのかもしれないな。」
「リオン君・・・」
「お前を見ていると…腹が立つんだ…昔の、僕を見ているみたいで・・・」
「でも、生きていたのに・・・わかりあえないなんて」
「そればかりはどうしようもないことがある。この世界だって、同じだ。親の都合で子供の命を簡単に消してしまえる残酷な報道が多いと、」

代わりに泣き出した海に募る虚無感。自然に凭れてきた海をリオンは軽く宥めた、似た孤独を感じていたふたりは気持ちを通わせ涙を流した。
ふたりを見つめて雨は激しく降り続ける。

いつのまにか、泣きつかれて眠りについた海を自分が寝ていたベッドで寝かせた。
リオンは不思議そうに見ていた。

「怒ったり、泣いたり、しまいには寝るのか、全く面倒な女だ。」

宛がわれた部屋に乱雑に置かれたソファー。寝床のない場所での野宿もたくさん経験してきたから暖かな室内で寝れるだけ文句はない。

何だかんだで、この世界で行き場のない自分を拾ってくれた。
さっきまで泣いていたとは思えない彼女の穏やかな寝顔に不思議な気持ちでたまらなかった。

「本当に、変わった女だ。
あいつらと同じだ、能天気で図々しくて馴れ馴れしい女だ・・・」

散々泣き喚いて疲れて眠りについた海が目を覚ますと不意に懐かしい匂いが胸を包んだ。

嗅いだことがある香り、甘く胸が痛む香りに微かに視界が滲んで。そうして、懐かしい記憶と優しい夢に微睡んだ。

「おはよう、」

あの人の面影が重なる。夢の中でも良かった、海は懐かしそうに瞳を細めて柔らかな幸せそうな笑みを浮かべて腕を伸ばして迷わずその唇に口付けた筈。

だったが―
「お!!おいっ!!お前・・・っ!いきなり何をする!」
「え?」

朝になり繰り返し降っていた雨も次第に止んで晴れ間が射していた。
不思議そうにいつものように朝の目覚めに彼にキスをした海は急に現実に戻された。

低血圧の眠たい頭をどうにか振りながら起き上がるとそこに居たのは気持ちのいい朝にいつまでも起きない海にしびれを切らしたリオンの耳まで真っ赤にした彼の驚いたような美麗な顔が飛び込んできた。

「ええー!ど、どうして!」
「いきなり・・・っ・・・何をする!!」

リオンは記憶にないが海と唇を重ねたのはこれが二度目。しかし、初めて異性と唇を重ねるなんて生まれてこの16年間全く皆無だった。突然奪われた口唇にみるみるうちに頬から赤くなってだんだん伝染してくるように耳たぶまでかわいそうなくらい赤くなってしまったリオン。

「あっ・・・」

そうだ、あの人は別れを告げてこの広い家から出ていってしまったのに・・・自分は。
海辺で助けたリオンが恋人が帰ってきたんだと夢の中と間違って彼にキスしてしまったのだ。

「ごめんなさい・・・リオン君!本当にごめんなさいっ、まさか、初めてだった・・・?」

その言葉には少しばかりバカにしてるのかというニュアンスにも感じられて、沈黙は肯定か。リオンはかわいそうなくらいに顔を真っ赤にして怒りを顕にした。

「ごめんなさい、リオン君カッコいいからモテると思ってたし、でも、まさか、キスしたことがなかったなんて・・・」
「うっ!黙れ!本当に信じられない・・・いきなり唇を〜っ!」
「リオン君、また顔熱くなってきたよ、また熱がぶり返したのかな?」
「やかましい!お前がいきなり!近寄るな!この破廉恥女め!!」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃない!」

唇を重ねたのはこれがリオンにとってははじめて重ねたキスで、そんな行為など、愛のある行為など、下らない低俗な人間のする行為だと見下していた自分がまさか。
リオンは無言のまま海が用意した可愛い器の中にあるミネストローネを口に運んだ。

ずっと謝り続ける海を改めて見つめながらリオンはミネストローネに浮かぶピーマンをさりげなく空になった紅茶のカップに投げた。

不本意ながらにキスをされたとき、よく見てなかった海の顔を改めてじっくり見たような気がする。
自分には怯えた悲しい瞳をするのに、夢心地な海が嬉しそうに自分に抱きついて本当に柔らかく今にも蕩けそうに愛しそうな笑みを浮かべていたから・・・。
昨日まで怒ったり泣いたりめそめそしていた海がこんな慈愛に包まれた笑みを見せるなんて知らない。拒めず思わずその柔らかな笑顔に魅入ってしまったなんて。

「ごめんね、まさかファーストキスだったなんて・・・リオン君、カッコいいからてっきり経験あるのかなって・・・」
「無い、そんなものあるか、僕には不要だ。いずれヒューゴ様が僕にふさわしい教養のある名家の誰かを婚約者にしていた、かもな。」
「じゃあ・・・」
「女を抱いたこともない。子孫を残す為の行為に何の意味がある?別にそんなもの、僕には必要ない。」
「で、でも、そう言うのは子孫を残す為だけにあるんじゃないのよ、例えば好きな人と愛を確かめあったりとか・・・」
「子孫を残すための行為などに愛なんて、意味なんてない、そんなもの愛がなくても出来る」

「そんな・・・」

本心で口にしていないとしても、リオンは自分が誰かを愛するなど絶対にこの先あるわけない未来を実感していた。
無駄無駄、所詮自分はヒューゴの敷いたレールを馬車馬のように走らされるだけの人生だと思っていたからだ。
自らの描く人生設計など必要がない。自分はヒューゴに情報を流す人形だから、ヒューゴの言う道を歩めばいいだけ。
だが枷を奪われたら簡単に見失った。

「ねぇ、それ、本気で言ってるの?」
「何がおかしい?」
「ダメだよ、そんなの・・・親のレールに従った人生なんて、悲しいだけだよ・・・辛いよ・・・自分が好きだと思う相手ではない好きでもない人と子供を作るためだけに身体を重ねるなんて・・・私は、出来ない。それに、この世界は、大体の人は自分の好きな人と結婚できるんだよ。」
「結婚、好きな人・・・そんなこと、考えたこともない。」
「リオン君にも好きな人が出来たらすごくわかると思うよ。昔の私も・・・そうだった、愛もみんな、くだらないって思っていたから・・・でもね、彼に出会って変わったの。愛されて、愛して、触れ合える喜びや満たされる気持ちを知ったんだよ」

沈黙は肯定か、それでも笑う彼女を見つめればそれは明らかで、リオンは無言でミネストローネを飲み干した。
何故か自分より小さな彼女に翻弄される自分が嫌で思わず口走った一言だが、今さら取り消すことなどできない。

くりくりした瞳がこちらを見る。大人びた口調と裏腹にあどけない笑み。恋をする少女の瞳は全く穢れを知らなかった。だから余計に酷く自分が穢く見えた。

「あと、今ピーマンどさくさに紛れて捨てたよね、ちゃんと食べなきゃダメだよ、」
「お前こそ・・・その茄子の固まりはなんだ?」
「こ、これは・・・」
「フン、人に意見する前に自分のを改善してから偉そうに意見しろ。」
「むっ!リオン君の、意地悪、そんなんじゃぁ可愛い彼女もできなかったでしょうね?」
「生憎、鍛練しか気が向かなくてな。」
「マリアン、」
「なんだ。」
「マリアン、マリアン、ってうわ言のように言ってたじゃない」
「彼女は、・・・そうだな。」
「好き、だったの?」
「彼女のことは・・・簡単に言葉には出来ない。」
「それくらい、大切だったんだね。」
「子供の時から僕の世話係をしてくれていて・・・あの息がつまりそうな屋敷生活でいつも暖かく迎えてくれた。唯一の存在だった。」

瞳を閉じれば今でも思い出せる、彼女とのかけがえのない日々を。
優しい笑み、柔らかな髪やダンスを踊ったこと、いつの間にか彼女の背を追い越したこと。
彼女を人質にとられても、誰よりも無事を信じていた。
天上都市を自分が復活させたのも同じだ。
マリアンのためだと言い聞かせて重ねた罪はあまりにも重すぎた。この手は赤に染まりすぎた。

「リオン君、・・・あの、」
「言い過ぎた。変だな、会ったばかりの他人にここまで話すなんて。どうかしているみたいだな、」
「そんなことないよ、話してくれてありがとう。私も、昨日は本当にごめんね。」
「そうだな、足も蹴られたし、今まで人に顔を殴られるなんて・・・」

普段より饒舌な自分にリオンは驚いていた。
そうして思い出した。初めて自分を叩いた、今の自分の剣の手解きを教えてくれた唯一自分が認める父親のように接してくれた存在。

「ご、ごめんなさい、だって、壊そうとしたから・・・つい」
「それで、もう吹っ切れたのか。」

変わらず皮肉を吐き捨てたリオンの挑発的な言葉に対し、海はもう涙を見せたり騒いだりすることをやめた。肩を震わせた気がしたが、泣き腫らした瞳は穏やかだった。
漸く、現実を受け入れることができた。それもきっと、リオンとの突然の出会いが変えた。

「うん・・・リオン君のおかげでね。捨てたよ。ほら、だから、これ捨ててきてね。」
「は?」
「これから、ここに住むんでしょう?それならタダで住ませるわけにはいかないでしょ?あなた行く宛はあるの?リオン君は顔がとっても可愛いから変な人に捕まって・・・リオン君、顔もいいし、」
「わかった!」

持たされたごみは衣類や資料やら私物も含まれており、リオンもようやく吹っ切ったのだと悟った。

よくはわからない単語だがわかるのはカルバレイスの状況を忘れたわけではない、今の自分、シャルティエもなければ金もない、浮浪者がさ迷うあの貧困に喘ぐ地域の者と同じだ。

今、一文無しの自分は確かに彼女の場所に置いてもらうしか道はないのだ。

「塵を、捨てるのか。」
「うん。そうだよ、毎週、金曜日と火曜日だから忘れないでね。
居たら?」
「貴様・・・何故だ?何故僕を信じられる?」
「うーん・・・どうしてかな、わからない。だけど、私は、困ってる人を見捨てたりしない、目処がつくまでここにいたらいいじゃない。代わりに家のことはしてもらうけどね、坊ちゃん。」
「坊っちゃんはやめろ・・・全く、誰が貴様の世話になんか・・・」
「じゃあ出ていくの?」
「またお前が追いかけてくるんだろう?」
「うん、」

そう皮肉を吐き捨てながらもリオンの表情は前と違い穏やかな表情を浮かべていた。

近くのごみ捨て場まで言われた通りにごみを捨てて歩き出す。
冷めた目が冷静に世界を見渡すが殺気などは感じられない。

「居たら?」とのんきに笑って告げた海の柔らかな凛とした声や言葉が耳に残る。
しかし、迷うことはある。突然知らない世界で目を覚まして、これから先の見えない生活をあの女の助けを借りながら延々と続けていくのか?

「結局、ひとりぼっちだな」

押し寄せるどうしようもない感情に思わずこみ上げる。おかしい・・・今の自分は、本当にどうかしている。泣くだなんて・・・らしくもない。
しかし、俯いた拍子に溢れる涙は止まらなかった。

「お帰りなさい。場所覚えた?あ、はい、体温計!計ってみてね。」

マンションのエレベーターを上がり、ドアを開けるとそこには微笑む海の姿があった。

服をまくりあげられ、脇に挟み、一気に計測される体温。体温計に戸惑う姿はやはりこの世界の人間じゃないことを改めて海に実感させた。

「何だ、煩いぞ・・・この機械」
「どれどれ・・・あっ!36度ね、熱もないし、はい、もう大丈夫そうね!」
「うわっ・・・何をする!」

昨日とは違う張り付けた笑みとは違い今日の笑顔は本当に心からの穏やかな笑みに感じられた。
そしていきなり歩み寄ると海がリオンの額に額を重ねてきたのだ。
朝のキスの衝撃を忘れたわけではない、突然の出来事にリオンは飛び上がった。

「いきなりなんだ・・・!本当にいちいち予想のつかない行動ばかりして驚かせる!」
「違うの!本当にごめんね、あれは忘れてね・・・」

簡単に言うが、あの衝撃は忘れたくとも忘れられないものだ。

「本当に勝手な女だ、」

交わしたキスがはじめてで、見るよりも重ねた海の唇はどんな菓子よりも遥かに柔らかかった。そして、こちらまでつられて笑いそうになるほどの眩しい笑顔だったから。

「じゃあ、今日はお天気もいいし、リオン君も元気になったし、出掛けようか。いろいろ身の回りの物も必要になるよねっ。」

そう言うと海は紙袋から服を引っ張り出してきた。昨日出会った海翔と言う男が昔着ていた服だ。

「これを着ろと?」
「うん。」

そして最初に海が手渡したのはペイズリー柄のロンTとインナーのTシャツに下にはブラックのデニム。

「うん、似合う似合う、かっこいいね、リオン君。王子様ファッションも良かったけど素材がいいんだからおしゃれしなきゃ。」
「防護の意味を果たしてないぞ、」
「そんな・・・モンスターとか日常茶飯事ならまだしも、ここは武器さえも持てない世界よ。それがこの世界のファッションなの。」

そして……新品の袋から取り出したのは。

「なんだこれは」
「これはボクサーパンツっていう下着だよ。リオン君はトランクス派だったかな?まさかブリーフ!?」
「あのな・・・下着など何がどうだろうがいちいち気しない、」
「そうなの?締め付けられるのが嫌とかないの・・・?」
「下着?しかし何故女のおまえが男の下着を・・・」

リオンに真顔で問われて海も顔が赤らんでしまう。慌てて否定してはみるが余計に怪しまれるだけ。

「ち、違うの・・・!これは友達の友達がくれたやつで、私の趣味じゃないもん・・・!!」
「ムキになるのがますます怪しいな。」
「ほっ、本当なんだから・・・。」

涙目になる海にリオンはいつの間にか表情が緩みかけていたことに気づいた。

顔を真っ赤にして精一杯首を振る海にリオンも恥ずかしい気持ちになり、そのまま下を向いてしまう。

「あと、お家の中、ひと通り案内するからついてきて。」

歩き出した海の後にリオンも続いた。
冷静に考えて、行く宛もなく頼りもない。
あちらの世界にはもう自分の居場所など。

彼に残された選択肢は最早ひとつしかない。
「僕は、必ずあの場所に帰らなければならない・・・帰れる手段が決まったら、出ていく。それまでだ、」
「それでも、いいよ。宜しくね、リオン君。」

そうして差し伸べられた海の小さな白い手越しに見た景色にたくさん飾られていた元カレとの思い出の写真達が全て消えていたことを知った。前に進む勇気、突然の変化は自らの意思で掴むもので。
だからいつまでも立ち止まってはいられない。
いつまでもこの場所にとどまることはできないから。

「なんだその手は?」

かつての仲間と同じく、キラキラした瞳がリオンに向けられた。

「仲直りの握手だよ。二人で暮らすからには協力していこうね、宜しくね、リオン君!」

眩すぎる笑顔にリオンは思わず瞳を細めた。自然と伸びた手。
「しばらく・・・世話になる。
だが、行く宛が出来たらすぐに出て行くからな」

そう言うと海は満面の笑みでにっこりと笑った。

「それと、リオン君はやめろ、呼び慣れないし、何よりその呼び方はあまり好きではない」
「そっか、わかった。じゃあ、リオンでいいかな?私のことも好きに呼んでいいからね。」
「あぁ、別に、何でもいいだろう。」

本当の名前を海に明かすつもりはない。そんなやり取りをしながら一通りの知識を学んだ。微睡みの中、少しだけささやかで穏やかな気持ちを取り戻せそうな、そんな気がした。


To be continue…







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