とにかく彼になにか着せる着替えを探したが、別れた恋人の服はみんなサイズがあわなかった…そして帰る筈のない別れた恋人の服を抱き締めて残り香に酔いしれる。
大好きだった香水の香りが海の涙腺を刺激する。
たくさん飾ってある思い出の写真も、服もお揃いの指輪も未だ捨てれずにいるそんな未練がましい自分が嫌で嫌でたまらないのに…。
思い悩んだ末にリオンが着れる服を借りようと車内で親友の友里に連絡を取る。
ワンコールですぐ活発な女性の声が海の耳に届き、久方ぶりに聞く親友の声に少しだけ冷静さを取り戻すことが出来た。
「海〜!!!!」
「友里ちゃんっ!」
そして後から押し寄せたのは後悔だった。
自分はどうして彼を受け入れてしまったのだろう。救急車を呼んで病院にそのままにしておけば良かったのに。
しかし、この世の終わりの様な表情を浮かべた彼を放ってはおけなかったのだ。
どうしても、異世界から来たと言う彼を放ってはおけなくて。
だからこそ、彼が回復するまで、彼が元の世界に帰れるまで、そう決めたからには腹を括るしかない。
彼はいきなり知らない未知の異世界に突然身を置くことになりおまけにあんなにも傷つきぼろぼろなのだ、これ以上の目になんて遭わせたくない、同情しているわけじゃない、本当に彼を支えて、守って元気にしてあげたい、本心が叫んだのだ。
聞こえた声は想像以上にデカい。
無理もない、ずっと海は仕事も何もかもを捨て傷心に胸を痛めずっと彼の居ない自分の家に引きこもって居たのだから。
「良かったぁ・・・もう!あたし、すっごく心配したんだからね!!ちゃんと生きてるの!?海ー!!」
「友里ちゃん、お、落ち着いてっ、ごめんね、私はもう、だいじょうぶだよ」
「嘘ばっか!!海の大丈夫は大丈夫に聞こえないのよ!」
さばさばした口調でそう言い切られて海はその迫力に息をヒッと飲み込んだ。
友里は海の職場の先輩で年齢は海よりも上である。海は高校卒業後に今の職場に就職し、それ以来良き相談役として仲良くなったのだ。
どうして彼女に電話をしたのか。それは、
「急にごめん、あのね、緊急事態発生。今からちょっと逢えないかな?」
「逢うも何も今までずっと連絡も絶ってて!もう超心配したんだからね!顔見せなさい!」
「ご、ごめんね」
「まぁ、いいわ。で、どうしたのよ?緊急事態発生って何事よ?」
友里はケータイ越しの海の声が今にも泣き出しそうなことに気付いていた。
待ち受け画面は未だきっと可愛らしい笑顔を浮かべて見せてくれた2人の写メだろう。
海は少し重いと思うが好きな人にとことん一途でこちらが見てて分かるほどのめり込んでいた。
好きで好きで彼しか見えないくらいに大好きなのは明らかで。急に別れを告げられた海の悲しみは計り知れないのだろう。
きっとずっと忘れられない海は今も彼への未練を引きずり思い出の殻に閉じこもって泣いている。現に一生懸命がんばっていた仕事もずっと休むくらいに病んでしまっている。
「あのね、友里ちゃんの男友達とか誰かで要らない服とか下着・・・出来れば使ってないの。も出来れば貸して欲しいんだけど駄目かなっ?」
「はぁ!?ま、まさか!あんた性転換手術でもするつもり!?」
「まさか!!違うよ!あの、親戚の子がわけあって一緒に暮らすことになって・・・そう、し、親戚だよ!」
「親戚って!?男なんでしょ!?」
「う・・・」
しかも彼女は自分とは全く違う、恋には臆病でなかなか異性に馴染めず素直に甘えられない典型的な女の子な彼女が、まさか親戚のしかも、男と暮らすとなれば友里は素っ頓狂な声で叫んだ。
「そ、そうだけど、でも・・・えっと、親と喧嘩して出てきちゃったんだって!」
そう言えば自分は彼の年齢を知らないではないか。彼は結局何歳なのだろう…
自分より歳が下なのはあり得そうだが。
「親戚ってねぇ〜・・・失恋して落ち込む女の家に転がり込むなんてどんな親戚なのよ!待って!すぐに用意させるから!」
「じゃあ友里ちゃんちに行くね、」
「いいの!無理して外出なんかしなくていいわ!あたしが行くから!その男がどんな奴かわたしがこの目で確かめる!!」
友里は海と元の恋人のことをよく知っていた。
大好きだった、初めて心を開いた初めての恋人に周りも呆れるくらいお互いに溺れていた。
海は誰よりも眩しい笑顔で幸せに満ち溢れていた。
それは、不意に寝返りを打ったリオンの視界に飛び込んできた。
海と知らない男が仲睦まじく抱き合って笑い合うそれは幸せそうな写真だった。
男は恥じらいながらも彼女の頬に優しくキスをして海は幸せそうに笑いそれはとても可愛らしくもあり見てるこっちが恥ずかしくなる程に。
自分の前で見せたことのない海の笑顔。
好きな人の前では女の子は誰よりも輝きを増す生き物だから。初めて見た写真はあまりにも鮮明にリオンの冷めた双眼に映った。
写真ではなく肖像画でしか人間を形に残すものしかなかった世界で育った彼にはフルカラーの写真は新鮮に映る。
本当に自分は誰も自分を裏切り者とは呼ばない異世界にいるのだと改めて感じた。誰もリオンを知らない。それは自分が望んでいた世界だった。
柔らかな海の笑顔は本当に眩しく輝いていて、愛しさを込めて見つめ合う笑顔、頬に無邪気にキスをして恥ずかしそうに、でもにこにことその笑みはリオンに向けた笑み以上に輝いて心から隣の彼を愛しているのだとひしひしとその並んだ写真立ての中の写真から伝わってくる。
リオンは不思議な気持ちになった。
「(マリアン・・・)」
しかし、マリアンを思い浮かべても幸せや安らぎを得られることは出来なかった。
彼女は無事だろうか、もしかしたら自分のことで一生苦しむ傷を負ったのかもしれない。
虚しくなるだけだった。
幸せだった、確かにマリアンを自分は誰よりも守りたくてそして守りたいからすべてを捨て肉親にすら剣を向け闘ったのだ。
想い半ばに犬死に息絶えたが後悔なんて、するわけがない、その筈なのに写真の中の海は幸せそうだ、眩しいくらいに。
しかし、自分はマリアンと並んでもこんなに幸せそうに海の様に笑っていただろうか。
分からなくなり、彼は又ごろりと寝返りを打つ。
普段海が寝ているのか海の抜けた長い髪が視界に入った。
「・・・(いい匂いがする・・・あいつの香りか?)」
シーツからは仄かに優しくて甘い香りがして心が少しだけ和らぐ。
とにかく今は熱を下げるのが先決だ。
興奮して止まない友里が一方的に電話を切ると海はため息をついた。
いつも明るくて頭も良くて誰もが振り返るほど抜群の容姿とスタイルで狙った男は常にキープ、まさに恋愛の手練れで大人の女性である友里は海の憧れだった。
自分はどちらかと言えばスタイルも容姿も十人並みだ。
そんな自分に彼氏が居たなんて二度とない奇跡だろう。
すっかり辺りも暗くなり車の中で友里を待つことにし、何となく携帯を見つめれば嫌でも待ち受け画面が海の胸を甘く締め付けた。
二度と彼には届かない既読にすらならないブロックされたままのメッセージ。行き場をなくしたメッセージばかりが自分の元に返ってくる。
大好きも、愛してるも、もう彼には届かないのだ。彼が好きだった煙草、お揃いで買った指輪に合い鍵たくさんの写真も、初めて交わしたキスの味も。
初めての恋だった。色んなことを教えてくれた恋。人の愛し方を教えてくれたが、愛の忘れ方までは教えてくれなかった。
自分に残してくれたのは甘く切なく胸を引き裂く辛い絶望と痛みだけだった。
不意にサイドミラーに映るのは泣き疲れてボロボロになりすっかりくたびれた自分だった。まだ20代だと言うのに泣きはらした顔はむくみ唇もがさがさで。あまりの醜さに思わず泣き笑いになってしまう。
嫌いになれたら楽なのに、スマホの待ち受けは未だ彼なのだから。
そんな未練がましい自分がおかしくて。
何となく告白されて、何となく告白されたから付き合って、やがて互いに付き合いに馴れたらくだらない喧嘩ばかり、結局別れる頃にはお互いすっかり冷め切って自然消滅。そんな恋愛だったら良かったのだろう。それなら前向きに前の男なんか忘れて次の恋へ。果たして…そんな風に思えたのだろうか。
自分には出来なかった、好きになって、仕方なくなって・・・ずっと片思いして。
そしてついに勇気を出して自分から一生懸命告白して実った大切な恋、きっとこれが最後の恋。
涙が出るくらい大好きで、離れていたくなくて仕方なかった彼に急に別れを告げられたのだ、生爪を引き剥がされるより辛かった、いきなり別れを告げられそんな簡単に大好きだった人を忘れられるわけがない。
自分を本気で怒ってくれて、落ち込んだときは心配してくれた。
優しく抱き締めて「よくがんばったな、偉いぞ海。」そう言って頭を撫でてくれたあの大きな手。
付き合い始めて最初は順調だった。
そんな中で、彼は長引く付き合いに次第に甘えや馴れ合いが生じたのか。次第に海を激しく束縛し、気に入らなければ暴言を吐き捨て暴力を振るう様になってしまったのだ
終いには自分を残しこのマンションを出て行ってしまった。
それからもう何をする気にもなれなくて。
仕事も無断欠勤を続け、自堕落な生活を送っていた海の元に偶然か必然か、舞い込んできたのは王子様の様な服を着た綺麗な顔をしたCGゲームの様に美しい美少年。しかも彼は異世界からやってきたというのだから驚いた。
まさか現実の恋を知り尽くしている友里にそんな話をしたところで信じてくれるわけもなく…
そして不意に過ぎったのは自分を有り得ない力で組み敷き迷わず切っ先を頸動脈に寸分の狂いもなく押し当てたのだ。
彼は異世界で国に仕える客員の剣士様、生きていれば直に将軍の座に就いていた。
なら彼に頼んで殺してもらえば良かった。
いっそ死ねればいいのに。
しかし人はいくら恋に傷ついても恋の痛手では、死ねないのだ。
恋の終わりがこんなにも苦しいなら。
海は決意する。もう二度と恋なんてしない。
恋なんてしない。
もう誰も愛したりなんかしない、好きになったりなんかしない。
「ああ〜!馬鹿みたい、どうせフラれる位なら、好きになんかならなきゃ良かった、ああ!くだらない!馬鹿みたい、恋なんか・・・しなきゃ良かった!」
怒り吐き散らしながら海はたまたま流れた曲に思わず聴き入る。切ない気持ちを歌った失恋ソングなんて。自分にはきっと無縁だと想っていた。
でも、歌詞の女の子に自分を無意識に重ねれば涙が止めどなく溢れ出して彼女の頬を涙の粒が濡らした。
ただあの日に帰れるなら・・・あの日に戻れるなら・・・何度も願った。
でも、もう…過ぎゆく時間は過去でしかない、今ですらいずれは過去になるのだから。
彼と過ごした日々を・・・大好きな彼を恨む事なんて海には出来なかった。
「・・・海―!!!」
初めてのキスも、喧嘩した夜も、お揃いのリング、2人の約束も…未だ鮮明に覚えているのだから、
「友里ちゃん、」
「海〜もう!!こんなに痩せて!」
元々痩せていたのではない、今の海はすっかりやせ細り友里は余程彼女が傷ついていたのだとショックを受け胸を痛めた。こんなに痩せるまで海を悲しませて。
「海・・・辛かったね」
「っ友里、ちゃんっ、私・・・」
「ったくあの馬鹿男・・・あいつサイテーだよ!こんなに痩せるまで、ろくに寝てないんでしょ
どれだけ海が想っていたか!
あいつの事なんかさっさと忘れてさ、新しい人探しなよ!あたしがぶん殴ってきてやるから!!」
顔を見るなり海は覚束無い足取りでふらふらと歩み寄り終いには一生懸命唇を噛みしめていたがやがて涙腺は脆くも崩れ落ちて、強がりで、仕事で失敗して怒られても泣かなかった海が我慢出来ずに声を上げて泣き出してしまったのだ。
悲しい時や辛い時もいつも一緒にいてくれた、親友は恋人よりも特別な関係、確かにそうだ、甘い香水のムスクを漂わせる友里の胸に顔を埋め海は暫くマンションの駐車場で親友の声に安心したように泣き続けた。
強がりだけじゃない、本当は泣き虫な自分、一頻り泣き続けしゃくりが止まると友里は優しく海を近くのベンチに座らせてミルクティを飲ませてあげた。
辺りはすっかり暗くなり部活帰りの高校生が手を繋いで2人の前を通り過ぎてゆく。
「落ち着いた?」
「っ・・・ごめんね・・・めそめそ泣いて・・・」
「・・・辛かったね、海。
1人でがんばって立ち直ろうとしなくていいんだよ」
「っ・・・嫌いに成れればきっと楽なのに!」
「無理して嫌いにならなくていいの!
あんたにはもっといい男が似合うよ、まだ若いんだから、ね」
「もうおばさんだよ、私は」
「じゃあわたしなんかババアじゃないのよー!!」
友里の優しい言葉は今の海の傷ついた張り裂けそうな心に沁み込んでゆく様だ。
もう一人きりの色も温度も無い暗い部屋で泣くのが日常茶飯事過ぎて、しかしもういつまでも泣いてばかりも居られない事は分かっていた。
泣いてもお金は手に入らない、自分を残しても世界は今日も忙しなく回る、引き籠もって泣いても彼は帰ってこない、それどころか家賃は容赦なく貯金を蝕んで行く。
ごしごしと鼻を啜ると海はまたぽつぽつと語り始める、待ち受け画面を見つめ、ひび割れたディスプレイに映る彼を愛しげに撫でる指には女の子なら誰もが憧れのジュエリーブランド、誕生日にもらったばかりのティファニーの指輪が海の右手の薬指にきらきらと輝いていた。
繋がらない苛立ちに荒んで行く心からつい携帯を床に叩きつけてディスプレイ画面に罅を刻んで傷つけてしまったのだ。
友里はなるべく声調を潜め海の話に優しく問いかける。
「振られたくせに、私、未練がましいね」
「そんなことない!!それだけあいつが好きだったんでしょ?ならいいじゃない!想うのは自由、ましてやいきなり振るなんて。でもいきなり、あいつ、何で海を」
「分からない、もうここ暫く家に帰ってこなかったし、そして、仕事から帰ってきたら急に荷物がなくなってて、そのまま出て行っちゃったの。引き留めたらお前は情だけなんだよ、って合い鍵も投げ返されちゃった。好きな女が出来たって」
「好きな女って、あんなに海に気持ち悪いくらいベタベタしてたくせに!ちょっとスマホ貸して!あたしから連絡してやる!」
しかし、海はそれを遮り携帯を閉じてしまった。
「海?」
「もう何度も連絡したんだっ。待ってる、やり直したい、逢いたいって、でもね、」
視界いっぱいに飛び込んできたのは既読にならない海のメッセージの羅列だった。
「重いよね、気持ち悪いね、私、これじゃあ飽きられちゃうの当たり前だよね」
そのメッセージを打つのにどれだけの時間と勇気を彼女は消耗したのだろう。
プライドの高い友里まで泣きたくなりそうな程、海の悲しい笑顔が痛々しくて。
友里は正直言って海に何と言って慰めて励ましてやればいいのか困惑していた。
好きだのなんだのめんどくさいのは抜きにして、男を誘惑し誘い出してはその気にさせ、満足すればあっさり切り捨てるドライな関係を好む友里だから、振られた経験も今まで皆無で。
男が自分に堕ちる瞬間の高揚感と恋人が居ようが居まいが自分には関係ない、秘密を共有しあえるスリル、既婚者や行きずりの人と、身体だけの繋がりを純粋に楽しむ友里と対照的な海。
海は自分とは違う、純粋に彼だけを一途に愛していたのに。
彼も海だけを愛していたのだと思いこんでいたのだが。それは違かったのか?
「電話もLINEもブロックされてるし、いい加減もう諦めなくちゃいけないのにね、」
「海は今でもアイツが好きなんだよね」
そう問えば海は頬を真っ赤に染めて何度も頷いた。
痩せた所為で指輪もすっかりゆるんでいる。
「うん、好きだね。将ちゃんが好きよ。まだこんなにも大好きでたまらないよ。」
それなのにどうして別れなければいけないの?
その問いかけは、決して返ってくることはない。
海はきつく口唇を噛みしめた。
「だから、無理に忘れなくても良くない?
そのうち好きな男でも出来て、新しい恋をしたら、そしたらあんな奴、自然にいい思い出になる」
「なるのかな」
「海・・・」
「、私、このまま結婚して、赤ちゃん産んで一緒に幸せな家庭を築いてずっと・・・そう、願ってたんだ。馬鹿だね、っそんなの結局は夢でしか無いのにね、」
「海っ・・・」
行き場をなくした思いだけが遅咲きの桜の花弁と共に散り、初夏の風が包む。
涙を流し海は友里の肩に凭れ又静かに暫し感傷に触れ涙を流した。
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